ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

火事場の馬鹿力の原理と応用

「火事場の馬鹿力」とは、緊急事態の中で、人間が異常な(高度な)力を発揮することを言う。
例えば、家が火事になった時、か弱い女性が、大の男が2人でも動かせない貴重な彫刻を1人で運び出したなどで、報告例は無数にある。
中には信憑性が疑わしいものも少なくないが、科学者が検証した事例もあるようだ。
その(科学者が検証したもの)中には、自分の幼い子供がマンションの窓から落下するのを見て、落下地点に突っ走って救った主婦がいて、後で詳細に調べたら、その主婦はサンダル履きのまま、陸上男子短距離走の世界記録を上回る速さで走ったとしか考えられないというものもあった。
『トーチェ氏の心の法則』の中には、体重57.2kgの中年女性が、1634kgのステーションワゴンの下敷きになった息子を救うため、1人でそのステーションワゴンのバンパーを掴んで持ち上げた話が紹介されている。

火事場の力が発揮される時に共通することは、その力を発揮する者の理性が吹っ飛んでいた・・・パニックに陥り、理性的に考える能力が失われていたことである。
そこのところは、よく指摘される。
しかし、それでは説明が不足している。
正しくは、「まず、強い思念を起こし、それから、理性が消えた」である。
最初の、「強い思念を起こす」、言い方を変えれば、「強く何かを想う」「激しく決意する」ことが必要なのである。
もっと一般化して言えば、「目標を明確にする → 思考を捨てる」である。
この力が発揮されるのは、パニック時に限定されるのではない。いかなる場合でも起こせるのだ。
例えば、UFO研究家の矢追純一氏の大学受験の時の話がそれに当たる。
彼は、まともに学校に通ったのは中学の3年間だけで、高校時代は、妹2人を養うために働いていたこともあって(さらに労働後に朝まで遊ぶことに忙しくて)、高校には全く通わなかったらしいし、受験勉強もしなかった。しかし、特に当時は、東大より良いと言われた中央大学法学部法学科に合格した。
そのプロセスを取り出すと、まず、受験に合格すると強く決意する。その後は、何も考えない。矢追氏のいろいろな本を読むと、矢追氏はあらゆることを、そのようにするのだと思う。
『あるがままに生きる』の中で、著者の足立幸子氏はまさに、「強く思う、そして、ぼーっとする」と、公式のようにシンプルに表現している。

「強く思う、そして、ぼーっとする(何も考えない)」は、はた目から見ると、強く決意したところは見えず、その後は、がむしゃらにやっているように見える。
矢追氏だって、1冊の参考書を数日だけは読んではいたらしい。
そういえば、大手教育会社(世界でも屈指)の人に聞いたが、東大に合格したある受験生は、一科目につき、参考書を1冊覚えたのだと言う。彼は、いまどき、どの参考書も同じだと言うのだが、評判の良い本がどれかは分かるので、それを選んだのだろう。彼のやり方を採用すれば、教育会社だの予備校はいらないかもしれない。

そういえば、私がプログラミングをマスターしたプロセスを思い出すと、「プログラミングをマスターすると決意する(強く思う)。そして、後は何も考えない」だった。
確かに、深夜2時、3時までパソコンに向かっていたが、それは自動的にやっていたことで、努力でも何でもなかった(他人から見れば努力に見えるだろうが)。
高校生で、ブログのアフィリエイトで、月100万円以上稼いでいた者がいたが、彼も、稼ぐと強く決意した後にやっていたことは、少しも理性的ではなかった。やたらブログを数多く開設し、ひたすらそれをいじっていたように見えた。ノウハウ書は、ほとんど見なかったらしい。なるほど、普通の大人は、ノウハウ書をいつまでも見て考えているだけなのだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

5分で奇跡を起こす方法

第二次世界大戦中、イギリスのウィットルゼイ大佐の部隊は、5年間戦って、1人の死者も出さなかったという。
ウィットルゼイは、部隊の兵士全員に、聖書の詩篇91を暗記させ、毎日唱えさせたようだ。
(F.L.ローソン『人生をいかに考えるか』を引用した、J.マーフィー『人生は思うように変えられる』より)
日本でも、やはり戦争中、サムハラ神社のお札を持って戦地に行った兵隊は、全員、生還したという。
サムハラ神社は今も大阪にあり、お札ならそこに行けばもらえると思うし、最近は、評判が良いので、雑誌の付録にもなっている。そういうものが大好きな私も入手し、ステンレス製の名刺入れに入れている(お札は名刺サイズである)。

