ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

辛い人生を気楽にする

日本やアメリカでは、有能な働き手になり、良い立場を勝ち取って、お金を沢山稼がないと、苦しい(時に、非常に苦しい)状況に追いやられる。
そして、お金を多く稼ぐためには、かなり辛いこと、嫌なことにも耐えなければならない。

一方、クリエイターやネットで稼ぐという、新しい働き方が生まれ、それで生活を成り立たせている人もいる。
そんな仕事であれば、好きなことだけをやり、嫌なことをしなくて済むかというと、それは全くない。
「いや、俺は好きなことを自由にやっている」と言う人もいるだろうが、私は信用しない。
例えば、素晴らしい能力のある画家だって、お金を十分に稼ぐには、自分を偽らないといけない。
プロのオーケストラに入れるほどの演奏家だって、自分はモーツァルトのようなのを演奏したくても、嫌々、初音ミクシンフォニーの演奏をしなければならない(笑)こともある(そんな雰囲気の演奏者が多いように感じる)。

また、米津玄師さんのような天才なら、自分の思う通りにやっているかというと、多分、それはないと私は思う。
私は、彼の曲は、ミクさんが歌った『砂の惑星』を別にすれば『Lemon』くらいしか知らないが、あの曲は、ドラマ向けに色をつけたはずで、それが米津さんにとって、楽しかったかというと、どっちかと言うと嫌だったのではないかと思うのだ(勝手な想像だが)。

岡本太郎さんだって、完全に自分の主義だけで生きたかというと、やっぱり、それはあり得ないのだ。
いや、完全に自分の主義でなかったどころか、相当、自分を偽っていたのかもしれない。
いやいや、本当のところは普通の人より、よっぽど偽善的であった可能性もないとはいえないのだ。
人生とは辛いものなのである。

だからといって、米津玄師さんや岡本太郎さんが不幸だと言うのではない。
嫌なことのない人生なんて悲惨なものだ。
悪いこともまた楽しいのだと言えなくもない。

どれほど不幸な人を見ても、身内でもない限り(あるいは身内でも)、それほど辛くはない、あるいは、全く何とも思わないものだろう。
それが冷淡で悪いことかというと、そうでもないと思う。
同情なんて、無理にするものではないし、同情されても何も良いことはない。
同情より良いのは、本当に金である。
ところで、悟りを開いた聖者というのは、自分のことも他人だと感じるらしい。
つまり、自分を、はるか彼方に居る人に思えるなど、自分をほとんど重要視しないものらしい。
それで言えば、岡本太郎さんは聖人とはほど遠かったが、米津玄師さんは、案外、仙人に近いのではと感じ、俗っぽいことも平気で出来るように思える(思えるだけだが)。

仏教も、老子や荘子の道教も、目的は自分を忘れることなのであると思う。ただし、自覚のある状態でね。
ただ、仏教を本当に教えられるお坊さんは少ないのだと思う。
『老子』や『荘子』も、頭でっかちの学者が下らない解説をするので、全く解らなくなっている。
漢文や読み下し文を読む必要はない(不慣れな人だと、文章を逆の意味に解釈する恐れが大きい)。
1冊、読んでみると、1行か2行のことかもしれないが、真理を感得するものである。
それを大切にすれば、自己にこだわらないまま、世界を自由に操る魔法使いにもなれるのである。













当ブログオーナー、KayのAI書。5月30日発売(Kindle版は販売中)。
今や、AIは誰でも作れます。ただ、実践的に取り組む適当な方法がなかったことと、AIを作るために本当に必要なことを簡単に知る方法がありませんでした。この本では、Excelを使う程度のスキルがあれば、ソニーのWindowsアプリNNCを使い、自分でAIを作れるよう工夫しました。
ほとんど全ての実習を行うためのデータが作れるExcelマクロ(VBAプログラム)を、出版社サイトから無償でダウンロード出来ます。
  
