ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

永遠に新しくあるには

人間の値打ちと力を決めるのは、やはり信念かもしれない。

スターウォーズの一番最初の映画だったと思うが、オビ・ワンが、ルークの前で下っ端の兵士をフォースで簡単に操って、こう言ったと思う。
「信念のない者は簡単に操れる」
ところが、パラマハンサ・ヨガナンダの自伝『あるヨギの自叙伝』で、若かった時のヨガナンダの前で、師のスリ・ユクテスワが、やはり同じことをやり、同じことを教えたと思う。
信念のない者は弱く、他人の言いなりだ。

私は今、アニメ『キャシャーンSins』に夢中になっているが、今日「第11話 己の使命のもとに 」を観た。
なぜか、ロボット達のボディーがどんどん腐敗し、滅んでいく世界で、ジンという名の青年型ロボットが全く腐敗しない。
キャシャーンは特別で、腐敗どころか、常に新しくなるし、ロボット犬フレンダーもなぜか腐敗が始まらない。
ところが、キャシャーンが弱っているように見えた時、ジンの仲間達は、キャシャーンを殺すことで、永遠の命を手に入れようとジンに願う。ジンには、その力があると思えたからだ。
だが、ジンは「誰かを犠牲にして助かろうとは思わない」と、それを敢然と拒否した。
その時、1人のロボットが「なぜジンに滅びが始まらない(腐敗しない)のかが解った気がする」と言った。
そうだ、信念のある者に滅びは寄りつかないのだ。
そして、それはフレンダーも同じであると、そのロボットは言った。

信念とは、絶対的に正しいと自分が思う何かを持っていることだ。
確かに、この世に絶対的善などというものは存在しないかもしれない。
だが、善か悪かなど関係なく、絶対に正しいと思う何かは持てるのである。
例えば、「従業員とその家族の生活を保証するのが俺の役目」という絶対的信念を持っている社長が実際にいて、彼が社長を務めている会社は絶対に業績が上がるのである。
我々も、自らの正義を持ち、それを貫かねばならない。そうすれば、永遠に新しい。
もしかしたら、それは古い考えのように思われるかもしれないが、それは太古の昔から、そして、未来永劫変わらぬ生命の法則である。
ただ、その信念は、ゆるい目にした方が良い。
例えば、西洋の騎士であれば女性を敬うだろうが、制限なく敬うことは出来ない。
だから、ある程度ゆるい目に、「女性に対して、すべきこと、すべきでないこと」を決めているのである。
例えば、女性に対して失礼な言動はいけないが、イエス様には悪いが、表情に表れない範囲でエッチなことを考えるのは良いとか・・・(苦笑)。
食に関しても、あまりに厳しい少食粗食の掟はストレスになり、あまり良い結果を生まない。
ちなみに、私の食に関する今の掟は「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」だけであり、しかも、「ただし、親しい人との会食の際はこの限りにあらず」との例外つきだ。

自分が絶対に正しいと思うことを掟にすれば良い。
それを守る限り繁栄することは、釈迦も保証している。









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自分を太陽だと思った月

社会不適合者とは何かを細かく分析するとキリがないが、それはつまるところ、「他人とうまくやっていけない者」だ。
そして、なぜ他人とうまくやっていけないのかも分析し出すとキリがないが、これも、早い話が「中2病」、つまり、自分を特別な存在と思っていることだ。
いや、自分を特別な存在だと思うことは、差し支えないし、必要ですらある。
要は、自分がどう特別なのかの認識が大いにズレていることが問題なのだ。

この問題も、分析なんかしたら、ややこしくて仕方がない。
だが、こう言えば十分である。
中二病患者は、自分はイエス・キリストだと思っているのだ。
中二病患者が新約聖書の福音書のイエスの物語を読むと、「ああ、これが私だ」と思う。
それは正しい。
イエスは中二病患者だ。
だから、世間の人々はイエスを軽んじ、馬鹿にしたのだ。
いや、イエスを崇拝し、熱狂していた人々はいっぱいいたと言いたいかもしれないが、それはまさに熱狂した人達で、おかしな人達だった。
だが、イエスは死んで復活し、中二病を克服したのだ。
つまり、イエスという自我が滅んだ・・・自我はあるにはあるが、太陽であることをやめ、月になったのだ。

