ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

岡本太郎はいつも爆発していた

今年は、天下の大芸術家、岡本太郎の生誕百年である。
そして、本日2月26日が、太郎100歳のお誕生日だ。
太郎が生まれた1911年(明治44年)2月26日は日曜日だった。
太郎は、「親に生んでもらったんじゃない。自分で決意して生まれてきたんだ」と言う。
同じ年の10月に生まれた医師の日野原重明さんは、いまも元気でご活躍中だ。

岡本太郎は、「芸術は爆発だ」と言った。
視界が果てしなく開け、自分が無限に大きくなったように感じる。もう何も恐れない。
天下無敵、天上天下唯我独尊、自分が宇宙になってしまうのだ。
それを爆発と言うのだろう。

芸術作品を前に、理屈で、上手い、きれいだ、独特だ、技法がどうだ・・・などと下らないことを言いながら見ていたら爆発なんかできない。
解説をしたがる先生や専門家はひっこんでいてもらいたいものだ。
太郎は、パリで初めてセザンヌを見た時、涙がとめどなく溢れて止まらなかったという。
あなたも、そんな風に作品を見たいはずだ。
太郎は、セザンヌや作品が天才なんじゃない、感動する自分が天才なんだと言った。自分はこんなに震えているのに、絵はがたがたって震えないじゃないか。
天才は、我々の内に必ずいるのである。芸術を見る目的は、自分の中の声を聞き、世の中全てが反対しようとも、自分に従うべきだと知ることだ。
太郎を最高に驚愕させた芸術作品は縄文式土器だった。今の人間にこんなものは絶対に創れないと言う。そんな太郎だから、縄文式土器に迫るほどのものが創れたのに違いない。

だが、我々の頭は理屈に凝り固まっているので、なかなか爆発できない。
理屈での損得、つまり、個人的欲望にばかりかまけてきたからだ。それを捨てれば、即、天才が現れるはずだ。
太郎ほど、損得を考えない人はいなかった。
作品が売れないことなんか、全く意に介さなかった。売れなくていい、いや、売れてたまるかと本気で思っていた。
我々もこう思いたい。「得なんかしなくていい。いや、してたまるか!」。そう思っていたら、世間に騙されるということもない。得をしたいというケチなことを考えているから簡単に世間に騙されるのだ。

太郎は、自我(ここでは理屈や計算の心)が右と言ったら、必ず左を選んだ。自我がノーと言えばイエス、自我がイエスと言えば、ノー!ノー!ノー!だ。
戦争中、日本の軍隊では、毎夜、上官による「しごき」という、その実、単なるいじめが行われた。一人ずつ部屋に呼んで殴るのである。弱い立場の者を虐げて喜ぶ卑しい欲望である。
太郎は、30歳位でフランスから帰国すると、18、19歳の若者達と一緒に二等兵(最下級の兵隊)として中国に送られ、そのいじめに遭った。
太郎は、いつも上官の部屋に4番目に行った。殴る方は、4番目に一番調子が出るのだ。敢えてその順番を選ぶのである。まさに、理屈、損得に全く合わないことをやったのだ。

----- 余談 -----
「捨てればいいって訳じゃない。逃げればいいって訳じゃ、もっとない!」
私が好きなアニメ「魔法少女リリカルなのは」の、フェイトの名文句だが、これなど、実に太郎的で良い。
太郎流に言えば、「捨ててたまるか!絶対に逃げてたまるか!」である。フェイトもそう思っていたに違いない。
理屈では、フェイトは、自分にこれっぽっちの愛情も持たず(虐待もされた)、それどころか、あからさまに嫌悪して自分を捨て、そして狂気に染まった母親を捨てて良かったし、逃げて良かった。しかし、彼女はそうしなかった。
「いまさらあなたを娘と思えというの?」
「あなたがそれを望むなら・・・私は世界中の誰からも、どんな出来事からも、あなたを護る。私は・・・あなたの娘だからじゃない。あなたが、私の母さんだから!」
アニメとはいえ、フェイトの姿は誇り高かった。
----- 余談 終り -----

