ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2011年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

果てなき自信を得る方法

「自信を持て」と言われつつ、「謙虚であれ」と言われる。
さらに、「謙虚であれ」と言われつつ、「卑屈になるな」と言われる。
確かにその通りなのかもしれないが、これらに関する世間のさじ加減は独断的で、実際のところ、我々は混乱してしまっている。

だが、誰もが、今、このままで自信を持つべきなのである。
自信があってこそ謙虚でいられるのだ。自信の無い、表面上の謙虚さを卑屈と言い、それは、相手によって露骨に態度を変える。自信の無い者が、弱い相手に見せる傲慢さがその本性である。
人は自信を持つべきだし、誰もが、自信を持つに値するはずなのである。
壮大なる自信の言葉を述べよう。

私は世界の所有者、
七つの星と太陽年の所有者、
シーザーの手腕、プラトンの頭脳の所有者、
主キリストの愛、シェイクスピアの詩の所有者。

これは、アメリカ最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンのエッセイ集「精神について」で、「歴史」と題したエッセイの冒頭に書かれた詩だ。
エマーソンは、「歴史」の中で述べている。
「偉人や英雄について書かれたものを読むとき、自分について書かれていると思わないといけない」
世間に教育されていない子供はみんなそうしていると言う。
福音書は、イエスであるあなたについて弟子達が書いたのであり、「神統記」は、詩聖ヘシオドスがゼウスであるあなたの物語を描いたのだ。
そして、エマーソンの「歴史」や「自己信頼」を読むと、それが紛れもない事実であることが分かる。
ジョセフ・マーフィーは「あなたは不安なしに生きられる」(絶版)で、旧約聖書を読む時、その意味を知りたければ、かつて自分がそれを書いた時のことを思い出せば良いのだと述べている。
シェイクスピアもウェルギリウスも、全て自分が書いたものである。
サルトルも言った。本を読むことは、それをもう一度書くことであると。
ダ・ヴィンチの絵を見た瞬間に自分でそれを描いたのであり、ベートーヴェンを聴く時にはベートーヴェンになっているのだ。

ひろさちやさんは、「空海入門」で、普通の仏教は、仏陀になることを目標とした教えだが、空海の密教は、今すぐ仏陀になって、仏陀として生きる仏教であるという。
ニサルガダッタ・マハラジは言う。「神であることを体験しなさい。体験が一番だ。時間も空間も超えた者。身体も心も超えたものとして振る舞いなさい」
仏陀とは、人のままの仏(如来)であり、キリスト(神人)とは、人のままの神であろう。なら、仏陀が傲慢なはずがないし、キリストが謙虚でないはずがない。
いかに王でも、奴隷の真似をしていれば家来は従わない。王は王らしくあるべきである。
あなたが本当はキリストであっても、キリストらしくなければ神の力は発揮されない。イエスは、それを教えるために、キリストらしく生きる手本を示したのである。それを弟子達が記したのが福音書である。













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自分の体重だけを利用する鍛錬の神秘

優れた格闘家等には、腕立て伏せやスクワットといった、自分の身体の重さのみを負荷とする単純な運動を、非常に多い回数行う者がよくいる。
こういったトレーニングのやり方は、おそらく、スポーツ科学的には正しくないのだと思うが、これらは、科学を超えた英知である神が、敬虔なマーシャルアーチスト(武道家)やアスリートに教えた神秘の鍛錬法だ。
また、これらは、広い場所も道具も必要とせず、どこでも出来、自重だけであるから、自然な感覚で出来、無理な負荷で身体を痛めることもない。
私は2009年8月から、まず、腕立て伏せをやり始めた。
はじめは10回がやっとだったが、毎日、1日も欠かさずやり、みるみる力が付くのを感じた。月に10回ずつ回数を増やし、現在は210回になった。
尚、私の腕立て伏せは、プロレスラー式の身体をゆするようにやるものではなく、ボクサー式で超高速にやる方法だ。体重の少ない人には向いていると思う。別にごく普通のやり方でもいいし、自分の好きなやり方でやれば良いと思う。

スクワット(基本的には、立ったりしゃがんだりの繰り返し運動)は、腕立て伏せより半年遅く始めた。それまではウォーキングをやっていたが、歩くのに良い場所は、人が多くて嫌になり、普通の道は横暴な運転をするドライバーを見るのが辛く、部屋で出来るスクワットにしたのだった。ところが、これが大正解だったと思う。毎日欠かさず続けているうちに、身体がすごく軽く感じるようになり、まるで体重が無いように感じることもある。動きが機敏になり、人込みでは、回りの人間が停止しているような不思議な感じがする。また、同じ方向に歩いている人達が、まるで止まっているように追い抜いているのに気付く。激しく腕を振り、荒い息をしながら必死で早歩きしている人を、ごく普通に歩いて軽く追い越してしまう。
これは、脚の強さももちろんだが、腰の骨(仙骨)の機能が発揮されるようになり、また、エネルギーを腹から脚にすっと流せるようになったからのように感じる。
私は、スクワットは始めてから半年ほどは30回くらいしかやっていないのに効果があったが、現在は150回となっている。もっとやれるが、時間がかかるのと、地味なのは別に良いのだが、やはり、スクワットには独特の辛さがある。しかし、辛さはやりがいにもつながるし、やればやるほど力がつく。
優れたプロレスラーは、スクワットは数千回やるとも聞くし、「プロレスの神様」カール・ゴッチは50歳を過ぎても1万回をこなしたという。

