ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

友や恋人はなぜ別れるのか?

地球が丸いということは、知識としては知っているし、多分本当だろうとは思うが、別にそれが私の信念や教義ではない。自分で確認した訳でもないし、実際はどうだろうと別に構わない。だから、私は、地球が平たいと思っている人がいて、彼がその考えに固執しない限り、つまり、それが彼の信念や教義でない限り、彼を友人と認めることに何の問題もない。
ましてや、金星が、濃硫酸の雲に覆われた、高温高圧の地獄のような星だなどと信じる理由は何もない。ただ、一説としてそんなものがあると知っているだけだ。
そういうことを信じ合っている者達には近付くまい。彼らにとって、私は変人で異端者だ。あまり楽しい扱いは受けないはずだ。

我々が、本当に知っていることって何だろう?
多分、何もないのだ。
デカルトという人は、全てはいくらでも(本当か嘘かと)疑えるのであり、そうである以上、「これが本当だ」と言えるものは何もないと言った。彼だって、地球が丸いとうことを仮説としては受け入れても、本当には信じないだろう。
しかし、やがて彼は気付いた。「疑っている私は確かに存在している」ということだけは、本当だと。

いずれにしろ、我々は何も知らない。
「私は自分が何も知らないことだけを知っている」と言ったのはソクラテスだが、うまいことを言うものだ。

ところが、ほとんどの人は、自分は何かを、そして多くを知っていると思っている。しかし、それは、嘘か本当かさっぱり分からない幻想だ。
そして、同じ幻想を信じている人同士が、友人、恋人、夫婦になるのだし、家族というのは、親の教育によって、同じ幻想を共有しているのだ。
だから、友や恋人や夫婦が同じ幻想を信じなくなったら、友でなくなり、恋人で無くなるり、夫婦なら別れるだろう。そして、家族の中に、他の家族が信じている幻想を信じない者がいれば、その者はすでに家族ではなくなっているのだ。

世間の友達関係、恋人関係、夫婦関係、家族関係というのは、こんなものなのだ。
ただ、嘘だらけの幻想で結びついた偽りの関係だ。

しかし、共通の幻想を必要とせずに友達でいるのなら、それは本当の友だ。
そのためには、幻想ではなく、真理を知れば良い。そうしたら、真理を知る者同士、良き友になる。
では、どうすれば、真理を知ることができるのか?
それは、幻想を消し去ることによってだ。では、どうやれば幻想を消すことができるのか?
それは、真理を知ることによってだ(笑)。
しかし、ソクラテスのいう「私は何も知らない」ということを本当に知ったなら、真理を知っていると言えるのではないかね?それは真理なのだから。
真理は、目で見ることも、耳で聴くことも、指で触ることもできない。内なる直感でしか知ることはできない。
真理を内側で感じることが出来るなら、全てを知るのである。

誰かがイエスに、「真の友とはどのような人ですか?」と尋ねた。
イエスは喩えで言った。
「強盗に襲われ、金品を奪われて重症を負った男がいたが、人々は、彼を見て見ぬふりをして通り過ぎた。だが、ある人がその男を介抱し、宿に運び、朝まで看病した。そして、宿を去る時、宿の主人に金を渡し、男の看病を頼んだ。さらに、費用がかさんだら、帰りに払うと言った。さて、誰が、この男の友人であろうか?」
「男を親身に世話した者です」
「あなた達も、そうありなさい」
私は昔、この話を読んだ時は、お金を全く持っていなかったが(ニートだったので)、少なくとも、そんな気持ちだけは持とうと思った。すると、すぐに、それができるだけの金が入り、それがなくなることは無かった。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

断ち物の魔力

自分では無神論者だと思っているような人でも、願掛け(神仏に願うこと)というものをやったことのない人間はまずあるまい。「こうなって欲しいなあ」という想いが起こるというのは、それが神や仏であるかどうかはともかく、思いや意思を形にする何らかの力が存在することを心の隅にでも信じているのであり、何によって信じるかというと、直感しかないと思う。しかし、純粋な直感ほど確かなものは無い。
『老子』の21章にも、おぼろげで分かりにくいものの中に、なんらかの力があることを、私は直感によって知っていると書かれているのは興味深いものであると思う。

