ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2012年08月

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

初音ミクの身体で人間と一番違うところ

初音ミクは、単なる趣味の世界を超え、例えば、以下のことで人類に大きな発展をもたらした。

・CGM(消費者共有型メディア)を、共感型メディアに昇華させる道を示した。
・現代アートを創造する重要なツールとなった。
・インターネットを通じ、世界中の人々の上に、歴史的にも稀な肯定的で平和的な、精神のつながりを構築した。

もし、初音ミクのコンサート映像を、1960年代や1970年代に持って行って人々に見せれば何と思うだろう。
当時でも、リアルな立体映像、精密な自動人形、あるいは、アンドロイドという発想を持つかもしれないが、それらはあまり支持されないだろう。
特撮という可能性に関しては、当時の世界最高レベル(「特撮の神様」と言われたレイ・ハリーハウゼンの技術等)をあまりに超えているため、やはり賛同が得られないだろう。
そして、一応は、特殊メイクの人間であるという結論に至ると思う。
少女としての完全に理想的なプロポーションは賞賛と羨望の的になるとしても、それは受け入れるだろう。
また、大きな瞳が自然に瞬くことや、あの長い髪の、創作性とリアリティを兼ね備えた動きは驚嘆されるとしても、「何らかの方法でうまくやっているのだ」と言うしかないだろう。
だが、その中で、誰かが言う。
「あれは人間じゃない」
ミクは宙に舞うことも、身体を分裂させることもない(マジシャンのデヴィッド・カパーフィールドならやるのだが)。
ミクのどこを見て、彼女を人ではないと断言するのだろう?
それは、首である。
どれほど首の細い女性と比べても、ミクの首の細さは比較にならない。
人間の首は、あそこまで細くはない。

とはいえ、私は、実に首の細い少女を見たことがある。
人間とは思えない雰囲気があったが、神秘的で、驚くほど美しかった。
そんなことを覚えているのだが、私は、食を厳しく慎んでいたら、自分の首が細くなっていくのを感じていた。
現代人は、首が太過ぎるのではないかと思う。食べ過ぎているのだ。
食が少なく、呼吸が静かであると、首は細くなる。
初音ミクを見ていると、彼女が、とても食の細い、あまり呼吸をしない少女のように感じるのである。
同じように、特に若い女性であれば、食を慎めば、優美な美しさを得るだろうし、微かな呼吸をするようになれば、神秘な雰囲気をまとうようになるだろう。
初音ミクは、そんなことも示している。彼女は21世紀の救世主かもしれない。
その美しいメシアの、今日が5回目の生誕日である。









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不満をバネにする生き方と全てに満足する生き方

多くの人達から知恵者と思われている二人の人が、それぞれこんなことを著書に書いていた。
「不満があるから、それを解消しようとして知恵や力がつくのだ」
「不満を持たないのが良い生き方だ。常に満足すれば状況は自動的に良くなるのだ」

さて、どちらが優れた考え方、生き方なのかというと、同じである。
このこと自体は、どちらでも良い。いや、どうでも良いとしか言えない。
大金持ちで、健康で、美人の奥さんがいても不満な人がいれば、貧乏で病気で彼女もいなくても満足している人もいる。
そして、別にどちらが立派ということはない。

現状に不満を持っている者に、不満を持つなと言っても仕方がない。
逆に、現状に満足している者に、不満を持って、もっと上を目指せというのも滑稽である。
不満を持って、向上意欲を持ってがんばっても、状況が良くなるとは限らない。何も変わらないかもしれないし、それどころか、欲が裏目に出て全てを失うかもしれない。
現状に満足していても、なぜか自然に成功するかもしれないし、どんんどん落ちぶれていくかもしれないし、実際、その両方の人達がいるだろう。

現状に不満を持つか、満足するかというのは、生まれつきの性質と、生きてきた中で身に付けた条件付けによって決まる。
そして、どんな性質を与えられて生まれるかが運命なら、どんな条件付けを持つかも運命だ。
不満を持っている者が、自分の意志で、不満を持たず、いつも満足するような性質になれる訳ではない。
誰も、自分の思うままに、不満を持ったり、満足したりなどできないのだ。

