ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2011年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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私は超能力者である

これまで、なんて差し障りのない書き方をしてきたのだろうと思う。
これでは、ろくに誤解もされないじゃないか。
岡本太郎に「卑しい」って言われそうだ。

岡本太郎は、「誤解されたっていい、いや、誤解されないといけない」と言った。
エマーソンも、「本当の自分でいる人は誤解されるもの」と言ったのだ。
イエスもスウェーデンボルグもアダムスキーも、壮大に誤解されたじゃないか。
橋本健博士も、政木和三博士も、関英男博士もそうだった。

私は超能力者である。実際のエピソードは、このブログにも随分書いたはずだ。
ただ、自我ってのは馬鹿だから、超能力を使っても自分では気付かない。後で誰かから教えてもらうか、客観的証拠からやっと気付いて自分で驚くのだ。ぼーっとしてたら、気付くのに10年くらいはかかる。
だから、超能力を見世物にすることは不可能だ。しかし、超能力を見たいという人がいるものおかしなものだ。自分でやればいい。
ジョセフ・マーフィーの本を1冊読めば、その直後に誰でも超能力を発揮する。しかし、やっぱり気付いていないのだ。
土台、自分のために超能力を役立てようなんて根性が間違っている。自分に必要なものは、通常の能力の範囲内で十分に手に入るからだ。
だが、人々のため、人類のためと思うなら、そして、その心に偽りがなければ、いかなる超能力も発揮することができるだろう。ただ、敢えてそれをやる者は、まあ、滅多にはいないのだ。







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専門家を疑え

ジャイアント馬場さんが、偉い先生だと言ったお医者さんがいた。
馬場さんは、プロレスラーになる前は、プロ野球のピッチャーだったが、悪性の脳腫瘍が出来、手術は不可能で命は絶望と宣告される。しかし、彼の両親は全国を探し、遂に、手術を引き受けてくれる名医を見つけた。
ところが、馬場さんが、その医者に、「先生、僕の命、保証してくれますか?」と尋ねると、医者は、「医者はね、指1本切る時でも命の保証なんてしないんだ」と答えたという。
馬場さんはずっと後になってからも、「俺は、今でも、この人は偉い先生だと思っている」と言っていたらしい。命を助けてくれたということももちろんあるだろうが、やはり、命の保証なんてどんな時もしないという、その率直さ、正直さに感服したのだと思うのだ。

名医中の名医として知られる冲中重雄さん(1902-1992)が、1963年の東大退官時の講演で、自分の誤診率が14%だと言った時、大きなどよめきが起こった。医者でない者は、その誤診率の高さに、医者は、低さに驚いたのだった。
「これほどの誉れ高い名医がそんなに誤診をしていたのか!」「さすが沖中先生、たった14%とは凄い!」という、真逆(正反対)の感想が同時に現れ、見た目は皆同じ反応になったという面白いものである。

我々は専門家を買いかぶり過ぎることがよくある。
そして、専門家の言うことを、まるで神の言葉のように信じ込んでしまったりする。
専門技能や知識を鼻にかけて威張っているのは三流で、一流ほど、自分は素人に毛が生えた程度だと思っているものだ。
もちろん、専門家のやるべき部分というのはあり、素人が下手に手を出すと命取りになるというのもあるが、あくまで人間のやることで、せいぜいが「慣れ」の問題であることが多い。神の領分ででもあるように、全く分からないということはない。
「刑事コロンボ」で、コロンボ刑事が、腕を自慢しがちなゴルフ教師の前でナイスショットを見せ、「なんだ、簡単じゃないか。僕でも出来るよ」と言う場面があった。もちろん、コロンボは練習をしてきたのだが、彼は、専門家を過大に評価しないことで真実を見逃すことを避けることが出来たことを、上手く描いていた。
アインシュタインだって、自分の物理学は大したものじゃないと言い、自分を重要人物とは全く思っていなかった。
私もコンピュータソフトウェア開発の専門家らしいが、時によっては、「そこまで信用されても困る」と思うことは少なくない。それは、どんな専門家だって同じはずだ。それを正直に言うか言わないかである。
世界最高の医師が、手術前に神に祈るということはよくあるようだ。一流だからこそ、人間の限界というものを心得ており、そんな自分が他の命に関わることを畏怖しているのだ。
後に春日大社の宮司になった葉室頼昭さんも、手術前に必ず神に祈りを上げたが、7時間以上に及ぶ彼の手術は完璧であり、世界最高の形成外科医であったという。

