ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

20年後の世界

20年前の人に、今の時代をどう説明すれば良いだろう。
インターネットの発達と、スマートフォン、そして、TwitterやFacebookといったソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が空気のように当たり前になること。
Googleの多数の超高度な無料サービス、Amazonの流通市場制覇。

ところが、こんな話を「今」してやらないといけない人達が沢山いて、それは50代以上の地位の高い人達に多いだろう。
彼らは、いまだ20年前の世界に住んでいるし、50年前から全く進歩していない人達もかなりいる。

しかし、私はむしろ、20年後の話がしたい。
20年なんて、あっという間だ。
50年前の人の多くが、科学文明の発達は、人々を無気力にすると考えていた。
確かに、科学文明に支配される人はそうだが、科学文明を手なずけ支配する人は活気に溢れている。
昨年2017年の、「マジカルミライ2017」の楽曲コンテストで優勝し、「マジカルミライ2017」で初音ミクさんが歌ったkeiseiさんの『Singularity(シンギュラリティ) 』のようにだ。

20年後は、AIを備えた、リアル、および、バーチャルなロボットがどこにでもいるようになる。
ただし、存在を主張しない慎ましいロボットが多いだろう。
孤立する人はほとんどいないが、誰でも、ある程度孤立している。
「ヱヴァンゲリオン」で言う、ATフィールドという心の壁はなくなっている。人類が補完されてしまったのかというと、そうではない。
かといって、さつきがてんこもりさんによる初音ミクさんの歌『ネクストネスト』(「マジカルミライ2014」のテーマ曲)のように「剥き出しの僕を 見つけてほしく無いから」という不安もない。
人類は、他者との精神的な距離感を、うまく計れるようになるのだ。
これはどういうことかというと、「他人は自分とは違うが、似たところが多い」と、ちゃんと理解するということだ。
20年後にも、1970年代以前の世界に住み続ける人もいるだろうが、そんな人はそんな人で、案外に幸せだし、時代遅れ呼ばわりされることもない。
そんな「古い人達」にだって、新しい時代は分かっているのだし、多くの部分は古い時代に住んでいても、少しは新しい世界にも住んでいる。

そうそう。
20年後には、今の「教師」という職業はない。
ただ、優れたメンター(指導者、助言者)が、子供達の相手になるが、メンターは教師ではなく、教えるのは子供だけではなくて、どんな年代の人達も導くことが出来る。
教師の役割を果たすのは、リアル、あるいは、バーチャルなロボット・・・いや、ロボットという言い方はしなくなっていて、何か素敵な呼び名がついていることだろう。
とりあえずロボットというが、それは、ある意味、人間の数千万倍の能力を持つが、とても謙虚に人間に仕えている。
今の人は、ロボットが間違いを犯すことを恐れているが、未来のロボットは、自分が間違いを犯すことを恐れているのだ。

未来にだって問題はあるし、争いはあるし、辛いこと、苦しいことは沢山ある。
だが、人々は主体性があるので、打ち負かされない。
そして、20年後は「今」である。
心を鍛え、穢れない魂で、自分の意志で生きることだ。
どんな時代だって、大切なのは魂である。









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魂に感応する人間力

笹沢左保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』で、ヒーローの紋次郎は、じっとしていても隠しようのない貫禄があって、力のある人間ほど、それをはっきり感じることが出来るのだと思う。
また、つまらない人間であっても、魂では、紋次郎の常人とは違う何かを感じるのだろう。
そんな人間は現実にもいるのだろうなあと思う。
そして、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』ではないが、「ソウイウモノニ、ワタシハナリタイ」と思う。
では、どうすればそうなれるかというと、やはり日々の修行だろう。
決して弛まず、自己を厳しく律することを長年続けることで、そうなれるのだと思う。
紋次郎は、別に目的がある旅ではないが、毎朝、おそらくは午前4時には起き、支度を整えると、すぐに旅に出発し、1日中、風のように速く、そして、黙々と歩く。
宿に泊まることはなく、農家の物置を借りたり、山寺に宿泊し、野宿をすることも多い。
そんな厳しい生活を送りながら、愚痴の1つも言わず、ため息など決してつかず、引き締まった顔で淡々と過ごす。

