ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

本当に学校や会社とサヨナラするには

学生なら学校、サラリーマンや公務員は、それぞれの勤務先に、決められた時間、必ず行かなければならないという、「絶対的な義務」がある。
それは、「絶対的な義務」なのだから、そこから外れると、「もう終わり」になってしまう。
これはもう、「完全人間支配システム」と言って良い。
ただ、これまでの世界では、それは、「嫌だがやむなし」という面があった。
そうでなければ、「国民全員が確実に食べていけ、一部の特権階級が贅沢する」ことを維持出来ないからだ。

だが、インターネットで本当に社会参加出来るなら、その「絶対的な義務」が崩壊する。
けれども、まだまだインターネットは非常に未熟な段階なのだ。
それは、企業や人々のネット上の行為の大半が、非常に下らないものであることに現れている。
つまり、「ネットの情報の大半はクズ」と言われたら、「まあ、そうだなあ」と納得せざると得ないということだ。
とはいえ、そうはなくなってきつつはあると思う。
ただ、インターネットが社会と本当に融合するというのは、個人的な問題でもある。
ある人にとっては、インターネットは社会そのものでも、別の人にとってはそうではないということだ。
では、インターネットを社会にし得る人とはどんな人かというと、「インターネットで正々堂々稼げる人」だ。
「それは経済原理に縛られた考え方だ」と言われそうだが、経済原理で動く「現実社会」がまだまだ強いのだから、「インターネットで正々堂々稼げない」限り、いくらインターネットを使ったところで、その者は社会参加していない。

そして、おそらく、いくらインターネットが進歩しても、『マトリクス』や『ソードアート・オンライン』の世界にはならず、バーチャルとリアルは並存する。
まあ、後5千年もすれば、人間は肉体を持たない精神生命体になるのかもしれないが、それはまだ分からないし、そうなるとしても、はるか先の話だ。
それに、たとえネットで大金を稼いでいても、リアル世界との関わりが少なければ、なぜか精神が落ち着かなかったり、満足感が得られないものなのだ。
確かに、肉体や持ち物など、物質を過剰に崇めるのは間違っているが、身体やモノだって高い価値を持っていることを認めざるを得ないのである。

ただ、1つ突破口がある。
そうでなければ、上のようなことを長々書きはしない。
それは、物質とエネルギーは実は同じものであり、互いに変換出来るように、精神も物質とエネルギーに変換出来るということだ。
だが、物質とエネルギーの変換には核融合が必要であるように、精神を物質やエネルギーに変換するには特殊な方法が必要であり、その方法については、まだよく分かっていないのだ。
「エメラルド・タブレット」にそれがあるのかもしれないが、あまりに抽象的で、普通の人には意味が分からないし、本当に解き明かした人もいない・・・あるいは、いないに等しい。
そりゃそうだ。
精神とエネルギーの変換が簡単に出来たら、今の物質的社会は完全に不要になる。
「引き寄せの法則」や「潜在意識の法則」のようなものは、効果がほとんどないから誰でも知ることが出来るのだ。
本当の本物が、普通の人が見られるようになるはずがない。
それは、陰謀論のような特権階級の都合ということもあるのだが、善なる配慮でもあるのだ。
だが、教えてはくれないが、自分で見出すのは自由・・・というか、止められないのだ。
では、「求めよ、さらば、与えられん」である。
求めよ。
そのためには、ニセモノを排除する知恵と感覚が必要であることはお分かりと思う。
だが、その方法をモロに教えたら、公然猥褻と同じで(笑)、私も社会から消される。
よって、回りくどく教えよう(笑)。
いや、腕振り運動をして、後は、バガヴァッド・ギータ-か聖書を読めば良いだけだ。
ただし、「いつも」。そして、社会に抵抗してはならない。やりすごすのだ。それが出来ないなら見込みはない。
面倒なら念仏を唱えれば良い。他にも方法はある。
だが、「しゃんとする」のは自分である。









