ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

勉強は無報酬で教えるのが一番良い

私は、「格安」、「キャンペーン」、あるいは、「無料」とあったら、最初から全て相手にしないことにしている。
私も販売には散々関わったが、お客様のためにやるキャンペーンや無料というものを見たことは、ただの一度もない。
仮にそれで、本当に安くなることがあるとしても、それは、元々が不要なものなのだ。本当に必要なものは、割引しないのである。
不要なばかりか、害になるものだから格安にするのだろう。

学習塾の話をする。
夏になると、多くの学習塾が、さかんに、「格安講座」「1講座1000円」といったチラシを配る。
1000円の講座はサクラの役で、もっと高い講座に勧誘する目的もあるのかもしれない。
しかし、それよりも、塾なんか無くても、近所のお兄さんやお姉さんがタダで教えてあげるが一番なのだ。そもそも、学校の中で、上級生が下級生に教えるような形を作るべきなのである。年齢の違う子供達の交流は、彼らにとっても素晴らしい影響があることは絶対に間違いがない。
それが、子供達は、学校に長時間拘束されている上、クラブ活動、宿題、塾やお稽古事、予習・復習で忙しくて、したくても、年下の子供達に教えてやってる暇がない。いったいなぜ、そんなに子供達を学校に関わらせるのだろうと疑問に思わないといけない。

今でもあるかどうかは知らないが、大学生がボランティアで子供達に勉強を教えるという活動をするところがあった。
大学生達は、お金はもらえないが、それとは比較にならないほどのことが学べることを、そんな活動をした経験者は知っているのである。
もちろん、大学生ともなれば、可能な限り、学費は自分で払うことが好ましい。しかし、そういった活動にも時間を割くことは一生の宝になる。そもそも、そんなことをやっている時間もないという大学生など、ほとんどいないはずだ。
こういったことは、本当は地域の中で自然に行われるべきことなのだ。だが、子供達があまりに学校に拘束され、地域や大人達と関わることが出来ないのが問題なのである。子供達は、立派な大人と関わらないといけない。教師というのは、大人の中でも、あまり関わらない方が良い連中ではないかと私は思っている。

昔、アメリカでこんな話があった。
ある母親が、中学生の娘が、夜によく外出するのに気付き、どこに行っているのか尋ねると、娘が言うには、数学の宿題が出来なくて困っていた時、近所に数学の偉い先生がいると聞いたことがあるのを思い出し、ためしに、その先生の家に行って、数学の宿題を手伝ってもらえないかと頼んでみたら、喜んで教えてくれたのだが、その教え方が学校の先生よりずっと分り易いし、いつでも来ていいと言うので、宿題が出来ない時はその先生のところに行っているのだという。
そして、その先生の名を聞いて、母親は卒倒しかけた。当時、アメリカに亡命していた、アルベルト・アインシュタイン博士であった。
すぐに母親はアインシュタイン博士のところに謝罪に行ったが、アインシュタインは「いえ、私の方が多く教わっていたのです」と答えたという。

子供や学生の学力が低下しているということで、授業時間や学習内容の増大をするらしいが、どう考えても馬鹿げた話だ。
本当の問題は、あまりにも多くのことを学習させるので、ほとんどの生徒がその半分以上を理解も記憶もしないというだけのことなのだ。ほとんど何も学べないという子も少なくは無い。
大学生の多くが、小学校の算数が解らないのだ。学校自体に意味が無いのである。学校の授業というのは、子供のためではなく、教師の雇用のためと、様々な学力比較調査のためにあるようなものであろう。
この私は、中学2年生の時、授業には一切参加しない決意をした。そして、自分が必要と思うものだけを、学習参考書で独学することとした。それで、数学と理科だけをやり、英語に関しては、基礎的な内容の習得だけに努めた。他の勉強は一切しなかった。夏休みの宿題も一切やらず、提出しなかった。それで、かなり嫌な目や恐ろしい目に遭ったが、負けなかったという訳だ。定期考査などは、試験範囲すら知らず(日程も)、当然、成績は最悪だったのだろう(自分の成績も意図的に見なかった)。それで、学費の安い公立の高校に入れず、少し出来た数学と、日本人ならそこそこ出来る国語、そして、最低限の英語で私立の高校に入ったが、無用に学費がかかったことは、今でも心の傷になっている。
ただし、勉強に関しては、それ以降、私に何の不都合もなかった。私のやったことは、あまり頭が良いとは言えない部類の中学生だった私が1人で考えてやったことで、あまり上手いやり方ではなかったかもしれないが、別に問題は無いと思っている。今にして思えば、斎藤一人さんや、内海康満さんのように、全く必要が無いとして、高校入学を自主的にやめても良かったと思うが、当時の私にはそれは出来ない状況だった。







