ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

保険会社のCMを悲しく思う

保険会社のCMで、保険会社の若い美人や、さらに若くて初々しい女性(「女の子」といった感じ)の人たちが「保険内容の確認に伺いました」と言って家庭や職場を訪問する場面を見ると、私は「詐欺の会社か」と思う。
考えれば分かると思うが、保険の契約内容の確認なんて仕事じゃあない。仕事として成立しない。そんなことのために給料を出していたら、偉い人達が高給を取れないじゃないか。
実際を知っている訳ではないが、保険内容の確認をするのは、より高額な保険に乗り換えさせるとか、就職した子供や生まれた子供のための新しい保険に加入させるとかが目的だろう。その売り込む機会を作るのがCMの目的だ。いったん商談に入れば、狡猾な契約テクニックを発揮するのだろう。ちなみに、保険などで契約させることを、客を「落とす」というのである。戦争と同じで、客は攻めて落とす敵なのである。

私が、引きこもりの性質もあって長いニート生活の後(引きこもり気質はニートの言い訳にならないが)、初めてついた仕事が歩合制セールスだった。
行けば誰でも採用される職場だが、商品は有名な企業のブランドなのである。つまり、商品を開発したのはエリートでも、私のような使い捨てセールスマンが必要なのである。
少なくとも、私がやったようなセールスの仕事は、格好良く言えば、企業の最前線の戦士であるが、何のことはない。戦争で言うなら、まともな兵士にやらせるのは気が引ける汚い仕事を外国の傭兵(主に貧しい国の雇われ兵)にやらせるようなものだ。まさに使い捨てで、10人入ってきたら、翌月には1人残っているかどうかだった。
上にも書いたが、契約のテクニックは教育される。しかし、まず、商品説明までさせてもらえるようもっていくのが難しい。大抵は、挨拶の時点で「結構です」となる。いかに話の上手い人でも、商談まで持っていけるのは、挨拶した後の1割がいいところだろう。まして新人では、商品にもよるが、50~100件の訪問で、やっと1件、商品の説明が出来れば良い方だ。だから、会社は、イケメンの若い男性セールスマンが奥さん連中をメロメロにさせたり、若い女性セールスがスカートの1つもまくって家の主人に話を聞かせることを期待している。別に冗談でなく、私自身、営業所でよく見聞きしたことだ。
そして、私も、「契約内容の確認」や「アフターサービス」のような真似も確かにやった。だが、その分の給料なんて出るはずがなかった。それでうまくやって、契約を取った時に、コミッション(販売手数料)が得られるのである。

まあ、家庭訪問のセールスに限らず、程度の差こそあれ、商売には破廉恥な面はある。邱永漢さんが、著書に「商売は地元でやるな」と書いておられるのももっともなことなのである。
しかし、首記にあげた、保険会社のCMは、許容範囲を超えている。
批判はしないが、私が書いたことを知った上でCMを見て欲しいものである。
契約内容の確認に行く、なんとかレディー達は、契約を取らないとお金がもらえない、使い捨ての悲しい人たちなのだ。雇う方も、彼女たちが、親戚などの身内から契約を取ってくることをまず狙っている(それが採用条件であることも少なくない)。後は、辛いセールスに耐えられず、勝手にやめていく。まあ、逆に、荒稼ぎをする豪腕セールスレディも少しはいる。「トイレを貸して」と言って家に上がりこむほどに羞恥心を捨てることの出来る商売の鬼で、女を利用する人も見たことはある。昔あった、老人に高額金融商品を売り付ける詐欺会社では、男性老人に対するお色気戦法は定式化されていたと聞く。確かに、馬鹿でも出来て、効果的な方法だろう。

