ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2011年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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死ななかった人

手塚治虫さんは、医学博士でもあり、彼の代表作の1つ「ブラックジャック」には、さすが本物の医者が描いたと思わせるところもあるが、その面白さは、案外に、医学を超越したようなストーリーにあるのではないかと思う。
医学博士であれば、むしろ、専門家であるがゆえに、医学を無視するようなストーリーは作り難いような気もする。しかし、医者であるがゆえに、医学で説明のつかないような生命の神秘について、自分で経験したかどうかはともかく、かなり知っていたに違いないと思う。
いや、むしろ、生命、自然を真摯に研究すれば、それらが人智など及びもつかない驚異的なものであることに気付かないはずが無い。

「ブラックジャック」のこんな話を憶えている。子猫が事故にあって瀕死の重症だったが、母猫が、看病でもするように、その子猫を舐めていた。ピノコ(ブラックジャックと同居の幼女)が、ブラックジャックに子猫の治療をするよう求め、ブラックジャックは仕方なくそうしようとするが、母猫がどうしても子猫を渡さない。それに、あまりに状態が悪く、いかにブラックジャックでも、治療しても無駄と思われたので、彼はそのまま放置する。
ところが、しばらく経ったある日、その子猫が元気に母猫と散歩しているのを見て、ブラックジャックは驚くことになる。
これが、ただの作り話かというと、実話でこんな話がある。
東京帝国ホテルの料理長を26年勤めた名シェフの村上信夫さんが、第二次世界大戦後、シベリアで捕虜生活をしていた時のことだ。ある夜、ソ連兵がやって来て、村上さんをある場所に連れていった。そこには、全身を包帯で巻いた、瀕死の日本兵がベッドに横たわっていた。
ソ連兵は、村上さんがコックだと知って連れてきたのである。そして、村上さんに、「彼は明日までもたない。最後に何か好きなものを食べさせてやってくれ」と言う。
村上さんは、その日本兵に何が食べたいかと聞くと、彼は「パイナップル」と言う。しかし、そんなものは無い。だが、リンゴと砂糖があった。村上さんは、フライパンで巧みに調理しパイナップルのように仕上げる。村上さんが食べさせると、その日本兵は全て食べたという。そして、村上さんは、彼と永久の別れをする。
しばらくして、村上さんが収容所を散歩していると、誰かに呼び止められた。振り向くと、驚くべきことに、あの時の瀕死の日本兵だった。彼は元気に村上さんのところに歩いて来て言った。「あんな美味いものが食べられるなら、もう一度生きてみようと思ったのだ」と。
(本筋と関係ないが、捕虜にこのような心づかいをするソ連兵にも、人類に対する希望や信頼を呼び起こすようで嬉しいものだと思う。)

人間には、いかなる病気や怪我も乗り越え、生き延びる力が秘められている。イエスは、それを引き出すことが出来ただけだ。
そして、もしかしたら、やはりイエスがそうであり、また、彼が、他の人に関してもそうであると断言したように、人には、この物質世界を自在に支配する能力が与えられているのかもしれない。
もしそうなら、我々は、世間の教義や信念のように、自分を惨めで弱い存在であると思うことは愚かなことに違いない。







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サイババ氏を振り返る

インドの宗教家サティヤ・サイババ氏が昨日(24日)亡くなられたようだ。
一頃は、日本でも大変な人気だったように思うが、今は、一部のファンを除いては忘れられてしまった感がある。
いずれにせよ、サイババ氏について、我々は報道や、ごく少数の方々の報告を通じて知っているだけで、間違いなく、サイババ氏の実像の1/10も分かっていないはずだ。このことは、ほとんどの有名人についても言えるが、サイババ氏のような人のプライベートは厳格に隠されるものなので、特に何も分からないのである。
インドの著名な宗教家としては、2008年に、TM(超越瞑想)の創始者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギ氏が亡くなられたが、マヘーシュ・ヨーギ氏といい、サイババ氏といい、莫大な資産を有していることは間違いなく、マヘーシュ・ヨーギ氏は大学や学校、サイババ氏は病院、医療に資金を提供していたようである。ちなみに、マハリシとは「偉大な」という意味で、サティヤは「真理」という意味のようだ。

サイババ氏は奇跡の力、特に、物質現出の超能力が有名だが、本当かどうかは分からない。これについては、一般的に知られているどんな情報も信用できない。
ただ、確実に言えることは、不思議現象を見たところで、人間が意識改革を起こすなんてことは決して無いということだ。
好奇心で奇跡現象を見たがる人は多いが、そんな人は、真理を求める誠実さに欠けている。意識を良い方に変えるには、謙虚さで自我を滅却する以外には無いのだと思う。
客観的なことは分からないが、直感的に言うと、サイババ氏は、ビブーティと呼ばれる白い粉を現出させることは出来たのかもしれないと思う。ただし、その位しか出来ず、それも、だんだん出来ないようになったのではないかと思う。時計やコインを出すのを見たと主張する人もいるが、それは、個室の中であったと言われ、理由については言わないが、多分、それは本物ではない。だが、噂は広がっていき、サイババ氏のイメージが膨らんだというところではないかと思う。