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キリギリスが幸福になる方法

キリギリスは、今はまだ幼虫の時期で、羽化して本格的に活動するのは7月以降である。
イソップのアリとキリギリスの寓話は、別にキリギリスの生態に合わせて書かれたものではない。実際にはキリギリスは、遊ぼうが働こうが秋には死ぬのだから、アリのように餌を蓄えても意味はない。
だが、アリとキリギリスを人間に例えれば、人生の戒めを、分かりやすく、かつ、そこそこ面白く表現できるので、あのようなお話が作られたのだろう。

ところで、そのイソップの寓話で、夏に遊び呆けているキリギリスは、アリを馬鹿にしたり、哀れんだりする。まあ、そうでなければお話にならない。
「もっと人生(あくまで人間への投影であるので、こう言っておかしくない)を楽しもう」「働いてばかりなんて馬鹿のやることだ」といった具合である。
だが、もし、本当にそんなことを言うとしたら、間違いなく、キリギリスには、心の中に苦しみがあるのだ。それは、暗く、屈折した、とても辛い痛みである。キリギリスは、アリを楽しく遊ばせることが、アリにとって幸福だからそう言ったのではない。自分の苦しみをなんとかしたくて、そういう風に言うしかないのである。
そうでないなら、アリが何をしようが関係なく、勝手に楽しくやればいいはずだ。
他人の言動に文句を言いたくて仕方がないとか、気に食わないというのは、自分の心の中に傷があり、それが痛くて辛いのである。では、なぜそんなことになるのかというと、やはりそれは生き方が間違っているのだろう。心に苦しみがあるなら、他人をいくら攻撃しても何の解決にもならない。自分の問題を解決しなければならない。
実際は、他人を批判、非難すればするほど、自分の苦しみが増すのである。なんとも恐ろしいことだ。
しかし、他人への攻撃をやめ、自分の問題を解決するという決意をすれば、問題は速やかに解決する。なぜなら、敵を見つけやすくなるからだ。いかなる戦いでも、重要なことは真の敵を見つけることで、偽の敵に幻惑されている間は悲惨なものだよ。
キリギリスのように生きたければ、勝手にそうすれば良いのだ。しかし、他人のことをとやかく言ってはいけない。そして、そうすれば、自分の問題も分かってくるのである。まあ、自分の問題を直視するのが恐くて他者を攻撃するとも言えるのであるが、それならなおさら、他人のことを責めてはいけないのである。
政治なんか見てても同じだろう。他の党や政治家を声高に批判する政治家を見ていると、誰しも、「君、他人(他党)のことはいいから、自分(自党)の問題を解決しろよ」と言いたくなるであろう。そういう風に、他人のことは分かるのだが、我々は自分のことは分からない。
アリは、働いているとは言っても、別に不満はないだろう。本能に従っているのであるから、それはむしろ快感であろう。つまり、アリもキリギリスも実際は全く同じなのである。

