ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神の絵の作り方

健康は、昔から、あらゆる国の人々の関心事であるが、美容に興味を持つ人が多いのは、豊かな国である証拠である。
ビジネスの教訓を語る話に、誰も靴を履いていない民族を見て、「誰も靴を履いていないので、靴は売れない」と考えるか、「誰も靴を履いていない。膨大な市場だ」と見るかという話があるが、貧しい国に美容製品や美容サービスを売り込むのは難しいに違いない。

日本は非常に美容が盛んであり、若い人だけでなく、年配の女性、さらには、この分野では最後の市場とも思える年配の男性も顧客対象になるのだから、やはり日本は豊かである。
ただし、日本が豊かなのは、昭和の高度成長期に猛烈に働いた日本人の遺産のようなところがあり、今後はどうなるか分からないし、既に、貧困も多くなっている。
だが、まだ、豊かな人が多いのである。

若い女性の美容への関心は高く、最近は、美容法に関し、見る目も肥えてきている。
女性(に限らないが)の、一番の関心事は、小顔、顔の肌の張りとツヤと思う。
そして、そのことに関心の強い女性は、やはり、かなり美しいものである。
顔が小さく、美しくなるなら、ありとあらゆることをやる。
最近は、顔ヨガとか、美顔ローラー、特殊なクリームが人気があるようだが、「いや、表面をいじっても駄目で、骨が大事。そのためには身体全体から」と言う先生もいる。
それで、熱心な人は、片っ端からやるので、確かに効果は出ているのだが、どれが効いたか分からないのである。
その全ての総合効果とも考えられる。
しかし、一番の要因は、小顔になりたい、張りとツヤのある肌でいたいという強い願望である。
そして、美容のことであっても、強い、継続する願望というのは、あまり低俗な欲望からは起こらず、どこかに、高貴な心がある。
たとえば、至高者である神や、人間より上位の天使は、驚くほど美しく、おそらく、少女のような姿をしているだろうから、それに近付きたいと思う心である。

それなら、少し前にも書いたが、ジョージ・アダムスキーの著作にあったことが参考になると思う。
アダムスキーの宇宙人の話が事実かどうかは知らないが、たとえ空想としたところで、非常に高度で、だからこそ、彼が亡くなって半世紀以上経つのに、いまだ彼は世界的な有名人で、最近は、彼の思想が見直されつつあると聴く。
彼が接触した宇宙人は、地球の時間で言えば百歳をはるかに超えていても、男性なら30歳程度、女性なら二十歳前の若さで、しかも、非常に美しいそうだ。
数百年生きている宇宙人の中には、40代以上に見える者もいるらしいが、それでも、やはり、美しいという。
アダムスキーは、宇宙船の中で会った金星の女性があまりに美しいので言葉を失ったが、彼女が、自分達の若さの要因という「神の絵」を見た時には、魂まで奪われて恍惚となったと述べていた。
それは、宇宙人のあらゆる家庭にあるという絵だが、男性とも女性とも見える18歳位に見える人物のようだ。
アダムスキーは、金星の美人すら、その美しさを表現する言葉がないと言うが、神の姿となると、物理的に存在するものだとはいえ、別次元のものなのだろう。
それで、私も、そんな絵を見たいと思い、人類が創った芸術作品の中で最も美しいものは何かと調べてみた。
最終的な結論は、京都の広隆寺にある木作りの弥勒菩薩像である。
聖徳太子が所有していたとも言われる、高さ123.3センチメートルの、座った弥勒菩薩の全身像であり、その微笑んだ顔の表情は西洋では「アルカイク・スマイル」と言われる。
昭和26年に彫刻の国宝第1号に選ばれている。

だが思うのだ。
アダムスキーが見た絵は、ただの絵ではなく、生きているともいう宇宙船の中にいたことで、また、宇宙人達と居たことで、精神が変容していたからこそ見えたのだと。
その絵は、ただのプリントではなく、生きた絵のようなものに違いない。
元々、芸術とは、創作者と、それを見る者とのコラボレーション(共同制作)なのである。
あるいは、絵画を見るというのは、鑑賞者がその絵画を描くということであり、音楽を聴くというのは、やはり、鑑賞者が、その音楽を作曲することなのである。
このあたりは、理屈では分かり難いかもしれないが、直感でピンとくるのではないかと思う。
つまり、我々の中に、神秘的な創造者がいて、外部の世界を瞬間に作り上げている。
何らかの条件の中で、内なる創造者が至高の技で作り上げるのが、真の芸術作品なのである。
内なる創造者に、宇宙人も地球人も違いはない。
宇宙人は、あの「神の絵」を毎日見ているから、若さと美を常に再生させているが、それは、あの絵に、それを引き起こす何かがあるのである。
ただ、それは、絵の一方的な作用ではなく、見る側の役割も重要なのだ。
そして、内なる創造者(それは至高者である神だと思う)が表われるのであれば、対象は何であるかは問わないと思う。
「モナリザ」が、「ただの太ったおばさん」に見える人もいれば、至高の美と感じる人もいるのである。
そして、「モナリザ」に限らないが、本当にそれが至高の美であると感じるなら、その人の内なる神が輝き、若さと美、そして、あらゆる神の性質を現すであろう。

