ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

豊富なものでも倹約する

我々は、希少なものを有り難がり、高値で売買し、奪い合う。例えば、ダイヤモンド、ウラニウム、金、プラチナ、あるいは、昨今話題のレアアースである。
一方、水、空気、石油、森林、土地、太陽光といったものは、本来は極めて豊富にあるはずが、その不足に悩むことがある。
面白いものだと思う。

ビジネスや音楽などの創作物が世間の流行に乗り、急激に富を得た者の多くが、すぐにそれを失うばかりか、逆に大きな負債を背負うことになり、さらに、名誉、健康、愛情などを失くしてしまっている。
また、膨大な親の資産を受け継いでも、知恵がなければ、やはりすぐにそれを失うことになる。

「ザ・シークレット」のロンダ・バーンや、「マーフィーの成功法即」のジョセフ・マーフィーらに大きな影響を与え、今でも広く読み継がれる、ウォレス.D.ワトルズの“The Science of Getting Rich(1910)”(邦訳は文末左に紹介)には、自然が途方もなく豊かであることが書かれている。
また、気、氣、フリーエネルギー、宇宙エネルギーなど、色々な言い方がされるが、空間内に無限のエネルギーが存在し、何らかの方法でそれを活用できるということを主張したり、それを実証して見せている者もいると言われている。
しかし、彼らの教えは、最も重要なところが抜けていると思われてならない。
それは、「いくら豊富であっても、無駄遣いや浪費をするなら、無いも同じであるばかりか、災厄となる」ということだ。
老子67章に3つの貴い宝について書かれている。その意味するところの解釈は実は難しい。しかし、その2つ目の「倹」は、現在も一般に言われる、慎ましいとか倹約という意味で良いと思う。
希少なものはもちろんだが、沢山あると思われるものも無駄にしないことが高度な知恵なのである。
人は年を取って、時間と、肉体や精神のエネルギーが有限であることを思い知る。そして、それらを大切にし始めた時、不思議なことに無限に近付くのである。
老子の言う、この貴重な宝である「倹(倹約)」を忘れず、無駄遣いを避けるなら、不足することはなく、全てを得ることになるだろう。古から賢者が言うように、「無限の代償は有限全て」なのである。







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「大切」は「愛」と訳された

同じ自動車に、20年、あるいは、もっと長く乗っているという話を思い浮かべるだけで、心がゾクゾクするような不思議な喜びを感じる。
また、祖父が使っていた古い小刀を使っているというマタギ(東北、北海道の旧来の姿を受け継ぐ狩猟者)の話があったが、これにも似た感動を覚える。
つまり、それらの所有者は、その車や小刀をとても大切にしているのである。
人間にとって、何かを大切にするということほど美しいことはない。
1603年に発行されたという日葡(にっぽ)辞書(ポルトガルの日本語辞書)では、「大切」という日本語をポルトガル語の「愛」と訳したようだが、まさに、大切にすることこそ愛である。
逆に、愛という曖昧な言葉を、最も適切に表現するなら、大切にすることだと言えると私は思う。これほど、愛を自然に言い表す言葉は他にないと感じる。
「大切な」は、英語では“dear”が相当すると思うが、やはり、愛しい、敬愛する、尊敬する、貴重なという意味で使われる。「貴重さ」「親密」は英語でdearnessとなるようだ。

