ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2011年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

偉い人の話ほど悪いものはない

有名人の講演会は盛況なものが多い。また、さほど世間で名が通っていなくても、立派な経歴や実績のある人物が、大学や、あるいは、高校、中学などに来て講義をするといったこともある。
ところが、特に、超大物の超有名人の講演や、高校の野球選手達に対する、元プロ野球の一流選手の講義で、それらの講師を崇め過ぎることがあるが、それは問題だ。
もちろん、自然な尊敬を持って真面目に話を聞くのは良いことだが、度を過ぎた崇拝をしてはいけない。特に、1人の人間の思想、哲学に関する部分は、影響され過ぎないよう、中立の立場でいなければならない。あくまで同じ人間であり、いかなる偉大な人物であろうと、人間としての価値は自分と対等であることを忘れてはならない。その人物の全てを学ばなければならないという先入観を持ってはいけない。また、いかに偉大な実績を上げた人物であっても、必ずしも人間として優れているとは限らない。実際、偉大な人物ほど、歳を取ると人間性が平凡な人間以下に堕落していることも多いのである。
そして、本当のところは、偉大な人物に学ぶべきことは、平凡な人物から学ぶべきことと、さほどの違いはないか、あるいは、全く同じである。単に、ちょっと変わったことを学べる可能性があるというだけのことである。
むしろ、普通の人以上の致命的な欠点があることも多く、経験の浅い若い人に教えさせる場合は注意が必要かもしれない。教えてはいけないのではなく、無理に学ばせてはいけないということである。

本当に思慮ある偉大な人間であれば、自分の話を聞いてもらうにあたって、必ずこう言うのである。「私をあまり尊敬しないで下さい」「何も考えずに、私の意見を受け入れないで下さい」と。
イエスや釈迦がたとえ話をしたのは、分かりやすいからではなく、聞く者に考えさせるためだ。いかに真理であっても、何も考えずに鵜呑みにするなら、ただの洗脳である。良いたとえ話は、聞く者が自己本位の考え方をすぐに持ち出すことを止める。それをさらに発展させたのが禅の公案だ。普通に考えても答えが出るはずのない公案は、修行者に考えさせつつ、これまでの習慣化した考え方をさせない。達磨大師が編み出した、実に素晴らしいトレーニングである。

自己開発プログラムには、CD等に録音された教えを何度も繰り返し聞くというものがある。何百回、何千回と、聞けば聞くほど良いという。
しかし、それはまさに洗脳である。それはただ、固定観念を作り、条件反射で反応するだけの心になるだけのことである。解脱や悟りというのは、それらを全て取り去った後に訪れるものだ。
いかに優れた教えであろうが、ただの観念であれば、自我を肥大化させ、特定のものにすがり付いて精神の自在性を失うだけだ。それで作られるのは愚かな人間である。

偉大な人物の教えや偉大な思想、哲学、秘法を学ぶ際は、それで得をしてやろうとか、それで力を得て他人に対して優位に立とうなどといった欲を決して持ってはならない。
老子は、自分は3つの宝を持つと言い、それは、慈愛と倹約と、天下の人の前に立たないことだと言うが、この3つ目の「天下の人の前に立たない」の解釈が難しく、権威者も色々な解説をしているが、本当は、このように、「偉い人になるな」「優越感を持つな」程度の意味と思う。







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原発問題の矛盾を超える方法

原発推進か、反原発かについて、双方、その多くの主張は真っ当である。
こんな時、弁証法なんて難しい言葉を使わなくても、これらとは別の第3の案を考え、建設的な解決をするのが賢い人間だ。しかし、第3の案、もしくは、アイディアは、斬新なだけでなく、いささか奇妙に感じるだろう。そうでなければ、何の役にも立たない。そして、第3の案を受け入れることが出来なければ滅ぶしかない。

