ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

床に座るということ

正座が良いという話は時々聞くが、何が良いのかあまり語られず、理解されていない。
養老孟司さんの本で少し見た覚えがあるが、正座をすると、腹筋、背筋に適度に力が入り、昔の日本人は、毎日、長い時間正座をすることで、特に運動しなくても身体が強かったという。それも間違いではないが、それだけではない。
ところで、いかに日本が欧米化したとは言っても、日本で畳が全くない家は少ないし、畳の部屋では基本的に床に座るだろう。
正座はあまりしなくなったかもしれないが、あぐらで座ることなら多いと思う。
また、日本だけの、ちょっと愉快な習慣だが、ソファーがあっても、その前の床に座るということもよくある。
日本人がそれを好むのは、単に楽だからではない。

今と全く住宅事情が変わらない時代のアニメ『美少女戦士セーラームーン』では、セーラー戦士達は集まって勉強する時は畳で正座していたし、最新のアニメ『まちカドまぞく』を見ると、ヒロインの優子の家が貧乏ということもあるが、ミカン箱をテーブル代わりに正座で食事し、邸宅に住む千代田桃だって、優子の家に来た時は、普通に正座して違和感がない。

特に正座でなくても、床に座ることに、何か素晴らしい秘密があることは、日本人なら分かるはずだ。
アメリカ人のスティーブ・ジョブズだって、家にソファーを置かず、床に座っていた。

床に座ると、まず何が良いかというと、ふんぞり返らないことだ。
人間の堕落は全て、ふんぞり返るところから始まるのである。
椅子に座っていても、背もたれにあまり肩を付けない人は、精神を高貴に保っている。
電車の座席を見ても、老若男女を問わず、ふんぞり返って座っている者で気品を感じることは絶対にないはずだ。
一方、前傾姿勢で座っている者には不思議な美しさを感じるのである。
これは、養老孟司さんの言う、寄りかかるものなしで座って、腹筋、背筋が鍛えられるということもあり、腹が出ず、美しいということもあるが、それどころではない大切なことがあるのである。
それは、前傾することで、元々前傾している仙骨との通路が開き、仙骨にある宇宙エネルギーが背骨を通り易くなることだ。
その状態で顔を上げると、首に精妙な信号が走り、脳の重要なスイッチが入るのが分かるのではないかと思う。
もうその状態では、神に近付いている。
なるべく床に座ること、決してふんぞり返られないこと。
やや前傾した姿勢で、控え目に顔を上げること。
特に立った時には、それが昭和天皇のアルカイク(古式ゆかしい)・スタイルであると言えば分かり易いかもしれない。
これをやるだけでも森羅万象が味方になるのである。逆に言えば、いつもふんぞり返っている者には、何の見込みもないだろう。








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ITスキルはやはり重要

ずっと前から、パソコンスキル、インターネットスキルの重要性が訴えられてきたが、そういったITスキルが高いことの有利さは、まじぱなく(マジで半端じゃなく)なってきた。
ところが、今は、スマートフォンには慣れているが、パソコンが使えないと言う大学生すらいるらしいが、ちょっと信じられない気分だ。
いくらなんでも、いまどき、卒論が手書き必須なんて大学はないと思うが(あったら、即潰して良い)、手書きの卒論が提出出来るところはあるようだ(ひょっとしたら、かなりあるかもしれない)。

パソコン設定、インターネット接続、プリンタその他の周辺機器設定、ルーター設定やLAN接続、アプリケーションソフトインストールサービスなんてのも多いと思うが、これらは、自分で出来ないと不便だし、トラブル時の損失が大きい。

最近、私は、久々にプリンターを買って、ちょっと驚いた(エプロンのカラリオEW-052A)。
そんなに家でプリンターを使うとは思えないので、A4サイズまでで十分きれいに印刷出来るものを適当に選んだら、1万円もしないのに、コピー、スキャナ機能のついた複合機だったことに、まず驚いた。
「嘘!」って感じである。
次に、USBケーブルがついていないこと、USBコネクタ自体は付いているが、タイプAなのを見て、少し慌てた。正直、タイプAを見た覚えがない。
だが、あくまでWiFiありきで、ケーブル接続使用は「出来ないことはない」程度のことかもしれない。
WiFiを通したパソコンとプリンターの接続設定をしていたら、マニュアルの日本語が小学生レベルで分かり難いし、そもそも、マニュアルと実際がかなり違う。
これをやるのは、IT機器にあまり強くない人には難しいかもしれないし、まして、IT機器に全く不慣れな年配の方には、手も足も出ないのではないかと思った。
だが、IT社会でバリバリ活躍したいなら、こんなもの、楽々自分で出来なければ話にならない。

スマートフォンがIT機器の代表のように思われているが、これは本当に簡単になっていて、まさに「誰でも」使える。
だが、スマートフォンの機能を高度に使いこなしている人は滅多にいない。
また、LINEは使っているが、電子メールは使っていないという人も多い。
確かに、今は企業内でもメールを使わない場合もあるが、それは、高機能なグループウェア的SNSを導入している場合である。そうではなく、簡単なチャット的機能しか使えないなら、それは、通信機器を使っていると言うより、使わされているのである。

