ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

「石の上にも3年」はどんな3年か

「石の上にも3年」と言うが、どんな3年をそう言うのか分かるだろうか?
「入社して3年はやめずに我慢する」という3年とは、全く適合しない。
また、何かを習い始めたら3年はやってみるというのとも違う。
これは、1日も休まず、決まった時間に決まったことをやるという3年である。
そうすれば、何事であれ、一応の力は付くのである。

「石の上にも3年」とは、達磨さんの座禅修行のことであると言われる。
まさか1日24時間ずっと座禅していた訳ではないだろうが、必ず決めた時刻に、決めただけの時間、1日も欠かさず3年ほどやったということだろう。無論、当時は時計などないのだが、いろいろ工夫したのだと思う。

3年といえば、こんな話がある。
アメリカの霊能力者エドガー・ケイシーは、9歳の時、キリスト教伝道師の話を聞いてすっかり夢中になり、両親に自分用の聖書を買ってくれるよう頼む。願いが叶えられると、彼はそれを毎日欠かさず熱心に読み、13歳になるまでに13回通読したという。
これが大体3年である。すると、ケイシーの前に霊的な存在が現れ、いろいろな指導やアドバイスをしてくれるようになったという。
その後も、ケイシーは、毎朝、必ず聖書を読み、1年に1度通読することを生涯続けたようだ。9歳から13歳までの時は、暇を見つけては読んでいたのだと思うが、決まった時間には必ず読んでいたのだと思う。

3年にどんな意味があるのだろう?
3年は1095日、もしくは、1096日である。約千日だ。
千という数字は、多い数の代名詞でもある。千秋、千里眼といった風に使われる。
千日やれば、一応、十分に多いという意味かもしれない。
アニメの『シティー・ハンター』で、冴羽僚は、「どういうわけか、銃を千丁製造する中で、全く完璧なものが1つ出来るんだ。これを、ワン・サウザンドと言う」と言って、手にした「ワン・サウザンド」で、奇跡的な射撃を見せる。

ただ、1年で奇跡が起こることもある。
水野南北は、若い頃、人相見に見てもらったところ、余命僅かと言われた。助かるには徳を積むしかないと言われ、早速禅寺に入門を願ったが、断られる。それでも諦めずに懇願すると、1年の間、麦と大豆の食事だけで過ごせたら入門を許すと言われた。南北は、言われた通り、麦と大豆しか食せずに1年過ごし、再度入門を願おうとしたが、その前に、また人相見に見てもらった。すると、人相見は、「不思議なことに運勢が変わっている。寺を建てるとか、人の命を救うとか、よほどの徳を積んだに違いない」と言うが、南北には覚えがない。それで、ただ、1年の間、麦と大豆しか食べなかったと言ったら、人相見は、食の慎みこそ、最大の徳であると言ったのだった。

こんな話もある。
無敗の空手家であった白羽秀樹は、タイのムエタイ選手と戦うハメになってしまった。
ムエタイと空手の試合を企画したボクシングジムがあったのだが、そこの会長が、極真空手に出場を断られて白羽に頼んだのだった。自らタイでムエタイと戦ったことがある極真会館館長の大山倍達は、ムエタイの強さをよく知っており、当時の門下の空手家では戦えないと言ったようだ。その代わりとして、うまく説得された白羽は、自分は出場せず、配下の空手家を集めて戦わせる準備をしたが、ムエタイ選手のあまりの強さに恐れをなし、それらの空手家達は逃げ出してしまった。そこで、やむなく、白羽本人が戦うことになった。白羽は苦戦しながらも勝利したが、その次は、桁外れの強豪ムエタイ選手と戦うことになった。圧倒的な実力差にもかかわらず、白羽は不屈の闘志で戦うが、惨敗の上、重症を負ってしまった。
白羽は1年の山篭り修行を決行し、下山すると、ムエタイの一流選手と対戦して見事勝利する。この白羽が、超人的キックボクサーとして一世を風靡した、「キックの鬼」沢村忠である。

いかなることも、毎日欠かさず、長く継続してこそ意味がある。
それが、たかだか1ヶ月とか、ひどい場合は、数日で効果のことを考える者が多いのは呆れてしまう。
また、「時々やる」とか「忙しいから今日はしない」というのでは、いかなることの成就もおぼつかない。

