江川卓さんといえば、ご存じない人も増えてきたかもしれないが、全盛期はおそらく、日本野球界でNo.1のピッチャーだった。
かなり以前、テレビで見たが、江川さんは、息子さんを野球選手にしたいかと聞かれ、「全く思わない」と答えた。
プロゴルフの石川遼選手が以前、弟や妹にプロゴルフ選手にはなって欲しくないと言っていたことがあったが、それは、過酷な世界であるからという理由で、苦労人の俳優などが、よくそのように言っていると思う。
しかし、江川さんの理由は違う。息子にはセンスがないと言うのだ。
センス(sense)とは、辞書によれば、「物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚」という意味だが、これは、訓練して身に付くようなしろものではなく、天性のものであり、それがなければ、いくら努力しようがどうにもならない。逆に、センスがあれば、過酷な世界だとか、そういったことは何の関係もない。それは、どんな職業だろうが違いはないと思う。

私は、コンピュータプログラマ(私は、システムエンジニアとプログラマを区別しない)をやってきたが、時に、「どんな人がプログラマに向いているか?」と聞かれることがある。以前は、「理系発想」「論理性」とか思っていたが、根本は、どんな職業も同じと思うが、「閃きがあるかどうか」だと考えるようになった。閃きとは、早い話が直観である。これも、センスと同じだと思う。
プログラマというのは、さして高い能力が必要な職業ではないと思うが、どうにも使い物にならない人は確かにいる。真面目とか、根性があるとかいうのは、あまり関係がない。そして、実際的には、指導や教育で良いプログラマになるということは無い。ビル・ゲイツは「純粋に知能指数の問題」と言うし、知り合いの国際的なITコンサルタントも、確信を込めて、「所詮、知能指数ですよ」と言っていたが、知能指数が高くても、閃きがなければ駄目だと思う。
つまり、どんな仕事をしていても、何か問題が発生した時に、考えることなく、直感的な衝動を感じ、それをやってみたら解決につながるといった感じでないと、成功はもちろん、一人前にすらならない。いや、おそらくは、大事なのは一人前になるかどうかであり、成功するかどうかは、運とか、職業能力とはまた別のビジネスセンスの問題であるはずだ。天才プログラマだって成功するとは限らない。
芸術家の場合は、このセンスの有る無しというのが際立つ世界であると思うが、どんな世界でもセンスが必要というのは絶対に同じと思う。異なるのは、芸術家は本物でないと職業として成り立つ可能性はないが、多くの職業では一生半人前でも食べていけるという違いであろう。いわゆるサラリーマンと言われるものである。芸術家は、センスがないと絶対に食べていけないし、食べていくには、加えて最低限のビジネスセンスがあるか、運良くパトロン(後ろ盾)を得なければならない。世俗的な面では、「俺は物好きでやってるんだ」というくらいの気楽さでないとやっていけない世界であろう。
伝統芸能の世界では、外部の者を受け入れず、世襲でのみ継承を行うものもあるが、幼い頃や、あるいは、母親の胎内にいる時から、その世界に馴染ませてセンスを育てるのだろうが、それでも、その世界でのセンスが無かったり、他の世界でのセンスを持っている者も、実際にはいるのだろう。見る人から見れば、「この○代目はセンスがない」と感じていることもあるはずだ。しかし、血筋という、遺伝的な才能は確率の高いもので、外部の者を採用するよりはずっと確実かもしれない。
世間にある英才教育は、子供が本来持っているセンスを潰すものが多いように思えてならない。なぜなら、それは、子供の才能を発見するものではなく、親のエゴで有りもしない才能やセンスの幻想に執着するものだからだ。
天皇というのは、最大のセンスが必要で、しかも、それが無ければ、国民は違和感を感じてしまう恐ろしいものかもしれない。武力で天下を取った者は権力者のセンスはあっても、権威者としてのセンスがあるかどうかは全く別のことである。日本では、ずっと、権力者が皇室を重んじてきたし、そうでない権力者は早々に滅んだ。ただし、皇室の権威に対し、時の権力が幻想でその姿を歪めたのも確かと思う。それは、恐るべき幻想となる。貴いものであっても、危ういものであるのかもしれない。







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