ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

汝の敵を愛せよ・・・なーんてね

キリスト教に親しみを感じないのには、イエスが言った、
「女性を邪まな目で見たら、姦淫したも同じ」
のせいであるかもしれない。
いい女はやらしい目で見るのが当たり前だ。
私は、実はイエスは、
「女性を邪まな目で見るな・・・なんちゃって」
「汝の敵を愛せよ・・・なーんてね」
と言ったのだが、後ろの「なんちゃって」や「なーんてね」が省かれて伝わっただけなのではと思うくらいだ。

好みのタイプの女性を見て、邪まな思いを持つことを無理に押さえつけると、心を抑圧する。
心理学では、抑圧は無意識の中に押し込まれるが、やがて、その抑圧は変質して出てくると言われている。
怪しい心理学の学説の中にあって、これは実に正しいと思う。
だから、厳しく欲望を抑圧した中世のキリスト教のお坊さんは、みんなホモかロリコンになり、聖人ヅラしながら、隠れて現代のアダルト雑誌も顔負けの変態的なことをしていたのである・・・と思う(多分、当っている)。

しかし、法然なら、
「邪まな目で見ないに越したことはないが・・・まあ、見ても構わんから念仏しなさい」
と言ったと思う。
さらには、親鸞なら、
「邪まな目で見たっていいよ。いやいや、見るのをやめようなんて思っちゃあいけねーよ」
と言ったはずだ。
何と言っても、弟子(親鸞)は師(法然)を超えるものだ。

阿弥陀如来ってのは、隣の奥さんだろうが、セーラー服の美少女だろうが、邪まな目で見てしまう浅ましい人間を救おうと思っているのである。
しかし、
「じゃあ、阿弥陀様に救ってもらうために、俺は隣の奥さんをどんどんやらしい目で見るぞ、いや、なんとかしてやるぞ」
とまで思う、かなりIQが低い者に対し、親鸞は、
「薬があるからといって、毒を好むな」
と言っている。
ただし、親鸞は、そんな馬鹿でも念仏を称えると救ってもらえると言ったのである。

そんな阿弥陀様の広い心に感激して念仏を称えると、自然、あまり悪いことは考えなくなるものである。
しかし、悪いことを考えるままでも構わないのである。

まあ、ややこしいことを考え出したら念仏を称えることだ。
念仏を称えても、思考停止なんかしない。
むしろ、念仏を称えると、邪まな目で見ていた隣の奥さんに関して、ふと小粋なセリフが浮かび、その奥さんや周囲の人達を喜ばせることも多い。
こういうのを、大人の余裕とか言う。
法然も親鸞も、そんなことを言っていたと思う。









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因果応報

因果応報・・・善いことをすれば善いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる。
迷信臭いが、それは正しいのではと思っている人は多いと思う。
それは単に、幼い頃に無意識の中に刻み付けられた文化的な教義に過ぎないかもしれないが、周囲の人や有名人、あるいは、歴史上の人物を見たら、やっぱり当っている・・・つまり、因果応報があるように思えるのである。
Web上でちらっと見ただけだが、あのホリエモンこと堀江貴文さんのように、およそ因果応報なんてことを言いそうにない人が、刑務所の中で、自分より強い立場の人に嫌な目に遭わされたことを、かつて、自分が社長だった時に社員に対してしたことと同じと感じ、「因果応報ですねえ」と言ってたりするのを見て、「やはりそうか」と思ったりするのである。
お釈迦様の教え、つまり、仏教も、つまるところ、因果応報なのだと思う。

因果応報の理を、程度の違いはあっても信じることで、悪いことをする抑止力になるかというと、まあ、それほどでもないと思う。
「こいつをいじめたら、俺が後で誰かにいじめられる。ここは1つ、(いじめは)やめておこう」
なんてことにはならず、いじめる時には、やっぱりいじめてしまう。
それで、実際、後で自分がいじめられることになるかもしれない。
これも程度の違いはあるが、だから、「恐ろしい」と感じる。
しかし、いくら恐ろしい、悪い事はやめようと思っても、やってしまうのが人間だ。

