ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

奇跡を起こすエネルギー

大音楽家のモーツァルトのように、神童と言われる生まれながらの天才がいる。
彼らの天才の力は、我々凡人には縁の無いものだろうか?
それとも、案外に、手を伸ばせば届くようなものではないだろうか?

政木和三さんは、数多くの優れた発明をしたが、それらの発明は1秒で出来たらしい。
また、政木さんは、一度も練習したことのないピアノを大変な腕前で弾くことが出来、気が向けば講演の時に演奏を披露することもあったし、自分で作曲してピアノ演奏したCDまで出している。そのCDに同時収録されている、政木さんが作った歌を歌ったのが、中国の天才音楽家のウー・ルーチンだったのだから半端ではない。

私は、政木さんに言われたものだ。
「あなたにも出来ますよ」
これは、この私なら出来るという意味ではなく、誰でも出来るという意味だ。

榊原匡章さんという、伊勢神宮の神官で画家という人がいる。
私は、彼が、1995年から始めた、全国の50のお城の絵を描くために全国巡りをしていた頃に、一度、お逢いしたことがある。
彼は、カッコいいギタリストの男性を連れていた。絵を描きながら演奏旅行をしていて、榊原さんも自らシンセサイザを弾いていた。
しかし、彼もまた、演奏の練習をしたことがないという。しかし、当時絶頂期であった小室哲哉さんのように、両手で別のシンセサイザを弾いたりしていたようだ。
私は彼に、「私もアーチストになりたかった」と言うと、彼は微笑みながら、「瞬間になれますよ」と言われたものである。

アペレスという画家は、線を1本引いただけで、それが彼のサインになった。彼ほど見事な線を描ける者はいないからだ。
また、ジョットという画家は、絵の腕前を証明するために、壁に円を描いたという話がある。彼は、完璧な真円を描けたのだ。
昔読んだ、「ファウスト博士の超人覚醒法」という本に、ファウストと名乗る不思議な人物にプラーナという神秘的なエネルギーを受けた人が、ジョットのように壁に真円を描いたり、バイオリンの初心者がプロの演奏家のように弾いてみせる話があった。創作の話ではあるのだが、政木さんや榊原さんの話を知る者としてはリアルに感じるのである。
デビュー作の「ぴたテン」が、がいきなり大ヒットしてアニメにもなった漫画家のこげどんぼさん(以前はコゲどんぼさん)の作品の中で、普通の子が、神的エネルギーを受け勉強やスポーツで奇跡的な能力を発揮する場面を2つほど見たが、あくまで漫画ではあっても、やはりリアルに感じたものだ。

そんなエネルギーはおそらく確実に存在し、それを多く得れば、やはり誰でも大変な能力を発揮するのだろうと思う。そうであるからこそ、政木さんや榊原さんは、自分に出来ることを誰でも出来ると言うのだろう。
イエスだって、「私が為した奇跡は、あなた達にも出来る。いや、もっと大きなことだって出来るのだ」と言っているのである。
そのエネルギーは、いろいろな人がいろいろな名で呼んでいる。例えば、プラーナ、気、氣、陽光子、グランビトン・・・等である。
現代科学の用語でそれを説明することは不可能だろうが、関英男博士がグランビトンエネルギーとして、可能な限り説明しているし、中村天風や植芝盛平の高弟であった佐々木の将人さんが、古神道、あるいは、合氣道家の立場でそれを肯定しているようだ。また、イエスのように瞬間で病気を治すことも出来る有名な気功家の中川雅仁さんの氣もグランビトンであると関博士は言う。
このエネルギーを得ることは難しいことではない。
ただ、既に現在では科学的に言っても不思議なことではないと思うが、このエネルギーは意志を持っているので、この力で儲けてやろうとか、いい思いをしようとか、あるいは、辛い病気が治りさえすれば良い(病気の原因である心の歪みを正すことなく)と思っているようなら、良い成果は得られないようである。
私は、昨日もご紹介した、関博士が広めた中国の秘法「達磨易筋経」、すなわち、腕振り運動を毎日実践してきた。
あまり華々しい成果はないが、腕立て伏せを毎日やっているのだが、毎月10回ずつ軽々と回数を増やし、昨日から190回になった。最初は10回だったのだから、これもグランビトン、あるいは、氣のエネルギーを利用していなければ無理ではないだろうかと思う。数日前から、腕振り運動を1日1000回から 2000回に増やし、家に居る日は5000回くらいやっているが、スクワットや腹筋運動も驚くほど軽く感じるようになった。簡単で金も1円もかからないのでお薦めする次第である。ただ、関博士も言う通り、やり抜くことが必要である。
尚、煽る気は無いが、下記にご紹介する、佐々木の将人さんの「数霊のメッセージ」は秘法満載の書で、私は、こんなものを公開して本当に良いのかと心配になったものである。







