ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

福島、宮城は日本の聖なる地である

谷川流さんの小説「涼宮ハルヒ」シリーズは、とんでもない発行部数を記録しているようだが、私は、この作品が日本の神話に結びついていることがヒットの1つの要因と思っている。
ハルヒというのはヒロインの少女の名だが、私は以前から、ハルヒとは、張(ハ)る霊(ヒ)だと思っていた。春のように膨らみゆく霊(生命)のことだ。著者の谷川さんがどう思っているのかは全く存じないが、博学な谷川さんのことだから、その程度は簡単に思い付いただろうし、それでなくても、神が霊感を授けたのだろう。
ハルヒは美少女だが、普通の人にはエキセントリック(風変わり)に感じる。その性質は、小学6年生の時のある事件がきっかけで始まったようで、それが彼女に神のごとき力を発現させたのだと思われる。
ところで、この作品には、ハルヒと同じ歳の、もう一人の神である少女が登場する。正確には、ハルヒに代わって神になったかもしれない少女だ。谷川さんは、この少女に、佐々木という苗字だけ与えているところが面白い。佐々木とは、神酒(みき)のことなのだ。谷川さんがそう言っているのではなく、伝説からである。
今でも、酒のことをササと言う。ササとは漢字で笹だ。笹と竹は、正確には別のものだが、竹笹という言葉もあるとおり、特に区別しない場合も多い。
神酒は、竹筒に入れられたことから、神酒のことを笹気(ササケ)と言い、それが佐々木になったのだと言われる。
ちなみに、杯(さかづき)というのは、逆月で、その器に逆さに映った月を飲むことからそう名付けられた。
ハルヒの運命を決めた日は、7月7日の七夕であるが、言うまでもなく、七夕には、笹を飾る。ハルヒも、というより、谷川さんも、七夕の重要性に気付いていたのだろう。
七夕は、49の神である49の星を祭ることだ。
斎藤一人さんという日本屈指の事業家は、霊感により、49という数字の重要性を教えられ、大切にしているようだ。

ところで、現在、震災の深い爪痕を残している東北地方は、日高見地方と呼ばれ、その、福島、宮城、岩手、秋田、山形は日本の聖なる地なのである。
日高見とは、朝日が立ち上るのを見る地という意味で、天のタカマノハラと対応する、地上の高天原である。福島県には、神の国を示す「常世(とこよ)」の名を持つ地名がいくらかある。
東北地方を陸奥(みちのく)と言うが、陸奥とは、天成る道の奥義という意味で、非常に重要な地だ。
高天原の本拠地は宮城と言われ、今でも七夕の星祭が盛んである。
詳しく知りたい方は、鳥居礼さんが書かれた「ホツマ物語」が実に分かりやすい。これは、日本の古代文字で書かれた「ホツマツタエ」という古典を、誰もが読めるよう、鳥居さんが物語風に書いて下さったものだ。(※「ホツマツタエ」は捏造書であるという説もあるが、私はそう思っていない)

日本の聖なる地である、日高見地方を原発で汚した報いが今回の大震災かもしれない。
そして、陸奥全てから、日本全土にまで、放射能汚染が広まろうとしている。日本人が廻向(徳を積み、それを回りに向けること)しなければ、日本の滅びは確実であると思うし、もうそうなり始めている。
そのためには、我々の食を、ホツマツタエに書かれているように改めることが、まず必要だ。美食、飽食を捨て、アマテル(天照大神)の説く、良い食にするのだ。
水野南北も、チンピラだった若い時、禅僧に、「食の慎みこそ最高の徳」と教えられて運命を変えたのである。







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誰かを尊敬するから沢山の人を蔑むのだ

尊敬することほど卑しいことはない。
誰かへの尊敬を表す時には、必ず下心があることが分かる。
心の中で尊敬する時は、世間的なものへの欲望があることが分かる。
私は、人や世間からの見返りを期待していないので、誰に対する尊敬も表明しない。
不必要なものを求めないので、心の中でも誰も尊敬しない。

尊敬するから蔑みがある。
私は誰も尊敬しないので、誰も軽蔑せず、全てを等しく敬う。

イチローや、なでしこジャパンの選手を尊敬するというのは、自分も賞賛されたいからだ。
マザー・テレサやシュヴァイツァーを尊敬するというのは、自分が高貴な心の持ち主であるとアピールし、自分でもそう思いたいからだ。
私は、彼らの誰も尊敬しない。
ただ、彼らを、高い空を飛んでいるあの旅客機の中にいるであろう、会ったこともなければ、一生会うこともない誰かと同じように思っている。その誰かを、なぜかとても愛しく感じるのだ。

