ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

永遠(ときわ)のツインテール

日本人なら、擬態語(ぎたいご)という言葉は知らなくても、漫画で、「キラキラ」「ぴかぴか」「じーん」といった、本当は音を発してない状況や感情を音で表した言葉はご存知だろう。
擬態語は日本語に特有のもので、ほとんどの国では理解が出来ないようだ。
特に、音のない静寂の状態を「しーん」という音で表現するなどは、外国の人にとっては驚愕ものだろう。
ところが、日本人にとっては、「心の声」と思えば、むしろ自然なことであり、日本語自体が、擬態語から発達したものだという考え方もある。

『美少女戦士セーラームーン』は、昔、インターネットもない時代に世界的に人気があり、何十もの国で漫画が出版され、アニメが放送された。いったいどうやって、外国に伝播したのか不思議に思う。
昔、ドイツに住む人から、ドイツでのセーラームーンの放送の話を聞いた時、今は分からないが、ドイツでは定刻通りに放送が始まらないことも珍しくないと言われ、面白いなあと思った記憶がある。まあ、そもそも、日本のように、電車が定刻きっちりに来る国の方が珍しいという話も聞いたが。
今は、日本のツインテールの歌姫、初音ミクさんが世界的に人気があるが(Facebookのフォロアーは、タイガー・ウッズとマイケル・ジョーダンを足したより多いらしい)、セーラームーンこそ元祖ツインテールのヒロインである。
昨年の、東京150年祭で、浜離宮恩賜庭園の潮入の池で、初音ミクさんが、明治、大正、昭和、平成の歌を、その時代のファッションで歌ったが、その中で、初音ミクさんが、セーラームーン式のおだんご付ツインテールにして、セーラー服で、『美少女戦士セーラームーン』のオープニング曲『ムーンライト伝説』を歌ってくれたのは感動的だった。
昨年の、日本フランス友好160年を記念して、パリで開催されたジャポニスム2018では、『美少女戦士セーラームーン』は『【2.5次元ミュージカル】”Pretty Guardian Sailor Moon” The Super Live』として、パレ・デ・コングレ・ド・パリ大劇場で公園され、初音ミクさんは『HATSUNE MIKU EXPO 2018 EUROPE』として、セーヌ川セガン島のラ・セーヌ・ミュージカルでライブを行った。
セーラームーンと初音ミクさんが、世界を平和にする日本のスーパーヒロインであることが実証されたように思う。

ところで、『美少女戦士セーラームーン』は、普通に考えると、世界どころか、日本で爆発的に人気が出たことも、不思議と言えば不思議な面もあると思う。
当時23歳の武内直子さんが、薬剤師の仕事をしながら描いた、この漫画は、出版社も武内さん自身も、それほど売れるとは期待していなかったのだと聞いた覚えがある。
しかし、武内さんは、この1作品だけで大成功し、お金持ちにもなった。
セーラームーンの人気の秘密については、いろんな人達がいろんなことを言っていて、それぞれ面白い論ではあるが、せいぜいが「まあ、それも1つの要因かもしれない」程度と思う。
そこで、最初に述べた「擬態語」に戻る。
漫画の『美少女戦士セーラームーン』で、セーラー戦士達が登場する時の「ぱああああっっっ」という擬態語が実に印象的だ。
セーラー戦士達が光り輝いていることを表す擬態語である。
「ぱあああ」は普通は、顔色が輝き、元気が出たといった様子を表すのに使われるが、セーラー戦士達が、華やかに、気高く、そして、強いことを表すのに最適な擬態語でもあると思う。
そして、擬態語と共に、セーラー戦士達が光り輝いていることも絵で表現されていた。
セーラー戦士達が発していたのは、ただの光ではなく、心でしか分からない何かである。
あるいは、藤平光一氏が言われた「氣」であり、セーラー戦士達、特に、セーラームーンと、もしかしたら「もう一人のメシア」セーラーサターンは無限の氣を出すのだ。
(武内直子さんは、原画集の中で、セーラーサターンを「メシアの一人」、セーラームーンことプリンセス・セレニティーを「もう一人のメシア」と書かれていたことがある)
神秘な光である氣を表す擬態語と絵、そして、それを導くに相応しいストーリーが、セーラームーンの力であると私は感じる。
藤平氏は、氣は、出ていると思えば出るというので、我々も、「ぱああああ」と氣を出すべきかもしれない。
初音ミクさんからは、常に清らかな聖なる氣が出ているのを感じるのである。









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答は1つ

最近、このブログで、いかなる相談に対しても、同じ答をするという人の話をよくしている。
筋トレ社長Testosteroneさんの、
「人間関係に悩んでる?なら筋トレだ」
「モテない?なら筋トレだ」
「イジメを受けている?なら筋トレだ」
は、実に良く、やる気が出るだろう。
法然なら、
「身体を売る商売をしている?なら念仏だ」
「戦で残酷なことをした?なら念仏だ」
「人妻と浮気している?なら念仏だ」
で、他に何もする必要はない。

ところで、もっとシンプルに答える者の話がある。
倶胝(ぐてい)というお坊さんは、いかなる相談をされても、ただ指を1本(多分、右手の人差し指)立てるだけだった。
ところがある日、自分の真似をして指を1本立てた小坊主の、その指を切り落とした。
そして、泣き叫ぶ小坊主に向かって、指を1本立てた。
小坊主は悟った。
あくまで、禅の公案(思考問題)である。
修行僧は、この公案の意味を説明しないといけないらしい。

そりゃ、私やあなたがTestosteroneさんの真似をして、相談者に「なら筋トレだ」と言ったり、法然の真似をして「なら念仏だ」と言っても説得力はないし、相手を救えないだろう。
なぜなら、自分がやり込んでないからだ。
同様に、倶胝の小坊主も、自分が1本指の禅を使い込んでいないのに、真似をしてはいけない。
倶胝すら、臨終の時、「天竜先生に教わった1本指の禅を、一生で使い切れなかった」と言ったのだ。

あなたも、「なら○○だ」と言えるものを持たないといけないが、それには10年かかる。
10年、毎日欠かさずやれば、言う資格もあるかもしれない。
だが、私は、10年以上、「腕振り運動」「少食」「VBA」をやっているが、「なら腕振り運動だ」とはなかなか言えない。
ところが、まだ10日もやってないのに、「四股だ」とは言えるのである。
無論、腕振り運動も、少食も、VBAも良いが、四股はもっと良かった。
他のことを、しかも、複数やってたから分かることもあるという例である。
ただし、関英男さんのように「なら腕振り運動だ」と言う人や、水野南北のように「少食が一番じゃ」と言う人もいて良いのである。
しかし、佐川幸義系の四股は本当に良い。
脚をやや横方向に適度に上げ、ゆっくり降ろし、腰を落とす・・・これだけで、相撲の四股とはやや違う。
いわゆる、軽い「なんちゃって四股」であるが、1回1回、丁寧にやらないといけないと思う。
「ダイエットしたい?ならSKS(佐川幸義系Kay式四股)だ」
「あの子を射止めたい?ならSKSだ」
「金が欲しい?ならSKSだ」
である。









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偉人には何かを時間をかけて行う習慣がある

大数学者だった岡潔(1901-1978)は、ある時期から、毎朝1時間ほどだったと思うが、念仏を唱えていたらしい。
これは、浄土系仏教の僧、山崎弁栄に心酔したからであるようだ。
また、武道家としても名高い数学者の木村達雄さんは、大東流合気柔術の師である佐川幸義に倣い、毎日千回の四股を踏んでいるという。

新渡戸稲造は、毎日、何かをしないといけないと思い、それならと、毎朝の水ごりを始め、いかなることがあろうとも継続し、風邪で高熱を発しながら決行した時は、医者に怒られたらしい。
「眠れる預言者」と言われる超能力者エドガー・ケイシーは、9歳の時から、生涯に渡り、毎日必ず、聖書を読んだという。

これらの修行自体に、仮に、本当は何の効果もないとしても、1つ良いところがある。
それは、何事であれ、真面目にやっている時は、余計なことを考えなくてすむことだ。
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』というアニメを見ていたら、ある時、主人公の14歳の少年ベル・クラネルが、酒場の女店員シル・フローヴァに、いきなり大量の皿洗いを頼まれ、素直なベルは嫌々でもやり始めるが、悩みを抱えていた彼は、皿洗いをやっている間、余計なことを考えなくてすむことに気付く。
天才発明家で、能力開発のエキスパートであった中山正和さんも、頭の無駄使いが頭を悪くすることを指摘し、頭の無駄使いとは、クヨクヨしたり、愚痴を言うことだと本に書かれていたと思う。
それなら、どんな悩みの相談に対しても、「なら筋トレだ」でも「なら念仏だ」でも良い訳である。
私は、家で時間があったら四股(相撲のものとは違う軽いもの)を踏むようになったが、1日300回は踏むようになったと思う。
早く500回くらいしにし、8月、9月の、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」の頃には千回に達したいものである。









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真剣に願えばやっぱり叶う

松下幸之助さんの「ダム経営」というのは良く知られていると思う。
これは、社内留保を持つこと・・・らしいのだが、早い話が、現金の蓄えを持てということだ。
そして、中島孝志さんの本で読んだが、どうすれば蓄えを持てるかというと、松下幸之助さんは「蓄えが欲しいと願うこと」だと言い、大抵の人は笑ったが、若き日の稲盛和夫さんだけは笑わなかったという。
私が、松下さんの本意とは違う解釈をしている可能性もあるが、「欲しいと願うこと」は、何とも奥深い教えと思う。

親が豊かなニートが一生働かないのは、働きたいと願わないからだろう。
「いや、願っているよ」と言っても、真剣に願っていないのだ。
「彼女が欲しいと真剣に願っているが彼女が出来ない」というのも、彼女が欲しいのではなく、愛玩動物か人生を彩る花が欲しいと思っているだけだからだろう。
ニサルガダッタ・マハラジのような無欲な聖者ですら、「願いが叶わないのは熱意が足りないからだ」と言うが、本気で真剣でなければ熱意は出てこない。
本当の熱意かどうかは、長期間継続するかどうかで判別出来るだろう。

敬愛するドワンゴ創業者の川上量生さんが、ドワンゴの代表取締役会長を退任し、さらに、取締役も退任したのは、彼の持っている願いがドワンゴに相応しくなくなったのだろうと私は思う。
昔、川上さんは、ひきこもろりを雇いたくてドワンゴを作ったと言っていたような気がするが、ドワンゴも普通の大卒ばかり採用するようになり、ひきこもりに居場所を与えたくてニコニコ動画を作ったと言っていた(ような気がする)が、ニコニコ動画も普通の動画投稿サイトになってしまったように思う。
N高等学校も、ひきこもりを救済する高校という面が強かったのが、これは、最初から、それだけという訳にはいかなかったと思う。しかし、そんな面がどれだけ残るかが問題であると思う。けれども、やはり、ただの未来型高校になっていくのだろうなあとも思う。
まあ、特に京大というのではなく、大学の工学部を卒業出来る点でいえば、川上さんは、それほどのひきこもりではないのかもしれない。工学部は実験が多く、ひきこもりでは務まらないと思う。
吉本隆明さんも、自分はひきこもり気質と言ってたが、東京工業大学を卒業しているから、やっぱり、少し人間関係が苦手というだけだったのかもしれない。ただまあ、吉本さんは、「昔は、ひきこもりの人間でも、ひきこもらせてくれなかった。殴ってでも連れ出された」と言っているが、その通りかもしれず、鍛えられたのかもしれない。
いずれにしろ、「ひきこもりの星」川上量生さんが通用しなくなってしまったことは、ひきこもりにとって悲しいことである。
人気脳科学者の中野信子さんは、『努力不要論』で、「ひきこもりは日本の資産」と、日本のひきこもりのユニークさ優秀さを称賛していたような気がするが、ひきこもりだろうが社交的だろうが、願うことのない者が資産になることはなく、負債である。
金持ち父さんは、「ポケットに金を押し込んでくるのが資産、金を奪い取るのが負債」と非常に分かり易いことを言い、家や車は資産ではなく負債と断言したが、税収をもたらすのが日本の資産で、税金を使わせるのが日本の負債である。なら、ひきこもりは、どんだけ面白かろうが資産じゃなく負債である。
だが、ひきこもりも真剣な願いを持てば、そうじゃなくなる。
川上量生さんも、もう一度、ひきこもりの役に立ちたいと真剣に願えば、あれだけ優秀な人なので復活するだろうが、あんだけお金があったら、もうそうは思わないかもしれない。

真剣な願いを持つには生命力が必要だ。
そこで是非、佐川幸義系Kay式四股(SKS)を毎日がんがん踏んでいただきたいと思う。









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Excelレガシー問題について

Excelレガシー問題について少し書いておく。
Excelレガシー問題とは、会社や学校等の中で、そこの職員によりExcelマクロ(VBAプログラム)で作られた業務プログラムが管理されていない状態になり、どのプログラムが正規のものか分からなくなったり、不具合があるプログラムがあっても、作った人が既に退職や移動をしていて、それの修正が出来ない、あるいは、作った人ですら、どう作ったのか覚えておらず、手をつけられないといったプログラムがあふれてしまっているというものだ。
それを持って、Excelが悪いとか、Excelマクロが悪いという話にすり替わってしまっていることがよくある。
しかし、本当は、それは、未熟な能力でExcelマクロを作った者の問題なのである。
著名なAI研究者で、Google開発本部長のピーター・ノーヴィグが、20年ほど前になると思うが、「プログラミングの独習には10年かかる」という文書をブログで公開したことがある。
つまり、ちゃんとしたプログラミングをするには、優秀な人でも10年かかるのであり、まして、平凡な人間が、少しの期間勉強して作ったプログラムが問題を起こさない方が不思議なほどである。
巷には『7日で学ぶJava』だとか『1日で覚えるPerl』などといった、おかしな本が多く、プログラミングとは安易なものだと誤解されていることが少なくないと思う。
しかし、私も、本当にちゃんとしたプログラミングをするのは、やはり10年くらいを必要としたし、それは誰でも同じと思う。
だから、必要に迫られて、十分な能力ではないが、実務で使うプログラムを作る場合には、問題が起こる可能性があるということを認識し、謙虚になり、慎重に行わないといけないのに、それを怠れば、Excelレガシーのような問題は当然起こる。
これも誤解が多いのかもしれないが、VBAが特に簡単だということは全くなく、ほとんどのプログラミング言語の習得難度に大差はない。

ところが、ExcelやExcelマクロはもう古いので、それに変わる当社の新しい製品を使いましょうという広告メールが毎日のように来る。
そんなメールを送る時点で、その製品は駄目と決まったようなものだ。
いくつかを実際に使ったが、Excelよりずっと高価(月額費用を取るものも多い)だが、少しも良くはなかった。
本当に良いなら、今の時代、自然に情報拡散するのではないだろうか?
特にIT業界では、不自然で過剰な宣伝を行うものに良いものはないというのは常識的なようにも思える。
そして、どんなツールやプログラミング言語も、それが広く普及し、長く使われているなら、部分的な欠点はあるとしても、どれも素晴らしいのである。
まして、長い間、多くのユーザーに使われながら進歩し続けたExcelに優るツールは、滅多にないと思われるのである。









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