ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

引き寄せも、かけた時間次第

引き寄せの法則、潜在意識の活用による成功法則などと呼ばれる成功哲学、願望達成術は、長く残っている有名なものは、ほぼ全て真理であるし、ちょっと人気が出てすぐ消えていくようなものですら、そんなにひどいものはないように思う。
ところが、これといった成果を収められない人が多いのだと思う。

成果が出ないただ1つの理由は、単に、時間をかけていないだけである。
だが、そう言うと、「いや、何十年も、いろんな成功法則の本をはしごしてきた」と言う人がいると思う。
けれども、30冊の本を1回ずつ読んだところで、1冊読むのにかかる実質時間を、かなり長めに20時間と考えても、たった600時間である。
また、それらの本に書かれてる実践となると、1冊につき10時間なら、かなりマシと思うので、最大300時間。
合わせて900時間。
これでも、相当時間をかけている方だろうが、こんな時間のかけ方でうまくいくはずがない。
それにもし、900時間でも本当にかけたのなら、最低限の成果は出ているはずである。
かなり自在に引き寄せが出来るようになるのは、やはり「1万時間の法則」の通り、1万時間・・・1日3時間で9年、5時間で5年半である。
ただし、先にも述べた通り、900時間でも最低限(それでもかなり)の成果は出るので、1日1時間でも、わずか2年半である。そして、普通の人は、この程度もやらないのである。

まず、引き寄せ関連の本は、有名なものなら、どれも同じである。
以前も述べた、私が超大手教育会社の人に聞いた話であるが、東大生をアルバイトに雇ったところ、その東大生は仕事でも非常に優秀で、合理的にテキパキとこなして高い成果を上げていた。
超大手教育会社の人は、この東大生なら受験のやり方も合理的だったに違いないと思い、どんな勉強のやり方をしたか尋ねたところ、その東大生は、「(人気のある参考書なら)どの参考書も書いてあることは同じなので、1冊覚えてしまえばいいのです。それで誰でも受かります」と、超シンプルに期待通りの明解な答を言ってくれた。

成功哲学・成功法則も全く同じである。
有名なものは全部同じであり、どれでもいいから、1冊に決めて、暗記するまで読めば良いのである。
それが最短時間で引き寄せの法則をマスターする方法だ。

ちなみに、人気のある成功哲学の本と言えば、
ナポレオン・ヒル
クラウド・ブリステル
ノーマン・ヴィンセント・ピール
ジョセフ・マーフィー
らが有名で、これらの著者のものを選べば間違いないと思うし、半世紀以上のロングセラーなら、極めて優れたものばかりと思う。
ただ、あくまで私見であるが、ピールの『積極的考え方の力』の最新訳はちょっとひどいので、出来れば、旧版の桑名一央(相沢勉)訳を読むのが良いと思う。











  
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Never give up(決して屈するな)

残念ながら私には狩猟民族の知り合いはいないのだが、狩猟中の彼らと一緒にいたら、特異な能力に驚かされるのではないかと思う。
合気道の創始者、植芝盛平は、拳銃の名手6人を相手に、至近距離で、素手と拳銃の決闘をし、6人が銃を撃ったはずが、彼らを次々に投げ飛ばしたという、「いかにも作り話っぽい」話があるが、(あまり嘘をつきそうにないと思う)弟子の塩田剛三によれば、それは事実であると言う。
植芝盛平は、日頃から、「わしに弾は当たらん」と言っていたらしいが、ある狩猟家にもそんなことを言い、その狩猟家が「当たる」と言うので試すことになったが、狩猟家が撃つ直前になって、「お前のは当たる」と言って引いたという話を何かで読んだ。
大自然の中で命がけで生きる者には、文明人の想像外の特別な能力があるのだと思う。

