ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人間はエロ小説家

名優ユル・ブリンナーが主演した1973年の映画『ウエストワールド』は、2016年に、3DCGを駆使したテレビドラマシリーズでリメイクされた。
1973年版の方は、コンピューターで管理された「ウエストワールド」というレジャーランドの話だ。
そこには、帝政ローマ、中世ヨーロッパ、アメリカ西部開拓時代などを精巧に模した都市が作られ、その中で、人間そっくりなアンドロイドを相手に、お客様は、王様、女王様、英雄騎士、お姫様、西部劇のヒーロー等になり切ることが出来る。
これは楽しいに決まっている。
西部劇の世界では、どんな貫禄ある凄腕ガンマンが現れて決闘しても、必ず自分が勝つし、その結果、好みの美女もゲット出来るのだからたまらない(笑)。
ただ、ある時、コンピューターのトラブルか何かで異常が発生し、アンドロイド達は負けてくれず(笑)に恐ろしく強く、下手したら確実に殺されるというディストピアに、お客様達は取り残された状態になってしまう・・・。

『トータル・リコール』(1990)以降になると、そんな理想の世界を、物理的にではなく、夢の中や、VR(仮想世界)で実現することが考えられ、異常事態が発生しても物理的な身体は無事だが、今度は、被害は精神に集中することになり、考えようによっては、こっちの方が怖い。

ところで、それなりの長い期間、好きな夢が見れるとなると、あなたは、どんな夢を見たいだろうか?
手塚治虫氏の『アポロの歌』という、当時としては超エロい漫画で、そんなことを、医学博士の手塚治虫氏が描いて見せたが、やっぱり、エロいことがいっぱい起こった(笑)。
あなたも、そんな夢にしたいだろうか?
尚、日本では、御馳走をたらふく食べる夢を見たいと思う人は少ないだろう。
一度や二度くらいなら、誰でも、満足が出来る素晴らしい御馳走がリアルで食べられるからだ。
私は、子供の時、そんな時には、超エロい夢・・・ではなく(笑)、動物の王国(ただし自然な)の中で、百獣の王・・・ではなく、豹とか鷹になって、自由に悠然と過ごしたいと思ったものだった。
王様というのも考えたが、王様が日常、何をするのか知らないので、そんな夢にしても、物語が展開せず、退屈で仕方がない。立派な子供なら、それではと、王様について調べるだろうが、残念ながら、私は立派な子供ではなかった(笑)。

もし、好きな夢が見れるとなると、素晴らしい夢を想像出来る人が、小説家になれる人だと思う。
『神様のメモ帳』という小説では、主人公の鳴海(物語の大半で高校1年生)は、高校を卒業後、小説家になったが、その理由は「探偵助手といったら小説家って相場が決まってる」からだそうだ。彼は、ニート探偵アリス(絶世の美少女だが、見かけは小学生の13歳)の助手だった。
それ以前に、アリスが、探偵と小説家だけが何かが出来ると言っていたが、その「何か」が何だったか私は憶えていない。まあ、人間の秘密に踏み込むことが出来る商売といった意味だとは思う。

で、別に、職業としての小説家になる必要はないが、我々は、小説家でないといけない。
小説家と言うよりは、「ストーリー・ライター」だ。
自分の物語を自分で創造しなければならない。
心理学者の河合隼雄氏と小説家の小川洋子氏が共著で『生きるとは、自分の物語をつくること』という名著を書いているが、河合氏は他の本で、「自分の物語を持っている人は強い。子供でも」といった意味のことを書かれていたが、おそらくそうなのだろう。
エロいことも、物語性がなくては面白くないものだ。
逆に、エロの要素のない物語もつまらない。
そして、自分の物語が作れない人は、あまりうまく引き寄せをやれない。
本を読むにもフィクションとノンフィクションのバランスを取らないといけないが、面白いことに、シェイクスピアやH.G.ウェルスの小説は、この2つ(フィクションとノンフィクション)が絶妙に融合している。まあ、シェイクスピアでは古く感じてしまってリアリティを感じないかもしれないが、ウェルズは読んだ方が良い。
そして、想像力が人生を作ることを、ウェルズは『ポリー氏の人生』で見事に描き、それを読み、それを人生の指標にしたコリン・ウィルソンは、ある時、一夜で世界的作家になった。
自分がストーリー・ライターだということを忘れてはならない。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