岡本太郎はいつも爆発していた。
爆発を邪魔する理性を吹っ飛ばすことに命を懸けていたように感じる。
理性では、グラスの底に顔は描かない。しかし、太郎は、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と、顔のグラスをデザインした。
普通の人は誤解されることを嫌がる。しかし、太郎は、「誤解されたっていいじゃないか、いや、誤解されないといけない」と言う。
初めてスキーを掃いたら、理性的には、ゆるやかなスロープで練習するものだが、太郎は、いきなり上級者コースに挑み、いやというほど転びまくった(当然だ)。「一番格好の悪い死に方をしてやる」と思ったそうだ。太郎46歳の時である。
鈴鹿でスポーツカーをぶっ飛ばすのも大好きだった。
危険で勇壮な祭りを賛美した。そんな祭りの中で、生命は宇宙に向かってぱーっと広がるという。それは、太郎の言う爆発に他ならない。祭りは爆発なのだ。
そう、危険こそ、理性が最も嫌うものたが、太郎はひたすら危険に挑んだのだった。「本当に生きるとは、死んでもいいということだ」

記念すべき太郎の百回目の誕生日に、良い機会だから心に刻みたい。
好かれようなんて卑しいことだ。好かれてたまるか。嫌われないといけない。













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愚直さが超人を創る

たとえ、作り話だろうが、さらにそれが嘘話であろうが、たまたまそこに真理が含まれていれば、心に感じて深い印象を得ることがある。
偉大な人物も、元はありふれた人間であったのだが、その者に偉大な道を選ばせたきっかけが、誰かの他愛ないデタラメであったということは実は多いに違いない。

これもただの伝説かもしれないが、江戸時代の剣術の達人、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)は、後の徳川家光である竹千代のために、木の棒を1本立てたものを用意し、竹千代に、その棒のてっぺんを1年間毎日、木刀で打つように言った。
竹千代が馬鹿にすると、宗矩は、それをやれば鉄の兜でも切れると言うので、では実際にやってみろということになったが、宗矩は、見事に兜を切ってみせ、竹千代はその修行をすることになった。
また、これは明らかに実際の話ではないが、本宮ひろ志さんの漫画「武蔵」で、やはり武蔵は、1本の杭を、1年中、木刀で打ち続ける修行をし、その直後、強敵と戦った時、なぜか敵の動きが容易に見えてしまい楽勝する。

作り話であっても、共に、いわれの無い話ではないと思える。
愚直にひたすら繰り返す力とは恐ろしいものだ。
およそ、あらゆる秘術修得の極意は愚直な繰り返しであると思う。
人間の理性というものは、素晴らしいものではあるのだけれど、根源的な力を抑え込んでしまう。その力は、あまりに強大なので、普段、それを隠すことは必要なことではあるが、それを制御しつつ使うことが人の喜びなのである。
ギリシャ神話では、それを、酒の神ディオニューソス(力のみだらな解放)と、理性の神アポローン(力の過度な抑制)の対比で表現している。どちらか一方に偏っては、結局、悲惨なことになる。
岡本太郎のような天才なら、「爆発だ」とばかりに、根源的なパワーを解放すれば良いのかもしれないが、凡人が下手にそれをすると、おかしな方向に行ってしまいかねない。ギリシャ神話のアポローンが、時々暴走して、悲劇を起こしてしまうようなものだ。
しかし、先にあげた、柳生宗矩の教えた修行のように、愚直なひたすらの反復で理性を穏やかに屈服させれば、人が内に持つ神秘な力を、誰でも安全に解放することが出来る。
退屈で、馬鹿みたいな、ひたすらな反復だけが、人を超人にするのである。

同じ本を馬鹿みたいに何百回と読んで奇跡の力を得た人もいる。
岡潔(数学者)や中山正和(発明家、能力開発指導者)の「正法眼蔵」や、斎藤一人さんの「論語」、内海康満さんの「ローム太霊講話集」といったところがある。
般若心経や大祓詞をひたすら上げ続けて神秘な力を得た人もいる。

私は、まだ偉大な方々のようなわけにはいかないが、いつもお薦めしている腕振り運動を毎日行うことで、1日1食の菜食者になって完璧に健康な肉体を得たり、腕立て伏せを軽々と200回やれるようになったし、その他、いろいろ妙なことが出来るようになった。
つまらない悩みについて考えるのをやめ、愚直に腕を振ってみてはいかがかと思う。
あるいは、ジョセフ・マーフィーの本を「無欲」に、繰り返し読むことで、大いなる報いを得るに違いないと思う。
当ブログ内の、腕振り運動の記事は以下のリンクからどうぞ。
元気を出したければ腕を振れ
腕振り運動の神秘的な威力