ヒトラーを尊敬するという者は滅多にいない。私も彼を尊敬していない。
だが、彼を軽蔑もしていない。
なぜなら、彼を糾弾したがる自分の心を理解すれば、それがクレイジーなものであることが分かるからだ。
彼は少しの悟りを開き、理想主義者になってしまったのだ。きっと、世間に恨みを持ち、誰かを尊敬したので、何かを軽蔑していたのだろう。
それが分かれば、自分がヒトラーになる恐れは無くなる。

子供に、尊敬する人など聞いてはならない。
子供は、尊敬する人を決めると同時に、軽蔑する人を見つけるのだ。

誰かを尊敬すると、心は重く窮屈になる。勝手な価値観で人を蔑むようになるのだから当然だ。
誰も尊敬しないと、解放され、自由だ。何せ、誰も軽蔑しなくていいのだからね。







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社会で必要なことはプロレスから学んだ

大相撲の八百長問題も沈静化してきたような感がある。
このこと自体に関しては、私は特に関心が無いのであるが、その時、「プロレスのようだ」とか「プロレスなら問題はないのだが」と言った発言をよく見たような気がする。プロレスが八百長であると平気で言って済ませている感がある。
「プロレスは八百長なのか?」と言ったら、「いまさら」と返事が来るのかもしれない。
だが、こういった、世間で言われることを(プロレスそのものと関係なく)、決してうかつに受け入れてはならない。
我々は、ものをちゃんと考えるべきなのだ。しかし、我々は、世間の信念や教義に平伏して安穏とする癖がついてしまっているのである。プロレスの八百長の話もその1つであるが、それならば、ものを考える良い例題として活用したく思う。

プロレスの性質を考える際に着目すべきなのは試合数だ。
プロレスラーは1年中、毎日試合をしている。ジャイアント馬場さんは40年余りの現役生活の中で5758試合を行ったと言われる。1年でいうと百数十試合だ。だが、これでも、海外分は入っていないのではと思う。
馬場さんは、怪我で片腕が全く動かない状態で試合をしたとか、脚の靭帯に重症を負ってほとんど歩けない中で強豪と戦ったこともあるらしい。
昔、ドリー・ファンク・ジュニアという世界チャンピオンが来日した時、アントニオ猪木さんの挑戦を受けて60分戦って引き分けた翌日に、ジャイアント馬場さんの挑戦を受け、同じく60分戦い抜いて引き分けたということがあった。もちろん、ドリーは、この2日以外でも、連日出場していたはずだ。これは、他の格闘技ではあり得ない話と思う。ボクシングの世界チャンピオンなら、1年に3試合もやれば多いのとは大変な違いだ。

さて、プロレスはなぜこのように試合が多いのかということを考えてみれば、極めて合理的な理由があることが分かる。
プロレスは、その真のルーツはともかく、現在のような興行としてはアメリカで始まっていると思う。
始めは、興行のやり方は試行錯誤だったと思うが、その中で、色々なこと、例えば、観客を集め易い入場料、あらゆる興行経費(興行団体の人件費等もある)、現実的に必要なら地元ギャングへの上納金(本来は、上納金は政府に納める金のこと)、レスラー達の収入と身体の消耗具合、レスラーの数、試合が出来る会場の数といった数字が一定してきた時、どのくらいの試合数が必要かということが分かる。その結果、レスラー達は、毎日試合をすることが必要になったのだ。それは、ほとんどお金の問題だった。

確かに、毎日、真剣勝負をやれば、いかにプロレスラーといえども身体が持つはずがない。また、相手に怪我をさせることも、いかに格闘技とはいえ、人間として、あるいは、社会人として赦されることではない。その中で、暗黙のうちに、試合でやっていいことと悪いことのルールが出来たのだろう。もし、このルールを守らないレスラー、つまり、危険な行為をしたり、過剰な攻撃をするレスラーは、試合相手になる者がいなくなり、プロモーターにも使ってもらえず、プロレスラーという職業に対して失業する。
つまり、八百長だと言われかねない行為というものは、このような事情で出来たのだろう。