保険のCMでは、セールスの女性も勧誘している。しかし、はっきりセールスとは言わない。いかにも、楽しげに、「保険の確認」をするようなことが仕事と思わせているようだが、子供でもないのならよく考えろ。そんなことをやって給料がもらえるはずがないだろう。
そもそも、セールスマンをセールスマンと言わない営業活動は詐欺のようなでものあろう。
そういう企業は多い。セールスマンを、プランナー、アドバイザー、指導員、カスタマーサポート、(機械類等の)調整係などと言い、名刺にもそう書いてある。だが、彼らは、プランニングや指導等が仕事ではない。彼らが企業から命令されているのは売ることであり、売らなければ仕事をしたと見なされない。もちろん、どんな企業にとっても、最も重要なことは売ることであるから、それが悪いことであるはずがない。だが、そのように、誤魔化してまで売らなければ成り立たない企業や国なのである。経済至上主義社会は、詐欺とまでは言いたくないが、不誠実の上に成り立っているのであり、経済破綻をするのは、これまで、上げてはならない利益を得ていたということなのだ。

私も、嘘もあると知りつつ、「友情の証」として、沢山の保険に入ったし、健康商品等も買った。しかし、それらの商品が役に立ったことは一度も無いし、今後もないだろう。私に商品を売るとき、「友人」達は、「あなたのため」と言った。言うまでも無く、今では、顔を見せることは無い。金を借りた「友人」が二度と姿を見せないのと同じだ。昔、ビートたけしさんは、「10万貸してって言われたら、10万あげちゃうの。そいつら、もう二度と姿を見せないことは分かってるから。今は100万円上げられないから、それは断るの」と言っていたが、今は簡単に100万円あげられる彼はどうしているのだろうね。全く興味はないが。







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孤独な少女達の崇高な煌きと共時性

昨日、本当にびっくりするようなことがあった。
今月の4日に書いたが、私は、子供の時、「空手戦争」という漫画を読み、主人公の18歳の空手家、大神達矢の「けおされてなるか!」というセリフを見て、意味が分からずにずっときていた。だが、この言葉を憶えていた。
それが、先月、「涼宮ハルヒ」シリーズとしては4年振りに続刊が出た、「涼宮ハルヒの驚愕」(後巻)の46ページに、

その威勢のいい口調にやや物理的に気圧されるものを感じ、俺はちょっと仰け反りつつ、

とあり、気圧されるは、「けお」されるとふりがなが打ってあったので、私は遂に、子供時代の疑問を解決したのである。
ところで、私は、平坂読さんの「僕は友達が少ない」を、多分、そのタイトルに惹かれたのであろうが(私も、友達は少ないというか、いない)、本の存在自体は知っていながら、あまり関心を持っていなかった。
それが、「涼宮ハルヒの驚愕」の発売を待っている間に、なぜか読みたくなり、何の気なく読み始めたが、「涼宮ハルヒの驚愕」が発売され、また、それが素晴らしかったことから、「僕は友達が少ない」は、2巻までで、読むのはやめた気でいた。
ところが、これを気の迷いというのだろうか、なぜか「僕は友達が少ない」の3巻を読んだところ、そのラストで、私は完全に「落とされた」。つまり、完璧に引き込まれた。著者の力量もやっと認識した。
それで、すぐに4巻を読み始めたのが昨日だったが、なんと、「涼宮ハルヒの驚愕」(後巻)と同じ、46ページに、

何度も本物の不良に絡まれたことがある俺が気圧されるなんて・・・・・・。

とあり、やはり、気圧されるに、「けお」されるとふりがなが打ってあった。

こういうのを、カール・グスタフ・ユングが、ノーベル賞物理学者ヴォルフガング・パウリと議論し、共著として出版した本の中で語られたシンクロニシティー(共時性。意味のある偶然の一致)というのであろうか?
「涼宮ハルヒの驚愕」で、主人公の高2男子キョンを気圧したのは、1学年下の、可憐で明るく、元気いっぱいだがエキセントリック(変わり者)な、小柄な少女、渡橋泰水(わたはしやすみ)だった。(もっとも、キョンはハルヒには気圧されっぱなしだが。)
「僕は友達が少ない」で、やはり、主人公の高2男子、羽瀬川小鷹を気圧したのは、クラスメイトで、友達はいないが、容姿だけは掛け値なしの美少女(逆に、容姿以外はいろいろ残念)、三日月夜空だ。