福音書は、中二病イエスの4通りの物語だ。
人間は皆、大なり小なり中二病で、自分を太陽だと勘違いしている月なのだ。
レイ・カーツワイルによれば、太陽光の0.03%で、地球の全エネルギー需要をまかなえるのだそうだが、月では、そのようなことは出来ない。
月には、現実的には、何の値打ちもない。
だが、人も動物も月が好きなのだ。
あれほど、太陽の光をパーフェクトに反射している存在はないのだからね。
地球から見た大きさも、驚くべきことに、太陽とぴったり同じなのだ。
自分が月であることが解れば、あらゆる問題は消えるだろう。

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観音経のご利益について

『法華経』の25章(法華経では「25品」という言い方をする)は人気のある『観音経』だ。
観音様こと、観世音菩薩の力が凄いことが滔々(とうとう)と語られる。
どんな災害に遭おうが、どんな怪物が襲ってこようが、処刑されかけようが、我々を救うことなど観音様にとってはいとも容易い。
また、いかなる幸運も与えてくれる。
そのために我々がすべきことは、ただ、観音様の名を呼ぶだけである(日本語の観音経では、「南無観世音菩薩」を唱えよと書かれている)。
あるいは、供養すれば良いと書かれていて、具体的にどう供養せよとは書かれていないが、例えば、観音像を拝んだり、それにお供えをするようなことと思うが、他にも、いろいろなやり方があると思う。
観音様を供養する功徳がいかに大きなものであるかも書かれている。

そういった観世音菩薩が与えてくれるとされるご利益について、それを「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」と称して、そのままの意味で受け取る者もいる。
一方、高名な漫画家で宗教家である桑田次郎氏(桑田二郎と改名したようだが、ほとんどの作品は桑田次郎のペンネームが表記されている)が、『マンガで解きあかす観音経』で、「いくらなんでも、それでは荒唐無稽」と言い、これは霊的なお話であるとして詳しく解説され、やや理屈っぽくて、読んでいて疲れるが、一応、納得出来る内容だったと思う。

念仏として代表的な「南無阿弥陀仏」は、死んでから極楽浄土に行くためのものであるが、親鸞は『現世利益和讃』(親鸞の和讃の中の一部)で、「南無阿弥陀仏」には現世利益の力も抜群であることを説く。しかし、これに関しても、宗教家には「即物的に考えてはならない。深い意味があるのじゃ」と言ったり、本に書く者もいるだろう。
法然の『選択本願念仏集』によれば、阿弥陀如来は、念仏を唱える者を手厚く保護するとあるので、結果、『現世利益和讃』の通りになるということと思う。

さて、では本当のところ、どうなのかというと、常識的には、文面通りに受け取る訳にはいかないだろう。
確かに、「やったー!南無漢音菩薩と唱えさえすれば何でも思い通りなんだ!万歳!!」というボケた馬鹿共が本当にうまくいくことは、まあないだろう。
一方、「宗教って馬鹿だな。そんなんでうまくいく訳ないじゃないですか」と言う者もまた、暗く沈んだ人生を送り勝ちだ。

敢えて断言すれば、真実は『観音経』に書かれている通りなのである。
確かに、「南無観世音菩薩!一千万円」と言って、一千万円がぱっと出てくる訳ではないだろうが、そうなる人もいる。
観音経に書かれているように、わざわざ高い山から落ちたり、海に飛び込む必要はないが、危機一髪の中、奇跡的に助かる人もいる。
どんな人かというと、『矢追純一は宇宙人だった!?』で描かれた、矢追純一さんがまさに、そのような人だ。まあ、矢追さんは「南無観世音菩薩」と唱えたりはしないだろうが、全く同じことなのだ。
簡単に言えば、大雑把に目標を定めたら、後は、宇宙というか、大きな力にまかせ切ってしまうのだ。
そうすれば、高校生が妹2人を養いながら深夜まで酒を飲んで遊んでいられるし、そんな感じで高校には全く通っていなくても、特に当時は難関だった、名門中央大学法学部に現役合格出来る。大きな力にまかせ切っているので、キャッシュフローなど一切気にせずに、本当に必要なら土地でも美術品でも買ってしまうが、それで困ったことは一度もないと言う。
コツは、矢追さんの本で確認していただければと思う。
ところで、Amazonの電子書籍へリンクするURLが得られない(Amazonサイトのスクリプトの異変)ので、紙の書籍へのリンクを貼っておくが、Kindke本もある。









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努力嫌いは帝王学を学ぶべき理由

努力が嫌いでも、望みを叶え、幸福な者がいる。
おそらく、根本的には、努力は不要なのだろう。
しかし一方、努力嫌いな者の中には、怠惰で傲慢で放埓(勝手気まま)で、ものを考えず、見ていて「胸糞が悪い」としか言いようのない者もいて、このような者達は、ごく一時期(概ねごく若い間だ)を除き、幸福であることはない。

