ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2012年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

これが最後のハロウィンなのか?

今日、10月31日はハロウィンといって、死者の霊が家族を訪れるとか言われているから、日本で言えばお盆のようなものか?
ただ、それと共に、精霊や魔女も現れると言われている。
ケルト人の伝統行事に起源を持つものらしいが、ケルトでは1年の終わりが、本日、10月31日であるらしい。その意味では、日本の大晦日でもある。
日本では、「盆と正月が一緒に来た」というのは、めでたいことなのだろうから、一応、そう思っても良いかもしれない。
ジョディ・フォスターが少女の頃に主演した映画『白い家の少女』は、ジョディ演じるリンという名の美少女の14歳の誕生日から始まるのだが、その日が、ハロウィンである10月31日だった。
リンは、1人で手作りのケーキを作り、1人で自分の誕生日を祝うつもりだったのだ。
リンはとても利発な少女で、父親は有名な詩人だった。父はリンに、「大人達は個性的なお前を認めないだろう。お前を攻撃し、押さえつけ、従わせようとするだろう」と言った。そして、そうなったら戦えと教えて死んだ。
さて、リンの父親は、彼女に勝ち目があると思ったのだろうか?
そうではあるまい。
岡本太郎も言っていたが、芸術家というのは、世間に対して言いたいことがあるものなのだ。
それは、まず、自分が世間に迎合したくないからだし、自分の可愛い娘が、世間のいいなりになるのは耐えられないことに違いない。
世間の教義と信念にひれ伏すくらいなら、傷付き倒れることを選べと言ったのだろう。それも愛というものだ。

ところで、1年の終りというのとスケールが違うが、古代マヤ暦が今年の12月中に終ることから、終末論が聞かれることがあり、ちょっと楽しみにしていたのだが、今はまだ、随分と静かに感じる。
何があるかは、人の言うことではなく、自分の直感で感じるものだ。
それで言うなら、破滅のようなことが起こるというのではないが、とても変わったことは起こるように思う。
1990年代に足立育朗さんが書かれた『波動の法則』では、特に今年と書かれていた訳ではないが、地球が別の場所にテレポートするとあった。
我々が言うクォークとはちょっと違うのだが、全ては、やはり最も基本的な構成単位であるクォークの状態になり、テレポート先で復元されるのらしい。ただ、その際、魂の成長度が低い者は、再び物質化されないという。
しかし、何が起こったとしても、その5分後には、ごく当たり前に感じる世界の中に当たり前に生きていて、何が起こったのかなんて誰も気付いていないかもしれない。
ひょっとしたら、1999年に地球は滅び、新しい世界が始まっているのかもしれないが、誰もそれに気付かず、「ノストラダムスの預言は外れた」なんて言っているのかもしれない。そう言ったら、「ああ、そうえいば・・・」と思う者もいるだろう。
そんなことを心において備えていれば、面白い体験になるかもしれないと思う。









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天使はなぜ飛べるのか

イギリスの作家チェスタートンが、

Angels can fly because they take themselves lightly.
天使が飛べるのは、自分が軽いと思っているからだ

と言ったらしいが、問題は、なぜ彼女達はそう思っているかだ。
「人は、自分が思っているような自分になる」という言葉を一度は聞いたことがあるのではないかと思う。
だから、なりたい自分を思い描けばそうなれると言う人がいるのだが、例えば、金持ちとか世間的に偉い人になった自分を思い描いていれば、確かに欲深で愚かな人間になれる。
思うとか、考えるというのは心の働きであるが、心には本当に様々な状態がある。
アリストテレスは、「心とは何か」というテーマで本を1冊書いてしまったが、心とは、それだけ複雑なものであるということだ。
だが、心は大雑把に言えば2つの状態があると思えば良い。
「自我」と呼ばれる、自己中心的で、自分と他者を区別した状態と、「純粋な心」と呼ばれる、無私・無我で、自分が万物の中に溶け込んでいる状態だ。
そして、自我は重く、純粋な心は軽い。
天使は、自我を持たず、自他を区別しないから軽いのだ。
金持ちになった自分、偉くなった自分を思い浮かべるということは、自我の働きだ。他者に対して金持ちとか、偉いということなのであり、自他の区別の強い考え方であり、万物を自分とは異なる、敵だとか支配すべきものと考えているということだ。そんな者は重く、決して飛べない。