私は、イソップのお話とするなら、キリギリスのように生きる。ただし、アリの生き方を認める。
そうすれば、自分で知らないうちに働いたり、勉強したりしているだろうし、実際にそうなのだ。
財務長官が、責任を持って大きな仕事をしているように見えても、実際には彼は何もしていない。全ては自然に進んでいくのである。
仕事をするのに、自分がやっているという自覚が必要だという理由は無いのである。
不思議な、あるいは、馬鹿げた話に感じるかもしれないが、過去を悔やんだり、未来を心配したりせず、他人のやることをとやかく言わないようになれば、それが当たり前であると分かると思う。それが、いわゆる幸福なのだろう。







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やろうという気持ち

2009年に亡くなられた、プロレスラーの三沢光晴さんの、全日本プロレス時代か、プロレスリング・ノアの時代か分からないが、テレビ放送された、新人入団テストの時のことを憶えている。
入団希望者の実技試験では、腕立て伏せや腹筋運動の回数等で、厳しい条件が提示された。内容は忘れたが、常人にはとても不可能なものであったのは確かである。
その時、三沢さんは言った。
「出来るか出来ないかが大事なんじゃありません。やろうとする気持ちを見ています」
実際、条件には達していなくても、やろうという気が伝わった者達が合格したように思う。

プロレスラーの入団試験に比べれば平和そのものと思うのだが、少食や菜食主義ということについて、良いと思いながら、「肉を食べないなんて僕には無理です」「これまでの半分の量というのは絶対不可能」「おやつを一切食べないなんて出来るはずがない」と言う人が多いように思う。
決して、仙人のような食生活をしろというのではない。
3食食べて良いから、決して満腹するまで食べず、食事の後でも、十分な食欲が残る程度に食べること。
食事の時間を可能な限り一定にし、食事の時以外は食べない、つまり、間食をしない。
魚介類はなるべく、そして、肉は一切食べない。
これだけやれば、別に特別なダイエットをしなくても、すぐにスリムな美しい体形になり、健康状態は大きく改善されるだろう。
そのためには、余分なお金は1円もかからず、それどころか、大きく節約が出来るのだ。

しかし、自分には絶対無理だと思い込んでいる人が多い。
また、このような食生活が栄養のバランスが悪くて身体に悪いと思い込んでいる人も多い。
すっかり世間に騙されてしまっているのだ。
いくら、オバマ大統領が毎日、サーモンとブロッコリーとライスしか食べていないとか、宮崎駿監督も、毎日、ちょっとしたおかずが入っただけの同じお弁当を昼と夜に分けて食べているとか、それどころか、世界には、粉にしたトウモロコシしか食べないとか、1つの種類の芋しか食べないが、健康で長寿な民族が沢山いる事実を知らせても、世間の妄信に凝り固まった心は全く受け付けず、お伽噺を聞いたような感覚でとらえてしまうのだ。
私は、1日1回の食事である夕食は、毎日、パン、野菜、果物、チーズ、ナッツだ。しかし、以前、栄養満点だった頃は、悲惨だった健康診断の結果が、今はオールAの超健康体で、毎晩、腕立て伏せ230回他の鍛練を1日も欠かさない。
まずは、やろうとする気持ちがなければ何にもならない。
昔、松下幸之助が、ダム経営といって、社内にお金などの余剰を持った、余裕ある経営の重要性を説き、セミナーでそれを話していた時、誰かが、「私のところのような小さい会社ではそれは難しい。どうやったら余剰を持てるのか?」と尋ねた時、松下幸之助は「余剰を持ちたいと願うことだ」と言って場内の爆笑を買った。ところが、その時、「そうか!」と思ったのが、若き日の稲盛和夫だった。
まずは、やろうと思う気持ち、そうありたいと願う気持ち。素直にそこから始めることであると思う。







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癖は大切にしないといけない

「無くて七癖」なんて言葉があるように、誰にでも癖というものがある。
癖とは、辞書によれば、「無意識に出てしまうような、偏った好みや傾向」「習慣。ならわし。」というものらしい。
ところで、癖は、長い間の繰り返しで身に付いたというよりは、やはり、元々が、その癖に関わる何かを持っているのではないかと思う。

