ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

本当の悲劇とは

イエスは、「願い事はすでに叶ったと思え。そうすれば叶う」と言った。
リチャード・ハアネルなど、優れた指導者達が、この言葉を秘訣として教えた。
だが、イエスは言い忘れていたのだ。
いや・・・きっと福音書作者がうっかり肝心なことを書き忘れたのだ。
「願いが叶っても悲劇が起こらないなら(願いが叶う)」
ということを。

「あたし、面倒な仕事は嫌なの。私は女優になるの」
などという、甘ったれたガキの願いが叶うと悲劇だ。
誰よりも本人にとって。
だから、我々には想像も出来ず、想像すべきでもない神の特別な意図がなければ、この願いは叶わない。

無能唱元さんの何かの本で読んだ気がするが、道元は、
「好色な男は、案外に良い女を得るものだ」
と言ったらしい。
これも同様で、悲劇が起こらないなら叶うだけのことだ。
好色な男の邪まな願いは叶わないか、叶っても、それなりの悲劇になるのは明らかである。

では、悲劇はなぜ起こるのだろう。
その理由はただ1つで傲慢になること・・・言い換えれば、謙虚でなくなることだ。
だから老子は「曲則全」(屈すれば幸せ)と言ったのだ。
昔の古い映画で、幼い男の子が、高いマンションから飛び降りても、天使が支えてくれて無事に済むと思い、飛び降りようとするが、母親に阻止される。
この男の子の願いが叶わないのかというと、叶わないことはない。
だが、叶うと、この男の子は、
「僕は特別。いつも天使が助けてくれる」
と自惚れ、謙虚でなくなるといいう、最大の悲劇を背負ってしまうだろう。
本当の悲劇とは、謙虚でなくなること・・・身の程を忘れることなのだ。
言い換えれば、最大の幸福とは、身の程を知ることなのである。

よって、イエスの言葉は、こう覚えておくと無敵である。
「願いがあれば、すでに叶ったと思え。そうすれば、謙虚でいられる限り、必ず叶う」
ラマナ・マハルシも言ったものである。
「謙遜を忘れなければ、全てうまくいくだろう」









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最強のひきこもり思考

日本は鎖国によって世界からひきこもることで最高の文化を熟成したのである。
江戸文化を調べれば調べるほど、その質の高さには驚くべきことばかりであるという。
なるほど確かに、鎖国によって、技術面で遅れ、大規模な事業のための資本主義が導入されなかった。
しかし、西洋の技術によってもたらされた戦争道具の導入に狂奔していれば、日本人の精神は大雑把で乱暴なものになっていたし、細かなものの中に美や真理を発見する感性や直観の力が、ここまで高まることはなかった。
そもそも、鎖国していなかったら、結果として、日本は西洋の列強の属国になるか、海に囲まれているおかげでそこまでいかなくても、日本らしさは育まれなかった。
ひきこもることで、日本は独自の、そして、至高の文化、精神を得た。
だが、ご存知のように、明治維新と第二次世界大戦の敗戦により、日本は西洋の文化を押し付けられた。
しかし、日本の心が死滅したのではない。
明治時代、西洋人は、日本では庶民が花を買うことに驚愕した。それは、西洋では富豪の趣味でしかなかったからだ。
合理的には役に立たないこと、『星の王子さま』の「見えないが本当に大切なこと」を、日本人は知っているのである。
第二次世界大戦敗戦による欧米化は、確かに、日本人の精神に大打撃を与えた。
しかし、西洋の良さを吸収しつつ、日本人の心の奥底には大切なものが残った。
だから、日本で初音ミクさんが生まれた。
人形浄瑠璃に見られる、物に心があると感じるのは、物に神が宿ることを知る日本人の感覚であるが、それは今も日本人の中に生きている。
それが、能や歌舞伎といったキャラクター文化になったのだが、これらは今でも人気があり、ミクさんも歌舞伎に出演している。
作者が大袈裟に著作権を主張せず、一定の条件の下で他者に解放する「クリエイティブ・コモンズ」という考え方は、そもそも、日本の連歌そのものであるが、クリエイティブ・コモンズを味方につけて成長した世界でも稀有な例が初音ミクさんなのである。

