ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

超人になるアファーメーション

ぼーっとしている時でも、脳は大量のエネルギーを消費して活動していることは、脳の研究で分かっているらしい。
そして、その働きの1つとして、1分に300もの言葉をつぶやいているが、ほとんどの人の場合、そのほぼ全ては、否定的なつぶやきだ。
つまり、「駄目だ」「うまくいかない」「失敗する」といったものだ。
そして、優れた力を発揮する人というのは、意識と無意識の中間くらいで、頭の中で肯定的なつぶやきをしていることも分かっている。
天国と地獄を決めるのは、この、肯定的つぶやきをするかどうかだ。
だから、人間は、アファーメーション(心を鼓舞する言葉)や、肯定的呪文のようなものを持たなくてはならない。
ただ、それに気付いている人も少なくはなく、それを教える人も沢山いるのだが、間違った教え方をするので、誰も効果を発揮しない。
正しいアファーメーションとは、「たった1つ」であることと「多少、控え目な言葉」であることだ。
まさしく、ほとんど全ての指導者が、この真逆、即ち、「あの言葉も、この言葉も」「勇壮、壮大な言葉」を薦めている。
アファーメーションは1つでなければ続かない。
続ければ続けるほど威力は高まっていくのに、沢山の言葉を使うので、熱意のある僅かな期間しか続かない人が圧倒的だ。
「私はいくつものアファーメーションをちゃんと使っている」と言う人は、やっぱり不安定で、それほど長くは続かないものだ。
そして、アファーメーションは「大丈夫」「絶好調」みたいに、シンプルで、親しみ易いものが良い。
何をアファーメーションにすれば良いか分からなければ、とりあえず「大丈夫」か「絶好調」にしておけば間違いない。
しかし、「では」と言って、この2つを両方使うと、威力は1/100になってしまう。
長嶋茂雄さんの「メークドラマ」は、1回だけ、たまたまうまくいったので有名になったが、実は、その後はさっぱりなのだ。
こんなマスコミ向きの派手な言葉は、そんなものだ。
「メークドラマ」はその後、「メークミラクル」に変わり・・・ますます駄目になったのだ。

なぜ、派手な言葉が駄目かと言うと、アファーメーションに熱情は不要だからだ。
丁寧に、淡々と唱えればよく、感情を込めると、やはり続かない。
そもそも、アファーメーションは事実と違うことも言うのだから、感情を込めると葛藤が生まれる。
「私は美しい」と感情を込めて言うと、大抵の人は、「本当は美しくない」という思いに苦しむ。
だから、「言ってみた」程度に、「私は美しい」と言えば良い。
「言ってみただけ」「言うくらいタダ」という気楽さが必要だ。

『荘子』に木鶏(もっけい)の話がある。
闘鶏の鶏の中で最強なのは、木鶏のごとく、他の鶏が何をしようが、ぴくりとも反応しない鶏で、そんな木鶏のような鶏には、他の鶏は怖くて近寄ることも出来ない。
ライオンの集団でも、ボスになるのは、必ずしも体力が一番のライオンではなく、やはり、不思議な貫禄のあるライオンなのだが、その貫禄は、動かぬ心による。
人間においても、不動心である者が一番強い。
しかし、ほとんどの者が言うだろう。
「私の心は常に揺れ動き、不動心とはほど遠い」
そんなことはどうでも良いのである。
「不動心たる我に敵なし」
と、言葉で言えば、それで自然に不動心になり、何も恐れなくなる。
そうなれば、あなたの行く手を遮るものはない。
このアファーメーションを、感情を込めず、ただ丁寧に淡々と繰り返せば超人になれるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

まるで駄目な2人の青年が、なぜ生まれ変われたのか

当時、20代だったヨガ指導者の藤本憲幸氏の本の中に、面白い実話があった。
自信のない暗い二十歳くらいの青年(男性)が、突然悟りを開いて超人になったと自称してやって来て、藤本氏も、胡散臭くは感じたのだろうと思う。
しかし、その立ち居振る舞いは堂々として立派だし、実際、沢山の人達に敬われているようでもある。
その若き超人が話したことを読むと、私も、やはり何かを掴んでいるとは思う。
コリン・ウィルソンの本にも、やはり劣等感と無力感に取りつかれた駄目な青年が、少しの間に啓示を受けたように生まれ変わり、実際に人々の信奉を集め、賢者と言えるほどであるというお話がある。

