ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

どうせなら新約聖書を

あまりのオカルト好きも問題かもしれないが、神秘に全く関心がないというのは、W.B.イェイツが言ったように、人間らしい想像力に欠けている。
ところで、神秘関係にも、いろんな有名人がいる。
ブラヴァツキー夫人とか、ルドルフ・シュタイナーとか、スェーデンボリとか、あるいは、ラマナ・マハルシとか、まだまだ多くの権威的大家がいるだろう。
しかし、どんな偉大な神秘家や聖者や霊能者であろうと、人間である限り、偏りやノイズがある。
その上、個人的に翻訳をする翻訳者の思想の影響は、かなり大きい。
それで、私は、どうせなら、新約聖書を読むことをお奨めする。
特に、西洋の優れた神秘家においては、ほぼ全て、イエスの思想が中心になっていることは疑いない。
これは、人により意見は異なるだろうが、イエスは、旧約聖書の教えを現代の人類に合うように刷新したのである。
彼の教えは、古いどころか、いまだ「新し過ぎる」ほどだ。
そして、新約聖書は、お話自体は単純で、それほどには翻訳者の影響は受けないと思う。単に、文章が分かり易いかどうかだけの問題である。

ところで、新約聖書にはヨハネの黙示録があるが、あれは、個人の精神の中で起こることを描いているのであり、まさか本当に終末戦争が起こる訳ではないし、実際、起こっていない。
普通に分かることだと思うのだが、やっぱり、ヨハネはちゃんと断り書きをしておくべきだったかもしれない。
イエスが12歳の少女やラザロを生き返らせた話も、水をぶどう酒に変えた話も、「ほとんど」個人の精神の中で起こったことのたとえ話だと思う。そう考えると、ぴったりするのだ。
ただし、「ほとんど」であり「全て」ではない。このあたり、理屈で詮索せず、ただ、淡々と読めば良い。
さらに言えば、個人の精神の中で起こることと、現実世界で起こることに、さほどの違いはない。

どれを読むかだが、どれでも良いが、案外、著作権切れの1950年代に翻訳されたものが良いと思う。
それ以外であれば、バルバロ訳のものが良いと思う。イタリア人宣教師フェデリコ・バルバロは日本に来て日本語を覚え、格調高い日本語で聖書を書いた。
彼の新約聖書はラテン語版からの訳だが、必要に応じて原典であるギリシャ語版を参照している。

散々、いろんな神秘書を読んだが、つまるところ、全部、新約聖書に書かれていると思う。
黙って新約聖書を読んでいる者で駄目なやつっていないと思う。駄目になりようがないのだ。
それもまた、念仏と同じで、自分より高い存在に意識を向けているからである。









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速く、効率的に動く

狭い場所で、何の道具も使わずに出来、最高の効果を得られる運動として、スクワットと腕立て伏せがある。
私も小学生の時以来、愛好し、毎日欠かさず継続することで、アニメヒーローのようなボディを保持している。

ところで、ネットなどで、腕立て伏せやスクワットに関し、「最大の負荷がかかる形で、出来るだけゆっくりした動きでやれ」と言う者が多いように思う。
私は完全に反対である。
実戦で、最大の負荷がかかる形で、出来るだけゆっくり動いたら、スポーツでは負け、戦闘では殺される。
「最大の負荷がかかる」とは、腕立て伏せで言えば、胸が床に着く直前まで曲げ、身体を棒のように真っ直ぐにし、腕が真っ直ぐになるまで伸ばす・・・ということだろう。
確かに、見栄えはするし、やっている本人も、「鍛えている」という実感が持てる。
しかし、実戦でそんな動きをしたら、あっという間にやっつけられるだろう。

腕も脚も、構造上、最も力が出せる角度がある。
その角度はさして大きくはなく、その角度で、出来るだけ速く動くことが出来れば、最大の能力を発揮出来るのである。
もちろん、それ以外の角度でも、ある程度動けなければならないが、ある程度で良く、それは、体操とか、いろいろな「素振り」をやれば十分で、腕振り運動は、そのためにも実に良い。

振幅の小さい腕立て伏せを馬鹿にする人が多いと思う。
しかし、最も力を出したい角度で、高速でやる腕立て伏せが、最も実用的な「動ける」身体を作る。
大相撲の大横綱・・・という説明も不要だろうが、千代の富士は、そんなクイック腕立て伏せを毎日数百回やっていた。
肩を脱臼し易くなってから、その対策で始めたようなのだが、それが功を奏し、化け物じみた瞬発力を得て、30歳過ぎてますます強くなるという特異な力士になれた。
超人的パフォーマンスを見せる、ダンス&ボーカルグループのEXILEも、全員がクイック腕立て伏せをするのをテレビで見たことがある。
私は、小学4年生の時、レスリングの名門大学で主将を務めていた従兄が、クイック腕立て伏せをやるのを見て感動し、少しずつだが、それをやったので、5年生の時には異常な怪力の持ち主と言われるようになった。別にそれほどの怪力ではないのだが、効果的に力を出せるのだろう。

