社会主義社会では、平等の原則の基に社会が管理されており、能力や労働量に関わらず、同じだけのものが分配される。
アメリカの伝説のビジネスマンとなったアーマンド・ハマーは旧ソ連を訪れ、鉛筆工場を見て、その生産性の低さに唖然とする。どれほど怠けても生活が保証されると同時に、いくら懸命に働いても多くを得られない制度が人間の活力に与える影響を思い知ったのだ。
逆に、資本主義社会では、自由競争の原則の基、効率の良さ、無駄の無さが追求され、利益さえ上げれば善であり、利益を上げないことだけが悪となる。しかし、これもいつかは労働者の活力を奪い、社会主義とは異なった形で人の精神を損なうのだ。
社会主義では、鉛筆を1時間で10本作れる人間が、20本を作れるよう向上することは無く、逆に5本しか作らないようになり、資本主義では、20本で飽き足らず、どうやれば100本作れるようになるかが管理者の目標になる。
いずれの場合も、鉛筆を作ることに愛情や達成感を感じなくなり、労働者は、効率が良いか悪いかの違いがあるだけのロボットになる。それならば、怠け者のロボットになる方がマシなのであるが、それではいつか社会そのものが崩壊する。一方、労働者を効率の良いロボットにした管理者は利益の大半を自分のポケットに入れることだけに夢中になり、労働者は仕事に愛情や意欲を感じなくなり、やはり駄目になるのである。
鉛筆を作る例で言えば、その鉛筆により、文豪が人々を啓蒙する小説を書いたり、賢者が深遠な思想を残したり、科学者が隠された宇宙の原理を表したり、あるいは、子供が賢くなるために使われることを感じ、愛情と意欲を持って鉛筆を作ることが最も大切なことだ。
働く者が、自分の仕事の意義を知ってこそ、労働に意欲が起こり幸福になるのであり、利益は重要ではあるが、最も重要なものでは無くなる。

今の社会の問題は、不況ではなく、仕事の意義が見出せないことだ。儲かれば何でも良いなら、人々をどれだけ不幸にしても、食欲や性欲、あるいは、虚栄心を煽ることが最も効率が良い。
最近、電車に乗っていて感じることがある。
駅を出発すると、車掌が「次は○○」と放送するのだが、この「次は・・・」で止まってしまうことがよくある。次がどこの駅か車掌の意識にないのだ。彼にとって、次がどこかなど、もうどうでも良いのである。
そして、JRでは、やたら急発進、急ブレーキが多い。私の乗っている、さしてローカルでない路線でも、発進、停止の度にそうだと思うほど、それが頻発することがある。身体の強い私ですらつんのめるのであるから、老人や脚の悪い人なら怪我をしかねない。いや、本当に度々、「お客様に急病が発生」して電車が遅れるのは、案外そのためかもしれないといぶかってしまうし、そう思われても仕方がないだろう。これは、車掌個人の批判ではなく、全体の有り様の問題である。その全体の中に、乗客である我々も含まれているのだ。
また、JRの駅のホームに誰かが嘔吐した後(乗車位置だった)がいつまでも残り、1年近く経ってやっと自然風化したが、誰も片付けようとしなかった。
社会主義か資本主義かは関係が無いし、不況も関係ない。ただ、人々が仕事に意義を感じていないのである。
その結果、医療事故が頻発し、知性のかけらもない教師が子供に何を教えているのか考えるのも恐ろしい状況だ。

我々が、個人的な欲望を無くし、忘れてしまった宇宙に遍満する至高の英知を思い出すことが出来なければ、社会はますます混乱し、陰鬱さや不親切は広がる一方だろう。それをいまだ感じていない人はいないはずだが、我々は不安や恐怖に支配され、個人的快楽ばかり求めて、ますます悪い状況になっていっている。
世間の信念に従い滅ぶか、至高の英知が最大唯一の保証であることを知るか、我々はもう瀬戸際である。







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