ところで、願掛けを効果的にするものとして「断ち物」というものが、古今東西に存在する。断ち物とは、好きな食品、嗜好品、あるいは、薬などを絶って、その代わりに、願望の成就を願うものである。断ち物の期間は、普通は、願望が叶うまでであるが、祈願の際、「一生○○を絶ちますので、願いを叶えて下さい」と祈れば、さらに成就の可能性が上がるのである。我が国でよく知られているものには、春日局が、幼少の時の徳川家光が病で瀕死の状態であった時、その回復を祈願する際、一生薬を絶つことを誓ったというものがある(家光は奇跡的に回復した)。また、上杉謙信が、戦での勝利を祈願した際、生涯の女絶ちを誓ったことも有名で、実際、彼は妻も側室も持たなかった。

断ち物は、迷信と思われることもあるが、私は、必ずしもそうではないと思う。
断ち物では、先に述べた通り、好きな食べ物や嗜好品、あるいは、薬などを絶つのであるが、好きな食べ物とか、酒、タバコ、コーヒーといった嗜好品を絶つというのは、欲望を捨てることである。現代であれば、ゲーム、漫画、アニメ、あるいは、昨今の事情では、クーラーといったものでも良いと思う。一方、春日局のように、薬を絶つというのは、生命を捧げても良いという意味になり、決意の強さを感じるのである。また、上杉謙信も、おそらく、健康で強健な若い男子であったのであるから、一生、女を求めないという決意も並々ならぬものを感じさせる。
この世には、目に見えるものだけではなく、その背後、あるいは、内部、あるいは、もっと別の形で、何かの力、エネルギーが存在することは科学的にも確実であるし、その見えないものについて、我々が知ることは極めてわずかである。だが、その存在を、自然の中で生き、迷信もあっただろうが、現代の我々より鋭い直感を持つ人々は、神、仏、あるいは、天使、妖精、精、霊などと言ってきたのだ。
欲望を捨てる、命を捧げるというのは、その神秘な力に働きかけ、動かすことが、経験的に知られており、真摯な目的で行った者なら、それが恐るべき力であることが確証されているのであると思う。
だが、上杉謙信のように、戦に勝つという、ある意味、我欲のようなものであれば(必ずしもそうではないと思うが)、女を絶つという、男にとって最も辛いことを対価にする以外に無いのかもしれない。

水野南北は、願いがあれば、食事の三分の一を神仏に捧げよと教えている。別に、本当に神棚、仏壇に捧げる必要はなく、ただ食べずに、心の中で捧げれば良いとする。それで、小さな願いで1年、ちょっと大きなもので3年、大きな願いでも10年で叶うという。なぜ叶うかというと、食は生命を育てるものであり、食物を捧げるということは、生命を捧げることであるからだと言う。
水野南北は、観相(顔や身体の相で運命を鑑定する占術)で、その名を天下に轟かせていたが、それよりも、その人の食を見れば、万に1つも、運勢を読むことを誤らないと自信を持って断言した。即ち、食多く美食であれば逆運(不運)、食少なく粗食であれば幸運である。
少食、粗食であるにこしたことはないが、すぐに始めるのが難しければ、チョコレートが大好きならそれを絶つ(女優の細川ふみえさんもこれをやった。彼女は、3食全てチョコレートで良いというほど好きだった)、大好物がカレーライスならそれを絶つといったことから始めても良いと思う。そこそこの願い事に効果は必ずあると思う。あるいは、複合技で、好きなケーキ、スパゲティ、焼肉、ステーキを絶つという風にすれば、さらに願いを叶える強力な力になる。
これを、引き寄せの法則や、潜在意識の法則などと組み合わせれば、これまで願いが叶わなかった人も、きっとうまくいくに違いない。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

トイレには幸運の神様だっている

トイレをピカピカに磨いたら美人になれるという歌があったが、トイレのサンダルをいつもきちんと揃えたら幸運に恵まれる。
ある人が、「閻魔様の前に出たら、大きなことは何もしなかったが、トイレのゲタだけはきちんと揃えたと言う」と言っていたが、彼は、実際はかなりの成功者だった。
簡単なこともぞんざい(粗略)に行わなければ、立派な行いになる。立派な人で、玄関の靴を揃えたり、傘をきちんとたたむなら、人生は保障されると言う人もいる。逆に言えば、そうでないなら、どんなに高学歴でも、能力が高く、また、努力する人でも、成果は一時的になるものだ。