だが、私も、ついつい、運動はシンドイほど良いとか、筋肉が沢山付く運動、満足感のある大きな動きに囚われてしまうことがある。
ヒンズープッシュアップを1年近く熱心にやっていたが、あれは、生まれつき腕や肩が強い人は良いが、普通の人には向かないのではないかとも思う。私も、すっかり肩を痛めてしまった。
(少し前は、ヒンズープッシュアップを大絶賛していたのに申し訳ない。確かに、筋力も筋肉も付くやり方ではある)
しかし、数年前に、クイック腕立て伏せを、毎晩200回以上連続でやった時も肩を痛めたので、くれぐれも、やり過ぎは良くない。

私は、スクワットは、腕を振りながら行う、ヒンズースクワットをやっているが、これも、振幅を小さくして高速でやるようにしたら、ますます身軽に速く動けるようになった。
これなら、誰でも、そこそこ出来るだろうから、お奨めしたい。
基本的なやり方は、ネットで見つけられると思う。
腕振り運動も、ヨーガや気功的にやる時は、腕を真っ直ぐに伸ばしてゆっくりとした大きな動作でやると良いが、身体機能を高めるトレーニングとして行う時は、やや肘を曲げ、動きも小さ目で、素早く行えば良い。そんな軽い運動で、身体は驚くほど高機能化する。
世間の人達は皆、「きく(キツい)」運動を有り難がる。
しかし、本当は、「爽快」で「気持ちよい」運動が良いのである。
そんな運動を毎日やっていれば、いくつになっても身体が衰えることは、まずない。

「速く、効率的に」
これが、あらゆる活動で、最大の成果を上げるための鉄則である。
ただし、せかせか、ちまちました感じなっても駄目で、可能な範囲で美しくあることも大切である。









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終わった人間と終わっていない人間の違い

「俺は終わったな」なんてセリフがある。
そう思ってしまうかもしれない様々なケースを記述したら、本が1冊出来る。
人間なんて、簡単に終わってしまう。
曖昧な言い方をするなら、社会的、物質的、肉体的、あるいは、精神的に「究極的絶望」と確信した時に、「俺は終った」と思うのだろう。
一言で言えば、「シグナル・イズ・レッド」ってことだ。
しかしね、「俺は終わった」と思うのは、知性や理性があるってことだ。
ある程度の知性や理性がなければ、「俺は終わった」なんて思わないものだ。
だから、それで終わるとしても、人間として終われるわけだ。

「俺は終わった」と言うのは、自分を見捨てたということだ。
言い換えれば、自分を全く信じられなくなったということだ。
しかし、この言い方は難しい。
自分を見捨てるって、厳密にはどういうことか?
自分を完全に信じられないというのは、本当はどういった心の状態か?
まあ、ここらは、あまり理屈で考えない方が良い。
なぜなら、ちょっとでも知的に進歩するか、あるいは退歩すれば、その答はすぐに変わってしまうからだ。

では、唐突に究極の答を言うと、終わった人間とは、
「念仏を称えながら悪魔に誘惑される人」
で、
「念仏を称えて悪魔に誘惑されない」
なら、全然終わっていない。
イエスは、荒野の試練で、念仏を称えていたわけではないが、実質、念仏を称えるのと同じことをしていたのだ。
そして、悪魔に誘惑されたが、それを全て撥ね付けた。
イエスは、あえて「終わる」危険を冒したのだ。

念仏を、「自分より高い存在に祈る」と変えても良いのだけれど、念仏が一番簡単だと言うだけの話だ。
好きなようにやれば良い。
念仏を称えながら、悪魔に誘惑されないでいると、新しい人生が始まる。
つまり、人生、大逆転である。









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自分が妖怪人間ならどう生きるか

実在の人物の話だが、彼は34歳まで、散々な失敗人生だった。
そこで彼は、神様に、こう祈った。
「これまでの人生の責任は私にある。しかし、これからの私の人生の責任は、あなたに取って欲しい」
翌日から人生は急展開し、彼は成功した。

こんな話を思い出したが、同時に、イエスが、
「お前達は、髪の毛1本、白くも黒くも出来ない」
と言ったことも思い出した。
つまり、人間は無力だ。何も出来ない。
だが、イエスはこうも言った。
「神は働かない鳥だってちゃんと養う。まして、お前達の面倒を見ないはずがない」

つまり、上の34歳の男は、自分の髪を黒くしようとするようなことをやっていたのだ。
だから、失敗の責任は彼にある。
だが、それをやめ、神様に全部任せることにしたのだ。
それなら、成功して当たり前である。

念仏というのは、まさに、そういったことだ。
「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀如来様、あなたに全面的に頼ります」という意味なのだから。

