ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

日本人を潰す罠から悠々逃れる方法

絶望とは、希望がないことだ。
希望とは、絶望がないことだ。
希望と絶望は、案外に面白い言葉である。
つまり、プラスとマイナス、男と女といった客観的事実ではなく、人間の心の中にしかないものだからだ。
まず、希望や絶望を持つには、非常に強い願い・・・譲れない願いというものを必要とする。
絶望とは、譲れない願いに届く可能性が全くないと認識することで、希望とは、譲れない願いに届く可能性があると認識することだ。
つまり、希望も絶望も、あくまで、認識の問題なのである。
そこで、譲れない願いについて考える。

普通の人が、自分は譲れない願いを持っていると思っているが、実現の可能性は極めて低いと感じている場合がある。
例えば、こんなものである。
「Jリーグのサッカー選手になりたいが、25歳になるのに、サッカー経験がほとんどない」
「アイドルになりたいのに、二十歳を過ぎているし、身長が160センチで体重が60キロある。顔も可愛いと言われたことがなく、ナンパされたこともない」
「30歳も過ぎた、ただのオッサンだが、アニメのヒロインのような美少女と付き合いたい」
確かに、願いが叶う可能性について言えば、間違いなく絶望である。
しかし、その前に、そんな願いを見たら、「え?」と思うだろう。
つまり、そんな願いを持っている者の頭がおかしいだけである。
こんな願いは、譲れない願いではなく、妄想である。
あまりにアホらしい願いだが、こんな妄想を持った者が日本人には多い。
仏教の根本的な教えは、「莫妄想(まくもうぞう)」、すなわち、「妄想するなかれ」だ。「莫」とは「存在の否定、禁止」を表す語だ。

ジョセフ・マーフィーの『人生に奇跡をおこす』という本に、女優になることを夢見ている若い女性に、マーフィーが「子供の夢から卒業しなさい」と嗜(たしな)める話がある。
それで、その女性は、何か現実的な勉強をして就職し、やがて、その就職した会社の若い社長と結婚して幸せになる。
しかし、多くの場合、「子供の夢から卒業しろ」なんて言われても、反発したりで、なかなか妄想を捨てないものだ。
「いや、叶わないとは限らない。無理を叶えるのがマーフィーの成功法則でしょう」ってね(笑)。
妄想かどうかは、1日何時間、そのことについて考えているかで決まる。
妄想の場合、1日トータルで1時間も考えていないことがほとんどだ。
(1日3時間以上妄想していれば、精神病院に入れられるようなことを起こしている可能性が高い)
あるいは、食べることより好きかどうかだ。
昔は、願掛けで断食する人がよくいたが、7日の断食がそれほど辛くないなら、本当の譲れない願いである。
妄想の場合、2日も続かないだろう。

実は、今の日本人は、「妄想する国民」なのである。
誰かが、そうなるよう仕組み、それがうまくいってしまったのかもしれない。
あなたが妄想の願いを持ち、それに執着しているなら、あなたもその被害者だ。
「鬼滅の刃」ではなく、「日本滅の謀略」である。
その謀略とは、日本人のモラルを破壊することだ。
日本人はすでに、モラルが何かを知りもしない。
モラルとは、勝手気ままに振る舞いたい気持ちに、自分で制限(自己制約)を加えることである。
人間は、持っているモラルの2倍、賢く、強くなる。
つまり、モラルが3倍になれば、6倍、強く賢くなる。
しかし、日本人が持つモラルは低いので、賢くはなく、力がない。
賢くないので妄想し、力がないので価値ある目標を見ようとしない。
酒を5杯飲みたい気持ちを抑えて1杯にし、ゆっくり座っていたい気持ちを抑えて腕振り運動や四股踏み運動をするなどで、少しずつ、自己制約の力、すなわち、モラルを取り戻すことだ。
そうすれば、小さな願いを叶えることなど容易いのである。








