今でも医学では、身体と心の関係を重視しない傾向があり、世間の人々も、身体と心を関係付けて見ることをほとんどしないと思う。
一方、フロイトの時代のドイツ人医師で、「心神医学の父」とも言われるゲオルク・グロデック(1866-1934)は、いかなる病気も心因性と断言していた(怪我ですら)。フランスの心理療法家エミール・クーエやNLP(神経言語プログラミング)の開発者リチャード・バンドラーも、心への働きかけであらゆる病気を治している。また、ミルトン・エリクソンは精神科医であるが、彼の精神療法は肉体的な病気を治してしまうことが多かった。
私も、肉体だけの病気なんてナンセンスだと思うし、身体と心は同じものだと思っている。
ところが、インドの偉大な聖者ラマナ・マハルシの死因が癌であるというのは驚くべきことだ。心を完成し、完全な無我の境地にいるマハルシが、医学的にはそうではないのだろうが、心の病気の最たるものである癌になどなるはずがない。しかし、興味深い事実がある。マハルシは、初め、信者の薦めで手術を受けたが再発し、以降の手術は断っている。そして、相当な痛みがあったはずなのだが、マハルシはそれには全く無頓着だったと言われている。彼は、自分の肉体ですら、自然現象として冷徹に眺めていたのだと思う。
実は私は、少し前から異常な乾燥肌になり、激しい痒みを感じるが、少しでも搔くと肌が荒れて痛みが起こるという状態になり、少々苦しい思いをしている。
人間の肌って、ここまで乾燥するものかと驚いている。
私は、いかに刺激の少ない保湿クリームでも敏感に反応して肌荒れを起こすので使えない。アラン・パーカーの小説『小さな恋のメロディ』で、ダニーは、「デリカシー」がメロディの代名詞と言っていたが、私もメロディと同族になった気がして、少し嬉しい。
どんなことでも、腕振り運動をやっていれば治るはずであるが、おかしなことに症状はいっこう良くならない。不思議なこともあるもものだと思っていたら、はたと気付いた。これは病気ではない。ただの自然現象だ。肌が乾燥するのは、乾燥しなければならない理由があったのだ。もし乾燥することが出来なかったら、私は死んでいるだろう。
では、この激しい痒み、あるいは、うっかり搔いた時の炎症や痛みをどうするか?
マハルシは、なぜ、癌の痛みにも無頓着だったのだろう?
彼も読むことを薦めた『バガヴァッド・ギーター』に、五感の感覚に過ぎないものに囚われるなと書かれている。また、楽しい、辛いなんてことも、単に心の反応でしかないのだと教えている。つまり、五感という身体の感覚や、感情や思考といった心の反応など、現象の現われに過ぎず、重要なことではない。我々は、身体でも心でもない。我々の本質はもっと高いものだ。
そういえば、旧約聖書の『ヨブ記』でも、正しい人ヨブは、身体を散々な状態にさせられて、神に試されていたと思う。そして、何度もl悪魔の誘惑を受ける。しかし、彼は神への信仰を捨てなかった。そして、勝利する。
どうやら、私は、非常に楽なレベルで鍛えられているのかもしれない。この程度の症状であれば、冷静に眺めることは難しいことではない。
尚、肉体的、精神的な苦しみは、何かに集中すれば、かなり消えてしまうものだ。仕事や呼吸法や、あるいは、それこそ、エミール・クーエの自己暗示の言葉、「私は毎日、あらゆる面でますます良くなっていく」を繰り返せば、根本原因を殲滅できるかもしれないのである。それを試す良い機会でもある。
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一方、フロイトの時代のドイツ人医師で、「心神医学の父」とも言われるゲオルク・グロデック(1866-1934)は、いかなる病気も心因性と断言していた(怪我ですら)。フランスの心理療法家エミール・クーエやNLP(神経言語プログラミング)の開発者リチャード・バンドラーも、心への働きかけであらゆる病気を治している。また、ミルトン・エリクソンは精神科医であるが、彼の精神療法は肉体的な病気を治してしまうことが多かった。
私も、肉体だけの病気なんてナンセンスだと思うし、身体と心は同じものだと思っている。
ところが、インドの偉大な聖者ラマナ・マハルシの死因が癌であるというのは驚くべきことだ。心を完成し、完全な無我の境地にいるマハルシが、医学的にはそうではないのだろうが、心の病気の最たるものである癌になどなるはずがない。しかし、興味深い事実がある。マハルシは、初め、信者の薦めで手術を受けたが再発し、以降の手術は断っている。そして、相当な痛みがあったはずなのだが、マハルシはそれには全く無頓着だったと言われている。彼は、自分の肉体ですら、自然現象として冷徹に眺めていたのだと思う。
実は私は、少し前から異常な乾燥肌になり、激しい痒みを感じるが、少しでも搔くと肌が荒れて痛みが起こるという状態になり、少々苦しい思いをしている。
人間の肌って、ここまで乾燥するものかと驚いている。
私は、いかに刺激の少ない保湿クリームでも敏感に反応して肌荒れを起こすので使えない。アラン・パーカーの小説『小さな恋のメロディ』で、ダニーは、「デリカシー」がメロディの代名詞と言っていたが、私もメロディと同族になった気がして、少し嬉しい。
どんなことでも、腕振り運動をやっていれば治るはずであるが、おかしなことに症状はいっこう良くならない。不思議なこともあるもものだと思っていたら、はたと気付いた。これは病気ではない。ただの自然現象だ。肌が乾燥するのは、乾燥しなければならない理由があったのだ。もし乾燥することが出来なかったら、私は死んでいるだろう。
では、この激しい痒み、あるいは、うっかり搔いた時の炎症や痛みをどうするか?
マハルシは、なぜ、癌の痛みにも無頓着だったのだろう?
彼も読むことを薦めた『バガヴァッド・ギーター』に、五感の感覚に過ぎないものに囚われるなと書かれている。また、楽しい、辛いなんてことも、単に心の反応でしかないのだと教えている。つまり、五感という身体の感覚や、感情や思考といった心の反応など、現象の現われに過ぎず、重要なことではない。我々は、身体でも心でもない。我々の本質はもっと高いものだ。
そういえば、旧約聖書の『ヨブ記』でも、正しい人ヨブは、身体を散々な状態にさせられて、神に試されていたと思う。そして、何度もl悪魔の誘惑を受ける。しかし、彼は神への信仰を捨てなかった。そして、勝利する。
どうやら、私は、非常に楽なレベルで鍛えられているのかもしれない。この程度の症状であれば、冷静に眺めることは難しいことではない。
尚、肉体的、精神的な苦しみは、何かに集中すれば、かなり消えてしまうものだ。仕事や呼吸法や、あるいは、それこそ、エミール・クーエの自己暗示の言葉、「私は毎日、あらゆる面でますます良くなっていく」を繰り返せば、根本原因を殲滅できるかもしれないのである。それを試す良い機会でもある。
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