ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

天使の仕事

天使が「うっかり」して、人間には「絶対に」隠しておかないといけないことを、人間に見られてしまった時、その人間は驚愕の声を上げる。
「なんと!世界とは、人とは、神とは、こんなもので、こんな風になっているのか!」
だが、神様は言うのだ。
「うっかりするのが天使の仕事」
真理は目の前に、無謀なまでに明かされているのに、天使がわざとらしく転んで大声でも上げない限り、人は意識を向けないのだ。天使も楽ではないのである。

ある優れた画家は、その時、眠かったのだろう。目がずっと半分閉じていた。
まつ毛が目にかかり、世界は薄暗くぼやけて見えた。その時、そこかしこに天使がいるのに気付いた。
それでも彼は、あまりそれを気に留めなかった。というより、忘れてしまった。誰もそうだ。天使は普通、「お得意様」じゃない。
その画家が、ある時、重病の少女を見た。青白い顔、痩せこけた腕と肩。彼女に回復の見込みはなく、死を待つだけだった。傍らには涙も嘆きも尽きた母。
画家はふと思い出し、まつ毛の下から少女を見た。すると、少女の顔は、世界への、あらゆる生命に対しての祝福で輝いていた。
画家は、自分の絵に、そっとまつ毛をかぶせて描くようになった。

The Sick Child(病める子)-ムンク作

ある詩人は深い森の中で悪魔を見る。
しかし、彼は好奇心が強かった。悪魔を見る機会なんて滅多にあるものじゃない。
近寄ってみると、木の切り株だった。
だが彼は考える。
「私は切り株を悪魔と思い込んだのか?それとも、悪魔を切り株に変えてしまったのか?」
奇妙はことに、結論は、どちらでも同じことであると彼は確信し、彼は「魔王」という詩を書き、その詩に心酔した楽聖が曲をつけた。
あなただって経験があるはずなのだ。何かとても貴いものを見つけたのに、それがただの石とか木とか、あるいは、壁のシミだったということが。ひょっとしたら、あなたはとてつもなく貴重なものを逃したのかもしれないのだ。

この2つの話は、はじめのが画家のムンク、後のがゲーテだということに気付いた人もいると思うが、おそらく、いや、確実に、正確ではない。何より、私自身がそんな話を知らない。ただ題材を借りただけで、あくまで私の経験ではあるのだけれど、それを裏付ける話が、コリン・ウィルソンの「右脳の冒険」(平河出版社)の第4章「幻視的意識への道」に書かれているのを見て驚いた。ウィルソンは天才ではあるのだが、知識が有り過ぎるのか、あまりに話にまとまりがない。だが、天使は、アインシィタインの前でそうだったように、彼の周りでも転びまくったのだ。天使の努力を買いたい。







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憎い相手の機嫌をとる

そのまま本のタイトルになっている、映画評論家の淀川長治さんの名言に「私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない」というものがある。
そうであれば、どんなに素晴らしいことかと思うが、そんな人は、まずいないと思う。
誰だって嫌いな人の数人はいるし、ことによってはほとんどの人が嫌いだという者だっている。

しかし、人間が、所詮、いつかはやらないといけない修行は、「嫌いな人の機嫌を取る」ことだ。それは、普通の人にとって、ぞっとすることであるが、どうもこれだけは逃れる術はないようなのだ。
アニメ「神無月の巫女」の中で、裏社会で生きてきた兄ツバサが、16歳の弟ソウマに、お前は何も知らないガキだという意味を込め、「お前は殺したいほど憎いやつに、這いつくばって命乞いをしたことがあるか?」と問う場面がある。そこまで極端な経験は無いにしても、少なくとも、その言葉が胸に刺さるほどでないなら、おそらく、何もできない幼稚な精神の持ち主だろう。
こう言うと、「俺は嫌いな上司、先輩の機嫌を取っているさ。得だからね」と言う者もいるだろうが、その程度は当たり前過ぎる。それすら出来ないなら、幼児以下である。
そろそろシーズンかもしれない「忠臣蔵」のお話(いわゆる元禄赤穂事件)は、おそらく実際の話とはかなり違ったものが伝わっており、主君であった浅野長矩に対する赤穂四十七士の忠義心を称えるものになってしまっている。仮に、そのお話の通りであったとしても、この物語の本当の重要ポイントは、浅野長矩こと浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)が、吉良上野介(きらこうずけのすけ)のご機嫌を取れなかったことが破滅の原因であったことだ。

