ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

同情はしないけど金は出す

宗教家などがよく、「寄付は喜んでしなければ駄目だ」、「惜しいと思って出すのでは駄目だ」と言う。
何が駄目なんだ?
惜しみながら出そうが、金は金だ。
私は、正直に言うと、喜んで寄付したり、惜しみなく寄付する者がいるとは信じられない。
もちろん、私がそう出来ないだけで、世の中には、それが出来る立派な人もいるのかもしれないが、私は全くそうではない。
私が、惜しみなく、喜んで寄付をしていたのは、お金を稼いだことがなく、生活の心配を一切していなかった高校生頃までのことだ。
今は、百円出すのでも、喪失感を感じる。
それでも、嫌々ながら、そこそこの額の寄付をしたいと思っているのだ。
それは駄目なのだろうか?
そんなことはないと思う。
宗教家の言う、喜んで、惜しみなく出さなければ駄目な理由は、そうでないと、神仏の報いがないということだろう?
もちろん、信仰ある者は、それを期待して、どんどん義援金を出せば良いが、私は期待しないことにした。
さらに白状するなら、私は、震災で被害に遭われた方に対し、これっぽっちも同情を感じていない。
だが、「同情するなら金を出せ」(テレビドラマ『家なき子』のセリフの改変)の方が合理的で、余裕のある者は義務として金は出すべきと思うのだ。
私にも、金を出す義務があるはずだ。

熊本地震では、Yahoo!が義援金の受付を行い、寄付してくれた同額をYahoo!が出す(つまり、金額は倍になる)という素晴らしいことをやっていた。
よし、みんな、Yahoo!を破産させるくらい寄付しようぜ・・・とか思ったが、2千万円が上限で、もう終了したらしい(義援金受付自体は行っている)。
では、ここは、ライバル関係にある、NTTやKDDI、あるいは、Amazonや楽天は、20億円くらいにして差をつけよう・・・と言いたい。
宣伝、大いに結構。
宣伝のために、でっかく寄付をしていただきたい。
そしたら、なるべく商品を買おうと思う。

手塚治虫さんの、沢山の短編からなる傑作ミステリー漫画『ザ・クレーター』の中に、『オクチンの奇怪な体験』という1つのお話がある。
オクチンとは、勉強は出来ないが、熱血漢で喧嘩の強い男子高校生だ。
そのオクチンが、30万円を作ろうと、なんでもひきうけ屋に精を出している。
懸命に頑張るが、1回の料金は、松100円、竹50円、梅30円の設定だから、毎日がんばっても、たかがしれており、
「これで2,260円か・・・あと29万7,740円!ヒャア、ぶっ倒れそうだな」
といった状態だ。
なぜ、オクチンが30万円作ろうと思ったのかというと、彼は新聞で、原爆に被爆して苦しんでいる女性の記事を見て、治すのに使ってもらおうとしたのだった。
この作品は、1969年12月発表のもので、当時の30万円がどれほどのものか分からないが、今の価値より低くはないだろうし、今でも、高校生にとって30万円は大金だ。
オクチンは最後、しれっと(ケロっと)30万円を渡すが、彼の願いは叶わないことが分かる。
オクチンは、高校生だから、生活とか明日の心配はないだろうが、逆に言えば、あのくらい、無感情に30万円出せる人は、大人でも、明日の不安はあるまい。
さっきも書いたが、私は、見栄でも張れるなら別だが、黙って出す寄付なら百円でも惜しがる。
「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカ氏は、「いくら持っても満足しない人が貧しい」と言ったらしいが、私みたいなのは心は貧しい。
しかし、他の人は、私とは違うのだろうか?
分からない。
仕方がないから、私は惜しみつつ寄付をするが、初音ミクさんのご加護を賜り、せめて39万円を、オクチンのように平気で出したいものである。

