ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2011年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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密教的1億円引き寄せ法

「引きこもり」という言葉は、いまやオックスフォード英語辞典にも“hikikomori”として収録され、多くの言語のWikipediaにも登録されている。
私は、人間は、程度の差こそあれ、皆、引きこもりであると思う。
「ハリネズミのジレンマ」あるいは「ヤマアラシのジレンマ」という言葉があるが、これは人間の、「温め合いたい」という欲求と「傷つけ合いたくない」という欲求の矛盾を、うまく言い表したものだ。引きこもりは、傷付くことや傷付けることを恐れる方に多く傾いた状態だと言えるかもしれない。
普通の人は、それなりに丁度良い距離を見付ける。しかし、それが出来ない者が引きこもりになるのだが、それが治るということは、おそらく無い。

私も強い引きこもり気質であり(やはり、一生治らないと思う)、生涯、社会に出ることはないと思っていたが、何度かこのブログでも書いたように、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則の本を読んでからは、お金に関する苦労だけはしなくなった。
本質的に引きこもりである全ての人間には、元気とか勇気というエネルギーが必要だ。肉食獣が狩りをするのに、特に、気分を奮い立たせる必要はないが、人間はそうではないのだ。
マーフィーの本を読み、自己の中に万能の力が在ることを知ることは良いことだ。親や学校は、決してそんなことは教えてくれない。逆に、無力感を叩き込んで、余計に引きこもらせるだけである。

マーフィーの本に時々出てくる話かと思うが、ある額・・・例えば、1億円を得るといったことに役立つ方法がある。
それは、密教的な方法で、私は特に気に入っている。あなたも気に入ると思う。
密教的とは、こういうことだ。
普通の仏教である顕教では、修行をしたり念仏を唱えたりして、悟りを開いて仏(仏陀)になるのが目標である。
ところが、密教では、仏になって何をするかということに意識を向ける。
そのマーフィーの「ある方法」も同じで、1億円を作ることが目標なのではなく、1億円は既にあるものとして、それをどう使うかを考えるというものだ。
1億円は、あって当然であり、それをどう得るかなどは、どうでも良いことなのだ。
マーフィーは世界中のあらゆる思想や哲学に通じているので、こんな教えもレパートリーにあるのだろう。本当に優れた教師である。

しかし、うまく1億を得ることが出来ない者もいる。実際上、大半の者がそうである。
1億があるとしたら、どう使うか?いや、もう1億はあるので、それで何をするか?
「貯金する」などと言う者は話にならない。そんな者に言うことは何もない。
そうではないが、それを個人的欲望のために使いたいと考える者も多いだろう。1億あれば、ほとんどどんな高級車でも買えるし、高級な服、ブランドもののバッグも思う存分買えそうだ。豪華旅行や豪華グルメも思うがままだ。人間である限り、そんな欲望も全く否定できないのではあるが、それが強ければ強いほど、入ってくる金額は小さくなる。そんな用途しか思いつかないなら、生活に必要なだけでも入ってくるかどうか疑わしい。
30年近く前だが、邱永漢さん(大金持ちである)は、月に使える金が百万円あれば十分だと述べられていたが、今の時代もそうは変わらない。いくら欲張っても、そのあたりだし、心身の健康を考えれば、特に我々凡人の場合は、もっと少ない方が良い。
マーフィーの本には、別のところにこうも書かれているが、「どうすれば、人々の役に立てるか?」「どうすれば、人類の役に立てるか?」を考えることが、富に至る近道である。
それが思い浮かばないうちは、1億円を得るべきでないし、得ることはないだろう。
無理矢理、何か適当に考えても、違和感や不自然な感じがあったり、熱意やわくわくする気分を感じないなら、その考えは偽物である。

