ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

Excel VBAで有用な人材に

正直、私は、普段は書籍はAmazonで買うし、大半は電子書籍のKindle版で読むが、その便利さから離れるのは無理である。
だから、書店は大変だなあと思うが、書店は楽しいので、最近は、昼休みに、他の人が昼食を食べる代わりに書店で本を見ている。
それに、書店に行くと、今の流行が実感出来ることも多いのである。
それで、コンピューターの本の場所に行くと、Excel VBAの新しい本が多いことに気付くし、見てみると、良い本が多いことが分かる。
これは、いよいよ、誰もが、自分の仕事に自主的にコンピューターを適用する、あるいは、すべき時代になったということと思う。
Excel VBAを使えば、仕事を大いに効率化出来るし、「3日がかりの仕事を3分で」とか「人件費を数分の1に」というのも、必ずしも大袈裟ではない。
つまり、Excel VBAを高度に使いこなせれば、非常に有用な人材である。

大雑把に言えば、ExcelとVBAの場合、自分の仕事を効率化するのに役立ち、AccessとVBAなら、部署単位(小さな会社なら会社全体)の仕事を効率化出来る。
言ってみれば、Excel VBAは機動性の高い光線銃で、Access VBAは両腕で使うプラズマ砲のイメージだ。
もっとも、使いようによっては、光線銃で敵の基地を陥落させることが出来るように、Excelでシステムを構築することも出来る。
ただ、やはり大きなシステムになると、Access VBAの方が便利な点が多い。
特に、AccessとSQL Serverを組み合わせれば、そこそこの規模までの会社なら基幹システムでも十分に作れてしまう。
ところで私は、割と大きな会社の、Accessと、SQL Serverの高価なCPUライセンス版で作られた、かなりのデータ量のシステムを、別のサーバーコンピューターに構築し直す際、無償のSQL ServerであるSQL Server Expressを使ったら、あっさり出来てしまったことがある。重い処理をすればパフォーマンスに差があるのだろうが、普段は全く分からないほどだ。
だから、ExcelでVBAをマスターすれば、すんなりと、Accessに進んで大きなシステムを構築出来るようになれる可能性がある(その場合は、大規模データベースの扱い方や考え方を習得する必要がある)。

ExcelやAccessに代わる新しいツールという謳い文句を掲げるものは多い。
だが、多いということは、選択が大変だということだ。
ただでさえ、導入数がExcelやAccessと比べて極端に少ないのに、その中でパイを奪い合ってるものを、私なら、あまり使おうという気にならない。
それでも、安ければ考えるが、それらは皆、高額だし、1人月額いくらで使うという、とてもではないが、ゾっとするライセンス体系のものも多い。
Excdelなら1~2万円、Accessなら2~3万円程度で買って永遠に自分のものに出来、バージョンアップでも根本的には変わらないので、10年位は使えるだろう。そういえば、私も2013年頃はAccess2003を本当に使っていた。当時は、Access2007から若干変わったインターフェースが気に入らなかったことが原因だが、少し慣れてしまえば、別に違うというほどではなかったが。
機能でも、それらの新興ツールは、ExcelやAccessに優る部分もあるだろうが、その分、総合的には機動性がなかったり、不便だったりすると思う。

いつも言っているが、特に、自分は普通のサラリーマンだと思い、何か特技を持ちたいと思うなら、Excel VBAを始めることをお奨めする。
このAI時代、ビッグデータ時代、仮想通貨時代、モバイル時代であるが、VBAをやれば、そういったものも理解し易くなる。
Excel VBAの第一人者、大村あつしさんは、ビジネス小説の形で、AIと仮想通貨の本を書かれているが、ベストセラー1位を独占しているほどである。