さて、言うまでも無く、原発推進派とて、原発そのものを肯定しているわけではないことは明白である(利権に絡む連中は別だ)。ただ、必要悪(良くないが仕方ない)だと言っているのである。では、その「必要」を解決すれば良いということになる。
これに対し、反原発派は、原子力エネルギー以外で必要をまかなえると主張するのであるが、原発推進派に言わせれば、その根拠に信頼性が無いということである。
これは、「必要」の定義がはっきりしていないので、そもそも議論になっていないのである。
そして、この「必要」の共通見解、共通定義を、決して誰も作りたがらない。これを曖昧にしておきたいのだ。その理由は、1つには、早い話が、どちら側も、自信が無いのである。当たり前だ。ものごと、何でも不可視の部分があり、いくら計算し、シミュレーションしたところで、所詮、「やってみなければ分からない」のだ。偉そうに言ってる、権威者と言われる「先生」の論だって、2割当たればビックリなのだよ。専門家ほど、視野が狭いことは、今さら指摘するまでもない。
エネルギー問題というのは、単にエネルギーだけの問題ではなく、産業、経済、海外事情、気候、風習、その他、あらゆる複雑な問題が絡み合う。お釈迦様でもなければ分からないことだ。

そして、もう1つの理由は、面白いことに、第1の理由と逆に、共通の、そして、強固な固定観念があるということだ。これは分かるだろうか?
共通であるだけに、そして、強固なために、壊しようが無いものだ。それは、固定観念というより、幻想や迷信である。
それは、今の生活、今の国力(経済力)を保たねばならないという妄信で、そうでなければ、日本は惨めになるという迷信である。
日本は既に惨めであるが、それは経済力が衰退したためではない。

中国に抜かれたとはいえ、日本はGDP世界3位であり、4位のドイツとはまだ大差がある。
そのような、確固たる経済大国であるが、実際は、GDPでははるか下の、オランダ、フィンランド、スイスあたりと比べても、国民は惨めである。本当に酷い国と比べれば、悲惨ではないが、幸福でもないのである。
結論を言えば、今の生活も経済力も維持する必要は無い。いや、してはいけないのである。
今までの生活が異常だっただけである。
今のままを維持すれば、既に解消不能な負債は更に増える。これらの負債は、そもそも、今までの異常な生活や経済が生み出したものである。それでも良い生活をしたいなら、自分だけ金持ちになればいいのである。確実に不幸になるとは思うがね。

これまで、我が国は、経済力を、不幸になるためにつぎ込んできたのである。
ほとんど動かなくてよくなり、生活環境は快適な上に、飽食・美食で、過剰栄養となり、医者はそう言わなくても、慢性病と異常性欲で、もう身体も心も完全に駄目になっている。
娯楽も、自分の身体も頭も使わず、刺激を与えられるだけのものばかりで、しかも、性的欲望を煽りそれを解消するものも大っぴらになり、身体、感性、発想力、思考力、全て破壊され、失っている。
根本的に問題なのは、教育、マスコミ、医療であり、それらをいまのように在らしめているのは国家なのであるから、実際は、もう滅ぶ以外にないのだとは思う。第二次世界大戦で敗戦した時、実際は、国民はほっとしたのだ。今、国家が滅べば、やはり同じではないかと思う。

だが、可能性がある限り、諦めないのが人間の正しいあり方だ。
そして、エネルギー問題は、表面的なことだけで解決できるものではなく、我々の内面の変性を必要とするものなのである。
具体的には、大雑把に言えば、皆が、身体を使って勤勉に働くことと倹約である。消費拡大の必要など、混乱した倒錯者の妄言である。
だが、基本的には既に手遅れなのである。
もし、可能性を高めるとすれば、私が普段からお薦めするように、食を厳しく慎むしかない。
また、車をなるべく使わず、本当に必要でないなら、所有しないことだ。8割くらいの家庭では不要なはずだ。

問題は、あくまで、我々が内面的に大きな変性を果たすことで解決するのである。それ以外に方法はなく、それが出来ないなら、滅ぶしかないし、滅ぶことが望ましい。
内面の大きな変化を起こすには、自己を知らなければならない。だが、我々には、それを絶望的なまでに妨害する欲望や迷信で心が塗り固められてしまっている。それを絶つ可能性がある唯一のことが食の慎みである。







