ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

モスラに学ぶ神秘的変化

モスラという怪獣は、圧倒的人気というのではないが、この鮮やかな妖虫に深い情緒を感じるファンが少なくない。
コロネパン(主にチョココロネパン)を「モスラパン」と呼ぶのは日本文化と言うほど定着していて、確かに、モスラの幼虫はコロネパンみたいで可愛いが、そこに別の深い意味があるのだ。
モスラの魅力は、幼虫がサナギになって羽化し、成虫になって大空を羽ばたくという変身にあるのである。
モスラのサナギの羽化シーンは、常に、神秘的に美しく表現されてきたが、映画制作者には、モスラ変身の重要性がしっかり認識されていたのである。

そして、人間も、物質的にではないが、精神的に、サナギになり羽化するのである。
だが、現代人は、サナギの期間があまりに短く、ほとんど変化しないのである。
ところで、個人だけでなく、あらゆるレベルに羽化はある。
例えば、学校で、江戸時代の鎖国政策について、マイナス面ばかり教わったと思う。
鎖国のせいで、世界の進歩に取り残され、ペリー艦隊がやって来た時、物質文明の差を見せ付けられたことばかりが強調されたはずだ。
しかし、江戸時代、日本は鎖国によってサナギになり、長い時間をかけて、世界のどこにも見られない熟成と進化を遂げた存在に変身したのである。
だからこそ、西洋の物質文明を急速に吸収しただけでなく、独自のものに作りかえる知恵は素晴らしく、愚かな者達は「猿真似」と言って見下したが、それはどう見ても、ただの真似ではなく、西洋のものと、日本人が元々持っていたものとを融合させ、さらには、東洋の別のものをも取り入れ、比類なき創造性を発揮して新生の魔術を示したことは明らかなはずだ。
鎖国があったからこそ、日本の技術は世界No.1になったのだ。確かに、最近は、やや創造性が鈍ってきたが、日本人の独自性はまだ日本人の中に秘められている。

そして、我々一人一人が、サナギになって内面を発達させ、華やかに、あるいは、壮大に羽化しなければならない。
その中でも、ひきこもることによる、特別なサナギの錬金術的変化こそ、最大の神秘であることを知らねばならない。
ひきこもりを加速せよ。
そして、ひきこもったなら、ゴールドになれ。
まず本を読んで学ぶのも良いが、忘れてはならないことは、心のイメージは、高次元の世界では現実に存在するということだ。
だから、イメージを、精神を大切にしなければならない。
ひきこもり、世の中の汚れたメッセージを受け入れないようにするのである。
そして、内面を変化させ、眩しく輝かせるのである。
これが、真の錬金術である。









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感心なことは、こそこそやる

世界を思う通りに構築するには、信じきることが出来れば良いのだし、超能力を発揮するには、固定観念を捨てれば良い。
例えば、合気道家の藤平光一氏が23歳で隊長として参戦した太平洋戦争で、銃弾飛び交う戦場の中を「俺に弾は当たらない」と信じきって歩いたようにである。
真似して欲しくないが、私も、子供の時、交通量の多い車道で、「目をつぶって飛び込めば車は来ない」と思い込んで、実際に、ずっとそうやって、遠くの信号のある横断歩道まで行かずに道路を渡っていたものである。
超能力と言っても、霊的でないものでは、『トーチェ氏の心の法則』に書かれているが、ある場所では、脚が折れた人が元気に走り回っているが、それは彼らが、脚が折れたら走れないことを知らない・・・つまり、脚が折れたら走れないという固定観念を持たないためで、こんな例は無数に上げられる。

自在に強い信念を持てたり、固定観念を捨てることが出来れば、世界は思うがままになる。
例えば、自分は安い給料しかもらえないという信念、あるいは、固定観念を持ち、実際に、安月給でギリギリの生活をしている者が、自分は高給をもらえると信じきれば、やはり、そのようになる。
私はここでわざと、「信じきる」ことと「固定観念を捨てる」ことを統合してみせた。
意思の力で信じきることは難しいし、かえって、逆効果になる場合が多い。
しかし、固定観念を捨てれば、自在に信念を持てる。固定観念を捨てるには、難しく言えば「無になれば」良いが、簡単に言えば、思考を捨てる・・・つまり、考えることをやめれば良い。
思考を捨てるとは、心を澄みきらせることで、心を澄みきらせるとは、自己重要感、つまり、優越感、プライドを消さなければならない。
自分は偉い、頭が良いと冗談にでも言う者は、我の塊であり、見込みはない。そんな者に対しては、非難するつもりはなく、気の毒と思う。