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生きている限り失敗はしていない

「失敗は墓の中にしかない」という言葉がある。
生きている限り、失敗は無い。いや、本当は、死なんてものはないのだから、この世に失敗などというものは無い。

ところが、たかが希望の中学や高校、大学の受験に失敗したからといって、自分を失敗者とみなす馬鹿げたことがあるようである。
そんな下らないことを信じさせて利益を得ている者がいるからである。
実際のところは、その程度のことは、失敗した方がよほど良いのである。

不登校になったり、高校や大学をやめてしまうと、もう自分を人生の敗亡者だと思うように仕向ける社会そのものが犯罪者かもしれない。
もちろん、学校だけのことではないが、そんな些細なことが人生に暗い影を落とすなど、あまりに馬鹿げているので特に取り上げた。
かくいう私も、大学には入ったが、どう考えても続けるのは苦痛でしかなく、早くも人生に絶望していた時期がある。
そんな時に、たまたま書店で、ジョセフ・マーフィーの本に出逢った。
ジョセフ・マーフィーは、伝統的なキリスト教とは異なった聖書の解釈をする宗派の教会の牧師で、人間が誰でも持つ潜在意識の中に無限の力があり、その力を発揮することでいかなることも可能であることを教える教師である。
そして、その力を発揮する方法は、別に難しいことではないばかりか、本来は、誰でもごく当たり前に活用できるはずのものであることを説き、その使い方を懇切丁寧に教えている。
この出逢いにより、私は、全ての不安を無くせた訳ではないが、希望を得て、幼い頃からの慢性的な絶望感や詐欺的な憂鬱を脱することは出来たと思う。

問題があるとすれば、マーフィーの教えがあまりに簡単で、しかも、あまりに都合良く感じるために、マーフィーに騙されているのではと疑うことがあることだ。学校も社会も、目で見えるものだけを真実とする物質主義に凝り固まっており、その中で生きていると、そんな考え方をするようになってしまい、見えないものを信じるのは、何か宗教的で胡散臭いことだと思うといった心の癖を持っている人は極めて多いに違いない。
そして、尊い心の法則を利用して儲けようとする者も沢山いて、心に不安や恐怖を抱える者を騙して金を搾り取ろうと狙っているのである。
本物の心の法則を学び、活用するには、本を1冊買うお金があれば十分で、知的な能力に関しても、とりあえずは、普通の小説が読める読解力があれば何の問題もない。むしろ、金の力で、早く、より多く良い思いをしようとするなら、それが大きな間違いであり、私も、自己開発セミナーや自己開発教材で大金を使って、やっと自分の間違いに気付いたが、皆様は同じ失敗をしないで欲しい。
また、心の法則を、甘ったれた根性の言い訳や逃避の道具に利用する者も多いのである。イメージさえすれば願いが叶うだのといったことは、マーフィーは全く言っていないのである。苦難や失敗がなければ人間は成長せず、苦しい経験の中で間違いを正し、磨かれ成熟した心が成功に必要なことを肯定しているのである。例えば、女優を夢見る若い女性に、子供時代の空想を卒業することを説き、彼女を実際的な道で幸福になるよう導いたという話もあった。別に、女優になる夢が悪いというのではなく、なぜそんな願望を持っているかを正直に見つめ、それが、単に、ちやほやされたいとか優越感に浸りたいという個人的欲望であれば、本物の夢や目標でないということである。
是非、マーフィー自身が書き、余計な解釈や商品の宣伝といったものが付いていない本を、繰り返し読むことをお薦めする。以下にお薦めするようなマーフィー自身の本なら1冊でも十分で、繰り返し読む回数は多ければ多いほど良いのである。













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密教的1億円引き寄せ法

「引きこもり」という言葉は、いまやオックスフォード英語辞典にも“hikikomori”として収録され、多くの言語のWikipediaにも登録されている。
私は、人間は、程度の差こそあれ、皆、引きこもりであると思う。
「ハリネズミのジレンマ」あるいは「ヤマアラシのジレンマ」という言葉があるが、これは人間の、「温め合いたい」という欲求と「傷つけ合いたくない」という欲求の矛盾を、うまく言い表したものだ。引きこもりは、傷付くことや傷付けることを恐れる方に多く傾いた状態だと言えるかもしれない。
普通の人は、それなりに丁度良い距離を見付ける。しかし、それが出来ない者が引きこもりになるのだが、それが治るということは、おそらく無い。