個人においても、ひきこもっていた時に、外部との接触を制限することで育てた個性は、実は、恐るべき力になる。
ゲームばかりしていても、それは、自分だけの力を育てていたのである。
あるいは、音楽や文学や漫画、アニメ、武道、絵画やイラスト、工芸、哲学、思想、神秘主義、科学に励んでいた人もいるだろう。
『山月記』にあるように、確かに、他者と競い、世間の評価を求めることの意義は大きい。
しかし、それ以前に、自分を信用し、個性を磨かなくてはならない。
それに、鎖国時代だって、日本も多少は世界と交流したのだが、今の時代は、いかにひきこもっても、ネットで少しは世の中が分かる。
そして、ひきこもった時に得た知恵と力を信頼して、世の中に出て行かなくてはならない。
いかに、ひきこもって個性的な知恵と力を得たとしても、実戦で磨かなくてはうまく機能しない。
だが、使いさえすれば、威力が発揮されるのである。
けれども、やはり、使わなくてはならないのだ。

日本文化は、初音ミクさんに極まった。
ミクさんは世界のお手本であるが、その一番のものは、「みんなのおかげで私がいる」という、ミクさんの謙虚な姿勢である。
それが、 Anamanaguchiの楽曲『Miku』の中によく表れているのは、西洋でも東洋でも、真理は1つであることを示している。









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ひきこもりは勝ったも同然である

宮本武蔵は、道場で剣を学んだことはあったのだろうが、戦や決闘といった実戦で強くなったのは疑いない。
彼が、ずっと道場で修業していられる身分だったら、さしたる剣士にはならなかっただろう。
『荘子』にも、ある特別な人間がいて、「なぜそのようになれたのか?」と聞いたら、「まずは本を読んだ」と言う。何度も繰り返し読んだと。
しかし、それを実戦で試したと言う。

力士がデビュー戦でいきなり横綱、大関と対戦したりしないように、人間の人生における戦いの場でも、何者かが(神か神の配下)ちゃんとマネージメントしていて、力量に見合った相手しか現れないものである。
たとえ桁外れに強く見えても、戦いを避けられないなら、勝てる相手なのだろう。
ひきこもってゲームばかりしていても、ゲームから戦い方を学んだはずである。
それを社会の実戦の場で試せば良いだけだ。
よくは分からないが、ドワンゴの川上量生会長(カドカワの社長)も、ゲームが経営に役に立ったといったことはよく言われていると思う。
もっとも、彼の場合、デジタルゲームとボードゲーム(将棋やチェスなど)の両方から学んだようだ。

ロバート・フルガムの『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という有名な本があるが、タイトルから見る限り(私は読んでいない)、幼稚園の砂場で何か人生の秘訣のようなものを学んだのだろうが、やはりそれを社会で試したので、力を得たのだろう。
もちろん、学び方はいろいろで、人それぞれであり、誰もが幼稚園の砂場で学ぶ必要はない。
ひきこもりはゲームや本(たとえラノベや漫画でも)などから学ぶだろう。

初めて車を買ったら、用がなくても運転したくて仕方がないものだ。
また、喩えは悪いが、光線銃を持てば、戦いたくて仕方がなくなるだろう。
幼稚園の砂場や、ゲームや本、その他、自分が手に入れた知恵という光線銃を持って戦いの場に赴かなくてはならない。
その意味、どんな積極的、外交的な人間でも、ひきこもって学ぶ期間は必要である。
だから、ひきこもりは、最初から勝ったようなものである。









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不自然で下品な気配り、自然で高貴な気配り

鈴木健二さんの『気くばりのすすめ』なんていう有名な本があるが、他にも気配りの仕方を書いた本は非常に多い。
気配りは、思いやりと同じようなものだろう。
しかし、気配りや思いやりなんてものは、「こうやってする」という公式に従ってやるものじゃない。
昔、NHKからつま弾きにされた竹村健一さんは、おそらく、その本が大嫌いで(鈴木健二は元NHKアナウンサーで、竹村さんは鈴木さんと何かあったようだ)、著書の中で、「気を使うな。頭を使え」といったことを書かれていた。
私も鈴木さんのドヤ顔は好きでない。

わざとやられる気配り、思いやりほど迷惑なものはない。
昔、仏教学者のひろさちやさんが著書に、「小さな親切、大きなお世話」と書かれていたのも、ちょっと似たところがあるのかなと思う。
小さな親切というのは、理屈の親切、公式的な親切、見栄の親切だ。
H.G.ウェルズの『ダイヤモンド製造家』という短編小説の中で、金に困窮していた男が、女達に見せ付けるために自分に金を恵んでくれた男に対し、「見栄も有り難いものだ」と思う場面があるが、そんな露骨な見栄はまだ良い。
しかし、「私は善人です」という自己満足でやる、小善人の小さな親切は、まこと、大きなお世話のものが多い。

