詩、音楽、絵画などの優れた作品を生み出すインスピレーションが起こることを、「神が降りてきた」と言うことがあると思います。
しかし、人間の発想、アイディア、想像力で、神が降りてきたものでないものは1つとしてありません。
ただ、人の自我のフィルターがどれだけかかるか、どれだけ歪めるかだけのことです。
人の自我が面白い歪ませ方をすることで、歪んだ芸術が生み出されることもあります。まあ、そんなものは、一時的な支持しか得られないと思いますけどね。

自我というものは、自分が作った個性だと思っている人もいますが、実際は世間に押し付けられたものです。世間とは、親や家族や学校や、あるいは、テレビを中心にしたマスコミなどです。
世間に押し付けられた個性を排除していけば、神から降りてくるものをよりピュア(純粋)に表現できます。
精神操作で、一時的にでも自我を滅することができれば、神がかり的な能力を発揮できますが、そういうことができる人を大芸術家とか達人と言います。

ところで、最初に戻りますが、「神が降りてきた」という表現は、本当は正しくありません。
神は、どこか外にあるのではなく、内側にいるからです。神が降りてきた体験を持つ者は、実際には、内側から浮かんできたとか、溢れてきた、現出したと感じたはずです。身体の部分で言えば、単に神経的に敏感という理由で、胸のあたりで感じるかもしれません。あるいは、下腹部とか背中という場合もありますが、やはり、個人の有機体としての特性の問題です。

芸術に限らず、神と一体化したければ、世間の幻想を壊し、自我を静めることです。それを聖書では「心を静め、自分が神であることを知れ」と言ったのです。

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