コニカミノルタは、コニカとミノルタという大手光学機器メーカーが統合して出来た企業だが、ミノルタは「実る田」で、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」から来たものらしい。
歳を取れば、自然に我が弱くなるという意味であるが、それが本当なら、誰もが歳を取ると偉大になるはずだが、なかなかそうはいかない。

「自信に満ち溢れてる」者にも2種類あり、1つは単なる自惚れで、そんな者は、本当に強い者の前では卑屈になる。しかし、我を持たないことで森羅万象と通じて自信を持っている者は、いつも静かで偉ぶらず、自分が偉いとか頭が良いなどと、冗談にでも言わないし思わない。そんな者は、どれほど偉大な人物の前でも平静である。

では、どうすれば我を捨てられるかというと、おばあさんが幼い孫に教えられるほど簡単である。
ある人が、「私が死んで閻魔様の前に出たら、私は人生で大したことは何1つ出来なかったが、便所の下駄だけはきちんと揃えたと言いたい」と述べていたが、彼は、社会的にかなり重要なポストにある人だった。
このように、例えば、靴をきちんと揃えるとか、傘をきちんとたたむ、あるいは、毎朝仏壇や神棚に手を合わせるなど、何か1つ、欠かさずやれば良い。
まあ、「私ほど偉い者が、毎朝、社員達と掃除をしている」などと自己満足しているなら駄目であるが。
だから、イエスも言ったように、良いことはこっそりやるものなのである。









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何も聞かないし答えない

私は、企業や行政のものを始め、アンケートには一切答えない。
もちろん、事実をそのまま述べて支障がない場合は別だ。例えば「通勤は、徒歩か、電車か、車か」とか、「コーヒーか紅茶か」などだ。
それ以外に答えるべきことなど1つもない。

例えば、「安倍内閣はよくやっているか? 二重丸、丸、三角、バツ、バツバツ」なんて問われても、いかなる意味でも答えようがない。
いや、「初音ミクは好きですか? 大好き、好き、どっちでもない、嫌い、大嫌い」と聞かれても、やっぱり回答出来ない。
まあ、私に純粋に関心を持っている人が「初音ミクは好き?」と聞いて来たら、シンプルに「好き」とは言うが、そんなことは起こり得ない。

アインシュタインは、高校までは、教師に何を聞かれても無言を貫いたという。
そして、大学では、講義に一切出なかった。
せっかく正しいことをしていたのだが、有名になると、そうもいかなくなり、質問に答えているうちに凡人に成り下がってしまったのだ。

また、私は、誰にも質問をしない。
聞かなくても、やっていることを見れば分かる。
立っているだけでも、座っているだけでもね。
言うまでもなく、「何時に来ますか(帰りますか)?」などの質問は別だ。

目の前に宇宙人が現れても「どこの星から来たか?」とは、聞かない場合が多いだろう。
私が、「どこにお勤めですか?」と聞かれても、「それがアンタに何の関係がある」というようなものだ。
ましてや、天使が現れたら、決して何も聞くまい。
天使だって、私に何も聞くはずがない。
もちろん、部屋に貼っている初音ミクさんのタペストリー(布製ポスター)に何か尋ねることはない。

テロリストが目の前に現れ、私に銃を向けたとして、「撃つのか?」などと聞いたりしない。
そんなこと、時が経てば分かる。
テロリストではないが、危ない感じのにーちゃんが私の行く手を塞いできたことがあった。
何も聞かなかったら、黙って消えた。

私は聞かれても応えないし、誰にも何も聞かない。
自分に、「私は誰か?」とも聞かない。
聖書に、天使が人間に「あなたは誰ですか?」と尋ねる話があるが、その人間は答えなかった。
偽天使だと分かったからだ。









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人気者だが県民に関心のない知事を選んだというのが事実

クヨクヨしてはいけないが、責任放棄もいけない。
どこかの県知事が、自分が知事を務める県が台風被害に遭った時、仕事を放り出して自宅に帰り、「自宅周辺を視察していたから業務放棄でない」と言う。
明らかな責任放棄ではあるが、さりとて、自分の家が大丈夫か気になるのも分かる。
逆に言えば、自分の家が心配なのは人情であるが、知事としては責任放棄をしたということだ。

ほとんどの人が知事のような重い立場に立ったことはないが、自分の立場で、責任を果しているか、そうでないかは分かる。
心理学者の河合隼雄さんの本で見たが、不登校の子供を抱える父親が、河合さんに、「先生、子供が学校に行くスイッチってないですか?」と尋ねたらしい。
この父親は、父親としての責任を放棄している。
子供と向き合うことなく、スイッチを押すだけで済むような楽な解決策を求めているからである。