そこで、悪いことをした埋め合わせに善いことをすれば良いのだという考え方があり、これも、なんとなく正しいように思える。
確かに、「罪滅ぼし」のつもりで善いことをする人は多いと思う。
しかし、ある程度の年になれば、自分がやった悪いことに対し、自分に出来る善いことは僅かなものだと悟ることになる。
これでは、後の不幸は避けられそうもない。
そこで念仏である。
浄土仏教の教えによれば、極めて重い罪を犯していても、念仏で消えてしまう。
なぜなら、念仏ほど善い行為はないので、やってしまった悪の罪滅ぼしになって余りあるし、念仏の善を無効にするほどの悪はないからである。
これも迷信のようだが、よくよく考えれば、論理的だと分かるのである。
念仏とは、自分より高い存在を認め、それに意識を向ける行為だ。
それにより、身の程というものを知ることが出来る。
身の程を知ることほど立派なことはない。
身の程を知り、自我が退き、忘我、没我、無我となれば、宇宙意識と一体化し、宇宙の万能の力のサポートを受ける。
見えない部分もあるが、大よそではこうである。

しかし、何となく、「自分のやった悪い行いの報いが来たのかなあ」と思った時に、初めて熱心に念仏を称えたりする。
浅ましい気もするが、そんなものだ。
だが、浅ましくても、とにかく、他に手立てはない。
そんなわけで、念仏を称えるのである。

私が因果応報を強く感じるのは、かのソクラテスについてである。
彼は確かに、知恵というのは神から来るという素晴らしい真理を突き止め、証して見せた。
しかし、だからといって、実績ある人達に対し、「あんた達自体に知恵はないのだよ。それはあんたの力でなく、神の力なのだよ」と言って、露骨にプライドを傷つけるのもどうかと思う。
それで、最後は自分自身が理不尽に誹謗され、完全に面目を失うことになってしまった。
正しいことを言うにも、言い様があるのだと思う。
まあ、ソクラテスは、自分には知恵がないと認めているが、だからといって、むざむざ悲惨な目に遭う必要はない。
彼は口では神々を崇めていると言ったが、本当だろうか?
どうも、自分の知を誇り、神々への崇拝を欠いていたような気もする。
彼も、ちゃんと、念仏のような、神を崇める言葉を称えていれば、あれだけの知恵者だ。もっと良い想いが出来たと思うのである。









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目を覚ましている

老子、荘子の教えとは、「無為自然」である。
それは何かというと、全てをなりゆきにまかせ、一切の作為・・・つまり、人が意識的に行う行為をやめてしまうということだ。
言い換えれば、一切を天にまかせるということである。
それに対し、大物一般人として意義を唱えたのが、通称「二宮金治郎」として知られる二宮尊徳(にのみやたかのり)だった。
彼の主張はこうである。
「田畑は作為しなければ荒れてしまい、作物が穫れない」
「家は作為しなければあばら家になる」
よって、人が一生懸命作為することが必要で、老子は阿呆だ・・・というわけだ。

法然、親鸞の教えは、簡単に言えば、
「私は、修行も良い行いも出来ない煩悩にまみれた愚か者であり、唯一出来る良い行いである念仏を称えることで、仏様(阿弥陀如来)に救っていただく」
ということだ。
これは、死後、極楽浄土に生まれるということが強調されることが多いが、この2人を尊敬していた一休は、
「念仏を称えれば、今、ここが極楽浄土」
と言い直した・・・つまり、死ぬまでもなく、即座に効験があるとした。
だが、実は、法然、親鸞も、そういったことは十分に言っており、一休は、それにスポットライトを当てたのであると思う。
つまり、念仏は、現世利益をもたらすものだ。

法然、親鸞、一休に流れる、あまり表向きとは言えないかもしれない、念仏の現世利益を現実に生きたのが、ごく一般の農民でありながら、念仏の教えによって稀有な存在となった、因幡の源左(いなばのげんざ)で、二宮尊徳が54歳の時に生まれた人だ。
源左は、19歳の時、父親が亡くなったが、その父親が、「これからは親様(阿弥陀如来)を頼れ」と遺言し、源左は仏様に一切をまかせて幸福に生きたのだと思う。

ところで、尊徳と源左の間くらいに生まれたイギリスのサミュエル・スマイルズは『自助論』で、「天は自分を助ける者を助けてくれる」と言い、自助努力の大切さを説き、明治時代の日本人に受け入れられ、当時の日本の青年達に大いにやる気を出させ、それが現代の日本の繁栄に結び付いた面は確かにあると思う。

