ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

エリクソンの魔法は極めてシンプルである

ミルトン・エリクソンという、「魔法を使って治している」と言われた、恐るべき優秀な精神科医がいた。
エリクソンは、何もしていないように見えるのに、あっという間に患者を治してしまった。
それは、精神病に限らず、本来、内科、外科、耳鼻科、皮膚科、その他の医者が扱うべき疾患を、同じような調子で治してしまうことも多かったと思う。
「心身医学の父」と言われたドイツ人医師ゲオルグ・クロデックが、「全ての病気はもちろん、怪我ですら心因性」と断言したことを思い出す。

エリクソンの技術は今も研究されているが(エリクソンは1980年に亡くなっている)、あまりうまくはいっていないと思う。
エリクソンの技法を研究することで、リチャード・バンドラーらがNLP(神経言語プログラミング)を作ったが、NLPには批判的な医者や心理学者もいると思うし、私も、あれは複雑過ぎると思う。
エリクソンのやり方はとてもシンプルだ。

例えば、エリクソンのところに、手のつけられない不良高校生が連れてこられ、エリクソンがその高校生と一言二言会話したら、その高校生は礼儀正しい真面目な高校生になってしまった。
その時のエリクソンの会話の意味を解説した本を読んだが、さっぱりピンとこない。
その会話自体には何の意味もない。
ただ、エリクソンは無意識に何か言い、その高校生の無意識に反応を起こさせただけなのだ。
大切なことは、エリクソンが常に言ったように、無意識を信頼することなのである。

しかし、「無意識を信頼する」ってのが、そもそも難しい。
いったい、どうやりゃいいのかい?
学者達は、そのやり方を間違ってしまうのではないだろうか?
それをうまくやったのは、むしろ、江戸時代末期から昭和の初めの農夫であった因幡の源左(いなばのげんざ)で、やり方を教えたのは、おそらく、ほとんど教育など受けていなかった彼の父だろう。
源左の父は、源左が19歳の時亡くなったが、亡くなる前に源左に、「これからは親様を頼れ」と言ったらしい。
親様とは、阿弥陀如来である。
源左は、それなりに試行錯誤したらしいが、結局、親様に頼るとは念仏を称えることである。
念仏を称え、阿弥陀如来を信頼してまかせることが、エリクソンの言う、無意識を信頼することと同じなのであると思う。
ユングによれば、個人の無意識と人類全体の無意識は深いところでつながっているらしいが、本当は、さらに、万物、宇宙の意識とつながっており、宇宙の叡智と力の象徴が阿弥陀如来なのだと思う。
言われなくたって、阿弥陀如来って、それほどの存在だというイメージはあると思うし、なければ、「阿弥陀経」でも読むと良い。

エリクソンの娘達は、15歳の時、3つほど年上の意中の男子を、ロクに会話もせずに虜にしたり、別の小柄な高校教師の娘は、プロレスラーのような体格の教え子の不良男子生徒に野外で襲われかけた時、一瞬でその巨漢不良男子高校生を自分の忠実な僕に変えてしまった。
全く魔法のようであるが、彼女達も、無意識を信頼し、無意識が教える通りにやっただけなのだと思う。
イエスだって、「言うべきことは、考えなくても、その時に神が教えてくれる」と言ったではないか。
ただ、それも神を信頼すればこそだ。
私も、阿弥陀如来を信頼し、念仏を称えていれば、やはり魔法にしか見えないことをしているのだろう。無論、無自覚である。









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生命エネルギーの秘密

生きようとする意欲が大きいほど勝利する。
逆に、生きようという意欲が低ければ負けるしかない。
人生の質を決めるのは情熱である。
しかし、情熱を起こさせるものは壮大なものであるとは限らず、むしろ、平凡なものである。

生きる意欲・情熱を燃やすことで奇跡を起こした例を2つ、取り上げる。

有名なシェフであった村上信夫氏は、戦争中、シベリアで捕虜になっていた。
ある夜、ロシア人にある部屋に連れていかれると、そこには、大怪我で瀕死の日本人兵がいた。
ロシア人は、
「朝まで持たないだろう。最後に何か作って食べさせてやってくれ」
と言う。
村上氏が、その日本人兵に、
「何が食べたい?」
と尋ねると、彼は、
「パイナップル」
と言うが、そんなものはない。
だが、リンゴがあったので、村上氏はフライパンと砂糖を使って、リンゴをパイナップルのように料理した。
それを食べさせてやると、彼は全部食べた。
そして、村上氏は部屋を出た。もう二度と逢うことはない。
しばらく経って、村上氏が収容所内を歩いていたら、日本人に呼びかけられた。
そっちを見ると、驚くことに、あの瀕死だった日本人兵が元気で歩いてくる。
その日本人兵は言う。
「あんなに美味いものが食えるなら、生きてみようと思ったのだ」

