ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2010年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

弱腰外交が最も強い

最近、特に、中国や北朝鮮などとの関係で、日本政府の対応を「弱腰外交」などと揶揄(やゆ。からかうこと)されることがよくあります。
しかし、日本が強くあれたのは、他ならぬ、この弱腰外交のおかげです。本当にそれにお気付きにならぬか?
日本が高圧外交だったのは、戦争に負けるまでです。現在、最大の高圧外交の国は、ある弱小な専制国家です。内が弱いと高圧的になるのは、人間でも組織でも国でも同じです。そして、それは長続きしません。
「弱腰外交」と言えば聞こえは悪いのですが、本質は、「争わない」外交です。これは、老子の根本思想です。争わないことがいかに強いかは、老子の全81章に詳述されています。老子は、頭、つまり、理屈で読んでも全く分かりません。理屈を超えたことを語っているからです。この世のパワーをはるかに超える宇宙のパワーについて書かれているのですから、たかが知れた人間の知性で理解できないのは当然です。
ガンジーの非暴力主義、あるいは、無抵抗主義なんて、表面的に見れば弱腰外交そのものではないですか?しかし、これこそ、不屈で無敵の力だということが分かるのではないかと思います。

私は、イギリスのテレビドラマ「ダンディ2 華麗な冒険」の中の1話の、ただ1つのセリフを聞いて、それをいつまでも覚えています。それが宇宙の真理だったから、私の内側が応えたのです。
このドラマは、なんと、ロジャー・ムーアと、今年の9月29日に亡くなったトニー・カーチスの共演です。2人とも、世界的な大俳優でした。カーチスは画家としても高く評価されています。
この「ダンディ2 華麗な冒険」で、ムーア演じるブレッドと、カーチス演じるダニーが危機的状況になった時、イギリス貴族であるブレッドが言います。「祖父の教えに、『攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃は無抵抗なり』というのがある。つまり、何もしないのが一番強いのさ」。

外交なんて大袈裟なものでなくても、学校や会社、あるいは、家庭でも、よく回りを観察すれば、決して争わない者が、結局は無敵であることはすぐに分かると思います。
本当の教育とは、争わないことを教えることです。それは、決して無理な我慢をすることでも、卑屈になることでもなく、より大きな力を味方にすることです。
争わないとは、決して、かけっこで順位をつけずに一緒にゴールすることではありません。競技スポーツや武道の戦いの目標は、表面的な勝敗が本質でないと知ることです。それを知らないから、この「一緒にゴール」という的外れなことをしたり、高等な競技でも、いつまでも金メダルにこだわって悲惨を味わいます。
最高の柔道家、木村政彦が、ブラジルの柔術家エリオ・グレイシーと戦い、キムラ・ロックと呼ばれた必殺の関節技でエリオの腕を折って勝った時、木村は「試合に勝って勝負に負けた」と言います。これは深い意味がありますので、簡単に解釈してはなりませんが、こんな喩えでも良いかもしれません。キムラ・ロックはプロレスではダブル・リスト・ロックという技で、プロレス史上最高のレスラー、ルー・テーズが最も大切にした技でした。テーズは、師のジョージ・トラゴスにこの技を教わりましたが、トラゴスは若き日のテーズの前で、若い有望なレスラーの肩をこの技で砕いてみせたことがあります。テーズは、80歳になった時でも、その光景を昨日のことのように思い出すと言いました。テーズはトラゴスに「必要な時はやらないといけない(相手の肩を砕け)」と言われます。しかし、テーズは、「後1センチ締め上げれば、相手の肩を砕いたということは数百度におよぶが、実際にやったことは、幸い一度も無かった」と言います。テーズは、試合と勝負に勝てるレスラーだったということです。テーズは、1976年に、アントニオ猪木がペールワンの腕をダブル・リスト・ロックで折ったことを「猪木が故意にやったのではないと信じたい」と言ったそうです。