  
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至高体験を起こす

至高体験という、最高の幸福感に満たされる心理現象がある。
それは、麻薬で感じる快楽とは異なり、肉体ではなく、心で感じるものだ。
世界的心理学者のアブラハム・マズローは、「偉大な人間と平凡な人間の違いは、至高体験の有無だけ」と言った。
だが、英国の作家コリン・ウィルソンは、「至高体験は誰にでもある、ありふれたもの」と言い、やがて、マズローもそれを認めた。
ただ、やはり、平凡な人間は、至高体験を覚えていないのだ。
そしてさらに言えば、偉大な人間は、至高体験を、割と容易に「起こすことが出来る」。
至高体験は、宗教で言う法悦と同じで、神がかった状態であり、人間を万能にする。
よって、我々は、至高体験を起こせるようになった方が良い。

そもそも、至高体験の正体とは何だろう?
これも、コリン・ウィルソンが、あっさりと明かしている。
それは単に、「自分を幸運だと思うこと」だ。
これが分かれば、至高体験を起こせるようになったも同然だ。
つまり、自分の幸運に、喜んだり、感謝すれば良い。
たとえば、住む家があることに「ありがたいなあ」とか「ツイてるなあ」とか「嬉しいなあ」と思えば良い。
あるいは、着る服があること、見る目があること、食べる物があること、試験の成績が良かったこと・・・何でもいい。
これらは皆、幸運だから得られたのだということを認識しなければならない。
そんな幸運なことを見つけたら、口や心の中で、さっきの「ありがたいなあ」とか「ツイてるなあ」といった言葉を言えば良いだろう。
どんな言葉を言うかは、自分にピッタリくるものであれば、別に決まりはなく、何でも良い。
そんなことをやっていたら、至高体験を起こすことが出来るようになる。
そうなれば、自由自在にならないわけがない。








  
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たまたまうまくいく方法

子供の想像力は良いものだが、それを現実問題に適用しようとしたら、途端にそれは妄想でしかなくなり、何の役にも立たない、単なる馬鹿な考えでしかなくなる。
一方、大人は、現実的に考えることが出来る人でも、世界を動かしたり、人類を前に進めるようなことを考えられる人は滅多にいない。普通の大人は、固定観念が強くなってしまっているからだ。
例えば、かなりの額の臨時収入を得ようとしたら、子供は、そのための面白いアイデアは沢山出せるかもしれないが、そのアイデアは面白いだけで現実的ではなく、目的を達することが出来ない。
大人の場合は、月々の給料を得ることは出来ても、それなりの臨時収入を得るアイデアを出そうとしたら、「うーん」と考え込むだけで、何も出て来ない。

ところが、大人はもちろん、子供でも、それなりどころか、大変な臨時収入、さらには、不意に、高額な連続収入を得始める人がいる。
そんな子供や大人の特徴は、理屈でものを考えなかったことだ。
子供の場合は、お金より他に面白いことがあるし、お金に対し、切羽詰まった必要性を感じないこともあり、突如、お金を稼ぎ出す者は少ないが、大人が、予想外の臨時収入を、十万円とか百万円といった単位でなら、不意に得てしまう人はたまにいるし、もっと大きな額をタナボタ式に得てしまう人も稀にいる。
そんな時の、その人達の本音は、「なぜか分からないが」「どういうわけか」「何か知らんけど」なのである。言い換えれば、予想外なのであり、偶然、たまたまなのだ。
人間、良いことは、偶然、たまたま起こるのである。
正直で冷静に考える知性を持った成功者は、自分が成功した原因は「たまたま」だと言うのである。

私は、時々、このブログに書くが、あり得ないことを何度も起こしたことがある。
例えば、子供の時、天体望遠鏡で土星を見ようとしたら、何も考えずに、夜空の星を1つ選べば、その星は必ず土星だった。
それも、たまたまなのである。
また、やはり子供の時、以前見た、テレビドラマのある回を録画したいと思ったら、ただ、テレビの録画装置のリモコンスイッチを持ってテレビをを見ていたら、それが放送された。
これも、たまたまなのである。
確率とすれば、限りなくゼロに近いが、それでも、完全にゼロではなく、百億人がトライすれば、何人かは成功するかもしれない。
そのたまたまをどうやって起こすのか?
多くの、引き寄せの指導者たちは、そんなたまたまが起こることを信じろと言う。
しかし、そんなことは、子供にだって難しいのだ。
では、どうすれば良いか。例えば、私はどうやったのか。
それは、強く願ったことも確かだが、それよりも、疑わなかったのである。
信じはしないが疑わなかった。

