「引きこもり」という言葉は、いまやオックスフォード英語辞典にも“hikikomori”として収録され、多くの言語のWikipediaにも登録されている。
私は、人間は、程度の差こそあれ、皆、引きこもりであると思う。
「ハリネズミのジレンマ」あるいは「ヤマアラシのジレンマ」という言葉があるが、これは人間の、「温め合いたい」という欲求と「傷つけ合いたくない」という欲求の矛盾を、うまく言い表したものだ。引きこもりは、傷付くことや傷付けることを恐れる方に多く傾いた状態だと言えるかもしれない。
普通の人は、それなりに丁度良い距離を見付ける。しかし、それが出来ない者が引きこもりになるのだが、それが治るということは、おそらく無い。
私も強い引きこもり気質であり(やはり、一生治らないと思う)、生涯、社会に出ることはないと思っていたが、何度かこのブログでも書いたように、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則の本を読んでからは、お金に関する苦労だけはしなくなった。
本質的に引きこもりである全ての人間には、元気とか勇気というエネルギーが必要だ。肉食獣が狩りをするのに、特に、気分を奮い立たせる必要はないが、人間はそうではないのだ。
マーフィーの本を読み、自己の中に万能の力が在ることを知ることは良いことだ。親や学校は、決してそんなことは教えてくれない。逆に、無力感を叩き込んで、余計に引きこもらせるだけである。
マーフィーの本に時々出てくる話かと思うが、ある額・・・例えば、1億円を得るといったことに役立つ方法がある。
それは、密教的な方法で、私は特に気に入っている。あなたも気に入ると思う。
密教的とは、こういうことだ。
普通の仏教である顕教では、修行をしたり念仏を唱えたりして、悟りを開いて仏(仏陀)になるのが目標である。
ところが、密教では、仏になって何をするかということに意識を向ける。
そのマーフィーの「ある方法」も同じで、1億円を作ることが目標なのではなく、1億円は既にあるものとして、それをどう使うかを考えるというものだ。
1億円は、あって当然であり、それをどう得るかなどは、どうでも良いことなのだ。
マーフィーは世界中のあらゆる思想や哲学に通じているので、こんな教えもレパートリーにあるのだろう。本当に優れた教師である。
しかし、うまく1億を得ることが出来ない者もいる。実際上、大半の者がそうである。
1億があるとしたら、どう使うか?いや、もう1億はあるので、それで何をするか?
「貯金する」などと言う者は話にならない。そんな者に言うことは何もない。
そうではないが、それを個人的欲望のために使いたいと考える者も多いだろう。1億あれば、ほとんどどんな高級車でも買えるし、高級な服、ブランドもののバッグも思う存分買えそうだ。豪華旅行や豪華グルメも思うがままだ。人間である限り、そんな欲望も全く否定できないのではあるが、それが強ければ強いほど、入ってくる金額は小さくなる。そんな用途しか思いつかないなら、生活に必要なだけでも入ってくるかどうか疑わしい。
30年近く前だが、邱永漢さん(大金持ちである)は、月に使える金が百万円あれば十分だと述べられていたが、今の時代もそうは変わらない。いくら欲張っても、そのあたりだし、心身の健康を考えれば、特に我々凡人の場合は、もっと少ない方が良い。
マーフィーの本には、別のところにこうも書かれているが、「どうすれば、人々の役に立てるか?」「どうすれば、人類の役に立てるか?」を考えることが、富に至る近道である。
それが思い浮かばないうちは、1億円を得るべきでないし、得ることはないだろう。
無理矢理、何か適当に考えても、違和感や不自然な感じがあったり、熱意やわくわくする気分を感じないなら、その考えは偽物である。
武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」の中で、真の自己に目覚めた少女ほたるは、「人は自分以外の者のために生きる決意をした時に、本当に生きることをはじめる・・・アルベルト・アインシュタインの言葉よ」と、それが自己の決意であることを表す。
我々もまた、本当にそう思うようになるまでは修行であり、少々嫌な思いもするかもしれない。修行が終わらない内に大金を得ることは、絶対に不幸なことであるに違いない。
本質的に引きこもりである全ての人間の、エネルギーの本当の源泉は、人々、人類、世界への奉仕なのである。
分からなくても心配はいらない。私が常々お薦めする、腕振り運動をやれば、自然と分かると思う。1000回で分からなければ2000回、それでも駄目なら3000回と毎日やれば良いだろう。
>元気を出したければ腕を振れ(別タブで開く)