まあ、なかなかそんなことは出来ないが、新渡戸稲造が、こんな話をしている(『武士道』に載っているのかもしれないが、読んだことがないので知らない)。
江戸時代、ある立派な武士が、街中で1人の町人に目を留める。
一見、普通の町人であるが、その目付き、立ち居振る舞いから、彼は只者ではないと感じ、武士は近寄って、「お前は何者?」と尋ねるが、町人は、「ただの町人でございます」と言う。
「そんなことはあるまい。わしはこれでも、人を見る目はある」と武士が詰め寄ると、町人は、「もし、他の者と違うところがあるとしたら・・・」と、こんな話をする。
自分は子供の時からひどく臆病で、それを治したいと思って、毎日、夕刻になると墓場に行くことにしているが、それを毎日欠かさず続けていると。
武士も、それで納得したのではないかと思う。
自分に課した修行を、毎日、必ずやるということを長年続ければ、魂に感応する不思議な雰囲気を持ち、それは、実際の力を示している。

その修行は、怠惰な甘い自分に打ち勝つようなものであれば良い。
新渡戸稲造は、毎朝、必ず水ごりをすると決めたそうで、風邪で高熱がある日も決して止めず、医者に怒られたというが、それは確かにやり過ぎとしても、そのくらいの気概があれば良い。
私は、朝晩のトレーニングを5年、夜だけなら7年は、毎日欠かさず続けているが、少しは貫禄や雰囲気が出てきただろうか・・・などとつまらぬことを考えている。
トレーニングに関しては、「プリズナートレーニング」の思想に大いに共感しているが、私は、あのような筋力至上主義者ではない。
蹲踞で足の親指を鍛え、腕振り運動で仙骨の調整をしつつ、ヒンズースクワットやプッシュアップ(腕立て伏せ)を愛好し、武術の鍛錬を熱心にやっている。
また、「プリズナートレーニング」では全く触れていない、鼻で静かに呼吸することを全面的に取り入れている。
最近、トレーニングが楽しみでならなくなったのは、トレーニング法や武術が完成に近付き、実際に強くなっているからだろう。
気のせいかもしれないが、最近、可愛い少女と不意に目が合っても、悪い反応を見た覚えが全くなく、むしろ、好ましい様子さえ感じるようになった。
まあ、気のせいか・・・
ただ、精神的には、大きく欠けるところがあることは明白だ。
これは、社会的修行がまだ足りないということか。
Mitchie Mさんの手による、初音ミクさんの隠れた名曲『Believe』を聴いて、もっと頑張ろう。
私はやる気が出るのである。この曲で。








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飛雄馬の左腕

『巨人の星』というと、一見、SFのようだが、これは日本の歴史的な野球漫画・アニメ作品のタイトルだ。
いわゆる「スポ根」もののはしり(先がけ)と言える。
優れたサードだったが、第二次世界大戦での戦闘で肩を負傷し、野球が出来なくなった星一徹が、息子の飛雄馬(ひゅうま)に夢を託し、幼い頃からピッチャーの英才教育・・・というか、しごきで鍛え、野球ボール以外、一切の遊び道具を与えず、野球のピッチャーになるためだけに生きるようにするという、今の時代なら児童虐待であるが、当時は、その点で批判されることは、ほとんど全くなかった。
アニメの方だけ(原作漫画にはない)かもしれないが、飛雄馬が中学生の時の、こんなエピソードがある。
クラスで、1人の腕力自慢の男子生徒が幅を利かせていた。
その男子生徒は、負けると、手の甲が当る位置に、生け花の剣山を置いて腕相撲をすることを、他の男子達に強要して、自分と腕相撲をさせ、恐怖を与えていた。
皆が彼を恐れる中、平気なばかりか、彼を小馬鹿にした態度の飛雄馬に業を煮やし、その腕力自慢男子は、飛雄馬に自分と、この恐怖の「剣山腕相撲」をするよう強制する。
その腕力自慢も、飛雄馬同様左利きだった。
自信満々で左手を握り合った腕力自慢の男子は、しかし、腕相撲開始直後、泡を食う。
飛雄馬の、幼い頃からの左腕の鍛えっぷりは半端でない。
少々の腕力自慢などでは全く話にならない強さだ。

