宗教家などがよく、「寄付は喜んでしなければ駄目だ」、「惜しいと思って出すのでは駄目だ」と言う。
何が駄目なんだ?
惜しみながら出そうが、金は金だ。
私は、正直に言うと、喜んで寄付したり、惜しみなく寄付する者がいるとは信じられない。
もちろん、私がそう出来ないだけで、世の中には、それが出来る立派な人もいるのかもしれないが、私は全くそうではない。
私が、惜しみなく、喜んで寄付をしていたのは、お金を稼いだことがなく、生活の心配を一切していなかった高校生頃までのことだ。
今は、百円出すのでも、喪失感を感じる。
それでも、嫌々ながら、そこそこの額の寄付をしたいと思っているのだ。
それは駄目なのだろうか?
そんなことはないと思う。
宗教家の言う、喜んで、惜しみなく出さなければ駄目な理由は、そうでないと、神仏の報いがないということだろう?
もちろん、信仰ある者は、それを期待して、どんどん義援金を出せば良いが、私は期待しないことにした。
さらに白状するなら、私は、震災で被害に遭われた方に対し、これっぽっちも同情を感じていない。
だが、「同情するなら金を出せ」(テレビドラマ『家なき子』のセリフの改変)の方が合理的で、余裕のある者は義務として金は出すべきと思うのだ。
私にも、金を出す義務があるはずだ。
熊本地震では、Yahoo!が義援金の受付を行い、寄付してくれた同額をYahoo!が出す(つまり、金額は倍になる)という素晴らしいことをやっていた。
よし、みんな、Yahoo!を破産させるくらい寄付しようぜ・・・とか思ったが、2千万円が上限で、もう終了したらしい(義援金受付自体は行っている)。
では、ここは、ライバル関係にある、NTTやKDDI、あるいは、Amazonや楽天は、20億円くらいにして差をつけよう・・・と言いたい。
宣伝、大いに結構。
宣伝のために、でっかく寄付をしていただきたい。
そしたら、なるべく商品を買おうと思う。
手塚治虫さんの、沢山の短編からなる傑作ミステリー漫画『ザ・クレーター』の中に、『オクチンの奇怪な体験』という1つのお話がある。
オクチンとは、勉強は出来ないが、熱血漢で喧嘩の強い男子高校生だ。
そのオクチンが、30万円を作ろうと、なんでもひきうけ屋に精を出している。
懸命に頑張るが、1回の料金は、松100円、竹50円、梅30円の設定だから、毎日がんばっても、たかがしれており、
「これで2,260円か・・・あと29万7,740円!ヒャア、ぶっ倒れそうだな」
といった状態だ。
なぜ、オクチンが30万円作ろうと思ったのかというと、彼は新聞で、原爆に被爆して苦しんでいる女性の記事を見て、治すのに使ってもらおうとしたのだった。
この作品は、1969年12月発表のもので、当時の30万円がどれほどのものか分からないが、今の価値より低くはないだろうし、今でも、高校生にとって30万円は大金だ。
オクチンは最後、しれっと(ケロっと)30万円を渡すが、彼の願いは叶わないことが分かる。
オクチンは、高校生だから、生活とか明日の心配はないだろうが、逆に言えば、あのくらい、無感情に30万円出せる人は、大人でも、明日の不安はあるまい。
さっきも書いたが、私は、見栄でも張れるなら別だが、黙って出す寄付なら百円でも惜しがる。
「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカ氏は、「いくら持っても満足しない人が貧しい」と言ったらしいが、私みたいなのは心は貧しい。
しかし、他の人は、私とは違うのだろうか?
分からない。
仕方がないから、私は惜しみつつ寄付をするが、初音ミクさんのご加護を賜り、せめて39万円を、オクチンのように平気で出したいものである。
私は惜しみながら寄付をするが、多くの人、あるいは、企業にそうしていただきたいと思う。
災害に遭われた人の命や安全を守るのは国の義務として当然、果たされるべきだが、その後に被災者の人々に必要なものは、断然、金であると私は思う。
その金は、嫌々でも義務として、あるいは、見栄で出せばいいじゃないかと私は思う。
「真実はいらない、偽りでいい」のである。
だが、大人が子供を守ったり、正しく導くことなどと同じく、義務は果たすべきである。
時間だけいつも 通り過ぎていく
1秒ごとに 崩れていく世界
歪んだ景色に 塗りつぶされた
真実(こたえ)はいらない 偽りでいいの
~『トリノコシティ』(作詞・作曲・編曲:40mP、歌:初音ミク)より~
※この素晴らしい歌を全然違う意味で引用したことをお断りしておく
尚、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、寄付を求められても、信念によって断りたいと述べているが、進んで行う寄付まで否定はしなかったはずだ。
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何が駄目なんだ?
