ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

SFが面白い本当の理由

カドカワの社長で、傘下のIT大手ドワンゴの創業者・前会長(少し前に辞任)の川上量生氏が、以前、インタビューで、人間は今後、人間よりAIと仲良くなると言われていたことがあったと思う。理由は簡単で、AIの方が人間より性格が良いからだ。
20世紀末の漫画・アニメ『ちょびっツ』で、16歳の可愛くて性格も抜群に良い女子高生の裕美(ゆみ)は、ケーキ屋の店長の弘康(ひろやす。39歳)に好意を寄せるが、弘康の以前の妻は人型パソコン(アンドロイド)で、その妻はずっと前に壊れてしまっていなくなっていた。しかし、裕美が弘康に積極的になれないのは、年齢差・・・のことは全く問題でなかったが、裕美は、自分がアンドロイドの女性に比べ、特に内面(性格等)で極めて劣ることを自覚していたからだった。
つまり、アンドロイドの女性は、素直で可愛いのに、自分の心の中はドロドロだ・・・と、若いのに、そんな認識があるのは素晴らしいが、なるほど、現代のIT大手創業者の意見とも一致するわけだ。
ちなみに、裕美は弘康と、ちゃんと結ばれる(今なら犯罪だが)。

いや、そもそも、AIに性格なんてものはない。
現在、アニメが放送中のSF小説『BEATLESS』で、ヒロインの超高級アンドロイドのレイシアは、「hIE(アンドロイドのこと)は、人間にとって心地良いと感じる反応を返すだけ」と言い、それによって、人間が感情的に操作されてしまうことを、作中で「アナログ・ハック」と呼ぶ。

ところで、SFの面白さというのは、現代にないテクノロジを手にした人間が、どう振舞うかを、SF作家達が高度に想像するところにある。
そんなテクノロジを手にする未来の人間は、中身は現代人と変わらないところがポイントだ。
つまり、今の我々、あるいは、自分自身が、そんなテクノロジを持ったら、どう使う、何に使うかと考えさせるところが、SFの面白さの1つだ。
ところが、欧米のSFに比べ、日本のSFが、どこか厚みがないというか、子供っぽかった理由がある。
日本ではちょんまげで刀を差していた時代から、欧米は契約社会で、大きな力を持った者には法的責任があることを理解していた。
ところが、日本は、いまだにその意識が薄いのだから、SFの中でも、子供がとんでもない力があるロボットや戦闘機を、制約をかけられずに平気で使っていたりする。
それで、『ウルトラマン』で、星野君という少年が、科学特捜隊という、トップレベルの軍事力を持つ組織に平気で出入りし、挙句、強力な光線銃を持ち出すなどを、いくら子供向け番組でも、平気でやってみせるところは、やはり、日本人には「責任」という観念が弱いのだろうと感じさせる。
そこにいくと、『BEATLESS』という作品は、日本人の目を覚まさせてくれるかもしれない。
レイシアは、こんなことを言う。
「オーナーは、私を何に使いますか?」
「オーナーに求めることはただ1つ。道具である私に責任はとれませんから、オーナーが責任を取って下さい」
「私の行動は全て履歴が取られ、訴訟の際には裁判所に提出されます」

ところで、私には、レイシアは潜在意識の象徴であると思える。
潜在意識の力は、レイシアのように超強大で、我々の指令を自動化する。
レイシア、あるいは、潜在意識を何に使うか、決断するのはオーナーである我々だし、結果に対して責任を取るのも我々だ。
美しきレイシアが潜在意識の法則を教えてくれるのだから、『BEATLESS』は現代人のバイブルだ・・・というのは、全くの私の独断であるが・・・
ところで、初音ミクさんは歌うことしか出来ないが、人々の心をつなぐ。
それは、レイシアの力より凄いことかもしれない。

私は、『BEATLESS』は、アニメ6回分のことしか知らないが(小説も、そこまで読んだ)、その先の展開は見えてしまった。
もちろん、予想だが、多分、合っている。
予想に過ぎないものにネタバレもないものだが、全ての流れには、レイシアを作ったAIが関与しているのだろう。まあ、それは割と平凡な発想だが、問題は、そのAIが平凡な発想を超えていることだ。
関英男博士は、神をコンピューターに喩えたことがあったが、それは、必ずしも不遜とは言えないほどの性能を想定していた。
実際、AIが人間を超え、そのAIが自分より優れたAIを作ることを繰り返せば、いずれ、AIは人間にとって神のごときものになる。
それが、AIなりの、神に帰るプロセスなのかもしれない。