このブログで何度もご紹介している腕振り運動で、体内に霊妙なエネルギーを取り込んでいるのだが、腕立て伏せやスクワットのような多数回の反復運動自体にも同じような効果があると思われるのと、これらの運動には、エネルギーの使い方の感覚を得る効果があるのだと思う。現役時代のアントニオ猪木さんを見ると、一気にエネルギーを炸裂させる時の動きが素晴らしい。猪木さんも、相当な腕立て伏せやスクワットをやったようだ。
腕振り運動については、当ブログ内の下記のリンクの記事をご参照願いたい。
腕振り運動の効果、最新レポート

無理をする必要はない。お金も全くかからず、場所も道具もなしで、いつでもどこでも出来るこれらの運動の1つでも、毎日、たとえ5分でも良いのでやってみてはと思う。その見返りは驚くほどのものに違いない。







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愛せずにいられない男

人間にとって生きる技術とは、心を傷付けずに日々を送る技術だろう。心の痛みよりは死を選ぶこともあるし、名誉や愛のために死ぬというのも、結局は、それを失う心の痛みよりは死の方が楽に感じるからだろう。
それが理解できるなら、自殺が愚かであるという説明は難しくなる。
いや、世間的な考え方では、どうやったって自殺が悪であるという結論は出ない。
だから、せめて、「鈍感力」とかで、間に合わせの心の痛みを紛らわすテクニックがもてはやされるのである。
だが、世間をはるかに超えた英知には答が示せるに違いない。

インドの聖者ラマナ・マハルシが、イエスの磔の意味についてこう言っている。
「自我であるイエスが、十字架である肉体に磔にされて滅び、真我であるキリストが復活した」
日々の心の痛みは、十字架の生贄である。当然痛むし苦しい。だが、それが滅ぶと、内なる神我(真我)が現れる。神我と一体となった者がキリスト(神人)である。

アメリカの光明思想家ヴァーノン・ハワードは、「心がぐらついたら、ぐらつくままにしておけ。すると、それは抜け落ちる。その時、素晴らしいことが起こる」と述べているが、同じことを言っているのだろう。
荘子は、「すべてなりゆきにまかせ、作為をするな。思慮分別を捨て判断するな。つまり、心を虚しくするということだ」と言う。
ポール・マッカートニーは「 Let it be」 で、聖母マリアが、苦しんでいる自分に、「あるがままに」と言い、それを受け入れて救われたと言っている。
ハワードや荘子、あるいは、マッカートニーの言うことが経験的真理だとしても、そのままでは受け入れ難い。しかし、イエスの苦しみを思えば、それも耐えやすい。
心の痛みを感じたら、それは十字架上の生贄と思うのが良い。イエスのように、黙って殺されることだ。
だが、イエスには何の問題もなかった。彼は3日後に身体を創り直して完成した。彼は、3日で神殿を建て直すという言葉でそれを予言していた。身体は神の神殿であり、神は我々の中にいるということだ。
我々は、イエスほどに大きな変革を一気に行えないかもしれないが、日々の犠牲を奉げることで、やがてキリストになるのだろう。そう考えると、福音書に書かれたことと矛盾しないと思う。

ZARDの「負けないで」の中に、「何が起きたって、ヘッチャラな顔して、どうにかなるさと、おどけてみせるの」という歌詞があるが、本当にこんな男がいたら愛せずにはいられないだろう。なんといっても、キリストへの道を行く、高貴な心の持ち主なのだからだ。ただし、最後の最後までそれを貫ければだが。
これが、詩を書いた坂井泉水さんの実体験だったのか、あるいは、理想を描いてみせたのかは分からない。







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1円もかけずに確実に痩せる方法

何度かテレビで、「お腹を引き締める運動」を紹介するのを見たことがある。慣れない人にはちょっと辛いと感じる程度の簡単な運動で、時間は数分といったものだ。
しかし、少々の運動で痩せたり、身体、ことに、腹が引き締まるなどということは、あり得ない。
腹筋運動を毎日数百回やっても、それだけではおそらく無理で、むしろ、それで食欲でも出て少し余計に食べたら、更に太るということは確実である。
それは、我々が考えられもしないようなハードなトレーニングや試合を毎日やっている野球選手やプロレスラーの中にも、腹がかなり出ていて肥満している選手が少なくないことからもはっきり分かる。