日本語のアファーメーションの恐るべき力

アファーメーション(肯定的断言)、自己暗示、肯定的なつぶやき、呪文を日常どう行うかだけで人生が決まってしまう。
ところが、日本語には、それらを超える言霊がある。
英語圏の人が英語で、「ウェルス(富)」、「サクセス(成功)」といった言葉を数多く唱えれば、それらの言葉が意味するものをただちに引き寄せる。
ところが、日本語の「富(トミ)」は、重みが全く違う。
日本語は、文字の1文字1文字に言霊が宿り、深い意味を持つからだ。
英語では「ウェルス」とひとまとまりにしないと意味がないが、日本語では「ト」と「ミ」のそれぞれに宿る言霊に独自の振動があり、この2つをこの順番で重ねることで独自のハーモニーを奏でる。
「ト」は、漢字で「吐 図 土 塗 妬 度 徒 斗 渡 登 賭 途 都 頭」等と書け、それぞれの意味があるが、古くから伝わる「ト」の意味はもっと多様だし、隠れたものとなるとさらに壮大だ。
例えば、「ト」は「頭」でもあるが、「火頭(ひがしら)」は、「東(ひがし)ら」に通じ、太陽が昇る東になる。
日本人は、別にそんなことを解説されなくても、DNAの中にそういったことが秘められている。
「ミ」は、数字の「三」に似ている通り、「三」の意味があるが、3は西洋でも、古くから完全数として重んじられる。
アリストテレスも、
「2を両者、両方と言うが、3になって初めて全てという」
と、「3」の完全性を指摘している。
このように、「ミ」は極めて重要であり、さらに、「美」「実」という貴い意味をすぐに連想させるが、他にも沢山の優れた概念を示す。
山蔭神道では「ミ」は最も高貴な文字であるらしい。

このように、文字1つで、これほど深い意味、霊、魂、振動、エネルギー、生命を持つ言語は他にはなく、決して選民主義ではないが、日本は特別であり、多民族では望めない力を秘めているかもしれない。
それを生かさないのは、勿体ないどころではない損失だ。
映画『パピヨン』で、パピヨンは夢の中で、最大の罪とは、人生を無駄にすることだと悟ったが、日本人によって最大級の罪は、日本に生まれ、日本語を使いながら、日本語を無駄に使うことだ。
日本の和歌は、組み合わせた文字の意味だけでなく、57577で構成する文字の1つ1つを響かせてこそ名歌と言えるのである。
(57577にも凄い意味がある)

ジョセフ・マーフィーは「ウェルス(富)」という言葉を、静かに、ゆっくり、心を込めて繰り返せば、富を引き寄せると言うが、日本語の「富」にはそれどころではない力がある。
そんな日本語を始末に扱うと、損どころではない反作用があるかもしれないし、それはもう現れているのではないかと思う。
『古事記』や『日本書紀』で、言霊の女神であるワカヒメ(和歌姫)が隠されてしまったのは、日本を滅ぼす陰謀ではないかと思うほどである。
これらの書物より以前に書かれたと言われる『ホツマツタエ(ホツマツタヱ)』にはワカヒメについて書かれており、最近は、優しい物語に編集した『ホツマツタエ』もあるので(原書はかなり読み難い構成であるらしい)、ワカヒメの歌や、そもそも、ワカヒメが育ての親から教えられた、易しい歌を見ると、日本人の魂が復活するかもしれない。

「ありがたい」は力ある言葉で、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、1日1万回、「ありがたい」と心込めて言わせたら、武士は7日で完治した。
「ありがたい」は「有難い」で、「有ることが難しい」、つまり、「滅多にない」ことで、それはつまり、奇跡である。
このブログで何度も、「神様の奇跡が起こる」という言葉の威力を述べたが、「ありがたい」の言葉にも、同じ意味がある訳である。

西洋のアファーメーションの数百倍以上の力を持つ日本語のアファーメーションを、くれぐれも大切に使おうと思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