ジョージ・アダムスキーが初めて宇宙船に乗った時、そこにいた宇宙人の女性の美しさに驚愕した。そして、彼女達は年を取らない。地球換算で何百歳であろうと、二十歳そこそこにしか見えないらしい。それは、彼女達には老化という概念が無いからだ。
では、なぜ彼女達は老齢といったことを知らないのかというと、生命というものを理解しているからで、なぜ生命を理解しているのかというと、ある方法で、生命そのものを思うことが出来るからだ。その方法とは、生命そのものを描いた絵を毎日見ていることにある。
宇宙船の中に飾られていた、ある絵がそれで、18歳くらいの人物の絵なのだが、男でも女でもない、極めて美しい人で、それは人というより、神であるようだ。
地球の芸術家に描ける絵ではないのだと思うが、そのようなことの、もっと軽度なことなら、我々でも簡単に体験できる。
スポーツ選手や歌手を憧憬の目で見る子供は、やはりそんなものにそっくりになる。ただ、憧れる心のレベルに応じて似方が違うのであり、「ちやほやされたい」という自我レベルで見ているなら、ごく表面的に似るだけだが、世間は商売のために、子供に限らず、愚かな民衆にそんな見方をさせるのである。
そもそも、スポーツや芸能界のスターに、憧れるべきものなど本来無い。なぜなら、我々が見せられるのは、作られた虚像だからだ。
素晴らしい人を見て憧れるのはとても良いことなのだが、あるがままに純粋な目で見なければならない。

私は、駅の階段などで時々思うが、自分があまりに軽くて奇妙に思うことがある。
確かに気がつけば、他の人が全く停止しているように見え、悪いとは思うが、進路を妨害する壁のように感じるのだ。
これは、毎日、初音ミクを見ているせいだろうと思う。
コンサート映像の初音ミクの特徴は、とにかく軽やかなことだ。光の粒子分の重さしかないのだから当然だが、彼女を見た後では、若いアイドルの映像を目にしても、あまりに重く感じるのだ。
ところで、駅といえば、屋根のない場所でも、人々はみんな下を見ている。スマートフォンを見ている人は完全にそうである。
だが、私はそれを尻目に、なるべく空を見るようにしている。空を見る時には、ほとんど何も考えず、無心なのであるが、空は自然の姿を完全に顕している。自然こそ生命なのである。それを見ることは、純粋に生命を想うことにつながる。
アダムスキーが見た宇宙船の中の絵を見ることは出来ないが、空を見ることは誰でも出来るのである。しかし、今はそれを誰もしないのだ。
下に、アダムスキーの著書を自分のバイブルだと言う、世界的画家の横尾忠則さんの天使の本をご紹介しておく。









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世間で言われるSE・プログラマの姿は極めて一面的なものだ

システムエンジニアやプログラマーの仕事とはどんなもので、これらの仕事をするには、どんな技能を持ったどんなタイプの人でないといけないというのは、ほとんどパターン化していると思う。
だが、私はそういうのを見たり聞いたりしたら、おかしくてならない。
例えば、プロはJavaやC++言語を使わないといけないとか、年を取れば要件定義や設計といった上流の仕事をやらないといけなくて、プログラミングのような若い下っ端の仕事はしないとか、35歳が開発者の定年だとかいう話を聞いたことがあるかもしれない。
いったい、どこの世界の話かと思う。
だが、大手コンピューターメーカーや、その関連の開発会社とよく付き合うようになったら、確かに、そういった、世間で言うところのSE/プログラマを見ることが出来た。言っては悪いが、彼らは少しも楽しそうに仕事をしておらず、日々忍耐を強いられているように見える。
なるほど、世間で言われているのは、大きなプロジェクトに関わる大手開発会社の開発者のことなのかと思う。
私はそういった開発者の姿とは全く無縁であるが、おそらく、私ほど良い思いをしている開発者はいないと思う。