正直、私は、『巨人の星』は馬鹿にしていた。
原作者の梶原一騎氏は実は野球が好きではなく、漫画を描いた川崎のぼる氏は子供の時から野球遊びをしたことすらないという、とんでもない組み合わせで作られた作品で、梶原一騎氏特有の奇想天外な馬鹿話も多い(というか大半だ)が、なぜかあまり問題にされず、絶賛する親や教育者もいたように思う。
だが、上記のお話は実に感慨深い。
人間の能力は、かけた時間で決まるという単純な真理を見事に表している。
人気者のチームラボの猪子寿之社長も、夏野剛氏との対談で、「人間の能力に差はない。大切なことは長時間やること」と述べていたし、音楽家の坂本龍一氏と作家の村上龍氏との来談でも、そんな話があった。
私が小学4年生の時、音楽の時間に、クラスの1人の女子生徒がピアノ演奏を披露したが、あまりの上手さに、私は絶句した(他の子達の反応は覚えていない)。
彼女も、幼い時からピアノを、かなりハードにレッスンしていたのだろう。
「これが長い鍛錬の成果か」と私は感動したものである。

何か1つ、長く続けることだ。
私を食べさせてくれているプログラミングの腕前も、所詮、時間をかけて訓練したものだ。
もし、倍の時間をかけていたら、一流プログラマーにだってなれたことだろう。
今、何か徹底的に時間をかけてやっていることがなければ、一刻も早く始めることだ。10年で成果は現れると思う。
念仏や呪文だって、10年もやれば人間を超えるが、まずは、世間で戦い勝って、お金になる何かを続ければ良い。3年もやれば、そこそこ金になると思う。
実力は、どれだけ時間をかけたかで決まる。
このことを忘れないことだ。









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精神のチューニング

ごく世間的な話で、本音を言えば、最も立派に見え、羨ましく感じる人というのは、やはり医者である。
その次は弁護士だ。
もちろん、医者も弁護士も、皆が皆立派な訳ではないが、その資格は大きなステイタスで、やはり高収入な者が多い。
これらの職業に就くには勉強が出来ないといけないから、子供の時から、しっかり勉強しなければならない。
勉強が出来るというのは、やはり、家庭環境や、上手な導きといったものが必要で、親がそれなりに賢く、そして、経済的にも、ある程度豊かでないといけないだろう。

子供の時の家庭環境や親を、地位や収入の低さの言い訳にするのはみっともないことであるが、実際は、かなりの影響があるのは間違いない。
勉強がさっぱり出来なかった私が、医者や弁護士といったエリート達に対抗しようとがんばったこともあるが、やはり、どこか間抜けなんである。
それは、純粋に頭が悪いというよりは、自信とか、バランスの取れた人間性といったものに著しく欠けることが原因であるような気がする。
まあ、生まれつきの頭も、医者や弁護士や、あるいは、会計士なんてのは、ちょっと違うのかもしれないけどね。

昔、長嶋一茂さんが巨人軍の選手時代、テレビで、「パワーでは清原君や松井君に負けているとは思わないけど、なぜか試合で、球が前に飛ばないんですね」と言って、爆笑を誘っていたが、本人はいたって真面目に悩んでいたのだろう。
彼は、才能や豊かさは持って生まれたが、球を前に飛ばすための、精神的な何かに欠けていたのだと思う。