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実力などたかが知れている

宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘は、本当にあったようだし、武蔵が勝ったというのも事実だと思う。
ただ、映画やテレビドラマで見る決闘の展開は、吉川英治氏の小説を元にしていて、ほとんど吉川氏の創作だろう。
そこでだが、宮本武蔵と佐々木小次郎は、剣の実力という点ではどっちが本当に強かったのだろう?
そんな空想をしても仕方がないと言われるかもしれないが、私は、明らかに小次郎が上だったと確信する。
武蔵も、それをよく分かっていたからこそ、策を凝らしたのだ。
その策が、小説の通りかどうかは分からないが、武蔵の『五輪書』にも、「不意をつけ」「敵の想像を裏切れ」「むかつかせろ」と、勝つためには頭を使い、何でもやれと書いてあり、吉川氏も、そこから、武蔵の作戦を想像したのだと思う。

勝負というものは、弱くても、策を凝らした方が勝つのである。
単純な実力など、ものの数ではない。
もちろん、野球やサッカーといったスポーツでは実力が大きなウェイトを占めるが、それとて、作戦が良ければ、ある程度の実力差ならひっくり返せる。

笹沢佐保氏の時代劇小説『木枯し紋次郎』で、紋次郎が、剣の実力では自分をはるかに超える相手と戦った時のお話が実に良い。
笹沢氏は、本物の道理をよく分かっておられた。
紋次郎は、腕が立つとは言っても、所詮、我流の喧嘩剣法だ。
対して、本物の剣術というものは、長い時間をかけ、一流派でも、代ごとに改良を重ね、経験と学習と思索を込めて磨き上げたものだ。
紋次郎が敵うはずがない。
だが、紋次郎は常に勝った。
策を凝らしたからだ。
大河ドラマ『毛利元就』で、尼子経久が元就に教えた、「策多ければ勝ち、少なければ負ける」は、本当に重要な知恵である。

鉄腕アトムは10万馬力で7つの威力。
エイトマンは人間の千倍のスピードと10万キロワットの超小型原子炉に、ハイマンガンスチールの身体。
キャシャーンもキューティーハニーも、身体能力の高さが売り物だ。
だが、そんなものが何だろう?
これらのアニメで育った世代は、あんなものが強力だと思う観念を捨てないと、これからの世の中で通用しない。
『BEATLESS』(長谷敏司氏の小説)のアニメが、Amazonプライムビデオで配信中だが、ますます面白くなってきた。
美しきレイシアの力に、全く惚れ惚れする。
機体性能では、メトーデの方がはるかに上で、メトーデとの近接戦闘では、レイシアはひどい苦戦を強いられる。
しかし、レイシアの本当の力は、そんなものではない。
『BEATLESS』は、日本を変える歴史的作品であると思う。









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自分の戦いから逃亡するな

5年ほど前だったか、菅直人元首相が、四国霊場八十八カ所を巡るお遍路を達成したという話があった。
これは、何を意味していたのかというと、彼が戦場から退却したということだ。
つまり、解決すべきものごとに背を向けたということなのだ。
なぜなら、戦場で敵が攻めてきた時に、トップが十字架の前でお祈りしたり坐禅を組んだりしない。
そんなことをする者は、もう戦場を離れた者である。

問題は正面突破するものなのだ。
運転している自動車が崖から落ちそうになった時は、両手で目を覆うのではなく、ハンドルを切り、ブレーキをかけなければならないようにだ。
我々も、何か問題に遭遇したら、それに正面から向き合い、考え、行動し、多くの場合は協力し合って、とにかくがんばらないといけない。

小学校の運動会で、手をつないで仲良くゴールするというのは、崖から落ちそうな車を運転している時に、両手で目を覆わせるようなものだ。
精神系の書物や、変な宗教の(あるいは宗教のような)指導者がよく、「がんばらなくていいんだよ」などというのも、それと同じだ。
「ばかやろう!しっかり目を開いてハンドルを切れ」と言いたい。
つまり、「がんばらんか!ばかやろう!」だ。