幸福については、本当は努力好きな者についても考えねばならないが、とりあえず私が努力嫌いなので、そのような者(努力嫌いの者)について考える。
上に述べた通り、努力嫌いにも、良い努力嫌いと悪い努力嫌いがいる。
あえて言うが、それは、道徳的な良い悪いではなく、幸福かどうかである。
つまり、幸福な努力嫌いと、不幸な努力嫌いだ。
そして、その違いを単純に理解し、我々は幸福な努力嫌いであれば良いのである。
話は簡単だ。

努力嫌いな者が幸福であるためには、何らかの上からの力が必要である。
王子様王女様であれば、王国の権力や王の権威である。
我々は、潜在意識の無限の力が与えられているので、ある意味、王子様王女様である。
だから、良い王子様王女様と、悪い王子様王女様について考えれば分かり易いのである。
お世辞でなく、「さすが王子様」「さすが王女様」と言える王子様王女様もいれば、口には出せなくても「こりゃ駄目だ」としか言いようのない王子様王女様もいる。
その違いはただ1つ、「帝王学」を学んでるかどうかだ。
よって、我々も、自分の宇宙に相応しい帝王学を学べば良いのである。

『バガヴァッド・ギーター』は、神クリシュナが王子アルジュナに説いているように、世俗の帝王学を超えた帝王学なのである。
また、『老子』は、君子のための教えであり、やはり帝王学なのであり、これも、高次元の帝王学である。
そして、マキアヴェリ(マキャヴェッリ)の『君主論』は、上2つにはかなり劣るが、それだけに、我々には現実的な教えである。

ところで、『法華経』は高度な帝王学なのである。
これを、宗教や道徳と捉えると、おかしなことになる・・・というか、そう捉えているので、おかしくなっているのである。
そもそも、これは、無限の資産を持つブッダが、その後継者であるあなたに向けての教えであるのだから、どう考えても帝王学なのである。
そのように思って、4つのうちのいずれかを学ぶと、やはり、あなたはこの世という王国の、努力無用の後継者である。









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「平成」は「平和に成る」か「平和を成す」か

平成の元号はやがて終わるが、人々に、平成という元号の意味を聞いたら、多くが「平和に成る」と答えたのだと思う。
誰かが、『「平和に成る」ではなく、「平和を成す」でなければならない』と言っていたが、さあ、どうだろう?
「誰かが平和にしてくれるという、受け身、人任せでは駄目だ」と言いたいのだろうが、平和を成そうとすると争乱を起こすのが人間である。
昔から、丸くしようとすればするほど丸から離れると言われる様なものである。
ケネディーが大統領就任演説で言った「アメリカが諸君のために何をするかではなく、諸君がアメリカのために何が出来るかを考えよ」と言ったのは、それとは全く違う。
「まず与えよ、そうすれば与えられる」というキリスト教精神なのである。
ただし、アメリカを愛していることが前提だがね。

「成」は、自動詞で「なる」、他動詞で「なす」という意味であるが、「成功」と言った場合、「功をなす」ということになるような気もするが「功がなる」とも取れる。
そして、「功がなる」の方が、「功をなす」より功のスケールが大きいのである。
なぜなら、「功がなる」は、「自然になる」「なるべくしてなる」、あるいは、「神がなす」であり、人間が無理矢理にやったのではないからである。

イエスは奇跡を起こす時、「成れ」と言ったのであり、「私が成す」とは言わなかった。
「成す」のは神である。
イエスが「成れ」と言ったのは、自分が神の権威を持つことを示すためだった。
彼の心には「成った」というイメージしかないのであり、「成った」と思うから成るのである。
だが、イエスは自分が特別だとも言わなかった。
だからイエスは「願いは叶ったと思えば叶う」と言ったのである。
暗示療法で有名なフランスのエミール・クーエは、身体の不調を治したい時には、
「治る、治る、治る、・・・・、治った」
と唱えるよう教えている。
これは、万能呪文である。
成るというのも万能語である。
よって、
「成る、成る、成る、・・・・、成った」
で全て叶う。
身体の痛みや不快感、あるいは、日常のトラブルを、この呪文、あるいは、暗示語で解決する練習をすれば、これで大きなことも出来るようになる。
心が硬い人は、最初は、痛みや痒みを、これでうまく除くことが出来ないかもしれない。
しかし、練習次第でうまくいく。
そうすれば、後は、成功する一方なのである。









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