世の中には、確かに、生まれつき優秀なヤツっていると思う。

漫画・アニメの「フルーツバスケット」で、夾(きょう。高1男子)が、由希(ゆき。高1男子)のことを、「人が努力している上を楽々と飛び越えていくイヤミなヤツ」と言ったが、そんなヤツのことだ。
「いや、優秀に見える者は努力してるのだ」と言う人もいるだろうが、我々凡人は、努力のための集中に非常な困難を感じるのだ。
コリン・ウィルソンは、「天才とは内なる衝動に過ぎない」と言うが、まさにそれが天才であり、凡人に無いものだ。

生まれつき優秀な者は、元々少食な人が多いと思う。例えば、小室哲哉さんのような人だ。彼は、本当に食べたくないらしい。そして、彼は音楽のために無限に集中が出来るかのようだ。
ビル・ゲイツは、会社に寝泊りしていた若い頃でさえ、事務員の女性が買って持ってでもいかない限り、いつまでも食事をしなかった。
マイケル・ジャクソンやマドンナの驚くべき少食振りもよく知られている。
イエスは40日間断食し、釈迦はもっと凄かったかもしれない。
一方、食欲を抑えられないのが我々凡人である。
水野南北が断言したように、人の力は食で決まるというのがこの世の秘密だとすれば、凡人は少食の天才にどうやっても適わないのである。

食の細い女性はやはり天使に近い。
現代は、商業主義の策略で女性の欲望が過度に肯定される傾向が強いが、それでも、女性は少食のふりをしたがるものだ。しかし、それは普通の女性には無理があり、時に笑い話になることもある。
画家の足立育子さんの本に書かれていたが、現代は漫画家に直観に優れた宇宙的感性を持つ人が多いらしい。それは、1つには、世間に毒された度合いの少ない若い人に同調する能力のせいもあると思うが、同じ意味でアニメの制作者やアニメソングの作者も同様と思う。
食の細い女性の霊妙さについて、漫画などでもっとよく描かれても良いように思うが、それは色々制約もあるのだろう。しかし、時として作品中に控え目に現れることがある。
漫画の「美少女戦士セーラームーン」で、主人公だが平凡な少女である月野うさぎは、「寝ることと食べることが趣味」であるが、火野レイという、巫女でもある神秘的な美少女がいる。うさぎは、レイが食事をするのを見て、「レイちゃん・・・なんて不味(まず)そうに食べるの!?」という場面が印象深い。レイは、時によっては全く食事をしなくなることもある。
アニメの「魔法少女リリカルなのは」で、戦いを前にフェイト(金髪の美しい魔法少女。9歳)が食事に手を付けていないのをアルフが心配すると、フェイトは「大丈夫、少しは食べたから」と言いながら、アルフが食べ物を隠し持っているのに気付くと、彼女(アルフ)には「それ食べてからでいいよ」と言うのも面白い。
制作者も無意識に描いているのかもしれず、非常にさりげなく表現されるが、それがかえって自然な雰囲気になっている。

だが、ビル・ゲイツのような万能タイプは少なく、天才は欠点も多い。
だから、英雄には凡人が多く、天才はそのサポート役に回るのがほとんどお決まりだ。凡人は、自分の足りない面を強烈に認識すれば、素直に他人の力を借りることが出来るからだ。
しかも、天才の大半はいずれ食の慎みを忘れ、自我の増長という致命的欠陥にとり付かれる危険も高い。
昔から、「10歳で神童、15で天才、二十歳過ぎればただの人」とよく言うではないか。
あるいは、「10歳で天使、15で聖女、40で魔女」とも言う。
かつての天才も、腹が出てきたら果てなく没落し、みじめな晩年となる。大富豪の大半や、ゲーテやH.G.ウェルズのような歴史的な天才作家でさえそうだった。
そして、食の慎みの魔法を得た凡人が逆転する可能性もあるのだが、これはほとんど不可能かもしれない。もし出来るとすれば、よほど天使に憧れた場合である。







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