私は惜しみながら寄付をするが、多くの人、あるいは、企業にそうしていただきたいと思う。
災害に遭われた人の命や安全を守るのは国の義務として当然、果たされるべきだが、その後に被災者の人々に必要なものは、断然、金であると私は思う。
その金は、嫌々でも義務として、あるいは、見栄で出せばいいじゃないかと私は思う。
「真実はいらない、偽りでいい」のである。
だが、大人が子供を守ったり、正しく導くことなどと同じく、義務は果たすべきである。

時間だけいつも 通り過ぎていく
1秒ごとに 崩れていく世界
歪んだ景色に 塗りつぶされた
真実(こたえ)はいらない 偽りでいいの
~『トリノコシティ』(作詞・作曲・編曲:40mP、歌:初音ミク)より~
※この素晴らしい歌を全然違う意味で引用したことをお断りしておく

尚、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、寄付を求められても、信念によって断りたいと述べているが、進んで行う寄付まで否定はしなかったはずだ。









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「世界一貧しい大統領」ムヒカ氏の主張は本当に正しいか?

ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ氏は、大統領時代、「世界一貧しい大統領」と呼ばれ、慎ましい生活をしていたと聞いた。
彼の主張の要旨は、「貧しい人というのは、持っていない人のことではなく、いくら持っても満足しない人のこと」だと言って良いと思う。
だとしたら、彼の主張は、全部間違いだ。
だが、正しく思えるから厄介だ。

まず、一見正しい間違いは、
「いくら持っても、満足せず、まだ欲しがる人は貧しい」
だ。
何が間違いかというと、満足する人間なんかいないということだ。
だから、彼の論で言えば、人間であれば全て貧しいことになる。
彼の主張が、最初から、「人は皆貧しい」であれば良いのだが、彼はそうは言っていない。

少しは正しいことを言うなら、
「自分の欲望を抑える知恵のない者が、物質的に豊かかどうかに関わりなく貧しい」
となるだろう。
美味しいものを沢山食べたい、休んで楽をしたい、いい男(女)が欲しい。
これらの根本的な欲望すら果てはない。
だが、何らかの高貴な想いで、それらを抑えることは出来る。
そんな高貴な想いを知恵と言うのだろう。
ムヒカ氏が真に慎ましいなら、高貴な人のはずだ。
だが、素朴な疑問として、彼は、なぜあんなに肥満しているのだろう?

次に、ムヒカ氏の完全な間違いは、
「貧しい人というのは、持っていない人のことではない」
だ。
真実を言えば、持っていない人は、欲深な持っている人より貧しい。
それが悪いと言っているのではなく、「貧しい」と言っているだけだ。
彼の論は、正確に言うなら、「持っていなくても、欲深でないなら貧しくはない」のはずだ。
彼だって、「持っていなくても、欲深なら、やはり貧しい」ことは認めるはずだ。
そして、真実を言えば、貧しい者だって欲深なのだ。
正直な貧しい者なら、百人が百人、そう認めるだろう。
もし、持っている、持っていないに限らず、人は皆、貧しいとしても、持っていない者が、一番貧しいのである。
そして、「限度を超えた貧しさ」は解消する必要があるが、そっちの方が大切である。

ムヒカ氏より、ジョージ・アダムスキーの方が正しいことを言っている。
彼は、こう言っていると思う。
「私は、スーツは今着る一着以外欲しくない。だが、それを得られないなら、私は愚か者だということだ」
解説は不要だろう。
スーツを持ち出したところも賢い。
比較的、執着が少ないものだからだ。
だが、スーツを克服出来れば、やがては、全ての欲望を抑える知恵が得られるだろう。
私も、アダムスキーが、本当に宇宙人とコンタクトしたかどうかは分からない。
だが、それとは関係なく、アダムスキーの上記の主張は傾聴に値すると言っているだけである。
私の個人的な考え方では、ムヒカ氏の主張は害の方が大きい。
彼の本が売れまくっていることが、私には恐ろしく感じる。