私がいつもお奨めする、簡単でありながら、万病をも治す腕振り運動の良いやり方も同じである。
腕振り運動をする時、決めた回数を早く終わろうと思ってはいけない。マンネリ化して、やるのが面白くなくなり、やがて続かなくなる。
一振り一振りに愛着込めてじっくりやるのが良い。
※腕振り運動に関しては、当ブログ内、下記リンクをご参照下さい。
地球や天と共鳴する腕振り運動
腕振り運動の効果、最新レポート

野球の良いバッターは、いつでもどこでも素振りをやりたがるものだが、彼らの真似をしているつもりでも、回数をただこなすだけの者は優れたバッターになれない。一流のバッターは一振り一振りの、その一瞬に気持ちをそっと込めている。
そして、1つ1つに愛着込めてやると、なんでも楽しくなるものなのだ。
工場の単純作業でも、飽き飽きしながら、いやいややる者もいれば、同じことをやりながら、いつまでも飽きずに、喜んでやる者というのはいるのだ。そんな者は、やがて不可思議な能力すら降りてきて、新しい道に進む。
ある剣豪は、師に、1本の杭の先端を木刀で打つということを毎日やるよう指示され、最初は嫌々やっていたが、やがて、一打ち、一打ちに気を込めてやるようになった。すると、1年後、どんな相手と立ち会っても、相手の動きが手に取るように掴めるようになり、また、鉄の兜を切れるようにまでなった。

もちろん、やるに価値あることをすることも大切だ。
腕振り運動は素晴らしく価値がある。
また、禅では、数息観と言って、呼吸を1から10まで数えることを繰り返す行がある。普通、吐く方の息を数える。それを、気持ちを込めてやると、それだけで悟りを開ける。
これらのことをやると、病気は治り(実際に何でも治っている)、健康になり、頭は良くなり、運は開ける。しかし、それを目的にしてはならない。あくまで、淡々と1回1回、愛着込めてやるのだ。
ただ、「愛着を込める」「気持ちを込める」「気を入れる」というのは、「力を入れる」というのとは違う。難しい顔をして、荒い息をしてやるのではない。その一瞬を意識しながら、すっと気持ちを込めてやるのだ。
その感覚を掴む訓練としては、優れた書を読んでみると良い。

良い数学の問題集であれば、1問1問、愛着込めて解くと、残りの問題が無くなるのを惜しみながら解くようになる。そして、1冊終えた時には、素晴らしい実力がついている。
優れた本を読むときは、1節1節、大切に愛着込めて読め。聖書や老子であれば、1節に数時間、いや、1日かけてもか良いのだ。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

速読で馬鹿になる理由

「今日は5冊読んだ」「月の書籍代は5万円以上」といったことを自慢げに自著で述べているのをよく見る。実際、単なる自慢なのだろうし、賢い人の言うことじゃあない。
速読ってのは、昔から人気がある。私も、いろんな種類をやってみたし、かなり熱心に取り組んだこともある。だが、どれも、私が期待していたのとは違っていた。薄っぺらな知識が付くだけのことだ。
だが、確かに新しく出版される書籍を数多く読み、かなり鋭い書評を述べる人はいるし、私が実際に知っている方もいる。しかし、その人が書評を述べた本で、私が熟読したものについて、その人と話してみたら、やはり、その人の理解はひどく浅いと言うよりは、実際は読んでいないと感じた。そこで、聞いてみたら、本の内容を素早く把握する読み方というものがあり、決して、全体を均等に読むのではなく、場合によっては数ページも読まないこともあるという。言われてみれば、そこそこ素晴らしい本でも、本当に良い部分は数行である。問題は、その数行をいかに見つけるかであるが、それには、本全体の構成を素早く把握する必要もあるし、そのためのテクニックは存在する。しかし、もっと重要なことは、自分の実践経験と知識を活用して読むことで、巷で言う速読とはあまり関係ないことである。