武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」の中で、真の自己に目覚めた少女ほたるは、「人は自分以外の者のために生きる決意をした時に、本当に生きることをはじめる・・・アルベルト・アインシュタインの言葉よ」と、それが自己の決意であることを表す。
我々もまた、本当にそう思うようになるまでは修行であり、少々嫌な思いもするかもしれない。修行が終わらない内に大金を得ることは、絶対に不幸なことであるに違いない。
本質的に引きこもりである全ての人間の、エネルギーの本当の源泉は、人々、人類、世界への奉仕なのである。
分からなくても心配はいらない。私が常々お薦めする、腕振り運動をやれば、自然と分かると思う。1000回で分からなければ2000回、それでも駄目なら3000回と毎日やれば良いだろう。
>元気を出したければ腕を振れ(別タブで開く)







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魔法使いと呼ばれた精神医の謎

異邦人は、立居振舞に注意しないといけない。
なぜなら、彼は、自分の民族の代表と見なされてしまうことになりかねないからだ。
これは、異邦人だけでなく、新参者、少数者全てに言えることだ。

黒人初の大リーガーであったジャッキー・ロビンソンは、プレイだけでなく、言動にも最大に気を配る必要があった。彼のやることは、黒人全てがやることと見なされることを、彼は心得ていた。
彼は、生卵を投げつけられても、家の窓ガラスを割られても、家族が中傷されても、チームメイトにすら同じテーブルで食事をしたり、同じシャワールームを使うことを拒否されても、常に、高貴な無抵抗を貫いた。今日、多くの黒人メジャーリーガーが活躍出来るのは、ロビンソンに負うところが大きく、彼への敬意を表して、彼の背番号42は、全球団で永久欠番と指定されている。日本の球団に入団するアメリカ人選手が42を付けたがる理由もそれである。

超能力に関する世論にも、同じようなことがあった。
超能力研究では、デューク大学のライン教授のものが有名で、ライン教授は超能力実験を数多く実施し、超能力を統計的に実証したという。
しかし、これには多くの反論もある。
最も大きな反論は、実験者の中に、実験で不正を働いたことを告白した者がいることだ。それにより、ライン教授の実験そのものに有効性は無いと主張する者は多い。
しかし、膨大な実験の中で、不正者が数名というなら、少ない方であろう。
それに、超能力を従来式の実験手法で検証することは極めて難しい。超能力は、時空を超えて作用する精神の世界であり、実験そのものを疑いの目で見れば、実験結果に影響を及ぼす。超能力ではなくても、量子力学の実験では、何を観測しようとするかにより、観測結果が変わってしまうという奇妙なことが実際に起こることが知られている。

ところで、超能力実験に関し、面白い話がある。
高名な精神医のミルトン・エリクソンが、ライン教授の超能力実験の被験者になったことがあるらしい。
エリクソンは、魔法を使って治していると言われるほど、驚異的な治療成果をあげていた伝説の精神医である。
エリクソンはライン教授の思考を読み取ってライン教授を驚かせ、ライン教授は、エリクソンを高度な超能力者と考えた。しかし、エリクソンは、単にライン教授を鋭く観察することで、あたかも、テレパシーで彼の思考を読み取ったように見せたに過ぎないと言い、その種も明かした。例えば、心の中で言葉を思った時、その者の喉には、その言葉を発音する時と同じ動きが見られるのだという。
しかし、いかに鋭い観察力があったとしても、そんなものを目で見て、本当に、人が頭の中で思った言葉を正確に読み取ったり出来るものであろうか?
エリクソンの治療技術に関しては、当然、よく研究されているのだが、彼のような治療が出来る人は、やはりいないのだ。
彼は、手の付けられない不良高校生を一言の、さり気ない言葉で完全に更生させたことがあるが、高校教師になった彼の娘もまた、札付きの暴力的な男子高校生を一瞬で心を入れ替えさせ、彼が卒業するまで、自分のボディーガードにしてしまった(他にも不良学生は多かった)。
エリクソンが、いかに彼の手法を教えようとしても、あまり成果はなかったに違いない。彼ら(彼と娘)には、超能力としか言えない力があったのだろう。もっとも、現在においては、その力を超能力と言わざるをえないとしても、それはいつか、エリクソンの希望通り、通常の力になるのかもしれない。
私も、エリクソンの技術を基にして考案されたNLP(神経言語プログラミング)のテクニックを使って、酒豪の女性に、一瞬で禁酒させたことがある。私は超能力を使った訳ではないのだけれど、彼女が自分で自分の精神に、超能力を発揮する時のような作用を及ぼしたのだ。