また、危険行為だけでなく、プロレスをビジネスと認識していないレスラーも困ると思う。いくら強いからといって、簡単に勝ってしまっては、お客さんが見ていて面白くないし、相手レスラーの面子も立たない。「それが格闘技だ」で通用するのは、本当のアマチュアやスポ根漫画の世界だけだろう。ビジネスである限りは、お客様第一であるし、弱い相手でも恨みを買えば、いつか自分に返ってくる。
ジャイアント馬場さんなどは、実力差のある相手とやる時は、5分やそこらは相手にやりたいようにやらせ、お客さんを楽しませた。それは即ち、相手レスラーにもそれなりの善戦をさせ、お客さんに良い印象を与えることであり、相手は感謝し、まともな人間なら恩を感じてもくれる。
こういったビジネスとしてのプロレスをやる融通が利かなかったのが、ドイツの強豪レスラー、カール・ゴッチだったようだ。相手が人気レスラーでも、あっけなく仕留めたり、手加減のない攻撃で相手にいいところを出させない。そんな者は、武道家ならともかく、プロレスの世界では単なる自己中心主義者だ。
アントニオ猪木さんも、著書の中で、ゴッチについて「強いというだけなら世界一だったが、プロレスラーとしては成功しなかった」と書いているが、馬場さんとなると、このカール・ゴッチや、やはりトップクラスの強豪と言われたビル・ロビンソンなどを、レスラーとしても全く買っていなかった。もちろん、馬場さんとて、彼らが素晴らしい実力者であることは認めているが、「恐い相手ではない」と言う。ゴッチとシングルで戦ったことは無いらしいが、タッグで戦って彼の必殺技ジャーマン・スープレックス・ホールドを受けてみたが、十分に受身が取れ、フォールは取られなかったと言い、ロビンソンは扱い易かったという。馬場さんは、プロレスは頭のスポーツだとよく言うが、要するに彼らは馬鹿だと言っているようなものだと思う(もちろん、知能的な意味ではない)。馬場さんの見解は、私にも非常に納得できる。プロレスラーでありながら、プロレス全体のこと、色々な人の立場が考えられないような人が、試合でもそんなに素晴らしいはずがない。人間は、一時が万事なのである。1つのことで駄目なら、他のことでも駄目なのだ。ゴッチやロビンソンは何か勘違いしていたか、人間的に問題があるのだと思う。
馬場さんの愛弟子、ジャンボ鶴田さんが、日本人初のAWA世界ヘビー級チャンピオンになり、ロビンソンの挑戦を受けた時、解説席で馬場さんは、なんと最初から、「相手がロビンソンですから、大丈夫だとは思いますけどね」と余裕の態度だった。いくら強くても、ロビンソンは扱い方を知っていれば難しい相手ではないのだ。一方、まだ若手だったリック・マーテルが鶴田さんに挑戦した時は、馬場さんは「こういう相手は要注意だ」と言ったが、本当に鶴田さんは敗れて世界王座を失ってしまった。そして、普段、馬場さんがよく言う、「俺がスターだという自覚が大レスラーを作る」という主張通り、それまであまりぱっとしなかったリック・マーテルはスーパースターになっていった。

ところが、日本人は、比較的、ゴッチやロビンソンのようなタイプが好きかもしれない。そして、彼らのようでないと、「八百長だ」となるのである。
前田日明さんは、現役の頃、よく、「試合数を減らさないといけない。毎日真剣勝負が出来るはずがない」と言っていたし、実際、彼は理想のプロレスが出来る団体を作った。その理想は素晴らしいと思う点はあるし、実際、凄い試合をしたようだが、あれをプロレスと言うわけにはいかないと思う。一部の熱狂的なファンを楽しませたが、ほとんどの人には訳が分からなくなってしまった。彼のやり方では、ビジネスとして、あるいは、スポーツとして発展することは無いが、彼はそんなことを目指していた訳ではないと理解すべきだろう。
日本のプロレスは、どういっても「力道山、馬場、猪木」なのである。強いというだけなら文句のなかったジャンボ鶴田さんは、馬場さんのところから一歩も出ず、自分の世界を造れなかった。どこまで行っても馬場さんの子分で、馬場さんを超えることはなかった。その点、前田さんには期待があったが、彼は過激過ぎ、マニアックな世界に走った。それが悪いことではないが、プロレスの発展には貢献しなかったのだと思う。彼は、理想を持ってはいたが、ある意味、自己中心主義者だったのだろう。