この2人の美少女、渡橋泰水と三日月夜空は、全く別種類だが、驚愕の秘密を持つ。面白いと思うので、良ければ読んでみて欲しい。宇宙の神秘を感じるはずだ・・・まあ、これは独断だが、美少女の秘密なんてこの世の神秘以外のなにものでもないだろう。

ところで・・・。
「涼宮ハルヒ」シリーズと、「僕は友達が少ない」は、酷似したところも確かにある。
読むことをお奨めするので、ネタバラシはしないが、広告程度のことを言おう。
まず、共に、極めておかしな部活が創部されることが、物語の発端となる。
それも、ヒロインの女子の一方的なリードで創部が進められ、主人公の男子は、訳が分からないまま引っ張りまわされるだけというのも同じだ。
まあ、イケメンでもなければ何か特技がある訳でもない主人公の草食系男子が、なぜか、ほぼ全ての美少女ヒロイン達に慕われ、メインヒロインがツンデレというのは、昨今の学園もの漫画やライトノベルの定番かもしれない。そのツンデレのヒロインが必ず、際立った美少女というのも、いろいろな意味で当然のことだろう。
尚、蛇足だが、「ツンデレ」も「ライトノベル」も俗語である。ツンデレは、ツンとデレの合成語で、一部の少女によくある、普段はツンツンしているが、恋愛に対しては気後れのある、根は純情なタイプで、なかなか可愛い。ただ、美少女でないとサマにならないという特性はよく理解しておかないといけない。ライトノベルというのも、実際にそんな小説がある訳ではなく、小説以外のなにものでもないが、特に若い人を対象とした雰囲気があり、漫画的な挿絵が重要な要素となっていると思われる小説だ。
日本を代表する大小説家の筒井康隆さんまで、最近ではライトノベルと自身が言う作品を発表している。その挿絵を描くのは、「涼宮ハルヒ」シリーズや、やはり大ヒットライトノベルである「灼眼のシャナ」(高橋弥七郎著)の挿絵で有名な人気イラストレーター、いとうのいぢさんだ。そもそも、筒井康隆さんの歴史的な作品である「時をかける少女」は、元々が学習誌(中学3年生~高校1年生用)に掲載された、ライトノベルのはしりと言える作品かもしれない。

涼宮ハルヒも友達がおらず、クラスで浮いた存在であったが、本人はそれを悪いこととは思っておらず、むしろ、一般の友人関係を馬鹿にしたような雰囲気がある。それは、「僕は友達が少ない」のヒロイン夜空も同じだ。
私は、彼女達の感性(著者の感性であろうが)は正しいと感じる。
学校というものは、彼女達が軽蔑するような友達関係を築かないと、極めて不快で困ったことの多い場所であり、そのことが、学校が国家思想や経済至上主義を叩き込む洗脳の場所となるために強力に働いている。
友達がいないというのは、まともな思考を保つ、厳しいが唯一の道であり、それを実践している彼女達の勇気は賞賛される。経験的に、男であれば、友達がいなくても、精神さえ鍛えていれば、さほどのことはない。しかし、女の子には過酷なことであろう。無視されて自殺する男子の話はあまり聞かないが(皆無ではない)、女子では、その危険性のある状況はかなり多いはずだ。
W.B.イェイツは「精神は孤独の中でしか、本当に鍛えられない」と断言したが、それは、男に対してのことと言っておきたい。だが、ハルヒや夜空には、可憐な少女の身でそれを成し遂げた崇高な迫力がある。それでも、夜空の調理実習の思い出話はいたたまれない。
「僕は友達が少ない」の主人公、小鷹は、本人の意ではなく、容姿のせいで友達が出来なかった。だが、それで彼はいい感じに鍛えられたような雰囲気がある。何か、イェイツの言葉を実感として感じる。私も友達はいないのだが、多少は精神が強くなったであろうかと思う。
ある、TVCMも出している大手学習塾運営会社の社長が「涼宮ハルヒの憂鬱」を読み始めたが挫折したという話を聞いたことがある。昨今の学習塾は、決して、公教育と張り合う関係ではなく、どちらかというと融通し合う関係である。もし、学校や大手塾の校長や教師が、「涼宮ハルヒ」シリーズや「僕は友達が少ない」を楽しく読めるとしたら、私は気味が悪い。イエスの教えを崇めながら虐殺を行うという、歴史にもよくある暴君やその配下の者たちと同じで、恐ろしく混乱した人間であろう。子供たちの災いは果てしない。