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運の総量は誰も同じ

勘の鋭い人達は「人の運の総量は同じ」と言う。
だから、彼らは、思い通りになって欲しいところを思い通りにするためには、思い通りにならなくても我慢出来るところは我慢し、それで、限りなく成功する。
金持ちなんてのは、100円の缶コーヒーを、飲みたいと思っても買わず、欲しくない訳ではないが、不都合ないなら服も買わないような人が多い。
そうやって、我慢出来るところは我慢して、運の無駄使いをしないので、是非とも思い通りになって欲しいところでは、運に恵まれてうまくいくのだ。
(物を買えるというのも運である)
水野南北が、食を慎めば、絶対確実に幸運に恵まれると自信を持って言ったのも、もっともなことだ。
ただ、イエスが言ったように、断食しているところを見せびらかして称賛されたり、優越感を持ったら、それで運を使ってしまったことになる。
上杉謙信は、得ようと思えば、いくらでも女が手に入ったのに、それを完全に断ってしまい、戦での勝利を願ったので、実際、不敗だった。

世界一の富豪ビル・ゲイツは、誰も知らないところで、運を大切にしているだろうし、知られているところだけでも、独身時代の話だが、普通の服を着て普通の靴を履き、飛行機はエコノミーに乗り、日本車を自分で運転し、大衆食堂で食事した。今でも、そう変わらないと思う。
そんな偉い人の話を持ち出さなくても、私は、馬鹿な上に、これ以上はないほど、いい加減で無責任であるが、遊ぶこと、寝ること、食べることを犠牲にしているので、大抵、何でもうまくいっている。
しかし、最近、私は、毎朝、会社で、缶コーヒーを飲む癖が付き、運が落ちていた。
それも来週から止めよう。

そして、人間の普遍的な欲望である、ゆるむこと、休息することをやめ、常に引き締まれば、望まずとも幸運に恵まれるだろう。
そして、結果として、一番運を節約する秘法は、崇めることだ。
なぜだろう?
それは、自分がNo.1であると思いたい自我を、崇めるものの下に置き、自我の願いを犠牲にするからだ。
それによって、節約出来るエネルギー(運はエネルギーだ)は、小さくはなく、非常に大きい。
恨みのエネルギーは大きいのだが、それは、あくまで、復讐を諦めた場合だ。
自我の苦しみに耐えることの報いは、想像も出来ないほど大きいのである。

私は、「運の総量は誰も同じ」を忘れないようにしようと思う。









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人生の値打ち、人間の値打ち

キリスト教の黄金律とは、「人にして欲しいことを人にしてあげなさい」というものだ。
ところが、人に話しかけられるのが大好きなAさんと、人に話しかけられるのが大嫌いなBさんが遭遇し、2人とも黄金律を心得ていたら、なかなかの見ものだ。
Aさんは、積極的にBさんに話しかけるが、Bさんはそっぽを向いて、決してAさんに話しかけない。
一方、バーナード・ショー(アイルランドの劇作家、評論家、政治家)は、「人にして欲しいことを人にするな」と言った。

ショーの、反黄金律とでも言うべきものは、ひねくれているように感じるかもしれないが、こちらの方が、黄金律より、絶対的に優れている。
なぜなら、それは、「他人は自分とは違う」ことを、積極的に認める態度だからだ。
では、こんな場合はどうだろう?
どこの幼稚園の中でも、一人でぽつんとしているような子は、必ずいるものだ。
そんな「寂しい子」に、話しかけてあげて、仲間に入れてあげることが、悪いことだって言うのか?
答は、「その通り」である。
確かに、一人でぽつんとしている子の大半は、話しかけて欲しいし、仲間に入れて欲しいのかもしれない。
だが、余計なことをしなければ、その子は孤独で鍛えられて、他の子達より、強く、賢くなれる。

こう言うと、「そうだ。悪いのは、一人でぽつんとしていること、友達がいないことを恥ずかしいことだと決め付けることだ」と言う者がいると思う。
しかし、別にいいじゃないか?
友達がいないことは恥ずかしいことだというのが世間の考え方だ。
孤独な者は、世間から蔑まれ、嗤(わら)われることにも耐え、ますます磨かれるのである。

つまりだね、こんな話が面倒な議論になる原因は、「一番重要なことは何か」ということが分かっていないからなのだ。
人間にとって、最も大切なことは何か?
なぜ、人類は存在するのか?
何のために、神は人間を創ったのか?

