ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

冒険だなあ

新約聖書に書かれたイエスの有名な言葉、「山に動いて海に入るように命じ、その通りになると信じて疑わないなら、その通りになるであろう」をご存知の方は多いかもしれない。
イエスは、あくまで喩えとして大袈裟なことを言ったのかもしれないが、こんなことを信じることが出来るのは、かなりおかしな人だろう。

どこかの社長さんがテレビで、「切れると思えば切れる」と声を上げてから、名刺で割り箸を切った(折った)が、こんなの、そんなに大騒ぎしなくても、ちょっとしたコツを掴めば誰でもすぐ出来る。

私が小学生の時、たまたまテレビで、洋画のこんなシーンを見た。
幼児と言える年齢の男の子が、マンションの高い階から落ちた自分を天使が支え、自分がにこやかに地上に降り立つことを想像するというものだ。
新約聖書に、神の子が落ちたら、天使が支えてくれるようなことが書かれていることを、その男の子は知っていたのだろうと思う。
しかし、もちろん、現実にはそんなことにならず、例えばマンションの10階から落ちたら、その男の子でも誰でも即死する。
ただ、わが子がマンションの3階の窓から落下するのを見た母親が、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離選手を超える速さで落下位置に到達し、子供を救ったという話がある。しかし、それは、あくまで「火事場の馬鹿力」で、理性が吹っ飛ぶほどの緊急事態でのみ使える力だが、それでも、そんな力が発揮されることは極めて稀なのだ。

信じることが出来れば、強い力が発揮出来るのだろうが、限度もある。
それでも、かなりの力は発揮される。
しかし、催眠術がうまい人からの他者暗示であれば、効果は一時的な上、それは大抵、力を伸ばすのではなく、力を制限するように働くのだ。
妄想ではない、理性的な強い信念のみが力になるが、それを得るには、忍耐強い試行錯誤や、苦しい失敗を含む経験が必要だ。
だから、勇気のある賢い人は言うのだ。
「我を強くする試練に導け」
と。
結局、冒険だけが人を強くする。
しかし、冒険とは面白いものなのだ。
そして、冒険とは、「何が起こるか分からないから良い」と思うことなのだ。
だから、「なるようになるさ」と気楽に、なりゆきにまかせる者が一番強いのだ。

よって私は、「マジカルミライ2017」のプレミアムチケットは当らなかったが、「なるようになる」と気楽なので、それを埋め合わせる良いことがあるだろう。
気楽になるためには、心の澱みを取り除き、心が自由に流れるようにしなくてはならない。
そのためには、念仏を称えるのが良いが、念仏に抵抗があれば、「私の世界では、私だけが考えている」ことをいつも忘れないことだ。
「私の世界では、私が唯一の考える主体である」
この言葉を覚えておけば、英雄のような信念を持つに至るだろう。









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引きこもりたくも死にたくもない

昨日と今日で、『美少女戦士セーラームーンCrystal』第3期(2016年の作品)、全9話をブルーレイで見終わった。
涙がボロボロ流れると共に、「気持ち悪さ」も存分に味わった。

その「気持ち悪さ」は、20年前のセーラームーンでも感じたのだが、私は、無理にそれを無視していたのだろう。
何が気持ち悪いかというと、ヒロイン達が、「善しか持たない人間」だということだ。

一点の曇りもないというのは人間にとって恐怖なのよ。それこそ最悪の秘密にしか見えない。
~『オンディーヌ』(ジロドゥ著。光文社古典新訳文庫)より。王妃がオンディーヌに言った言葉~

一方、親鸞は、少なくとも自分の中には、善の欠片もないとした。
もしかしたら、親鸞は結構な善人に見えたかもしれないが、その数千倍の悪を抱えていたのだろう。
そして、特に親鸞が普通の人と比べて、善いとか悪いとかはない。
本質では、皆、それほど変わらない。
たとえ、マザー・テレサやガンジーであってもね。

プリキュアシリーズの第1作『2人はプリキュア』に、とても印象深い場面があった(私は、この第1作しか見ていないが)。
変身出来ないほのか(キュアホワイト)に、敵のピーサードが、その超常能力でブルドーザーみたいなものをほのかに投げつけ、ほのかに降伏を迫る。
だが、ほのかは屈せず、「力ずくで、人の大切なものを取り上げようとするあなた達は間違っている」と、毅然と言い放つ。
さすが正義のヒロインだが、私は気持ち悪かった。
ピーサードも、そんな凄い力を使わずとも、ほのかをひっ捕まえて、腹にパンチの一発でも叩き込めば、ほのかだって、ヘラヘラとピーサードに媚びへつらうに決まっているのである。
しかし、もし、そうなっても、誰も彼女を笑ったり、なじったり出来ないはずだ。
だが、ほのかは激しい自己嫌悪に陥るだろう。
そして、もし、ほのかは完全な善だという幻想が支配する世界なら、ほのかは、もう生きて行けない。死ななくても、引きこもってしまうだろう。
私は、たとえそうなっても、ほのかには生きてて欲しいと思う。
だって、美少女は世の宝だからね。まあ、それだけの理由で、ほのかに生きてて欲しいし、引きこもらないで欲しいのだがね。
だけど、本当に、自己嫌悪のために、死んだり、引きこもったりする人は多いのだ。
私は、そんなつまらないことで死にたくはない。
私は、やっと、セーラームーンから解放されたような気がする。

