岡本太郎は、1976年に、キリン・シーグラム社のロバート・ブラウン発売2周年記念に「顔のグラス」を制作した。これは、ウイスキーグラスの底に、岡本太郎が顔をデザインしたものだ。
この時、岡本太郎が、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と言ったのがよく知られている。
ところで、そういった「○○でもいいじゃないか」という言い方が実に岡本太郎らしい。
「誤解されたっていいじゃないか」
「片思いでもいいじゃないか」
「嫌われたっていいじゃないか」
「死んだっていいじゃないか」
岡本太郎が言うと、全く嘘偽りが感じられず、そのまま響いてくる。

心は、誤解されたくない、片思いじゃ嫌だ、嫌われたくない、死にたくないと思う。
しかし、「それでいいじゃないか」と言って、さらりと宇宙の英知にまかせきってしまうと、心はその中に溶けていく。
宇宙の英知と溶け合った心は、それに似てくる。人でいながら神になるとはそのようなことだ。
ただし、本気で「いいじゃないか」と決意しなければ駄目で、決意したフリなど通用しない。

岡本太郎は、「産んでもらったんじゃない。生まれてきたんだ」と言う。
いきはよいよい、かえりはこわい。
「行きは良いが、帰りは・・・・。それでも良いか?」「良い!」
我々はそうやって生まれてきた。
子供たちは、そういう輪廻転生の歌を毎日歌ってきた。そして、この世の定めを心に刻んだ。それとまっすぐに向き合った。しかし、今の子供はそれをしない。
帰りは闇である。しかし、それに敢えて挑み、深い闇を解き放つことで自由の扉を開くのである。
「闇でもいいじゃないか」
そんな強さを身に付けることも人生の目的なのかもしれない。

ところで、ここでとりあげたわらべ歌の「とおりゃんせ」は、ゲーム機なんかなかった時代では、我が国では、子供達が集まってよくやっていた。
男の子が腕で門を作り、皆でこの歌を歌いながら、女の子がその下を通る。つまり、男の子と女の子が一緒に遊べるものだ。
歌の終りで、男の子がさっと腕を下ろすと、女の子が1人捕まる。それが、女の子にとっては恐くもあるがスリルでもあり、この遊びの楽しさの一つだろう。
ところが、可愛い女の子はやたらと捕まるものだ。
歌は「とおりゃんせ、とおりゃんせ~」と最後が長く伸びる。好きな子が来るまで伸ばせば良いのである。
だが、しつこく捕まえようとする男の子は好かれない。良い女の子は、公平無私な男の子が好きだ。そして、天神様のはからいでたまたま捕まえられた時に生命がはじけるのである。




【ETERNAL BLAZE】
今回の記事を書いていたら、この歌は「とおりゃんせ」と全く符合するように感じた。
水樹奈々さんの2005年の歌。作詞も彼女自身の手による。水樹さんは、2009年に続き、今年も紅白歌合戦の出場が決まったようである。
最初、たまたまこの歌を聴いた時、彼女がこんな可愛い人だとは思わなかった。




【歓喜】
岡本太郎の、魂から響いてくる貴重な作品と言葉。
人生そのものが芸術であった岡本太郎の激しく破天荒なエピソードも満載である。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加