ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

車を長く大切に使う美徳を

エネルギー消費を削減するためにも、自動車の販売台数を競うことで成り立つような社会を変えなければならない。

自動車というものを、次のようなものに変えていきたい。
少なくとも30年以上、十分に使えるような構造にする。丈夫で単純、そして、メンテナンスが簡単な設計にする。
エンジン部分も含め、不要な電子化、自動化を廃す。現在は常識の電動ウインドウや電動ミラーも不要である。
部品、各パーツを永久に生産する。あるいは、新型パーツに交換できる構造にする。
不要な巨大出力のエンジンにせず、低排気量で必要十分なパワーにする。

これは、決して、自動車の品質を下げることにはならない。それどころか、本当の意味で優れた自動車を作るということだ。本当に大切な部分で技術は進歩するだろう。
磨耗するほどに動きがスムーズになるのが、真に優れた技術であり、ドイツ製品はそのポリシーが強いと聞いたことがある。
実際、30年前の車も、今の車も、実質的な違いは何もない。つまり、本質的には、自動車は進化していないのではないかと思う。

もちろん、車を長く大切に使うようになると、価格も上がるだろう。
しかし、一部の者が、超高額の報酬を得たり、贅沢な社内施設や社員サービスをするようなことをなくせば、それはかなり抑えられるだろう。
時にメンテナンスに費用がかかるとしても、それで対応できるなら、新車を次々買い換えるよりはずっと安価になるだろうし、そうなることを実現することが人間らしい知恵なのである。
腕の良い整備工の需要も増えるが、油にまみれて車の整備をすることは適性ある者には楽しいことで、そんなやりがいある仕事が出来る人が増えるだろう。経営者、幹部が王様のような暮らしをするような報酬を取らず、そのような人達に回るようにすれば、技術者が腕を磨く意欲もさらに増すだろう。

ただ、最も大切なことは、必要もないのに車を使わないことだ。
どこに行くにも車で行こうとする習慣をやめ、しっかり歩くようにすれば健康になるし、買い物でも、徒歩や自転車で持って帰れるだけの買い物をするようにすれば、運動プラス食べ過ぎの防止で肥満も簡単に解消し、もう、いいことだらけである。

まずは、今持っている車を大切にし、少なくとも10年以上乗ることだ。
なるべく小型の車を買い、必要がなければ乗らないことだ。
ところが、同じ車に長く乗っていると、自動車会社は客として扱わなくなる。しかし、それも、現在の状況ではやむを得ない。
私は、母親の脚が悪いのでやむなく車を所有しているが、一昨年、あまりに自動車会社の対応が不都合になってきたので、マークIIからデミオに買い替え、年に千キロも乗っていない。そして、こまめに点検に持ち込んでいる。
自動車会社の対応が不都合とは、担当者の移転に伴い、対応店も変わり、点検や修理の度に、その遠くの場所まで持って行かれるようになったが、ある時、ホイールキャップを付け忘れたまま点検から帰ってきた。ホイールキャップ自体は用意してくれたが、その遠く離れた、どこにあるかも知らない支店まで車を持って来いと言う。これは、決して自動車会社の人への非難ではない。現在のあり方では、そうならざるを得ず、私が同じ立場なら、やはりそう言うだろう。
まず、出来る範囲で車を大切にし、長く乗ることだ。そして、それが良いことであるという認識を高め、それを広めることだ。また、それがなければ、社会は変わっていかないのだと思う。







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損して英知取れ

ダスキンの経営理念はよく知られている。
全部で4つの項目から成るが、その中でも特に印象深いのが2番目の、

自分に対しては損と得とあらば損の道をゆくこと

である。
これは世間の考え方とは逆であり、普通の人は「なんでだよ」と思うだろう。
これは、霊的な理念であり、世間的には間違いであることが、英知においてはごく当然であることを示す例でもある。
世間的で英知が全く未発達な者が見れば、「そうか!損して得取れということか!」と、とんでもない誤解をすることもあるだろう。
世の中には、「得をしよう」「損していませんか?」といった欲望の広告だらけで、人々は何も分からなくなっている。