あまり教えたくはないが、馬鹿でも称えれば運が良くなる言葉がある。
それは、「私の世界では、私が唯一の考える主体だ」である。
これを忘れなければ、人生、なかなか楽しくなるだろう。
なぜなら、称えれば心の傷が消え、心が流れるようになるからだ。









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規制でものごとが解決したりなどしない

昨日、アニメ『美少女戦士セーラームーンCrystal』第3期のブルーレイが届いた。
2016年4月から、2016年6月に渡って放送されたもので、旧作アニメでは、『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』にあたる。
『美少女戦士セーラームーンS』は1994年から1995年の放送なので、(Crystal第3期は)それから20年以上経っているのである。
私は、旧S編の、原作漫画(デス・バスターズ編)とアニメの熱烈なファンだったので、感慨が大きいし、また、いろんな意味で時代の流れを感じる。
旧作でセーラームーンこと月野うさぎを演じた三石琴乃さんが、新作でも、完全にうさぎの声を出していた。
『美少女戦士セーラームーンCrystal』は、あくまで現代のお話として描かれ、当然みんなスマートフォンを持っているし、旧作のセーラーマーキュリーのモバイルPCはタブレットPCになっている。

旧作アニメでは、S編に関しても、原作とはかなり異なる設定があったが、Crystal第3期は原作に近付けているようだ。
天王はるかと海王みちるの、美しい百合(同性愛)振りは、旧作以上に堂々と描かれ、ファンを狂喜させているかもしれない。

ところで、昔の話だし、本当かどうか自分で確かめた訳ではないが、アメリカでは、アニメで同性愛を描くなど、とんでもないことのようで、旧作S編では、天王はるかが男子の姿をしていることには、無理矢理、合理的説明が加えられていたらしい。
また、私はCrystalでは見ていないが、旧作では『美少女戦士セーラームーン』(第1期。ダーク・キングダム編)では、敵の男性戦士に同性愛者がいたのを、アメリカでは、片方は女性ということにして、同性愛でないことにしているらしい。
さらに、アメリカでは、入浴シーンや、パンティーショット(いわゆる「パンチラ」)も「猥褻」としてカットされたらしい。
他にも、アメリカでは、アニメの暴力シーンに過敏であることは、昔、テレビのドキュメント番組で見た覚えがあり、そんなものが子供達の目に触れないよう、万全の体制が取られているようだ。

こういった規制は、しばしば逆効果になるが、そんなことに考えが及ばないほど、少なくとも以前のアメリカ社会が病んでいたのだろう。
だが、禁酒法が、闇バー、闇酒を爆発的に増やしたことは事実のようで、規制は強烈な反動を生むのが普通だ。
日本は、元々、性的に極めて自由奔放だったが、明治時代に厳しい規制を作ってから、社会の陰に風俗や売春が広まり、不幸な少女や女性が急速に増えた。
銃刀法の規制で凶悪犯罪が増え、淫行条例が援助交際を、やはり爆発的に増やした。
児童ポルノ規制も、ロクな影響を与えていないだろう。
1つ言えることは、「規制でものごとが解決したりなどしない」ということである。

『美少女戦士セーラームーンCrystal』第3期のオープニングで、土萠(ともえ)ほたると、ちびうさの美しい全裸の場面が描かれているが、ロリコンのファンを喜ばせようというのではなく(それも多少あるだろうが)、原作を読んでいる人は、それは「ありえないシーン」と気付き幻想的に感じるだろう。
このアニメでは、原作のように、ちびうさが、ほたるがいつも黒いタイツをはいていることに触れると、ほたるは「昔、事故に遭って、傷が沢山あるの」と述べる場面がある。
旧アニメS編では、セーラー戦士の正体が月野うさぎ達であることは、ずっとほたるには秘密だったが、Crystalでは、原作通り、ちびうさが、あっさりほたるにバラすことで、セーラームーンを慌てさせるが、それがとても良いと思う。美しいほたるに一目惚れのちびうさは、ほたるに秘密を持てないし、初めから、ほたるを完全に信用しているのである。

ところで、9月に幕張メッセで行われる、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」のプレミアムチケットの抽選発表が昨日あったが、私は残念ながら落選だった。
まあ、SS席1本狙いで、ダメモトのつもりで申し込んだのだった。
残念ではあるが、何か良いことがありそうな気もする。
次の抽選予約は、今月22日の12時からである。
皆さん、幕張メッセで会いましょう。









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後天的に天才になるには

偉大なことは、天才にしか出来ない。
しかし、「天才などいない」と断言したのがソクラテスだ。
偉大なことが達成されるのは、ただ神性が現れたのであり、人間の力ではない。