私は1日1食の菜食主義になってから、今年の8月で3年が過ぎたが、その食事がもう当たり前になった。腕振り運動は10年以上、1日も欠かしていないが、これはもう義務のようなつもりでやっている。
腕立て伏せやスクワットなどの運動も、2年以上、欠かしていないが、これも、今や習慣に過ぎない。

エドガー・ケイシーのように、毎日決まった時間に聖典を読むことは良いことだ。
それに相応しい者なら、自然に聖典と出会うだろう。『聖書』や『バガヴァッド・ギーター』あるいは『老子』や『古事記』などであると思うが、全く別のものかもしれない。









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宇宙には貨幣は存在しない

宇宙旅行ビジネスが有望だと言われてかなり経つ。実際、わずか数分の宇宙空間(成層圏や中間圏より上空)飛行のために数千万円を喜んで支払う人は多いようである。また、個人で数十億円の費用を払ってロシアの宇宙船で宇宙旅行した富豪もいた。宇宙旅行の費用が数百万円にまで下がれば、ごく普通の人も数多く参加すると見られているようだ。
宇宙旅行の魅力は何だろう?
今もロングセラーを続ける、立花 隆さんの『宇宙からの帰還』によれば、宇宙飛行士達は例外なく、宇宙から戻ると別人に生まれ変わるようだ。決して同じ人間のままではいられないのである。
神に出逢う、神を身近に感じるといった体験を語る飛行士もいる。地上で、そのようなことをしようと思ったら、大変な修行をしなくてはならないが、宇宙に出れば、すぐにも訪れる体験なのであろうか?
そのような意識変革こそが宇宙旅行の魅力なのだろうか?

小説ではあるが、ジョージ・アダムスキーが1949年に発表した作品『宇宙の開拓者』(翻訳『UFO基本教書 地球人よ、ひとつになって宇宙へ目を向けなさい!』)では、宇宙飛行士達は、地球と月の重力的な中間地帯(月に近い)で、精神が静寂に包まれる不思議な体験をする話があるが、さりげなく書かれたこの記述は、それまでの、そして、それ以降のSF小説に見られないものである。私にはこれが、妙にリアリティを感じるのである。
ところで、この小説で、非常に興味を引かれるところがあった。
月に到達した地球の宇宙飛行士達は、そこで火星人達と出会い、地球のものとは比較にならない進歩した火星人の宇宙船を見る。火星人は、地球の宇宙飛行士達に、自分達の宇宙船で、火星や金星に連れて行くことを約束する。地球の宇宙飛行士達は当然、大喜びしたが、問題も感じていた。まず、費用の問題である。月に来るのにも莫大な費用がかかっているはずであり、それが火星や金星となると、いくら払えば良いのか想像もできない。そこで、それについて尋ねてみたところ、火星人は戸惑う。地球以外の星では、費用とか対価という観念が無いのである。もし、地球人が火星人や他の星の宇宙船に乗っても、何も渡す必要は無いという。また、これらの星の住人達は、食料にしろ衣料にしろ、いかなるものを入手する際にも、どんな対価を払うこともない。それでいて、皆が公平に、そして、十分なものを得ることが出来るのである。
ところが、我々は、数分の宇宙飛行に数千万円、特別に外国の宇宙船を借りれば数十億円。そして、アメリカのスペースシャトルに日本人宇宙飛行士が乗る代償に数百億円が支払われているのである。
また、災害時には、外国からの救援が来て、有難く、また、頼もしく感じるが、無論、タダではない。報道されないながら、各国に魅力ある金額が支払われているのは間違いないと思う。
地球では、何をするにも、何をしてもらうにも金がかかる。
アダムスキーは、実際に宇宙人と交流し、惑星文明の実態を聞かされたり、後には自ら金星などの惑星を訪問したが、当時はそういったことが受け入れられなかったので、フィクションの形で発表したのだという。チリの作家エンリケ・バリケスの『アミ 小さな宇宙人』のシリーズについても、「一応、フィクションとする」などといった思わせ振りな述べ方をしているが、似たようなものだろうか?
尚、『アミ 小さな宇宙人』を読んで感動し、続巻では装丁も行った世界的美術家の横尾忠則さんは、著書で男らしく、宇宙人との接触を事実として述べている。
政木和三さんも、宇宙人からの手紙を公開していた。横尾さんは、政木さんの著書『精神文明と奇跡』の装丁を行ったが、私は、既に絶版になっていたこの本を、政木さんから貰ったことがある。
地球もまた、いつか貨幣経済を脱却する日が来るのであろうか?皆が平等に、必要なものを十分に得られるが、不要なものを求めず満足する・・・そんな時代である。