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「ア」の音霊

「ア」という音は、よくよく重要な音で、この音を身につければ、他のことは忘れて良いかもしれない。
本物の呪文や神聖な言葉は「ア」が多用されているものである。
日本では、天界は「高天原」で、これは普通は「たかまがはら」と読むが、本当は、「たかあまはら」と読むらしい。しかし、いずれも、母音は全て「ア」なのである。
シリア、アラブ、メソポタニアに古くから伝わる、世界で最も有名な呪文「アブラカタブラ」は、現在では冗談めかして使う場合が多いのだが、1文字を除き全て「ア」であり、本物の力ある呪文と思う。

それで言えば、英語の「ゴッド(神)」には「ア」の母音がない。
だが、多分、隠された神を表す言葉は「(God) I am」で、「ゴッド」は言わないが、「アイ・アム」なら、「ア」が多い。
それであれば、アメリカが世界最強で、しかも、それはごく一部のエリートの力であることが理解出来るのである。
民主主義を謳うアメリカが最も民主主義でないのかもしれない。
日本も、そのようにされてしまった感はあるが。
本来、日本の3神は「アメノミナカヌシ」「タカミムスヒ」「カムムスヒ」と全て、「ア」の母音で始まる。そして、諸説あるが、日本の代表神「アマテラス」は「ア」の母音が多い。
尚、『古事記』よりずっと前にあったと言われる、日本の超古代文明は「カタカムナ」で、この言葉は、そのまま、「ア」の音霊で構成された強力な言霊である。

『アヴェ・マリア』という歌は、非常に特別な感じがするが、最も感情を揺すぶられるのは、最初の「アヴェ」の「ア」と、「マリア」の最後の「ア」であり、一流の歌手は、その2つの「ア」を見事に歌い、聴く者は心が消えてしまうのである。
特に、カッチーニの『アヴェ・マリア』は、歌詞は「アヴェ・マリア」と「アーメン」だけであり、しかも、途中で「ア」だけで通す部分があり、そこが良いのである。
『アヴェ・マリア』は、本来、讃美歌ではないが、「ア」の音の故に、讃美歌以上の讃美歌になっている。
そして、キリスト教でも、ユダヤ教でも、最も重要な言葉は「ハレルヤ(神を褒め讃えよ)」ではないかと思う。
映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、僧院長が見事に『ハレルヤ』を歌うが、歌詞は全て「ハレルヤ」で、最後は、「ア」の音のみで歌うのを、私は非常に印象深く覚えている。
キリスト教も、やや訳ありな宗教で、イエス、ジーザスも、あまり「ア」の母音が使われていないが、ギリシャ語、ラテン語でイエスは「イーエースス」だが、こちらも同様だ。
プロテスタントでは、聖母マリアは全く重要視されないと、私はプロテスタントの信者から聞いたことがあるが、実は、マリアが一番重要なのかもしれない(と言ったらプロテスタントの方に怒られるだろうか?)。
むしろ、「アーメン」「ハレルヤ」という言葉が重要なのではないかと思う。
また、ユダヤ教の真の教えが「カバラー」であるのも出来過ぎという感じがする。

40mPさんによる、初音ミクさんの歌『三日月ライダー』は、あまり知らない人も多いのだが、「夏祭初音鑑」のコンサートで歌われていて、途中の「ア」の音のみで歌うところが異様なまでに美しかった。きっと、40mPさんが天啓を得て作ったのではないかと思う。

物理学者で武術家で神道の祭司でもある保江邦夫さんの『神様につながった電話』の中に、重要な祭事の際、保江さんが大祓詞を奏上しようとしたら、「ア」の言葉しか出なくなったという話が書かれているが、実は、それで良く、そのことを、保江さんは「言霊(ことだま)から音霊(おとだま)へ」といった書き方をしていたと思うが、やはり、音霊で良いのである。
また、その本の中で重要視されていた「サムハラ」も、やはり「ア」の多い言葉である。