ただ、私はこれを見て、頭に、「自分に対して」と付いているのを見て、書いた人は、公開するにあたって苦心したのかなと思ったりもした。
本来はただ、「得をするな。損をしろ」で良いのである。
しかし・・・
例えば、仕入先から物を買う時、仕入先が値上げを要求してきたとする。
そんな時、仕入れ担当者が、「わが社の理念は損をしろだったな。よろしい、高い値段で買おう。それが損というものだ」なんてことをやり、皆がそんなことをやってたら、あっという間に会社が潰れてしまう。
そんな考え方をするのは、本来はごく未熟な人間だけで、本当は、いくらなんでも高校生にもなればそんな誤解はしないはずであるが、昨今は、新入社員や若手社員はおろか、それが普通になりかねないとすら思える。今の時代、会社を潰したくなければ、社員は牛や馬だと思えば良いし、もし賢い社員がいたら、すぐに窓際に追いやる(仕事をさせないこと)べきだろうと思うことがよくある。

ところで、大手企業に多いが、仕入れ担当者の中には、仕入先に法外な値引きを傲慢に要求してくる者もよくいる。
仕入先が応じないと、「取り引き中止だ!」とわめき散らしたりする。まるで幼児を連れてきて仕入れをさせているようなものだ。社員の教育もまた企業の責任かもしれないが、それ以前に、その社員を育てた家庭の責任であろう。

私は、本当は人のことは言えず、「自分に対しては損と得とあらば損の道をゆくこと」の真の意味を実践できるよう、いちいち意識してやっているところだ。
ダスキン創業者、鈴木清一氏には感謝している。
創造力の世界的指導者であった中山正和さんが、「知恵を得たければ、給料を給料袋ごと人にあげればいい。そんなことをしたら困るという人もいるが、知恵が湧くから困らない」と言っていたが、「給料袋」なんて言葉が通用した時代のこの言葉を人々が受け入れれば、給料とかお金なんてものは不要になるのである。
鈴木精一氏と中山正和氏の言葉は同じものだと思う。
中山正和さんの著書は至高の知恵のテキストだ。いまだ新品で買えるものもあるが、絶版書も大変な価値がある。日本のためを思うなら、廃版にしている場合ではない。







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食べ物がなくても恐れないようになるために

ダイエットという言葉は、食餌療法(しょくじりょうほう)、制限食、減食といった意味であるが、日本では痩身法のような意味で用いられているようだ。
痩せたいが、それができなくて困っている人が多いらしいが、痩せることほど簡単なことは世の中にない。
だって、食べなければ放っておけば痩せるのだから。何の努力も行動も考えることも不要だ。
まあ、食欲を抑えられなくて痩せられないという人も多いと思う。
ところで、もう1つ、非常に困った妄信がある。それは、「食べずに痩せるのは身体に悪い」というものだ。悪いと思っていれば、赤い花に触れただけで病気になる。
「原発は安全」というのと同じ位困った思い込みだ。

私は元々、大変に大食で、肉食中心で3食たっぷり食べ、間食も多く、特に甘いものが大好きだった。
夜にカレーライスを食べるなら、肉、ソーセージ入りで大盛り3杯。昼のスパゲッティ、ピラフなども必ず大盛りだった。アイスクリーム、チョコレートは欠かさなかったと思う。
ところが、ほとんど突然に、1日1食の菜食とし、間食も一切やめた。食事は夕食のみなのだが、メニューは、米半合、豆腐一丁、漬物くらいだった。
当然、みるみる痩せたが、体調はいたって良く、それまで、健康診断で深刻な病人並の結果が出ていたのが、完璧に健康であるとの診断に変わった。
それから2年半以上が経つ。
現在も1日1食は続いているが、ますます健康で、毎日欠かさない腕振り運動と相まって身体の活力が高まったので、身体の鍛練にも取り組み、1年半前には10回しか出来なかった腕立て伏せを、今は毎日連続210回を欠かさない(月に10回ずつ増やしている)。