子供のうちなら、嫌いな人に対し、そっぽを向いたり、意地の悪いことをしたりもできるが、そんなことをしているうちは、やはり幼稚な子供だ。そんな精神のままで自己実現することなど、あるはずがない。
浅野長矩は当然ながら、自己実現を果たせなかった。
そこで思い出すのが、冒頭にあげた淀川さんの至高の名文句だ。嫌いでないなら、機嫌を取ることもそんなに難しいことではない。そして、宇宙の英知(いわゆる神)は、別に、好きな人の機嫌まで取れとは言っていない。つまり、誰の機嫌も取らなくて良い。
何かを嫌いだというのは、頭が余計なことを考えているのだ。つまり、嫌悪感というのは、妄想が生み出した錯覚だ。
発明家で、世界的な能力開発指導者・研究家であった中山正和さんは、著書に何度も「頭の無駄遣いをするな」と書いているが、これは、余計なことを考えるなということで、それは頭を悪くし、直観力も無くしてしまうのである。
中山さんの結論は、「クヨクヨするな」「考えても仕方がないことを考えるな」であったが、人間は複雑なので、それがなかなか出来ない。

余計なことを考えないということが出来れば、人生、勝ったも同然だろう。考えないと成功はしないだろうが、大きな失敗もしないし、ましてや破滅などしない。どんな馬鹿でも、余計なことを考えて身を滅ぼすのだ。
なぜ余計なことを考えるのかというと、身の程を超えた欲を持つからだ。徳川家康は、天下を取りたければ、身の程をわきまえろと言ったが、それが天下人の究極の結論のように感じる。
最も簡単な方法は、画家の足立幸子さんが教えたように、頭をからっぽにしてぼーっとしていることだ。頭を使わないと馬鹿、阿呆になると思っている人も多いと思うが、余計なことを考えるよりはマシである。実際は、ぼーっとしていると閃きが起こり、やりがいのあることで頭を使う機会に恵まれるようになる。江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、人相占い師に、「言い難いが、あなたはアホの相が出ている」と言われ、「それは嬉しい。私はアホになる修行に励んでいたが、いよいよ成果が出たか」と大喜びした。偉大な叡智を持つ聖者は尊きアホであったのだ。







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眠りながら目覚めている

目が覚めてまもない時に、見慣れた街の風景を見ると、その異様なまでの美しさに圧倒されることがある。
普段は都会に住んでいる人が、旅先で、早朝に自然の風景を見た時、その荘厳さに感動したという人も多いだろう。
まだ暗い時に目覚めて、たまたま夜空の星を見ると、星達が本当にささやきかけてくることがある。
W.B.イェイツ(アイルランドの詩人、劇作家。「20世紀最大の詩人」と言われる。ノーベル賞受賞)のような、超感覚的な詩人であれば、昼間ですら、壁の絵画が語りかけてくるのを感じることもあったそうだ。

目覚めたばかりの時は、論理を司る脳である左脳はまだ眠ってることが多く、その左脳が、感覚を司る脳である右脳の働きを妨げないので、世界を左脳(論理)のフィルターを通さずに見ることができる。
アラビアのロレンスが、自叙伝「知恵の七柱」で、そのような経験について述べているのを、コリン・ウィルソンが「右脳の冒険」で引用しているが、ウィルソンは、ロレンスだけでなく、数多くの文豪の作品の中に、そのような話があることを指摘している。
画家で波動や宇宙意識に関して数多くの講演を行っていた足立幸子さんは、「頭はロクなことを考えないので、意識を胸に持っていってなるべくぼーっとしている。すると、素晴らしい閃きがあり、それに従うと間違いがなかった」と言う。

半分眠ったような状態が、人が超越的な存在である時だ。
アメリカの哲学者で、宇宙人とのコンタクティ(接触者)として知られるジョージ・アダムスキーは、「個人の心が意識(宇宙の英知)に従う時、心は意識と溶け合い、宇宙との合一に近付く」と言った。
宮本武蔵の肖像画を見ると、剣を持った彼の目は半眼である。彼の「五輪書」には、見ることについての記述があるが、それは、普通の人がものを見ることとはかなり異なる。「荘子」に、無限の道(タオ)と一体化するには、視線を自然にすることとあるが、それは思慮分別を通さずに、見えるがまま、あるがままに受け入れるということと思う。武蔵も荘子も、個人の心や論理でなく、深い意識で見ることについて説いているのだろう。
至道無難の言う、「生きながら死人となり、思いのままになすが良し」というのも、個人の自我としては、死んだ状態に近いのがよろしいということと思う。

眠りながら起きていることだ。
ジョセフ・マーフィーの代表的著作「潜在意識の力」を、渡部昇一さんは、その内容から「眠りながら成功する」という日本語のタイトルを付けたが、マーフィーは一般読者に分かりやすいように、就寝前の半分眠った状態について説いている。しかし、昼間に出来ないことでもない。
羽生善治さんの、対局中の脳波は眠っている時と同じであることが科学的調査で分かり話題になったことがある。