霊的作用というものが本当にあるかどうかを直接に確認する方法がないので、多くの人が、「それは怪しい」「デタラメ」「あるわけがない」と言う。
だが、霊的作用かどうかはともなく、思考を停止させれば、奇跡が起こることは、経験上、分かる人は少なくないと思う。
ただし、停止させる前に、何かを強く思うことが必要だ。
強く思った後、思考を消せば、思った通りになる。子供の時は、わりと普通にやっているものだ。
上に挙げた兵隊達の例では、「生きて帰りたい」という強烈な想いがあったはずだ。それがなければ、聖書の言葉もお札も役に立たないかもしれない。
詩篇91もサムハラのお札も、思考を消す力があるのだと思う。原理は分からないがね。

それなら、現代人に合った、こんな簡単なやり方もある。
何かを強く思い、その後、100から0まで、頭の中でゆっくり数を数えるのだ。
これを、よそ事を考えながら出来る人は、まずいない。
カウントが0になった時は、もう何も考えておらず、想いが実現するよう、宇宙は動いている。
0まで数えても、強い不安に襲われるなら、もう1回やれば良い。
また、あまり時間がない時や、それほどの効果でなくても良い場合は、10から0までにすれば良い。これでも、かなりの効果がある。
5から0までで、大抵の奇跡を起こせる者もいる。

信じられなくても、少なくともこれが、緊張を和らげ、落ち着く方法であることは納得出来ると思う。
そして、強い思いの後、リラックスすれば、大抵のことはうまくいくことは分かると思う。







↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

超甘いもの好きの鍛錬法

ある70歳くらいの人は、子供の時、夕食後に食べるチキンラーメンが何よりの楽しみだったと言う。
大人なら、いろんな意味でアウトだが、子供なら何の問題もないと思うところに、子供の生命エネルギーを感じる。

アントニオ猪木さんより5歳年上だったジャイアント馬場さん(1999年没)は、かなりの年齢になってもだと思うが、フルコースの食事の後、餅に缶詰のアズキをつけて食べるのが何よりの楽しみだったらしい。それで糖尿病になってしまったらしいが、馬場さんは、「明日死ぬとしたら、大福を死ぬほど食べたい」というほどの甘いもの好きだったらしいし、死ぬ直前までリングに上がり続けたのだから、一概に非難する気にはならない。

また、物理学者で武術家の保江邦夫さんの本で見たが、フランスのルルドに行った時、夜遅く、小さなカフェで食事をしていたら、店主のおばさんが、近くの席にいた、若い、長身で超イケメンの現地のフランス人と思われる男性に、コーヒーやチョコレートケーキを勧めると、その美青年は、「コーヒーはいらない。チョコレートケーキを」と言ったらしい。
そのイケメンの正体は、大天使ミカエルだという。
私は、それを読み、チョコレートケーキや、あるいは、チョコレートのファンになってしまったのだから単純である。

ところで、どこのレストランでも、デザートがしょぼいように感じるのは私だけだろうか?
甘いもの好きな私は、せっかくレストランに来たのだから、食後にでっかいケーキがどんと出てくるととても嬉しいのに、小さなケーキやアイスクリームが出てくるだけで残念に思うことが多い。
悪い面も多いのだが、日本人は飽食になったのに、皆、そんなデザートで文句ないのだろうかと疑問に思う。
だが、よく考えたら、私は、食事自体は少しで良いとうか、ほとんどどうでも良く、あまり興味がないのだが、デザートというか、お菓子が好きなのである。
昔、あるアイドルが、「アイスクリームしか食べない(それ以外の食事はしないという意味)」と言っていて、実際は冗談だろうが、それは1つの夢(理想という意味)のようなものであると思う。
別に、普通の料理が嫌いな訳ではないのだろうが、お菓子の方がずっと好きだというのが分かる気がするのである。