イタリアには、フィアット500という、1936年からの歴史のある小型車があるが、現在も人気がある。アニメの「ルパン三世」でルパンがよく乗っている車と言えば分かる人も多いと思うが、別に特別な車ではなく、最も安価な部類の庶民の車である。
イタリア国民は、フィアット500を愛し、大切にしているのだ。イタリアでは、同じ小型車に25年以上乗っている者に特典を与えるという法案まで検討されているというが、素晴らしいことであると思う。
日本では、新車を購入してしばらくは、販売会社の対応も丁寧であるが、10年も乗り続けていると、もう、実質的には客と見なさなくなる場合も多いのではないかと思う。日本は自動車王国と言われるが、そのためには、なるべく早く新しい車に買い換える必要があるのだ。1つの車を長く大切に使うことは、日本では美徳ではなく、罪悪なのである。
自動車だけではない。古いものを捨てて、新しいものを次々に、たとえ本当の必要がなくても買わないと、また、売らないと、経済は発展しないと考えられている。
古来からある素晴らしい工芸品は、大量生産がきかず、経済発展に貢献しないので軽んじられ、優れた工芸家が消えていっている。
私は岡本太郎をいつも賞賛しているし、彼の「今日の芸術」は最高の芸術入門書であるとは思うが、その中に、「かつての名工が作った刃物も、工場で大量生産できる」といったようなことが書かれていることは、岡本太郎は何かの意図あって書いたのであることは分かるが、非常に誤解を与える拙いものだと言うしかない。機械でも、ドイツの本物の職人が製造したものの中には、磨耗するほど動きが良くなるという驚くべき技術があるという。それにはどうしても、人間の繊細な感覚が必要である。

誰かを愛する、何か(形がある場合も無い場合もある)を愛するというのは、それを大切にすることである。
人の価値は、何を本当に大切にしているかで決まるようなものであると思う。
しかし、まずは、自分が持っているものを大切にし、自分や他人の身体と心を真の意味で大切にするべきで、それが、あらゆるものを大切にする、即ち、愛することにつながると思う。







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なぜ地動説を信じるのか

超能力、超常現象、霊現象、生まれ変わりといったようなことが、現代社会の公式な見解となることは、おそらくないでしょう。
もしそういったことが、普通のことだと認識されるとすれば、それは、人類のものの考え方が現在とはかなり異なる未来においてのことでしょう。
ただ、未来の人類がどんな考え方をするようになるかは分かりません。

一般的な人々の常識では、必ずしも高度な科学が受け入れられているわけではないと思います。
例えば、相対性理論や量子力学に関して、かなり教養のある人であっても、科学に興味がなければ、それらの話を聞くと、冗談でしかないと思っても不思議はありません。
いや、それどころか、万有引力の法則や、地動説、あるいは、地球が丸いということすら、一般の人にとっては、それらが正しいと単に思い込まされているというに過ぎないというのが事実でしょう。世界には、今も、地球が平たいと思っていたり、天動説の考え方を信じている人などはいくらでもいると思います。そんな人々を、我々日本人は笑うかもしれませんが、我々だって、自分の認識の根拠の大半は、単にそう教わったからというに過ぎません。「なぜ地球が丸いと言えるのだ?」「なぜ、地球が太陽の回りを回っていると言えるのだ?」と聞かれたら、それこそ、学校で教わったような答えをするかもしれませんが、その気になれば、それらに対し、強力な反論も可能です。

私は、ニュートン力学や相対性理論、量子力学などについて、いくらかの理解はありますが、話半分くらいに信じています。早い話がどうでも良いと思っています。
確かに、飛行機で世界を飛び回る立場にでもなれば、時差という現実的な問題があり、地球が丸くて回っているということを認識しなければならないかもしれませんが、もしかしたら、自分の体験する現象の原因は、全く別のところにあるかもしれません。
そして、太陽のような恒星、金星や火星、木星、土星といった惑星の様子について、写真や文字では知らされていても、それが真実であるかどうかは、確かめようもありません。
別に私が極端に疑い深いわけではなく、それが当然の態度であると思っていますし、それで不都合がないばかりか、むしろ私の利益になっています。
写真や文字でしかないことを、権威や安っぽい褒美のために信じ込む習慣が付くと、思考の柔軟性が無くなり、騙されやすくもなります。
私は、金星が超高温高圧で硫酸の雲に包まれた惑星であるという話も、地球に似た環境で、高度に進化した文明があるという話も、共に可能性として信じています。