「ア」が多い言葉を呪文として常用すると良い。
そこに、思考を消し、時間を消し、宇宙の根源と一体化する鍵があるように思う。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindke版販売中。紙の本は5月30日発売。
ごく私見で恐縮ですが、数学に強い訳でも、プログラミングが出来る訳でもない普通の人がAIを作れるようになる本は、この本しかないのではと思います。少なくとも、そのための時間をかなり短縮出来ると思います。
問題に取り組む時、人間だけ、AIだけで解決出来るのではありません。人間とAIがチームになってこそ、高度な力を発揮出来ます。そんなことも、少し書いてみました。
  
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さりげない奇跡を味方にする秘法

荘子が『荘子』(約2400年前の中国の古典)で書いた教えは、一言で言えば、「無為自然」だが、もっと普通に言えば、「全て、なりゆきにまかせろ」だと言って良いと思う。
荘子は、そうした結果、儲かるとも、モテるとも書いていないし、時には、わざと悲惨なことになるようなことも書いたが、少なくとも、安らぎは得られるし、実際は、かなり恵まれるようなこともほのめかしているのだと思う。
言い切ってしまえば、余計なことを考えたり行ったりせず、自然のなりゆきにまかせれば、そうでない場合より千倍も上手くいく。
だが、人間はいつも、下らないことを考え、しなくていことをして墓穴を掘るものだ。

では、なりゆきにまかせるとは、本当のところ、どういうことだろう?
山岸凉子さんの1980年から1984年の作品ながら、いまだ人気が高く、ロングセラーを続ける漫画『日出処の天子(ひいづるところのてんし)』に、良い話がある。
都に干ばつが続いていた時、厩戸王子(うまやどのおうじ。後の聖徳太子)が祈祷を行い、見事、雨を降らせる。
ところが、いったん降り出した雨が止まず、今度は水害が起こり、厩戸王子の責任が問われ、朝廷は、大臣達を集合させた中に、厩戸王子を呼びつける。
厩戸王子は、なかなか現れず、天皇もしびれを切らすが、ようやく厩戸王子が現れた時、雨はぴたりと止んで陽が差し、大臣達は思わず厩戸王子にひれ伏す。
厩戸王子は何をしたのかというと、実は、何もしなかった。
自分の責任が問われ、マズい事態になっていることは理解しながら、では、何をしようかとか、どう申し開きをしようとか、全く、何も考えていなかったのだ。
それで、気が向いたところで、屋敷を出て朝廷に向かったのだが、空を見ると、心なしか明るくなりかけたように思ったので、到着と同時に止むことを期待したら、その通りになったのだった。
いうならば、厩戸王子が朝廷に着いた時に雨が止んだのは、全くの偶然である。
だが、そんなことは、よくあるのだ。
「こうなればいいなあ」と思い、少し期待はするが、それほど強く願う訳でもなく、特に何もせずにいたら、期待通りになってしまう。
そういったようにやれば、そうそう期待を裏切られることはない。大切なことは、渇望しないこと、よって、焦らないこと、余計なことはしないこと、だが、ごく自然なことだけはやること。
それが本当に出来た時、奇跡も起こる。
そんな経験がない・・・いや、最近ないと思っている人は、単に、見過ごしているだけで、結構ありふれたことなのだ。
厩戸王子は、法華経、維摩経(ゆいまきょう)、勝鬘経(しょうまんぎょう)まどを仏教の経典を取り寄せて読み、注釈書を書いている。
維摩経や勝鬘経のことは知らないが、法華経の、あの気が遠くなるほどスケールの大きな話を読んでいるうちに、一切の作為を捨ててしまえるに違いない。
そうすれば、気付かないうちに、奇跡体質になってしまうような気がする。
もちろん、『荘子』を読んでも良い。中国では、『荘子』が仏典の中に入れられてしまっていることもあるが、やはり、仏教と通じるところがあるのだろう。