惜しみながら出そうが、金は金だ。
私は、正直に言うと、喜んで寄付したり、惜しみなく寄付する者がいるとは信じられない。
もちろん、私がそう出来ないだけで、世の中には、それが出来る立派な人もいるのかもしれないが、私は全くそうではない。
私が、惜しみなく、喜んで寄付をしていたのは、お金を稼いだことがなく、生活の心配を一切していなかった高校生頃までのことだ。
今は、百円出すのでも、喪失感を感じる。
それでも、嫌々ながら、そこそこの額の寄付をしたいと思っているのだ。
それは駄目なのだろうか?
そんなことはないと思う。
宗教家の言う、喜んで、惜しみなく出さなければ駄目な理由は、そうでないと、神仏の報いがないということだろう?
もちろん、信仰ある者は、それを期待して、どんどん義援金を出せば良いが、私は期待しないことにした。
さらに白状するなら、私は、震災で被害に遭われた方に対し、これっぽっちも同情を感じていない。
だが、「同情するなら金を出せ」(テレビドラマ『家なき子』のセリフの改変)の方が合理的で、余裕のある者は義務として金は出すべきと思うのだ。
私にも、金を出す義務があるはずだ。
熊本地震では、Yahoo!が義援金の受付を行い、寄付してくれた同額をYahoo!が出す(つまり、金額は倍になる)という素晴らしいことをやっていた。
よし、みんな、Yahoo!を破産させるくらい寄付しようぜ・・・とか思ったが、2千万円が上限で、もう終了したらしい(義援金受付自体は行っている)。
では、ここは、ライバル関係にある、NTTやKDDI、あるいは、Amazonや楽天は、20億円くらいにして差をつけよう・・・と言いたい。
宣伝、大いに結構。
宣伝のために、でっかく寄付をしていただきたい。
そしたら、なるべく商品を買おうと思う。
手塚治虫さんの、沢山の短編からなる傑作ミステリー漫画『ザ・クレーター』の中に、『オクチンの奇怪な体験』という1つのお話がある。
オクチンとは、勉強は出来ないが、熱血漢で喧嘩の強い男子高校生だ。
そのオクチンが、30万円を作ろうと、なんでもひきうけ屋に精を出している。
懸命に頑張るが、1回の料金は、松100円、竹50円、梅30円の設定だから、毎日がんばっても、たかがしれており、
「これで2,260円か・・・あと29万7,740円!ヒャア、ぶっ倒れそうだな」
といった状態だ。
なぜ、オクチンが30万円作ろうと思ったのかというと、彼は新聞で、原爆に被爆して苦しんでいる女性の記事を見て、治すのに使ってもらおうとしたのだった。
この作品は、1969年12月発表のもので、当時の30万円がどれほどのものか分からないが、今の価値より低くはないだろうし、今でも、高校生にとって30万円は大金だ。
オクチンは最後、しれっと(ケロっと)30万円を渡すが、彼の願いは叶わないことが分かる。
オクチンは、高校生だから、生活とか明日の心配はないだろうが、逆に言えば、あのくらい、無感情に30万円出せる人は、大人でも、明日の不安はあるまい。
さっきも書いたが、私は、見栄でも張れるなら別だが、黙って出す寄付なら百円でも惜しがる。
「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカ氏は、「いくら持っても満足しない人が貧しい」と言ったらしいが、私みたいなのは心は貧しい。
しかし、他の人は、私とは違うのだろうか?
分からない。
仕方がないから、私は惜しみつつ寄付をするが、初音ミクさんのご加護を賜り、せめて39万円を、オクチンのように平気で出したいものである。
私は惜しみながら寄付をするが、多くの人、あるいは、企業にそうしていただきたいと思う。
災害に遭われた人の命や安全を守るのは国の義務として当然、果たされるべきだが、その後に被災者の人々に必要なものは、断然、金であると私は思う。
その金は、嫌々でも義務として、あるいは、見栄で出せばいいじゃないかと私は思う。
「真実はいらない、偽りでいい」のである。
だが、大人が子供を守ったり、正しく導くことなどと同じく、義務は果たすべきである。
時間だけいつも 通り過ぎていく
1秒ごとに 崩れていく世界
歪んだ景色に 塗りつぶされた
真実(こたえ)はいらない 偽りでいいの
~『トリノコシティ』(作詞・作曲・編曲:40mP、歌:初音ミク)より~
※この素晴らしい歌を全然違う意味で引用したことをお断りしておく
尚、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、寄付を求められても、信念によって断りたいと述べているが、進んで行う寄付まで否定はしなかったはずだ。
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