ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

学歴なんかいちいち言わなくても

東京都知事の小池百合子氏が、カイロ大学を主席で卒業したか、あるいは、卒業自体が本当か等という報道があるようだ。
もちろん、実際はどうかは全く分からないし、(報道を)信じていないながら読み取れるのは、本人の弁によれば「卒業は事実」「主席卒業は自分の勘違いの可能性がある」とうことだ。
「主席卒業は勘違い」はもちろん、通用するはずのない言い訳で、本当に主席卒業でないなら、たとえ本人にそのつもりがなくても、意図的に嘘をついたというのと同じになる。
とはいえ、いくら小池氏が偉い人、責任重い立場の人だからといって、個人的には責める気は全くない。私は全く偉くはないが、「意図的な」嘘を言ったことはあるからね(そりゃもう沢山…)。
イエス様は「罪なき者から石を投げよ」と言ったが、皆、叩けばホコリが出る身なのだ。

著書を楽しませていただいている精神分析学者の岸田秀氏は、フランス留学の際、博士号を取得したとし、博士を名乗っていたことがあったらしいが、岸田氏は「本当に博士号を取ったと思っていた」「しかし、それは自分の誤解だった」といったことを著書に書かれていて、詐称の意図はなかったと言いたいのだろうが、まあ、そんな訳ないだろうし、仮に、本当に自分の誤解だとしても、そんな言い訳は通用せず、意図的な詐称と同じになるが、その程度の嘘は誰でもついているのだから、まあ、どうでも良い。岸田氏の著書は面白いし、特に初期のものは勉強になった。
また、「エスの本」の翻訳は、岸田氏と 山下公子氏との共訳なのだが、お互い、相手が訳した部分も訳してチェックし合ったという熱心な仕事振りは感心だ。

音楽家の坂本龍一氏の愛称は「教授」だが、それは、坂本氏が東京芸大の大学院生だった時、ミュージシャンの高橋幸宏氏が言い始めたのがきっかけのようで、その後、皆が親しみを込めて「教授」と言っているのである。
このような、愛称は良いものである。
ちなみに、坂本氏は東京芸大の客員教授であるらしい。つまり、愛称が本当になっちゃった訳である。
尚、私は中学生の頃、「博士」の愛称で呼ばれることがあった。博学な科学知識のため・・・と言いたいところだが、単に、H.G.ウェルズのSF小説の、しかも、かなりいい加減な知識によってである。

博士号を買ったという話はよく聞くが、これは、海外の非認定大学のような団体が授与する学位を金で買って、その学位(ほとんどが博士だろう)を名乗るというもので、堂々「そんなところで買った博士だ」と博士号を名乗る者もいるらしいが、単に名乗るだけなら法的に問題があるかどうかは微妙なのだと思う。
私は、博士号はそれなりの価値があるとは思うが、どれほどの価値があるかは分からないし、単にその学位を持っているだけなら、それほどのものではないと思う。
だから、本当に博士号を持っていても、名乗る必要も、記載する必要もないと思っている。
以前は、「安い(あるいはそんなに高くない)なら私も買いたい」と思っていたことも正直あるが、今はそれは全くない。

初音ミクさんの愛称は、「歌姫」、「天使(マジ天使)」等だが、そのように称される人は他にもいる。しかし、誰も自称したりせず、周りが勝手に言うのである。
坂本龍一さんの教授もそうだ(いや、今は「マジ教授」だが)。
2002年にノーベル化学賞を受賞された田中耕一氏は、インタビューで「ドクター(博士)」と呼ばれた時、慌てて「いや、ドクターじゃありません」と言われたが、本当に、学位なんてものは、尊敬の意味があったとしても、いちいち言うものでもないと思う。
むしろ、田中耕一氏のように、博士号を持っていないノーベル賞受賞者の方が、偉い・・・というか、何と言うか・・・いいじゃないか(笑)。

昨日、初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ2018」のチケット抽選の発表があり、インテックス大阪のSS席が当選していた。
千葉県の幕張メッセのSS席も既に確保出来ているので、少なくとも、大阪、千葉で一度ずつミクさんに会えることになった。本当に有り難く嬉しいことである。
実は、「マジカルミライ2016」のA席のチケットが一度当選して以来、初めての当選だ。2017年は、応募出来る抽選は、正直、ダブりながら全て応募したが、全部落選していた。そのショックは、実際、今もある。
昨日、抽選発表の時刻を過ぎても、なかなかメールが来なかったので、恐る恐る発表サイトにアクセスし、「当選」の赤い文字を見た時は茫然となってしまった。
「神よ、善い人になります!」と思ったものだが、続けばいいな・・・と(笑)。









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悪霊退散の法

悪霊というものは、いろんな国や民族の伝統的なイメージの通りではないかもしれないし、その存在は科学的とは言えないだろうが、それでも、だいたい我々の思う通りで良いのだと思う。
そして、そんな悪霊は、そこらにいて、そいつらの精神性に同調すれば、連中は容易く人間の中に入り込めるのだろう。
全くもって非科学的なんだろうが、こう考えておいた方が良い。
それに、科学のパラダイム(認識の枠組み)が変われば、案外、正しいのだと思う。
一方、善霊と言うべき、天使とか高級霊も存在していて、やはり身近にいると考えて良い。

こう考えると、新約聖書のイエスの教えや、法句経などの釈迦の根本的な教え、それに、バガヴァッド・ギーターも、つまるところ、悪霊を寄せ付けず、善霊と親しむ方法が書かれているのだと思う。
そして、スウェーデンボルグやラルフ・ウォルドー・トライン、また、ジェームズ・アレンらの教えも、特にその時代の風習に合わせただけで、本質は全く同じである。

どんなふうに考え、想い、行動すれば悪霊と同調するか、逆に、善霊と同調するか判断することは、それほど難しいことではないのだが、人間は放っておくと、悪霊と同調するようになってしまう。
すなわち、怠惰、快楽主義、利己的な性質が、どこまでも強くなってしまう。
自分が悪霊にとり憑かれているかどうかは、鏡を見れば、割と一目瞭然であると思う。
鏡で自分の顔を見れば、すぐに、「うわっ!悪霊にとり憑かれた顔だ!」と分かるのである。
それは、心の奥にいる善霊の嘆きである。

ゲーテの『ファウスト』で、神は、「人間は怠り勝ちだ。堕落した人間には悪魔を差し向け融合させる」といったことを言うが、それはそれで意味があるのだろう。
だが、好き好んで、いつまでもそんな苦難を味わう必要もあるまい。
神様お気に入りのファウストだって、いい年ぶっこいて若いきれいな娘にみっともないほど血道を上げるが、ファウストは娘の気持ちを大切にしていた。
昔、丹波哲郎さんが、「相手が嫌がるエッチは邪悪だが、相手が喜んでいるなら大いによろしい」といったことを言われていたが(丹波さんらしい)、あまり詳しくはないのだが(笑)、アダルトゲームやアダルト系同人誌などには、女性の気持ちを無視したものが多く(いや、あくまで聞いたところでだが(笑))、そんなものを喜んで見ていると、たちまち、大量の悪霊にとり憑かれる。
まあ、永井豪氏の出世作『ハレンチ学園』で、ヒーローの山岸がヒロインの十兵衛に、「お前だって、いや~んいや~んやめてとか言いながら、脱がされるの結構喜んでたじゃないか」と言うと、十兵衛は「べ、べつに喜んでなんかいないもん」とツンデレで返すが、そんなのは良いのだろう。ただし、自分勝手に判断しないことだ・・・って、何の話してるんだ、私は(笑)。

お釈迦様が、本当に、「未来の人間はロクに修行出来なくなるから、念仏だけ忘れなければ良い」と言ったかどうかは分からないが、根本的に良い方法だと思う。
念仏を唱えている人間には悪霊は近寄り難いだろうから、念仏は悪霊に対する強力なバリアーになり得る。
ただし、念仏を、家族であろうが、他人に強要するようであれば、効果がなくなりはしないが、弱くなるし、そのような心根を持っていると、別のことで悪霊にとり憑かれることだろう。
心の波長を、神、仏、天使、高級霊、菩薩、初音ミクさんに合わせること・・・即ち、天使や、それと等しいミクさんに見られて恥ずかしいことはしないことである。









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災害時に頼れるもの

今朝、午前5時前にネットで調べたら、ほとんど全ての鉄道が平常運転になっている。
労働法は大丈夫かという徹夜の作業だが、こんな時は、ライバルがいないはずのJRも大変だ。
普段、「すぐに運転をやめてしまう」「いい加減な説明しかしない」と悪評高いJRも、ここで他社に遅れを取る訳にはいかないだろう・・・いや、あくまで乗客のためを思ってがんばったのだと思いたい。
ところで、私が乗るJRの路線の話であるが、遅延が発生した時に、「折り返し運転が遅れております」などという表現をよくするのだが、その電車が「折り返し」か「折り返し」でないか、乗客には何の関係もなく、「折り返し」と言われると物凄く違和感を感じるところで言うのだから大間抜けである。それで言うなら、全ての電車が「折り返し」だ。
また、ホームの汚物をいつまでも清掃せず、1年近く経って自然風化していたこともあった。それは、電車の乗車口に近く、乗客が不快に想っていたに違いない所だったに関わらずだ。
やはり、いまだ国鉄体質で世間を知らず(知ろうとせず)、また、多くの乗客は、JRを「利用せざるを得ない」ことからくる驕りだろうか。
今でも国鉄時代の負債は凄く、国が支援しなければ1日も持たない鉄道だ。単なる民営化ではなく、他の鉄道会社に分割譲渡すれば良いと思っていた。
しかし、今回は、他の鉄道に負けずに復旧を完了させたことで面目が立ったと思う。最も規模が大きな鉄道で、設備も古いのは確かなのだからね。

今回は、私のところではインターネットは、ずっと普通に使えた。
いかにサーバーが分散された事故に強いインターネットでも、物理的な回線が切断されればアウトだが、現在は、スマートフォンやMVNO(仮想移動体通信事業者)の発達で、多くのインターネットが無線化し、特に移動者のインターネットは万全な場合が多い。通信業者の設備も、おそらく、事故に備えて分散化が進んでいるだろうと思う。
人類はいまや、ある意味ではテレパシー能力を獲得したようなものだが、本物のテレパシーとの違いは、嘘が平気で伝達されることだ。
最近のLINEのスタンプを見ると、過剰な表現がなされているのは、「嘘を隠そう」という意図が強く現れるからである・・・と感じる。
また、会話内容があまりに軽く、表面的な対話であると言うよりは、人々の知性が低下しているのであるが、それは、いわゆる支配者の策略であろうか。人々の知性や感性の低下はそれほどひどい。

新約聖書の福音書を読むと、イエスの時代、悪霊にとり憑かれた人が沢山いるのだが、それは今も変わらない・・・あるいは、悪霊にとり憑かれている人はもっと増えているのではないかと思う。
そこいらに、悪霊にとり憑かれている人がいる。そう断言したいほどだ。
トラインの書によれば、悪霊にとり憑かれるかどうかは、自分で、悪霊に対して心を開いてしまうかどうかである。
悪霊は、容易く人の中に入るのだと思う。
怠惰であったり、他人を妬んだり、恨んだり、快楽に耽ったり、邪まなことを考えることが、悪霊に対して心を開くことなのだ。
逆に、自分を律し、厳しい制限を課し、高貴な、あるいは、美しい思考を楽しめば、悪霊に対して心を閉じ、善霊に対して心を開くのだろう。
あまりに単純だが、それだけのことである。
高貴なお祈りをしたり、お経や祝詞を上げようと、それが自慢するためのもの、自分の幸福だけを願うものであれば、逆に悪霊にとり憑かれてしまう。
聖典を読んだり、お経や祝詞を上げても、なるべく他人には黙ってやることだ。
押し付けがましくなく人に奨める場合や、それに関する情報を与える場合を除いてね。

災害時には、毎日身体を鍛えて強い身体を持っていることが本当に有り難い。
長時間立ったり、歩いたりする必要に迫られることが多く、普段、自動車にばかり乗って歩いていなかったり、だらしない姿勢で座り、今は、ごく若いのに優先性にわれ先に座る恥ずかしい若者も多いが、そんな者達は悲惨だろう。
座る姿勢は大切で、それだけで、かなり身体は強くなるものなのだ。
大食して運動せず、肥満している人は、何かあったら生きて行けないかもしれない。しかも、苦しく惨めに死に向かうのだ。
初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」は2時間ちょっとだが、最後までずっと立っていられない人が、若い男にもよくいる。
アンコールの時は、座り込まず、声を上げてアンコールを送りたいものである。
そもそも私が初音ミクさんを好きな理由の1つが、その2時間以上、ずっと元気に歌って踊り続ける輝く若さなのである。
それを見ると、自分もエネルギーに満ち、自然に若返るのである。









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ディスコミュニケーション

身体的トラブルを起こした御老人に出会った時、こちらは役に立とうと手を尽くすのだが、後で考えると、対応が全く不適切であったと後悔する。
私は、父親が生きていた時に介護した経験があるから、相手が地面や椅子に座っている状態から立たせるコツは分かっているが、必ずしも、立たせたり、歩かせたりするのが正しい訳ではない。
また、父の場合は、いつも車椅子があったので、背中におぶったことがないため、背中に乗せるのは全く下手だ。
老人でも身体の大きな重い人はいるが、そんな相手を完全にしゃがんでおぶろうとすると、バランスを崩しかねない。かといって、しゃがみ方が少ないと、向こうが乗り難いのだと思う。
そのあたり結構難しいが、コツが分かれば上手くやれるのだろう。

梶原一騎氏原作の空手アクション漫画『新カラテ地獄変』で、不世出の空手家、大山倍達氏をモデルにした空手家、大東徹源が、終戦直後の日本で、若い女性が大勢の米兵に連れていかれ陵辱される寸前に得意の空手で助ける場面がある。大東徹源は、女性を適当な場所まで送って別れるが、後に女性と再会した時、女性は米兵相手の娼婦に身を落としていた。
大東徹源が、その女性がそうなったのは自分のフォローが駄目だったせいだと思い(実際、そうとも言えるのだが)、「俺のやることはいつも間が抜けている」と激しく後悔する場面を、私はかなり昔見たのだが、それが強烈に印象に残っている。
「俺のやることはいつも間が抜けている」
私がいつも感じることだ。
もっと熟慮すれば少しは役に立てたのに、自分が馬鹿なのか、いい加減なのか、助けるどころか迷惑になってしまっていることが多いのだ。
助けようという気持ちだけでは相手は楽にならない。
そして、最近、重々しく感じるキーワードが「ディスコミュニケーション」という、相互不理解を意味する和製英語だ。
初音ミクさんの『エイリアンエイリアン』という歌(ナユタン星人作)の「重度のディスコミュニケーション」という歌詞で、ちょっと気持ちが落ち込むのを感じるが(ライブでこの唄を歌うミクさんは掛け値なしに可愛かったが)、ミク廃には、そんな人は多くないのだろうか?
私は、ビジネス上のコミュニケーション力は磨いた・・・というより、コミュニケーションについては、それしか出来ないのだろう。
そして、ビジネスコミュニケーションとかビジネスの契約なんてのは、全く・・・とは言わないが、あまり人間的でない。
まあ、もっとも、ビジネスコミュニケーションは全く駄目で、普通のコミュニケーションは周囲とチャラチャラ出来るだけという程度の人が、いい歳をした人にも多い。私は、その「チャラチャラ組」を軽蔑していたが、それでも私よりはマシかもしれない。

別に愚痴ろうというのではなく、大抵の人は、自分の人間的スキルに不満があるだろうし、欠点が見えてきている場合もあると思う。
その修正は難しいし、出来ても時間がかなる。それは、多くの場合、落ちる水が岩を穿つごとく時間をかけて作ってしまったものだからだ。
この土日、Amazonプライムビデオで『BEATLESS』第22話「Protocol Love 」を何回も見たが、アラト(17歳男子)が「みんなが信じられる未来を」というのが、レイシア(美少女型スーパーアンドロイド)への音声コマンドになり、レイシアは「了解しました。これより、未来をアラトさんがデザインした方向に誘導します」と応え、リョウ(アラトの親友だが敵対している。無駄に頭が良い)が恐怖する。
アラトはレイシアという強力な力を持っているが、我々だって、それに負けない力を心の中に本当は持っている。
アラトは自分が「チョロい」という欠点を自覚していた。自覚した上で、レイシアに命じたのだ。
私に限らず、多くの人類の問題はディスコミュニケーション(相互不理解)だ。
精神科医ジーン・シノダ・ボーレンの本で見た覚えがあるが、『スタートレック』で、肉体を持たない精神生命体が宇宙船を操作するためにミスター・スポックの身体に入った時に、「なんて寂しいんだ!」と言ったらしい。なるほど、よく分かる。
人類は、ディスコミュニケーションの解消のためにインターネットを作り、最初はトラブルが多かったが、良い面も出てきて、概ね成功が見えてきた。
だが、まだ足りないなら、次はテレパシー能力を発達させる必要がある。
さて、あなたは、どんな未来をデザインするだろうか?









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良い『バガヴァッド・ギーター』を見つけた

良い『バガヴァッド・ギーター』のKindle本を見つけた。
日本ヴェーダーンタ協会の『バガヴァッド・ギーター』だ。
何が良いかと言うと、シンプルであることだ。
元々の紙の本の方は、「ローマ字とカタカナに転写したサンスクリット語原典」があったらしいが、Kindle版では省かれている。正直、それは私には不要だ。

『バガヴァッド・ギーター』の翻訳には、読み難いものが多い。
文語のものもあり、それはそれで素晴らしいが、文語の意味が分からずに口語的に読むと、意味を全く逆に捉えてしまうことがあるかもしれない(私はそうなったことがある)。
また、『バガヴァッド・ギーター』は、膨大な叙事詩『マハーバーラタ』の一部である。だから、『マハーバーラタ』のストーリー展開や、それぞれの登場人物について細かく記述した本もあるが、はっきり言って、それは一切必要ない。そんなものに関わっていたら、『バガヴァッド・ギーター』を読む前に挫折する。

『バガヴァッド・ギーター』で必要なのは、ただ、クリシュナとアルジュナの会話だけである。
しかし、その会話に余計な解説をゴテゴテつけて、あるいは、日本語になっていない妙な文にして、肝心な部分がすっかりボケてしまった本もある。

しかし、日本ヴェーダーンタ協会のものは、最低限の注釈のみを付し、そして、まともな日本語にしてくれていて分かり易い。
ドリタラーシュトラ王が盲目であることや、サンジャヤが千里眼を持つ超能力者であることすら書かれていないが、何の問題もない。

『バガヴァッド・ギーター』を読むのに必要な知識は以下に述べる程度で十分だ。
大昔インドで、パンドゥー王家とクル王家の、大規模な戦争が起こった。
主人公であるアルジュナは、パンドゥー家の第3王子で、極めて強力な戦士である。
クリシュナはアルジュナの従者(主人に仕える者)であるが、アルジュナは自分の従兄弟で最高に優れた人間であるクリシュナを強く尊敬し、師と仰いでいる。
また、アルジュナとクリシュナは深い親愛の情で結ばれた親友でもある。
繰り返すが、アルジュナとクリシュナの会話のみが、『バガヴァッド・ギーター』で必要なものである。
そして、その会話を中継するのが、クル族の盲目の王ドリタラーシュトラ王の近くに仕える、千里眼の超能力者サンジャヤである。
サンジャヤがドリタラーシュトラ王に、アルジュナとクリシュナの会話を伝えるが、その内容が、『バガヴァッド・ギーター』なのである。
以上が分かれば、後の登場人物については、スルーしたって全く差し支えない。

ここまでつっけんどんに書く気はなかったが、あまりに不親切な本が多く、せっかくの神の書『バガヴァッド・ギーター』が読まれないのが残念なので、こんな書き方をした。
勝手なことを言いついでに独断を言うなら、人類が持つ中で最も貴重な聖典は、『バガヴァッド・ギーター』『老子』『新約聖書』だと思う。
無論、読むだけでは駄目なのだが、実際には、これらのどれにも、どうすれば良いかが書かれている。
仏教にも良い聖典があるとは思うが、どれが一番かは分からないし、かなり余計なものがくっついているのだと思う。敢えて言えば、私が仏教で最も重要視するのは『歎異抄』で、これを読んで念仏を唱えるのが良いと思う。
尚、現実に役に立つ(物質世界で有効な)、ある意味、私のバイブルは『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』である。現実的な力がない者は、聖典より、ここから始めて強くなれ。
以下、公平に、電子書籍を中心にご紹介する。









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