史上最高のプロレスラーと言って良いと思う、ルー・テーズに対し、「プロレスに筋書きがあるのか?」と質問した時の映像が残っている。
テーズは全く動じず、「私の知る限りプロレスの試合に筋書きがあるなど、聞いたことがない」「プロレスも、ショービジネスとしての面はあり、ショーマンシップは必要だが、行き過ぎたショーマンシップは好ましくない」「プロレスの試合で大怪我したり、死亡した例もある。筋書きのある試合でそんなことは起こらない」と、堂々と答えていた。
だが、最初の「私が知る限り」という言い方が、大相撲の横綱白鵬が、八百長について聞かれた時に言った「僕は、無いとしかいえないじゃないですか」というのと被るような気がするのだ。彼らとて、現実を分かってはいるのだろう。しかし、大人なのだ。

我々とて、勤務時間の8時間、真剣勝負でギリギリの仕事をしているだろうか?
まさかそんなことはあるまい。正確に測れば、真剣に仕事をしているのは、多分、多くて1日3~4時間といったところだ。1時間以下、あるいは、ゼロという人だって少なくはないに違いない。
そして、プロレス同様、自分だけ、真面目一徹で働き、他の社員にそれを強要すれば、彼は少々まずい立場になるだろう。
誰が、大相撲やプロレスを責められよう。
最初に、「プロレスは八百長か?」と言ったら、「いまさら」と言われるかもしれないと書いたが、石原都知事が、大相撲の八百長について、「いまさら」と発言したことが問題になることはなかった。大相撲協会も抗議しなかった。
論理的に考えても、「八百長があった」ことは証明できるが、「八百長がない」ことは決して証明できない。「ある」は証明できても、「ない」は証明できないのだ。誰が、三つ目の鳥が世界のどこにもいないと証明できるだろうか?八百長より、特定の者が利権を独占していることの方が余程問題なのではないだろうか?他にも、もっと大切なことが沢山あるのではないだろうか?







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高貴な友

アメリカでは実に半数の人が守護天使(ガーディアン・エンジェル)の存在を信じているという調査結果があると聞いたことがある。
日本ではそれほどではないと思うが、どこの国に限らず、天使に逢いたいと思っている人は多いだろう。
それなら、是非、逢うといい。
では、天使に逢うに際して、考えておこうではないか。天使に何をしてあげるつもりなのかをね。それはきっと、人々のために何をするつもりなのかということと思う。天使が我々を守護してくれるのは、世界を良いものにするために我々が働けるからなのだろうからね。
だけど、個人的な利益を当てにして天使に会いたいと思っているような人間も残念ながらいるのだろう。天使を、強力だが都合の良いボランティアででもあるかのように言ったり、本に書く者までいるのだから嘆かわしいことだ。
また、何もする気が無いのに天使に会いたいという者も、心のどこかに卑しい思惑があるのに違いない。

タゴールの詩にこんなお話を描いたものがある。
ある貧しい女がいたのだが、彼女は神が近付いて来るのを見る。美しく気高い王者の姿であった。彼女は自分に起こった信じられないほどの幸運に歓喜する。
ところが、女の前に立った神は言う。「私に何か施しを」と。
女は驚くが、慌てて自分の持ち物を入れた袋を探り、小さな米粒を1つ取り出して差し出した。神はそれを受け取り、去っていった。
貧しい女が袋の中を見ると、1つの小さな金の米粒があった。

友がいないから天使の友が欲しいと思う者がいるかもしれないが、それ自体は悪いことではないと思う。
だが、人の友になれない者が、天使の友に相応しいことはない。
この世界が楽しくないので、宇宙人の宇宙船に乗せてもらい、彼らの星に行きたいと思う者もいるだろう。
しかし、自分のいる所でうまくやれない者は、どこにいってもうまくやれないのだ。

天使に逢いたいと思うまでもなく、天使はちゃんと身近にいる。
そして、いつでも見ていてくれるのだ。なら、見られていいような生活をしていなければ、逢うに逢えまい。
天使を見るには、心が静かでなければならない。そのためには、世俗の義務を果たす中で、常に自分の心に気付いていなければならない。なぜなら、それが心を永遠に静かにする唯一の方法だからだ。
だが、天使の助けを求めることも出来ない訳ではないと思う。
世俗の義務を果たすことが、我々が向上し、人々を助けるための力を付けるために必要なことなら、そのための援助を願うことは許されるかもしれない。
私も、社会的、経済的なことに関しては、自分の力で十分やっていけるよう、随分と助けてもらったような気がするのだ。
なんだかんだ言っても、天使は優しいし、経験上、少々甘いものだと私は思う。
人は、世俗の義務を果たしながら、自分の才能を活かすことが大切なのだし、それが出来るようになっているのだ。
その中で、自分とはいったい何かを見出した時、心は静かになり、真理が見えるだろう。
その時には、天使はよき友となってくれるだろう。