アメリカは、本来、先制攻撃をしない強い国家でしたが、日本の真珠湾攻撃などでは、相手が先制攻撃をせざるを得ない状況を作る作為を行い、そして、核爆弾を使うことで、戦争に勝って実質で負けます。アメリカはその後の繁栄の中で、恐るべき病にとりつかれ、国民は疲弊していきます。真のリーダー達が何度か立ち上がって破滅を防いできましたが、限界は通り越しました。日本、韓国も同じ過ちを繰り返そうとしてます。
争わない力を修得すれば、国家も組織も個人も無敵です。国家でいえば、いったい誰が大統領か誰も知らない不思議な連邦共和国スイス(あなた、スイス大統領が誰か知ってる?)がそれにいくらか近いかもしれません。あの国の大統領は、いわば当番制です。「俺は優秀だから大統領になったんじゃない。順番だからなってるんだ」と言って優柔不断で争いません。まあ、誰も、自分の金(スイス銀行口座)の上に原爆は落としません。
弱腰で優柔不断といえば、実は徳川家康が実際はそうで、家臣にいろいろ強く提言されても、なあなあで逃げることが多かったようです。彼は、人質だった苦しい少年時代や、厳しい敗戦で、知恵を磨いたのだと思います。
我々も、争わない知恵を修得すべきです。そうすれば、傷付くことは決して無いでしょう。

下記に、英文学者でタオイスト(老荘思想家)、詩人、画家である加島祥造氏の素晴らしい老子の自由訳と、優れた中国文学研究家の小川環樹氏(湯川秀樹博士の実弟でもあります)の正確な老子の翻訳をご紹介します。







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平和を創造する

私は、これまでの人生でずっと、お正月というものを意識的に無視しようとしてきた。
でないと、やりきれない。
年末には自殺者が増えるというが、分かるような気がする。
周りの雰囲気に押されて、どうしてもその1年を振り返り、お正月を区切りとして未来を考えてしまうのだが、明るい展望を見出せなければ気が滅入り憂鬱にもなる。そんな時期に、お金が無かったり、失業していれば、絶望感はより強くなるのだ。

お正月を喧伝(盛んに言いはやすこと)するのは、辛く苦しい人に「死ね」と言うに等しいということを少し考えて欲しいような気がする。
私は、自分もお正月を意識したくないし、絶望している人をさらに苦しめ、下手をしたら自殺させかねないお正月が無くなれば良いと本当に思っていた。世間の人である私の家族は、まるで嫌がらせのように、毎年、お正月を言葉と行いで私に思い起こさせてくれたので、私はそう強く思うようになった。
そんな私の人生目標なんて、年の暮を心安らかに過ごすことだけだった。希望に満ちている必要もないが、せめて平安のうちに過ごしたいと思っていたものだ。
それでも、太陽暦を使っているからまだ良いが、これが太陰暦(旧暦)が使われていたら、更に自殺者は増えているかもしれない。太陽暦の場合は、お正月の時期では、まだ冬の勢いが上り坂の感じはあるが、太陰暦のお正月である2月18日だと、まだまだ寒いことが多いとはいえ、日照時間も増えていて、春の予感を感じ始めている。すると、明るい希望の無い者には、よりわびしさが増すのである。

区切りの時。例えば、このようなお正月や、お誕生日、卒業。私は完全に無視したが成人式などの気の持ち方は大切と思う。
そして、実は、1日の終りの就寝時の気分が重要なのだ。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、「神様に全てお任せすれば、年の暮は安らかです」と言った弟子に対し、「神様に全てお任せすれば、毎日の暮が安らかなのだ」と教えた。
毎日を心安らかに終えることを覚えれば、1年の終りも、1つの年齢の終りも、学校の終了も全て安らかでいられる。そして、安らかな心は、確実に幸運を呼ぶ。

そのために、こんな話がヒントにならないだろうか?
ある青年が道を歩いていたら、不意にナイフを持った男に切りつけられた。相手は巨大で鋭利なナイフで、自分を刺し殺そうという凄まじい勢いだ。こちらは動揺しているし、敵も若い男でそれなりに力強いので、危ない状況に追い詰められるが、なんとか難を逃れた。
すると、そこへ、偶然に彼の姉が通りかかった。大勢の人々の喧騒の中心にいる弟にただならぬものを感じて姉は駆け寄り、「どうしたの!?何かあったの?」と、取り乱して尋ねる。
しかし彼は、落ち着き払って、静かに言う。「いや・・・平和そのものさ」。
今日も、嫌なことや苦しいことがあったかもしれない。しかし、それは神様が差し出した軽い荷に過ぎない。丁度、ハイキングの時、良い父親が子どもに、無理の無い荷を持たせるようなものだ。神様も父親も、可愛い子どもを甘やかさずに鍛え、子どもがそれに応えた時に褒美をやろうと手ぐすね引いている(準備して機会を待っている)のだ。
アメリカ大統領だったセオドア・ルーズベルトは「荷を軽くしてくれと祈るな。重い荷を背負えるように強くして欲しいと祈れ」と言ったらしい。
しかし、祈るまでもないのだよ!セオドア!常日頃与えられる軽い荷を黙って負えば良いのだ。辛いことや、苦しいことがあるごとに自分に言うのだ。「これは軽い荷だ」と。
ここにあげた青年は、家族を持ってリストラされた時も、癌の告知を受けた時も言うのだ。「平和そのものさ」。