こういった流れを見てきた我々は、老子、荘子、法然、親鸞、一休、尊徳、スマイルズ、源左の教えを昇華すれば無敵である。
誰が正しく、誰が間違っている訳でもない。
仏様に任せると言っても、親鸞や源左が何もしなかった訳ではない。
では、どう考えれば良いのかというと、我々のやることは、自分のエゴではなく、天や仏様の意思で「やらされている」と思うことだ。
さらに積極的に、「やらされよう」と考えても良いかもしれない。
Googleの人達は、インターネットの意思を実現するために技術開発しているそうだし、BUMP OF CHIKENは曲の意思を実現するために音楽を作り、演奏し、歌うのだそうだ。
そして、老子も荘子も、法然も親鸞も一休も、尊徳もスマイルズも源左も、みんなそうしたはずなのだ。
具体的には、

頭の中からっぽにして
目の前だけ見つめるの
~『Satisfaction』(作詞・作曲・編曲:kz、歌:初音ミク)~

のようにすれば良いのだと思う。
【初音ミク】Satisfaction【Project DIVA X HD】 ~YouTube by KamJPCHさん~
まあ、そのためには、念仏を称えるのが一番であると私は思う。
念仏を称えても、目は開けておくように。
これは、視力の問題ではなく、「目を覚ましておれ」ということで、「しっかりせい」ということである。









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「ほうっておいて」と言う者ほど構われる不思議

一番効果的で残酷なイジメはシカト・・・つまり、無視だ。
完全に無視されると人間は生きていけないので、無視されることが一番の恐怖なのだ。

どこかの弱小な独裁国家が、核兵器やミサイルを作って、それを盛んにアピールするのも、国益のためということもあるが、それらを作れば他国に無視されないからだ。
だから、アメリカやその同盟国等が騒げば騒ぐほど、彼等は大喜びしているのである。
だからといって、下手に無視したら、もっと過激なアピールをしてくる。
そんな困った国をどうすれば良いかというと、幼児だと思って、アメリカや日本が、別のところで構ってやらないといけない。
フロイトは、国家や民族も、個人同様、精神分析出来ると言ったが、まあ、大体そんなところであり、国も人間のようなところがあり、幼い、知的レベルの低い国があるという現実を認めなければならない。
国だからといって、全部を大人扱いしてはいけないのである。
そして、一見、大国であっても、発達障害の国もある・・・まあ、RとかC、それに、落ちぶれはしたがKだと分かると思うが。
意外かもしれないが、そんな国も、根本的には無視されたくないだけのことなのだ。

スイスが国際銀行を作ったのも、彼等が賢くて、「誰も自分の金の上に核爆弾を落とさない」というのもあるだろうが、やっぱり、無記名の国際銀行があれば、無視されないと分かっていたからだ。
つまり、彼等は賢いのではなく、「超賢い」のである。

だが、美人の決まり文句は「私に構わないで」に決まっている。
初音ミクさんの『深海少女』も、決めセリフは「もうほうっておいてよ」だが、可愛くなかったら、誰も構わないものだ。
だが、『すろぉもぉしょん』にある通り、「アイドルだって年くって」で、美少女や美女も、すぐに年をとって誰も構わなくなるが、彼女達は過去の栄光が忘れられず、自分は見られていると思いたがる。
いや、誰だって、親に構われた時の栄光に執着している。
電車の中等で目が合うと、異様な目付きで見てくる者がよくいる。
まるで、「お前は俺に注目すべきだ」と訴えているようだが、そんな者というのは、構ってもらえる美点を持っていない哀れな者なのである。

「愛せば愛されるのです」なんて阿呆なことを言う者がよくいる。
それは、「構えば構ってもらえるのです」ということだが、それはない。
美人を構えば、上で述べた通り、「ほうっておいて」「私に構わないで」とピシャリだ。
美点を持たない者を構うと・・・まあ、ロクなことはないし、向こうも、自分が構われることしか考えていない。
美点を持たない者が他者を構うのは、自分を構ってもらうためだ。