夢の綻びに魔法アイテムがある

眠っていて夢を見ている時、それが夢だと見破るには、どうすれば良いだろう?
それが分かれば、あなたは魔法の力を手に入れるだろう。

『灼眼のシャナ』(小説、アニメ等)で、主人公の坂井悠二(高1男子)は、敵の魔力で夢を見せられていることに薄々気付いていたが、それを確認しようとしていた。
そこで、コーヒーを持って来てくれた母親に尋ねた。
「母さん、このコーヒー、どこで買うの?」
すると、母親は静かに笑い、
「美味しいわね」
と言う。
悠二は母親が、どこでコーヒーを買っているのかを知らない。
だから、悠二が知らないことを、悠二の夢の中で母親が答えるはずがないというロジックで、悠二は、これが夢だと分かる。
でもまあ、これは実際はおかしい。
自分が知らないなら、母親がどんな答をしても良い訳である。
それはともかく、その後、悠二は、これがもう夢だとほとんど確信した上でだが、高い塔から飛び降りたのは良いやり方だ。
しかし、あなたにそんなことが出来るだろうか?
世界的画家の横尾忠則氏が著書に書かれていたが、横尾氏は夢の中で崖の高い場所にしがみついている時、これが夢だと分かっているのに、手が離せなかったそうだが、それが普通だ。
私も、火事になったビルの屋上に居る夢で、助かるには、隣のビルにロープ伝いで行かなければならないという状況で、これが夢だと分かっているのに、そんな怖いことをしなければならないことにうんざりしたことがある。
つまり、夢の中でも、怖いことは怖いし、嫌なことは嫌なのだ。
夢は夢で、奇妙な統一性があり、犬が電話で話してたって不思議だとは思わないほどの合理性を感じるものなのだ。
だから、夢だと分かったところで、高いところから落ちれば死ぬとしか思えないのだ。

むしろ、崖にしがみついている時は、イエスの教えに従うと良い。
つまり、「神を試すな」である。
崖から手を放さなくて良い。
そして、次は、一休さんの遺言に従う。
つまり、「なんとかなるんじゃないかな」と思うのである。
一休さんの遺言は、「心配するな、なんとかなる」だったと伝えられている。
修羅場をくぐって来た人は、皆言うのだ。
「なんとかなるさ」
と、笑いながら。
なんとかなると思うと、なんとかなるのが世の中だ。
もし、なんとかなると思えないなら、微笑んで「なんとかなる」と言えば良い。頭の中ででも良いから。

で、どうすれば夢だと見破れるかという、最初の問題の答だが、何とそれは、「夢から覚めれば分かる」である。
学校の試験的に考えてはいけない。
だから、夢から覚めてしまえば良いのだ。
覚めれば分かることを、夢の中で悩むなど愚かである。
そして、どうすれば夢から覚めることが出来るかというと、1つは、無茶をすること。
悠二のように、高いところから飛び降りたり、学校や会社のマドンナのスカートでもめくれば良い。
だが、それは、なかなか出来ない。
そこで、微笑みながら「なんとかなる」と思えば(あるいは唱えれば)、夢に綻びが出来る。
夢の綻びが出来ると何が起こるだろう。
私は何度もやったので、3つほど取り上げる。
そして、これらは、現実という夢の綻びであることに注意していただきたい。
現実も夢なのだ。
私は、3歳の時、猫と遊んでいたら、猫がバラバラになって崩れたことがある。
また、6歳の時、近所の子供が地面に倒れた時、頭から大量の血が流れているのに、それを見ている周囲の大人が平然と談笑をしていたことがある。
そして、先々月の20日、アメリカの大統領就任式の数時間前に、YouTubeのライブ放送で、就任式が行われるワシントンの議会議事堂の映像を見ていたら、議会議事堂の周辺の数カ所から煙が上がるのを見た。
全て、現実という夢の綻びである。
私は特別な方法を使ったが、夢、あるいは、現実に綻びを作れば、そんなことが出来る。
そして、簡単には、「なんとかなる」と思えば良いのである。

自信を持てば、夢に綻びが出来るのだ。
まず、微笑むことは、自信を持つことにつながる。
だから、微笑みながら「なんとかなる」と言えば、「なんとかなる」ことに自信が出てくる。
だから、普段から、「なんとかなる」とつぶやくと良い。
そして、「神様の奇跡が起こる」という言葉がまさに、「なんとかなる」の究極形なのだから、いつも、そう唱えると良い。
七田眞氏の『究極の超「右脳」開運法』の、あのホームレスの男性が、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けたら、1憶円が、それも2回当たったのは、やっぱり、この現実世界という夢が綻んだのだろうと思う。
「なんとかなる」「心配するな、なんとかなる」「神様の奇跡が起こる」などを1つ、いつも唱えておくと、少し夢が綻び、魔法の力とアクセス出来るのであると思う。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