逆に、少し食を慎めば、絶対確実に痩せる。痩せないなら、やっぱり食べ過ぎているのだ。
痩せるだけなら、特に運動の必要はない。
私のような、食の誘惑に弱く、甘いものも大好きな者でも、毎日同じものを同じ時間に同じだけ食べるという方法なら、割と簡単に食を慎むことができる。
世間では、同じものばかり食べていると栄養が偏って身体に悪いという妄信がある。もちろん、そう信じるならそうなるだろう。
また、空腹をまるで病気のように扱い、空腹が悪いことのように思い込んでいる。子供が「お腹空いた」と言ったら慌てて食事やおやつを出すのが優しいことだと勘違いし、空腹でも食べないでいると、怪訝な顔をされる始末だ。それが奇妙なことであることに、ほとんど誰も気付かない。
空腹こそ正常であり、食後も空腹感が残るのが良い食べ方だ。そうであれば、食事が本当に大きな楽しみになり、簡素な食事であってもご馳走になるのである。
これまで何度か書いたが、オバマ大統領は毎日、ブロッコリー、サーモン、ライスだし、宮崎駿監督も、毎日同じ1つのお弁当(米に、卵焼き、漬物、ハム程度が入ったもの)を、昼と夜に分けて食べている。それどころか、世界には、トウモロコシや1つの種類の芋しか食べないが健康で長寿の民族などいくらでもある。
パンダはほとんど竹、コアラはユーカリやアカシアなどしか食べないなど、野生動物は、極めて限られたものしか食べないが、病気になることはない。
私は、食事は夕食だけで、メニューはいつも、パン、野菜、フルーツ、ナッツ、チーズであるが、飽きることなどは全く考えられないし、完全に健康である。
毎日同じものを食べるというのは、健康、節約、その他、多くのメリットのある、とても良い方法であると思う。







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裏の学校の極秘教練

今でも、スパイ(諜報員、工作員等)養成学校がある国もあるだろう。
日本でも、あまり表には出ないが、実質でのスパイ養成学校みたいなものはいくらかあったと思う。
また、学校の体裁は取らなくても、そういったことでの高度な訓練を行う場所は、いつの時代でも、地球上にいくらでもあるのだろう。

そういった学校では、世間では考えられもしないような教育が行われることもあるようだ。
例えば、超能力的な能力の養成である。中村天風の高弟であった、合気道家で神道家の佐々木の将人さんという人が、昔、スパイ学校を作ったことがあるようだが、彼が著書で述べるところでは、それ以前からあったスパイ訓練学校で、超能力訓練が行われていたらしい。
私は実際に、中村天風から超能力指導を受けたことがあるという、年配の元大学教授に会ったことがある。彼は著名な学者でもあった。
私は、不意に思いついて、彼に、政木和三さんをご存知かと聞いたら、やはり、長い付き合いだと言う。ところが彼は、「俺は、政木の言うことは多分、半分も信じていない」と言う。だが、すぐに彼は、「政木は嘘は付かない」と付け加えた。後の言葉は、口で言ったのではなく、テレパシーだったと思う。テレパシーは嘘は付けない。

テレパシー能力が強いと、人と話すのが難しくなる場合がある。
大人なら、「私は、人が言葉で言うことは聞いていない」と思って、相手の言葉の裏を読むことを当然と考えれば良いが、そこまで達観していない、特に若い子なら、人が言葉で言うことと考えていることの差に耐えられないからだ。特に、自我の不安定な子では、人の居るところにいけなくなる場合も珍しくない。下手をすれば、親とも話せなくなる。ひきこもりには霊的に敏感な者もいる。心を鍛えれば、それは良い能力になる。
そして、いずれ、誰もがテレパシー能力を持つので、嘘が通用しない世界になる。適応できない人間は滅びる。

イエスも強力なテレパシストだった。4大弟子が書いた福音書には、「師は彼らの考えを読み・・・」という記述がよくあるが、極めて正確に読みとっているのである。イエスは子供の頃に親元を離れて、霊的能力を否定されないところに留学していたので、力を自然に伸ばすことが出来たのだろうと思う。
新訳聖書は、優れたESP能力養成書になるかもしれない。生まれた家が貧しく、他に読む本がなかったが、聖書だけはあったので、これを熱心に読んで内なる力を引き出したという人もいる。
エドガー・ケイシーは、別に、聖書をそのような目的で読んだ訳ではなく、ごく敬虔で真摯な気持ちで毎日読んだが、結果として、高度な霊と意思疎通する能力を得たようだ。誰もが彼のようになる訳ではないが、テレパシー能力を得る程度のことは出来るかもしれない。ただ、やはり、真摯な気持ちで読んだ場合である。そもそも、テレパシーの極意は、イエスの有名な言葉、「隣人を自分のように愛しなさい」だからだ。







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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