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ズバリ、プロとは

コンピュータープログラミングをマスターするためには、何をすれば良いだろう?
これを私に尋ねたら、プロのプログラマーになるにはという意味で答えることになる。
ピアノ演奏をマスターするのも、単にちょっと弾けるというのと、プロの演奏家になるのとでは、意味が全然違う。
ところで、オーケストラのピアニストでなくても、バーやレストランでピアノを弾くのも立派なプロだと私は思う。
私の場合がまさに、バーやレストランのピアニストに相当するプログラマーなのだ。
ただし、オーケストラのピアニストより、バーのピアニストの方が給料が高いことだってあるのだ。

プロとは何だろう?
言うまでもなく、それで金を取る者であるが、プロでないのに金を取っている者は、一時的とはいえ割といる。
昔、船井幸雄さんが著書に、プロとアマとの違いについて、「アマの最高レベルがいつでも出せるのがプロ」と書かれていたが、それはそれで正しいと思う。
しかし、もっと単純に言えば、「責任を取るのがプロ」である。
野球選手なら、勝つための責任を果たすのがプロだ。
時々、能力的には高いがクビになるプロ野球選手に同情が集まることがあるが、そんな選手をちゃんと見れば、百パーセント、勝つための責任を放棄しており、それはプロではないので、クビで当たり前なのである。
ジャイアント馬場さんは、「俺はお客さんを満足させる責任がある」とよく言われていたが、だから彼は、選手としても経営者やプロモーターとしてもプロだったのだ。

では、プロになるにはどうすれば良いだろう。
それは、1日中、寝ても覚めても仕事のことを考えることだ。
プログラマーの場合、考えること、即、プログラミングであるから、1日中プログラミングをしていることになる。
ピアニストは、「あそこはこう弾けばいいんじゃないか?」と考えるから、演奏が向上するのである。何も考えずに、言われるまま、あるいは、パターン通りに練習しているだけではプロになれない。
再び、ジャイアント馬場さんの話をするが、馬場さんが非常に憧れ崇拝していた、バディー・ロジャースという世界チャンピオンがいた。
馬場さんは、アメリカにいた時、ロジャースと同じところにいたら、ずっとロジャースを見ていた。
そうしたら、ロジャースは常にプロレスのことを考えていることに気付いた。
他の選手達が、電車での移動中などに雑談したり、ゲーム(当時はトランプのようなものだが)をしたり、酒を飲んだりしているが、ロジャースだけは、ずっと考えていた。
それは、「どんな戦い方をすればお客さんが喜ぶか」「リングに登場する時は、どんなふうにやればうけるか」などといったことだろうが、とにかくずっと考え、良いと思ったものを実践していったのだ。
馬場さんは、「そりゃ、ずっと考える者とそうでない者では差がつくよ」と言われていたようだが、全くその通りだ。
ロジャースの周りの選手達だって、かつては、ずっとプロレスのことを考えていたはずなのだ。彼らは、その余韻でプロを続けているが、当然、早くに駄目になるのだ。
考え続けた者がトップになるのである。

私も、レベルは低いながら、プロのプログラマーになる時は、本当に、寝ても覚めても、日曜日にドライブしている時も、ずっとプログラミングのことを考えていた。
酒場のヴァイオリニストだって、生活出来る給料を取れる者は、やっぱりそうであったはずなのだ。

男のプロってやつもある。
よく、女の子に「責任取ってよ」と言われたり、女の子に「責任は取るよ」と言うといった話がある。
本当に責任が取れるのが、プロの男である。
いい女の子は、アマの男なんかと付き合ってはいけないのである。
ただ、その前に、自分が(変な意味でなく)プロの女の子でないといけない。
相手の身になり、思いやりがあるのがプロの女の子である。









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キンケリ専門の格闘術

ダイエットの本のほとんどが、帯や、あるいは、タイトルにまで、「これだけで」「たった1分で」などと書かれているが、薄っぺらでもない本1冊になっているのだから、「これだけ」「簡単」なはずがない。
実際、今のところ例外を見たことはないが、どの本も、難しい体操、不自然な体操、図があっても正確にはどうやるのか分からない体操ばかりで、著書の悪意と言うよりは、著者の頭の悪さを感じるのである。