現在の1日1回の食事である夕食のメニューは、パン、野菜、フルーツ、ナッツ、チーズで、毎日全く同じだ。母親が度々何か作って出すので、以前は食べていたが、今は悪いとも思うが一切食べない。ただ、他所の家やパーティーなどでは、肉は食べないが、それ以外は大抵何でも食べている。だが、そういった場はなるべく避けるようにしており、忘年会、新年会、社員旅行の類は全て断わっている。
1日30品目食べないといけないとか、栄養バランスを考えて食べないといけないというのも、私には全く信じられない。世界には、碾いた(すり潰した)トウモロコシ以外の一切を食べないとか、あるいは、ある種の里芋しか食べないが、長寿で健康な民族なんてのはいくらでもある。オバマ大統領は、毎日、サーモン、ライス、ブロッコリーだし、宮崎駿監督も、毎日同じものを25年以上食べているようだ。
私とて、たまに贅沢な料理を食べると美味しいとは思うが、食事の量が適切だと、同じもので十分に美味しく満足出来るのである。

震災に見舞われても、10日やそこらなら食べなくても大丈夫なので、食べ物が手に入らなくなることへの恐怖は無い。20日でも耐えられるし、それ以上食べられなければ、ひょっとしたら、長南年恵やテレーゼ・ノイマンのように、全く食べずに生きられるようになるかもしれない。そうでなくても、不可抗力の餓死なら自殺ではないので、あくまで個人的なことであることを強調するが、それはそれで嬉しいのだ。だが、多分、餓死はしないだろう。今は通常の手段で食物が手に入るからやらないが、多分、イエスのように食べ物を出すことだって出来ると思う。
あなただって、食を慎むことは出来るし、それをやれば、日本人の平均的な食事をしている人なら、可能性は千倍になるに違いない。







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ハートのAは破滅への道に落ちている

岡本太郎は、人生の岐路に立った時、危険な方、破滅する方を常に選んだと言っていたが、ドラマティックな言い方であっても、実はそれが一番安全なのだ。
B'zの「さまよえる蒼い弾丸」という歌で、「飛び出しゃいい、泣き出しそうな心を蹴って」という歌詞があるが、岡本太郎だって平気だった訳ではなく、心は泣き出しそうだったのだろう。
ダスキンの経営理念の2行目は「自分に対しては損と得とあらば損の道をゆくこと」だが、これも同じと思う。

だが、ほとんどの人が、安全な方、現状維持の方、安心な方、得な方を選ぶ。いや、それしか絶対に選ばない。
安定した大企業に入るなんて最悪だ。
イエスは、「身体を殺せるものを恐れるな。魂を殺せるものを恐れよ」と言ったが、皆、その教えを守っていないのだ。イエスは、皆に本当に幸せになって欲しかったのだが、我々は不幸への道をまっしぐらに進んでいるのではないかと思う。

変な話だが、誰かを不幸にしたければ、その人に、安全な道、平穏無事な道、得な道を強く勧めれば良い。
まあ、言わなくても、世のほとんどのお母さん方は、自分の子供にそうしている。良い塾に通わせ、良い学校に入れ、良い会社に入れるようにして、不幸への強固なレールだけを用意する。子供が反発しようものなら、あらゆる方法で子供に苦痛と屈辱を与え、引きこもりにでもして、手っ取り早く精神的に殺してしまう。何が何でも子供を不幸にするのである。