【OVA ガッチャマン】
「いや・・・平和そのものだ」を、痺れるほどクールに決めるガッチャマンを見れました。




【いのちの教え】
残念ながら忘れられてしまってはいるが、釈迦、イエスにも匹敵する、我が国の偉大な神道家、黒住宗忠の教えは、決して、贖罪(罪の償い)や苦行を要求しない。天照大神に全て(まること)お任せする絶対他力の教えだ。明るく、気楽で、普通の庶民を勇気付けるものだと思う。

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忘れられた願いだけが叶う

願いを叶える方法を説く本やセミナーや教材は世の中に溢れているのに、願いを叶える人は、まあ、滅多にいません。
しかし、極めて少数の人は、その大きさや難しさに関係なく願いを叶えています。
願いを叶えている人が必ずやっているのは、「願っても、忘れている」ことです。
よく、「紙に書けば願いが叶う」なんて言います。紙に書くこと自体に意味はないのですが、それで本当に叶う人がいます。どんな人かというと、願いが叶った後で、たまたま願いを書いた紙を見た時、「ああ、すっかり忘れていた!」という人です。つまり、書くことで安心して忘れる人です。逆に、願いを書いた紙を、未練がましく何度も取り出して見る人は、まあ、見込みはありません。
ジョセフ・マーフィーも、願いを書いた紙を使うことは本に書いてはいましたが、「戸棚にしまって鍵をかけた」と書いています。

願った後で忘れるということを教える人には、嘘つきがいません。
逆に、書いた紙を何度も見ろと教える人は、多分、自分も願いを叶えていないのだと思います。
願った後で忘れることを明確に言った人では、作詞家の阿久悠さん、画家で講演家の足立幸子さん、発明家の政木和三さんなどを思い出します。
政木和三さんになると、忘れるどころか、最初から積極的に諦めることを教えます。文筆家の五島勉さんは、それを(最初から諦めることを)強く強調する本を書き、その本を竹村健一さんや舛添要一さんが推薦していました。
ただ、その「積極的に諦める」場合は、奇跡でもなければ叶わないような大きな願いがある場合で、そうでないなら、忘れるのが最上です。
そして、忘れることをしっかり教えたのは、イエス・キリストですが、当時の人達に分かりやすいように、こんな風に言いました。「神様ってのは何でも分かるのだ。お前たちに何が必要かくらい、言わなくてもとっくにご存知だ。そして、それは与えられて当然なので、安心しろ」
世間の本を見ると、「願いを明確にしないと神様は分からないので叶えてくれない」とか書いているものがあります。なんとまあ、神様を馬鹿にした言葉でしょう。神様の能力がその程度なら、そんな神様に頼んだって期待できる訳ないじゃないですか?
ただ、注意すべきは、イエスは、「必要なものは与えられる」と言ったことです。必要もないものまで与えられるとは言っていません。必要もないものを願うから、心が穢れて必要なものも手に入らなくなるのです。これは非常に大切なポイントです。
大きな病気になり、当然持つべき健康を失ったり、あって当然の十分な生活費がないというのは、特別な例外もあるにはありますが、普通の人の場合は、不要なものを強く願ったからではないかと思います。

量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフが、著書に非常に興味深いことを書いています。
彼が鷲の意識と融合し、空を飛んでいると、探さなくても獲物の場所が分かり、楽にそれを捕えます。
イエスは、「スズメは働かないが、父(神)はちゃんと養う」と言っています。神の顕現である自然は、生み出したものの面倒は見ます。そして、人間は、神が生み出したものの中でも、最も上等なもので、神と同じ力を与えられています。だからこそ、その気になれば悪いものでも自分で生み出してしまうことができます。野生動物がなれないような病気にもなれます。その創造力は驚くべきものです。
不要なものを望まなければ必要なものは与えられます。何が必要かは、全知万能の神がご存知です。神は別の言い方をすれば宇宙の英知です。宇宙の英知に従っていれば、我々の心はそれと溶け合います。それは、吸収されて消えるのではなく、我々の心が宇宙の英知に似てくるということです。また、融合しますから、宇宙の果ての果てまで知ることもできます。わずかかもしれませんが、無限の宇宙を想像できる我々の心は驚異ではないですか?犬や猫にそんなことは不可能です。そして、心が宇宙の英知と溶け合う度合いが高まるほど、宇宙の全てが分かるようになります。それはまた、人間が分かるということでもあります。
宇宙の英知に従うとは、命を大切にするということです。命とは、身体だけではありません。心身という言葉通り、身体と心が一体になったものが命です。エミール・クーエは心に影響を与えるだけで、器質性のものも含め、難病も簡単に治しました。
願いを忘れるためには、そして、命を大切にするためには、不要な欲望である個人的な欲望の大半を捨てる必要があります。不要な欲望を捨てるには、必要な欲望が満たされることで満足することです。老子は「腹を膨らませることで満足する」のが良いことと言います。ただ、飽食、美食していては、食欲はとどまるところを知りません。食を慎んでこそ、食の満足を得ることができます。つまり、基本の基本は食を慎むことです。世はグルメブームですし、美味しい食べ物の宣伝が盛んです。それは、必要すら満たせない愚かな人間を量産させています。また、電車の中や駅のベンチなど、どこでもものを食べている人をやたらと見るようになりましたが、彼らは、必要なものすら得られない惨めな者になるか、すでになっているのでしょう。







