ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

惨めな老人になるな

人生の秘訣とは、つまるところ、たった1つだ。
それは昔、何かのテレビCMで、プログルファーのセベ・バレストロスが、父親に教わったと語っていたことだ。
「何でもいいから好きになれ。好きになったら強くなれ」
これに、われらが初音ミクさんの敬愛すべきお父さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、ある講演会で言われていた、
「何かを続けて下さい。続けるには、好きなことでないといけない。続けるシステムは自分で作らないといけない」
を覚えておくと完璧だ。

要は、自分が好きなことを、自主的にやるってことだけだ。
いつか、NHKの、若い人達を集めて行った討論番組で、甘ったれた男子大学生が、
「僕には夢ってものがないのですね」
と、あたかもそれが社会の責任であるかのように言っていたが、夢や好きなものは、誰も与えてくれないし、親や学校や会社が命じもしないことをやるのを、誰も助けてはくれない。
自分で見つけ、自分で始め、自分で続けるしかない。

好きなものを見つけることが出来なかったり、それに取り組まなかったり、続けることが出来なかった者には、ただ、刺激と安楽を求めるだけの、惨めな人生しかない。
そして、それは何歳からでも初められるとは言うが、実際は、若い時でなければ駄目で、それも、遅くとも25歳までだ。
娯楽や桃色遊戯はやめることだ。
人生、そんなものにうつつを抜かしている暇はない。

ただ、夢を求めていても、人間には現実の生活があり、そのために、不本意なこともしなければならない。
芸術家になりたくても、食べていくためには働かないといけないが、芸術家を目指すような人は、大抵、世間的なことは何も出来ないので、安月給のアゴで使われる仕事に甘んじるしかない。
それも、若いうちはまだいい。
しかし、いい歳になっても、それを続けるのは辛いし、いつまでも芽が出なければ、「一生これで終わり?」という不安が出てきて、それは日増しに強くなる。
だから、若い時から、残り時間は全然ないと認識し、励むことだ。

では、才能がなかったのか、努力が足りなかったのかは分からないが、歳を取って、何の成果も出なかった者はどうする?
無になることだ。
それはそれで味がある。
命を捨てる覚悟をするって?
そんなことは、若いうちにするものだ。
まあ、ヒンズースクワットを毎日200回やれるうちは大丈夫じゃないかな。









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身体の運動に熱意を持つには

痩せているだけでは、美しい身体とは言えない。
痩せてはいても、40代とか50代以上になると、出るべきところが出ておらず、締まるべきところがたるんでいたりで、少しも格好良くない場合が多い。
二十歳そこそこまでなら、過食であったり、かなりぐうたらしていない限りは、特に努力しなくても、美しい体形でいられるものだが、最近は、若いのに、食べ過ぎや運動不足で、言っては悪いが、みっともない身体つきの者が多いように思う。
そして、若くても、やっぱり、痩せているだけでは駄目で、まして、歳をとればさらにそうである。

菜食で少食で、低体重の女性といったら、優雅で美しい想像をするかもしれないが、ただ痩せているだけでは、男もだが、ちっとも魅力的ではないものだ。
男でも女でも、格好良いスタイルの人というのは、むしろ、肉食で運動している人に、圧倒的に多い。

いや、実は私も、10年近く前に、超少食のベジタリアンになり、体重は確かにかなり少なくなり、自分は格好良いと誤解の自己満足をしていたが、実際は格好悪い老人体形になっていたのだ。
結局、美しい身体を作り上げることに成功したのは、タンパク質をたっぷり摂り、そして、毎日、しっかり運動することを数年続けてからだった。
大食や美食はいけないが、ある程度は十分に食べ、美味しいものも食べた方が良い。

かといって私は、アンチ炭水化物派ではない。
確かに、毎日、ラーメンやうどんを腹一杯食べるなど、もっての外だし、10代ならともかく、ご飯を何倍もお代わりするのは・・・まあ、馬鹿であると思う。
ちなみに私は、食事の時に、米やパンは食べないし、ラーメンやうどん、あるいは、パスタなど麺類も、今は、ほとんど食べない。
ただ、甘いものは大好きなので、ケーキ、チョコレート、饅頭などは十分食べるが、それでも、一度に食べるのは、ケーキや饅頭は1つ、チョコレートなら1粒か2粒である。
それでも、実際は、甘いものを食べ過ぎてしまうこともあるが、毎日トレーニングをしているので、太る心配はない。
でも、初代タイガーマスクのように、現役の時(今も現役かもしれないが)、超人と言うしかない運動をしているほどの人でも、彼は「ヨウカンをポッキーのごとく食べて」いたらしく、ひどく肥満していた。
プロレスラーには肥満型は珍しくはないが、さすがにサッカー選手には見当たらなくても、野球選手なら、巨人の阿部選手のように、かなり太ってる選手もいる。しかし、その阿部選手だって、常人に真似の出来ない練習をしているはずだから、やはり食べ過ぎなのだろうし、少々運動しても、食べ過ぎると、すらりとした美しい身体にはなれないことがよく分かるのである。