藤本氏は、その超人の青年に、ダイエットの方法を尋ねている。
超人の青年は、「自分はすでに10kg痩せてすっきりした身体になったと思うと良い。食事を制限したり、運動したりは不要」と言う。
藤本氏も、それには反対ではないようだったし、私もそう思う。
ただ、「思う」というのは、かなり、シンドイ・・・つまり、負担なのだ。
シンドくて負担だから、大抵・・・いや、99%続かない。
そうではないだろうか?
成功哲学の本に書かれている通り、金持ちになった自分、美人美男になった自分をイメージしても、それを10日続けられた人は、まあ、いないと思う。
一方、コリン・ウィルソンの本にあった「元駄目で今は立派な」青年の方は、もっと良い・・・つまり、実行可能な、実際的、合理的なヒントを与えてくれる。
その青年は、ある時、「僕はなんて駄目なんだ」とつぶやいたら、それを聴いた人が「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」と青年に言ってくれた。
それから数日で、青年は生まれ変わった。
その本には、青年が「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」という言葉について、ずっと考え続けたことになっているが、考えるだけでは、少し気が晴れはするかもしれないが、すぐに元に戻るはずなのだ。
本には書かれていないが、この青年が、そんなに立派になれたとしたら、1つにことをやっただけなのだ。
即ち、自分は駄目ではないという意味の言葉を、頭の中でずっとつぶやき続けたのだ。
それは、「僕はちっとも駄目じゃない」を意味するような言葉で、例えば、「僕は可能性に満ちている」「僕は希望に満ちている」「僕はどんなことでも出来る」などだ。
「大丈夫」とか「絶好調」でも良いし、その時、たまたま、その青年が、ノーマン・ヴィンセント・ピールの本『積極的考え方の力』(トランプ大統領の愛読書でもある)や、聖書を読み、「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」という言葉を覚えて、それを唱えたのかもしれない。

藤本氏の本の方の超人の青年も、やはり、何かの言葉を唱え続けたはずなのだ。
心で抽象的に思ったり、イメージするのは、やはり、大きな負担であり、それを続けられる人はいない。
法然も、仏の姿をイメージし続ける正統的な修行は、よほどの人でなければ続かない・・・あるいは、よほどの人であっても続かないと思ったから、「南無阿弥陀仏」の念仏だけを選ぶべきであると言ったのだと思う。

どんな駄目な人間・・・このブログに時々出てくる、まるで駄目男君(30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)ですら、たった1つの言葉をつぶやき続ければ、上の2人の青年のように、強くなり、幸福になれるのである。
その言葉は、早い話が何でもいいし、何度か変えても良い。
1つの特別な言葉があれば、人生の問題の99%以上は(おそらく100%)解決する。
「大丈夫」「絶好調」で良いのである。
「私に恐れはない」でも、「奇跡は起きる」でも。
すぐに1つ決め、ずっと唱えるべきである。
もちろん、独自に決めても良いが、あまり凝らないことだ。
すぐに始めた方が良い。
ただ、注意しておきたいのは、特別な言葉は1つでなければならないということだ。
2つ以上だと、ほとんど続かないのだ。それで失敗する人が、あまりに多いのである。
つまるところ、「大丈夫」も「絶好調」も「奇跡は起こる」も同じなのである。








↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

マフィアの姫君と武蔵の特別な言葉

特別な1つの言葉と共に生きる者は、その言葉の力に満たされ、宇宙を改ざんし、自由自在に闊歩する。

『NOIR(ノワール)』というアニメで、「世界で最も凶暴な姫君」「侵すべからざる者」と言われる、マフィアの後継者の若きシルヴァーナがまさにそうだった。
超一流の殺し屋ミレイユ・ブーケが、全裸のシルヴァーナに銃を向けながら、シルヴァーナは顔色一つ変えず、ミレイユは震えて何も出来ない。
ミレイユは決して心は弱くないが、シルヴァーナの意志の強さが絶大なのだ。
シルヴァーナは、幼い時から、「私に恐れはない」という言葉と共に生きていたのである。