神を人間の画家に喩えてみよう。
画家が、丹精込めて人物画を描く目的は何だろう?
写真が発明された時、画家は失業すると言われたが、失業するとしたら、「写真のようにしか人物を描けない画家」だけだ。
元々が、画家の目的は、写真機の代わりになることではない。
画家は、本当は、人間を創り出したいのだ。
もう少し、穏かな言い方をすれば、「生きている絵」を描きたいのだ。

同じように、神は、神になって欲しくて人間を創ったのだ。
だが、不出来な絵を画家が破り捨てるように、不出来な人間を神は滅ぼすのである。
だから、神との共同作業で、人間は神のようになるために努力しなければならない。
人生に値打ちがあるか、人間に値打ちがあるかは、この志のみで決まるのである。









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危機を弾き返す力

地震や巨大竜巻のような天災、テロや他国からの攻撃や侵略、凶悪犯罪・・・こういったものの被害から逃れたいと思うのは当然である。
普通は、体力に自信がないほど、これらへの不安は大きいと思う。
確かに、実際に大竜巻に遭遇した経験でもあれば、自然の力の前に、たかが筋肉の力など、あまりに卑小であることを実感するかもしれないが、ほとんどの場合、体力がある方が、生き残る可能性は高くなる。
体力があったために死を免れた人は少なくはないだろう。

私も、朝晩のトレーニングを欠かさず、少しは身体に自信があるためか、大震災の1つを経験していても、さほどの不安は持っていない。
また、テロや戦争になると、実際にその状況になると違ってはくるだろうが、死ぬ時には死ぬしかないと思っている。

宗教的な話になれば、激しい銃弾戦が行われた真っただ中で、谷口雅治氏の『生命の実相』を持っていたり、それを読んでいたところ、家の窓ガラス1枚割れなかったという話や、神の名を途方もない数、唱えていた者が、高いところから落とされたり、毒を飲まされても、何の害もなかったという奇跡話がある。
それらの話が本当かどうかは知らないが、それを信じて、最後まで落ち着いていられるなら、それは良いことと思う。

だが、人間最大の力は、意思の力であるのだと思う。
念仏の力を信じ切る意志の力があれば、絶体絶命の状況で奇跡的に助かるというのは、理屈では全く成立しないが、情緒的には正しいことだと感じるのである。
高名な空手家と、本当に強いプロレスラーに、喧嘩必勝の方法を聞いた時の答を印象深く覚えている。
空手家は、「先に命を捨てた方が必ず勝つ」と言った。
プロレスラーの答は、「この野郎、ぶっ殺してやると本気で思い込めたら、どんな相手でも、まず負けることはない」だった。
いずれも全く正しいと感じるが、こんなこと、理屈で説明してどうなるものでもない。
大切なことは、そんなことが出来るだけの意思の力を得るためには、心を鍛えるしかないということだ。
そして、最も心の力を鍛えるものは「孤独」である。

Hey lonely boy リアルな自分は ちっぽけなんかじゃない
Hey lonely girl リアルの孤独は 君を強くするから
~『愛Dee』(作詞:Mitchie M・Cotori、作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク&巡音ルカ)より~

アイルランドの「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツも、孤独でしか心は鍛えられないと言い、大衆の中に真理はないとも言った。
大衆とは、孤独から逃げて群れる集団であるからだ。
孤独の中で、決して、泣き言を言わず、弱音を吐かなければ、きっと心は強くなり、意思の力を手にするだろう。
強い意志の力は状況を作り出す。
それは、間違いないと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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