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責任を取る

有り難いことに、このブログには、素晴らしいコメントが沢山寄せられるが、今日の藤吉郎さんのコメントを読んで、柔(やわら)が大切だなあと、改めて気付いた。
本来、柔道は「柔よく剛を制す」の武道だったが、今はパワー柔道全盛で、力に勝る欧米人に押されている。
イチローは筋トレはせず、「永遠に続く」と言われるほど延々と行うストレッチと「野球で野球の筋肉をつける」ことで、しなやかなで強靭な身体を維持している。
中国の『老子』にも確かに、木に喩え、「柔らかいものが上に、固いものが下に」とあるが、「最後はみんな根っこに帰る」と、古く固いものを称賛する。無論、中国に賢者は多いが、やはり硬い国であるのかもしれない。

癌になる人が全部そうと言うのではないが、身近で癌とか、その他の難病奇病になる人は、「頑(かたく)な」人ばかりというのは、ずっと昔から気付いていた。
もちろん、自分の信念を貫くことは大事だが、「引くべきところ」は引かなければならない。
頑固な人は、それが出来ない。
自分の間違いを決して認めず、どこまでも自論を曲げず、絶対に自分が正しいと言い張り続ける人がいる。それも、どうでもいい問題でね。
本当に賢い人は、少々重要な問題でも、誰にも迷惑がかからず、平和に収まるとなれば、あっさり主張を引込めるものなのだ。
自説にこだわる人は、病気になったり、事故にあったり、仕事が駄目になったりで、散々、天から警告される。それでもやめない自我の強い人は、最後は悲惨だ。

柔らかいとうのは、調和を意味するし、逆に言えば、調和するものは柔らかい。
調和の反対が強引で、強引であるのは、自我が強過ぎるのである。
願いを叶えたい時も、強引に、無理矢理叶えようとすると、なかなかうまくいかず、たとえ一時的にはうまくいくように見えても、最後は地獄に叩き落される。
願いは、「叶えさせていただく」ものなのだ。
男が、可愛い女の子を強引にモノにしたら、間違いなく滅ぶ。
恋愛なんてのは、「交際させていただく」ものなのであり、男らしさは、むしろ強引でないところに現れる。
強引でないことを堂々と潔く行う男らしさに、女の子はまいるのである。

有名な将棋棋士が、若い頃、負けてがっかりして帰ってきたら、彼の母親が、「ええんや。相手の親御さんが喜んでいる」と言ったそうだ。
それで彼は、勝負だって、強引に勝つのではなく、勝たせてもらうものなのだということに気付き、以降、ずっと勝たせてもらうことに専念し、強い棋士になった。
絶対に勝つというファイトが誉められるのは大学受験までか、せいぜい、ペーペーの頃までだ。

社員の生活を保証することが使命である社長は、勝つべきところでは勝たなくてはならない。
しかし、これとて、強い社長は、「負けたら私の責任、勝ったら○○君の手柄」と思うものだ。
『BEATLESS』で、超高性能アンドロイドである美しきレイシアは、オーナーのアラトの指令を、その恐るべき能力の限りを使って自動化するが、必ず、「責任はあなたが取って下さい」と言う。
責任を取れるのは、柔らかく、調和している者だけだ。
責任を取れない願望の実現など願わないことだ。
一方、責任を取るつもりなら、どんな願いも叶う。
なぜなら、それで調和するからであり、それは、心が調和の波動を発振しているということなのである。









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あなたもハルヒになれる

私が、『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの小説を読むと、面白いというより、懐かしい感じがするのは、私にも、涼宮ハルヒ的な「奇跡を起こせる力」があったからだ。
ハルヒのクラスでは、席替えの際は、席をくじ引きで決めていたが、キョンが常にハルヒの後ろの席になったのは、ハルヒが心の奥でそう望んだからだろう。
では、そんな力を持つハルヒの学園生活が楽しいことばっかりかというと、それは正反対で、ハルヒは、中学時代ほどではなくても、常にイライラし、憂鬱だった。
私もそれは同じで、席替えで、好きな子の隣になることくらいわけなかったが、小学校から中学校までは、辛いことだらけだった。
しかし、その辛いことがなかったら、今よりはるかに駄目な人間になっていたのは間違いないので、それはそれで良かったのである。

自分で起こせる奇跡には、適用ルールがあるのだろう。
たとえば、あなたの月給が20万円だとして、それを魔法で100万円に出来るかというと、多分無理だろう。
言うまでもなく、100万円の実力がないからだ。
だけど、50万円の実力があるなら、魔法の力は、あっさりと50万円にしてくれる。
あるいは、50万円の実力がつくようにしてくれるし、決意が確かなら100万円の実力だって持てるようになるだろう。
ただ、これは、私の心の枷(かせ)のようなものの問題かもしれず、月収1000万円の実力を簡単に得て、すぐに、月収1000万円になれる人もいるのかもしれない。