エリクソンは、その驚異的能力の基をいかにして得たのだろう?
1つには、彼が子供の時、唯一手に出来た本である辞書を、延々繰り返して読んだということに注目したい。彼は、ある時期まで、辞書の引き方を知らず、何か言葉を調べる時には、いつも、辞書の先頭ページから見ていった。
そして、彼が17歳の時、ポリオウイルスに感染し、眼球以外を動かすことが出来ないという体験をしたことがある。その時、彼は徹底して見ることを学んだ。
くどくど説明しないでおくが、これらの話に、技術ではない、人が持つ驚異の力の秘密を直観的に感じるのである。







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人生のシナリオを書く者とは

どれほどの名作と言われる小説を読んでも、そこには、何か「嘘っぽさ」といった妙な感覚を覚えるのではないだろうか?
「そりゃ、作り話だから・・・」と言われたら、確かにそうなのだが、だからといって、それが小説の価値を落としているのではないところが、また不思議に感じる。
だが、こう考えると納得がいかないだろうか?
現実そのものが嘘っぽいのだ。
英国の詩人バイロンは、「事実は小説より奇なり」と言ったが、本意はやはり、「現実ってのは、どこか嘘っぽい」ということと思う。
嘘っぽいというのは、作り話っぽいということで、「偶然とは思えない」ということだ。
そう思う感性は確かだ。全ては必然なのである。

飯田史彦さんの「生きがいの創造」という大ベストセラーにして、ロングセラーが、世界の「嘘っぽさ」「作り話っぽさ」の秘密を明かしている。
人生で出会う人や、起こる出来事は、あらかじめ、大方で決定している。
我々は、人生という舞台の俳優であるのだが、シナリオにもかなり参加しているという。生まれる前に、魂達が寄り合い、それぞれの配役や展開といったことを、あらかたで決めるものらしい。
誰とどのように親しくなるか、誰にどんなことで騙されるか。そういった良いことも、悪いことも、ほとんどが、あらかじめ決めておいたことが起こるに過ぎない。
どのように決めたかは、表面の意識では、ほとんど全て忘れているのだけれども、深い心では知っているので、それをかすかに感じた時に、そして、どちらかというと悪い出来事であった場合に、妙な嘘っぽさや、作り話っぽさを感じるのだ。

優れた小説家とは、魂が描きそうなシナリオを書く人だ。単に面白いお話を書くだけなら、三文小説家にすらなれないはずだ。一見、娯楽小説のように見えても、面白いだけでは支持されないものだ。
しかし、近年、三文小説が高く評価されるようになってしまった。それは、人々が評価する前に専門家が評価し、マスコミが扇動するような作品だ。文学の専門家は、全てとは言わないが、利害打算で評価せざるを得ないものだ。
本来は、大衆の中に真理はなく、大衆が支持するものは偽者なのだが、小説というのはなぜか別なのである。
なぜなら、小説を読むというのは、自己の心の奥深いところとの対話だからである。そこが映画との決定的な違いで、一方的に刺激がやってくる映画では、仮に感動を憶えたとしても、それは表面の心の幻覚に過ぎない。映画を見終わった人が「感動しましたあ~!」と言うときの間抜け面を見れば、それが分かるはずである。