引き締まった、美しくて強い身体になりたければ「キンケリ」の練習をすれば良いと思う。
キンケリとは金蹴りで、男性の股間を足の甲で蹴り上げる、格闘技最大の必殺技だ。
護身術の本も、実際には全然役に立たないものばかりだが、キンケリと目への攻撃を磨いておけば、難を逃れることが出来る可能性は高まる。

梶原一騎さん原作の、大山倍達さんの伝記漫画『空手バカ一代』で、大山さんがタイ国に行った時の面白いお話がある。
まあ、梶原さん原作ということもあり、創作の可能性も高いが、こんなものだ。
川の中にじっと立っている少年がいて、大山さんは案内役の日本人に、「あれは何をやっているのですか?」と尋ねると、釣りだという。
魚が足の上を通過する一瞬、それを川岸に蹴り上げるのだが、その見事な蹴りに、超人空手家の大山さんが、「この大山にも出来るか?」と驚愕する。
そして、こんな日常行為が、優れたムエタイ(タイ式ボクシング。日本のキックボクシングに近い)の選手を育てるのだという。
ただ、当時のタイの子供達は、訓練としてやっているのではなく、貧しいので、そうやって真剣に食べ物を得たり、それを売って生活するためにやっているのである。

今思えば、このタイの少年のようなことを毎日やっていたら、たとえよく食べていても、さぞ引き締まった身体になるだろうと思う。
だが、我々には、川は滅多にないし、魚を採る必要もないだろうが、それなら、部屋の中で、それに近い動作であるキンケリの練習をすれば良い。
同じく、梶原さん原作の漫画『カラテ地獄変牙』で、拳法を使う、少女少年院に入れられているが美しい少女が、やはり、少年院に入れられている主人公の牙に拳法の指導をするのだが、少女はキンケリについて、「膝のバネを十分に生かさないと当らない」と言う。
このあたりは、むしろ梶原さん原作で真実味があるが、実際、その通りだ。
膝を必要なだけ曲げ、その反動を利用すると共に、膝を素早く上げないと、鋭い高速の蹴りにならない。
大山さんは著書に、空手はキンケリと目潰しがあるから地上最強であると書かれていたが、その正直さに私は感動したことがある。
我々は別に、競技空手を学んで黒帯を取る必要は全くないのだから、ごく実用的な攻撃を身につければ良い。
SAS(英国特殊部隊)の格闘術の本やビデオでも、キンケリは度々紹介されており、この格闘術が本物の実践のためのものであることが分かる。

そして、いろんな意味で不遜かも知れぬが、キンケリの練習は最高のダイエットでもある。
金的を目にも止まらぬマッハのスピードで蹴ることが出来るようになれば、身体が引き締まるだけでなく、目付きも変わってきて、周囲の人達は、なぜかは分からないが、なたを軽く見てはいけないと直感的に感じ、丁重に扱ってくれるようになる。
毎日、数百発練習すれば、ことキンケリに関しては、空手家やプロ格闘家より速く蹴ることが出来るようになるだろう。
まるで、西部劇の流れ者の凄腕ガンマンや、木枯し紋次郎の長ドスのように。

もちろん、実際にキンケリを試すようなことは無いにこしたことはなく、そんなことにならないよう賢く行動すべきだ。
しかし、いざという時の必殺技は磨いておくと良い。美しくもなれ、風格も出るのだから。

ちなみに目潰しの方だが、指を相手の目にモロに突き立てるようなことを言う人もいるが、まともな人間の神経では、そんなことは出来ないはずだ。
そこで、手を外側に払う動作で、指の爪のある外側の面で、相手の目を鋭く叩く練習をすれば良い。
これも、超高速でやれるようになったら、かなり実用的である。