NASAなどの専門家が、金星は、地表90気圧、気温摂氏400度と言い、本にそう書かれていると、自分で確かめることも、疑うこともなく、無邪気に信じてしまう。
そんな地獄のような星に何度も探査衛星を送る目的が、「生命の起源の謎を解くため」と専門家が言うと、そんなものだと思ってしまう。
もちろん、これらの専門家が言うことが嘘か本当かは分からないが、権威ある専門家だからといって闇雲に信じる愚はいい加減にやめたいものだ。
1日3食、栄養バランスに配慮してしっかり食べないと健康でいられないというのが大嘘であることは、自分で確かめたらすぐに分かることだ。
特に、世間で権威ある定説はたえず疑いの目を向けるべきである。
大手マスコミの報道と違い、小沢一郎は、実は何にも悪いことはしていないのではと考えてみないといけないのである。







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岡本太郎はいつも爆発していた

今年は、天下の大芸術家、岡本太郎の生誕百年である。
そして、本日2月26日が、太郎100歳のお誕生日だ。
太郎が生まれた1911年(明治44年)2月26日は日曜日だった。
太郎は、「親に生んでもらったんじゃない。自分で決意して生まれてきたんだ」と言う。
同じ年の10月に生まれた医師の日野原重明さんは、いまも元気でご活躍中だ。

岡本太郎は、「芸術は爆発だ」と言った。
視界が果てしなく開け、自分が無限に大きくなったように感じる。もう何も恐れない。
天下無敵、天上天下唯我独尊、自分が宇宙になってしまうのだ。
それを爆発と言うのだろう。

芸術作品を前に、理屈で、上手い、きれいだ、独特だ、技法がどうだ・・・などと下らないことを言いながら見ていたら爆発なんかできない。
解説をしたがる先生や専門家はひっこんでいてもらいたいものだ。
太郎は、パリで初めてセザンヌを見た時、涙がとめどなく溢れて止まらなかったという。
あなたも、そんな風に作品を見たいはずだ。
太郎は、セザンヌや作品が天才なんじゃない、感動する自分が天才なんだと言った。自分はこんなに震えているのに、絵はがたがたって震えないじゃないか。
天才は、我々の内に必ずいるのである。芸術を見る目的は、自分の中の声を聞き、世の中全てが反対しようとも、自分に従うべきだと知ることだ。
太郎を最高に驚愕させた芸術作品は縄文式土器だった。今の人間にこんなものは絶対に創れないと言う。そんな太郎だから、縄文式土器に迫るほどのものが創れたのに違いない。

だが、我々の頭は理屈に凝り固まっているので、なかなか爆発できない。
理屈での損得、つまり、個人的欲望にばかりかまけてきたからだ。それを捨てれば、即、天才が現れるはずだ。
太郎ほど、損得を考えない人はいなかった。
作品が売れないことなんか、全く意に介さなかった。売れなくていい、いや、売れてたまるかと本気で思っていた。
我々もこう思いたい。「得なんかしなくていい。いや、してたまるか!」。そう思っていたら、世間に騙されるということもない。得をしたいというケチなことを考えているから簡単に世間に騙されるのだ。

太郎は、自我(ここでは理屈や計算の心)が右と言ったら、必ず左を選んだ。自我がノーと言えばイエス、自我がイエスと言えば、ノー!ノー!ノー!だ。
戦争中、日本の軍隊では、毎夜、上官による「しごき」という、その実、単なるいじめが行われた。一人ずつ部屋に呼んで殴るのである。弱い立場の者を虐げて喜ぶ卑しい欲望である。
太郎は、30歳位でフランスから帰国すると、18、19歳の若者達と一緒に二等兵(最下級の兵隊)として中国に送られ、そのいじめに遭った。
太郎は、いつも上官の部屋に4番目に行った。殴る方は、4番目に一番調子が出るのだ。敢えてその順番を選ぶのである。まさに、理屈、損得に全く合わないことをやったのだ。