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UFO型スペース・シップ(宇宙船)を開発するには

UFO型のスペース・シップ(宇宙船)を作るにはどうすれば良いだろう?
それは、ロケットエンジンとは異なる動力で飛行し、火星、金星、あるいは、さらに遠方の星への飛行も可能なものだ。
言うまでもなく、現在の地球のいかなる科学者、技術者にも、そのようなものの製作は不可能だ。
では、その開発は、不可能と思われながらも、ロケットの研究開発者にやらせるべきであろうか?
だが、往々にして、高度な専門家ほど、現在の知識や経験がかえって制約となり、全く異なる飛躍した発想が出来ないものだ。様々な分野で、権威者、大ベテランが、進歩の妨げとなっているのはよく見られることである。
実際、ロケットとUFOはあまりに違う。UFOの実機を提供されても、地球の科学者、技術者にはそれを理解できないに違いない。
また、たとえ、若くて柔軟な頭脳を持つ天才であっても、地球科学のパラダイム(認識の枠組)を持ってしまった以上、どうしても限界があるのだ。
アインシュタインは、ニュートン力学のパラダイムを超えることには成功した。きっと彼は、従来の物理学や数学にあまりに深入りすることがなかったのだ。大学でも、講義に出席したことは無かったという。だが、そのアインシュタインも、量子力学を受け入れることができなかった。
また、量子物理学を完成させた者は、ニュートン力学や相対性理論もよく理解していたが、誰も相対性理論と量子力学を結び合わせることが出来ない。

もちろん、何の知識もなく大発明が出来たりはしない。しかし、地球の科学は複雑過ぎる。このまま進んでも、UFO型スペース・シップの完成に至ることは無い。
発明の要因とは何だろう?
昔から「必要は発明の母」と言うが、その通りである。
だが、UFO型スペース・シップなどの、現在の地球の科学レベルを超越した発明を行う場合、必要の質が問題となるのだ。
これまでの発明であれば、富や名誉や、あるいは、民族の誇りといったことが必要になり得た。原子力発電といったものも、人類の幸福を願って善意で開発を進めたのではなく、経済を基盤とした国力の増大を目指す国家が、金名誉といった報奨を対価に開発させたものだ。開発者としては、それが全てではないだろうが、やはり8割方は個人的利益への関心から奮闘したのである。

アポロ計画を推進したドイツ出身の科学者ウェルナー・フォン・ブラウンは、最初こそ純粋な探究心からロケット開発を行ったが、彼はその才能を、ロケット兵器や国際宇宙競争のために利用され、代償として富と栄誉を得た。そして、彼は寿命が尽きようとした時、死の床で言った。「ノヴァ(新星)」と。彼は、必ずしも、新星のような輝き渡る英知の爆発を得た訳ではなかったように思う。

もし、UFO型スペース・シップを開発できる人がいるとしたら、その者は個人的利益に関心がなく、開発に成功しても、自分が開発したとは思わないだろう。また、開発プロジェクト自体に、何等の利権や軍事的意図はもちろん、他国との競争に勝つといった思惑があっても成功しない。ただ、全ての人類や、自然、地球といった万物への善意のみが動機でなければならない。なぜなら、UFO型スペース・シップのテクノロジ自体は存在するが、その秘密は、受け取るべき資格ある者しか受け取れず、その資格とは普遍的な英知を、個人の心より上位に置く者であることだからだ。
現在でも、万能治療器や永久機関は既に発明されているが、それが一般に公表されないのは、現在の医療やエネルギー事業で利権を得ているものの妨害のせいばかりではない。善意の妨害者も存在しているのである。
だから、医療団体や医学会、それに、厚生労働省が万能治療器を握り潰そうとしたり、自然エネルギーや、フリーエネルギーの普及を妨害する者がいたとしても、彼らを攻撃しても意味は無い。利権にしがみつく者も、それを憎む者も、所詮は同じ穴のムジナである。
全ての者が、個人的欲望を放棄し、全てを善意で行うようになれば、自ずと全てうまくいく。地球を汚してエネルギーを生産する必要もないし、他の惑星への旅も容易に実現する。そして、そうならない限り、人類に未来はないのである。