私も強い引きこもり気質であり(やはり、一生治らないと思う)、生涯、社会に出ることはないと思っていたが、何度かこのブログでも書いたように、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則の本を読んでからは、お金に関する苦労だけはしなくなった。
本質的に引きこもりである全ての人間には、元気とか勇気というエネルギーが必要だ。肉食獣が狩りをするのに、特に、気分を奮い立たせる必要はないが、人間はそうではないのだ。
マーフィーの本を読み、自己の中に万能の力が在ることを知ることは良いことだ。親や学校は、決してそんなことは教えてくれない。逆に、無力感を叩き込んで、余計に引きこもらせるだけである。

マーフィーの本に時々出てくる話かと思うが、ある額・・・例えば、1億円を得るといったことに役立つ方法がある。
それは、密教的な方法で、私は特に気に入っている。あなたも気に入ると思う。
密教的とは、こういうことだ。
普通の仏教である顕教では、修行をしたり念仏を唱えたりして、悟りを開いて仏(仏陀)になるのが目標である。
ところが、密教では、仏になって何をするかということに意識を向ける。
そのマーフィーの「ある方法」も同じで、1億円を作ることが目標なのではなく、1億円は既にあるものとして、それをどう使うかを考えるというものだ。
1億円は、あって当然であり、それをどう得るかなどは、どうでも良いことなのだ。
マーフィーは世界中のあらゆる思想や哲学に通じているので、こんな教えもレパートリーにあるのだろう。本当に優れた教師である。

しかし、うまく1億を得ることが出来ない者もいる。実際上、大半の者がそうである。
1億があるとしたら、どう使うか?いや、もう1億はあるので、それで何をするか?
「貯金する」などと言う者は話にならない。そんな者に言うことは何もない。
そうではないが、それを個人的欲望のために使いたいと考える者も多いだろう。1億あれば、ほとんどどんな高級車でも買えるし、高級な服、ブランドもののバッグも思う存分買えそうだ。豪華旅行や豪華グルメも思うがままだ。人間である限り、そんな欲望も全く否定できないのではあるが、それが強ければ強いほど、入ってくる金額は小さくなる。そんな用途しか思いつかないなら、生活に必要なだけでも入ってくるかどうか疑わしい。
30年近く前だが、邱永漢さん(大金持ちである)は、月に使える金が百万円あれば十分だと述べられていたが、今の時代もそうは変わらない。いくら欲張っても、そのあたりだし、心身の健康を考えれば、特に我々凡人の場合は、もっと少ない方が良い。
マーフィーの本には、別のところにこうも書かれているが、「どうすれば、人々の役に立てるか?」「どうすれば、人類の役に立てるか?」を考えることが、富に至る近道である。
それが思い浮かばないうちは、1億円を得るべきでないし、得ることはないだろう。
無理矢理、何か適当に考えても、違和感や不自然な感じがあったり、熱意やわくわくする気分を感じないなら、その考えは偽物である。

武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」の中で、真の自己に目覚めた少女ほたるは、「人は自分以外の者のために生きる決意をした時に、本当に生きることをはじめる・・・アルベルト・アインシュタインの言葉よ」と、それが自己の決意であることを表す。
我々もまた、本当にそう思うようになるまでは修行であり、少々嫌な思いもするかもしれない。修行が終わらない内に大金を得ることは、絶対に不幸なことであるに違いない。
本質的に引きこもりである全ての人間の、エネルギーの本当の源泉は、人々、人類、世界への奉仕なのである。
分からなくても心配はいらない。私が常々お薦めする、腕振り運動をやれば、自然と分かると思う。1000回で分からなければ2000回、それでも駄目なら3000回と毎日やれば良いだろう。
>元気を出したければ腕を振れ(別タブで開く)







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魔法使いと呼ばれた精神医の謎

異邦人は、立居振舞に注意しないといけない。
なぜなら、彼は、自分の民族の代表と見なされてしまうことになりかねないからだ。
これは、異邦人だけでなく、新参者、少数者全てに言えることだ。