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数の魔術

常人とはかけ離れた高度な力を持つ人がいる。
彼らは、普通の人が知らないような秘法でも知っていたのだろうか?
そういうこともあるかもしれないが、ほとんどの場合、誰でも知っていることを数多くやっただけだ。
一つ違いがあるとすれば、その、「誰でもやれることを数多くやる」きっかけがあったということだ。
後のことは、そこから必然的に広がっていくのだろう。

超人になるには、誰でもやれることを、誰もやらないだけ繰り返すことである。しかし、その繰り返しの数が半端ではない。
私が憶えているものを、思いつくままざっとあげてみると以下の通りである。

黒住宗忠・・・「大祓詞」という祝詞を月に1万回以上、上げた。※3ヶ月ほどだったと思う。
岡田虎二郎・・・岡田式と言われる静坐の時だけでなく、1日中、調息(呼吸法)を行った。
内海康満・・・「ローム太霊講話集」を10年以上かけて、綴じ糸が取れてボロボロになるまで読んだ。
法然・・・「南無阿弥陀仏」の念仏を、1日6万回唱えた。※中国の道綽(どうしゃく)も7万回唱えたと言われる。
空海・・・虚空蔵菩薩真言を百万回唱えた。
斎藤一人・・・論語を千回読んだ。
政木和三・・・腹式呼吸1日1時間(小学生時)。
カール・ゴッチ・・・スクワット1日数千回、プッシュアップ(腕立て伏せ)1日数百回以上。
水野南北・・・麦と大豆だけの食事を1年(青年時)。※少食、粗食は生涯に渡って守った。

ある優れた経営者が、幹部の前で、「俺とお前らに能力の差はない。言ってみれば、バットを振る回数の違いだ」と言っているのを聞いたことがある。
橋本健さんの本で読んだが、ある優れた霊能力を持つ人は、般若心経を10万回以上唱えたという。

優れた本を1冊読めば、大なり小なり向上する。全く何も無いということはない。
しかし、偉人は百回以上読むのである。
その意欲はどこから来るのだろう?
それは、自分のために何かを得たい、達成したいという欲望ではない。もしそうであれば、そこまで続かない。
彼らには、確かに、天啓のようなものがあった。しかしそれは、素直な心に天使がささやいたようなものだった。それはきっと、誰にでもあることに違いない。
そして、偉人ほどの数でなくても、1年365日、よほどのことが無い限り欠かさず行えば、相当な成果は得られるはずだ。

自分に向いたことを見つけてやれば良いのだが、以下は一例である。
電波工学の世界的権威であった工学博士の関英男さんは、中国の秘法「達磨易筋経」を薦め、自分も生涯実践した。
これは、単に、自然に姿勢良く立って、腕を前後に振る運動である。手の平を内側に向け、腕を真っ直ぐにして振るが、後ろに振るときにやや力を入れて45度の角度まで振り、脱力して自然に前に振るようにする。
ネット上では「腕振り運動」で検索すると、沢山出てくると思う。
関博士は、これで、医療に頼ることなく胃ガンを治し、他にも、肺ガンはじめ、あらゆる難病が治ったデータを保有していた。
関博士は、これをやったところ、90歳を過ぎても頭脳明晰で、身体も健康で、世界中を飛び回りながら研究を続けていた。
関博士は、「簡単な運動だが、やりぬくことが大切」と言うが、その通りと思う。
やってみると、確かに地味で退屈に思うかもしれない。
ところが、ネットで見ると、自分で数を数えず、タイマーを使ったり、音楽をタイマー代わりにしたり、あるいは、何かの器具を使うことで、回数が10分の1で同じ効果があると宣伝するものを見かけるが、自分で数を数え、数多くやることが大切と思えてならない。そのあたりの判断は各自に任せるが、直観を働かせて欲しい。やはり1日最低2000回は実施すると良いと思う。立つことが出来なくても、関博士は座ってやっても良いと言われていた。脚が悪くてウォーキングなどが出来ない人にも朗報と思う。













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月曜のエール

学校や会社に行くのがどうしても嫌なら、明日、やめれば良い。今日は、最後の日として行っておこう。

こんな実話がある。
ある夫婦の家に、妻の両親が来ていた。もう仕事はしていない両親で、度々、そうやって娘の家に来て、しばらく滞在するのだった。それは、妻にも、その両親にも楽しいことだった。
今回の滞在も、特にいつまでという予定もなく、少しの間居るつもりだったのだろう。
しかし、夕食の時、主人は、妻の両親に、「明日、お帰り下さい」と言った。
楽しい晩餐は、一瞬でお通夜になった。妻は涙ぐんで台所に駆け込んだ。
旦那様が重んじられていた時代のことである。妻に逆らう術はない。