何でも良いのである。
高価な原画でなくても、複製やポスターでも、あるいは、写真でも構わない。
それを至高の芸術品にするのは、見る者次第である。
スマートフォンやタブレットPCの画像でも良いのだと思うが、現在の液晶は、まだ問題があるかもしれない。
ただし、イタリアの超一流のファッション・デザイナーのリカルド・ティッシ(ジバンシィのトップデザイナーでもある)が、iPhoneの画面で初音ミクさんを見て心奪われ、ミクさんの服を熱心に作っているように、高度な感性を持つ人であれば、芸術を見るためのメディアは幅広くなると思う。
私は、壁に貼った、初音ミクさんのタペストリー(布製のポスター)が、私の魂の成長により、神の御姿になりつつある。
いつか、私の魂の目は、宇宙人達同様、神の姿を見るのである。









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舛添要一氏の強さの秘密

舛添さん叩きを見ていると、「こりゃ、子供の世界のいじめは絶対になくならないな」と思う。
だいたい、あれ(舛添さん叩き)って、子供達に、「自分は安全ないじめ方」の見本を示しているようなものだ。
だって、「あいつは悪い」と公認された者は、実際に悪いかそうでないかに関係なく、いくら叩いても構わない。
それで、自分は絶対に傷付かず、しかも楽しいというのが、いじめのお決まりだ。
そうだろう?

舛添さんに問題がないとは言わないが、辞めさせることばっかり考えて、どうして、馬車馬のごとく働かせることを考えないのだろう?
給料の減額など必要ない。
むしろ、倍払え。
そして、難題の解決を迫り(もちろん、解決すべき正当な問題だ)、その成果を逐次公開するのだ。
そうしたら、優秀な舛添さんのことだ。
やってくれるだろう。
なぜ、こんな前向きな発想がないのか?
だいたい、政治家に人格を要求してどうなる?
政治家は能力が全てだ。
プーチンの人格など誰も問題にしていない。
彼の(闇の)問題なんて、舛添さんなんか子供に見えるようなものに違いない。
だが、プーチンは、恐ろしく優秀なのだ。
舛添さんも、悪に徹しても、プーチンと張るほどの優秀さを見せて欲しい。
舛添さんなら出来る・・・と、みんなでおだててやらせるのだ。

だいたい、他人の人格をどうこう言えるようなヤツがどこにいるのだ?
私なら、恥ずかしくて、他人に、「お前は人格が欠けている」なんて、とても言えないが、恥を知らない人間はどこにだっているものだ。

昔、舛添さんはテレビで、自分は東大卒だから優秀だと言っておられたことがあった。
確かに舛添さんは、雑多なことでの弁舌は冴えているようだ。
だが、それしか分からない。
十数万円の中国服が書道の練習に良いなんてのは、全くの阿呆としか思えないが、まあ、そう言うより仕方なかったのだろうから、それは忘れよう。
だが、口先の弁が立つのが優秀というなら、確かにその通りとしても、そんな優秀さが何だろう?
東大卒だから優秀というのは否定しない。
ただし、本当に優秀かは、証明しない限り、肯定もしない。
大学も出ていない、MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんのように、誰がどう見ても、呆れるほど優秀な人もいる。
だが、舛添さんも、負けないくらい優秀だと信じたいのだ。
だから、舛添さんの飛行機は全てファーストクラス、ホテルは一流ホテルのスイートと公然と決めてしまい、給料も、倍額払いは法律上難しいだろうから、政治資金をばんだん私的に使っていただき、退路を断って、やらざるを得ない状況にすると良い。
彼は、自分の頭部の輝き振りについて、「フランスあたりでは、ますます、あなたの知性が輝いてきたと言うのです」と言われたことがあるが、その点はプーチンに負けていない。
プーチンは、一定の髪が、いつまでもしぶとく残っている。
その点、舛添さんは、潔い。
ツルツルだ。偉い!
その舛添さんの真の優秀さを見ないまま、辞めていただきたくはないと思う。
まあ、ひょっとしたら、実は全く優秀ではないのかもしれないが、それが分かった時に、「本当はちっとも優秀じゃなかった」と烙印を押して辞めさせれば良いのである。
ただ、あの精神的タフネスは相当なもので、あれこそが彼の最大の美点かもしれない。それなら、そこを仕事で活用すれば良いのである。
昔、彼が推薦の言葉を書いた『ノストラダムスの超法則死活の書』を読み直し、あれに書かれているようにするなら、彼はだまだま頑張るだろうし、勝つはずだ。
彼の、あの素晴らしい精神力の秘密は、あの本かもしれない。