ただし、本当に寝てはだめだ。
電車の中で大イビキをかいて寝ているようなのは、単なる愚か者だ。
半分寝てはいるが、意識は目覚めていなければならない。
それどころか、真に優れた人間は、眠っていても意識は目覚めている。剣の達人の寝込みを襲っても、達人は易々と反撃してくる。意識が常に目覚めているのだ。
眠ったような状態で戦って歴史的勝利を収めた格闘家の例も多い。
ニサルガダッタ・マハラジも、「眠っている時のことも覚えているようになる」と言っていた。

私は、1日4時間半ほどの睡眠時間を長く続けているが、昼間眠く、幸い昼食を食べないので、その時間よく寝ていた。30分ほどの時間に、ぴくりとも動かず座ったまま熟睡し、ぴったり30分で起きた。
しかし、昼間の活動をしていても夢を見ることに気付き、起きていながら眠れることが分かった。
そんな中、足立幸子さんの本で、意識を胸に置いてぼーっとするのが良いという話を読み、いつも寝ていることにしたら、睡眠はあまり必要がなくなった。ほんの数日前のことだ。眠っているので余計なことを考えず、以前よりは穏やかになり、しかも、何事も以前よりうまくやれるようになった。至高の英知とも、ますます近付いていくに違いない。何より、人にとって眠ることは楽しいことであり、その楽しみが1日に渡って続く。人生が楽しくなるのである。







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好きこそものの上手なれ

「目が覚めたら夜だった」と聞いて、学校時代の夏休みを思い出す人もいるだろうし、大人になってからも、なるべくそうありたいと思う人もいるかもしれない。
一方、そんなことは大嫌いで、いつも何か忙しくしていないと気が済まず、家に居てどうしてもやることがなければ、せかせかと掃除をしたり、車を磨いているような人もいる。
ある家庭で、父親が行動派で、休暇ごとに家族での遊びや旅行の計画を立てるし、運動が好きで、自分も毎日ジョギングしているが、少しでも暇があると子供達と運動をはじめる。それどころか、家族で親戚の家に行くのにも野球のバットやボールを車に乗せ、子供達が叔父さんや叔母さん達とのんびりしていたら、不意に真冬でも子供達を外に連れ出してキャッチボールを始める。結果、彼の子供の内、趣向の合わない子は本当に自殺しかけた(未遂に終わった)。のんびりするのが好きなその子は、長年のノイローゼで精神が破綻したのだろう。

最初の「目が覚めたら夜だった」というのは、有名なアニメ「美少女戦士セーラームーン」のドラマCDと言って、音声だけで作ったギャグドラマの中の、セーラームーンこと月野うさぎが言ったことなのだが、彼女の性質を一言で絶妙に表現している。武内直子さんの原作漫画の中で、月野うさぎは自己紹介で、趣味を「寝ることと楽をすること」と言っていたのである。

「好きこそものの上手なれ」と昔からよく言われる。
ただ、この「好き」なことが、何か世間的に言って立派なことであるとか、金儲けになることに限定されるような風潮や傾向がありはしないだろうか?
月野うさぎのように、「寝ること」や「楽をすること」などを入れてくれそうにない雰囲気がある。
しかし、それではいけない。寝ることが好きなら、上手に寝る達人になれる可能性があるし、楽をすることが好きで、それを上手に出来るようになれば幸福であり、人生の目標を達成したことになる。
アインシュタインは、物理学を、趣味で、つまり、単に好きでやってきたと言い、どれほど成果を上げて賞賛されようと、自分を重要人物だとは全く考えていなかった。
楽をすることが趣味で、その道に邁進し精進しても、賞賛はされないし、重要人物と見なされることはないが、自分でも自分を重要人物とは見なさないだろう。

楽をすることは簡単なことではない。大半の人は、わざわざ苦労を背負い込むようなことばかりをしている。
本当に楽をするためには、余計なことを考えないという、人間の徳の中でも最上のものを身に付ける必要がある。
余計な考えとは、貪欲、恐怖、疑い、虚栄など、個人的な欲望に根ざすことである。
実に、楽をする道とは、個人的欲望を持たないことを目指すことであることは間違いない。それは人生をかける目標にするに値する。
徳川家康は、天下取りの秘訣をただ「上を見るな」と言ったが、不要なものを求めない心は天下をももたらす。なぜなら、もし宇宙を身体とする心があるなら、それは不要なものを求めず、自然であることで至高であるからだ。テレビやラジオから発信する微弱な電波が放送局からの同じ周波数の電波と同調するように、同じ性質のものは同調し溶けあい、似てくる。宇宙の心とわずかにでも似ていれば地球の中の一国の天下など、求めるまでもない他愛もないことに違いない。
天下すら取れる心にとって、不安と恐怖のない安らかな人生などお茶の子さいさいであろう。