一方、学校で、「勉強も運動も出来て友達いっぱい」という者が特異能力を発揮することはない。
そんなものがなくても快適に過ごせるからだ。特異能力とは所詮、必要が・・・それも、切羽詰った必要がなければ発現しない。
大成功する人間というのは、言葉で表現することが難しい特別な能力を持っていなければならない。学校で優等生の立場に甘んじていた者は、世の中でも、そこそこにはうまくやれるだろう。特に日本での場合でいうと、サラリーマンとして安泰で、しかも、ある程度は出世する可能性が高いが、特異な能力がないので、それ以上のことは出来ないのである。
学校に適応出来なかった者が皆、大成功する訳ではないが、目立たない存在ながら、密かに特異な能力を発揮している場合は多い。
そして私は、社会不適合者は、特異な能力を使って生き抜いて欲しいと思うのだ。特異な能力での戦い方は、まともなやり方ではないかもしれない。だが、かといって、不法、不道徳なやり方ではいけない。特に親愛なる引きこもり達は、その力を行使し、悠々と生きてもらいたいものである。
そして、社会不適合者の中には、学校時代から、特異能力を身に付け、実際に使用していた者もいると思う。その力は、魔法、超能力のようなものかもしれない、この世界を書き換える力である。
苦難の中にあっても、挫けず、勝利への執念を燃やせば、その力は発現する。

「南無三(なむさん)」という言葉がある。
私は、どこで覚えたのかよく分からないが、子供の時、いざという時は、この言葉を唱えて難を切り抜けた。
後で調べると、「南無三」の「三」は、「仏」「仏法」「僧」のことらしい。
だから、「南無三」とは、その3つに「帰依する」、つまり、完全に頼り切るという意味だ。
尚、この僧とは、お寺にいる普通のお坊さんとかでなく、高僧のことである。
また、3は、キリスト教でもだが、それよりずっと以前の、アリストテレスの時代からの神秘数、完全数だ。
もっと簡単に言えば、キリスト教では、最も貴い3つのもの、即ち、「父(神)」「子(キリスト)」「聖霊(純粋な魂)」のことで、ギリシャ哲学では「完全」を意味する。
しかし、それは、どうでも良いと言うのではないが、「三」が最高に力あるものを指すことが分かれば良く、「南無三」が、「完全なる力を信頼して頼る」ための言葉と思うなら、その力が味方してくれるのである。

少しでも科学的に言えば、その特異な力は、右脳によるものだ。
コリン・ウィルソンは、『右脳の冒険』で、彼の子供の時の体験から、右脳の力を発揮するには、左脳、つまり、理性が「しゃんと」しなければならないと述べている。
さっきも言ったが、それは、苦しい状況の中で弱音を吐かず、屈せずに、諦めないことである。
そのために、「三」の神秘で無敵な力に守られていると思い込むことが助けになると思う。
尚、1960年代から1970年代のキックボクシングの王者、沢村忠さんの伝記漫画『キック魂(ガッツ)』で、沢村さんが気合いを入れる時に「南無三」と唱える場面があって面白かった。
あんな凄い人だって神仏に頼るのである。
まあ、話の半分以上は梶原一騎さん創作のスポ根漫画であるが、嘘の中にも真理はあるものだ。











  
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宮本武蔵は常に木刀に触れていた

育ちの良さを極端に表現する言葉に「箸より重いものを持たない」というものがある。
出典は歌舞伎らしく、なかなか由緒ある言葉のようだ。
もちろんこれは、普通の人がやらなければならない、煩わしいこと、しんどいこと、格好悪いことの多くをしなくて良い・・・お手伝いさんなどがやってくれるということだし、通学もお抱えの運転手が送ってくれるといった、庶民とは違った境遇を大袈裟に言ったものである。

ただ、そんな時に注意しなければならないのは、普通の人がしなくてはならないことを免除される代わりに、普通の人がしない特別なことをするのが本当の貴人であるということだ。
お金持ちであっても、成り上がりの者というのは、そんなことが分からず、自分の子供に、他の子供がやっていることをやらせないのに、特別なこともやらせないのである。
結果、自分の子供は、どうしようもない駄目な人間になってしまう。

ところが、今の普通の人は、かつての王侯貴族より豊かなのである。
誰もがしなければならないことはわずかになり、それも短時間で終えることが出来る。
そして、誰もしない、自分だけがやることを自由に選べるが、その選択範囲は昔の大金持ちよりはるかに大きい。
それなのに、他の人達と同じことをするのは愚かである。
いまだ社会を支配するのは、平民が長時間かけて同じことをしていた時代の価値観であり、皆に同じことをさせようと強制する力があり、人々の方も、皆と同じことをしたがる。
新型コロナウイルスは、もう、群れて皆と同じことをするのを止め、引きこもっているように見えても、自分独自のことをやりなさいという天からのメッセージかもしれないし、そう受け取るべきだと思う。