奇跡を起こすコツは、「信じないが疑いもしない」で、現実世界ではむしろ「疑わないが信じていもいない」とした方が良い。
例えば、女性に、男性が「君を愛している」と言ったら、女性は、その男性を、疑ってはいけないが、信じてもいけない。そうすれば、嘘は見破れる。
私は、新型コロナワクチンが良いものであることを疑ってはいないが、信じてもいない。だから、1回も打っていない。
宝くじが当たることを信じるやつは馬鹿に決まっている。しかし、疑わなければ当たる。
それには、普段から、「疑っちゃいません。けど、信じてもいません」という心構えを持つことだ。
ちなみに、このセリフは、笹沢佐保さんの時代劇『木枯らし紋次郎』のヒーロー、紋次郎がよく言ったものだ。
いつも紋次郎が、奇跡的勝利を得るのは、フィクションながら、とても自然なのである。








  
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なぜ言葉の魔法が効かなくなったか

芸能人の自殺のニュースが続いているらしいが、元々、日本は異常なほどの自殺大国だ。
自殺の原因なんて、恨みとか絶望と思われるかもしれないが、結局のところは、無力感から来る不安だ。
本来、不安なんてものは、一休さんの遺言ではないが「心配するな、なんとかなる」と思ったり、「大丈夫」と口にすれば消えるものであるが、今の日本ではそうではない。
その理由は2つで、1つは、日本人の心が弱くなったこと、そして、もう1つは、日本人の判断力が狂っていることだ。
なぜそうなったかというと、学校やテレビによって、日本人がモラルを失ってしまったことに因る。
モラルがないと、誤った判断しか出来ず、心が弱くなるのである。
そもそも、モラルとは、「放埓(勝手気まま)に振る舞いたいと思う気持ちに制約を加えること」だ。
あくまで「制約を加える」ということで、全て抑えるわけではない。しかし、理性ある人間として必要な分は抑えなければならない。
そして、個人的欲望に制限をかけずに生きている者は、正しい判断が出来ず、しかも、心が弱いのである。

なら、心を強くする方法は簡単で、それは、モラルを持つことだ。
分かり易い言い方をすれば、「個人的欲望に加えた制約の倍の力を神はその者に与え、世界を闊歩させる」だと考えて良いと思う。

尚、断ち物(特定の欲望を完全に断つ)のような極端なやり方は勧めない。
断ち物で有名なのは、幼少だった徳川家光の重病からの回復を願い、春日局(かすがのつぼね)が、生涯、薬を飲まないと誓ったり、上杉謙信が、戦の勝利を願って、生涯、女を抱かないと誓ったりしたものである。
それで、家光は治り、謙信は戦で無敗だった。そして、彼らは誓いを実際に、生涯に渡って守った。
だが、願いが高貴でない場合は、必ず破滅が訪れる。
これも、分かり易い譬えで言えば、個人的欲望で断ち物をすれば、悪霊や動物霊の力を借りることになり、一時的にうまくいって喜ぶが、すぐに悲惨な目に遭うのである。
願いがまごうことなき高貴な場合は、やることを止めはしないが、もし、誓いを破ったら、どうなるか分からない。

モラルを高める・・・つまり、自己制約の力を高める楽な方法には、腕振り運動や四股(佐川式に準じる)を数多く行うことがある。
それにより、無意識のエネルギーを多量に味方に出来るからだ(気功や合気武術では、気を蓄えるといった言い方をする)。
そうなれば、自分の心を支配し易く、「大丈夫」と口にすれば、容易く大丈夫と思える。
そして、大丈夫と思えば大丈夫になるし、なんとかなると思えばなんとかなるのである。