----- 余談 -----
「捨てればいいって訳じゃない。逃げればいいって訳じゃ、もっとない!」
私が好きなアニメ「魔法少女リリカルなのは」の、フェイトの名文句だが、これなど、実に太郎的で良い。
太郎流に言えば、「捨ててたまるか!絶対に逃げてたまるか!」である。フェイトもそう思っていたに違いない。
理屈では、フェイトは、自分にこれっぽっちの愛情も持たず(虐待もされた)、それどころか、あからさまに嫌悪して自分を捨て、そして狂気に染まった母親を捨てて良かったし、逃げて良かった。しかし、彼女はそうしなかった。
「いまさらあなたを娘と思えというの?」
「あなたがそれを望むなら・・・私は世界中の誰からも、どんな出来事からも、あなたを護る。私は・・・あなたの娘だからじゃない。あなたが、私の母さんだから!」
アニメとはいえ、フェイトの姿は誇り高かった。
----- 余談 終り -----

岡本太郎はいつも爆発していた。
爆発を邪魔する理性を吹っ飛ばすことに命を懸けていたように感じる。
理性では、グラスの底に顔は描かない。しかし、太郎は、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と、顔のグラスをデザインした。
普通の人は誤解されることを嫌がる。しかし、太郎は、「誤解されたっていいじゃないか、いや、誤解されないといけない」と言う。
初めてスキーを掃いたら、理性的には、ゆるやかなスロープで練習するものだが、太郎は、いきなり上級者コースに挑み、いやというほど転びまくった(当然だ)。「一番格好の悪い死に方をしてやる」と思ったそうだ。太郎46歳の時である。
鈴鹿でスポーツカーをぶっ飛ばすのも大好きだった。
危険で勇壮な祭りを賛美した。そんな祭りの中で、生命は宇宙に向かってぱーっと広がるという。それは、太郎の言う爆発に他ならない。祭りは爆発なのだ。
そう、危険こそ、理性が最も嫌うものたが、太郎はひたすら危険に挑んだのだった。「本当に生きるとは、死んでもいいということだ」

記念すべき太郎の百回目の誕生日に、良い機会だから心に刻みたい。
好かれようなんて卑しいことだ。好かれてたまるか。嫌われないといけない。













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愚直さが超人を創る

たとえ、作り話だろうが、さらにそれが嘘話であろうが、たまたまそこに真理が含まれていれば、心に感じて深い印象を得ることがある。
偉大な人物も、元はありふれた人間であったのだが、その者に偉大な道を選ばせたきっかけが、誰かの他愛ないデタラメであったということは実は多いに違いない。

これもただの伝説かもしれないが、江戸時代の剣術の達人、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)は、後の徳川家光である竹千代のために、木の棒を1本立てたものを用意し、竹千代に、その棒のてっぺんを1年間毎日、木刀で打つように言った。
竹千代が馬鹿にすると、宗矩は、それをやれば鉄の兜でも切れると言うので、では実際にやってみろということになったが、宗矩は、見事に兜を切ってみせ、竹千代はその修行をすることになった。
また、これは明らかに実際の話ではないが、本宮ひろ志さんの漫画「武蔵」で、やはり武蔵は、1本の杭を、1年中、木刀で打ち続ける修行をし、その直後、強敵と戦った時、なぜか敵の動きが容易に見えてしまい楽勝する。

作り話であっても、共に、いわれの無い話ではないと思える。
愚直にひたすら繰り返す力とは恐ろしいものだ。
およそ、あらゆる秘術修得の極意は愚直な繰り返しであると思う。
人間の理性というものは、素晴らしいものではあるのだけれど、根源的な力を抑え込んでしまう。その力は、あまりに強大なので、普段、それを隠すことは必要なことではあるが、それを制御しつつ使うことが人の喜びなのである。
ギリシャ神話では、それを、酒の神ディオニューソス(力のみだらな解放)と、理性の神アポローン(力の過度な抑制)の対比で表現している。どちらか一方に偏っては、結局、悲惨なことになる。
岡本太郎のような天才なら、「爆発だ」とばかりに、根源的なパワーを解放すれば良いのかもしれないが、凡人が下手にそれをすると、おかしな方向に行ってしまいかねない。ギリシャ神話のアポローンが、時々暴走して、悲劇を起こしてしまうようなものだ。
しかし、先にあげた、柳生宗矩の教えた修行のように、愚直なひたすらの反復で理性を穏やかに屈服させれば、人が内に持つ神秘な力を、誰でも安全に解放することが出来る。
退屈で、馬鹿みたいな、ひたすらな反復だけが、人を超人にするのである。

同じ本を馬鹿みたいに何百回と読んで奇跡の力を得た人もいる。
岡潔(数学者)や中山正和(発明家、能力開発指導者)の「正法眼蔵」や、斎藤一人さんの「論語」、内海康満さんの「ローム太霊講話集」といったところがある。
般若心経や大祓詞をひたすら上げ続けて神秘な力を得た人もいる。