格闘技の試合や空手映画で見るようなパンチやキックは素人には無理である。
まして、ハイキックなど実践でやれば、悲惨な結果しかないだろう。
蹴るなら、金的以外では相手の脚を蹴るより他は考えられず、特に非力な者には、あらゆるパンチはやっても意味はない。
まず、最初から危ない場所に行かないことが肝要で、万一にでも、危ない場面になれば、数パーセントの可能性でも勝つ方法を知っておくべきであろう。
そして、こういったことを通じて、実際的な考え方を身につけるきっかけにもなるだろう。
儲けたいだけの無責任な人間に騙されず、当たり前の考えや行動が出来るようになることである。









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貧者の逆襲

昔は、貧しい家の中学生や高校生が、電気スタンドは無いが、家が狭くて、部屋で寝ている者もいて電燈を点けられないので、外の街灯がある場所で勉強し、それでも一番の成績で卒業したなんて子がいた。
しかし、今の時代なら、その子の成績は、普通より少し良い程度であれば上出来だろう。
今は、そこまで貧しい家は滅多にないが、それでも、家に余裕がなくて良い塾に行けない子が根性で金持ちの子に勝つのは、かなり難しい。良い塾の講師の教え方は学校の先生とは桁違いで、実際、恥を忍んで塾に教え方を教わっている学校もある。

半世紀以上前、まだ割と平等な時代、生まれつき頭の良い者が金持ちになっていき、そんな者は、子供に快適な勉強部屋を与え、教育にお金をつぎ込んだ。元々、頭の良い親の子だから、子供は優秀になり、そんな子がさらに金持ちになる・・・という構図が出来上がり、今では日本はすっかり格差社会になった。

私がいま、唯一熱心に見ている『BEATLESS』というアニメは、2105年の22世紀のお話なのだが、3人の親友同士の間で格差がある。
一人(リョウ)は大金持ち、一人(アラト。主人公)もそこそこの富裕層、しかし、最後の1人(ケンゴ)は、定食屋を営む家の長男で、貧乏な上、特別なところは何もない。
5体の女性型スーパーアンドロイドの1人で、可憐な少女の姿の紅霞(こうか)は、そんなケンゴに対し、支配的であったはずが、不思議にケンゴに好意を持っているように感じる。
5体の中で、一番最初に作られた紅霞は、凄い性能とはいえ、他の4体のような特別なところはなく、自分に世界を変えることは出来ないと悟る。
そんな自分は、ケンゴを代表とする下層の者達と似ていると、紅霞は感じたのだ。

これからの世の中、下層の人間は蹂躙(じゅうりん。踏みにじられ、強権で侵害されること)されるしかないという、大昔の世界が蘇りつつあるというのが事実だ。いや、もうかなりそうなっている。
超人的な努力をしたところで、IQと資金が足りなければ、せいぜいが出来の良いロボット扱いで、しかも、ロボットのきれいな仕事は本物のロボットがやることになり、人間ロボットに回ってくるのは惨めな仕事ばかりかもしれない。
いや、別に、とりたてて悲観的なことを言うつもりはない。
この時期になると思い出すのだが、私は昔、一部上場企業で、前の年の終わりあたりから、ゴールデンウィークの間もずっと、大晦日、正月も含め、土日祝日全て出勤し、朝7時半から夜12時まで働き(12時で駐車場が閉まるという理由でその時間まで)、かなり実績も上げ、上司は昇進を推薦してくれたが、昇進したのは実績はなくても学歴のある者だった。
丁度、今の時期には遂に過労で倒れ、10分ほど意識不明だったが、意識が戻った時、その上司すら、自分の机で悠然と座っているのを見た。
まさにロボット以下の扱いであるが、まあ、性格の悪さが半分はあった・・・と信じよう(笑)。

紅霞は散ったが、我々は勝たねばならない。
永井豪さんの昔の漫画『魔王ダンテ』は、なんと、太古の昔、神に蹂躙された悪魔が、現代になって(と言っても20世紀だが)いよいよ力を蓄えて神に宣戦布告する様子を力強く生き生きと描いたところで終わっているが、永井さんも、成功したとはいえ、持たざる者出身であり、世の中に逆襲に出ようという意欲があったのだと思う。
別に、エリートと戦うというのではない。
エリート達の世界とは違う、新しい、もっと良い優れた世界を作るのである。
そして、それは可能になったと言える。
それは、真の強者の世界なのである。