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家族を幸せにする方法

家族を幸せにしたければ、主人は家に不必要なお金を入れないことです。大丈夫だと思うなら、全く入れなくてもいいのです。奥さんが働いてやっていけますから。
しかし、それは主人にとって厳しいことかもしれません。普通の家の主人は、給料を持ってくることだけに存在価値がありますが、家にお金を入れないなら、主人に本当の価値がなければなりません。それに比べれば、給料を持って帰る方がよっぽど楽です。
普通の男は、給料を持ってこなければ用無しです。もっとも、給料は持って帰っても、家の中に居場所のない、名前だけの主人は多いと思います。
そして、普段、家にお金を入れない主人が、わずかでもお金を渡すと、奥さんはそれを凄く有り難く思うのです。普通の家の奥さんは、主人が毎月給料を持って帰っても、それが当たり前になっていて、感謝なんてしません。それは実は異常なことです。

ある時、公園で寂しそうにお弁当を食べている背広ネクタイの男を見て、もしかしたら、会社をリストラされたのに、奥さんに言えずに、帰宅時間までうろうろしているのかもしれないと思いました。
実際、そんな人のために、あたかもまだ勤務先があるかのように家族を欺くため、奥さんなどからの電話を勤務先のふりで取り次いでくれるというサービスがありました。今はメールの時代ですから、あまり無いとは思いますが、メールを使えない人もいますので、需要はあるかもしれません。
しかし、もしそんなものがあるとしたら、いったい何のための妻なのかと思います。旦那が苦しい時に支えになってこその妻のはずですからね。

主人が家にお金をほとんど入れなくても、主人が立派であれば、妻子は明るくまっとうな人間でいます。妻子は鍛えられますし、その力は生涯役に立ちます。
逆に、主人が家に潤沢にお金を入れる家の奥さんや子供は駄目な人間になります。一方的に主人に養われていたら、力の付けようがなく、何も出来ずに快楽ばかり求めるようになります。それは非常に不幸なことです。
私の知っているある家では、主人は家にほとんどお金を入れず、若い頃は奥さんの貯金にまで手を出し、会社の退職金なども前借りして使い切っていました。それで主人は遊び歩いている訳です。そして主人は病気になって若くして死にましたが、彼は家族の業を背負ってあげたのだと思います。妻子は健康で立派になりましたから。そして、その主人は家族に慕われていました。
とはいえ、そこまでする必要はありません。おそらく、そんな家では、妻子や夫婦のそれぞれの家族に業と言いますか、隠れた問題があり、その解消のために、そんな苦しい療法が必要だったのかもしれません。言っては悪いですが、その家族も、やはりその周辺にいろいろ問題がありました。
普通は、簡単に言えば、主人があまり稼がなければ良いのです。給料が安いだけで家族は幸せになれます。

最近は、学生の就職が大変だと言われます。就職活動をする大学生が、数十とか数百の応募をして、一件も内定を得られないという話もよくあります。
それは、応募するところを間違っているのです。学生の多くは、企業の安定性や待遇を見て応募します。仕事がしたいのではなく、給料が欲しいのですね。
仕事自体はいくらでもあります。私は、長いニート生活の後、「行けば入れてもらえる」職場に喜んで入りました。そんなところでも、入れてくれるなら有り難く思いました。そう思っていましたから、職場の人はみんな親切にしてくれました。そんな職場には、大卒はまずおらず、中卒や高校中退の人も多かったですが、私は後に大企業や一流大卒ばかりの会社に入ることになりますが、その中卒、高校中退の人達の方がずっと優秀でした。そして、そんな職場での経験が人生の宝となったと思います。
働く場所は、直観で決めれば良いと思います。すると、大抵は、面接に行った1件目に入ることになるのではないかと思います。給料は安くても良いのではなく、安いほど良いのです。そう思っていれば、間違って危ない職場に入ることもないでしょう。
余計なことを言うなら、給料は安くて良いと思っていたら、案外に多く入ってくることもあります。政木和三さんに聞いたことがあります。「私はお金なんてちっとも欲しくないのですが、どういうわけか1億ほど納税することになってしまうのです」。ジョージ・アダムスキーも言います。「私は富を蓄えようと思ったことなどないが、金に困ったこともない」







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