インドの聖者と言われるニサルガダッタ・マハラジは、「1日中、存在の感覚にしがみつけ」と言ったと書籍に書かれているが、もっとマシな翻訳はなかったのだろうかと思う。
彼の発言の翻訳に、ロクに学校に行ったことのない彼が使うとはとても思えない難しい言葉を当てたり、また、やたら抽象的な言い回しにして、神秘めかそうとする意図はなかっただろうか?
実際の彼の言葉は、単純素朴で、何ら特別なことを言ったりはしていないはずなのだ。
それは、釈迦の言葉にも言えるらしく、釈迦は、教養など全くない庶民の中に入って行って、日常の言葉で簡単なことを言ったはずが、自分達を権威付けようとする僧侶や学者(あるいは、それらを兼任する者達)が、釈迦の教えを難しくしてしまったらしい。
釈迦が、般若心経に書かれている、馬鹿みたいに難しいことを言ったとはとても思えないのだ。
さて、最初の、マハラジの「存在の感覚にしがみつけ」であるが、優れた人々の間で、「存在感」について改めて見直されている。
というのも、人間の力は存在感に現れるし、ものごとがうまくいくかどうかは、関係する人や人々の存在感で決まるように思われるからだ。
「あの人は存在感がある」
「彼女の存在感は特別だ」
などと言い、真に優れた人の存在感は、言葉では言い表せないが、やはり何か特別なのである。
アントニオ猪木さんが嫌いという人は少ないのではないかと思う。
あの人がテレビに登場すると、ぱーっと陽性の気が広がり、安心感を感じるほどで、彼の講演会が大変に人気があるのも納得出来るのである。
つまり、彼の存在感は特別なのである。
サッカーの三浦知良さんも、特別な存在感があり、それは英雄的ムードと言えるほどだと思う。
俳優の丹波哲郎さんなども、彼がいるだけで、その場が明るくなり、人々に生命力を与えたものだった。
そして、ビジネスの重要な交渉が成功するかどうかは、プレゼンテーションをする人の存在感に関わることが分かってきていて、アメリカのビジネススクールでは、存在感について本格的に研究し、学生にそれを得させようとしている。
とはいえ、存在感について、そう難しく考える必要はないと思う。
存在感とは意図的に演出出来るものではないし、それをしようとすればするほど、存在感は賎しくなり、軽くなる。
存在感のある人とは、「あるがままの人」であり、「自分らしくある人」、「自然な人」、「飾らない人」である。
普通の人は、自分を大きく見せよう、自分を飾ろうとして、かえって小さく、賎しい存在になってしまっているのだ。
つまり、最初の、マハラジの「存在の感覚にしがみつけ」と言ったらしいことは、実際は、「余計なことをするな」というだけのことだろう。
マハラジはきっと、「余計なことを考えず、どっしり構えなさい」程度のことを言ったのだろうと思うのだ。
言葉で表現し難いので、「特別な存在感」と言うが、そんな特別な存在感を持っているのが初音ミクさんだ。
チームラボ社長の猪子寿之さんと、斎藤ウイリアム浩幸さん(凄過ぎるので何者と紹介し難い)が、日経ビジネスオンラインで対談したことがあるが、その時に、初音ミクさんの熱烈なファンである猪子さんは、「初音ミクに本物はいないし、偽者もいない。全部、初音ミク」と言われていたが、本当にそうだと思う。
猪子さんらは、それは、ミクさんが非実在だからと言われていたが、それこそが、何にも優る実在なのである。
非実在というより、遍在なのだ・・・なんて難しいことを言うと、やはり神秘めかすことになってしまうなあ・・・
でも、ミクさんが好きな人達は、そんなことを、理屈ではなく、ハートで、「ミクさんマジ天使」って言うのだと思う。
感謝祭のミクさんも、ミクパのミクさんも、Hatsune Miku Expoのミクさんも、マジカルミライのミクさんも、ままま式あぴミクさんも、そして、誰が描いたミクさんも、全部ミクさんなのである。
「マジカルミライ」の企画展では、人々が壁に貼られた大きな紙にミクさんのイラストを描くのだが、それらがもう、まさにミクさんそのものなのである。
あれこそが本物の芸術なのであると確信する。
私は、「マジカルミライ」の企画展やライブコンサートで、初音ミクさんの存在を魂で感じ、プレゼンス(存在)に目覚めたのだが、誰もがそうであったのだろう。
インドまで聖者を訪ねる必要もない。
イエス流に言えば、それに優る者がいたのだった。それがミクさんである。
リアルな存在に触れたからには、銃で撃たれようが、ミサイルを打ち込まれようがビクともするものではないし、そもそも、あるがままである者に逆らうことなど出来ないだろう。
◆チームが機能しないと売れるものはつくれない ~齋藤ウィリアム浩幸氏×猪子寿之氏のデジタル時代のチーム論(前編)~
◆日本の「あいまいさ」が競争力になる ~齋藤ウィリアム浩幸氏×猪子寿之氏のデジタル時代のチーム論(後編)~
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彼の発言の翻訳に、ロクに学校に行ったことのない彼が使うとはとても思えない難しい言葉を当てたり、また、やたら抽象的な言い回しにして、神秘めかそうとする意図はなかっただろうか?