ところが、体裁だけの気配りをする人がまともに見えるほど、全く気配りをしない者が蔓延している。
それが、スマートフォンを見ながら歩く人、電車の中でも、ずっとスマートフォンを見続けているような者達だ。
急いでいる人もいる狭い階段で、スマートフォンを見ながら、ど真ん中をノロノロ歩く。
スマートフォンにしか気がいかず、電車の中で、他人にバッグを押し付けても、全く何も感じていない。
センサーが付いているロボットの方がまだマシという、とんでもない生き物が、いつのまにか膨大に繁殖しているが、ヒアリとどちらが危険だろう?
ヒアリは人類を脅かすほどではないが、これら「気を持たない」者達は、一定数を越えると、間違いなく、人類を終わらせるだろう。

気配りは、公式でやるものじゃない。
経験で身につけるしかない。
まず、自分が気を配ってもらえずに辛い思いをする。
しかし、それだけでは、「では私は気を配る人になろう」とはなかなか思えない。
だが、さりげなく、自然に気を配ってもらった時に何かを感じ、自分も勝手に気を配るようになるのである。
あるいは、自分に対するものでなくても、自然で高貴な気配りを見た時に、やはり何かを感じることが出来ればそうなる。
鏡音リンちゃん、レン君の『リモコン』の一番最後のリンちゃんの「あの子みたいな人になりたい」というのが印象的に思う人は、ある程度、それに成功しているのだろう。
「気配りのすすめ」とかいう公式的な、下品で不自然な気配りを見ても、精神は覚醒しない。

人間は、弱い立場で頭を叩かれる経験が必要だ。
そして、どんな上流家庭に生まれたところで、そんな機会は必ず持つことになる。
ただ、家が金持ちだったり、頭が良かったり、容姿が優れていると、若いうちに、あまりそんな経験をせずに過ごすかもしれない。
そんな人は、歳を取ってから、ようやく、本当に人間を磨くための、そんな状況が巡ってくるが、それはいささか辛いかもしれない。
だから、金持ちであっても、子供を甘やかしてはならない。
そして、ひきこもりは、ひきこもっている間は、やっぱり、必要な経験を得られない。
だから、小さなバイト、コンサート、レストラン、スポーツ観戦・・・何でもいいから、なるべく外に出掛けることだ。
どこかのベンチャー企業が、「ひきこもりを加速する」をキャッチコピーに、バーチャルでコンサートに参加するようなテクノロジーを開発しているそうだが、私の考えでは、それは人類を滅ぼす。
私は、ミクさんのコンサートは、長時間かけてでも、コンサート会場に行きたいと思う。
ちなみに、昨日は、「マジカルミライ2017」のチケット入手のための抽選で6連敗となった。
抽選でのチャンスは後2回。
ミクさんへの愛が試される・・・いや、私はミクさんへの愛で出来ているのだし、そもそも、ミクさんの他に何もない。ただミクさんだけが在るのである。









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なぜ楽があれば苦があり、苦があれば楽があるのか

順風満帆な生活を送っている中で、さらに良いことが次々に起こるということはない。
それよりも、辛く苦しい日々に耐えていると、暁が闇を染めるように世界が変わるのである。
それは、ペローやグリムの童話の『サンドリヨン(シンデレラ)』のようである。
逆に、幸せであった赤ずきんは狼に食べられてしまう。

富と権力を持つ親が、子供からあらゆる不幸を除くと、その子は最悪の状態になる。
苦しみのない人生など存在しない。
だから、賢い親は子に教えるのである。
「楽をするな」と。
「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」とは、うまいことを言ったものだ。

苦を避け続け、それがうまくいってしまうと、まとめて苦がどかんとやってくる。
だから、日々の小さな苦を喜ぶべきである。
人に不快な目に遭わされたら、「よし、これで良くなる」と思わなければならない。
誰かが、「悪いことは良いこと」と言ったが、これこそ宇宙の真理である。
寝違えて首が痛いのだって、嘆いてなどおらず、「この程度で、災厄を免れた」と喜ばなければならない。

一人の人間にとって、良いと思えることと、悪いと思えることは、逆のエネルギーの流れだ。
また、それは、企業や国にとっても同じことだ。
エネルギーは循環するのであり、一方の流れだけではあり得ない。
苦しみによく耐えることで、マイナスエネルギーをスムースに流し続ければ、大きなプラスのエネルギーがやってくる。
悲しみの中で顔を上げ微笑むことは、悪いことも受け入れたということであり、この世が陰と陽の循環であると知る賢い者であることを示しているのである。
そんな者は、忍耐を育て、涼しい顔で逆境を跳ね返しながら、大きな力を得るだろう。

暁に染まってく 星空のように
哀しみが苦しみが消える
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌唱:初音ミク)より~
[60fps Full風] FREELY TOMORROW - Hatsune Miku 初音ミク Project DIVA English lyrics Romaji subtitles -YouTube-









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