当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版は発売中。紙の本は30日発売。
全体が長過ぎると思われた場合、まず、Chapter.1の算数問題だけをやっても良いと思います。
それで、現代のAIの考え方について、見当が付くのではないかと思います。
Chapter.2、Chapter.3は、ある意味、遊びです。その遊びをAIと一緒にやることで、AIと仲良くなり、自然に、自分とAIで1ユニットになるコツを掴めるのではないかと期待しています。
最初は難しいと思っても、実は、簡単なことを書いています。むしろ、解り易くするために、多少、正統的でないやり方も採用しましたが、その点は本書内で注意しています。
  
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愛は時を超える

由紀さおりさんは、70歳を超えても高い実力を保つ歌手で、彼女の1969年の楽曲『夜明けのスキャット』が、2010年頃、世界中で大ヒットとなった。
これは、由紀さんの歌の実力と曲の素晴らしさは当然ながら、日本語の歌詞が良いのであると思う。
「愛し合う その時に この世は とまるの」
というのは、情緒的に美しいが、それだけではない。
世界的な数学者だった岡潔は、 小林秀雄との対談書で、「時間は情緒」とほぼ断言している。
アインシュタインが、相対性理論の一般向けの説明として「美女と一緒の1時間は短いが、熱いストーブに座る10分は長い」と言ったのも、時間が情緒であると言っているのだと思う。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の楽曲『LOTUS LOVE』でも、「Baby!ときをとびこえておいで」と歌うが、天才芸術家(作詞・作曲者の細野晴臣さん)の直観は科学と変わらないと思う。
インドの詩聖と言われたタゴールは、アインシュタインに「人間が見ている時だけ月は存在する」と量子論の真理を指摘したが、アインシュタインは理解出来なかったという話がある。
「人間が見ている時だけ月は存在する」は、量子論の比喩的表現で、人間の意識が作用するのは、あくまで極微の世界の量子に対してと考えるのが普通であるが、タゴールはそんなことは考えていなかっただろうし、湯川秀樹の師でもあった数学者、岸根卓郎さんは、「物質世界も量子で成り立つのだから、意識は物質世界に影響する」といった意味のことを著書に書かれていた。
月が存在する、しないも、意識と時間との関係があるのだと思う。

「愛は時をこえる」「愛は時を止める(消す)」というのであれば、時を消すことが愛なのかもしれない。
湯川秀樹の弟子であった物理学者の保江邦夫さんが著書の中で、ざっくりの引用だが、愛とは、頭の中で祝詞やお経や聖歌、あるいは、教会の鐘の音や『アヴェ・マリア』といった聖なるイメージのある音が鳴り響くことであると書かれていたが、聖なるイメージは、やはり、時を消すのである。
André Rieuの公式チャンネルのYouTube動画で、多少の演出もあったかもしれないが、ソプラノ歌手のMirusiaが、シューベルトの『アヴェ・マリア』を歌うと、いかにも堅苦しい顔をした一般観客達が自然に涙を流す。
◆Ave Maria - André Rieu & Mirusia - YouTube -
そこは、やはり、時が止まった世界になる。
ここはやはり、何でもいいから、保江さんの言われる通り、頭の中で聖なる音を響かせておくと良いと思う。
保江さんの著書によれば、そのようにして手術をする医者は、人間を超えた能力を発揮し、奇跡の手術を行うようだ。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版販売中。紙の本は5月30日発売。
数学やプログラミングが出来なくても、Excelが使えるなら、恐れずAIに挑み、自分でAIを作る体験をしていただきたく思います。
来るべき世界では、AIは人間とは別のものではなく、AIは人間を拡張する道具・・・長谷敏司氏のSF『BEATLESS』風に言うなら、人間とAIは1つのユニットになります。
AIも電子レンジのような道具で、マイクロ波の理論を知らなくても電子レンジを使えるように、数学やプログラミング、AI理論を知らなくてもAIは作れます。そして、早くやった者勝ちという面もあるのだと思います。
  