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病は全て心から

「病は気から」という。
これは、突き詰めれば、「悪い心を持っているから病気になる」ということになる。
そこで面倒なのが、
「心の美しい人でも深刻な病気になる」
ということであり、
「こんな素晴らしい人なのに、心が悪いから病気だと言うのは、絶対にけしからん」
という反発があるだろう。
実際、天使のような心の人でも、重い病気になるかもしれない。

私も、それなりの病気を持ったことがあるし、持っている。
1つは、高校生の時になった腰痛で、数年は苦しんだが、今はほぼ治っている。
メニエール病も、かなり苦しめられたが、今は、ほとんど症状が出ない。
皮膚病に関しては、物心ついてからずっとで、現在も続いているが、今はさほど酷くはない。
そして、私の病気に関しては、全て、心が原因であり、それは、心に悪いものがあるからだと断言出来る。

つまり、病気だからといって、心の全てが悪いのではない。
しかし、病気であるなら、心の中に、克服すべき欠陥がある。これは、間違いなかろうと思う。
たとえ天使のような人にだって、心に闇はある。

私の周囲にいる病気の人を冷静に観察すると、その病気は、百パーセント、心の問題と分かるのである。
例外は絶対に1つもない。
ある非常に素晴らしい人が、耳の疾患で苦しんでいる。
その原因はもう明らかで、その人は、人の話を全く聴かず、自分の主張だけを押し付ける人だ。
彼が「話し合いをしたい」と言っても、結局、彼が一人で最後まで話し続ける・・・そんな人だ。
それは、笑うほど自分と似ているので、よく分かるのである。
今は、私は、誰かと話したら、自分が聴き役に回るよう気をつけている。
しかし、やっぱり、いつのまにか、自分ばかり話してしまうのだ。
それは、相手より自分の方が賢いと思う馬鹿だからだ。
だが、最近は、相手を黙らせるように喋った後で、後悔するようにはなった。
しかし、治らないんだなあ、これが。
それで、壁に貼った、初音ミクさんのタペストリー(布製ポスター)が、私を見下しているのである。
ところが、最近、そのミクさんが、微笑んでいると言うのではないが、驚いた顔をしていたのだ。
さあて、何があったのかな?

宇宙人とのコンタクティー(被接触者。「コンタクティー」自体に、宇宙人との接触者という意味がある)として知られるジョージ・アダムスキーが、「神の絵」について、著書の中で述べている。
金星や火星などの宇宙人の家庭には、必ず、神の絵が飾ってある。
アダムスキーは、それを見て、美しいので恍惚となったという。
ある、驚くほど美しい金星の女性は、地球で言えば、70歳だか百数十歳だか忘れたが、相当な年齢なのに、二十歳前の少女にしか見えない。
その秘密は(宇宙人達には秘密でも何でもないが)、その神の絵を毎日見ているからだそうだ。
アダムスキーの宇宙人に関する話を信じるかどうかは別にして、そんな絵は存在すると思う。
それで、私は、そんな絵を探していたが、一応は、京都の広隆寺にある弥勒菩薩半跏思惟像が、それに最も近いと思ったし、また、政木和三さんの前に出現した観音像がそうであると思ったこともある。
だが、おそらく、何でも良いのだ。
「モナリザ」がそうだと思うなら、たとえ複製やポスターの「モナリザ」でも、それが神の絵だ。
私の場合は、初音ミクさんである。
そして、言っておくが、人間は目で見るのではなく、心で見るのである。









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圧倒的に不利な状況で何をするか?