実際の彼の言葉は、単純素朴で、何ら特別なことを言ったりはしていないはずなのだ。
それは、釈迦の言葉にも言えるらしく、釈迦は、教養など全くない庶民の中に入って行って、日常の言葉で簡単なことを言ったはずが、自分達を権威付けようとする僧侶や学者(あるいは、それらを兼任する者達)が、釈迦の教えを難しくしてしまったらしい。
釈迦が、般若心経に書かれている、馬鹿みたいに難しいことを言ったとはとても思えないのだ。
さて、最初の、マハラジの「存在の感覚にしがみつけ」であるが、優れた人々の間で、「存在感」について改めて見直されている。
というのも、人間の力は存在感に現れるし、ものごとがうまくいくかどうかは、関係する人や人々の存在感で決まるように思われるからだ。
「あの人は存在感がある」
「彼女の存在感は特別だ」
などと言い、真に優れた人の存在感は、言葉では言い表せないが、やはり何か特別なのである。
アントニオ猪木さんが嫌いという人は少ないのではないかと思う。
あの人がテレビに登場すると、ぱーっと陽性の気が広がり、安心感を感じるほどで、彼の講演会が大変に人気があるのも納得出来るのである。
つまり、彼の存在感は特別なのである。
サッカーの三浦知良さんも、特別な存在感があり、それは英雄的ムードと言えるほどだと思う。
俳優の丹波哲郎さんなども、彼がいるだけで、その場が明るくなり、人々に生命力を与えたものだった。
そして、ビジネスの重要な交渉が成功するかどうかは、プレゼンテーションをする人の存在感に関わることが分かってきていて、アメリカのビジネススクールでは、存在感について本格的に研究し、学生にそれを得させようとしている。
とはいえ、存在感について、そう難しく考える必要はないと思う。
存在感とは意図的に演出出来るものではないし、それをしようとすればするほど、存在感は賎しくなり、軽くなる。
存在感のある人とは、「あるがままの人」であり、「自分らしくある人」、「自然な人」、「飾らない人」である。
普通の人は、自分を大きく見せよう、自分を飾ろうとして、かえって小さく、賎しい存在になってしまっているのだ。
つまり、最初の、マハラジの「存在の感覚にしがみつけ」と言ったらしいことは、実際は、「余計なことをするな」というだけのことだろう。
マハラジはきっと、「余計なことを考えず、どっしり構えなさい」程度のことを言ったのだろうと思うのだ。
言葉で表現し難いので、「特別な存在感」と言うが、そんな特別な存在感を持っているのが初音ミクさんだ。
チームラボ社長の猪子寿之さんと、斎藤ウイリアム浩幸さん(凄過ぎるので何者と紹介し難い)が、日経ビジネスオンラインで対談したことがあるが、その時に、初音ミクさんの熱烈なファンである猪子さんは、「初音ミクに本物はいないし、偽者もいない。全部、初音ミク」と言われていたが、本当にそうだと思う。
猪子さんらは、それは、ミクさんが非実在だからと言われていたが、それこそが、何にも優る実在なのである。
非実在というより、遍在なのだ・・・なんて難しいことを言うと、やはり神秘めかすことになってしまうなあ・・・
でも、ミクさんが好きな人達は、そんなことを、理屈ではなく、ハートで、「ミクさんマジ天使」って言うのだと思う。
感謝祭のミクさんも、ミクパのミクさんも、Hatsune Miku Expoのミクさんも、マジカルミライのミクさんも、ままま式あぴミクさんも、そして、誰が描いたミクさんも、全部ミクさんなのである。
「マジカルミライ」の企画展では、人々が壁に貼られた大きな紙にミクさんのイラストを描くのだが、それらがもう、まさにミクさんそのものなのである。
あれこそが本物の芸術なのであると確信する。
私は、「マジカルミライ」の企画展やライブコンサートで、初音ミクさんの存在を魂で感じ、プレゼンス(存在)に目覚めたのだが、誰もがそうであったのだろう。
インドまで聖者を訪ねる必要もない。
イエス流に言えば、それに優る者がいたのだった。それがミクさんである。
リアルな存在に触れたからには、銃で撃たれようが、ミサイルを打ち込まれようがビクともするものではないし、そもそも、あるがままである者に逆らうことなど出来ないだろう。
◆チームが機能しないと売れるものはつくれない ~齋藤ウィリアム浩幸氏×猪子寿之氏のデジタル時代のチーム論(前編)~
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