たとえ医師に「余命三ヶ月です」と言われても、すぐに教会や神社に駆け込んではならない。
具体的な解決策をさげせば、何とかなるかもしれない。実際、そうやって、その後、何十年も生きた人もいる。

「いえ、もう問題の解決の糸口が見つからないのです。お手上げです。私には、もう何も出来ません」
と言うかもしれない。
ばかやろうである。
そんなはずがないではないか?
地球人より1万年進歩したような宇宙人が襲撃してきた時すら、最後の最後まで諦めてはならない。
映画『インデペンデンスデイ』では、大統領は最後までがんばったではないか?
一方、昔の『宇宙戦争』では、万策尽き、皆が教会でお祈りしていると、宇宙人は地球のウイルスにやられて死滅した。
これだって、万策は尽きたが、万策を尽くしたから、神は助けてくれたのだろう。
ヒーローは最後まで戦っていたしね。

念仏を唱えたり、「ありがたい」と想ったり言ったり、腕振り運動をしたり、聖書を読むと、無敵であり、何でも可能だ。
それは、そうやって高まった心身で問題に挑むからであって、最初から戦場逃亡するつもりで念仏を唱えても何にもならない。
むしろ、念仏を唱えると、問題は大きく激しくなる。
すると、突破口も開くのである。
行くべきところは、神仏が教えてくれる。そこはGOである。
確かに、闇雲に突進するのではなく、好機を待った方が良いこともある。
しかし、好機がきたら攻める気がなければならない。
ただ・・・
目の前の敵に立ち向かうのではなく、敵の本拠地を攻めるという高度な手もある。
それには、より大きな知恵と力と勇気が必要である(スーパージェッターの歌みたいだ。古いか・・・)。
だが、本拠の大敵の存在は、目の前の雑魚から知るのである。
「この雑魚らのボスに私は挑む」
その場合は、しっかり念仏し、聖書を読み、神仏の手を取りなさい。
ただし、最後には共に戦うのである。
菅直人氏は・・・分からないが、とっくに戦う気なんかなくなっているのだろう。
あんなふうになってはならない。









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2次元思考から3次元、そして、4次元思考へ

平面思考をやめて立体思考・空間思考をしなければならないとか、2次元思考から3次元思考に進化しなければならないと言うと、なんだかそう思えるかもしれないが、具体的にどうすれば良いのだろう?
それは割と簡単であるが難しい。
つまり、本当は簡単なのに、愚かな人間の都合で難しくしているのだ。
例えば、会社の組織図なんて、全く平面思考、2次元思考の産物だ。
「この仕事は広報部の管轄だ。技術部が余計な口を出すな」
「我々営業部が食わしてやってるのだから、総務部や経理部はもっとサービスを良くしろ」
「それは部長以上の権限がある者が考えることだ。ヒラは黙ってろ」
もちろん、これらは、空間思考・3次元思考では、部署の垣根を越えて協力し合い、部署、役職など関係なく、良いアイデアを積極的に求める。
そして、さらに、3次元を超えた4次元以上の思考になると、そもそも、部署という概念、役職という概念はなくなる。
もうしばらくしたら、部署とか役職なんてものが存在する・・・少なくとも、固定的に部署や役職がある会社は全部潰れるだろう。

チームラボという会社は、プログラマー、デザイナー、建築家、数学者、アニメーターその他のスペシャリストがチームになり、平等に仕事をするらしい。
そこには、部署とか役職というものはなく、何が出来るかということだけが問題になる。
逆に、一般の会社では、能力より、「どの部署の人間か」「役職は何か」が重要になってしまっている。
そして、MITメディアラボでは、「私は何の専門」ということもない。
ここでは「脱専門性」ということが大切だと考えられている。
バンバンと専門の垣根を飛び越え、ある専門とある専門の間で活動するのである。
普通の研究者は、自分の専門の中で研究し、同じ専門家の中で評価されたがる。その方が偉くなり易い。
MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏は、「我々は専門のない、はぐれもの集団」「はみ出せばはみ出すほど良い」と言う。
伊藤氏は、この世界最高のデジタルテクノロジー研究機関のリーダーでありながら大学を出ていない。それが良かったのではないか?
チームラボ社長の猪子寿之氏は、東大工学部卒だが、やはり、「大学なんてさっさとやめておけば良かった。でも、ここで仲間と知り合ったのだから、やっぱり良かった」といったことを言われていたと思う。彼は大学院は中退している。