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完全でなければ批判される

ハリウッドスターのトム・クルーズやジョン・トラボルタらが熱心に信仰することでも知られている宗教組織サイエントロジーが一部で批判されることもある原因は、それが悪いものであるからではない。あまり良くないからだ。
サイエントロジーの根本原理であり、世界で最も知られる自己啓発技術の1つであるダイアネティックスについては、私も熱心に学んだ。それは非常に優れたもので、これを批判する連中の思考よりは千倍も良いものだった。しかし、完全なものを仮に100点とするなら、30点というところだ。それでも、世の中にある他のものよりはるかに優れていた。一般の宗教ともなれば、ほとんどがせいぜい10点で、マイナスである場合も少なくはない。
サイエントロジーより優れているものとしては、アメリカのヴァーノン・ハワードの自己啓発技術や思想がある。だが、これも40点というところだ(とはいえ、他のものに比べれば素晴らしい)。
一応、こんな言い方をするが、別に、サイエントロジーを造ったL.ロン.ハバートとヴァーノン・ハワードの優劣を論じることに意味はない。彼らの名前が似ているのと同様、同じようなものなのである。
完全な教えは、釈迦やイエスらが説いたが、別に悪意あってのことでなくても、文字にする際に、主には著者の無知により、かなり歪められてしまった。だから、イエスも釈迦も、誤解により批判されるのだ。

本当の聖人は、欲を否定しない。ただ、「もっといいものがあるよ」と言うだけである。
もっといいものを知りもしないで、聖人の真似をする者の欲ほど恐ろしいものはない。
本当に良いものを知ったら、世間で価値あるものに執着しなくなる。無理をしなくても、物欲、性欲、名誉欲を充たしてくれそうなものに、さほどの興味は無くなる。
釈迦の従弟のアーナンダが、天女を見て、それまでは素晴らしい美少女だと思っていた、いいなずけの娘に関心を無くしたようなものである。

本当に良いものは確実にある。世間の報酬も楽しいものだということは認めざるを得ないが、本当に良いものと比べれば、実に他愛ないものだ。自然の絶景のテレビ映像と本物の絶景に根本的な違いがあるようなものだ。
本物を少しでも垣間見れば、世間の褒章を得ることに執着が無くなり、世間の権威に騙されることは無くなる。世間の教義や信念に疑いを持つようになり、ようやく、それらを捨てる気になるだろう。
本日は月曜で、今日から、学校や仕事が始まるという人も多いと思う。そして、そのほとんどの人が憂鬱なはずだ。ならば、それは良いことである。憂鬱でなければ、本当に良いものを知る手立ては無い。
嫌な気分、憂鬱さを冷静に観察すれば良いだけだ。感情は感情のまま放置し、批判してはならない。天使が観察するように、それを観察することだ。天使の思考なんて分からないだろうが、それを勝手に推測してはならない。任せておくことだ。そうすれば離脱する。地上の砂嵐を尻目に高く飛ぶのだ。そうすれば、権威者も金持ちもエリートも、みんな砂嵐の中でもがいていることが分かるだろう。そして、空は良いところである。







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保険会社のCMを悲しく思う

保険会社のCMで、保険会社の若い美人や、さらに若くて初々しい女性(「女の子」といった感じ)の人たちが「保険内容の確認に伺いました」と言って家庭や職場を訪問する場面を見ると、私は「詐欺の会社か」と思う。
考えれば分かると思うが、保険の契約内容の確認なんて仕事じゃあない。仕事として成立しない。そんなことのために給料を出していたら、偉い人達が高給を取れないじゃないか。
実際を知っている訳ではないが、保険内容の確認をするのは、より高額な保険に乗り換えさせるとか、就職した子供や生まれた子供のための新しい保険に加入させるとかが目的だろう。その売り込む機会を作るのがCMの目的だ。いったん商談に入れば、狡猾な契約テクニックを発揮するのだろう。ちなみに、保険などで契約させることを、客を「落とす」というのである。戦争と同じで、客は攻めて落とす敵なのである。