宮本武蔵の特別な言葉は「 我事において後悔せず」だった。
このように、ちゃんと言葉にしたから武蔵は無敵だった。
逆に言えば、いかに強くとも、特別な言葉がなければ常勝とはいかない。

「私に恐れはない」
「我事において後悔せず」
いずれも、誰でも使え、誰にでも絶大な力を与えるアファーメーションだ。
「いや、私は臆病者で、恐いものだらけです」
「私はいつも後悔しています」
そんなことは関係ない。
欠点を治す必要すらない。
また、これらの言葉で、弱気や後悔心を抑えようなどとしてはならない。そんなことは出来ない。
ただ、感情を込めず、されど、丁寧に、淡々と唱えれば良いのだ。
すると、そう遠くなく、あるいは、すぐさま、あなたに恐れはなくなり、あるいは、後悔はなくなる。
恐れのない者、後悔のない者が負けるはずがない。
だが、感情を込めてこれらの言葉を唱えると、匹夫の勇(思慮分別のない浅はかな勇気)や、経験に学ばぬ愚か者となってしまう。
あくまで、「淡々」と唱えることが必要だ。
そして、この2つの言葉、両方を持ってはならない。
シルヴァーナや武蔵は、1つの言葉を大切にしたから、生涯、揺るがなかった。
シルヴァーナは若くして死んだが、死の刹那、ミレイユとの約束を果たす強さがあった。
人を強くする特別な言葉は、ただ1つである。
ただし、1つの特別な言葉を常に使えば、祈り言葉は全て叶う。
祈り言葉は、特別な1つの言葉の子供である。
やはり、感情を込めず、淡々と唱えれば、嫌でも叶うのだ。
それこそ、ジョセフ・マーフィーも勧めたことがあるように、単語だけでも良い。いや、私は、単語だけが良いと思う。
例えば、「成功」「富」などだ。これであれば、「成功、富、歓喜」と複数でも良い。けれども、少ない方が叶い易いとは言えるかもしれない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

願いは言葉にすれば叶い易い

中畑清さんが、長嶋茂雄さんに「絶好調」の呪文を教わった話と共に、最近、好きになった話がある(以前、一度書いた)。
ある男の戦争体験なのだが、その詳細は、実に凄惨で生々しく、あえて不謹慎極まる言い方をすれば、これほど面白いものもない。何せ、ノンフィクションなのだから。
それは、私のバイブルにもなっている『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』(東邦出版)の中に書かれている。
簡単に言えば、こんな話だ。
第二次世界大戦中、海軍にいた男は、乗っていた船が5回も撃沈された。
まずは戦闘で大勢の兵士が死に、敵戦闘機の爆弾攻撃で船が沈み、板に捕まって浮いているところを米軍機の機関砲で狙い撃ちされる。
なんとか生き残って海に浮いていたら、フカに海に引っ張り込まれるので、フカが来るたびに手足を引っ込めなければならない。
みんなで励ましあって頑張るのだが、翌朝には誰も返事をしてくれない。
疲労と恐怖と絶望の中で、みんな諦めて死んでしまうのだ。
だが、その男だけは5度もそんな目に遭いながら、生き残ったのだ。
なぜか?
秘訣は、「ただ1つのことを考える」のだそうだ。
それは、「陸に上がって酒を飲む」だ。
彼は大変な酒好きなのだった。
喉の渇きが激しくなるほど、その願望は強烈になる。
すると、ジョセフ・マーフィーの成功法則にあるように、潜在意識の力が働き、救助の船が奇跡的にやってくるようなことも起こり、実際、彼は必ず救助され、そして、願望通り酒をあおることになる。