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休暇は本当の自分をやる時

そろそろ、年末休暇、お正月休みという人も多いと思うし、既に休暇に入ったという人もいるかもしれない。
会社や学校などでの、長期休暇の前、そして、その後の挨拶は、その休暇が、遊ぶためのものであることを当然の前提としていることがほとんどであるが、それに違和感を感じるようでないなら、惨めにも世間に身も心も操られているのである。
世間で言う休暇の遊びとは、娯楽であり、快楽を求めるもので、決して生産的、知的な時間、即ち、「本当に楽しい時」を過ごすことを意味しないだろう。
しかし、「休暇」であるのは、生活のために金を稼ぐ「職業」をしなくて良いということに過ぎない。職業がライフワークであるなどと言う人は、本当は千人に一人もいないはずなのだ。
医者だって、ライフワークとしてやっているという人を、私に関しては一人も見たことがない。
個人的なはずのアンケートにも「職業欄」というものが必ずあることをもっと疑問に思って良い。そんなアンケートというのは、職業により、あなたが払える金額を推定し、可能な限り高額なものを買わせたり、会員にして毎月金を搾り取る作戦のための資料であることは明白であろう。そんなものに真面目に答えてどうするのだ?
また、公的な「調査」でも、間違いなく職業記入欄があり、職業イコールその「人間」と設定し、人々もまた、自分イコール職業と思い込んでいる。それが世間の人の不幸の原因である。
たかが職業が自分であるはずがない。
とはいえ、現在の地球では、生活のためにはいくらかの金が必要であり、職業を持つこともやむを得ないかもしれないが、職業が休暇の時こそ、本当の自分をやらなくてはならないのだ。そのためには、普段から、職業は単なる手段であると認識し、真の自己を意識していなければならない。
職業の休暇はなるべく多く取るべきだし、職業に割く時間は短ければ短いほど良い。現在の日本人の仕事時間は長過ぎる。マイケル・ジャクソンの“The Way You Make Me Feel”では、「9時から5時まで働いて・・・」とあるが、もっと長い人が大半と思う。1951年のロバート・ワイズ監督の「地球の静止する日」では、「宇宙人も10時から4時まで働くのですか?」と尋ねる場面があり、昔の勤め人はもっと勤務時間が短かったようだが、それでもまだ長い。職業は、人間を磨く訓練でもあると考えるとしても、本質的には、ただ食べるための手段であり、もっと短くできるよう知恵を絞るべきだろう。
イタリアでベストセラーになった「誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国」という本があるが、仕事時間は短いほど、かえって生産性が上がり、充実感があって、結果、責任感のある良い仕事をするようになることを示している。もちろん、現在の我々の、仕方なく嫌々やっている仕事振りで1日3時間だけ働くという意味では全くない。
本当の自分をやることは、娯楽や飲み食いの千倍楽しく、充実するものであるし、疲れるどころか、エネルギーが湧いてくるのである。せっかくの職業の休暇を刹那的なことで、金も時間も、そして、本当の自分も捨ててしまうなど、愚かなことである。
職業は手段でしかないと理解すれば、人生が楽しくなり、世界は良いものに変わっていき、面白いことに、人々の仕事の質やモラルも向上するのである。なぜなら、我々にとって、仕事で得られる金より重要なことは、他の人々や、あらゆるものに対する敬意や思いやりであることに気付くようになり、仕事にもそれが現れるからである。現在の、仕事が一番のはずの社会こそ、仕事にやる気はなく、仕事の中に個人的欲望、即ち、エゴがいっぱいになり、当然の結果として、あらゆる苦痛や悲惨に満ちているのである。