私は、まだ偉大な方々のようなわけにはいかないが、いつもお薦めしている腕振り運動を毎日行うことで、1日1食の菜食者になって完璧に健康な肉体を得たり、腕立て伏せを軽々と200回やれるようになったし、その他、いろいろ妙なことが出来るようになった。
つまらない悩みについて考えるのをやめ、愚直に腕を振ってみてはいかがかと思う。
あるいは、ジョセフ・マーフィーの本を「無欲」に、繰り返し読むことで、大いなる報いを得るに違いないと思う。
当ブログ内の、腕振り運動の記事は以下のリンクからどうぞ。
元気を出したければ腕を振れ
腕振り運動の神秘的な威力







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生きている限り失敗はしていない

「失敗は墓の中にしかない」という言葉がある。
生きている限り、失敗は無い。いや、本当は、死なんてものはないのだから、この世に失敗などというものは無い。

ところが、たかが希望の中学や高校、大学の受験に失敗したからといって、自分を失敗者とみなす馬鹿げたことがあるようである。
そんな下らないことを信じさせて利益を得ている者がいるからである。
実際のところは、その程度のことは、失敗した方がよほど良いのである。

不登校になったり、高校や大学をやめてしまうと、もう自分を人生の敗亡者だと思うように仕向ける社会そのものが犯罪者かもしれない。
もちろん、学校だけのことではないが、そんな些細なことが人生に暗い影を落とすなど、あまりに馬鹿げているので特に取り上げた。
かくいう私も、大学には入ったが、どう考えても続けるのは苦痛でしかなく、早くも人生に絶望していた時期がある。
そんな時に、たまたま書店で、ジョセフ・マーフィーの本に出逢った。
ジョセフ・マーフィーは、伝統的なキリスト教とは異なった聖書の解釈をする宗派の教会の牧師で、人間が誰でも持つ潜在意識の中に無限の力があり、その力を発揮することでいかなることも可能であることを教える教師である。
そして、その力を発揮する方法は、別に難しいことではないばかりか、本来は、誰でもごく当たり前に活用できるはずのものであることを説き、その使い方を懇切丁寧に教えている。
この出逢いにより、私は、全ての不安を無くせた訳ではないが、希望を得て、幼い頃からの慢性的な絶望感や詐欺的な憂鬱を脱することは出来たと思う。

問題があるとすれば、マーフィーの教えがあまりに簡単で、しかも、あまりに都合良く感じるために、マーフィーに騙されているのではと疑うことがあることだ。学校も社会も、目で見えるものだけを真実とする物質主義に凝り固まっており、その中で生きていると、そんな考え方をするようになってしまい、見えないものを信じるのは、何か宗教的で胡散臭いことだと思うといった心の癖を持っている人は極めて多いに違いない。
そして、尊い心の法則を利用して儲けようとする者も沢山いて、心に不安や恐怖を抱える者を騙して金を搾り取ろうと狙っているのである。
本物の心の法則を学び、活用するには、本を1冊買うお金があれば十分で、知的な能力に関しても、とりあえずは、普通の小説が読める読解力があれば何の問題もない。むしろ、金の力で、早く、より多く良い思いをしようとするなら、それが大きな間違いであり、私も、自己開発セミナーや自己開発教材で大金を使って、やっと自分の間違いに気付いたが、皆様は同じ失敗をしないで欲しい。
また、心の法則を、甘ったれた根性の言い訳や逃避の道具に利用する者も多いのである。イメージさえすれば願いが叶うだのといったことは、マーフィーは全く言っていないのである。苦難や失敗がなければ人間は成長せず、苦しい経験の中で間違いを正し、磨かれ成熟した心が成功に必要なことを肯定しているのである。例えば、女優を夢見る若い女性に、子供時代の空想を卒業することを説き、彼女を実際的な道で幸福になるよう導いたという話もあった。別に、女優になる夢が悪いというのではなく、なぜそんな願望を持っているかを正直に見つめ、それが、単に、ちやほやされたいとか優越感に浸りたいという個人的欲望であれば、本物の夢や目標でないということである。
是非、マーフィー自身が書き、余計な解釈や商品の宣伝といったものが付いていない本を、繰り返し読むことをお薦めする。以下にお薦めするようなマーフィー自身の本なら1冊でも十分で、繰り返し読む回数は多ければ多いほど良いのである。













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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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