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ビッグビジネスマン達も実践した、暑さを克服する秘法

私は、猛暑の度に思い出すことがある。
私は、引きこもりニートを脱し、初めてやった仕事が、セールスマンだった。
それで、有名なセールスマンの本をよく読んだが、中国から日本にやって来て帰化した夏目志郎さんという人の本を特に熱心に読んでいた。
夏目さんは、あくまでザ・セールスマンとしての誇りを持っていたが、事業家であり、あらゆる人達の自己啓発に取り組んでおられた。
夏目さんの本にこんなことが書かれていた。
夏目さんは、真夏でも、冬のスーツをびしっと着込み、汗一つかかなかった。1960年代以前の、クーラーなどはなかった時代のことと思う。
やはり、彼の会社の社員が「社長は人間じゃないです」と呆れていたようだ。
夏目さんは、アメリカのエグゼクティブ達は、皆、真夏でも、そんな風に冬の背広を着ていたと言う。
その本はもう手元に無いが、確か、気温が高くても、その気になれば、いつでも涼しい風を感じることが出来、そうすれば、そんなに暑くはないのだということだったと思う。
それで私も試してみた。
特に、外でなら、どんなに無風の日でも、風が全くない訳ではないことに気付いた。そして、涼しいと思えば、確かに、いくらかでも涼しいのである。
室内であれば、直接日が当たらないので、そんなに暑いわけではないし、窓を開ければ、風が入ってくる。どんなに無いように思っても、やはり、少しは風が流れているのである。それを涼しいと思えば、やはり涼しく感じる。

インドのヨーガや、中国の仙道の行者達は、真夏の炎天下でも、平気で座っている。かなりの衣服を着ていることもあるが、やはり汗をかかないそうである。
スコットランド出身の聖者M.マクドナルド.ペインの著書、「解脱の真理」では、暑さや寒さを克服するチベットの秘法について書かれている。暑さや寒さというのは、本来なく、単なる観念なのだそうだ。精神の力を高めれば、極寒の中でも暖かく、灼熱の中でも涼しいのだそうだ。
我々も、猛暑を利用して、この能力を鍛えることが出来る。そうやって磨いた精神は、あらゆることに有益であると思う。







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願わなくても死ぬように、願わなくても全てを得られる

ある女子生徒が、クラスメイトのある男子生徒のことが気になるようになり、彼と親しくなった情景を想像するようになった。そして、彼女は、自分のお誕生日に、彼が青い包装紙に金色のリボンのかかった箱に入れたプレゼントをくれる場面が思い浮かぶようになった。
すると、やがて、彼が彼女に告白して交際が始まり、彼は、彼女のお誕生日に、彼女が思い描いたようなプレゼントをくれたのだった。

彼女の願いは祈りになったが、なぜ叶ったのだろう?
彼女が祈ったから、彼と親しくなれたとばかり思ってはいけない。
彼と親しくなることが、彼女に祈らせたというと、おかしな感じがするかもしれないが、そうも言えるかもしれない。

人が死ぬことについてはどうだろう?
生きたから死ぬと言えるかもしれない。
しかし、死が、生きさせたと言えるかもしれない。

春が過ぎて夏があるのだろう。
しかし、夏が春を存在させるのかもしれない。

だが、本当はこう言うべきなのだ。
春は春で、夏は夏だ。
生は生で、死は死だ。
彼女の祈りは彼女の祈りで、彼と親しくなることは、彼と親しくなることだ。
全て、同時にある。2つは同じものだ。