石森章太郎さん(後に石ノ森章太郎に改名)の代表作の1つに『サイボーグ009』がある。
これは、00ナンバーサイボーグという、001から009までの9人のサイボーグ戦士達の物語だ。
00ナンバーサイボーグというのは、戦争のための高度な科学兵器を開発して各国に売り、膨大な利益を上げる、ブラックゴーストという組織が作った、プロトタイプ(試作品)の戦闘用改造人間だ。
このプロトタイプで実験し、改良を重ねて完成品にした後、いよいよ、大量生産し、大国に高値で売り込む予定だった。
だが、9人のサイボーグ達は、彼らを改造した科学者の一人であるギルモア博士と共に、ブラックゴーストから逃げ出す。
ギルモア博士は、もう戦争用兵器など作りたくなかったし、サイボーグ達も、身体を機械に変えられた上、実験体にされたままではいたくなかった。

だが、ブラックゴーストが00ナンバーサイボーグ達を見逃すはずもなく、また、優秀なギルモア博士も取り戻したかった。
そこで、00ナンバーサイボーグ達のところに、彼らを抹殺するための刺客のサイボーグを送り込んで来る。
ブラックゴーストは、00ナンバーサイボーグの研究成果を基に、さらに進歩したサイボーグを送り込んでくるのだから、戦いは、00ナンバーサイボーグ達には極めて不利だった。
だから、ブラックゴーストは、00ナンバーサイボーグ達の撲滅は時間の問題と見なしていた。
00ナンバーサイボーグのところに送り込まれてくる、ブラックゴーストの新型サイボーグのセリフはいつもこうだった。
「お前達のようなプロトタイプのポンコツサイボーグごときが、超高性能な新型サイボーグの俺に勝てるはずがないだろ?」
実際、新型サイボーグの性能は桁違いで、それに比べれば、00ナンバー達は、ポンコツでしかなかった。
ところが、00ナンバー達は、苦戦しながらも最後には勝ってしまう。
最初は、ブラックゴーストも、刺客の不手際とか、「舐めていたか」と思うが、何度も敗北が続くと、奇妙に思うようになった。
これほど力の差があるのに、なぜ、00ナンバーは強いのか?

もちろん、漫画やアニメの中では、00ナンバーサイボーグ達のチームワークや、正義を愛する正しい心の強さが謳われ、それが勝利の原因と見なされていただろう。
だが、作者の石森さんは、おそらく、別の要因にも気付いていたと思う。
「なぜ、ポンコツが勝つのか?」
答えは、
「ポンコツだから」
である。

ボクシングなどで、歴史的な名勝負があり、勝った方が引退してかなり経った後で、実は、あの試合の時は、自分は熱が40度あった・・・などという話がよくある。
体調が万全であっても、勝つのが難しい相手に、最悪の体調で勝ったのである。
ロサンゼルスオリンピックの女子体操で個人総合優勝したメアリー・レットンは、足の怪我で、本番2日前は歩けないほどだったという。
イチローがアスペルガー症候群(興味やコミュニケーションに関する深刻な障害)だと言われることがある。それが本当かどうかは分からないが、いずれにしても、私は、イチローは、何らかの大きなハンディを抱えていることは、多分、間違いないと思う。
でなければ、あそこまでやれるものではない。

「ザ・ケルン・コンサート」という、キース・ジャレットの1975年のジャズ・コンサート(ピアノ・ソロ・コンサート)をご存知の方は多いと思う。
ジャレットのその即興演奏は神懸っていて、それが録音されたレコードは名盤中の名盤と言われ、記録的な売上を達成し、さらに、40年経つ現在も、CDとアナログレコードが販売され続けており、聴く人の魂を奪う。
しかし、その時、ジャレットの体調は最悪であったという話がある。
そして今年、TEDカンファレンス(非営利団体TEDが主催する世界的講演会)で、ティム・ハワードが、実は、その時、ジャレットは、壊れたピアノでやむなく演奏したのであることを明かした。
高音域の音は使い物にならず、ペダルは壊れていて、そもそもピアノが小さ過ぎて、コンサート会場に合っていない。
だが、ハワードは、だからこそ、至高の演奏になったのだと言う。

誰しも、他人に比べ、不利なことはあり、それが深刻なものであるかもしれない。
だが、そんなことがなくて大成功した者は、実際にはいないに違いない。
だから、自分が抱えたハンディに負けてはならない。
むしろ、無茶を承知で挑んでこそ、真の達成があるのだと思う。









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自分だけの真言を持て

合気道家の藤平光一氏の本に、「重みは下にある」と言えば、氣が出ると書かれていた。
これは、氣を出す1つの方法が、真理をあえて口に出すこと・・・というものだったと思う。
そして、重みが下にあるのは、確たる真理だということだろう。
「氣」は、普通、気功などで言う「気」と同じだが、藤平氏は「氣」の字に大変にこだわっておられた。