見かけ上異なる教えに迷わない

なぜ、アファーメーションを際限もなく繰り返さないと望む奇跡が起きないのかというと、そうでなければ、我々の自我意識がものごとを進めようとするからだ。
自我意識で実行して、うまくいく人間もいるのかもしれないが、それは、優れた王家で育てられた者か、未来の人類か、あるいは、進化した宇宙人の場合くらいと思う。
どういう意味かと言うと、現代の、我々普通の人間の自我意識は、すっかり変質させられているので、その自我意識で何をやっても、ロクな結果にならないということだ。
我々は、言葉も知らない頃から、親や周囲の大人やテレビに、その後、学校やテレビや本などに、大人になってからも、テレビや新聞、その他のメディアに自我意識を奴隷に相応しいものに洗脳され続けているのである。
アファーメーションを限りなく唱えることで、自我意識にとりつき、支配する悪魔を無力化した時に、「力」に通じる扉が開く。
それを、美しく言い表した言葉が、ラマナ・マハルシの教えを簡潔に示した小冊子『私は誰か?』の18章にある。
引用する。

どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をま
かせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか? われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。

この小冊子(PDFファイル)は、ラマナ・マハルシのWebサイトからダウンロード出来たのだが、最近は、サイトの管理状態が良くないのか、適当なダウンロードページが見つからない(存在するのかもしれないが)。
現時点で、「私は誰か PDF」で検索して出てる、同ファイルへの直接リンクは以下の通りだが、将来に渡って同じかどうかは分からない。
【PDF】私は誰か? - Sri Ramana Maharshi
下記に紹介した書籍『ラマナ・マハルシの教え』には、これが記載されている。

『荘子』の思想は全く同じと思えるし、おそらく、イエス・キリストや法然もそうなのだと思う。
ただ、彼らは、時代背景もあり、神にまかせてしまったからといって、良い結果になるとは言っていないし、特に、荘子の場合は、最悪の結果になる場合が語られている。ただし、そうではあっても、神にまかせきってしまえば、精神的には幸福であると述べているのだと思う。
そして、江戸末期の神道家であった黒住宗忠は、「神にまかせきれば、嬉しいことばかりになる」と、良い結果になることが示唆され、アメリカの芸術家で、今日で言う引き寄せの法則の優れた指導者であったフローレンス・スコーヴェル・シンは、アファーメーションにより、望む結果を得られることを教えている。

法然は念仏、ラマナ・マハルシは「私は誰か」という問いかけ、フローレンス・スコーヴェル・シンはアファーメーションという分かり易い手段を示した。一方、イエス、黒住宗忠は神への愛や信頼でことをなせと教えたが、それは難しいことである。
(ただ、黒住宗忠はハンセン氏病の武士に「ありがたい」と唱えさせて1週間ほどで完治させたこともある。これも一種のアファーメーションである)
荘子にいたっては哲学的に教え、それは最も難しく、やはり、多くの誤解を生んだ(逆に、哲学的理解には適しているが)。
とはいえ、教えていることは、皆、同じである。
ただし、イエスや、黒住宗忠が言うような、神への愛や信頼でもって事を行おうとしても、我々の歪んだ自我意識では、愛や信頼の概念自体が歪んでいるのである。
よって、念仏やアファーメーションといった手段を、何も考えずに使う方が安全である。
私としては、難しかったり、高尚であるアファーメーションより、「神様の奇跡が起こる」や「ありがたい」といった単純なもの、あるいは、ジョセフ・マーフィーが教えた「単語法」、即ち、「富」「成功」「富、成功」「歓喜、成功、富」といった言葉を唱えることをお薦めする。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