年末年始といえども、休みなどはなく、むしろ普段より長時間、忙しく働かないといけない人も少なくはない。彼らも本当は休みたいはずだ。別の期間に彼らが十分に休暇が取れれば良いと思う。
そして、仕事の休暇が取れる人は、本当の自分をやれるよう、普段から準備すれば良いと思う。いきなり、自分で考えて、世間の押し付けることではない好きなことをやれと言われたら困る人が大半のはずだ。そんなことでは、人生をリアカーに載せて、誰かに動かされているようなものである。そんな人生であって良いはずがない。







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幸福の唯一の対価

恵みというものは、誰でも大好きであると思う。
自然の恵みに感謝し、天の恵みをいつも期待する。
本来、自然は途方もなく豊かだし、天は多くの恵みを見返りを求めず、岡本太郎が言うには、恐ろしいまでに与えるものだ。
しかし、なぜか貧しい者がいるし、現代はひどく多くなってきた。
なぜ貧しいのか、どんな者が豊かに恵まれるのか、ヒントになる2つの話がある。

インドの詩聖タゴールが慣れない英語で書いたが、ノーベル賞を受賞する要因となった「ギタンジャリ」という103の詩からなる詩集がある。
その中に、だいたい、こんな内容のものがある。
乞食の女がいた。その女のところに、王の中の王という他ない、素晴らしい人物が訪れる。女は不幸の終りを期待したが、その王は、なんと、女に施しを求めた。
予想外のことに動揺しながら、女は袋の中から、一番小さな米粒を1つ渡した。王はそれを受け取り、去って行った。
しかし、後で女が袋の中を見ると、小さな金の米粒が輝いていた。

もう1つは、グリム童話の中の「星の銀貨」という、とても短い話である。
あるところに、小さな女の子がいた。彼女には両親はなくて、ひどく貧しく、やがて、住むところもなくなり、持ち物は、身に付けているものと、1つのパンだけになった。
しかし、餓えを訴える老人にパンをやり、寒さを嘆く子供に着ているものを与え、夜になる頃には、女の子は何も身に付けていなかった(夜だから、見られないと思ったのだ)。
全てを失った女の子だったが、神様が、新しい素晴らしい服と下着、それに、沢山の銀貨を女の子に与え、彼女は一生豊かだった。

タゴールの詩の女も、後で、全てを王(実体は神)に奉げなかったことを後悔した。
ニサルガダッタ・マハラジは、「無限の代償は有限の全て」と言う。
我々は、無限を手にする器ではないかもしれない。しかし、与えた分、与えられるのも真理である。
貴いものを奉げれば、大きく報われる。ただ、報いを目当てに、即ち、下心を持って(あるいは隠して)奉げても無駄である。
しかし、下心があっても報われる奉げものもある。それは命である。
命をつなぐものは、食べ物である。水野南北は、食べ物を奉げれば、神はそれを受け、恵みを与えるという。
普段、3つ食べるのであれば、1つは神に奉げる。すると、神はすみやかに受け取る。別に神棚に奉げる必要はなく、心で奉げれば良い。
しかし、決して、いつも通り3つ食べて、それとは別の奉げものを差し出しても駄目である。自分の食べるものを奉げることだ。食事の茶碗の御飯を残すことでも良い。
現代の日本人であれば、多くの人に間食癖があるだろうから、それを全部奉げれば良い。病気がいくらか良くなり、悪運も少しは払えるだろう。
そして、朝食か昼食を奉げれば良い。健康になり、運に恵まれ、心の奥の願いが叶う道に導かれるだろう。

潜在意識の法則や引き寄せの法則で、首尾よく成果を上げられない者(ほぼ全員と思う)は、正当な対価を払っていないのだ。
CLAMPさんの漫画で、複数の作品に登場する魔女の口癖が「対価が要るわ」だ。何かを差し出すと、「それでは足りない」と言われることが多い。
大きな願いには、相応の対価が必要だ。人間に差し出せるのは命のみである。そして、自分の意志で差し出せるのは食物だけだ。神からの借り物である肉体を奉げるなんてのは、盗んで与えるのと違わない。
食を慎むことのみが、全てを決めるのである。
一件、望みが叶ったような者でも、病気になったり、死んで食べられなくなる者が多い。それに比べれば、世間的栄誉からの転落はむしろ望ましいのである。







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名前:Kay(ケイ)
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