なるほど、そんな厳しい状況では「絶好調」なんて言ってられない。
そこで、大好きなもののことを考えるのだ。
ナチスのユダヤ人収容所でも、ユダヤ人達は狭い部屋に恐ろしい数詰め込まれ、食事は週にパン2切れという中で、生き残った人達は、若者でも屈強な者でもなかった。
やっぱり、好きなもののことを考え続けた人が死ななかったのだ。
ある医師は、妻のことをずっと考え続け、妻に語りかけたそうだ。

だが、これらの場合でも、言葉を使った方が絶対に効果的なのだ。
上に挙げた、生き延びた人達も、きっとやっていたはずだ。
「酒」「陸に上がって酒を飲む」「酒をがんがん飲む」とか、妻の名、恋人の名、子供の名を呼び続けるのだ。
ロオマン・ガリの『自由の大地』でも、フランス兵達は、1人の少女が居ることを空想することで心を保ち続けたが、やはり、特定の少女の名を呼ぶのが良い。
川原礫さんの小説『アクセル・ワールド』で、シルバー・クロウが、手を光の槍に変える心意技を編み出すが、「赤の王」スカーレット・レインは、クロウに対し、技に名を付けろと言う。
言葉にすることで、技の発動を簡単に出来るのだ。
『サイボーグ009』でも、009ことジョーは、加速装置を使う度に「加速装置!」と唱えていたが、あれは正しいやり方なのである。
我々も、願いがあるなら、言葉にすれば、叶う確率は何倍にも、何十倍にも、あるいは、何百倍、あるいは、それ以上となる。
その際、あまり自分で感情を込めようとしない方が良い。
感情は、自然に起こるに任せるのだ。
「富」「成功」「地位」「名誉」など、簡単な言葉が良い。
そして、普段は、「大丈夫」「絶好調」など、特別な1つの言葉を、常に頭の中でつぶやくのだ。
「不動心たる我に不可能はない」と唱え続ければ、次々と勝利を掴むことになる。
「奇跡は起きる」と唱え続ければ、予期せぬ幸運がやってくるだろう。
努力は不要である。
ただし、本当に常に唱えた場合だけだ。それだけは根気良くやる必要がある。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

本当に無視出来れば必ず勝つ

「知らん顔をすれば必勝」
今風に言うなら、
「スルーすれば勝ったも同じ」
である。

私が子供の時、西洋のテレビドラマで、貴族の美男子がこう言った。
「攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃とは無抵抗なり。つまり、何もしない者が一番強いんだ」
子供の時、一瞬聴いただけで、忘れることが出来ないのだから、これは、内なる神の教えと思って良いだろう。
そして、実際、その通りだった。
スルーすればいかなる時も勝ち、反応すれば、負けるか、拙いことになる。
それはいつもそうだ。
だが、人間は、ついつい余計なことをしてしまう。つまり、反応させられているのだ。

聖書に、こんな言葉がある。
「神が我々の味方なら、誰が我々を傷付けることが出来ようか」
中国の古典『荘子』にも、こう書かれている。
「鏡は来るものは映すが、去ってしまえば何も残らない。鏡のようであれば、傷付くことは決してない」

魔力を得るための試験はこうなのだ。
全く好みのタイプの女(あるいは男)が、最も好ましい誘い方をしてくる。
それをスルー出来れば、あなたが欲してやまない魔法の力を得る。

LINEでも、嫌な相手をスルーするのは易しい。
しかし、好きな相手に心動かされないのは難しい。
それが出来れば、この世に不可能はない。
無、不動心こそ最強だというのは確かだ。
だが、間違ってもらっては困るのは、生命力を低下させ、老人になって、何事も面倒になるのとは違うのである。
意思の力で心を停止させることだ。
それが出来れば、悪霊も悪神も、精神的宇宙人も、あなたに手は出せない。
それには、やはり言葉を使うことである。
「心を乱さぬ私は無敵である」
実際は、心が乱れることが多くても、こう言葉で言う限り問題はない。
何せ、願いは千分の一秒で叶うのだからだ。








↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