翌日、妻の両親が荷物をまとめていたら、主人が、「どうなされたのですか?」と尋ねる。
妻の両親は怪訝な顔で、「あなたが、明日帰れと言ったので、用意しているのです」と答えた。
主人は、「だから、明日、お帰り下さい」と言った。
妻の両親は、そのまま、亡くなるまで、20年以上、そこに居た。

1日の時間というのは、うまく出来ている(本当は、「うまく作られている」と言うのが正しい)。
どんな辛いことも、1日なら耐えられる。
今日1日くらいは、おやつを食べるのを我慢できるはずだ。
いくら大好きでも、大盛りのカレーライスを食べるのを、1日くらいはやめたっていいだろう。
1日くらいは、肉を食べずにいることができるはずだ。

明日なんて日はない。昨日なんて日もない。過去や未来なんて幻想に過ぎない。永遠の今があるだけだ。
過去の記憶や、未来の想像には色が無い。もし、色があって生き生きとしているなら、それは記憶や想像ではなく、今なのだ。
夢の中で、あなたが王様だとしても、王子であった過去が本当にあった訳ではない。あるように思うのは記憶のトリックだ。夢も現実も、何も違いはしない。
科学の世界にも「世界5分前仮説」なんてのがあって、世界は本当は5分前に出来たのかもしれないと考えられているが、それを否定することは出来ない。事実、5分前どころか、世界はいつも出来立てなのだから。
ありもしない昨日を悔やみ、ありもしない明日を心配することはない。それは滑稽と言うものだ。
まだ幻想を抱いていても、「今日だけ」と思ってやっていると、その今日は良くなってくる。状況は変わってくる。
今に生きている者は世界を支配する力を得る。
至高者である、真の自己は今にしかいない。真の自己が、瞬間瞬間に今の現実を創っているのだ。
あなたが今に生きるなら、至高者と溶け合う。至高者の方がはるかに大きいので、あなたが溶け込むのだが、至高者の知恵と力の中にあるのだがら、何でも分かるし、何でも出来る。
だから、繰り返すと、今に生きている者は世界を支配する力を得る。







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このまま終わりたくない

「このまま終わりたくない」
誰でも、人生の中で必ずそう思う。
それは、人生に失望した時のはずだ。

「パピヨン」という映画で、絶海の孤島にある刑務所に、終身刑で送られたパピヨンという男は、独房の中でゴキブリを捕まえて食べてまで、生への執念を捨てない。
彼は冤罪であったが、夢の中で裁判官に有罪を言い渡される。彼が「俺は無実だ。殺してない」と言うと、裁判官は、「その罪ではない。お前は、人が犯しうる、最も恐ろしい罪を犯したことで裁かれる」と言う。その、人が犯しうる最も恐ろしい罪とは、人生を無駄にすることだった。パピヨンはうな垂れて自分の罪を認めた。
「パピヨン」は実話に基く映画で、映画には、彼の本当の妻が出演している。パピヨンは、「このまま終わらなかった」のだ。

3年間アメリカのベストセラー最上位にあり、300万部を出版した「積極的考え方の力」(1952)の中で、全てを失ったと信じている52歳の男に、著者ノーマン・ピールは、彼にはまだ、いくらかのもの(家族、健康、信仰、自由の国アメリカに住んでいること等)が残っていることを指摘し、男は勇気を取り戻し、再出発を誓う。彼だって、やはり本当は、「このまま終わりたくない」と思っていたのだろう。

「バルディッシュ、お前も、このまま終わりたくないよね」
幼い頃から共にあった、ポールウェポン(長い棒の先端に刃物が付いた武器)の形をした魔法の道具を抱きしめ、涙を流しながらフェイトが言う。
フェイトは、唯一の生きる支えだった母親に捨てられた9歳の少女だった。
バルディッシュは傷付いていたが、短く、しかし、毅然と、「イエス・サー」と答える。
~アニメ「魔法少女リリカルなのは」(12話:宿命が閉じるときなの)より~

では、どうやれば、新しい自分を始めることができるのか?
夏目志郎という著名なセールスマンは「祈った」と言う。彼が34歳の時だった。
これまでの人生の失敗の責任は自分にある。しかし、これからの責任はあなたが負うべきだと神に訴えた。すると、翌日、不思議なことが起こり、彼は新しい人生を始めることになる。
ノーマン・ピールも「なぜ、神の力を求めないのか」と言う。