宗教人類学者の植島啓司さんが、何かの本で、ギャンブルの神様と言われる人のことを書いていたが、その人は、こういったことをよく知っていたのだと思う。そして、それを逆手に取ったので無敵だった。
滅びたくない、危険を避けたいという相手の心を利用すれば勝てるのだ。
例えば、全財産を賭けるギャンブルをするとする。すると、負けたいと思う人はいない。絶対に勝とうとするだろう。そんな状態の相手に、表か裏か選ばせれば良い。絶対に外すから。
ところが、アニメの「美少女戦士セーラームーンS」でこんな話があった。
土萠ほたるという、11歳くらいの美少女が、トランプの賭けをする。負ければ、自分だけでなく、セーラームーンとその4人の仲間、そして、ほたるの唯一の友であるちびうさ(本当の名はうさぎだが、母親と同じ名なのでこう呼んでいる)らが、永遠に異次元空間に閉じ込められるというものだ。トランプを引くのはほたるで、トランプは2枚。勝つ確率は50パーセントだ。敵はギャンブルの名人で、ほたるを心理的に揺さぶる。ほたるに勝ち目はなかった。
ほたるの手は、敗北のカードに伸びる。その時、ちびうさが、「ほたるちゃん!」と呼びかけ、ほたるは我に帰る。そして、ちびうさは、「どっちでもいいから、ぱーっと選んで」と言う。
岡本太郎流に言えば、「負けていい。いや、負けなければならない」だろう。
ほたるの美しい細い指は、ハートのエースを引き当てた。だが、ほたるは、過去世で、世界をまるごと滅ぼしたことがあったのだった。







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貧しくなければ芸術家ではない

芸術家が豊かなはずがない。
アンディー・ウォーホールのようなお金持ちの芸術家もいるが、彼はビジネスセンスと商業デザインの能力を持っている上、芸術活動と商業活動を切り離すことが出来た特殊な人間で、例外中の例外である。
ピカソは、作品を数多く購入してくれるパトロンがいただけで、豊かであったのは単なる幸運であった。
一方、ゴッホは、生前は作品は1枚も売れなかった(受注は1つあった)が、それが普通であり、特に彼が不運だった訳ではなく、むしろ、弟のテオが生活や創作のための経済面一切を面倒見てくれたのだから、非常に幸運だったといってよい。ピカソだって、ゴッホのようであったとしても不思議ではない。

芸術家が豊かでないことは、絶対に自然なことなのである。
だって、芸術家というのは、世間を拒否する存在であるはずで、世間と迎合していたなら、本物の芸術家ではない。
世間に迎合せずにお金が沢山入ってくるはずがない。
岡本太郎は、文筆において広く支持されたが、それは、彼の芸術家として世間を拒否する姿勢が、やはり世間に抵抗を感じている人々の共感を呼んだからだ。そして、岡本太郎の文章そのものは芸術ではない。
彼の芸術は、もちろん、世間にノーを突きつけるものであったはずだが、こちらは人々が理解できなかった。太陽の塔は決して、芸術として人々に受け入れられた訳ではなく、1970年万博のシンボルとして、そして、岡本太郎のキャラクタと相まって歴史的なモニュメント(記念像)となったのだ。横尾忠則さんに言わせれば、太陽の塔は、デザインとしては超一流だが、芸術作品とは言えないということだ。

経済的に潤うには、世間を受け入れなければならない。
天才アラーキーこと、写真家の荒木経維さんは、写真家として成功するには、世間に平伏すことが必要と言ったが、その言葉通り、彼は決して芸術写真家として生計を立てたのではなく、エキセントリックではあるが通俗的写真家としてビジネスに成功しながら、ついでに芸術写真家をやったのだ。岡本太郎に言わせれば、荒木経維さんは芸術家の風上にも置けないかもしれないが、たとえそうでも、荒木さんは気にもすまい。

もし、お金持ちの芸術家がいれば、そして、作品で稼いでいるなら、その作品は芸術作品ではない。ただ、ウォーホールのように、ついでにやった芸術で良い作品を残しているかもしれない。
アインシュタインの物理学は芸術だった。彼にとって物理学は趣味だったし、物理学は余暇にやれと言ったという話もあるようだ。だが、彼はアメリカでは高給取りの研究員だった。きっと、そこでは彼は楽しくなかったろうし、実際、そこで際立った研究をしていない。彼は42歳以降は天才ではなかったと言われているが、そうかもしれない。むしろ、近所の中学生の数学の宿題を手伝っていた時が充実していたのかもしれない。







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