だが、歳を取ると、甘いものを食べると、身体に脂肪が付き、肥満してしまうので、特に今は、炭水化物を抑えた食事で満足しようとする人が多いかもしれない。
しかし、私は、食事の代わりにお菓子を食べるほどだが、考えたら、それで太ったことはない。
まあ、昨年までは、8月、9月の、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」が終わったら、楽しみがなくなってしまい、一層、お菓子に走り、さほどではないながら、それなりに体重が増えるのだが、今年は、例年より甘いものを多く食べているのに、マジカルミライ時から変わらず、むしろ、痩せている。
これは、明らかに、6月23日から始めた、四股踏みの効果と思う。
四股と言っても、相撲式の大きなモーションのものではなく、大東流合気武術式の、コンパクトな四股である。
ポイントは、少し上げた足を、静かに床に下ろすことだ。詳しくは、『大東流合気武術 佐川幸義 神業の合気』に写真付きで解説されているので、それを見て欲しい。
初めの頃は1日300回、それが、「マジカルミライ2019」の時は500回になり、最近はついに1000回を超えた。大抵は1200~1300回で、1700回までやったことがある。
特に、甘いものを食べ過ぎた時は熱心にやる。この楽な運動は、確かに、高いダイエット効果があると思うが、本当は、ダイエットなどというレベルの低いものではない。
ついに巡り会った究極の強健法で、ほぼ準備運動なしで(準備として、蹲踞の姿勢だけはとっている)いくらでも出来、気持ちよい運動で、それで、超人に生まれ変われる。
さらに、最近は、短い木刀で、部屋の中で素振りをやっているが、この2つがやれれば、私は幸福である。
しかも、甘いものも存分に食べられる。
この世界は何と美しいのだろう!









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

父親は不要

今もさほど変わらないと思うが、父親について、昔、よく言われた笑い話にこんなものがある。
子供が帰宅し、応接間のドアを開けて覗くと、父親1人がいた。そこで、子供が言ったのは、
「なんだ、誰もいないのか?」
だった。
つまり、父親は家族にカウントされず、給料を運んでくるだけの存在である。
こんな風潮に対し、笑いは取れたかもしれないが、それほどの批判はなかったと思う。それが割と一般的な認識だからだ。
ところが、最近は、イクメンとか言って、父親が育児に参加したり、さらには、父親が育児休暇を取ることが話題に上がったりもする。

結論を言おう。
母親が育児を出来ないような何らかの理由があれば別だが、育児、あるいは、家庭に、父親は、全くとはまでは言わないが、ほぼ必要ない。
ヨーロッパでは、シングルマザーに対する社会的援助が手厚く、父親などいなくても安心して子育てが出来るが、それは、父親なしで育つことによる子供の精神形成にほぼ問題がなく、少なくとも、愚かな父親の影響を受けるよりはるかにマシであることが分かってきたことも、そのような社会福祉の発展を、さらに強力に推進させているのだと思う。
無論、子供の成長において、父親が良い影響を与える場合もあるかもしれないが、全体としては、父親がいないことの方のメリットがはるかに大きいのである。
サルトルが「私の幸運は、父親が早くに死んだこと」と断言したのは、彼の家が父親がいなくても豊かであったことも確かにあるが、経済的な問題がなければ、やはり、父親がいないことより、いることのデメリットが大きいのだと思う。

日本では、育児に対する理解が薄く、母親が大変な場合が多いので、それをサポートする必要がある場合は、男性の育児休暇も悪くはないが、どこかの金持ちの大臣のような家庭で、国民の下僕たる大臣が育児休暇など、とんでもないことだと私は思う。
日本も、財源を割り当てることが可能なうちに、ヨーロッパのように、シングルマザーが十分に育児が出来る制度を整えないと、少子化がますます進み、間違いなく日本は滅ぶのが明らかだと思うが、いかがだろう?
女性は直観が鋭く、遺伝子的に優れた子供を作れる男を選ぶ能力がある。
しかし、結婚となると、諸事情で、間違った男を選ぶ場合が多いものだ。
いまや、結婚制度というのは時代遅れも甚だしいのではあるまいか?
ひきこもり自体は全然構わないが、父親がいることで、ひきこもりからネルギーを奪っている場合が多いし、母原病と言われるものだって、つまるところ、父親の家長制度が生み出した歪みなのではないかと思う。
日本は、なぜかくも遅れているのだろうか?
このままでは、マジで日本は滅ぶし、それを避けるには、ジム・ロジャースが言うように、日本では子供に、日本語でなく、中国語を覚えさせる絶対的な必要が出てくるだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

あらためてVBAを語る

私が、特にコンピューターの専門家以外の人によくお薦めしているプログラミング言語VBAについて、あらためて易しく(そして出来れば優しく)お話する。
VBAは、ビジュアル・ベーシック・フォー・アプリケーションの略で、Excel(エクセル。表計算ソフト)、Access(アクセス。データベースソフト)等の、マイクロソフト・オフィス(Microsoft Office)製品である業務用ソフトウェアに組み込まれたプログラミング言語だ。
Word(ワード。ワープロソフト)やPowerPoint(パワーポイント。プレゼンテーション作成ソフト)にも組み込まれているが、VBAが最も使われるのはExcel、そして、Accessである。というのは、VBAは、データ処理に強いからだ。