「涼宮ハルヒの憂鬱」や「灼眼のシャナ」といった、異常にヒットする娯楽小説は、著者がこの世の因縁といったものを天才的に感じる能力があるのだろう。その上で、面白く書くセンスがあるのだ。
そんな小説が書かれたのが偶然なら、この2つの作品の挿絵を、いとうのいぢさんが描いたのも偶然である。それらを、娯楽小説を読まないはずの私が読んだのも偶然だ。
だが、魂のレベルでは、全て必然であったのだろう。
ある著名な人物は、政情不穏な国で列車に乗り、トイレに行ったら、たまたま使用中だったので、別の離れた車両のトイレに行った時、元いた車両が爆撃を受け、自分はたまたま生き残ったという。その時、彼は、「この世は、つくづく偶然の連鎖に過ぎない」と強く感じたという。しかし、それはやはり必然である。

「起きた不幸な出来事は偶然、私がそこに行き逢ったのも偶然、この『天道宮』以外に寄る辺がなくなったのも偶然」
「しかし、ここでフレイムヘイズとしての適性を発揮したのは必然であります。私が助けねば確実に死んでいた。私が助けたことで偉大なる才能は生かされ始めた・・・いえ、必要とされる場所に、己を導いたのであります。」
~「灼眼のシャナ」(第5巻)ヴィルヘルミナ・カルメルの言葉より~

登る太陽の迷い 偶然は密かに仕組まれた いっそ必然?
~「Re-sublimity」(詩、歌:KOTOKO)より~







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サントリーのCMに思う

林原の破産により、一族で経営し、株式も公開しない超内輪集団の問題点も認識しましたが、良いところも大きいわけです。
同じ、同族、非公開経営のサントリーは、やはり、その良いところを大いに伸ばしていると思います。時間をかけ、自分達が納得できる商品を作り、文化活動も自由に行える等です。

サントリーは、ビール大手の中では、決して、ビール、発泡酒の売上高は大きくありません。もし、公開企業であればさぞや株主に糾弾されることでしょう。
ところで、サントリーのテレビCMは実に良いと思いませんか?
4年以上も続く、缶コーヒー「BOSSレインボーマウンテン」の「宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ」は、エキセントリックながらハートがあります。
そして、ノンアルコールのビールテイスト飲料「ALL-FREE(オールフリー)」では、三浦友和さんと榮倉奈々さんの複数バージョンのCMがあるのですが、これらがまた素晴らしい。
フランスの人気歌手クレモンティーヌが、赤塚不二夫さん原作の人気漫画「天才バカボン」の歌を歌い、バカボンの偉大な言葉「これでいいのだ」のテロップが表示されます。
2人の、のんびりした様子がとても良い。そして、なぜか毎回現れるアダムスキー型UFO。宇宙人が出てきて温泉に入るなど、これもなかなか粋な宇宙人です。

個人としての人間には意識がありますが、集団にもあります。
企業にもあれば、民族、国、さらには、惑星にもあります。
フロイトは、個人の精神分析だけでなく、民族の精神分析も可能であると言いました。もっとも、彼は精神分析の原理はかなりよく分かっていましたが、実践は下手でしたし、妙に文学的才能がありましたので(美文家として有名でした)、かなりの珍説も唱えてしまいました。しかし、やはり彼は天才です。確かに集団にも意識はあるのでしょう。
サントリーという企業の意識は興味深いものです。
日本人は、サントリーのおかげで、宇宙人のイメージが向上し、アダムスキー型UFOにも馴染んできました。
宇宙人は、案外に人々の中に存在しており、UFOだって、普通に考えているより多く飛来しているものです。それを善意で知らせる者はさりげなくやっています。当局に邪魔されないように(笑)。
私の家のテレビWooo(日立)では、録画予約画面の背景にはアダムスキー型UFOが描かれています。あまりにさりげなく、気付かれることもありませんが。
ガイナックスのアニメ「まほろまてぃっく」では、ヒロインのまほろが「時々、見上げてみなくっちゃ、空の青さは分からないよ」とおかしなハナ歌を歌います。
ただ、制作企業の意識そのものが良いのか、何らかの善意の力が働いているのかは分かりません。
しかし、やがて地球が、そして、我々がどうなるのか、すでにさりげなく示しているものもあると思います。個人的欲望や快楽に耽ってばかりの愚鈍で愚劣な心は、それに気付くこともないでしょうが。
だが、心配ありません。私が常々お薦めしている腕振り運動(せい手、スワイソウ、シュワイソウ)を根気よくやり、個人的欲望をせいぜい3割程度にすれば(ゼロにすることは聖人でない限り不可能)、世間を超えるきっかけをつかめることでしょう。
腕振り運動については、当ブログ内[元気を出したければ腕を振れ]を御参照下さい。