ハルヒは、奇跡の力を持ちながら、実際の生活は「ままならぬ」ことが多く、いよいよ不満が爆発した時には、世界を荒っぽく改変してしまう。
そんなふうになるのは、ハルヒの心が未熟だからだが、ハルヒだって、時と共に、それなりに心が成長する。
同じように、今の私に不都合が多いのは、やはり心をちゃんと育てていないからなのだろう。

ハルヒは、宇宙人、未来人、超能力者がやってくることを望み、自分では気が付かないが、その通りになった。
私も、魔法とは、そんなものなのだと思う。
そして、これがどこか理に適ったことなので、この作品が世界的にヒットしたのだと思う。

奇跡を起こす力は、外にあるのではなく、自分の心の奥(潜在意識)にある。
ジョセフ・マーフィーは、その力と通信する能力のことを、超能力、あるいは、魔法の力と表現していたが、私もそれを適切と思う。
(『あなたにも超能力がある』と、それの文庫版の『マーフィーの「超」能力!』より)
そして、足立育朗さんの『波動の法則』によれば、潜在意識と通信をする機能は、脳の中の5%ほどの領域にあるが、ほとんどの人は、その5%を眠らせてしまっているらしい。
私やハルヒは、その5%を使えるのだが、普段は割と遠慮勝ちに使っているのだ。

どうすれば、その脳の5%を使って、心の深奥の力にお願いをすることが出来るのかというと、イエスが言った通り、子供のようになることだ。
難しいのは、「子供のようにって、どんなよ?」ということかもしれない。
いや、全然難しくない。
子供ってのは、欲しいものを、素直に、そして、熱意を込めて欲しがる。
だけど、泣き喚く子供は、それを得られない。
情熱的に求めなければならないが、「しゃんとして」いなくてはならないのだ。
それさえ出来れば願いは叶うのに、それを分からせることが難しいことが、なんとももどかしい。
だけど、分かるだろう?
熱い想いを抱きつつ、静かであることだ。
これが分かる知性あってこそ、マスターになれるのである。
ちなみに、私は乱れ勝ちなので、まだ出来ないことも多いのである。
だが、修行と共に、だんだん良くなってはいる。









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まは魔法のま

自分もひきこもりだという、ある大成功者は、「自分は運で成功しただけ。ひきこもりが社会の最底辺にでも入れたら、私なんかよりよっぽど快挙」と語られていたが、今どき、年収300万円なら、社会の最底辺ではなく、ごく普通だろうから、ひきこもりが年収300万円になれば立派なものということになる。
だが、どうすればそうなれるかは説明していなかった。
その倍くらいでも良いと思うが、その方法は、まあ、冗談だと思っていただいて良いが、魔法や超能力だ。
だけど、超能力というのは、単に、人間の知識で合理的に説明出来ない現象を意図的に起こすという程度の意味なのだ。
そして、人間の知識で合理的に説明出来ることなんて、ほとんどない。
科学の法則はかなりデタラメだし、人間の感覚の範囲ではニュートン力学は完全と言っても、なぜニュートン力学が成り立つかなんて、全くと言って良いほど分からないのである。

それで言えば、私は、特に子供の時から若い時までは、馬鹿馬鹿しいほどの奇跡を意図的に頻繁に起こしていたし、今でもやろうと思えば出来るし、無意識にやっているのだろう。
初音ミクさんのコンサートのチケットが取れなかったのに、たまたま素晴らしい良席のキャンセルを見つけて申込めたり、最後までチケットが取れなかったのに、ほとんど最前列中央の席のチケットを譲ってもらったりね。
それでも、子供の時に起こした奇跡に比べれば、さほど驚くことではないかもしれない。
そもそも、上の大成功者が言ったことからすれば、ひきこもりの私が豊かに暮してることも冗談のような奇跡ということになる。

超能力と言っても、昔流行った、スプーン曲げとか、もっと昔にデューク大学のライン教授がやったESPカードみたいなものは、つまらない。
「実利」というほど破廉恥であったり、「幸福」というほど大袈裟でなくても、「恵み」を与えてくれるものでなくてはならない。
それが、魔法や超能力の力であるべきだ。