最も悪いのは、不満を感じる自分、あるいは、不満を感じずに満足する自分と戦うことだ。
「現状に安穏とする私は良くない。上を目指してがんばらないといけない」
「不満を感じるのは愚かだ。現状を肯定してこそ、安らぎが得られ、結果、成功するのだ」
というのは、いずれも苦しい生き方である。
自分の性質は受け入れるべきである。

いずれにせよ、現実世界においては、結果は何も変わらない。
不満を感じようが、満足して過ごそうが、そして、そんな自分を拒否しようが受け入れようが、現在も未来も、運命で定められた通りにしかならないのだ。
丁度、ハムレットの劇でハムレットを演じている役者が、ハムレットという人物やその状況に満足しようが不満を感じようが、状況も結末も、シェイクスピアが書いた通りにしかならないようなものだ。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、『ラピス・ラズリ』という詩で、「主役を演じるほどの役者は、自分が泣いたりしない。なぜなら、彼はハムレットやリヤが陽気であると知っているからだ」と書いているが、ちょっと意味が分かり難いだろう。
陽気の意味が、一般の意味を超えているからだ。自我的な陽気のことではなく、この陽気さは、むしろ狂気に近い。
イェイツが70もとおに過ぎていた頃、素晴らしい美少女を見て、「君はこんなに美しいのに、君を愛せないとはなんと悲しいことだろう」と臆面もなく口説いているが、口では「悲しい」と言ったところで、彼は陽気だったのだ。心は悲しくても陽気なのだ。
陽気であれば、役者はシェイクスピアと一体化する。我々は、我々の運命の創造主である神と一体化するのである。
エマーソンは、「シェイクスピアを読む子供達を見よ。彼らはシェイクスピアでしかない」と言った。子供達は陽気なのだ。

「美しいわ。滅びる刹那のその悶え」
『美少女戦士セーラームーン』で、世界を滅ぼし、無に帰そうとしたセーラーサターンが、滅び行く世界を眺めながら、うっとりとした表情で言った。
イェイツもまた、「全てを滅ぼし、再構築する者は陽気である」と言ったのである。
そして、土萌ほたるが、イェイツの詩『再来』を暗誦している時に、セーラーサターンとして覚醒したのが面白いことだと思う。









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なぜそんな絵が芸術なのか?

名画と言われるものの中には、素人が見ても、圧倒的な上手さを感じるものがある一方、無造作に線が一本引かれているだけなのに、高く評価されているものもある。
岡本太郎は、「あなたも本日ただいまから芸術家になれる」「美術の先生が描くような絵を描くのは無理でも、私が描くようなものなら誰でも描ける」と述べていたが、だからといって、普通の人が描いたものが世間で高く評価される訳ではない。

では、一見、子供でも描けそうな絵のどこが凄いのだろう?
専門家には、それに関していろいろ説明する人もいて、一面のことは言っているのかもしれないが、根本的には的外れなのだ。

では、絵画の本当の価値とは何なのだろう?
歴史的価値とか、作者のネームバリューによる市場価値とは異なる、絵画の本当の価値というのはあるのだろうか?
実はある。

芸術の本当の価値とは、それを見る者のDNAに組み込まれたプログラミングの問題なのである。
ある絵を見て、その絵が素晴らしいと感じるようプログラミングされている者にとっては、その絵は名画なのである。
一方、その絵を見て、良いと感じるようにプログラミングされていない者にとっては、レンブラントもルーベンスも、何の価値も無いのである。
無論、その他にも、身に付いた趣味や流行の影響もあり、多くの人は、その程度のもので絵画も評価するのである。
しかし、心の奥底から湧き上がる感覚によって作品を評価するなら、それは、DNA内部に刻み込まれたプログラミングによるものなのである。