とにかく、ITに強いのとそうでないのとでは、今の世界はハンディがあまりに大きいが、それはさらに大きくなる一方である。
IT資格試験の勉強は、十分に役に立つのだが、学校の試験や受験の影響か、資格を取ることが第一になってしまっていて、合格テクニックみたいな馬鹿げたものが横行して困る。
あくまで、資格に相応するスキルを得る基準としての試験であることを忘れてはならない。
NTTのドットコムマスターは良い資格であるが、時間をかけてじっくり勉強しなければ意味がない。
CompTIAは「良い資格であった」が、受験費用が異常で、あまりお薦めする気にならない。
Excelを購入し(あるいはExcdelが入ったマイクロソフトオフィスを購入し)、ExcelとVBAをマスターすることはお薦めする。実際的だし、自信が出来て、周辺のことにも詳しくなると思う。
また、出来れば、HTMLくらいは分かるようになっておくと、何かと便利と思う。









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悪の集団のエネルギーの奪い方

正月は駅伝、盆のあたりは高校野球を楽しむことは、それは人の勝手なので別に何も言う気はないが、それで盛り上がっていることを見せ付けてくるような連中には、今でも正直、反吐が出る。
私の親戚にも、「こいつ、絶対に駅伝や高校野球と何の関わりもない」はずなのに、やたら詳しく、活発に語る者が多い。
まあ、気分良く付き合うフリはしてあげるが、「早く帰れ」とか思ってしまうのは否定出来ない。

一方、紅白歌合戦が廃れたのは、駅伝や高校野球ほど強力に国民を洗脳する権力者がいないからだ。
音楽というのは、利権者が沢山出てきてしまい、それらの勢力が潰しあって無害になってきたのだが、野球と駅伝は、それぞれのスポーツ連盟と新聞社のタッグが強力で、テレビや大企業を取り込んで、まだまだ国民をマインドコントロールしまくっている訳だ。
だけど、もういい加減、目を覚ました方がよくない?(「よくない?」は若者の流行の口調で頼む)・・・と呆れる。

人生が楽しくないとか、思いが実現しないと思うなら、駅伝や高校野球を見るなと言う気はないが、過剰な関心を持たないことだ。
その関心・・・つまり、愛を、鳩や亀や烏に向けると良い。
若い人達も、駅伝や高校野球に関心が強い者がまだ多いし、それらに関心がないとしても、スマートフォンの大衆型コンテンツに過剰に関心を注いでいたりする。それもまた、駅伝マニアや高校野球マニアと同じで、心の魔力を発揮することが出来ない原因なのだ。
その理由をバラすと、そういったものは、ある種の集団が、庶民の魔力を吸い上げるためのものなのだからだ。
多くの庶民は、魔力を奪われ続けているのである。それで、元気も生き甲斐もない訳である。

初音ミクさんに関しては、駅伝や高校野球信者に「オタク」と言われるなら大丈夫なのだ。
そうであるなら、悪のグループに大切なエネルギーを吸い取られていないということだからね。
もし、大手の新聞、テレビ、大企業が、ミクさんを絶賛するようになったら、我々ウイザード(魔法使い)は危険である。
魔法力を上げたければ、今朝も書いたが、たとえば、矢吹丈のノーガードの姿勢、別名、龍の首をやることである。
今まで奪われてた分は取り戻すだけである。









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ジョーの偉大なポーズ

10回以上世界タイトルを防衛した元ボクシング世界チャンピオンは、自分が世界王者になる試合の前に、相手の世界王者の公開スパーリングを見て、その強さに驚愕し、「こんなやつと戦ったら殺される」と思い、試合当日も相手が恐くて仕方がなく、ゴングが鳴ったら、もう何が何だか分からずに必死で手を出し、気がついたら、相手がマットの上でのびていたと言う。
似た話に、有名な空手家の逸話がある。
戦後、真剣を持った剣の達人と決闘をすることになってしまい、勝つのは不可能だから、手足の1本でも残っていたら相打ちに持ち込もうと思って突進していった後の記憶がないと言う。そして、気がつけば、相手は川原の上でのびていたらしい。
両方共・・・特に後者は、本当の話かどうか疑わしいので実名は挙げないが、全くの嘘というのではなく、自分のそれなりの経験を、やや盛った(大袈裟に脚色した)のではないかと思う。

もっと面白い話がある。
物理学者で合気道家の保江邦夫さんが、挑戦されてフルコンタクト空手(実際に相手を殴る蹴るの攻撃をする空手)の猛者と戦った時、右目と左目で別のものを見るという、ヨッパライのような目で向かっていくと、簡単に勝てたが、普通の目付きで行ったらボコボコにされたと言う。
そこで、右目と左目で違うものを見るゴーグルをつけさせると、合気道の初心者が達人になってしまったらしい。
もう1つ、保江さんが言っていたのは、相手を愛すると必ず勝つということだ。
きれいな女性ならともかく、ごっつい空手の強者を愛するのは難しいが、愛さないとボコボコにされるので、なよっとしながら愛すると、やっぱり勝ってしまうらしい。保江さんは60もとおに超えたオッサンだから、考えると気持ち悪いが、そこは引っかからなくていいだろうし、60もとおに超えて強い現役空手家に勝つのだから大したものだ。