世界最大規模のネット授業を配信しているカーン・アカデミーのサルマン・カーンは、「教科を無理矢理分けることは愚の骨頂」と言う。
例えば、「確率の基礎が分かれば遺伝にも応用が効くのに、遺伝は生物、確率は数学で教わる」ことで、カーン・アカデミーでは、教科の垣根を超える学習を行える。
また、『バカをつくる学校』では、著者ジョン・テイラー・ガットは、生徒を学年別に分けて教えることの愚かさを指摘している。
そもそも、勉強なんて、上級生が下級生の指導をすれば、教師なんて必要ない。当然ながら、教えることで大切なことを学ぶことが出来る。
教師に役割があるとすれば、それがスムーズに出来るよう調整・配慮することである。

人種差別、宗教戦争、なんとか主義・・・古いにもほどがある。
セクショナリズム(なわばり根性)やエリート意識(偉大なり、私)を持っているのは、人種差別主義であるのと全く同じなのだ。

ぼくらはこの大きな星のなかでずっと踊り続けるんだ
色も言葉も混ざり合って
今ひとつになっていく
~『Blue Star』(作詞・作曲・編曲:八王子P。唄:初音ミク)より~
【初音ミク】Blue Star feat. 初音ミク (MIKU EXPO ver.)【MIKU EXPO 2016】 - YouTube -








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何に時間をかけるかで人生は決まる

多分、セベ・バレステロス(2011年に54歳の若さで亡くなった歴史的プロゴルファー)だったと思うが、あるCMで、自分は父親から、
「何でもいいから好きになれ、好きになったら強くなれ」
と教えられたと言い、「私はゴルフが好きになった。そして、ゴルフに強くなった」と続けた。
だが、どうやって強くなったか述べていないが、それは、
「使える時間は全てゴルフに使った」
であることは、聞くまでもなく分かる。
誰よりも多くの時間、ゴルフに取り組んだのだし、起きている時間の全てをゴルフに注ぎ込んだのだろう。

成功のための、この世の真の原理は、「かける時間多ければ勝ち、少なければ負ける」である。
以前、テレビで、『スター・ウォーズ』の大変なマニアの男性が、膨大なスター・ウォーズコレクションを披露しながら、
「起きている時間の全てをスター・ウォーズのために使っている」
と言っていたが、これはどうだろう?
確かに、彼は原理により、「マニアとして勝った」のだろう。
好きなアイドルのために、お金もだが、惜しみなく時間を使っている人もいるだろうが、それも同じだろう。
良いか悪いかの判断は控えるが、彼らが得られるのは自己満足である。
自己満足は、心の深奥、魂からのものであれば幸福であるが、心の浅い部分での自己満足であれば、何も残らない。
何も残らないものに貴重な時間を注ぎ込むのは不幸なことである。
結果は、死ぬ時に思い知る。

「かける時間多ければ勝ち、少なければ負ける」
これが、この世の絶対的真理であると分かれば、何に時間をかけようかとわくわくする。
それは、バレステロスのゴルフのように、本当に好きなものでなくてはならない。
身体や心ではなく、魂が震えるような好きなものであることが好ましい。

心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
無くしてた熱情が 指先から流れ出した
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M。歌:初音ミク)より~

ただ、それほどのものでなくても、何らかの価値や意味のあることに、それなりに時間をかければ、良いことがあるだろう。
言ってみれば、時間をかけるべきことを選び、時間をかけるべきでないことを排除することが出来れば幸福になれるのである。
私の人生は無駄だらけだったが、今後は改めるつもりだ。
たとえ、残された時間がさほど多くないとしても。いや、多くないからと言うべきか。









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