私が、引きこもりの性質もあって長いニート生活の後(引きこもり気質はニートの言い訳にならないが)、初めてついた仕事が歩合制セールスだった。
行けば誰でも採用される職場だが、商品は有名な企業のブランドなのである。つまり、商品を開発したのはエリートでも、私のような使い捨てセールスマンが必要なのである。
少なくとも、私がやったようなセールスの仕事は、格好良く言えば、企業の最前線の戦士であるが、何のことはない。戦争で言うなら、まともな兵士にやらせるのは気が引ける汚い仕事を外国の傭兵(主に貧しい国の雇われ兵)にやらせるようなものだ。まさに使い捨てで、10人入ってきたら、翌月には1人残っているかどうかだった。
上にも書いたが、契約のテクニックは教育される。しかし、まず、商品説明までさせてもらえるようもっていくのが難しい。大抵は、挨拶の時点で「結構です」となる。いかに話の上手い人でも、商談まで持っていけるのは、挨拶した後の1割がいいところだろう。まして新人では、商品にもよるが、50~100件の訪問で、やっと1件、商品の説明が出来れば良い方だ。だから、会社は、イケメンの若い男性セールスマンが奥さん連中をメロメロにさせたり、若い女性セールスがスカートの1つもまくって家の主人に話を聞かせることを期待している。別に冗談でなく、私自身、営業所でよく見聞きしたことだ。
そして、私も、「契約内容の確認」や「アフターサービス」のような真似も確かにやった。だが、その分の給料なんて出るはずがなかった。それでうまくやって、契約を取った時に、コミッション(販売手数料)が得られるのである。

まあ、家庭訪問のセールスに限らず、程度の差こそあれ、商売には破廉恥な面はある。邱永漢さんが、著書に「商売は地元でやるな」と書いておられるのももっともなことなのである。
しかし、首記にあげた、保険会社のCMは、許容範囲を超えている。
批判はしないが、私が書いたことを知った上でCMを見て欲しいものである。
契約内容の確認に行く、なんとかレディー達は、契約を取らないとお金がもらえない、使い捨ての悲しい人たちなのだ。雇う方も、彼女たちが、親戚などの身内から契約を取ってくることをまず狙っている(それが採用条件であることも少なくない)。後は、辛いセールスに耐えられず、勝手にやめていく。まあ、逆に、荒稼ぎをする豪腕セールスレディも少しはいる。「トイレを貸して」と言って家に上がりこむほどに羞恥心を捨てることの出来る商売の鬼で、女を利用する人も見たことはある。昔あった、老人に高額金融商品を売り付ける詐欺会社では、男性老人に対するお色気戦法は定式化されていたと聞く。確かに、馬鹿でも出来て、効果的な方法だろう。

保険のCMでは、セールスの女性も勧誘している。しかし、はっきりセールスとは言わない。いかにも、楽しげに、「保険の確認」をするようなことが仕事と思わせているようだが、子供でもないのならよく考えろ。そんなことをやって給料がもらえるはずがないだろう。
そもそも、セールスマンをセールスマンと言わない営業活動は詐欺のようなでものあろう。
そういう企業は多い。セールスマンを、プランナー、アドバイザー、指導員、カスタマーサポート、(機械類等の)調整係などと言い、名刺にもそう書いてある。だが、彼らは、プランニングや指導等が仕事ではない。彼らが企業から命令されているのは売ることであり、売らなければ仕事をしたと見なされない。もちろん、どんな企業にとっても、最も重要なことは売ることであるから、それが悪いことであるはずがない。だが、そのように、誤魔化してまで売らなければ成り立たない企業や国なのである。経済至上主義社会は、詐欺とまでは言いたくないが、不誠実の上に成り立っているのであり、経済破綻をするのは、これまで、上げてはならない利益を得ていたということなのだ。