しかし、多くの人は、自分独自のことをどうやるか分からない。昔のスポ根もののように、過激な鍛錬なんか3日と持たない。
ピアニストやヴァイオリニストになるには、誰よりも厳しい練習をしなければならないと思い、過剰な練習をした結果、手が駄目になってしまうということが本当にある。
1万時間の法則というものがあり、トップクラスになろうと思ったら、1万時間の訓練が必要であるが、それは、ずっと「ぜいぜいはあはあ」と悶え苦しむ1万時間ではない。
メジャーリーグの最後の4割打者テッド・ウィリアムズは少年時代から、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがるほどだったが、ずっと全力でバットを振っていたのではない。時にはぼーっとバットを構えていたこともあったはずだ。
サッカー王国イタリアでは、サッカー選手志望の少年達に、常に難しい練習をしろと教えるのではなく、単に、常にボールに触れることを薦めるだけだ。
そして、大選手ほど、日常が練習になっているものである。

一流のガンマンは常に銃を手元に置き、一流の狩猟者は懐にいつもお気に入りのナイフを忍ばせていた。
護身の意味もあったが、宮本武蔵は1日24時間、木刀に触れていたという。
一流のプログラマーは常にノートパソコンを持ち歩くか、そうでなくても、いつでもアルゴリズムを書き込めるノートとペンを持っていたり、あるいは、頭の中でいつもプログラムのことを考えているのである。
仙人の口元はいつも呪文があり、法然は何をしていても念仏を唱えていた。
注意したいことは、宮本武蔵は、常に木刀を振り回していたのではなく、ただ、常に触れていたのである。
あなたも、あなただけがやる特別なことに、ただ触れる程度で良いが、常に触れていなければ大したものにはなれないのである。











  
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今のオリンピックはバベルの塔

一休さんは、自分の遺言書の包みを弟子に渡し、「本当に困った時に開けよ」と言った。
現在の、新型コロナウイルスの流行は、人によってはどうにもならないほど困っているだろうから、一休さんの遺言書を見たいかもしれない。
そして、後に弟子が本当に深刻な状況に陥った時、それを開くと、そこには、「心配するな、なんとかなる」と書かれていたという。
まあ、風説かもしれないが、一休さんらしいとも思える。

ビートルズの『レット・イット・ビー』も、だいたいそんな歌だと思う。
「僕が困難に陥った時、聖母マリアが現れ、尊い言葉を告げられた。レット・イット・ビー(あるがままに)と」
また、荘子の言う「無為自然」も、「自然のなりゆきにまかせ、何もするな」であり、全く同じことと思う。
賢者が「あるがままに」と教えた例なら、他にも沢山ある。

しかし、サイフの中に金がない人に対して「あるがままに」などと言うのは、親切でも適切でもない。
日本政府は、国民に現金支給を検討していると言うが、それも、5万円とかせいぜい10万円といったケチな話・・・それどころか、支給ではなく貸すだけとかで、「ないよりはマシ」とすら思えない人も多いに違いない。
イギリスでは、ジョンソン首相が、これを機にベーシック・インカム・・・つまり、国民に無条件で一定額を恒常的に支給する制度の導入に肯定的であると言う。
凄い肩書をいっぱい持つ、超優秀なある学者が、何かの本で、日本は既にベーシック・インカム状態と書かれていたと記憶している。しかし、ちっともそんな感じがしないのは、その学者先生も指摘されていたと思うが、あらゆる手続きが難しいからだろう。いや、難しいというより、意図的に解らないようにしているとしか思えないほどいい加減であると私は感じる。