よく、ネット上で、「1日1分ですっきり痩せる」などというのをよく見るが、そのサイト全体から、胡散臭さ、厭らしさが滲み出ているように、私には感じられる。
かと言って、「根性でがんがん運動しろ」と言うやつは、やっぱり馬鹿なんだろうなあと思う。
ある程度の年齢になれば、運動する人は過剰に運動し、しない人は全くしないという極端に分かれるように思う。そして、後者が圧倒的に多いだろう。
私が、最低限、これだけはやって欲しいと思う運動がある。
・腕振り運動・・・後ろに振る時に力を入れる振り方と、前に振る時に力を入れる振り方、それぞれ200回。
・スクワット・・・30~100回。それ以上が望ましい。
これなら、場所も道具も要らず、それこそ、牢獄の中でも出来る。
もしやるなら、1年365日、よほどのことがない限り、毎日やることが大切と思う。

ところで私は、武術を編み出し、それを熱心にやっている。
全くの実用的な武術だが、組み手(練習試合)などやらない。危な過ぎて出来ないのだ。
試合のための武術ではなく、絶対に身を守るための実戦武術で、組み手で攻撃しても、相手に大怪我をさせてしまう。
一生、実際に使わなければ、それに越したことはないが、いざ使えば、恐ろしい武器である。
何と言っても、まずこの武術を作る時に研究したのは、あらゆる格闘技の「禁じ手」だったのだから。
まっとうな格闘技、武道の禁じ手にこそ、本物の武術がある。私はそう思っている。
プリズナートレーニングなども一部取り入れてはいるが、あまり筋トレはしない。
武術に相応しい筋肉は、武術の練習でつくからである。
私のは私のやり方だが、自分のテーマを見つければ、毎日、楽しく、熱心にトレーニングが出来る。
これは大事なことである。









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偉大な人とは

人間が強く、自由に生きるために、一番大切なものは自信だ。
自信があれば、目標は達成出来る。
ただしそれは、冷静な自信でなくてはならない。
自分は虎と戦って勝てると自信を持っているつもりでも、実際に虎と戦えば、すぐに圧倒的な実力差に自身を失い、そして、簡単に殺される。
だが、虎の実力を味わいながら、最後には勝てるという自信があれば勝てる。
私が昔読んだ、パラマハンサ・ヨガナンダの自伝で、タイガー・ババという、虎を素手で倒す聖者が登場するが、彼が、「人々は冷静な自信が欠けている」と言うのが印象的だった。
その通りだと魂で感じたからだ。

可愛い女の子がいて、恋人にしたいと願っても、自分が彼女の彼氏として相応しいという自信がなければ、当然、叶わない。
だが、冷静な自信があれば、彼女は君のものだ。

では、ここが肝心だということは誰でも分かると思うが、どうすれば自信が得られるかだ。

自信について、人々は大きな勘違いをしている。
自信というのは、あるかないかではない。
自信がない人はいないし、完璧な自信を持った人もいない。
正しくは、自信とは、大きいか小さいかである。強いか弱いかと言っても良い。
自信は、大きくしていくべきものだ。

どんなことでも、それを達成したら自分を誉めれば、自信が少し大きくなる。
ただし、その成功を過大評価したり、自慢しないことだ。
多くの人は、せっかくの成功体験をしても、その体験でむしろ自分を制限し、制限の外に挑もうとしなくなるのは、その成功にいつまでもこだわり、自慢をするからだ。
せっかく金メダルを取って自信を持っても、「俺は金メダリストだ」と思い続ければ、もう何も出来なくなり、実際の自信は失くなってしまう。
だから、賢い人は、成功したら、そこから離れるのである。

肥満していたのが、食を慎み、すらりとした身体になったら、「よくやった」と思って自信を持てば良い。
だが、少食にこだわり、自慢までしたら、やせ細り、心もおかしくなり、ただのおかしな老人になってしまう。
かといって、リバウンドして再び太ったら、完全に自信を失くす。
少食を続けることは苦しいが、適度でいいから、黙って食を慎しみ続ければ、自信を増していく。
そうだ。
自信を持っている人というのは、何かを、自分を励ましながら、決して自慢せず、ただ、黙々と続けている人だ。