このデジタル幻想の世界をどう動かすか

『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本を、知っている人はよく知っているが、全く知らない人の方が多いだろう。
この本には、19世紀に、アメリカの科学的な探検隊が、インドやチベットを訪れて調査する中で、超人的な太師達に会い、様々な奇跡を見せられる話が多く語られている。
探検隊の人達が、太師達に、最初の頃に見せられた奇跡の中に、流れの速い川の上を歩いて渡るというものがある。
水量も多く、普通に考えれば、そんな中に入れば、たちまち溺れてしまう。
しかし、沢山の太師達が、川の水面を平気で歩いて向こう岸に渡った。
しかも、それだけではなく、太師達は、アメリカの探検隊の人達に、
「あなた方にも出来ますよ。一緒にどうですかか?」
と平然と言ってくる(探検隊の隊員達は断った)。
新約聖書の福音書の中には、湖の上を歩くイエスを見て、船に乗っていた弟子のペテロが、感激のあまり不意に、
「主よ、私に来いと命じて下さい。そうすれば、私にも出来ます」
と言うと、イエスは、
「命じる。来い」
と言い、ペテロも水の上を歩けたという話がある。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』に戻るが、太師達は、他にも、何もないところ(空間とでも言おうか)から、美味しいパンや調理された料理を出したり、テレポーテーションしたり、時にはお金も出した。ただ、余程の必要がない限り、お金を出すことはないらしい。
50歳くらいに見える男性が、実は百歳をずっと超えているし、その母親が十代の絶世の美少女の姿をしている。
太師の女性は、いくつになっても、やはり十代の美少女の姿である場合が多い。
太師の母親ともなると、奇跡力も凄く、背骨を折る怪我をして瀕死の少年を一瞬で健康体に戻し、不潔なあばら家を新品の快適な邸宅に変えてしまうという、魔法使いサリーも顔負けの力を見せる。
イエスも登場し、老衰で死んだ男性を、若々しい青年の姿で復活させた。

では、どんな修行をすれば太師達のようになれるのかと言うと、修行は一切必要ない。
そもそも、誰もが元々太師であり、そのような奇跡は即座に出来る。
そして、アメリカの探検隊の者達も、太師達と過ごすうちに、かなりのことが出来るようになり、その内には、太師達と全く同じになるまでアメリカに帰らないと言って、実際、帰国せずに、その地に留まったという。

では、本当に、そのような奇跡があり得るかというと、完全にある。
それは丁度、VRヘッドセットをすれば、見かけ上は、いかなることも起こり得るのと同じだ。
なぜなら、この世界は、根本的には、そんなVR(仮想現実)世界と変わらないからだ。
デジタルの仮想世界である(とした場合の)この世界は「シミュレーテッド・リアリティ」と呼ばれ、この世界はシミュレーテッド・リアリティだと考える科学者も増えてきていると思う。
イーロン・マスクは、この世界がシミュレーテッド・リアリティでない可能性は、ほぼゼロだと言う。
もしそうなら、この世界は、『マトリックス』や『ソードアート・オンライン』で見られるような仮想世界であり、基本的には、どんなことでも起こり得る。
ただ、起こし方が分からないだけだ。
それに、この世界のシステムの仕組みの問題もあり、そう無闇に何でも起こる仕様にはなっていないと考えられる。しかし、技術的には可能なのだ。
それで、勘が働き、観察力があり、記憶力が良く、粘り強い者達が、この世界を動かす原理を少しずつ見抜き、魔法の力を開発していったし、今も開発しているのである。

太師達やイエスなどは、この世界を製作、あるいは、運営する側の者達か、そんな者達と提携しているのかもしれない。
だか、彼らが、アメリカの探検隊達に、「君達にも出来るし、しないといけない」と言ったのだから、その力を得ることをブロックされている訳でもないかもしれない。
要は、彼らの教えを注意深く理解し、取り入れれば良いのである。
そこで、『ヒマラヤ聖者の生活探求』や、聖書はもちろんだが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者、ベアードTスポールディングは、『バガヴァッド・ギーター』を読むことを薦め、太師達も熱心に読んでいたらしい。
『バガヴァッド・ギーター』が、このシミュレーテッド・リアリティを操作するマニュアルかもしれない。
ちなみに、私も、かなり、この世界がシミュレーテッド・リアリティであることは実感しているが、アファーメーションを使えば操作出来ると思っている。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。






最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
【広告】 Udemy
IT学習
タグクラウド
QRコード
QRコード