私も、嘘もあると知りつつ、「友情の証」として、沢山の保険に入ったし、健康商品等も買った。しかし、それらの商品が役に立ったことは一度も無いし、今後もないだろう。私に商品を売るとき、「友人」達は、「あなたのため」と言った。言うまでも無く、今では、顔を見せることは無い。金を借りた「友人」が二度と姿を見せないのと同じだ。昔、ビートたけしさんは、「10万貸してって言われたら、10万あげちゃうの。そいつら、もう二度と姿を見せないことは分かってるから。今は100万円上げられないから、それは断るの」と言っていたが、今は簡単に100万円あげられる彼はどうしているのだろうね。全く興味はないが。







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孤独な少女達の崇高な煌きと共時性

昨日、本当にびっくりするようなことがあった。
今月の4日に書いたが、私は、子供の時、「空手戦争」という漫画を読み、主人公の18歳の空手家、大神達矢の「けおされてなるか!」というセリフを見て、意味が分からずにずっときていた。だが、この言葉を憶えていた。
それが、先月、「涼宮ハルヒ」シリーズとしては4年振りに続刊が出た、「涼宮ハルヒの驚愕」(後巻)の46ページに、

その威勢のいい口調にやや物理的に気圧されるものを感じ、俺はちょっと仰け反りつつ、

とあり、気圧されるは、「けお」されるとふりがなが打ってあったので、私は遂に、子供時代の疑問を解決したのである。
ところで、私は、平坂読さんの「僕は友達が少ない」を、多分、そのタイトルに惹かれたのであろうが(私も、友達は少ないというか、いない)、本の存在自体は知っていながら、あまり関心を持っていなかった。
それが、「涼宮ハルヒの驚愕」の発売を待っている間に、なぜか読みたくなり、何の気なく読み始めたが、「涼宮ハルヒの驚愕」が発売され、また、それが素晴らしかったことから、「僕は友達が少ない」は、2巻までで、読むのはやめた気でいた。
ところが、これを気の迷いというのだろうか、なぜか「僕は友達が少ない」の3巻を読んだところ、そのラストで、私は完全に「落とされた」。つまり、完璧に引き込まれた。著者の力量もやっと認識した。
それで、すぐに4巻を読み始めたのが昨日だったが、なんと、「涼宮ハルヒの驚愕」(後巻)と同じ、46ページに、

何度も本物の不良に絡まれたことがある俺が気圧されるなんて・・・・・・。

とあり、やはり、気圧されるに、「けお」されるとふりがなが打ってあった。

こういうのを、カール・グスタフ・ユングが、ノーベル賞物理学者ヴォルフガング・パウリと議論し、共著として出版した本の中で語られたシンクロニシティー(共時性。意味のある偶然の一致)というのであろうか?
「涼宮ハルヒの驚愕」で、主人公の高2男子キョンを気圧したのは、1学年下の、可憐で明るく、元気いっぱいだがエキセントリック(変わり者)な、小柄な少女、渡橋泰水(わたはしやすみ)だった。(もっとも、キョンはハルヒには気圧されっぱなしだが。)
「僕は友達が少ない」で、やはり、主人公の高2男子、羽瀬川小鷹を気圧したのは、クラスメイトで、友達はいないが、容姿だけは掛け値なしの美少女(逆に、容姿以外はいろいろ残念)、三日月夜空だ。

この2人の美少女、渡橋泰水と三日月夜空は、全く別種類だが、驚愕の秘密を持つ。面白いと思うので、良ければ読んでみて欲しい。宇宙の神秘を感じるはずだ・・・まあ、これは独断だが、美少女の秘密なんてこの世の神秘以外のなにものでもないだろう。

