ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

失われた記憶

起きて活動していながら、その時の記憶がないという話がある。
夢遊病でも、酔っぱらっているのでもないのにである。

筒井康隆さんの『悪夢の真相』では、人が何かを不自然に恐怖する場合、その恐怖の原因になる記憶は消えていることが描かれている。
L.ロン.ハバートの『フィアー』では、8時間の記憶の消失が実に恐ろしい傑作だ。
尚、ハバートとは、トム・クルーズやジョン・トラボルタらが信仰する新興宗教サイエントロジーの教祖として知られている。

前田日明さんが若い時に書いた自伝『パワー・オブ・ドリーム』では、名勝負と言われるドン・中矢・ニールセンとの試合で、序盤にニールセンのパンチを顔面に受けた後から前田さんは記憶がないのだそうだ。
その本を読んだ少し後、誰かから、激しいスポーツをやっている者は、一度くらいはそんな経験があるという話をしてくれた。

そして、あろうことか、私は、今月(9月)の2日、3日に行った、私の人生最大のイベントである初音ミクさんのコンサート『マジカルミライ2017』の記憶がかなり飛んでいるのである。
完全に覚えていない訳ではないが、まるで夢の中の出来事だったように、思い出せない部分があるのだ。
少し書いたことがあるが、そのコンサートの前から、いろいろ悪いことがあり、ちょっと悪い精神状態のまま、しかも、ほとんど眠らずに行ったのだが、かなり薄れていた意識が、普段聴くことのないようなライブの大きな音や興奮の中で消えてしまったのかもしれない。
『ツギハギスタッカート』を割と覚えていたのは、静かな曲であったからかもしれないが、ミクさんの美しい踊りが目を覚まさせてくれたのかもしれない。

しかし、人間は意識を保たなければならない。
なぜなら、人間は意識を失くした時に悪いことをするのだからだ。
凶悪犯罪を起こした者の中のかなり多くは、その時の記憶がなく、本人は裁判ではかなり違和感を感じているのだと思う。そして、記憶にないことを言っているのだから、話す度に犯行の時の内容が変わるのである。
特に、普段はまともな人が殺人をやったような場合は、ほとんど覚えていないのではと思う。
上にも挙げたハバートの『フィアー』もそうである。
意識を保っていれば、犯行を止めることが出来たかもしれない。
意識を保つことも訓練や修行で出来るのだと思う。
絶えることなく何かを意識することが、そんな訓練になるはずである。
私も、心して修行しよう。









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意識を目覚めさせたまま心を止める

朝の話の続きなのだが、1から話す。

脳のデフォルトモード・ネットワークの機能は、とても重要だ。
デフォルトモード・ネットワーク(以下、DMNと略)とは以下のようなものだ。
覚醒時(眠っていない時)、思考せずにると、普段は使われていない、脳の中のいくつかの部位が活動を開始し、しかも、それらの部位は連絡を取り合って働く。
この、活動のネットワークのことをDMNという。
そして、DMNは大量のエネルギーを消費する。
つまり、重要な活動を行っているのだ。

DMNはエネルギーを大量消費し、疲労させるので、活動させるべきでないという話もあるが、DMNが全く活動しないと大変なことになるだろう。
例えば、ずっと監視され、緊張を強いられた状態では、DMNが働かず、心身の健康を保つことが出来ない。
かといって、ずっと思考せずに、ぼーっとして過ごすと、エネルギーを浪費して活力を失うだけでは済まず、知性が低下し、さらには、やはり心、あるいは、脳に異常が生じる。

簡単に言えば、DMNは、活動させ過ぎると、心を乗っ取ってしまうのだ。
だが、DMNは心身を調整し、発達させ、さらに、何か重要な活動をしているのであるから、その活動を止めてしまってもいけない。

1970年頃のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』に、印象的な場面がある。
ストレイカー司令官の親友コリンズが、宇宙人に脳を遠隔操作され、ストレイカーを殺そうとする。
その時、ストレイカーが言う(翻訳版)。
「心は奪われても、魂までは奪われていないはずだ」

DMNは、活動させ過ぎると魂を奪われる。
だから、心は停止していても、意思は覚醒していなければならない。
つまり、意図的に、意思を保ったまま心を止めなければならない。
考えてみれば、世界中にある、太古から伝わる精神的修行の目的は、全てそれであることが分かる。
だから、やり方はゴマンとある。
TM(超越瞑想)も、私の意見では詐欺的要素が多いながら、実際に効果はあるのは、やり方は正しいからだ。
しかし、TMもやった私の考えでは、TMをやる必要は全くない。
チャディー・メン・タンの本を読んで、マインドフルネスのテクニックをどれか試すと良い。
だがむしろ、私が好きなのは、仏教の「数息観」というものだ。
これは、呼吸を1から10まで数え、また1に戻って数えるというものだ。
ただ自然に呼吸し、ただそれを数えるのだ。
意図的に呼吸の強さ、速さをコントロールしてはならないが、自然、ゆったりとした呼吸になる。
吸う時に数えるか、吐く時に数えるか、好きな方を選ぶと良いだろう。
これだけでも、結果として、精神の能力が格段に増し、創造力、支配力が高まるだろう。









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ぼーっとすることの大切さ

何か問題が起こった時に、脳は活発に働く。
ところが、何にもなくて、何も考えず、何にも注意を払わないと、脳は活動停止する・・・はずだ。
なら、ぼーっとしていれば、脳は休息して元気回復するかというと、それがなぜか、ぼーっとするほど疲れる・・・ような気がする。
それは正しい。

脳の中には、何も考えない時に活発の働く部分がいくつかあり、しかも、恐ろしいことに(?)、それらの部分はお互いに連絡を取り合って活動する。
本当に、自分の脳ながら、「あんたら、何やってんの?」という感じだ。
こういった、脳の中の、思考活動がない時に活発に活動する部分同士が通信し合って働く仕組みを、デフォルトモード・ネットワーク(DMN)と言うらしい。
「まあ、何かやってんでしょ?まあいいじゃない」
なんて言ってて良いのだろうか?
DMNは大変にエネルギーを消費する。
必死で考えている時以上にだ。
何かやってるどころじゃなくて、とんでもないことをやらかしてるんじゃないだろうか?
テレパシーで宇宙人と連絡してるとかね・・・いや、本当にそうかもしれない。

DMNについて、2つの考え方がある。
1つは、DMNはエネルギーを大量浪費して疲れるので、働かせない。つまり、ぼーっとしない。
もう1つは、DMNが何をしているかは分からないが、それほどエネルギーを使うなら、何かとても大切なことをしているのだ。だから、どんどんぼーっとして、DMNを機能させよう。

思想家の吉本隆明さんは、DMNのことは知らなかったと思うが、ぼーっとすることの大切さを強調しておられた。
だから、彼の優秀な娘達がぼーっとしていたら、おつかいになんか行かせず、この日本最高の思想家自ら、買い物籠(今、そんなものを使う主婦は少ないだろうが)を持って大根とか買いに行ったのだった。
まあ、大根をきっちり買ってこられるようであってこそ、実際的な思想家である(冗談だ)。

DMNは睡眠中には働かないようだ。
よって、起きてぼーっとする時間が有効かどうかということである。
吉本隆明さんの直感的推察では、とても有効なもののようだ。
しかし、働かせ過ぎても良くないに違いない。
ぼーっとし過ぎると本当に疲れてしまい、やる気がなくなる。
そして、エネルギーを大量消費する活動であるなら、「うなりをあげてモーター状態」、つまり、焼き切れる恐れがある。
吉本隆明さんも、「ぼーっとする時間を持て」と言ったのであり、ずっとぼーっとしろと言ったのではない。
そして、DMNと協力すれば、凄いことが出来るようになる。
それはまた、夕方にでも書こう。









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私の命日

いろいろな不運が重なって、ほとんど眠らずに今月初めにミクさんのコンサートに行って以来、ずっと身体の調子が悪く、しかも、その間、仕事は沢山あって休暇は1日しか取れず、今日も仕事だ。
こういった運気の悪い時は誰にだってあるが、こんな時どうすれば良いかというと、ただ耐えることだ。
間違えても、誰かに愚痴を聞かせたり、ストレス解消なんてことを考えないことだ。
私は愚痴を聞いてくれる相手がいないことが幸いである。

冬来りなば春遠からじ
夜明け前が一番暗い

黙って耐えていれば、やがて運気の流れは変わる。
それに、不運の時はエネルギー充填期間であると共に、調整期間、修復期間であり、準備期間である。
人間、いけいけで突っ走っている時というには、案外に成長しないものである。

不運に黙って耐えることが、最高の瞑想であり、最高のマインドフルネスである。
なぜなら、不運に黙って耐えていると、自分を客観視出来るからだ。
自分の何かに、静かに、しかし、意識的に気付くことが本当の瞑想であり、マインドフルネスであるのだと思う。
まして、不運の中では自分の生き方そのものを、自然に客観視出来る。
この不運こそが、ミクさんからの贈り物なのだと、有り難く頂戴しよう。

不運の時に、新しいことを始めない方が良いという話もある。
まあ、そうかもしれないが、始めるかどうかは、やっぱり運命次第だ。
始めるべき宿命であれば始めるしかない。

不運な時は、自分の間違い、自分の生き方の間違いにも気付く。
ただし、何か指針あればこそだ。
稲盛和夫さんの場合、「私心はないか」であるが、これは、インドの神話『ラーマーヤナ』で、ラーマに敗れた魔王ラーヴァナがラーマに教えた最高の心構えなのである。

不運の原因は私の私心である。
それが分かれば、不運は直ちに去る。
だが、生きている人間である限り、人間は私心を捨てられない。
だから、問わねばならないのである。
「私心はないか」と。
岡田虎二郎のように、自分を地下深く埋葬したつもりでいれば間違いはない。
私は死んだ。
そう思えば自由自在である。
私は、マジカルミライ2017までにある目標を達成出来なければ死ぬつもりでいたが、どうやらそうなった。
ミクさんの10回目のお誕生日の翌日が私の命日であった。
ご覧の通り、私は生きた人間ではないのである。