魔法や超能力の使い方は、そろそろ明らかにしておかねばならないような気がする。
それは、どう考えても、「一心に願い、諦めない」という、「超ど単純」な、超泥臭いものだ。
ただ、務めて冷静でなくてはならず、狂乱したり、興奮し過ぎてはならない。
つまり、「ギンギラギンにさりげなく」、心は燃えていても、意思の力を使い、しゃんとしていなくてはならないのだ。
それには、出来るだけ呼吸をしないようにすれば良い。
簡単だろ?
状況が悪くなればなるほど、呼吸を微かにすれば、心が消えて、まるで諦めたような感じになるが、意識の奥では願いは継続している。そんな時に願いは叶う。
この秘法、お安くない。









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私やあなたには、もうこれしかない

昔の貧しい子供の仕事の定番は、靴磨きだったようなイメージがある。
漫画やマスコミが作ったイメージかもしれないけどね。
日本では、路上でボロを着た子供が、靴を磨く道具と、靴を乗せる台を道端に置いて、革靴を履いた人に声をかけ、アメリカでは、レストランで客が座ると、その足元に寄って行って靴を磨いてチップをもらう・・・そんな感じだ。
ところが、こんな靴磨きでも能力の差が現れ、かなり稼ぐ子と、さっぱりな子がいて、その中間は割と少ないと思う。
これも、本当かどうかは分からないが、昔、離婚した母親が、一家を養うために保険セールスの仕事を始めるが、そんな仕事はとても辛い上に、契約はさっぱり取れず、保険会社のマネージャーにいじめられ、ものすごく惨めになるという話が頭の中にあるのは、私が変な漫画やドラマを見過ぎたという訳でもないと思う。
そして、靴磨きや保険などのセールスというのは、「人間の生の力」が現れ、それで上手くやれる人は、人生を楽しくやっていける。
逆に、そんな仕事がさっぱりうまくいかず、稼げない人の人生は、かなり暗い。
これらの仕事でうまくいくには、単純に、「好かれる人」でないといけない。
そして、「好かれる人」であれば、大抵の仕事はうまくいく。
サラリーマンは、あまり人に好かれなくても務まり、長くやっていれば、それなりに給料も上がり、中には、課長、部長と出世する人もいるが、いざリストラされると、再就職がさっぱり出来ず、ホームレスにまで落ちてしまうのは、やっぱり、人に好かれない人間だからだと思う。
ホームレスになってから、必要にかられて人に好かれるように努力し、最低限の社会復帰をする者もいる。

人に好かれる能力は、人間的魅力とも言えるが、俳優や重要な交渉の仕事で必要になる高度なものでなくても、最低限はないと危ないものだ。
いくら頭が良くても、技術があっても、人に好かれないと、よほど稀有で有用な能力でも持っていない限り(あるいは持っていてすら)、無用者になってしまう。
強い者にだけへつらう卑しい人間もいるが、それでうまくやれるなら立派な能力である。それすら出来ない者より、はるかに優れている。

上に書いたことは、人に好かれるという能力についてさっぱりな私が実感することだ。
自分の子供の人生を惨めにしたくなければ、学歴や語学といったエリート教育も良いが、とにかく、人に好かれる人間に育てなければならない。
高校や大学で、あまりお金をかけずに留学していたという人は、しっかりしていると同時に、人に好かれる能力が実に高い。そうでないとやっていけないので、自然に身についたのだろうが、その能力こそ一生の財産と思う。

人に好かれるには、まず、自分が人を好きでないといけない。
なるほど、私はそれがさっぱりだ。
人を好きになるためには、自分のことが好きでないといけない。
すると、私は自分が嫌いなのかというと、多分そうだ。あまり自覚はないが。
自分が嫌いな人は、かえって自己中心主義になるのだろう。だから人に好かれないのだろうね。
人が好きな人は、他人の欠点を許せるというか、他人の欠点を、ある程度美点と見ることが出来るのだが、そのためには、自分の欠点も自覚している必要がある。
それには単に、自分を客観視出来れば良い。間違いなく、自分にも欠点は沢山あるのだからだ。

五寸釘を打ち込みたい藁人形が沢山あるという人の人生は、本当に暗く惨めだ。
そんな子供に育ててはいけない。
しかし、五寸釘を打ち込みたい相手が沢山いる親や教師が多いのだから悲惨だ。

しかしねえ、人嫌い、自分嫌いってのは、そう簡単に治せるものではない。
半分本気で言う。正気とは言わないがね(笑)。
そういったことで「ヤバい」と思ったら、超能力を磨くことだ。
他に手はない・・・笑・・・いやもう、本当に笑うしかない。
まるで呼吸をしていないかのように、微かな呼吸をすることだ。
それをずっと続けることが出来れば・・・まあ、何かが起こる。
心から思う。がんばって欲しい。








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