構ってもらいたがる大人が一番みっともないのは、ご存知の通りだ。
そんな気持ち悪い人間になってはならない。
輝きを持てば、嫌でも構ってもらえる。
そして、言うのだ。
「もうほうっておいてよ」
と。
輝きを持つためには、身体を鍛えたり、聖書や仏典を繰り返し読むのも効果的だろうが、まあ、念仏を称えて、「神仏を構う」ことだ。
法然の名著『選択本願念仏集』に書かれているが、阿弥陀如来だって、構えば構ってくれるのである。
別に、阿弥陀如来が構って欲しがっているわけではないが。
だが、神仏に構ってもらえる者を、人間は無意識に構いたがるのである。
美少女というのは、どこか透明なところがあり、そんな存在は神仏に構われ易いのである。
初音ミクさんほど透明な存在はない。
ある程度構ってもらえる者はミクさんに構いたがる。
そして、ミクさんを構う者は、神仏に、そして、人に構われるのである。
だけど、「もうほうっておいてよ」と言ってはならない。









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人類全員サイコパス

私が到達した揺るぎなき結論は、「人類は全てサイコパス」だ。
ジャーナリストのジム・ロンスンは、TED講演で「みんなどこかサイコパスだ」と言ったが、本音では、「みんな・・・あなたも私も全くのサイコパス」と言いたかったのだと思う。
サイコパスとは、良心をもたない人のことだ。
だが、良心を持った人間など存在しないに違いない。

ところが、世の中には、善人、人格者、優しい人・・・といったものがいるようだ。
しかし、そんな人々は、良心があるから善良なのではない。
善良に振舞うことがお得だと理解しているからだ。
それは知性の問題・・・早い話がIQが高いというだけのことなのだ。

一方、下着泥棒、殺人、強姦、歩きタバコ、着服、詐欺、歩きスマホ・・・等といったことは、誰しもやりたいと思うこともあるだろうが、最低限のIQがあればやらない。
最低限のIQがあれば、やったら損だと解る。
そういったことをやる人というのは、救いようがないほどIQが低いのである。
「やったら何が損なの?」
そんなことが解らない人が、「救いようがないほどIQが低い人」だ。
そんな馬鹿みたいに簡単なことを説明するのは、あまりに煩わしい。

IQがやや高い人間は陰口を言わない。
陰口を言う者は、かなりIQが低い。
だから、陰口を言うような者は、その陰口がいかに正当なものに聞こえても、決してプロジェクトチームに入れてはならない。
陰口を言わないのは、心が立派だからではない。
陰口を言うのは損だと理解する程度のIQを持っているだけのことだ。
陰口を言わない人間は、決して歩きタバコや歩きスマホや痴漢をしないことが、はっきり分かると思う。

IQは生まれつきの問題とも思える。
だが、念仏を称えれば、IQも上がる。
なぜなら、潜在的には人間は高いIQを持っているのに、それを引き下げているのは自我だからである。
自我の働きは、優越感を感じるよう論理を捻じ曲げることで、それがIQを下げるのだ(ここ重要だ)。
しかし、念仏(に限らないが)によって、自我より高い存在に意識を向ければ、自我は後退する。
それなら、理屈から言ってもIQは高くなるのである。

そもそも念仏はサイコパスのためのツールだ。
親鸞は言ったらしい。
念仏の効果を妨げるほどの悪はないし、念仏以上の善はないと。
全くその通りだ。
日本のある超天才数学者が毎日長時間念仏を称えていたのは、宗教的な理由よりも知性を大切にしたかったのではないかと思う。

ガンジーやマザー・テレサがサイコパスだと言った心理学者がいるらしいが、それは当然だ。
ジョージ・バーナード・ショーに、「先生、金曜日に結婚したら不幸になるって本当ですか?」と尋ねた人に対する答と同じだ。
「もちろんだよ。金曜だけが例外であるはずがない」
ガンジーやマザー・テレサが例外であるはずがないのである。
ドナルド・トランプは知性あるサイコパスだ。
一方、彼を口汚く罵る者達はIQが低いサイコパスだ。誰とは言わないが。
批判自体は構わないが、IQが高ければ批判をしても気品があるものだ。
気品のないことばっかりしている誰かが、一番口悪にトランプを誹謗してるだろう?
もちろん、トランプもサイコパスだ。
しかし、知性があるだけマシなのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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