VBAは、中身は、マイクロソフトの代表的なプログラミング言語の1つであるVisual Basic(ビジュアル・ベーシック。以降「VB」と略記)なのであるが、VB自体は、2002年以降は、VB.net(ブイビー・ドットネット)と呼ばれる、新型言語になり、2008年以降は、VB.netではなく、VB2008とか、VB2017といったように、発売開始年が付くようになった。
VBAは、2002年以前の、VB6.0という、旧式のVBとほぼ同じである。
ただ、実を言うと、VBは、VB6.0で十分であり、その頃は、最も使われたプログラミング言語であったが、VB.net以降は人気がなくなっている。
そもそも、VB.net以降のVBは、Java(ジャバ)や、Javaに対抗してマイクロソフトが作ったC#(シー・シャープ)と肩を並べる新しいプログラミング言語になったと言えば聞こえは良いが、それなら別にVBでなくても良いので、ユーザーがC#、あるいは、Java に流れたのだろう。

VBAは古いとは言え、実務で使うのに不足なことは全くなく、むしろ、VBAの全体を使いこなしている人なんかいない。
VBAの最大の特徴は、ExcelやAccessの機能をプログラミングで自在に使えることで、その有益さは計り知れない。
逆に言えば、プログラミングの際、ExcelやAccessが機能として持っている部分はプログラミングしなくても、その機能が簡単に使えるのである。
もっと詳しく言うと、実務的にデータ処理をする機能は、通常のものはExcelに、高度なものであればAccessに全て備わっているし、最もプログラミングに時間がかかるインターフェース(操作部分)も、これらのソフト自体に高度に備わっているのであり、そんなデータ処理、インターフェース機能を「呼び出す」だけでプログラミング出来る便利さは、他のプログラミング言語では全く望めない。
もちろん、VB20XXやC#、あるいは、Java等は、VisualStudioやEclipseという、開発環境ソフトで使うことが多く、それらにはインターフェース作成機能はやはり用意されているのだが、VBAでは、操作性で格段にユーザーフレンドリーなExcelやAccessのインターフェースが使えるのだから、比較にならない。
それを考えると、私のようなプロでも、ExcelやAccessで済むなら、これで作る方が効率が高いのである。

VBAの・・・というよりは、これがExcelやAccessに組み込まれたものであるということから来る欠点は、まず、Webやスマートフォンアプリの開発が出来ないこと、そして、多人数での共同開発が出来ないことだ。
これは、超大規模プロジェクトでは、そもそも、最初から使えないことを意味する。
しかし、実務的なデータ処理をWebやスマートフォンでやる必要は全くなく、シンプルなWindowsアプリでやるのが圧倒的に効率的だ。
超大規模システムは、それはそれで必要なところで使えば良いのであり、日々のフレキシブルな処理はExcelやAccessでやった方が効率的だ。
そして、大規模システムと言ったところで、よほどのものでない限り、データベースさえSQL Serverやオラクル、あるいは、MySQLみたいなものを使えば、ほとんどの場合、Excelや、特に、Accessで十分である。
まあ、開発会社としては、ExcelやAccessでは高額受注出来ないので、あまりやりたくないという事情がある。

ExcelやAccessの「Webで使えない」「多人数で開発出来ない」という欠点を解消したと主張するものとして、ジャストシステムのUnitBase(ユニットベース)やサイボウズのkintone(キントーン)があり、単純なパターンに嵌(はま)ったことであれば、使えないこともないと思うが、何でも自由自在に簡単にやれるExcelやAccessの使い勝手の良さとは別の道を行くものだと思う。
費用もかかるし導入もややこしい。
そもそも、UnitBaseとkintoneのどちらを選べば良いか分からないし、30年揺るぎなく続くExcelやAccessのような安定性はないと思う(いつなくなるか分からない)。
言い方は悪いが、企業の担当者や決裁者が言いくるめられてUnitBaseやkintoneを導入することも多いのだと思う。
あくまで私の考え方かもしれないが、業務で本当にこれらを導入することのメリットはあまりないと思う。
それで言えば、G Suite(Google Apps for Businessの新型)で、Apps Scriptというプログラミング言語を使えば、Excel+VBAと同じようなことが出来る。
しかし、Excel+VBAの使い易さとは比較にならないし、そもそも、G SuiteはWebのものであるが、いかに高速回線が普及したとはいえ、日常の仕事をネットを介してやるのは、まだまだシンドいのが事実である。
私は、少なくとも、後10年は、ExcelやAccessを使うのではないかと思う。そして、WebではG Suiteを使おうと思う。








↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド