テレパシーというものは、ごく当たり前の能力であるに違いありません。
それは、直観とか、フィーリングと呼ばれるものと変わりませんし、本当は、あらゆる想念もテレパシーと異なるものではありません。
それを簡単に説明したいと思います。

我々は、自分で想念を起こしているように思っていますが、そうではないと思います(それは、神経科学でも分かっていることだと思います)。
我々の脳は、常に訪れる膨大な数の想念を知覚する受信装置です。しかしそれは、非常に複雑で精妙な受信装置です。
ただ、脳は、やってくる全ての想念を知覚するのではありません。好みとか、信念に合ったものしか知覚できません。
普通の人では、訪れる想念のほんのわずかなものしか知覚できないに違いありません。好みや信念の幅が非常に限られているからです。
普通の人の好み、信念は、世間の考え方や教義によって作られたものです。だから、同じ世間に属する人々は同じ想念を知覚し、結果、同じような考え方をすることになります。

普通の人より広い幅の想念を知覚できる人が、いわゆる、テレパシー能力を有する人ということになります。
実際は、未来予知や千里眼といった、ESP(超感覚的知覚)といった能力全てを含むのですが、それらも、単に幅広い想念感知能力に過ぎませんので、ここではテレパシーに含めます。
ところが、認知心理学者であれば、テレパシーが錯覚であることを示す知識や論理を持っています。
しかし、それなら、あらゆる想念が錯覚であり、幻想です。
訪れる想念を、脳が知覚し、視覚、聴覚、嗅覚、味覚に翻訳したものを認識するだけであり、脳がどう知覚して翻訳するかは保証の限りではありません。だから、あらゆる認識は錯覚、幻想と言うしかなく、嘘か本当か、夢か現実かなど、判断のしようがありません。

視覚や聴覚を持たないヘレン・ケラーは、そのことを洞察し、感覚は全て幻想、観念のみが真理と理解していました。
ただ、彼女の言う観念(アイディア)は、通常の「考え」という意味ではなく、プラトーンの「イデア」やカントの「イデー」の意味で、もっと深いものと思いますが、ここでは触れないでおきます。
ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが、夢と現実に違いはないと言ったり、江戸川乱歩が、夢こそ本当で、現実が夢なんだと言い続けたのは、やはり真理を感じていたのだと思います。
もちろん荘子も、何が夢で何が現実かなど、我々に分かるはずがないと言っています。

我々は、知覚できる想念の幅を広げ、それを純粋に感じるようにならなければなりません。
そのためには、我々の知覚を狭くし、歪んだ翻訳をさせる世間の信念や教義を壊さなければなりません。
このブログは、そのための情報やアイデアを手を変え品を変えて提供する、例えてみれば、「新世紀エヴァンゲリオン」の洞木ヒカリ(ほらき ひかり)や、「灼眼のシャナ」の吉田一美の手作り弁当のようなものです(分かり難いなあ)。




【荘子】
荘子の教えは、まさに、世間の幻想を破り、知覚できる想念の幅を広げるためのものです。




【波動の法則】
こちらは、旧版ですが、内容的には新版と変わりません。私もこちらを持っています。古書が豊富なので、こちらをご紹介します。

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