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未来には、文系・理系という区別はなくなる

「文系」とか「理系」とか言うが、「文系は論理的でない、それどころか、文系は論理的であってはならないと」思っている人がいるかもしれない。しかし、いくら何でも、それはないと思う。
ただ、理系は、世界中、どこでも通用する教科書を基にしている(基にしなければならない)というだけの話である。
文系の場合は、そんな教科書はないのだが、作れない訳ではない。ただ、それは理系の教科書の数億倍複雑になるだけの話だ。だが、それでも、やはり作れるのである。つまり、文系は、理系よりずっと複雑なだけである。
ところで、理系の教科書に間違いはないのかというと、いくらでもあるし、間違いだらけと言えるかもしれない。
そして、理系の教科書に間違いが発見され、それが訂正されると、世界中の理系の認識が変化するのだから、何とも単純だ。

おそらく、もし、人類が、後、数十万年も進化したら、理系は文系に吸収され、文系の確固とした教科書みたいなものが存在しているかもしれないが、それは勿論、現在の教科書の概念とは全く異なるものだろう。

例えば「愛とは何か?」という問題を、今の文系で語ると複雑怪奇にはなるが、理解のように「滑稽」にはならない。
理系の枠組みで愛を語るほど、馬鹿らしいことはない。
これを見ても、現状では、理系は実用的ではあっても、浅いものであることが分かる。いや、理系が実用的と言っても、それはやはり限定された範囲においてであり、ほとんどの問題に対して、全く非実用的と言えるのである。
例えば、理系の秀才はモテないのが常識だが、それがなぜかと言うと、理系の狭い論理ではモテないということで、この問題に対しても、全く非実用的である。
勿論、理系と言われる人にもモテる人はいるが、そんな人は、理系の狭い殻を超越した部分があるのだと言って間違いない。

だから、理系思考は、必要な部分にのみ使うべきで、「俺は理系の人間だ」というのは、私には馬鹿としか思えないのである。
かといって、「私は文系の人間」という言い方もおかしいに違いない。
そして、メルヘンしか分からず、理屈が必要な場所で理屈を使わない(使えない)者は、文系でも何でもない。
それはただの、幼稚な人間である。

文系と理系を合わせた文理系という言葉もあるが、それが十分に成熟したものであるなら、文理系しか存在しない。
それしかないのなら、それは、自然系とでも言え、その中の、「現状で、大半の人達の間で共通の認識になっていることに限定した理屈」を理系と言うのだと思う。
ただし、自然系というものは、数十万年の進化を待つまでもなく、人間の意識の中に存在するものであると思う。
その片鱗を示すものとして、ごく一部ではあるが、宗教科学というものがあると思う。
例えば、『バガヴァッド・ギーター』や『老子』や、仏教の経典などを、人間の理屈を交えないが、放埓(勝手気まま)というのでもなく、心の微かな感覚で高度に読み解く人がいるが、そういった人達を宗教科学者とでも言って良いだろう。
ただ、現在の人類のレベルは、そこには程遠いので、誰でも出来る訳ではないと思われる。
ところが、本当のことを言えば、それは誰でも出来るし、出来て当たり前なのである。
そんな、誰でも出来るはずのことが出来るようになるには、どうすれば良いかを問うべきなのであると思う。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版は販売中。紙の本も5月30日発売です。
多くのAI書籍は学術的な専門家が書かれていて、それらの本は厳密で隙がないのすが、難しく、また、冗長になり勝ちと思います。
また、どちらかというと、扱う内容が面白くなかったり、ピンとこないものが多いような気がします。
こういった本は、数学やプログラミングが得意な人が専門家を目指すには必要ですが、普通の人には歯が立ちません。
そこで、敢えて、厳密さには欠けるかもしれませんが、易しく、単純な、そして、面白い内容を扱い、誰でも、実際にAIが作れるようになることを目指して書きました。
  
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