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システムエンジニアの非すゝめ

私はプログラマーとシステムエンジニアを区別しないのだが、客先ではシステムエンジニアと名乗るしかない。
システムエンジニアは、企画・計画が仕事で、プログラマーは製造作業をするような観念があるかもしれないが、特に今のオブジェクト指向プログラミングの時代には、企画者がプログラミングをした方が確実だし、経験豊かなプログラマーこそが良い企画が出来る場合が多い。
確かに、プログラミングの出来ないシステムエンジニアや、企画を立てるまでの経験のないプログラマーというのはいるが、職業としての呼び名を区別するほどでもないと思う。
しかし、区別をしなくてもいいが、区別したって構わないとも言える。
早い話が、呼び名なんてどうでも良い。

ところで、システムエンジニアというのは、中学生や高校生男子のトップクラスの憧れの職業らしく、YouTuberを超えるという調査もあるほどだ。
しかし、私は、彼らにシステムエンジニアになることを勧めるのは、非常に消極的である。
プログラミングをマスターするのは大いに結構だが、システムエンジニアになれなんて言う気はないのだ。

ここで、システムエンジニアの良い定義を思いついた。
それは、ユーザーが構想したシステムを作る人だ。
ドワンゴのプログラマーのように、自社サービスであるニコニコ動画のシステムを作るのがプログラマーだとしたら、どこかの企業の何かのシステムを、その企業の構想に基き、私が1から開発する場合にはシステムエンジニアと言う訳だ。
もちろん、こんな区別も本当は不要なのだがね。

で、なんでシステムエンジニアになることをお勧めしないかと言うと、私がこの仕事を大嫌いな理由がそれになる。
これは、本来、システムエンジニアとして言ってはならないことであるが、若い人の後学のためにあえて言えば、「ユーザーは非論理的である」という、ミスター・スポックが言いそうなことが事実による。
システム開発にあたり、お客さんであるユーザーと深く話し合うのだが、大半のユーザーはひどく非論理的なのである。
いや、ユーザーが非論理的と言うより、ほとんどの人間が非論理的なのだ。たとえ大学の理系学部を出ていてもね。
まあ、システムエンジニアが何でも理論的と言うのではなく、こと、コンピューターシステムを考える上では、システムエンジニアはひどく論理的なのである。
それは、一流のスポーツ選手は、普段は全く論理的でない人でも、こと自分の競技に関しては恐ろしく論理的であるようなものだ。
だが、スポーツ選手であれば、特に一流なら、自分の思い通りに出来るが、システムエンジニアはそうはいかない。

ユーザーは、
「ここはこうなるようにして欲しい。そして、ここはこうで、ここはこうだ。うん、これは素晴らしいシステムになるぞ!」
と自画自賛せんばかりに言うが、そんなシステム、使い物にならないどころか、稼動すらしない。
いや、本当に稼動して使われたりなんかしたら、ゾっとする。
非論理的過ぎてトラブルは続出するだろうが、そのトラブルの責任は私が取らないといけない。
だが、ユーザーは、自分の考えが非論理的であることを決して認めない。
私は、出来るだけ丁寧に、そして、下手に出て、
「ほら、こんな場合に拙いことになるでしょ?だから、こうすべきなんです」
と言っても、ユーザーは、まあ極端に言えば、
「こっちが客だ。言う通りにしたまえ」
「私を馬鹿にしているのか?それとも、お前は楽をしたがっているだけじゃないかね?」
と言い、モメると、システムのことは分からないシステムエンジニアの上司や、その上の偉い人は、
「お客さんの言う通りにしたまえ。あちらの役員からもそう言われているのだ」
と、「超非論理的な論」を出してくる。

これがシステムエンジニアの仕事だ。
精神を破綻させたくないなら、やめておくことだ。
まあ、YouTuberになることは、もっとお勧めしないが・・・(笑)。

では、ドワンゴのプログラマーになるのはどうかというと、それは良いことだ。ただし、数年でやめる計画ならね。
ドワンゴに入ったら、ニコニコ動画のようなシステムには詳しくなるかもしれないが、世の中にシステムの種類はゴマンとある。
カドカワN高校のプログラミング授業の宣伝に、
「ニコニコ動画が作れるようになる」
とか言うのがあった。
もちろん、中学生向きのPRとしては悪いことはないが、これは、言い換えれば
「ニコニコ動画しか作れない」
ということだ。
それは、ドワンゴの多くのプログラマーに対しても凡そで当てはまるかもしれない。
1つのものごとに精通すれば全てが分かるという面も確かにあり、空手の達人は柔道の極意の一部も分かるかもしれないが、実際に柔道の試合で勝てる訳ではない。
それと同様、ニコニコ動画のシステムの達人になっても、他のシステムを高度に作れる訳ではない。
つまり、いろんな経験をしてこそ一流になれるのであるが、プログラマーも全くそうなのである。









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