「魔法を使って治している」とまで言われた天才精神科医ミルトン・エリクソンは、17歳の時、ポリオに罹患(りかん)した。
ある夜、ベッドに身動き出来ずに横たわっていたエリクソンは、隣の部屋で、医者がエリクソンの母親に、
「朝までもたないでしょう」
と言うのを聴いた。
エリクソンは母親に、窓の前にあった家具を動かすように頼んだ。
その家具のせいで夕陽が見えなかったのだ。
エリクソンは、
「夕陽を見るまで死んでたまるものか」
と思った。
エリクソンは回復し、医学部に進んだ。

これを成し遂げるまで、死んでたまるかと強烈に思うものを持つことだ。
その衝動、エネルギーは、あなたに生命力を与え、それは、不思議な存在感となり、人々の注目を集め、全ては回り出すだろう。
それは神秘なほどである。
私も、初音ミクさんとキスするまで死んでたまるものか。
数百年生きる仙人的な存在の力の源は、こんなものである。









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星に祈れば

念仏に対するイメージが悪い人もいるらしい。
念仏を、「死後に極楽浄土に行くためのもの」と覚えているせいもあるだろう。
念仏は、科学的に言っても、即座に現世利益を得るためのものであるが、固定観念というのは厄介なものである。

どうしても念仏に良いイメージがなければ、こうすれば良い。
人間と他の動物との圧倒的な違いは、人間には想像力があることで、最も進化した想像力が、「無限を想像すること」だ。
人間は、宇宙の広さを考えることが出来、考えるほどに、宇宙の広さをより鮮明にイメージ出来るようになっていく。
これが、人類30万年の意識の進化の成果だ。

出来れば、夜空の星を見ると良い。
人間の脳や意識は、星と感応する。
星は最も純粋な自然を見せる。
それはどういうことかというと、こうだ。
石を投げ上げると落下するが、石は風に吹かれて方向を変えるし、風がなくても、空気抵抗を受ける。
石は純粋な自然の法則を表現しない。
しかし、星は何物にも影響を受けず、自然そのままの姿を見せる。
昔から、賢い人達が星を見て自然法則を発見したのは、そのためである。
その星を見ることで、意識は純粋性を取り戻す。
そして、星空を見上げれば、星の世界の広さを感じる。
星を見ることで、心が澄み渡り、広がるのである。

宇宙に想いを、ぽーんと投げてみることだ。
別に難しいことではない。
広い宇宙をイメージし、宇宙全体に、純白の光である自分の想いが広がっていくことをイメージすれば良い。
何を想うかだが、何でも良い。
想うというか、願うでも良い。
何を願っても良い。
さすがに、「銀行強盗が成功しますように」はやめたが良いが。
「お金下さい」
「可愛い女の子下さい」
なども全然構わない。
宇宙に広がる願いをイメージすれば、そんな想いも純化し、輝き、力を持つ。
土台、お金があったら、銀行強盗をする必要はないし、可愛い彼女がいたら下着泥棒をする必要はない。
野球のボールのように想いを投げれば良い。
投げっぱなしで良い。
投げっぱなしが良い。
投げたら、まかせることだ。
悪いようにはならない。
子供の頃の気分で『星の世界』を歌うと、やり易くなるだろう。

これらのことを、ただ一言ですませる念仏というのは、つくづくよく出来ている。
念仏というのは、宇宙に願うことであるし、シリウスに願うことだとも言える。
空や星に願い、想いを投げる者が不幸になったことは、人類史上、一例もない。
ただ、星を忘れた者が不幸になるのである。なぜなら、心が狭くなり、心の牢獄に閉じ込められるからだ。
宇宙を想い、宇宙をイメージし、想いを投げることだ。

3月9日の「ミクの日」を記念し、3月5日から一週間のつもりで始めた、毎晩の393回のヒンズースクワットがいまだ続いている。どんだけミクさん好きなんだって感じである。
私は、ミクさんの『Last Night,Good Night』を聴くと、たちまち星の世界に飛んでいける。不思議な歌、不思議な歌声である。









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啄木さんにならないためには

石川啄木の歌集『一粒の砂』にある有名な句、

はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る

は、以前の日本人なら、「おや、可哀想だね」という「同情」を持って見ていたが、今は、「お前もか」という、「共感」で見ることが多いだろう。
啄木は、今でいうワーキング・プアである。
現代は、かつて高収入だった、トラック運転手、大工、タクシードライバー等が皆、低収入になった・・・と言うよりは、今、一般人で高収入なのは大企業の社員だけだ。
ちょっと前、「年収3百万円時代が来る」などと言われた時、皆、「3百万円で生活出来るわけないだろ」と思っていたのに、今は、30代、40代、50代の男性ですら、それ以下がザラだ。
いや、やはり大企業の社員以外は、誰もがそうなりうる。