そして、深い真理を言うなら、癖とは、「生命力を阻害するものを排除する無意識のふるまい」である。
逆に言えば、「生命力を高めるために有効な無意識のふるまい」だ。

この「ふるまい」には、行動と共に、言葉や、さらには、思考も含まれる。
例えば、首をひねる癖があるなら、その人は、骨や神経などの独特な構造上、そうすることが生命のために役立っているのである。
だから、「癖というのは直してはいけない」のである。癖を矯正して消すことは、その人の生命力を奪うことだ。

「涼宮ハルヒの憂鬱」という小説で、キョン(高校1年生男子)は、ハルヒ(高校1年生女子)と話していて、「どうやら、こいつの口癖は『ぜんぜん』のようだ」と思う。
私は、ハルヒはむしろ、「どうでもいいじゃない」と言うのがらしく感じる。
いずれにしろ、ハルヒは小難しいことが好きでなく、ストレートにシンプルにやるのが好きなわけで、それが彼女の生命力を高めているのだ。
小説の話とはいえ、著者の谷川流れさんほど直観力のある人の洞察力は素晴らしいもので、それが、ハルヒという常識を超越した少女、あるいは、人間の性質を見事に現していると思う。

書店でよく、「成功するための口癖」なんて本をよく見るが、これは、非常に良くない。

癖は、自分の無意識から出るものでなくてはならない。自分の生命力を高める癖は、自分にしか分からない。
「この癖がいいんですよ」と言われてやっているものが、自分の生命力を弱めるものだということもあるし、いずれにしろ、本当の自分の自然な癖ほどのものでは絶対にない。

ところで、さきほどの「涼宮ハルヒの憂鬱」で、そのキョン自体の口癖は、小説やアニメをそれなりに熱心に見ていたら、「やれやれだ」であると気付くと思う。これは、彼が、ハルヒのはた迷惑(というよりキョンにとって迷惑なのだが)な行動にうんざりした時の嘆きの言葉であるのだが、まさに彼らしい口癖だ。
ところが、この口癖は、一瞬で身に付いたものである。中学3年生の時の同級生の女子がある時にキョンに言った「やれやれだ」という言葉が、そのまま伝染したのだ。彼女の口癖がまさにそれだった。そして、キョンは、自分の口癖が彼女からのものであることに気付いていなかった。
だが、やはり、キョンには、「やれやれだ」という口癖が、彼の生命力を高めるのに都合が良い因子があったのであり、それを彼女(佐々木という名の個性的な美少女)が口にした途端、彼に伝わったのだろう。キョンにとって、彼女はまさに、「命の恩人」である。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、神話は想像ではあるが空想ではないという意味深いことを言っているが、「涼宮ハルヒ」シリーズのように社会現象とまでなるほどのものや、筒井康隆さんの「時をかける少女」のように、一見、何でもないようなお話のようだが、わが国の歴史的作品になるようなものは、やはり何かあるのだろう。

スポーツや武道で、「悪い癖」とされるものがある。野球のバッティングで、「この選手は、スイングの際、ヘッドが下がるのが悪い癖だ」といったものである。
しかし、その悪い癖が、後に天才的特長になったという話もある。イチローの昔の「振り子打法」なんてそれで、コーチは矯正しようとしたが、イチローは従わなかったという。
もちろん、単に楽で快感を感じるからという理由で習慣化したものを癖と勘違いして放置してはいけないが、悪く見えても、軽率に癖に手を加えてはならない。
悪い癖というのもあるにはある。しかし、それでも、直接に癖を矯正すると、やはり生命力を奪う。その悪い癖で生命力を高めざるをえなくさせている原因の方を除かねばならない。

自分の癖を大切に。それは、あなたの生命力を高める鍵である。そして、生命は神であり、全ては神である。自分の癖を深く知れば生命を理解し、神を知ることにもつながるかもしれない。
安易に「成功の口癖」を真似してはならない。癖は真の自己主張であり、自分自身なのだ。