「ありがとう」「ツイてる」などといった魔法の言葉と言われるものがあるが、モラルのない、心が弱い人間には、あまり効力はない。
ただ、心が弱い者でも、思い切り苦労したり、温かい人の情けに触れたりして、心が純粋になると、そんな言葉が有効になることはよくある。
だが、そうでないなら、モラル、すなわち、自己制約の力が必要であるのに、このことを言う者がほとんどいない。まあ、これを言うと、本が売れないのかもしれないが(笑)。








  
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本当に生きていると言える人間とは

竹宮恵子さんの古い漫画で、あまりよく覚えていないが、こんなお話があった。
一人の少年(青年とも言える年齢)か、この世界で生きることがとても辛く感じていた。
世界は灰色で、人々は誰も生きているように見えなかった。
そんな時、一人の少女を見かけたが、少年は、彼女は生きていると感じ、彼女を追いかける。それは、単に、彼女が好みのタイプだったからとか、そういうのではなく、本当に、彼女に生命の輝きというものを感じたようだった。
まあ、結末は、かなり悲惨だったと思うが(笑)。
ただ、「この世界は生き難い」「誰も生きているように思えない」というのは、十代の若い人にはよくあることだが、これが20代、30代となっても、そのままだと、生涯、ひきこもりのニートになりかねない。
とはいえ、誰もが、いくらかは、そんな感情を持っているのだと思う。
この世界は、どこか偽物っぽく、空虚で、嫌な世界で、夢も希望もなく、こんな世界で生きるのは辛い。ここに居る人々も、血の通った、動いている心臓を持った、人間らしい心を持った存在と感じられない・・・誰でも、多かれ少なかれ、そんな想いを持っているものだろう。

そこで、こんな問題に思い至る。
つまり、自分は本当に生きているのかと。
上の竹宮恵子さんの漫画で言えば、その、おそらくはピュアな心を持った少年に、あなたは生きていると思ってもらえるだろうか?
あの少年は、魔女の少女だけを生きていると感じたのだ。

長谷敏司さんのSF小説・アニメ『BEATLESS』で、15歳の少女、村主オーリガは、「人類はエロとグルメだけで生き延びてきた」みたいなことを言ったが、それはあくまで、友達の遠藤ユカ(14歳)を元気付けるために言っただけで、もちろん、間違いである。
つまり、上の竹宮恵子さんの漫画で言えば、「エロとグルメだけで生きているような人間は本当には生きていない」のである。
そして、現代の人間のほとんどは、エロとグルメだけで生きているので、本当には生きていないのである。
エロとグルメだけで生きている人間は、そもそも人間ではない。

では、どうすれば生きることが出来るのか?
これは重要である。
なぜなら、生きている者だけが神の力を持てるのだからだ。
俗なことを言うなら、生きている者だけが、引き寄せが出来る、つまり、世界を創造出来る。
というわけで、生きよう(笑)。
どうすれば生きられるかは、教えてもらうようなことではない。
ただ、逆向きに言うなら、さっきも述べたように、「エロとグルメだけで生きない」ということだ。
言うまでもないが、エロとグルメを否定するのではない・・・こんなことを言わないと、すぐ、「エロもグルメもあってはならないと言うのですね」と言う馬鹿がいる。嗚呼、面倒臭い(笑)。

正義を指向する者は生きている。
純粋な敬い、憧れを持つ者は生きている。
それが純粋な敬いや憧れであるかどうかは、正義を指向しているかどうかで決まるように思う。
金メダルを狙う者は生きていない。そんな者は、エロとグルメに生きていて、その欲望を利用されているだけだ。
結局のところ、正しい心、美しいハートを求めている者だけが生きているのである。
つまり、『銀河鉄道の夜』の、ジョバンニやカンパネルラのような者が、本当に生きていると言えるのだと思う。

※上で引用した竹宮恵子さんの漫画は『真夏の夜の夢(ミッド・ナイト・ドリーム)』であることが判明。『シルベスターの星から』に収録。








  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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