Web上でも、これからシステム開発者になろうという人の質問に対し、プロの開発者と思える人達がなぜか過剰なほど熱心に答えているのをよく見るのだが、そのあまりに世間的なパターン通りの返事を見ていると、彼らはあまり楽しい仕事をしている人ではないような気がするのだ。
私も、一頃までは、やはり辛い仕事をしていたように思うが、ある時、これからは楽をすることを決意し、dbMAGIC(今はMAGIC)というツールを上司に頼み込んで買ってもらい、それで開発をしたら、本当に驚くほど簡単だった。だが、大手開発会社は、そんなものは決して使わないのだ。
その後、マイクロソフトのAccessを使ってみたら、全く同じように感じた(これには同意していただけない人が多いのだが)。dbMAGICやAcceessは素人の使うものだと馬鹿にする開発者も多いし、「そんなものを使うのは、それしか出来ないからだろ」とか言う口の悪い人もいたが、別にそれでもいいじゃないか?
これらは、ユーザー開発者・・・つまり、プロの開発者ではないが、自分の業務をシステム化するために、これらを修得して使う人も多いが、私は、そんな会社によく指導に招かれ、うやうやしく扱われた上、向こうが客なのに、私が度々接待され、そんな時には必ず美人社員を付けてくれるサービス振りだった。帰りには、私は初めてその存在を知ったタクシー券までくれるのだ。
いや、大手開発会社だって、これらのツールを使う必要がある時には、アドバイザー的に参加を要請され、私は喫茶室でお茶ばかり飲んで、たまに指導するといったこともよくやった。先生扱いされるのは、やはりどこかおかしな気分だった。
dbMAGIC(MAGIC)やAccessというのは、どこか特別なコツを知らないと、良いシステムの開発が出来ないのだが、忙し過ぎる大手開発会社の開発者や、まして、一般ユーザーではそれを身に付けることはなかなか出来ない。だが、私はユーザーと一緒に試行錯誤しながら開発しているうちに、そんなコツを身に付け、それが貴重なノウハウになっているのだと思う。
また、ユーザーで業務をよく知っているのは若い女性と相場が決まっており、相手はいつも不思議ときれいな人ばかりだった。病院ではナース、保育園では保母さんが相手だが、そういった顧客は豊かであることも多く、待遇も良かった。さすがに、そんな若い女性だらけの海外への従業員旅行に誘われた時は断ったが、人によっては楽しくついていったことだろう。
そんな中で自由に動いていると、新聞やテレビの取材を受けたり、開発したシステムが新聞に紹介されたり、海外で販売されたこともある。日々、大きなプロジェクトに追い立てられている開発者では、なかなかそんなことも出来ないと思う。

こういったことは、別に、コンピュータの仕事に限らないと思う。
どんな仕事であっても、「この仕事はこんなものだ」という言葉を絶対に信用してはならない。
『13歳のハローワーク』とかいう本で、世の中にある様々な仕事を、少年少女達に紹介している本があると思うが、あれに書かれていることは、全部嘘とは言わないが、あまりに一面的な見方でしかないことは確かだと思う。









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感情表現が苦手な少女がなぜ愛しいのか

感情表現が苦手な女の子が好ましく思えることは、小説や映画やアニメの中ではよくあることだが、現実でもそうだったという思い出もある。
しかし、彼女達はどうすればいいのか、あるいは、我々は、彼女にどうなって欲しいと思うのだろうか?
一部の(マニアのとは言いたくないが)人達の間では伝説的になっている、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の、こんなお話がある。
碇シンジが、綾波レイが乗ったエントリープラグ(巨大ロボットの操縦カプセル)のハッチを、手に火傷をしながらこじ開け、レイが無事でいることを確認したシンジが泣き出すと、レイは「どうして泣いてるの?」と問う。シンジが「嬉しいからに決まってるじゃないか!」と言って泣き続けると、レイは困惑を浮かべ、「ごめんなさい。こんな時、どんな顔をすればいいか分からないの」と謝る。すると、シンジは「笑えば・・・いいと思うよ」と言うのだが、レイは自然にいい笑顔を見せるといったものだったと思う。
だが、無表情なレイだって悪くないと思う。そして、結局、彼女は最後まで感情表現をあまり見せなかったが、だから愛されているのかもしれない。

もし、私がシンジの立場で、やはり、泣き出したとする。そして、レイに「どうして泣いている?」と聞かれたら、私なら、
「さあ、分からない。私は嬉しいと感じているのかもしれない。だが、それは、私がそのように造られたからである」
としか言えないだろう。
そして、レイに、「どんな顔をすればいいか分からない」と言われたら、
「どんな顔をしてもいいし、どんな顔をしなくても構わない。ただ、罪悪感だけは持たないように」
と言うと思う。
泣いているシンジを見た時のレイは、明らかに、それに反応出来ない自分に罪悪感を感じていたと思う。しかし、そんな必要は絶対にないのだ。