よって、その絵が良いか悪いかなど、本当のところは説明は出来ないのである。
DNAに組み込まれるプログラムは、生まれる前に決定し、自分でそれを変えることは決してできない。
それは、人間の理解を超えた精緻なものであり、人の知性で解き明かせるものではない。
しかし、示唆することだけはできるものだ。
そのプログラミングは、宇宙の英知によって行われるとしか言いようがなく、神が与えたものだと言って良いだろうと思う。
いわば、どんなプログラミングがされるかは、定められた運命である。
ついでにいっておくと、どんな趣味を持ち、どんな流行に左右されるかも運命であり、自分で決められることではない。

ただ、他のことと異なり、芸術の価値というものに対しては、割合に普遍的なプログラミングが行われている。なぜなら、芸術とは、技術ではなく、それを超えた深いところから来るものだからである。逆に言えば、あらゆることの中に芸術はある。
人類全員と言わないまでも、ピカソやダ・ヴィンチは、人間であれば価値を感じる可能性が高いのである。
だから、ある時期まで、ダ・ヴィンチの絵を良いと思わなくても、個人的な趣味や流行といったものを捨てることが出来れば、ある時、突然に、ダ・ヴィンチの素晴らしさを感じるのである。

芸術とは、実にこのようなものなのである。

現代アートというものになると、必ずしも、その価値を認める普遍的プログラミングが人類全体に行われているのではない。だから、作品の評価が極端に分かれることもあり、それは、絶対的価値のある現代アートはあまり多くないことを意味するのである。

現在の優れた現代アートは初音ミクである。
これは、必ずしも、その歌声や、制作されたCGの姿だけを指して言うのではない。
芸術とは、本来、あらゆることがらをひっくるめた総体として見なければならない。
『モナ・リザ』の中には、ダ・ヴィンチが行ったことや思ったことの、些細なことも含めた一切が込められているのである。
初音ミクに芸術的価値を感じるのは、やはり若い世代に多いだろう。
しかし、世界的音楽家の富田勲さんは、初音ミクの芸術性を感じるプログラミングを持っていたから、新作の交響曲のコンサートに初音ミクを採用したのである。

冨田勲新制作「イーハトーヴ」交響曲世界初演公演(初音ミク出演)

だが、このコンサートに参加する人々・・・あの国際的な指揮者や、日本を代表する交響楽団の人々のプログラミングがどうであるかは分からず、それらが、このコンサートの成功を左右するのかもしれないが、どんな結果になるのかも、運命によって完全に決まっている・・・つまり、神のみぞ知るである。
ただ、人間は、ある状態になると、遠い過去や未来のことも分かるのであり、それを予感として感じることで、良い未来を予感したなら自信が出るのであり、それが外れることはない。
何かの仕事を始める際、欲望を捨てて無になり、それで自信があるようなら、失敗はあり得ないのである。









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参加することにどんな意義があるのか誰も考えないのはなぜか?

「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という言葉を、ほとんど誰でも知っていると思う。
また。「健全な肉体に健全な精神が宿る」なんて言葉もそうだろう。
この2つの言葉ほど、誤解されたまま、ある目的に利用された言葉はない。

アメリカの思想家ヴァーノン・ハワードの著書『なぜあなたは我慢するのか』(原題:Esoteric mind power)の最初のあたりで、こんなことが書かれている。

運動競技上のそばを歩いていたら、いきなり選手が二、三人飛び出してきて、あなたにゲームに参加しろと言う。
あなたは、ルールを知らないからと固辞するが、相手は、何でもいいからボールを持って走れ、点数を稼げ、と怒鳴り散らすばかりだ。
これが、この地上で、人間一般の置かれている状況である。
とにかく、人間は、何をしていいか分からぬままに、ゲームに加わらなくてはならない。

「オリンピックは参加することに意義がある」と言ったのはフランスのクーベルタン男爵だと言われているが、そうではない。
104年前の1908年のロンドン・オリンピックで、肩身の狭かったアメリカの選手達に(当時、英米は対立していた)、タルボットという名の大司教が言った説教の中にあった言葉らしいが、その「参加することに・・・」の部分が、どんな理由かは分からないが、アメリカの選手の一人がとても気に入り、それをあちこちで話しているうちに、ある種類の人達がその威力に気付いて愛用するようになったのである。もちろん、オリンピック主催者は最も効果的に利用し続けている。
クーベルタンが言ったとされている言葉には、「根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある」も含まれているのである。

尚、「健全な肉体に健全な精神が宿る」という言葉も、古代ギリシャの詩人ユリアヌスが、「そうだったらいいけど、実際はそうじゃない」と言ったのであり、肝心の後半部分がばっさり省かれているのだ。肉体だけ立派で精神の幼稚な人間はどこにでもいる。そんな人間を製造する者の狙いは何だろうか?