ああ、そうそう。天使はとても軽いのだ。身も心もね。
身体を重くするのは余分な食べ物だし、心を重くするのは個人的欲望だ。
そして、身体と心は同じものなので、身体を軽くすれば、心も軽くなる。
天使に逢いたいなら、食を慎むように。必要があって体を重くしているなら(プロレスラーみたいなものか)、気力と体力で軽々と感じることが出来る範囲まで。







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腐敗した霊にとりつかれた人達

電車の中で、座席に座っている者が、カバンや紙袋から、ガサガサと何かを取り出し、バリバリと音を立てて、菓子パンやおにぎりを取り出す。
あるいは、缶ビールの栓を音を立てて抜き、つまみのピーナッツをバリバリ食べている男性がいる。
また、かなり年配の女性が、すまし顔で、バッグから飴玉の袋をガサゴソ探って飴を取り出すと、口に放り込んで、口をくねくね動かしている。

すると、どこからか、姿勢が悪く、気味の悪い顔をした、異臭を放つ汚れた霊が、そんな連中のところにすーっと寄っていき、その人間の中に入り込み一体化して、一緒に飲み食いをして喜んでいる。その人間のオーラは腐って汚れ、肌はくすんで堅くなり、表情は野卑になり、品格はますます低下していくのがはっきり分かる。醜い霊は、もっと食べ物、飲み物を要求し、その人間の貪りの欲望をかき立てる。
その醜悪さ、おぞましさ、みすぼらしさは目を背けずにはいられない。

こんな人間が、この餓鬼道から抜けることは、よほどのことがない限り、まず一生ない。
ほとんどが、肥満や過剰な栄養が原因で、さほどの歳でない時に苦しみながら惨めに死ぬ。そして、死んだ後は、自分で食べることができないので、やはり、同じような人間を見つけてとりついては飲み食いし、その人間をさらに惨めな状態にするのだ。
現在は、わが国では、このような汚れた霊が蔓延してきている。
以前は、過剰な性欲のために腐敗する霊が多かったのだが、飽食化、美食化に突き進み、食料の半分を捨てるような国になる頃には、その両方の霊(双方兼ね備えた霊が多い)が恐ろしい勢いで増えていった。
以前、中国の富裕層のグルメ振りを紹介するテレビ番組を見たが、全く同じ状況であった。

また、普段は立派な人でも、性や食の過ぎた快楽を慎むことができないと、やはり悪霊にとりつかれる。そのような人達は、成功していく中で傲慢になり、煩い事も増えてストレスを溜めていることが多い。
ある人は、その高い地位からすれば、むしろ控え目な人格者だったが、偉くなるにつれ、周りが機嫌を取ってくれるようになると共に、取引き上の争いが起こるようになり、怒りや恨みの気持ちをよく起こすようになっていた。その中で、慎みや堪え性が無くなっていくのだが、彼は、甘いものが大好きで、食事の時、常にアズキの餡の缶詰を用意し、食後の「締め」に、それを餅につけて食べることを習慣化してしまう。もちろん、限度を心得えていれば、楽しみもあって良いのだが、彼のはやり過ぎであった。
また、現在は、性の過剰な欲望を実現させるようなサービスを行うところが沢山あるが、金持ちや社会的地位のある客が多い。だが、そのようなところに行き、いったん欲望が満たされると、欲望は果て無く増大し、歪みも異常になっていく。
いずれの場合も、大病で早死にする場合が多い。そして、死ぬ時は苦しく悲惨で、まともな人間の姿ではない。
そして、それは死後も続き、救われる可能性はほとんど無い。
せめて、我々は、食を自らの意思で厳しく慎み、醜悪な霊に近寄られないようにしよう。性欲の方は、食の慎みで支配できるようになる。ただ、普段、食を慎んでいても、「今日くらいは」とか、「このくらいなら」という気持ちでいると、自分に対してどんどん甘くなっていき、あっという間に腐りきった霊と仲良くなってしまうのである。







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