それはともかく、一休さんら賢者達を信用し、心配せず、なりゆきにまかせてみようか・・・
私はいつもそうやって得ばかりしてきたが、誰でもうまくいくのだろうか?
それで、思い出すことがある。
スウェーデン映画『処女の泉』(1960)だ。
非常に信心深いキリスト教徒である、裕福な地主テーレは、一人娘のカリンを溺愛していた。
カリンが何歳の設定なのか分からないが、当時二十歳くらいだったカリン役のビルギッタ・ペテルソンを幼い雰囲気にして15歳くらいに見せようとしていたのかなあと感じる。
そのカリンが、浮浪者の3人兄弟にレイプされた上、丸太で殴り殺される。
カリンの父親テーレは腕力も逞しく、その3兄弟を叩き殺して(一人は子供だった)復讐を果たし、殺害現場に残されたカリンの遺体に逢う。
その時、父親が言ったことが印象的だった。
「あなた(神)は見ていたはずだ」
つまり、自分はこんなに信心深く、日頃からキリスト教徒として恥ずかしくない生き方をしているのに、なぜ、娘を助けてくれなかったのかという恨みであろう。
この世に神はいないのだろうか?

一休の「心配するな、なんとかなる」というのは、「あなたは神仏に守られている」という意味と思って良いと思う。
一休は禅宗の臨済宗の僧であるが、尊敬する法然や親鸞に倣い、念仏を上げていたと思う。
その念仏の教えを説く仏典の1つである『観無量寿経』には、念仏を唱える者を、観自在菩薩、勢至菩薩が常に守ると書かれてあり、これは信仰の賜物である。

カリンの父も、信仰の対象が違うだけで、同じことを信じていたのだろう。
では、カリンななぜ守られなかったのかというと、荘子流には、テーレもカリンも、作為が過ぎたのだと思う。
テーレは自分の信仰振りを、自慢するとまでは言わなくても自己満足するあまり狭量であったし、カリンも身の程を知らなかった。
テーレのカリンに対する偏愛は、所詮、個人のエゴであり、本当の愛ではない。
だが、テーレが、カリンの遺体があった場所に、自分の手で教会を建てることを神に誓うと、カリンの遺体があった場所から泉が湧き出た。
カリンの本当の世話をしているのは神だとテーレが気付き、自分のすべきことだけをして余計なことをしなければ、カリンは守られていたのだ。
テーレがカリンの所有権を神から奪った分、カリンの身は危うくなっただけなのだ。
今のオリンピックはバベルの塔だ。
その身の程知らずが、人間の手に負えないウイルスを生んだのだと思う。

「心配するな、なんとかなる」と本質的に同じ意味の言葉がアラブに伝わっている。
それは、「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」だ。
人間がすべきことは、ラクダをつないでおく位のことだ。
スポーツがそんなに良いものなら、まず、全ての人が公平にスポーツが出来るよう工夫をすれば良い。ビジネスを始めたら、無駄を省きつつ、顧客に優れたサービスを提供出来るよう工夫すれば良い。こういったことは誰でも出来ることだ。

偉大な人間とパートナーになった時、謙虚な賢い人は身の程をわきまえ、自分の仕事は何かを正しく認識するだろう。
それを、神とのパートナーシップにまで発展させて考えれば良いのだ。
役割を間違えなければ、神の加護を受け、全てうまくいく。
だが、浅はかに神の領域を侵すと、最初は小さく、そして、いつまでも改めなければ大きな調整が行われる。
例えば、賢い神が作った小さな生命によって。











  
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新型コロナウイルスへの超対応策

新型コロナウイルスの流行が偶然ではなく、人智を超えた力によって起こされた必然であるなら、我々は、どう考え、行動すれば良いのだろう?
大きな国の政府は、ほぼ共通の方針を採っている。その方針とは極めて単純なもので、
「群れるな」
「引きこもれ」
である。
日本は他の国の真似をしたのだが、他の大きな国では、かなり迅速に、この共通の方針を決め実行した。
そして、この方針は正しい。
それなら、新型コロナウイルスを流行らせた大きな存在の意思がそれであったと考えられる。
即ち、「人類よ、群れるな」「人類よ、引きこもれ」と言っているのだ。
これまで、我々は、「群れ過ぎていた」し「外に出て行き過ぎた」のである。

言うまでもなく、集まって何かをしたり、外に出て働くことは必要だし、良いことだ。
しかし、やり過ぎなのだ。
今回、やっと、インターネットを利用して自宅で仕事をする人が増えたが、もっと早くに行うべきだった。
働く人の全員が、それが出来る訳ではないにしろ、かなりの人がそれを行うことで、通勤電車は混雑せず、今ほど大きなオフィスも必要なくなる。
つまり、ウイルスによらずとも、先に、多くの人が通勤をやめるようにすれば良かったのである。