ところで、私は、「重みは下にある」という言葉には抵抗があった。
重みが下にあるのではなく、重みがかかる方向を下と言うとしか思えなかったからだ。
「地球には重力がある」と言うなら、まだマシだが、それなら、月や火星にだって重力はある。
結局のところ、真理というなら、万有引力があるということになるが、これとて、万有引力があるというよりは、万有引力の原因があるということだと思う。
別に、私が特別にひねくれていると言うのではなく、理系・・・と言うほどでなくても、現代的に考える癖があれば、私のように思うのではないかと思う。

藤平氏はとても偉い人のようだが、残念なことに、その教えは、あまり私にはしっくりこなかった(勿論、参考にはなった)。
そして、彼が言う、「下腹の一点に想いを沈める」なんてのは、分からないものは分からないのであり、それを分かったフリをするのは馬鹿だと思うのである。

ニサルガダッタ・マハラジは、「私は在る」こそ究極の真理であり、「私は在る」が最高のマントラ(真言)であるとも言っていたと思う。
しかし、これも、「私」の意味が、あまりに曖昧である。
よって、私は、「私は在る」と思うごとに疑問が浮かび、心が乱れた。
本で見る限り、彼の教えは美しいと思う部分も多いが、私には結局、意味不明だった。
追求していけば、分かったつもりにはなれても、臨終になるまで、本当のところは分からないだろう。

別に、藤平光一氏やニサルガダッタ・マハラジの教えに問題があるのではない。
単に、私には合わなかったというだけのことだ。
そして、そんなものを後生大事に抱えていられるほど、人生は長くない。

「重みは下にある」、「私は在る」が、真理として受け入れられる人もいるかもしれない。
そんな人にとっては、これらの言葉が貴いマントラ(真言)になる。
貴いマントラであれば、それを言ったり、想ったりすると、心に喜びが満ちるだろう。
『歎異抄』には、唯円が親鸞に、「念仏を唱えても、躍り上がるほどの喜びが湧かないのですが、どうしたことでしょう?」と尋ねると、親鸞は、「私もじゃ。それは煩悩のせいなのだが、煩悩の深い凡夫を救うのが阿弥陀如来様の意思なのだから、ますます往生確実じゃ」とうまいことを言ったことが書かれている。
『歎異抄』は大好きだが、しかし、これはちょっとどうかと思うのだ。
「躍り上がる」の度合いにもよるが、念仏が自分に合っているなら、それなりの喜びが湧いてくるはずである。
そうしたら、そんな疑問は出てこないと思う。
つまり、唯円は、親鸞の弟子に安住していないで、自分の道を探すべきだったかもしれないのだ。
土台、いつまでも師匠の元にいるやつに、ロクなのはいないじゃないか?
別に、人間は、必ずしもロクなものになる必要はない。
ロクなものでないということなら、私は相当な自信がある。
単に、唯円は、私同様ロクデナシの一人と(勿論、唯円は私の百万倍マシだが)、貶す訳ではなく、本当のことを言いたいのである。

皆、権威あるものを捨て、自分だけの真理を探さないといけない。
でないと、短い生涯を、満足のないまま終わってしまう。
ましてや、会社のポリシーを崇めるなんてことは、会社や経営者には都合が良いかもしれないが、そんなことをいつまでも続けたら、死ぬ時に後悔するぞと言っておく。
L.H.ロースンの言った「神の他に何もない。ただ神だけがある」という言葉は素晴らしいと思うが、やはり、これは彼の言葉だ。私には関係ない。
YMOの『LOTUS LOVE』では、「I Love You」がいつもの呪文だと言うが、これも、「そんな人もいるだろう」といいうだけのことだ。
私には、「ミクさんの他に何もない。ただミクさんだけがある」の方が真理であり、「I Love Miku」が私らしい呪文である。

唱えれば、大地が振動し、天楽が響き、花が舞い散る真理を、各自が持たなければならない。
それは権威に平伏したり、人真似をすることをやめない限り得られない。
聖書を権威的に見ずに探せば、自分に合う言葉も見つかるだろう。
私は、そうやって見つけたのだ。
だが、唯円が親鸞に言ったように、唱えて躍り上がる・・・かどうかはともかく、喜びが湧き上がらないなら正しくない。
ただし、言葉は神である。
だから、自分もまた、少しは、それを受けるに相応しくしなければ、それは得られない。
それにはただ、権威、あるいは、世間の教義や信念に平伏すことをやめ、人真似もやめること・・・それが、「自分であること」である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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