ある素晴らしい科学者が、日本の学校では教科書を1年かけて読むが、そんなことでは、読み終わる頃には最初のところは忘れているし、全体の把握ができない。1年ではなく1時間で読むべきである。アメリカの学生はそうしている。せめて10日で読めと力説していた。しかし、アメリカの学生が特に優秀とも思えない。この科学者は、実際にはアメリカの教育に詳しい訳ではなく、人から聞いたことに同調しただけではないだろうか?別の科学者がこう言っていた。「そうかもしれないが、日本の教科書じゃ無理だよ」。1時間で読める教科書は1時間で読めるよう工夫されているだけのことだ。
学校では、さっさと読むことが要求され、いくら興味があっても、同じ部分にとどまっていることが出来ない。沢山詰め込まないといけないからだが、そんな勉強をやってはならない。本当に必須で憶えていなければならないことはさして多くないのに、そのような教育のおかげで、本当に重要なことを習得しないために、生涯、本から何も学べなくなってしまう人間のなんと多いことか。エジソンのように小学生の時に学校をやめたことが幸いした者は案外に多いだろう(もちろん、無知なままで一生を送るリスクもあるが)。

私が速読で読んでいて気付いたのは、誤読が非常に多いことだった。おかげで、読みはしても、内容をひどく誤解することがよくあった。これについては、後に、フロイトの「精神分析入門」を読んで納得した。
例えば、文章で「髪が短かった」とあるのに、なぜか、「髪が無かった」と誤読する傾向の強い人がいる。それは、その人の潜在意識の傾向性のためであるが、そのようなものは1人の人間の中に、想像以上に沢山あるのだ。速読の場合は、ほとんど全て、その傾向性の影響を受けて誤読し、読んだ意味がほとんど無くなるのである。
1億冊以上の著書が出版されていると言われる天才作家、L.ロン.ハバートは、本を読む時、意味が分からない単語を決してそのままにしてはいけないと常に強調していた。それが学習を完全に台無しにするのだ。しかし、速読では、意味が分からない単語は、全て分からないままで先に進む。

ユダヤ教のラビ(優れた教師の尊称)がこう言う。ユダヤ教の聖典タルムードは膨大な書だ。しかし、我々は、たとえ数時間かけて数行しか読まなくても、そこに秘められた知恵に驚き、陶酔し、喜びに浸るのだ。
ヒマラヤに住む、神のごとき至高の英知を備えた大師(悟りを得た聖者の尊称)達は、ヴェーダやウパニシャッド、バガヴァッド・ギーターを読むが、一度に数節、1文を1日かけて読むのである。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

新しい時代の人間とは(続・人類は戦争を止められるか)

誰かが、戦争永久終結宣言をした時、その者は、そう宣言出来る理由を同時に述べるのではないだろうか?
その理由が十分な説得力を持っていない限り、信用されることはない。
では、その理由とは何だろう?
例えば、国連軍がいかなる国家や同盟国連合に勝る軍事力を持っているなどはどうだろう?
これは駄目だね。軍隊が存在する限り、対抗する者は現れるし、内部での分裂もある。軍隊なんて、外からの攻撃には強くても、内部に潜入されれば案外に脆い。
そして、軍事力が世界から消えることも考え難い。

実際、小説の中ですら、戦争が永久に無くなったなんて宣言された話は見たことがない。
せいぜいが、「いつか再び悪が蔓延ったら、その時また(強力な戦力を持った)私はやってくる」といったものだ。これでは、また戦いを望んでいると言っているようなものだ。
だが、こんな作品がある。
これまでの人類とは異なる人間が、今の世界で権威を持つ者に、
「お前の時代は終わった」
と、平然と宣言する。
その新しい人間は、その前に、その理由をこう説明していた。
「すでに世界は、あんたをとり残して大きく変わりつつあるんだよ。人間同士が争い、殺しあい、憎みあう時代はもうおわるんだ。これからの新しい世界は、武器や暴力なんか通用しないんだ。つまり、あんたのような人間は無意味になったということさ」
「これまでの人類は弱々しくあわれな生きものだった。たやすく傷つき、血をながして死んだ。だからこそ、暴力や死が人類社会を動かしていた」
~「デスハンター」(原作:平井和正、作画:桑田次郎)より~

「荘子」の「逍遥遊編」にこんな話がある。
「ある山に神人がいる。その神人の肌は雪のように白く、身体つきは乙女のようにしなやかだ。風を吸い、露を飲むだけで、穀物などはいっさい口にしない。あるときは雲に乗り、またあるときは飛竜にまたがって、宇宙の外を駆けめぐる。何ひとつするわけでもないのに、神人がいるというだけで傷つき病む者は救われ、五穀も豊かに実る」
「神人は何者にも支配されない存在なのだ。水が天までとどくほどの洪水も、神人を溺れさせることはできない。金石を溶かし、大地を焦がすほどの炎熱も神人に火傷ひとつ負わせることはできない」
~「荘子」(岸陽子訳)より~