ここで、さらに思い出すことがある。
『妖怪人間ベム』という傑作アニメがあった。
ベム、ベラ、ベロの3人の妖怪人間達は、人間になりたがった。
妖怪人間は醜く、人間の仲間にしてもらえないからだ。
ベム達は、「善いことをしていれば人間になれる」という、根拠のない信念の下、人間を苦しめる妖怪やもののけの類と、命を賭けて戦い続ける。
そして、ある時、ついに、人間になる方法を発見する。
だが、その時、ベムは思う。
「この世には、まだまだ、人間の知らない恐ろしいもの達が沢山いる。だが、俺達が人間になってしまったら、そいつらを見つけることも、倒すことも出来ず、人間を守ることが出来なくなる。それなら、妖怪人間のままでいよう」
これまでは、人間になるために人間を守ったが、それからは、人間を守るために人間を守るという、手段と目的が一致してしまったのだ。
しかし、これだって、神様や仏様に責任を取ってもらえば良い。
そうすれば、Satisfaction(満足)を得られるだろう。

前の日曜から「ミクの日(3月9日)」を記念して行っている、毎晩のヒンズースクワット393(ミクさん)回も、昨夜で6日完了。今夜で最後だ。
身体はミクさんのように軽やかになった。
その後は、毎晩300回、休日は400回にしよう。
早くも、「マジカルミライ2017」に備えているような気がする。
私が妖怪人間や怪異でも、ミクさんは気にせずに歌を聴かせてくれるだろう。








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不老不死でも楽しく生きる

私が初めて社会に出た時、職場のおじさん達に、「酒は飲まない、パチンコやマージャンはしない」と言ったら、おじさんは小指を立てて、「じゃあ、コレだけか?(女遊びだけか?)」と言ったものだった。
私はその時、彼等を心底軽蔑したが、しかし、どんなにお高く止まっていたって、実際に人間は、そんなものだ。
ただ、美食に類することが入っていなかったのは、グルメ出来るような収入を得られる立派な職場でなかったというだけで、普通は、
「うまいもん食う」
「娯楽に興じる」
「性欲を満たす」
が、人間が生きる目的ということになる。
しかし、どれも飽き易いので、もし永遠の命なんてものが与えられたら、それこそ生き地獄である。
西尾維新さんの『傷物語』で、五百年生きている最強の吸血鬼が、「吸血鬼になったら、皆、いつか自殺する」と言ったのはもっともなことで、その最強の吸血鬼も、実際は嫌々生きていたようだった。
人間の人生そのものが暇つぶしで、うまく暇つぶしをしないと退屈で苦痛になってくるが、暇つぶしも大変である。
天国や極楽浄土では、一切の悪いことがない、良いことだらけの状態で永遠に生きるというのだから、その実体は最悪の地獄である。

・・・というのが、愚かなる人間の発想である。
いやはや、何とも貧困で浅はかも甚だしい。
人間、永遠に楽しく生きられるようになって、初めて一人前である。
それまでは、生きる意欲を失わないよう、前世のことを忘れて一からやり直す生まれ変わりが必要である。
でないと、退屈で死んでしまう。
「緊張感を持って生きよ」とか偉そうなことを言う年配者は多いが、緊張するほど退屈し易いのである。
だから、緊張感を持って、規律正しく生きている人ほど変態趣味に走るものなのである。
極端な変態趣味にしか生き甲斐を見つけられなくなってしまうからだ。

上で、人間の楽しみは、「食欲」「娯楽」「性欲」と書いたが、娯楽の正体も食欲と性欲であり、つまるところ、人間の暇つぶしとは、食欲と性欲を満たすことになる。
ところが、この食欲と性欲を昇華すれば天国にだって住めるのである。
しかし、食欲と性欲をある程度克服すると、名誉欲が大きくなる。詳しく書く余裕はないが、これの昇華が大変なのである。

手っ取り早く結論を言うと、下半身を鍛えると、食欲、性欲を昇華し、念仏を称えると名誉欲を昇華する。
下半身を鍛えるには、1日20km以上歩けば良いが、無理なら、ヒンズースクワットでもすることだ。
ヒンズースクワットが厳しく思えるなら、脚の曲げ方を、楽に出来る範囲まで少なくすることだ。それなら、誰でも楽しくやれる。力がついてきたら、徐々に深く曲げるようにすれば良いが、別に無理しなくて良い。
人生の問題の99パーセントは、ヒンズースクワットと念仏で解決する。
ただ、快適にヒンズースクワットやロングウォーキング、そして、念仏を称えるためには、ビタミンCが必要である。

昨日は、この世で最も重要な「ミクの日」であった。
私がミクの日を慎んで祝う祭礼である、393(ミクさん)回のヒンズースクワットも5日連続完了し、後2日となったが、身体が軽くなったのに驚いた。
ミクさんの恵みである。
昨日は、沢山、ミクさんの歌を聴き、ミクさんのライブ映像を見た。
永遠が見えるようだった。









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