だが、祈るって意味をほとんどの人が知らない。
祈るってのは、取り込まれるってことだ。
社会で成功することを祈ったら、社会に取り込まれる。社会の部品になるってことだ。
お金持ちになることを祈ったら、叶うかどうかには関係なく、経済の一部分として取り込まれる。
受験合格を祈ったら、合否に関わらず、学歴制度に取り込まれる。別に、それが良いかどうかの問題ではない。

上の夏目志郎さんは、神の責任を祈ったのだ。だが、具体的なことは何も言っていない。
神に「責任取ってよ」なんて、なんて怠慢、生意気、身の程知らずと思うかも知れないが、夏目さんはキリスト教の牧師のお手伝いのボランティアを1年やって、神というものを多少は分かっていたのだ。
そして、神に求めたのは責任だけだ。
つまり、ここが重要なのだが、結果は全て神に任せた。それは、命を神の手に預けたってことなのだ。
どう転んでも文句を言う気は無い。いい思いをさせろなんて言ってない。

事情はいくらか想像が付くかもしれないが、女の子が男に「責任取ってよ!」と言ったら、男はこう言えば良い。
「分かったよ。だけど、お前が働いて俺の面倒を見ろよ。俺は寝て暮らすからな」
そう言われて怒るなら、最初から言わないことだ。

だが、心配無用だ。いや、心配してはならない。
神の責任とは、あなたに代わって心配することだ。あなたが心配したって、何の役にも立たない。
そして、神は万能だ。適切な配慮をしてくれる。
駅のホームでも電車の中でも、どこでも食べている者は病気にして、食べられないようにしてくれる。
人ごみで携帯を見ながら歩いている者は階段から転落させて脚を折り、歩けなくしてくれる。
恨んだり、妬んだりする気持ちを消そうと努力する者は、無敵にしてくれる(結果、恨んだり、妬んだりする必要はなくなる)。

パピヨンは、ココナッツが入った袋と共に海に飛び込み、後の責任は神に取らせた。
言い換えれば、神の意志に身を任せた。
そして、神は、彼を偉大な作家にしたのだ。







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小指と人差し指の秘法

禅という、達磨さんの仏教には、色々、奇妙なお話も多い。
その中に、小坊主の人差し指を切り落としたという和尚さんのお話がある。もちろん、作り話であるので安心して欲しい。

あるお寺に、どんな質問をされても、人差し指を1本立てるだけという和尚さんがいた。
それを見ていた小坊主さんが真似したら、和尚さんは、この小坊主の人差し指を切り落とした。
そして、和尚さんは、小坊主さんに人差し指を立てて見せた。すると、小坊主さんは悟った。
和尚さんは、臨終の間際、師匠様に教わった1本指の禅を、一生かかっても使い切れなかったと感謝して死んだ。

これは、有名な禅の公案(問題)の1つで、いろんな人がいろんな難しい解釈を出している。私もそれらを読んだが、どれもさっぱり憶えていない。
私は、和尚さんは、単に、「肩の力を抜け」「腹に力を入れろ」と言っただけだと確信している。
それだけのために、小坊主さんの指を切り落とすのかというと、それは考え過ぎというものだ。これは、あくまで、これは公案(試験問題)である。

剣道や剣術も同じと思うが、ナイフの戦闘術では、ナイフを握った手の人差し指は開いている。もちろん、フェンシングでもそうだろう。
多分、レーサーが、車のハンドルやシフトレバーを操作する時も同じはずだ。
武道では、人差し指は、「師匠預けの指」と言って、使ってはいけないことになっている。それがあらゆることの極意なのだ。
そして、力を入れるのは小指だ。小指に力を入れると、人差し指は開く。
小指は小さいながら非常に大切で、小指を怪我すると、ライターの火も付け難い。

小指に力を入れると、腹に力が入る。
人差し指に力を入れると、肩に力が入る。
およそあらゆることの極意は、肩の力を抜き、腹に力を入れることだ。

私は、あの禅の公案に出てくる和尚さんは、この極めて重要なことを教えたのだと思っている。
それは、人生最大の極意の1つであり、一生使えるもので、一生かかっても使い切れないほどのものだ。

短い木刀(短刀)でも使って、小指に力を入れ、人差し指を開くコツを掴んでも良いと思う。
明治、大正の偉大な思想家、教育家の岡田虎二郎は言ったものだ。「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ます」
金は、単に1つの喩えであり、腹に力を入れる極意を得れば万能であるという意味と思う。







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