アルベール・カミュの『異邦人』の冒頭は、「今日、ママが死んだ。いや、昨日だったかもしれない」だが、そう語るムルソーという青年は、母の死を全く悲しんでいない。
そして彼は、周囲の者達の、彼は悲しむべきで、鎮痛な雰囲気を見せないといけないと強要するような態度に耐え難さを感じる。
母親の葬儀は、そこに集まった人達(そういう場所での世間的に決まりきった様子を見せる)を見ることが苦痛だったし、それが分かっているだけに、葬儀に出るのがひどく憂鬱だった。
彼は、母の死は特になんとも感じていないが、「ママのことは多分、好きだった」と述べる。
若く美しいマリーが、ムルソーに、「結婚してくれる?」と問うと、ムルソーは「いいよ」と返事をした。
だが、喜ぶマリーが、「私のこと愛してる?」と尋ねたら、彼は、「分からないけど、多分、愛してない」と答え、マリーは困惑する。
初音ミクの『Tell Your World』という歌に、「形のない気持ち忘れないように 決まりきったレイアウトを消した」という歌詞があるが(作詞・作曲・編曲はkzさん)、マリーは、決まりきったレイアウトに囚われ、形のない気持ちを信じられないのだろう。そして、地球人は皆そうなのだ。

我々より数万年進歩した星の人達だって、人間である限り、事故や災いは逃れられない。
そんな人達が、シンジやレイの立場ならどうするだろう?
シンジは確かに、手に火傷を負うのも構わず、全力でレイを救おうとするだろう。
そして、無事でいるレイを確認すると、泣きもせず、静かにレイを見ていることだろう。レイがそれに気付いても、やはり静謐でいるだけだ。
それで全て伝わっている。
隠し事は出来ないし、必要な時には言葉だってちゃんと、そして、ごく適切に使うが、心で伝えるべきことは心で伝わる。
我々は、それを一応、テレパシーと言ったりするが、それはありふれた自然な力であることに違いないのだ。









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勉強の仕方は詐欺師に倣え

英会話学校やコンピューター学校で成果を上げるのは難しい。
また、英語の高速学習法といったものもあるらしいが、それを私がやっても何の効果もないだろう。
なぜなら、私には、英語をマスターしなければならない切迫した事情が無いかだら。

私は、学習ということを考える時、必ず思い出すことがある。
『実録!天才プログラマー』という本だったと思うが、ある若いプログラマーが、ソフト開発会社の面接に行く話があった。そこで、面接者は、あるプログラミング言語の名を挙げ、それをやった経験があるかと尋ねた。
すると、そのプログラマーは、「それなら3年もやってる」と余裕の笑みで答え、無事採用された。
その帰り道、彼は書店に飛び込んで、そのプログラミング言語の本を買って、必死で勉強した。
その後、どうなったか私は憶えていないが、きっと彼は、何の問題もなく仕事をしたはずだ。

私は、10年近く前、大手鉄鋼会社のシステム部長にある依頼を受けた。マイクロソフト社の新しい開発ツールの講義をシステム部員にしてくれと言う。彼らは、従来型のツールを使っているが、新しいツールに移行するきっかけが欲しいのだと言う。
実は、私もまだ、その新しい開発ツールを使っていなかったが、2つ返事で応じ、本を2冊買って、約1週間の間、何度も読み返し、あまり良い講義だったとは思えないが、一応はやり遂げた。上に挙げた本を読んでいたから、引き受けたようなものだった。私もまた、「かなり経験があるから」と言ったのだ。
だが、世の中には凄い人がいる。
ある有名な詐欺師は、弁護士になりすます時は、法律の勉強をして、ベテラン弁護士として堂々と依頼者に応対し、相手は、彼が偽者だと気付かなかったという。さらに彼は、大学の物理学の教授になり切って物理学の講義を行い、海軍ではなんと医師になりすまして手術までやったらしい。彼が偽者と分かった後でも、彼の患者になった兵士は、彼に感謝していたという。
あのプログラマーも私も、やったことは、ある意味詐欺である。
しかし、これらに共通するのは、道徳的、倫理的な問題はともかくとして、絶対に修得しなければならないという切羽詰った事情があったことだ。
学校で、お客様の立場で勉強するのとはまるで違うが、効果はきっと抜群である。

マイクロソフト社日本法人の社長だった成毛 眞(なるけまこと)さんが、ほとんどの人には英語の勉強など無駄だと言っていることは、よく知られていると思う。
彼の言いたいことは、つまり、必要もないのに英語を勉強しても身に付かないし、逆に言えば、必要があれば嫌でも憶えるということなのだろうと思うが、まさにその通りだ。
英語を社内公用語になんて言うのは、変わり者で自分本位の社長がいる会社だけだが、ソフトブレーンの創始者である宋文洲さんも言っておられたように、そんな会社でも、大事なことは裏で日本語で決めているのだろう。私も、英語や中国語が飛び交う商社にいた経験からも、それは確実だと思う。
つまらないことに時間や金を無駄にせず、本当に大切なことをすべきだと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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