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天才技術者が説く、願望達成の仕組み

朝も書いたが、天才的な発明家であり、発想法でも知られる中山正和さんの知恵の重要性をますます感じるようになった。

その中で、皆さんに役立ちそうな話をしよう。
引き寄せの法則とか、潜在意識の法則とか言っても、私は、中身としては同じではないかと思う。
願望を潜在意識に上手く引き渡すことが出来ればそれは必ず叶う。しかし、それがなかなかうまくいかなくて困っている人も多いと思う。

中山さんは、潜在意識による願望成就の力は認めていた。そして、科学技術者らしく、その構造をシンプルに説明している。
優れた技術者は、いかに高度なものにもシンプルな構造を見出す。シンプルなものでなければ、不確定要素が多くなり過ぎ、実用にならないからだ。ここらは、私のようなソフトウェア技術者でも非常に大事にすることでもある。

簡単に言うと、命の危機がなければ、潜在意識の力が発揮されない。
経験豊かな人たちは昔からそのことをよく知っていたので、「命懸けでやれ」とか、「死に物狂いでやれ」って言ったのだ。

火事場の馬鹿力というものをご存知と思う。
緊急事態の中で、大の男数人でも動かせないものを、か弱い女性が1人で運んでしまうということが、実際によく知られている。
これは、自分や、あるいは、非常に大事に思う人の生命がかかっている時である。
つまり、生命の危機にあるから、人は大パワーを発揮するのだ。
潜在意識も同じである。そもそも、肉体に潜むスーパーパワーも、潜在意識の力が関係しているのである。

つまり、その願望が達成されなければ命に危機が降りかかるという状況なら、必ず願いは叶う。
いわゆる、退路を断つってやつだ。昔の武将には、船で敵地に乗り込んだ後、乗ってきた船を燃やし、勝たない限り生きることができない状況にしたらしい。それにより、兵士達は、いやが上にも潜在能力を大きく発揮するのである。

中山さんは、願望達成のメカニズムを脳に潜む機能として説明している。
脳は、現実と鮮明なイメージとの区別が付かないことは、脳や精神の研究でも明らかにされている。
そして、脳が現実と認識していながら、その現実感が無いと、命は危機に陥るのである。すると、潜在意識の力は、現実をイメージに適合させようとするのだ。その力は、物質的な範囲を超えているようであり、神秘的ですらある。
ここでは、このように簡単に書いたが、中山さんは、脳をコンピュータに例えた、HBC(ヒューマン・ブレイン・コンピュータ)モデルを考案し、合理的に分りやすく説明している。詳しくは、書籍を当たって欲しい。

就職出来なかったら、餓死して死ぬという状況なら、必ず就職できる。親に食べさせてもらえる者は、その危険がないから、なかなか就職できない。
ジョー・ジラードという伝説の自動車セールスマンは、セールス第1日目に、見事、車を1台売ったのだが、どうやって売ったのか憶えていないと言う。彼は、車の売り方なんか一切知らなかった。だが、彼は妻に言われたのだ。「食べるものを買うお金を頂戴」と。彼は、何が何でも車を売り、コミッション(販売手数料)の前借りをして帰られないと、自分はもちろん、妻や子も何も食べられなかったのだ。
これが生命の力である。

生命に直結するのは食である。よって、食を減らして、生命を危機に追い込めば、潜在能力が発揮される。水野南北が、「食が全て」と言ったのは、このことを直観で知ったのであるが、実際、彼は、長期の断食の末に、伊勢神宮の外宮で天啓を得たのだ。
もっと強力なのは呼吸である。作詞家の阿久悠さんは、願望をイメージする時、本当に息を止めていた。そうやって曲がヒットすることをイメージすると、必ずヒットするのである。

中山正和さんの本で最もお奨めなのは、本日の朝の記事の最後にご紹介した、上側の3冊である。しかし、他の本も素晴らしい。更に別のものも、下記にご紹介する。







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名前:Kay(ケイ)
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