昔のSF小説では、太陽系の他の惑星にも生物が存在し、しかも、地球人類以上に進化した知的生命体が、我々をはるかに凌駕する文明を持っているというものがよくあった。少なくとも、金星と火星がそうであることが大いに期待され、それらの小説を読む人々は夢を膨らませた。
しかしその後、旧ソ連とアメリカの度重なる金星や火星への探査機による調査の結果、金星は超高温、超高圧で、高空は濃硫酸の雲と強風(地表ではそうではない)という過酷な環境であることが分かった。金星に比べると火星は相当に穏やかな環境ではあるが、地球の生物が生存できるような環境ではなく、微生物も含め、有機生命体が棲息した証拠もいまのところ無いとされている。

これらは、我々にとって外部の情報でしかないことから、それらは何らかの意図で偽装されたものであるといった情報の捏造説や、政府による巨大な陰謀説などいろいろあり面白いが、おかしな意図のあるものでなくても、権威ある定説が覆された事例は実際に数え切れず、そういった疑いの姿勢もまた必要ではあろう。

物理学で、人間原理という、宇宙がこのような姿であるのは、人間の生存のためであるという1つの仮説があり、それは、我々の通常の思想にとっては違和感があるが、それなりの根拠はあるようだ。
簡単に言えば、世界は、人間のために奇跡的なまでに都合の良いものになっており、世界があるから人間がいるのではなく、人間がいるから世界があると考えるようなものである。
谷川流さんの人気小説「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズでは、涼宮ハルヒという少女がそう願ったという理由だけで、宇宙人や未来人、超能力者が存在するのかもしれないという、人間原理をやや恣意的に(気ままに)発展させたものがある。
それで言えば、かつて、我々人類が火星や金星を、知的生命体の存在する惑星と考えていた時には、そこには本当にそうったものが存在していたなどという楽しい考え方が出来る。
そう言われると、論理的ではなく、妙にしっくりとした感じを受ける人がいるのではないかと思うし、そんな体験を持っているような人も案外に多いと思う。前にも書いたが、私は人生で初めて「アリシア」という名前を聞き、その名前が気になってずっと心の中で「アリシア」と呟いていたら、翌日、普段は付けない時間になにげなくテレビを付けたら、いきなり「アリシア」という言葉が聞こえたといったようなものである。実は、私には普通のことだ。

アメリカ最大の哲人と言われる、ラルフ・ウォルドー・エマーソンが、人類史上最大の偉人5人の一人に選び、ゲーテ、カント、ヘレン・ケラーその他、数多くの偉人に多大な影響を与えた科学者、政治家、思想家、哲学者であったエマニュエル・スウェーデンボルグは、様々な惑星の見聞録を1758年に著している。その中には、火星、金星、さらに、土星その他の惑星の様子やその住人について描かれている。もっとも、彼の場合、物質的というよりは霊的な世界のこととも思われる。
一方、ジョージ・アダムスキーは、太陽系の惑星は12個とし、その全てに知的生命体が存在し、特に、金星と土星には実際に訪問したとして見聞録を出している。アダムスキー以後、数多くの宇宙人との遭遇や、彼らの宇宙船に搭乗したという話が出たが、個人的には、それらはアダムスキーのものの模倣と思える。コンピュータの専門家である私にとって、アダムスキーが宇宙人の宇宙船の中で見たとされるコンピュータは、現代の我々のものより精妙なグラフィカル・ユーザーインターフェースを有しているように感じられるが(1961年頃の話である)、他の人のものでは妙に安っぽくハリボテな感じがするのである。

人間が、そうあると思えば、そのようであるという話は聞いたことがあるかもしれない。人の心が世界を創るのである。
我々が再び、火星や金星に知的生命が存在すると思えば、金星や火星も温暖で快適な星になるかもしれない。涼宮ハルヒ風に言うなら、「その方が面白いじゃない!」である。







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