私は、サイババ氏の良い報道も、悪い報道も全く信用していない。現代の大半の報道とは信じるに値しない性質のものだと思ってるからだ。
人間は愚かで、特に他人の悪い情報を簡単に信じるものだ。そして、見たり聞いたりしたことをすぐに他人に漏らす者は、善意ではあっても知恵がないのだ。
知恵は見えるものの奥深く、空間を超えたところにある何かから出て来るものだと感じる。その何かの意図を思うことが知恵なのだろう。だから、物質的な欲望が強ければ、知恵があるはずがない。
サイババ氏やマヘーシュ・ヨーギ氏から学んだのは、そんなことであったと思う。

尚、サイババ氏については、私は4日前に、彼の状況については何も知らずに書いていた。
サイババとは次元が違う奇跡
である。よろしければ、ご参照願いたい。







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3つの聖なる言語による至高の言葉

「スター・トレック」という、アメリカのSFテレビドラマの傑作がある(日本では「宇宙大作戦」のタイトルになっていた)。1966年から1969年までに制作され、映画では2009年には11作目が公開された。
これは、面白いだけでなく、英知に溢れた脚本でも知られている。
この中で、バルカン星人のミスター・スポックの口癖、「To error is human(人間とは間違いを犯すものだ)」はことに有名で、特に、科学者、技術者の中には、この言葉をよく憶えている者も多いと思う。
実は、私もそうだ。私の仕事のソフトウェア開発なんて、この言葉を痛いほど実感できるものだ。
だが、今は、コンピュータプログラミングは、中国やインドに発注した方が安い。せっかく、知恵を磨く機会を奪われているのだ。私は、できるだけ自分でもプログラミングをすることにしている。

この「To error is human」は、ラテン語の金言「Errare humanum est」の英訳だと思う。ラテン語では「エッラーレ・フーマーヌム・エスト」と読む。意味はもちろん、英語と同じだ。
ラテン語は、今ではほとんど使われていない。古代ローマで使われた言葉で、ギリシャ語の影響を強く受けている。
ラテン語、ギリシャ語、サンスクリット語は、「三大古典印欧語」と言われることもあるらしい。素晴らしい英知が隠された言葉だ。
人類最高の英知の言葉を、この3つの言葉で言っておく。憶えていると良い。いかなる時も、あなたを護る。
エゴ・スム(ラテン語)
エゴ・エイミー(ギリシャ語)
アハン(サンスクリット語)
英語で言うと、「I AM」である。「私は在る」という意味であるが、霊的には「吾神なり」という意味が隠されている。
「To error is human」「Errare humanum est」の言葉と共に憶えておかれるよう、お薦めする。本当は、私が自分に強く薦めたい。恰好いいしね・・・。
下記に、賢くなるためのエピグラム(警句)を与える本をご紹介する。1つあると絶対に良い。馬鹿げた風説(うわさ)に迷うことも、流すこともなくなるだろう。







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牛肉を捨てて永遠になった神にならう

憧れる人や敬愛を感じる人に食事に誘われると、とても嬉しいものだろう。
だが、本当に尊く思う相手とは、断食に誘われて嬉しい人だ。
イエスと共に食卓に着きたい人は多いが、イエスと共に断食したがる人は少ない。つまり、本当にイエスを尊崇する人は少ないということだ。
選挙では、立派な食事会に呼ばれたい政治家に投票する人が多いだろうが、共に食を慎みたい人に投票するのが良いのである。
それが分かれば、単なる人気者のタレントや金持ちの事業家に投票することもないだろう。

神様が現れ、「わが饗宴に来たれ」と言われるのと、「われと共に食を絶たん」と言われるのとどちらが嬉しいであろうか?
精神的な意味でなくても、論理的に考えてすら、私なら後者の方が喜ばしく思う。
なぜなら、無限の富を持つ者は、食事に誘う相手はさほど厳選しないだろうが、断食に誘う相手はよほど買っているに違いないからだ。
一緒に逃げる相手は、ほとんど誰でも良いだろうが、一緒に死ぬ相手はかなり選ぶものだ。
本当の主(あるじ)であれば、自分は食べなくても、僕(しもべ)にはちゃんと食事をさせるものだろう。
だが、主は、自分と一緒に断食するなら、僕ではなく対等に思うものである。

「あしたのジョー」という漫画での、力石徹の減量の苦難のことは、ほとんど国民的に有名なことだろう。
しかし、その時、白木葉子が密かに食を絶っていたことを憶えている人はどのくらいいるだろう?
彼女は別に、力石を愛している訳でもなかったと思うが、生まれながらの女王なのだと思う。力石にしたって、彼女を「お嬢様」と呼んで丁重な態度だったのは、決して、世間での立場や地位のためではなく、確かに彼女を女神のように敬っていたのだろう。