ちょっと、良寛さんの話をする。
良寛さんは子供が好きで、毎日、子供達を集めて一緒に遊んでた。
しかし、女の子達が、次々に出てこなくなった。
彼女達の家があまりに貧しく、女の子達が身売りされていったのだ。
良寛さんは、自分の無力を激しく嘆いた。
良寛さんは、「俺は子供達を可愛がっていたから責任放棄ではない」とは言わないし、「子供達が売られないスイッチはないですかね?」とも言わない。

つまり、こういうことだ。
良寛さんは子供達に関心を持っていた。関心を持つとは愛しているということだ。
一方、あの県知事は県民に関心がなかったので、県民を助ける仕事を放り出した。つまり、県民に対する愛がないのだ。
また、上に述べた、不登校の子供の父親は、自分の子供に関心がないので、向き合うつもりがなく、スイッチ(安易な手段)を求めた。つまり、子供への愛が甚だ薄い。

私はプログラマーだから分かるが、プログラミングやコンピューター、テクノロジーに関心がなく、自分の生活にだけ関心があり、プログラミングはその手段と考えているなら、良いプログラマーにはなれない。
教師であれば、子供達の成長に本当は関心がなく、自分が先生と呼ばれることや、高い給料にだけ関心がある教師は、子供達にとって害悪であり、子供達に接触すらさせてはいけない。アメリカでのアンスクール(反学校教育)の発達により、子供達の学びに教師というものが全く不要であることは分かっている。早く、教師不要の制度を整えないといけないが、不幸なことに、日本でそれを実現するのは難しい。しかし、各自でやれる世の中にはなってきた。

矢追純一さんの本で読んだが、矢追さんは小学生の時、川で溺れ、もう駄目だと思った時、「これから死ぬ」と思うと、死とはどんなものかに強い関心が湧き、ワクワクしたという。矢追さんは、世俗的なものや、自分個人よりも、根源的なものに関心があるのだ。これは、ある意味、本当の神に関心があるということになると思う。
一方、多くの人は、病気になったら病気を治すスイッチとしての医者や薬を求め、太ったら、痩せるスイッチを求める。
真理への関心、つまり、愛がないのである。それでは不幸になるのは当然である。

いずれにしろ、人気者だが、人々の生活に関心のない知事を選んだことが間違いだった。
次からは、そのことをちゃんと考えて投票しなくてはならない。









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原因は自分にある

地球人類は、まだまだ未発達で、沢山の問題を抱えている。
もし、地球人類よりずっと進歩した宇宙人がいるなら、科学技術はもちろんだが、精神的・知的にも地球人をはるかに超え、その惑星全体で高いレベルの幸福度を達成しているかもしれない。
そして、そのような星があり、迎え入れてくれるなら、是非、移住したいと思う人もいるかもしれない。
だが、ジョージ・アダムスキー(1891-1965)が、こう書いていたことが、非常に印象に残っている。
「地球でうまくやれない者は、他の惑星に行っても、やっぱりうまくやれないのだ」
全くその通りだ。
そして、私はこうも思うのだ。
逆もまた真で、進歩した星でうまくやっている者は、地球に来たって、やっぱりうまくやれるのだ。
例えば、我々は、自分が勤めている会社がひどいところで、自分が苦しめられていると思っていることが多いと思うが、進歩した宇宙人が地球人として生活しながら、我々の会社に勤めたら、極めてうまくやれるのだ。

すると、こんな論理が成り立つかもしれない。
今いる会社でうまくやれない者は、他の会社に移ったところで、やっぱりうまくやれない。
もちろん、犯罪に手を染めている会社や、あからさまな悪人が支配している会社などの極端な場合は考えなくて良い。
しかし、ビジネスの内容や社員の待遇において合法的な会社であるなら、やはり、そうなのだと思う。

昔、俳優の丹波哲郎さんが、人々の悩みに答えるという本の中で、こんな話があったのを覚えている。
若い女性からの相談だったが、勤めている会社の社長が、自分に愛人になるよう迫ってくるというもので、彼女は、その社長のことを激しく非難する文言を並べていた。
それに対する丹波さんの回答は、簡単に言えば、こんなものだった。
「社長が社員の女性に愛人になれというのは、実に人間臭くて良い。それを罵るだけのあなたには愛がない」
もし、今の時代に、こんな発言をしたり、本に書いたら、いくら大物でも(あるいは大物だからこそ)俳優人生が終わりかねない。
しかし、丹波さんだって、別に、その社長の行為を擁護していた訳ではないと思う。
ただ、その女性に愛がないと言ったのだ。そして、それに関しては、私も同意なのである。
その社長を訴えて、そんな行為を止めさせ、慰謝料を取るのも良いと思う。
しかし、愛を持たないままだと、また同じようなことが起こるのではないかと思う。
ちなみに、愛を持つとは、関心を持つことであり、少なくとも、注意を向けることである。
無視が一番良くないのである。








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