これらのお話が荒唐無稽に感じるなら、象徴的なものだと解釈すれば良い。しかし、言葉の通りに受け取っても構わない。
それは、イエスの次の話をどう捉えるも自由だということだ。
イエスは、神殿で商売している人達を追い出し、「父の家を盗人の館にするな」と言った。「あなたにこんなことをする権威があるなら、証拠を見せろ」と言われると、イエスは「神殿を壊せ。私は3日で建て直す」と言った。「この神殿は建てるのに46年かかっている。それをあなたは3日で建て直すと言うのか?」と言われたが、イエスの言った神殿とは肉体のことだった。
そして、イエスが磔になって死んだ3日後、イエスの遺体を収めた墓は空になっており、イエスは完全な身体で甦った。
~「新約聖書 福音書」より~
これは、人間の肉体とは、父である神の神殿であるという意味だ。イエスは、それを示すために磔になったということだ。
インドの聖者ラマナ・マハリシは、イエスの磔の意味をこう説明している。
「十字架は、肉体だ。イエスは人間イエスの自我である。自我であるイエスが肉体たる十字架に磔になって滅び、イエスは、真のイエスであるキリストとして復活した」

マハリシの教えのおかげで、これらのお話は、御伽噺のようなことを事実として信じても良いし、また、精神的な教えとして受け入れることも可能になる。
道元は、「仏道とは自己を忘れること」と言っているが、これは、マハリシの言う、自我が滅ぶということだ。それにより、イエスの教えでは人はキリストになるように、釈迦の教えでは人は仏陀になる。キリストと仏陀は同じものであり、それは、個人としてのイエスや釈迦ではなく、真の生命である聖霊のことだ。
また、自我が滅ぶという言い方は誤解されやすい。ちょっと説明しよう。
表に表れた自我は悪魔(サタン)のようなものじゃないか?イエスは、「わが後方(しりえ)に退け、サタン」と言ったが、退いてしまえば、自我はサタンではなく、単なる個性だ。仏道で言う、「忘れた自己」もまた、害のない、ただの個性だ。
自我が退けば、真の自己である真我、あるいは、キリスト、あるいは、仏陀が顕現する。これを悟りという。そして、自我はキリストに溶け、個性は残るが清らかだ。

新しい時代では、人類は、その悟りという新しい意識を獲得する。だが、それは、それほど特別なことではない。
しかし、それに抵抗する者も少なくはない。その者達は、先に肉体の滅びが必要になる。
新しい時代に移行できる者とそうでない者の違いは、精神的には、差別心の無さだ。自分と他人の区別があまりなく、自分に優しくすることが嬉しいように、他人に優しくすることも嬉しい人達は、もう悟りに達しているか、今後、速やかに悟りの状態に移行する。
もう一つの特徴は食の慎みで、悟りに近い者の多くは、肉を食べないし、決まった時間に決まっただけ食べる。食事は楽しむが、事前に何を食べるかはほとんど考えない。
こちらは、ありがたいことに、自分で意識的にやれる。
イエスは、ある男にとりついた悪魔を見て、「この種類の悪魔は断食しなければ追い出せない」と言った。悪魔が豚に移って死んだことが何を象徴しているかは明らかと思う。
また、悟りに近い者は、性欲が無いのではないが、それに支配されないし、性欲を煽るものに目を向けない。テレビでアイドルを見ることもない。それらは、芸術性ではなく、性的欲望でセールスしているのだ。

食を慎み、世間の信念や教義にひれふすことを止め、自己を深く探求することで、自己(自我)の正体を見破れば、自我は退く。神話でも、悪魔とは、正体を言われると消えるものだが、それは、このことを象徴している。
自我が消えた者には、いかなる者も、いかなることも、全く手は出せない。
解脱した新しい人間は言うしかない。「あんたの時代は終わったのだ」と。それは、世俗の権威者に向かってのことでもあるだろうが、実は、自分自身に言っていることでもあるのだ。
新しい時代の人間は、弱々しくも、哀れでもないのである。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