しかし、それで言うなら、保江さんが『神様ののぞき穴』で書かれていた「龍の首」で行けば勝てないかと思う。
龍の首とは、猫背になって首を前に倒し顔を上げた、あるいは、アゴを上げたとも言える姿だ。
画像で見たければ、「あしたのジョー ノーガード」で検索したら、そんなのがいくらでも出てくるが、力石徹のノーガードも、素晴らしい龍の首だ。
保江さんが言うには、龍の首だと神様の視点になるので、きっと無敵だ。
だから、皆さんは、何かあったら、矢吹丈のノーガードを思い出して真似ると良いだろう。
ところで、『あしたのジョー』の、おそらく最後のページの、リングのコーナーで椅子に座り、微笑んだ顔で死ぬジョーの姿は、「あしたのジョー 真っ白な灰」で検索したら、大半違法かもしれないが沢山出てくる。あのジョーの姿で顔を上げたら、完璧な龍の首と思う。
ちばてつやさんは偉大な絵を残されたと思う。









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人間の値打ちとは意外なものである

昔、夏目志郎さんという世界的なセールスマンが著書で、「人間の値打ちは収入の高さ」と断言していた。
今、そんなことを有名人が言ったら炎上するし、昔でも反発を持たれ易い発言だろう。
しかし、私は、当時も今も、それはある程度正しいと思う。
例えば、学歴の高さは、かなり人間の価値として認められているが、それに比べれば、収入の高さの方が、はるかに正しい価値だと思うのである。
それよりも、「人に優しい」とか「正直である」といったことが人間の価値であるというなら賛同も得易いかもしれない。
しかし、普通の人において、そういったことで著しい差はないと思うし、そもそも、親切さや正直さの高さは判定し難いはずだ。
だが、あからさまに不親切だったり、嘘つきだったりでは、悪徳政治家のような自分に縁のない存在の場合は知らないが、高い収入は得られないだろう。
他にも、「美人美男である」「トークが面白い」なども人間の価値と感じるかもしれないが、さりとて、美人じゃないから、トークが下手だから価値がない人間ということにはならない。
そんなふうに、いろいろ考えれば、収入の高さが人間の値打ちというのは、それほどひどい意見とは思えないのだ。

ところで、ここが核心なのだが、収入の高さは何で決まるだろう。
それは「人気」であると断言出来る。
金銭的価値そのものが人気で決まるのだから。
例えば、ピカソやゴッホやセザンヌの作品は高価であるが、なぜ高価なのかというと、絶対に、人気があるからなのだ。
芸術においても、高い値のつくものほど、芸術的にも価値があるのである。
ピカソの絵はピカソ存命中から価値があった。なぜなら、ピカソが生きているうちに絵は高値で売れ、ピカソは金持ちだったからだ。
しかし、ゴッホの絵は、ゴッホが生きている間は1枚も売れず(1枚、予約はあった)、ゴッホの作品はゴッホ存命中は値打ちがなかったが、ゴッホが死んでから価値あるものになったのである。

天動説になぜ価値があるかというと、それが真理であるからではなく、やはり人気があるからなのだ。
ガリレイの時代、地動説に価値はなかったのだ。
「いや、ガリレイの時代だって、地動説に価値があったはず」とは、今だから言えるのである。なぜなら、今は、地動説の人気が高くて価値があるからだ。

人気があったヒトラーに価値があったとは思いたくないし、人道的にはヒトラーが正しくないのは明らかだが、やはり、人気があった時のヒトラーには価値があった。今はヒトラーに全く価値がないことは間違いないがね。
例えば、仮に、ヒトラーは実は素晴らしい人物だが、闇の勢力の宣伝で悪人にされているとしたらどうだろう。
もし、そんなことが本当だとしても、将来、ヒトラーに価値が出るかもしれないが、今は、全くないのである。

ただ、人気は取ろうとして取れるものではない。
普通は、多くの人を喜ばせることが出来れば人気者になる。
姑息なテクニックでは、一時的にいくらかの人達を喜ばせ、人気が出ることはあるかもしれないが、すぐに人気はなくなる。
そして、収入と人気は、少なくとも、正の相関関係はあると思う。
学歴や地位や美貌や家柄を鼻にかけるよりは、密かに、人気や収入を誇りに思うと良い。
ただし、密かにでなければ、人気を失い、実入りも少なくなるだろう。
だが、それよりも、大きな愛があれば、全てを得る。何も誇らなくてもね。
食欲や性欲や名誉欲の見返りなしに何かを大切にすれば、それが愛である。
それでうまくうだろう。絶対に。









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