それで思い至ったのだ。
人間は、精神的な土台をうまく構築しないと、出来損ないの車で走ったり、欠陥のある飛行機で飛ぶようなもので、ロクなことにならないと。
表面的な欠点は仕方がないし、どんな立派な人にでもある。
しかし、自我の土台はしっかり組み立てていないと、その上に何を建てても駄目なのだ。
そんなことを薄々感じていた私は、大人になってから、数学や物理学の勉強をしたり、優れた思想を独学したが、結局、歪(いびつ)な自我しか構築出来なかった。自分の教育者として下手だったのだ。
特に、世間の啓蒙家・・・つまり、自己啓発本を沢山書いたり、自己啓発セミナーを行うような者達は、超デタラメを教えてくれるし、少々高名な思想家なども、偏りが大きいものだ。

だが、子供の時から、狂信的な雰囲気がない環境で聖書を真面目に読んだり、昔話をよく聞いた人というのは、とても自我が安定している。
大人になってからでも、古くから伝わる物語で精神をチューニング出来るかもしれない。
そして、一頃までは精神のバランスが取れていたのに、世間の悪や自己の欲望で、すっかり土台が狂ってしまった人も、やはりチューニングが必要である。









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行動を表すつぶやきの威力

人間が、頭の中で、常に「おしゃべり」をしているらしいことは、昔から様々な分野の研究者達が指摘していた。
その「おしゃべり」は、予想よりずっと多く、自分では分からなくても、本当に間断なく続いているもののようだ。
そして、その「頭の中のおしゃべり」の内容で、その人の能力や運命も決まってしまうのだと思われるのである。
ところが、ほとんどの人の「頭の中のおしゃべり」は、マイナス傾向が強く、優れた人ですら、かなり否定的な内容があり、人間が本来持っている超人的な力の発揮を押さえ込んでいる。
これを解決する方法は2つで、1つは、「頭の中のおしゃべり」を消すこと、もう1つは、肯定的な内容の「頭の中のおしゃべり」を意識的にすることだ。

「頭の中のおしゃべり」を消すには、何かに熱中したり、想念を起こさせない呪文を唱え続けたり、精神統一をしたりするのだが、それは一時的なもので、結局は、「頭の中のおしゃべり」に支配されてしまう。
もう1つの解決法である「意識的に肯定的な頭の中のおしゃべりをする」方法は、「大丈夫」「ありがたい」「ツイてる」「やるぞ」といった言葉を常に頭の中でつぶやくのだが、油断すると、すぐに、頭は、これまで通りの「おしゃべり」を始め、なかなかうまくいかない。

大切なことは、頭の中で意識的に肯定的な言葉をつぶやきながら、行動することだ。
でないと、頭の中から出てくるマイナスの言葉に負けてしまう。
もちろん、1日中動き回るわけにはいかないので、行動する気なっていれば良いのだが、あくまで、実際にやるつもりでなければならない。
だから、「やれるし、やる」といった、行動を表すつぶやきが良い。
実際に行動していて苦しい時であれば、「大丈夫だ」が良い。
何もしていないのに、「大丈夫」「良くなる」とつぶやき続けたって駄目で、それは妄想だ。
病気で動けない時は、「大丈夫だ」でも良いのだが、やはり、やりたいことを思い浮かべ「やるぞ」と思った方が良いのである。
「大丈夫、出来る」というふうに、自分を励ましつつ、行動をうながす言葉をつぶやいても良く、特に、不安が強い時には、このようにすると良い。

「やるかやらないか、違いはそれだけ」
「経験だけがモノを言う」
「口先男が一番みっともない」
「能書きタラタラの駄目男」
などの言葉が、いちいち納得出来るように、人間は行動が大切である。
そして、頭の中の無意識のつぶやきとは、行動を止めるものばかりだ。
ならば、行動を表す言葉を沢山つぶやけば、運命は大きく好転するに違いない。









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