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金星の真実

金星という星はどんな星だろうか?
NASAの情報を基にした説によれば、地表温度は平均で摂氏400度、地表の気圧は90気圧(地球の90倍)、大気の96パーセント以上が二酸化炭素である。そして、上空では、硫酸の雨が飛び交っているとされている。
これが、専門家が言い、学校で教えられ、あらゆる科学の本に書かれている定説で、ほぼ絶対的権威を持ち、ほとんど誰も疑っていない。

一方、ジョージ・アダムスキーによれば、金星は温暖で、多くの地域が人間が住むに適した環境であり、実際に地球人とほとんど同じ人間と、地球に棲息するものと類似の動植物が存在する。そして、金星人の文明は地球をはるかに凌いでおり、太陽系内および太陽系外に自在に飛行する宇宙船を有しているという。
アダムスキー以外にも、こういった説を唱える者はいるようである。

アダムスキーの説に関しては、嘲笑的に否定されるのが普通であると思う。
ただ、確実に言えることは、我々は、どれが正しいのか、あるいは、真実により近いのかについて、全く分からないということである。
多分、多くの人は世間の権威ある説を受け入れているだろう。しかし、それを、自分で確認した訳ではないことを忘れてはならない。

我々が、金星に関して知っていることは、上記のような色々な説があるということと、本当のところは分からない・・・ということだけである。
そして、おそらくは、世間には全く受け入れられず、頭から馬鹿にされることも多いアダムスキーの説より、世間の権威ある説の方が有利であるとは見なせない理由もいくつかある。
それは以下の通りである。

・その1
アダムスキーの著書を読むと、書かれた内容の具体性、論理性に関して、明らかな矛盾点はあまり無いと思える。そして、その思想、哲学は、理性的、知的なだけでなく、ほぼ善意に貫かれており、自己顕示欲や思想の誘導の意図はほとんど感じられない。
・その2
NASAの情報等を基にした定説には疑わしい点が少なくない。また、NASAは金星に10回ほども探査衛星を送りながら(旧ソ連は15回以上)、撮影されたはずの写真の内、公開されているものが極端に少ない(1%未満とも考えられる)。そんな高温高圧の星を、莫大な予算を使って何度も探査する目的も、冷静に考えれば、発表されているもの(生命の起源の謎を探るため等)では合点がいかない。
(硫酸の雨を抜け、摂氏400度、90気圧の地表に着陸して写真を撮るなんてことが本当に出来るのだろうか?)
・その3
世間の権威ある説というものが、全く信用ならないものであることをよく知っている。
また、科学の定説がひっくり返ることは別に珍しいことではない。

金星について、真実を知りたければどうすれば良いかというと、楽をせずに自分で調べるしか方法はない。そんなことは不可能であると頭から思い込んでいる向きもあると思う。それに関しては、何も言わないでおくが、もしそう思うのであれば、あらゆることに関しても、本当のことを何も知ることはなく一生を終えるのは確実である。
だが、実際は心配は無用なのだ。我々一人一人には、真実を知るための素晴らしい能力が授けられているのである。ただ、それを知らず、それを使おうとしなかっただけである。







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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