では、どんな人間に神性が現れるのか?
2つ考えられる。
1つは、簡単に言えば、脳の性能が高いこと。それはIQの高さとほぼ一致する。
もう1つは、自分を消せること、即ち、無我、没我、忘我になることだ。

脳の性能、つまり、IQは、ビタミンCの多量摂取でかなり改善されるが、生まれ持ったキャパシティにより限度がある。
自分を消す方に関しては、誰でも時々は経験する。
例えば、風邪をひいて熱が続き自分が消えると、恐ろしいまでに高度なことを考えるのだが、熱が醒めた時、つまり、自分が戻った時には、ほとんど忘れている。
深く眠っている時も自分は消えている。だから、眠りながら話す能力がある人は、天才にしか言えないことを言うが、無論、そんな人は滅多にいない。
一方、浅く眠っている時は、自分がかなり残っている。
酒を飲んでも、自分が残る人と消える人がある。
エドガー・アラン・ポーは「きれいに」消える人で、彼は飲めば天才になった。
だが、そんな人も、ほとんどいない。
もし、自分を消す方法を持てば、後天的に天才になれるかもしれない。

結局、自分を消せることも、生まれながらの才能かもしれない。
いや、自分を消せることが、生まれながらの才能である。
確かに、単純なことを淡々と繰り返せば、自分が消える。
あるいは、難しいことをずっと考え続けても、自分が消える。
だが、そんなことを出来る人はほとんどいないので、天才は少ないのだ。









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「一生中2病」の凡人はどうすれば良いか

才能がなければ成功出来ない。
スポーツ選手やミュージシャン、作家、画家等といったものは、才能がなければ、プロにすらなれない。
成功した経営者の中には、「私は凡人だ」なんて言う人がいるが、彼は、経営に関しては絶対に天才だ。
優秀な経営者の息子は(娘もだが)、多くの場合、経営の才能を多少なりとも親から譲り受けているので、会社をうまく引き継げる。しかし、息子に経営の才能がないと判断したら、会社を譲るのは諦めた方が良い。会社が駄目になるだけでなく、向かない社長になった息子も楽しくないし、その息子は人間的に駄目になったり、悪い方向に行ってしまうことになるだろう。

「才能がなければ駄目」と露骨に言うのは、世間ではタブーである。
それに触れてしまったから、陸上選手だった為末大さんは非難された。
あるアメリカの教育心理学者は、「黒人は遺伝的に白人よりIQが低い」ことを統計調査で確認したが、それを論文で書いてしまったから、非難どころか、生命の危機に晒されたらしい。
アメリカには、そんな過激な平等思想、反差別主義がある。
日本では、為末さんは、生命の危険にまでは遭わなかったと思う。
トランプ大統領の発言が差別的として、ハリウッドスターや大物歌手達が激しいバッシングをする様子は、日本人には異様に見えたと思う。
物凄いセレブ生活をし、訪問先のホテルの部屋の調度品からシーツ、カーテンに至るまで細かい要求を出すような大物スター達の方がよほど差別的と思うのだが。だって、彼らは自分を庶民よりはるかに高い位置に平然と置いているのだから。
だが、今はそれも非難されるようになり、最近は大物スター達も慎み深さをアピールするようになった。

しかし、有名な評論家の宇野常寛氏が対談書で、「(インターネットの発達により)個人での発信が平易になると、個人間の才能の開きが露骨に見えるようになった」と述べられていた通りである。
まあ、宇野氏は、才能がない者でも、作品を発表して楽しくやっている人達がいるといったことも言われていたと思うが、才能がない人の作品は、見てもらえるのは、ほとんど仲間内だけだろう。
最近は、動画配信が簡単になったせいと思うが、路上ライブをやる人が少なくなったが、路上ライブも、大半の才能がない人達のものは、言っては悪いが騒音でしかない。

ほとんどの人間には、大した才能はないのだ。
インターネットの発達は、それを冷酷に突きつけてくる。
だが、才能がないと幸福になれない訳ではない。
そりゃ、才能がなければ、金持ちや有名人にはなれないが、それは人生の満足に必ずしも関係しない。
とはいえ、天才でなければ、妄想でないヒーロー、ヒロインの気分には浸れないのだ。
そして、それがどうしても嫌だという人もいる。
生まれつきの才能には恵まれていないのに、凡人の群れに居るのは嫌だという困った人である。
いわゆる「一生中2病」というやつだ。
天才の「一生中2病」は素敵だが、凡人の「一生中2病」は滑稽で哀れである。

ラ・マルセイエーズを作ったのは、素人音楽家で、天才ではないと言われている。
しかし、そうではない。
この名曲を作った職業軍人は天才なのだが、普段は、その才能を発揮出来なかっただけである。

では、「一生中2病」の凡人はどうすれば良いか?
出来れば、中2病をやめることだ。実際は、それしか、まともな道はない。
それが駄目なら、いつも念仏を称えるか、聖書や仏典、あるいは、バガヴァッド・ギーターをいつも読むことだ(どれか1つで良い)。
それで自分が消えれば、望む形でないにしろ、不思議な才能が現れるかもしれない。









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