毎日、自信を少しずつ育てることだ。
自信を、時間をかけて大きく育てた人を、人々は敬う。
なぜなら、そんな人は静かだからだ。
静かさこそ本当の強さである。









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時は来た

不幸の原因は力がないことである。
愛の不足ではない。
幸福の要因は愛である。
力があっても幸福にはなれない。

まずは、不幸を追い払うために力を得なければならない。
その後で、愛を得て幸福になれば良い。
力がないまま、愛を得て幸福になっても、その幸福はすぐに壊れる。
逆に、不幸を恐れるあまり、力ばかり求めて愛をないがしろにしたら、自分が力に閉じ込められてしまうのだ。

ある成功者から、『バガヴァッド・ギーター』を100回読んだと聞いたことがある。
こう言うと、「私も100回読みます」「私も100回読みました」と言う者がいるが、これは相当勘違いしている者達である。
成功した後で、ついでの話として言っていただければ良いのである。
一番悲しいのが、「私も100回読みたいです」だ。
それでは何度生まれ変わっても駄目である。
黙って100回読めである。

ある刑務所に入れられていた男が、刑務所で『法華経』を毎日読み、出所後、まっとうな社会人になり、企業の重役になった。
彼は、後に、『法華経』が、大したことはないが自分の成功の要因と言った。
彼だって、別に隠してはいなかったが、自分が法華経を読んでいることは、わざわざ人に言ったりしなかった。

北海道では、「SNOW MIKU 2018」開催中だ。
ataruさんや厚志さんが、これに参加することをコメントで教えてくれた。
そのコメントを読んでいると、自分が行くかのように楽しくなる。本当に嬉しいし、ありがたい。
私も来年は行きたい。
雪ミク電車も乗りたい。
そこで、来年は、会社勤めする必要のない優雅な身分になり、ゆっくり楽しめるようにしよう。
今は忙し過ぎて余裕がない。
達成する自信はたっぷりである。
時は来た。断固やる。
何なら、もう、北海道に住もうかなとも思う。
『魔法使いの嫁』のエリアスのイングランドの田舎の家のような素敵な家を北海道に建ててね。
そして、俺の嫁はマジカルミクってね。









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意思を使えば状況はたちまち変わる

なかなか願いが叶わず、明るい兆しも見えずに、あせりや苛立ちが募ることもある。
努力しているのに報われず、がんばっているのに成果が出ず、不遇な状況や不本意な立場に甘んじている人も多いだろう。
だが、生きている限り、失敗はしていない。
諦めない限りは。
20代も前半で大成功する人もあれば、そんな人を羨みながら、ひょっとしたら、かなりの年齢まで・・・それこそ、50歳とか60歳まで、あるいは、それ以上辛い人生が続くかもしれないが、そこから逆転することだってあるし、その方が人生の満足度は高くなる。
希望を捨てず、自分を信じることだ。
そして、自分とは信じるに値するものだ。
観世音菩薩として象徴される清らかな精神は、間違いなくあなたを信じている。
これは、人間の知性で捉えることが出来ないので、こんなふうに宗教的に言うしかなくなるが、そのような高貴な精神が自分の中にあることが分かれば、即座に状況は変わる。
だが、神や仏にすがるだけでは駄目である。
人間は、自分の意志を使うことで、人生を支配するように出来ているのだと思う。
今の辛い状況、惨めな環境は、ごく若い間なら宿命なのかもしれないが、ある程度の年齢になれば、全て自分の責任だ。
自分の意志を使わなかった責任である。
自分の意志を使えば、ビル・ゲイツにはなかかなれなくても、まず人に負けることはない。
見も知らぬ人や、自分より弱い人に親切にするって良いことでね。
なぜなら、それは自分の意志を使わないと出来ないことだからだ。
つまり、下心なく親切にするってうのは、自分の意志を使うってことで、それが自然に、成功のための訓練にもなる。
嫌な相手に頭を下げ、自分が優れていてもあえて謙虚になり、放埓(勝手気まま)に振舞いたい気持ちを抑え、あえて自分に制約をかけるのは、意思の力だ。
自分の意志を自由自在に使えるようになれば、もはや何でも出来る。
『法華経』の第25章の『観音経』は、おそらく、そんなことを比喩的に描いているのだが、真意が分かれば、もう書いてあるそのままなのである。
流されるままなのが、自分の意志を使わない普通の人だ。
だが、あえて、少し斜めに泳いだり、時には、流れに逆らって泳ぐのは、自分の意志があってこそである。
毎日、スクワットを100回すると決めたら、少々疲れていても、気分が落ち込んでいてもやるのが自分の意志で、それが続かないのは、自分の意志がないからだ。
「断固やる」というのが自分の意志である。
そして、面白いことに、「断固やる」と思うのも自分の意志である。意思を使えない者は、そんなこと思わないものだからね。
「断固やる」を覚えていれば、状況はたちまち変わるはずである。
さて、私は「断固やる」と決めた。









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