黒人初の大リーガーであったジャッキー・ロビンソンは、プレイだけでなく、言動にも最大に気を配る必要があった。彼のやることは、黒人全てがやることと見なされることを、彼は心得ていた。
彼は、生卵を投げつけられても、家の窓ガラスを割られても、家族が中傷されても、チームメイトにすら同じテーブルで食事をしたり、同じシャワールームを使うことを拒否されても、常に、高貴な無抵抗を貫いた。今日、多くの黒人メジャーリーガーが活躍出来るのは、ロビンソンに負うところが大きく、彼への敬意を表して、彼の背番号42は、全球団で永久欠番と指定されている。日本の球団に入団するアメリカ人選手が42を付けたがる理由もそれである。

超能力に関する世論にも、同じようなことがあった。
超能力研究では、デューク大学のライン教授のものが有名で、ライン教授は超能力実験を数多く実施し、超能力を統計的に実証したという。
しかし、これには多くの反論もある。
最も大きな反論は、実験者の中に、実験で不正を働いたことを告白した者がいることだ。それにより、ライン教授の実験そのものに有効性は無いと主張する者は多い。
しかし、膨大な実験の中で、不正者が数名というなら、少ない方であろう。
それに、超能力を従来式の実験手法で検証することは極めて難しい。超能力は、時空を超えて作用する精神の世界であり、実験そのものを疑いの目で見れば、実験結果に影響を及ぼす。超能力ではなくても、量子力学の実験では、何を観測しようとするかにより、観測結果が変わってしまうという奇妙なことが実際に起こることが知られている。

ところで、超能力実験に関し、面白い話がある。
高名な精神医のミルトン・エリクソンが、ライン教授の超能力実験の被験者になったことがあるらしい。
エリクソンは、魔法を使って治していると言われるほど、驚異的な治療成果をあげていた伝説の精神医である。
エリクソンはライン教授の思考を読み取ってライン教授を驚かせ、ライン教授は、エリクソンを高度な超能力者と考えた。しかし、エリクソンは、単にライン教授を鋭く観察することで、あたかも、テレパシーで彼の思考を読み取ったように見せたに過ぎないと言い、その種も明かした。例えば、心の中で言葉を思った時、その者の喉には、その言葉を発音する時と同じ動きが見られるのだという。
しかし、いかに鋭い観察力があったとしても、そんなものを目で見て、本当に、人が頭の中で思った言葉を正確に読み取ったり出来るものであろうか?
エリクソンの治療技術に関しては、当然、よく研究されているのだが、彼のような治療が出来る人は、やはりいないのだ。
彼は、手の付けられない不良高校生を一言の、さり気ない言葉で完全に更生させたことがあるが、高校教師になった彼の娘もまた、札付きの暴力的な男子高校生を一瞬で心を入れ替えさせ、彼が卒業するまで、自分のボディーガードにしてしまった(他にも不良学生は多かった)。
エリクソンが、いかに彼の手法を教えようとしても、あまり成果はなかったに違いない。彼ら(彼と娘)には、超能力としか言えない力があったのだろう。もっとも、現在においては、その力を超能力と言わざるをえないとしても、それはいつか、エリクソンの希望通り、通常の力になるのかもしれない。
私も、エリクソンの技術を基にして考案されたNLP(神経言語プログラミング)のテクニックを使って、酒豪の女性に、一瞬で禁酒させたことがある。私は超能力を使った訳ではないのだけれど、彼女が自分で自分の精神に、超能力を発揮する時のような作用を及ぼしたのだ。

エリクソンは、その驚異的能力の基をいかにして得たのだろう?
1つには、彼が子供の時、唯一手に出来た本である辞書を、延々繰り返して読んだということに注目したい。彼は、ある時期まで、辞書の引き方を知らず、何か言葉を調べる時には、いつも、辞書の先頭ページから見ていった。
そして、彼が17歳の時、ポリオウイルスに感染し、眼球以外を動かすことが出来ないという体験をしたことがある。その時、彼は徹底して見ることを学んだ。
くどくど説明しないでおくが、これらの話に、技術ではない、人が持つ驚異の力の秘密を直観的に感じるのである。







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