もし、恋人の愛が信じられないなら、1週間ほど一緒に断食してくれるよう頼んでみればいい。1週間程度なら死にはしない。相手が応じなければ、あるいは、そんなことをする気になれないなら、個人的には別れた方が良いと思う。
アニメ「魔法少女リリカルなのは」で、魔導師の少女フェイトは、トレイに乗せられた、ほとんどパンとスープだけの質素な食事にも、全く手を付けていなかった。心配するアルフには「少しは食べた」と言ったが、それは嘘か、スープを一口といったところか。
それを思い出せば、いつでも食を断てる私にとって、フェイトはやはり女神なのだろう。萌えも良いものである。

神々の王ゼウスは、牛を神と人間とに配分する時、骨を選んで、肉は人間に与えた。以降、骨が神の食べ物となり、肉は人間の食べ物となった。
プロメテウスが謀った(騙した)ということもあるのだが、ゼウスがプロメテウスの策略を見抜けないはずがない。ゼウスは、敢えて騙されてみせたのだ。
ゼウスだって牛肉は大好きだったが、食べられもしない骨を選んだ。
骨は醜く朽ち果てる肉と違い永遠の象徴だ。神は、肉を捨てることで永遠であるのだ。
古事記では、天照大神の孫で、天孫降臨の皇子ニニギは、美しいコノハナサクヤビメだけ選び、イワナガヒメを捨てたことで、永遠を失い、以降、天皇の寿命も限られたものになった。
ヘレン・ケラーは、「五感は幻想」と言い、「イデア(純粋な観念)が真理」と言った。
人は本来神であるが、幻想により地上に束縛された者になった。束縛が進むと地獄になるが、骨であるイデアを愛すれば束縛を捨てキリスト(神人)になる。
古代の伝説は、それを教えている。







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高揚感に包まれること

気持ちが高揚すると、生きている強い実感と共に、世界は意味があり、人生は良いものだと感じる。
念願が叶った時、素晴らしい知らせを聞いた時、大きな不安が解消した時、天の助けが来た時、思いもかけない良いことが起こった時・・・身体も心もエネルギーに満ち溢れ、草木や岩までが語りかけてくるようである。
もし、そんな状態が3回も続けば、どんな病気でも治ってしまうし、何をやってもうまくいく。不可能という言葉はこの世から消えているのだ。

これがどんなことなのかというと、単に、内に無限にあるエネルギーが解放されたということだ。それは、神秘ではあっても、異常なことではない。あくまで自然なことである。
例えば、子供の時の、明日から夏休みという日のことを思い出すと、その体験が甦るに違いない。

ある時期を過ぎると、そんなことがほとんど起こらなくなり、エネルギーは枯渇し、外に快楽や刺激を求めるが、求めるものは得られず、疲れ果て、老いて死んでいく。
宗教や芸術は、本来は、そんな人間に再び生命の炎を吹き込むためのものだった。しかし、権威に支配されたそれらは形骸化し、何の力も持たなくなった。
どんな民族にもある祭りも、人々にエネルギーを補充するために自然に起こったが、危険や不道徳な部分のために衰退化していった。
現在は、特別な密教や、あるいは、幻覚剤を使用したシャーマニズムの中に効果的なものがあるかもしれないが、本物を探し当てることは極めて困難に違いない。
とはいえ、我々の中には、今も無限のエネルギーが確実に存在している。

漫画家のこげどんぼ(以前はコゲどんぼと表記)さんの作品を読むと、時々、そんな力と一体化した人間が描かれていることがある。
「かみちゃまかりん」という作品で、勉強もスポーツも駄目な小学6年生の少女である花鈴(かりん)は、何かのきっかけで不意にそんな力が解放され、知恵、自信、パワーに満ち、何をやっても上手くいき、雨が降ればいいと思えば大嵐にもなる。
彼女は、「神様は私を見捨てていなかった」のではなく、「私の中に神様がいる」と感じる。
全て、全くありうることであり、不思議なことではない。むしろ、控え目と思う。

では、どうやれば、我々は内にある力を解放できるのだろう?
それには、世間の教義や信念を打ち砕き、人が本来持つべき信念、キリストとしての心を持たなければならない。
イエスという個人が、内なる力を解放し、あらゆる奇跡を起こせたのは、彼の「私は世に勝ったのだ」という宣言通り、世俗の幻想を破り、キリストの心の状態であったからだ。
だが、イエスですら、何度も失敗しながら、不屈の心でそれを成し遂げたのである。
そして、誰もがそれを出来ることを保証し、自分と同じでない弟子を叱ったのだ。我々もイエスのようになるまで諦めてはならない。
イエスがキリスト教を作ったのではない。イエスは宗教とは何の関係もない。
アダムスキーはイエスの教えを敬虔に学ぶが、自分はクリスチャンではないと言った。我々もそうありたい。
このような心構えで福音書を読めば、望ましい信念に至るだろう。
最も分かりやすい翻訳をご紹介しよう。昭和6年から14年をかけて、塚本虎二氏が口語訳を完成させたもので、普通の聖書特有の奇妙な言い回しがない上、適切に言葉を補った、分かり易いものだ。その後も改訂が行われ、昭和33年に現在の形になったようである。この岩波文庫の初版は昭和38年で、今も出版され続けるロングセラーである。







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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