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虫の知らせはこうして起こる

虫の知らせというものをご存知の方も多いと思う。
親しい人が死んだ瞬間に、離れた所に居て、何の連絡も受けなくても、それが分かってしまうといった現象である。

世間的な観念や科学理論で説明できるものではないが、そのようなことが起こりえることは、スウェーデンボルグがはっきりと説明している。
エマニュエル・スウェーデンボルグ(1688-1772)は、アイザック・ニュートン(英国。1642-1727)と同時代のスウェーデンの科学者、神秘思想家で、政治家、発明家でもあり、驚くべき広範囲の学問に精通していた天才である。
エマーソンをして、人類最大の5人に挙げるほどで、また、その思想は、ゲーテ、カント、ヘレン・ケラーらを心酔させていたと云われている。
スウェーデンボルグは、宗教上の理由から、祖国スウェーデンで処刑される恐れがあったためにイギリスに亡命し、その地で亡くなったが、死後三百年経って、スウェーデン政府は英国に艦隊を派遣してスウェーデンボルグの遺体を譲り受け、国葬を行ってその名誉を回復させたという偉人である。

さて、虫の知らせの仕組みは、次のようなものだ。
肉体を持たない霊同士であれば、距離に関係なく意志の疎通が可能である。しかし、肉体に拘束されている霊に対しては、肉体の無い霊は意志を使えることは出来ない。
しかし、死んだ直後に、その死んだ霊が、親しい人のことを強く思うと、思われた者は、一瞬、死んだ状態になることがある。その時であれば、死者の霊と意志の交感が可能となるのである。

こんなことがあった。
私の知り合いの若い女性が、祖母の葬式の時、その祖母の霊が、弔問に来た人に挨拶をする姿が見えたという。本来、死者の霊には、生きた人間は見えないらしいのであるが、特に死者と親しかった人は、悲しみのために死の状態になり易かったので、そのようなことがあったのかもしれない。
そして、何より、その若い女性が祖母の姿を見た時は、死の状態になっていたのだと思われる。
その女性は、非常に美しい上、神秘的な瞳が印象的な、性格も素直な人で、話している様子からも、嘘を言っているようには感じなかった。

スウェーデンボルグは、自分の意思で死んだ状態になることが出来た。それを死の技術と言っていたらしいが、死んだ状態で、何日も過ごすこともあったようだ。
死んだ状態の時は、呼吸も心臓の鼓動も停止していたという。
ある霊覚者が、極めて微かな呼吸をすれば、霊界に入ることが出来ると言っていたことがあったが、スウェーデンボルグの死の技術も、呼吸に関係するところがあったと思われる。
実際、そのような微かな呼吸をしていると、周囲に何か不思議な気配を感じるようになる。それが、霊の存在を感知するほど、死の状態に近くなったということなのかもしれない。
しかし、興味本位でそのようなことをするのは、あまり良いことはないと思う。
というのは、そのようなことをする者の精神レベルによって、接触してくる霊の種類も決まるように思えるからだ。その者が素晴らしい人間性の持ち主であれば、それに見合った立派な霊が近付いてくるかもしれないが、そうでなければ、邪悪な霊に思わぬ悪い影響を受けるかもしれない。
ただ、天使であれば、ある程度霊的な状態になっている人間がいれば、自らの波動を落として、その姿を見えるようにすることがあるのだと思う。
だから、天使は、普通の人間と同時に見えることもあるのだろう。
稀に、天使は、我々の額をぽんと叩いて、我々を浅い死の状態に導き、物質世界と霊の世界の中間の世界に遊ばせてくれることもある。
その中間の世界に自由に出入りする存在もいるに違いない。
私はそのように思うのである。









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