ところで・・・。
「涼宮ハルヒ」シリーズと、「僕は友達が少ない」は、酷似したところも確かにある。
読むことをお奨めするので、ネタバラシはしないが、広告程度のことを言おう。
まず、共に、極めておかしな部活が創部されることが、物語の発端となる。
それも、ヒロインの女子の一方的なリードで創部が進められ、主人公の男子は、訳が分からないまま引っ張りまわされるだけというのも同じだ。
まあ、イケメンでもなければ何か特技がある訳でもない主人公の草食系男子が、なぜか、ほぼ全ての美少女ヒロイン達に慕われ、メインヒロインがツンデレというのは、昨今の学園もの漫画やライトノベルの定番かもしれない。そのツンデレのヒロインが必ず、際立った美少女というのも、いろいろな意味で当然のことだろう。
尚、蛇足だが、「ツンデレ」も「ライトノベル」も俗語である。ツンデレは、ツンとデレの合成語で、一部の少女によくある、普段はツンツンしているが、恋愛に対しては気後れのある、根は純情なタイプで、なかなか可愛い。ただ、美少女でないとサマにならないという特性はよく理解しておかないといけない。ライトノベルというのも、実際にそんな小説がある訳ではなく、小説以外のなにものでもないが、特に若い人を対象とした雰囲気があり、漫画的な挿絵が重要な要素となっていると思われる小説だ。
日本を代表する大小説家の筒井康隆さんまで、最近ではライトノベルと自身が言う作品を発表している。その挿絵を描くのは、「涼宮ハルヒ」シリーズや、やはり大ヒットライトノベルである「灼眼のシャナ」(高橋弥七郎著)の挿絵で有名な人気イラストレーター、いとうのいぢさんだ。そもそも、筒井康隆さんの歴史的な作品である「時をかける少女」は、元々が学習誌(中学3年生~高校1年生用)に掲載された、ライトノベルのはしりと言える作品かもしれない。

涼宮ハルヒも友達がおらず、クラスで浮いた存在であったが、本人はそれを悪いこととは思っておらず、むしろ、一般の友人関係を馬鹿にしたような雰囲気がある。それは、「僕は友達が少ない」のヒロイン夜空も同じだ。
私は、彼女達の感性(著者の感性であろうが)は正しいと感じる。
学校というものは、彼女達が軽蔑するような友達関係を築かないと、極めて不快で困ったことの多い場所であり、そのことが、学校が国家思想や経済至上主義を叩き込む洗脳の場所となるために強力に働いている。
友達がいないというのは、まともな思考を保つ、厳しいが唯一の道であり、それを実践している彼女達の勇気は賞賛される。経験的に、男であれば、友達がいなくても、精神さえ鍛えていれば、さほどのことはない。しかし、女の子には過酷なことであろう。無視されて自殺する男子の話はあまり聞かないが(皆無ではない)、女子では、その危険性のある状況はかなり多いはずだ。
W.B.イェイツは「精神は孤独の中でしか、本当に鍛えられない」と断言したが、それは、男に対してのことと言っておきたい。だが、ハルヒや夜空には、可憐な少女の身でそれを成し遂げた崇高な迫力がある。それでも、夜空の調理実習の思い出話はいたたまれない。
「僕は友達が少ない」の主人公、小鷹は、本人の意ではなく、容姿のせいで友達が出来なかった。だが、それで彼はいい感じに鍛えられたような雰囲気がある。何か、イェイツの言葉を実感として感じる。私も友達はいないのだが、多少は精神が強くなったであろうかと思う。
ある、TVCMも出している大手学習塾運営会社の社長が「涼宮ハルヒの憂鬱」を読み始めたが挫折したという話を聞いたことがある。昨今の学習塾は、決して、公教育と張り合う関係ではなく、どちらかというと融通し合う関係である。もし、学校や大手塾の校長や教師が、「涼宮ハルヒ」シリーズや「僕は友達が少ない」を楽しく読めるとしたら、私は気味が悪い。イエスの教えを崇めながら虐殺を行うという、歴史にもよくある暴君やその配下の者たちと同じで、恐ろしく混乱した人間であろう。子供たちの災いは果てしない。







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。






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