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プラス思考で滅びる原理

かつて、プラス思考というものがブームになったが、その後、この言葉が一般化した感がある。
プラス思考と一言で言っても、大体が2通りに分けられると思われる。
1つは、ものごとの良い面を見る、あるいは、良い方向に考えるというもので、例えば、失敗をしても、良い教訓になったと考えるなどである。大怪我をした場合なら、命が無事で良かったと考えるのもプラス思考だろう。
もう1つは、未来を希望的に考えることだ。「きっとうまくいく」と信じることがこれに当たり、楽天主義、楽観主義と似たところがある。

これらは、もちろん、非常に良い場合もあるのだが、ろくでもないものであることも少なくはない。
例えば、破産した時、「借金を返さなくてよくなったから良かった」と考えるのも一種のプラス思考なのかもしれないが、それでは人間の尊厳を捨てることになる。
「ロックで生きていけるから、嫌な就職なんかしない」というのもプラス思考だし、それが妄想だと言われながら本当に成功した者がいるので面倒ではあるが、やっぱり無理な者もいるのである。

そもそも、事業家で継続的に成功する人は、マイナス思考の人ばかりである。
事業を真面目に考える者なら、希望的観測であるプラス思考に頼ることは全く無く、何事も失敗した時のことをまず考えるし、飛躍よりは堅実を取るものだ。だが、マスコミは予想外の成功みたいなものばかり取り上げるので、成功した事業家が博打好きに見えてしまうのである。

インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギという人が著書に、「プラス思考に良いところは何もない。せいぜいがマイナスよりマシという程度だ」と書いているのを見て、非常に感激した覚えがあるが、別にマシということもない。マイナス思考も、使い方で良いこともあれば、ろくなものでないことは、プラス思考の場合と全く同じだ。
むしろ、プラス思考は、欲望を伴いやすいので、実際はマイナス思考よりはるかに悪いことが多い。

五島勉さんが『ノストラダムスの超法則死活の書』という本で、マイナス思考の威力のようなものを訴えていたが、これは素晴らしいもので、竹村健一さんや舛添要一さんが推薦の言葉を書いていたのを納得したものだった。例えば、騎士が命と名誉をかけた決闘をする時、「俺が勝つ!」なんていうプラス思考や希望的観測をせず、死を「本当に」覚悟して挑んだ話などがある。

つまるところ、プラス思考かマイナス思考かの問題ではない。
自我の欲望を前面に出せば悲惨を味わう。それを消せれば結果はどうでも良いことになる。
社員やお客様、それに取引先がある事業家は、結果がどうでも良いとは言えないので、堅実にやるしかない。これはプラス思考でもマイナス思考でもない。
結局のところ、大切なのは明晰な思考であるが、そのためには、個人的欲望を捨てるしかない。明晰な思考とは、頭で考えることではなく、内側から来る閃きや直感だが、それが現れるのを妨げるのは、個人的欲望だ。
子供に教育すべきことは、個人的欲望を楽しく、賢く消す方法だ。しかし、学校でも家庭でも、子供の個人的欲望を育てることばかりしている。先進国ほどそうである。世界が良いものになるというプラス思考は全く出来ない状況である。









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不思議な問題解決法を試してみた

食を慎み、腕振り運動を毎日決まった時間に決まった回数していれば、いかなる問題も起きないだろうか?
基本的にはそうだが、もちろん、いつもではない。もし、それが永遠に続くようなら、この世に生きている理由が無い。
仮に、高い境地に達したとしても、そんな人は世界を理想的なものにするための義務が与えられるし、その義務を遂行する中で困難にも出遭うだろう。
ましてや我々凡人の場合には、どうしても弱さがあり、時には道を踏み外す。ただ、食を慎み、腕振り運動をしていれば、深刻な事態は避けられるだろう。