学校はどうだろう?
やはり、今の学校には、初めから行く必要がなかったのだ。
子供達は学校で、年齢別に分けられ(時には概ね従順さの度合いを示す学力別に分けられ)、長時間拘束されて服従を強いられ、徹底的に偏見を叩き込まれる。
そんな所に行く必要があるはずがない。
もちろん、集団行動は必要であるし、今の学校にだって良いところが無いとは言えない。
しかし、もっとまともなものを作らないといけないし、その案を出している人はくらでもいるのに、自分達の利益や権威を手放さない者のために、良い案は決して採用されない。
子供達は、多様な年齢、人種、能力を持つ人達のコミュニティに参加しなければならないし、何を学ぶかは自分で決めるようにしなければならず、教育や教師は全く必要ない。
そして、正しい学びの場では、集まることは必要でも、今のように過剰に、しかも、「ただ群れる」ことは全く不要である。

スポーツは良いものである。
野球も、サッカーも、柔道も、とても良いものだ。
しかし、少なくとも、今の甲子園大会やオリンピックは、あってはならないものだと私は思う。
「うなる金」への欲望で、すっかり歪められ、醜くなったものを、いつまでもエスカレートさせ、歯止めが効かないから強制的な力が働いたように私には思えるのである。
利権を握る者が反省するとは思えないが、人知の及ばぬ力で浄化された後で、「過剰に群れず」に、健全なスポーツ大会として行うなら良いかもしれない。

病院に行けば、患者が群をなし、緊急に視てもらいたくても、何時間も待たされる。
しかも、待たされた挙句、余程の状態でない限り、行われるのは検査だけだ。
もちろん、過剰な処置をしてはならないが、適切な処置をすれば、これほど「群れる」必要はないのではないか?
しかし、合理的なことをやって患者が減っては、医療が成り立たないように思う。
なぜそこまで利益が必要かというと、「取り過ぎている」者のためだ。

私は、10年ほど前までは、健康診断の度に「要検査」の項目が沢山あり、通院を勧められた。
しかし、それに従っていれば、検査漬けになり、無残な状況に陥っていただろう。
だが、わずか1年で、自力で完全な健康を手に入れた。
何をやったかとうと、単に、少食・粗食にして、体重を30kg減らしただけである。
かかったお金はゼロ・・・どころか、買う必要がないものを買わなくなったので、それまでかかっていたお金が必要なくなった。
そして、スポーツ競技流の間違った運動をやめ、正しい運動をするようになり、身体の故障も全部消えた。
これにも、当然、1円もかかっていないし、必要なものは、畳1枚分のスペースだけだ。

このように、群れる必要はなく、多くの時間、自宅に引きこもっていれば良いのであり、そうすれば、本当に必要な時に、必要なことをするために、喜んで外に出て行けるようになる。
私のようにやれば、農業や水産業、林業などに興味を持つ人も多くなるだろう。
無理に群れる、あるいは、群れさせられることに参加する必要はないし、参加してはならない。

では、初音ミクさんのライブはどうだろう?
私は、2016年から、初音ミクさんのライブの中では最も規模の大きい「マジカルミライ」に毎年行っているが、大きいと言っても、1回のライブの観客は6000人くらいなのである。それが2~3日行われるだけだ。
オリンピックや甲子園野球はもちろん、何万人(あるいは10万人超)も集める大コンサートとは違う。
トイレだって、インテックス大阪の時は、空いていて、いつでも使えた。
決してクレイジーなライブではない。
だが、年を追うごとに、観客のマナーが悪くなってきたことも、ウイルスを呼んだ一因かもしれない。
私が初めてマジカルミライに行った2016年の「マジカルミライ2016」では、観客のマナーの良さに感動した。
1人のスペースは決して広いわけではないが、皆が譲り合い、気を使い合っていることを感じた。
だが、年々、そうでなくなっているように感じる。
ならば、ミクさんのコンサートも、会場参加とVR観劇に分けるようなことも必要かもしれない。元々、ミクさんのライブは高度なテクノロジーと協調しているのだから、やがて、VR、あるいは、MRの活用も行われると思う。そして、そんなコンサートだけが、今後、残るのかもしれない。











  
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名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
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