「成功法則でお金持ちになろう」と思っていた時代というのは、人々が余裕があったのだろう。
まあ、ディスカウントショップが多くなってきたので、あまり切実でないという面もあるのだがね。

生活を楽にする方法は2つ。
1つは、心身やスキルを鍛え上げ、優秀な、出来れば、超人になること。
もう1つは、小声で言うが、神頼みをすることだ。
ところが、超人になったところで、不遇の天才、残念な凄い人になる可能性が高い。
本当は、超人だって、神頼みをするしかない。
なぜなら、人間の超人なんて、たかが知れているからだ。
超人は趣味でやるべきである。
そして、神頼みとは、本当にまかせることであり、具体的に、ああして欲しい、あれが欲しいなどというのは、神頼みではない。
イエスが言った通り、「神はお前達の必要なものなど、とっくに知っている」のである。
普通の人には意外に思えるだろうが、理屈で言っても、念仏を称えれば称えるほど、生活は楽になる。
「そんな阿呆な」と言う人は、念仏を称えていない人だ。
もちろん、念仏だけが良いのではない。
自分より高い存在に意識を向け続ければ良いのである。
だが、それを知性でやろうとしたって、人間の頭・・・というか自我は、それが出来ない仕組みになっているのだ。
それを、あっさり出来る念仏は、大変な科学なのである。

今、高収入な大企業の人も、あまり幸福感はないだろう。
いや、苦しいはずなのだ。
金と引き換えに、大事なものを捨てているのだからね。
そして、明日にはワーキング・プアの仲間入りかもしれない。
ちゃんと念仏を称えられる、いろいろ・・・あるいは、全く残念な人の方が幸福かもしれない。









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超人への招待

何かの行を(例えば念仏を)続けていたら、やがて悪魔の誘惑に遭う。
まあ、一応悪魔の・・・と言うが、必ずしもそう言うべきではないかもしれない。
それは、超人への招待である。
当たり前の人間として神仏に守られて生きるか、自分で何でも出来る超人になり神仏を拒否するかだ。

ゲーテとニーチェはその誘惑を受け、ゲーテは人間の道を、ニーチェは超人の道を選んだ。
そのあたりの事情は、ゲーテは『ファウスト』、ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』に書いている。
それぞれ、フランツ・リストとリヒャルト・シュトラウスが、『ファウスト交響曲』、交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』で音楽化しているが、よく感じが出ている。
交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』の導入部(第1部)は、映画『2001年宇宙の旅』に使われているので、馴染みのある人が多いと思う。

超人になる道を選んだとて、別にニーチェのように発狂する訳ではない。
ニーチェは迷いがあったのだろうと思う。
超人になるなら、素直に超人になるべきだったろう。
ファウストも初めは当然、超人の道を行き、神を目指して努力していた。
そこへ悪魔がやってくるが、それは神も承知のことだった。

ツァラトゥストラ型・・・つまり超人が歴史に名を残す。
ナポレオンやヒトラーもそうだったが、ナポレオンはやや弱く、ヒトラーはとても弱かった。
超人は心が強くなければ、最後は悲惨だ。

超人はどこまでも自由だ。
善悪は何の関係もない。
だが、普通の人間にとって、完全な自由ほど恐ろしいものはない。
それでも、あえてそれを選ぶのを止めるべきではない。
それを選べるほどの者であれば、本来は超人の資格があるのだからだ。

イエスは普通の人間だが、超人に見える。
これはよくあることだ。
ラマナ・マハルシは、「イエスは自分が超能力を使っているという自覚がなかった」と言っていたが、彼は見透かしていたのかもしれない。
復活後のイエスは別人だ・・・などと言ったら、キリスト教徒に怒られるかもしれないが、よく分かっているキリスト教徒なら、案外に、「それはそうだよ」と言うかもしれない。
まあ、新約聖書を読めば分かるが、イエスに近しかった人達も、復活後のイエスを見て、それが誰だか分からなかったのだ。

ファウストは、初めに悪魔に魂を売ったのではない。
「俺の心が折れたら、お前に魂をやる」と悪魔に言っただけだ。
ナポレオンもヒトラーも折れてしまった。
もちろん、ナポレオンは粘ったが、多分、やっぱり駄目だったのだ。

涼宮ハルヒは超人の道を選び、佐々木はヒトの道を選んだとも言える。
そう御大層なことではないが、気の迷いで選ばないことだ。
『傷物語』で、阿良々木暦君は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに「闇の世界にようこそ」と言われたが、人間に戻りたがった。
まあ、それで、ちょっと変な人になったが、それもご愛嬌である。









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