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私は、人間は、程度の差こそあれ、皆、引きこもりであると思う。
「ハリネズミのジレンマ」あるいは「ヤマアラシのジレンマ」という言葉があるが、これは人間の、「温め合いたい」という欲求と「傷つけ合いたくない」という欲求の矛盾を、うまく言い表したものだ。引きこもりは、傷付くことや傷付けることを恐れる方に多く傾いた状態だと言えるかもしれない。
普通の人は、それなりに丁度良い距離を見付ける。しかし、それが出来ない者が引きこもりになるのだが、それが治るということは、おそらく無い。
私も強い引きこもり気質であり(やはり、一生治らないと思う)、生涯、社会に出ることはないと思っていたが、何度かこのブログでも書いたように、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則の本を読んでからは、お金に関する苦労だけはしなくなった。
本質的に引きこもりである全ての人間には、元気とか勇気というエネルギーが必要だ。肉食獣が狩りをするのに、特に、気分を奮い立たせる必要はないが、人間はそうではないのだ。
マーフィーの本を読み、自己の中に万能の力が在ることを知ることは良いことだ。親や学校は、決してそんなことは教えてくれない。逆に、無力感を叩き込んで、余計に引きこもらせるだけである。
マーフィーの本に時々出てくる話かと思うが、ある額・・・例えば、1億円を得るといったことに役立つ方法がある。
それは、密教的な方法で、私は特に気に入っている。あなたも気に入ると思う。
密教的とは、こういうことだ。
普通の仏教である顕教では、修行をしたり念仏を唱えたりして、悟りを開いて仏(仏陀)になるのが目標である。
ところが、密教では、仏になって何をするかということに意識を向ける。
そのマーフィーの「ある方法」も同じで、1億円を作ることが目標なのではなく、1億円は既にあるものとして、それをどう使うかを考えるというものだ。
1億円は、あって当然であり、それをどう得るかなどは、どうでも良いことなのだ。
マーフィーは世界中のあらゆる思想や哲学に通じているので、こんな教えもレパートリーにあるのだろう。本当に優れた教師である。
しかし、うまく1億を得ることが出来ない者もいる。実際上、大半の者がそうである。
1億があるとしたら、どう使うか?いや、もう1億はあるので、それで何をするか?
「貯金する」などと言う者は話にならない。そんな者に言うことは何もない。
そうではないが、それを個人的欲望のために使いたいと考える者も多いだろう。1億あれば、ほとんどどんな高級車でも買えるし、高級な服、ブランドもののバッグも思う存分買えそうだ。豪華旅行や豪華グルメも思うがままだ。人間である限り、そんな欲望も全く否定できないのではあるが、それが強ければ強いほど、入ってくる金額は小さくなる。そんな用途しか思いつかないなら、生活に必要なだけでも入ってくるかどうか疑わしい。
30年近く前だが、邱永漢さん(大金持ちである)は、月に使える金が百万円あれば十分だと述べられていたが、今の時代もそうは変わらない。いくら欲張っても、そのあたりだし、心身の健康を考えれば、特に我々凡人の場合は、もっと少ない方が良い。
マーフィーの本には、別のところにこうも書かれているが、「どうすれば、人々の役に立てるか?」「どうすれば、人類の役に立てるか?」を考えることが、富に至る近道である。
それが思い浮かばないうちは、1億円を得るべきでないし、得ることはないだろう。
無理矢理、何か適当に考えても、違和感や不自然な感じがあったり、熱意やわくわくする気分を感じないなら、その考えは偽物である。
武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」の中で、真の自己に目覚めた少女ほたるは、「人は自分以外の者のために生きる決意をした時に、本当に生きることをはじめる・・・アルベルト・アインシュタインの言葉よ」と、それが自己の決意であることを表す。
我々もまた、本当にそう思うようになるまでは修行であり、少々嫌な思いもするかもしれない。修行が終わらない内に大金を得ることは、絶対に不幸なことであるに違いない。
本質的に引きこもりである全ての人間の、エネルギーの本当の源泉は、人々、人類、世界への奉仕なのである。
分からなくても心配はいらない。私が常々お薦めする、腕振り運動をやれば、自然と分かると思う。1000回で分からなければ2000回、それでも駄目なら3000回と毎日やれば良いだろう。
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