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どうすれば目標を固定出来るか

目標を固定出来れば、それは必ず実現出来る。
だが、目標を固定することは、本当に難しいことが分かる。
多くの人は、案外に自分の目標を語ることが出来るのだが、それらの目標の大半は、自分の心からの目標ではない。
誰かに押し付けられた目標とか、見栄から出た目標、変な妥協をした目標といったものばかりなのだ。
例えば、漫画家になりたいという目標を持ちたいが、漫画家で食べていくのはあまりに難しく、それはやめておこうと思う場合もあるだろう。
あるいは、何のために大学に入るのか分かっていないとか、本当は就職なんてしたくないのに、周囲の圧力で、そういったものを目標にさせられてしまっている。

私も、誤った目標をいくつも持っていたが、それらに振り回されて散々な目に遭ってきた。
まあ、それはそれで良い経験だったのかもしれないが。
最初に、目標を持つことが難しいようなことを書いたが、本当は簡単である。
ただ、目標は、考えて思いつくようなものではない。
何かの瞬間に、ふと思い浮かぶものである。
その瞬間には、不思議な感覚を感じる。
胸が締め付けられるような、あるいは、懐かしいような・・・おかしな感じと思うかもしれない。

真面目に生きていれば、良いアイデアが閃くが、その真面目とは、世間や親や学校の先生の言う真面目とは随分違うことが多い。
むしろ、世間や親や学校に踊らされている間は、良いアイデア、ましてや、本当の目標なんて思い浮かばない。
だけど、少々おかしな生き方をしていても、真実の瞬間はあるものだ。
花を見てきれいだと思ったり、スズメを見て可愛いと思った瞬間、心が透き通り、天使がささやくのを聞くことがある。
だから油断をせずに、常に自分でいることだ。

本当の目標があれば、常にそれに関係した何かをするものだ。
プロレスラーになるのが目標なら、どこにいて、何をしていても、筋肉を鍛えるよう工夫をするようにね。

目標を持てば、勝ったも同然である。
それは必ず実現するのだからだ。
なぜなら、心は現実世界を創造する力があるし、そのためには目標を固定するだけで良いからだ。

「A子さんを彼女にする」なんて誤った目標を持つ人は多い。
正しくは、理想的な彼女をつかまえることだ。
結果、A子さんが彼女になることも稀にはあるが、A子さんが良く見えるのは妄想である。
ポルシェに乗ることが目標と言っても、ポルシェのどこが良いか分かって言ってるのか?

1993年の4話完結のアニメ『キャシャーン』の最後で、新造人間キャシャーンとブライキングボスの決闘の時の会話が印象的だった。
「お前に特権を与えてやる」というボスに対し、キャシャーンは、「断る。お前の作った世界など俺は欲しくない。俺は俺の手で新しい世界を作ってみせる」と応える。
この刹那、交渉は決裂し、後戻り出来ない戦いとなる。
結局、この子離れ出来ないボスが負けるのは当たり前のことなのだが。

痛いくらい強く結んだ手と手を
振りほどくようにさ 君は君になってゆく
~『Birtday』(作詞・作曲・編曲:びにゅP。歌:初音ミク)より~

目標を達成した時、孤独か、チームと共にあるかは分からないが、親や教師や、親や教師のようなものと共にいることは絶対ない。
プロ野球の監督が息子をチームにいれて、息子が成功することは絶対ない。
親をコーチやマネージャーにしているスポーツ選手や芸能人もいるが、当人達は本当は不幸なものだ。
また、師を乗り越えてこそ、望む高見に立つものである。
師はさっさと捨てるか、打ち負かすものである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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