一生懸命練習したからピアニストになれたというと、世間では納得してもらえるだろう。
しかし、ピアニストであることが、一生懸命練習させたとも言えるのだ。
そして、練習することは練習することで、ピアニストであることはピアニストであることだ。

時間というのものは自我の中にしかない。
夢中になって、無我の状態になればなるほど時間は早く過ぎるように感じるかもしれない。
だが、これも騙されてはならない。
逆に、夢中でやった後で、長時間経ったと思ったのに、実は少ししか経っていなかったということもある。
いずれも、夢中な状態から覚め、自我が戻った時にそう言うのだ。
実際は、自我が無ければ時間も無い。

自我と心は同じものだ。
心で思うことは実現しない。
だが、心が静まった時の予感は実現する。

願いを叶える方法が無いわけじゃ無いが、心の願いは実現しないのである。
ひろさちやさんの「空海入門」(名著である)では、空海は中国に向かう船の中で、中国に無事到着することなど、願ってはいなかったという。彼は、「次はインドへ」と思っていたのだ。中国に着くかどうかなんて、考える必要もないことだった。次はインドに行く者が、中国に着くのは当たり前過ぎて、考えるのもおかしいのだ。

イエスは、「祈りはすでに叶えられたと思え」と言い、ビル・ゲイツも愛読したという「ザ・マスター・キー」でも、それが願望達成の秘訣と書かれている。
とはいえ、無理に願いは叶えられたと思い込もうとしても、出来ることではない。
政木和三さんは、「欲望を捨て、過去完了形で祈って感謝しろ」といつも言われていた。例えば、「病気が治りました。ありがとうございます」といった感じだ。
欲望を捨てることが、心、自我を消すことである。
我々はよく、「叶わぬ願いはない」と言う。しかし、「欲望を捨てれば」という、最も肝心なところを抜かしているのだ。







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辛い気持ちを分け合うのが友達だ

本日は、主に関東から西で猛暑となり、埼玉県熊谷市で史上最高気温を記録したらしい。
私の住む関西もかなり暑かったというし、確かに暑かったとは思う。しかし、東日本大震災の被災地では、クーラーも冷蔵庫も無いばかりか、今でも冬服しか無いという人が多いということを考えれば、暑いと言う気にもならない。
友達というのは、辛いこと、苦しいことを分け合う人のことだ。
私も、家では決してクーラーを付けず、冷たい飲み物も飲まない。まあ、私は、元々、真夏でも熱いブラックコーヒーを飲むのが普通なので何でもないのだが。
シャツは、厚手の長袖を着、ズボンも冬の厚手の生地のを履いている。私は、年中、ズボンは色はほとんど黒と決めている。
オフィスでもクーラーは切りたいが、平気でク-ラーを付ける人を見ると、ちょっと悲しくなる。
まあ、リア友(リアル友達)がいないので、被災地の方たちを勝手に友達扱いしたがるのは私だけというわけかもしれないが。

何より、いまだ多くの方々が避難所暮らしという驚くべき実態であり、プライバシーが守れないのが辛いと思う。
せめて、私も、24時間、いつも見られているような生活をしている。ただ、これも、普段から、仮に部屋に隠しカメラがあったところで、どうということもない生活なので、少しも苦ではない。
何か、友達甲斐が無いなあと思う。
私は善人とはほど遠いが(善人なら、被災者を家に沢山呼んでいる)、この程度の感覚は普通と思う。
今年も、家のクーラーは全く使わないと決めた。節電など、何でもない。電気が無ければ、無い暮らしをすればいい。
義捐金、支援金もガンガン出すべきと思うが、やはり、友達なら、苦しさを分け合うものだ。
皆で、被災地の方々の友達になりたいと思う。







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名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
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