私は、食の慎みと腕振り運動で、幼い頃からの重度のアトピー性皮膚炎は全くお金を使わずに克服したが、肌が強い方ではない。それで、最近、汗をよくかいたせいもあって、汗疹(あせも)になったのだが、それを掻いたのが悪かったのか、ひどい皮膚炎になってしまった。これは、アトピーとは異なり、何かに集中していると別に何と言うこともないのだが、気を緩めると痒みがひどくなるので、リラックスが出来ない。これはかなり苦しいものだった。
ただ、面白い発見もした。皮膚炎の部分は黒ずんで荒れているが、そうでない部分の肌が、まるで赤ん坊の肌、いや、それ以上にキメ細かく、触ると、「スベスベ」とか「しっとり」といった表現ではとても表せないほど気持ちよい感触なのだ。言うまでも無く、何の美容法もしていない。つまり、人間というのは、自然の力だけで、そういった状態になれる力が内包されているのである。
尚、やはり食の慎みの効果か、顔や手など、外から見える部分には皮膚炎が全く広がらないのは有難かった。私は、真夏でも長袖しか着ないこともある。

さて、私の皮膚炎であるが、汗疹は単なる引き金で、やはり、精神的なものだと思う。最近、精神的に非常にイライラすることが多く、ストレスが溜まっていたことが原因であったことは間違いない。
毎日欠かさず『バガヴァッド・ギーター』を読んでいるが、それがやや空虚に感じるほどだった。
また、私の睡眠時間は4時間弱で、聖人なら十分過ぎる時間であるが、私のような愚民にはやはり少ないようだ。

問題が起こった時、最も優れた解決法は何であろう?
誰か賢い人のアドヴァイスを求めることだろうか?もちろん、それも良いことだ。
しかし、最上の方法は、自分に尋ねることだ。自分を信頼して、自分に尋ねる。ただし、尋ねるだけだ。ただ、直接の答が与えられるわけではない。
答は、潜在意識に返ってくる。それは、閃きや直感として感じる。そして、胸の奥の感覚を頼りに進めば良い。
私は、「どうすれば肌の状態が良くなるか?」「どうすれば、晴れやかな気持ちになれるか?」と自分に尋ねた。
すると、ずっと前に買っていて、読まずに放っていた、「眠れる預言者エドガー・ケイシー」という本を不意に見たくなって、書棚から取り出して少し読むと、すぐ最初のところに肌を健康にする方法が書いてあった。
そこには、「トマト、ブロッコリー、ジャガイモなど、アクの強い野菜を食べてはならない」「コーヒーにミルクを入れて飲んではならない」「1日コップ5、6杯の水を飲め。ただし、ジュースなどで代用はできない。水であることが必要」とあったが、これまで、私はこれらに反することばかりをしていた。
書いてあることに従えば、瞬間に治るとはいかないが、明らかに改善してきた。また、昨日と今日は、昼間に椅子に座ったまま、眠っていた。潜在意識がそのように誘ったのだろう。その効果もあったようだ。
次に、心を晴れ渡らせる方法であるが、これも天を(真の自己を)信じて、なりゆきにまかせると、すぐに、きっかけが掴めた。必要なことは、意識の変革である。ジョージ・アダムスキーが1949年に発表した『宇宙のパイオニア・・・月、火星、そして金星への旅』の翻訳『地球人よ、ひとつになって宇宙へ目をむけなさい!』が先月末に出版されたが、それを読み始めると愉快になってきた。アダムスキーが小説として書いたこの本には、明らかな意識変革効果があったようだ。ところが、私は、アダムスキーの本は2冊も読みかけがあったので、新しい本は当分買わないつもりだった。しかも、注文した覚えが全くないのに、家に届いていたのだった。

尚、自分に尋ねることに関しては、ジェニファーと名乗る女性が自動書記で受け取った情報である『リメンバリング』という本に書かれている。ただ、この本は、特殊な読者のためのものなので、気楽に買うなと断り書きがされていた。
だが、ジェニファーさんは、日本サイ科学界に所属しているとあり、私は、その創始者の関英男博士の本を数多く読み、腕振り運動はじめ、いろいろ実践もしていたので、まずます資格はあるかなと思って購入していた。
ただ、興味本位で買ってしまった人もいると思う。別にそれで災厄がある訳ではなかろうが、実に無駄なことである。
毎日、腕振り運動をしている人は読んでみても良いかもしれない。
尚、腕振り運動に関してよく知らない人のために、下に当ブログ内の該当記事へのリンクを記しておく。
地球や天と共鳴する腕振り運動
腕振り運動の効果、最新レポート









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