これが医学となると、自分や身近な人の身体で実験、検証が可能なこともあり、私はほとんど信用していません。
また、明白な嘘がなぜ世間にまかり通るのかという理屈もかなり理解し、それが、人間や社会への洞察を高めてくれてもいると思います。それも、単に学校で教えているからとか、世間が認める権威ある常識というだけの理由で真理とみなさないからです。そもそも、学校で教えていることや、権威ある科学理論のかなり多くが、後で間違いであることが分かっています。ひょっとしたら、地動説が間違いで、実は、天動説が正しかったなんて話もあるかもしれません。あるいは、共に正しいとか、共に間違いであるという、面白い真理が発見されるかも知れません。

我々は、世間の教義や信念より、もっと大切なことを捨て去り、無視して顧みていないのかもしれません。
例えば、「殺人をしてはいけない」ということを、世間常識を基に考えるなら、答は出ません。それどころか、殺しても良いという見解すら論理的に正しいと言える可能性も小さくはありません。
こんな簡単な問題すら、様々な意見があって、難しいと言われるのは、考え方の基盤に問題があると気付かなくてはなりません。
世間的に言う、もの凄く高度な知能や論理で説明するより、「悲しいから」という答の方が「まだ」マシかもしれません。







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大切にする力

虫の大群は恐ろしいということを聞いたことがあると思う。
手塚治虫さんの「ミクロイドS」という漫画の中で、虫が大挙して都市を襲い、人々は抵抗する術もなく殺されていく。ところが、なぜか虫の群の中で平然としている人達がいる。彼らは、実に、生まれてから一度も虫を殺したことがないのだった。
これは、あくまで手塚治虫さんの空想であるのだが、素晴らしい発想であると思う。
画家の横尾忠則さんの「隠居宣言」という本に、これに似た印象深い本当の話がある。
一度も魚を食べたことがない男がいたのだが、彼が姿を見せると、魚が彼の方にすーっと寄っていくというのだ。
また、横尾さんはどこかの国でピラニアを釣りに行かされたことがあったが、釣り自慢の者達が全く釣れない中で、やりたくもなかったのに、無理に釣竿を握らされた横尾さんが簡単に、しかも、連続して釣り上げて驚かせたことがあったようだ。横尾さんは、少年時代、コブナ獲りに熱中したことがあるらしいが(「コブナ少年」という自伝を書かれている)、あくまで網で獲り、しかも、獲ったコブナを大事に飼っていたらしい。魚が可哀想で、釣り針を使う釣りが好きでないと言う。そんな横尾さんに、ピラニアも吸い寄せられたのかもしれないとか思ったものである。

有名な占い師の細木数子さんは大金持ちだが、ある時、テレビで、非常に印象深い話があった。彼女は、サイフの中のお札を、必ず全て、同じきちんとした方向に揃えて入れているらしい。それを見た人が驚くと、細木さんは、「当たり前じゃないの!(バラバラに入れると)お金に失礼じゃないですか」と憤慨した。これが、細木さんがお金に愛される理由ではないかと思う。もちろん、誰もが真似をしたら細木さんのようにお金持ちになれる訳でもなかろうが、極貧になることは免れるかもしれないと思う。
お金持ちは小さなつり銭も必ず受け取るものらしい。また、あるお金持ちは、金持ちになりたければ、毎日十円ずつ貯金しろと真面目に言ったそうだが、その真意が分かるような気がする。

野球選手の中でも傑出した存在であるイチロー選手や松井選手の話を注意深く聞いていると、彼らが、いかに野球道具を大切にするかが分かると思う。彼らだけでなく、一流の演奏家や職人は、楽器や工具を実に大切にするものであり、逆に、それらを大切にしない優れた演奏家や職人は絶対にいない。加えて、イチローは自分のボディを非常に大切にし、ストレッチを彼ほど丁寧に行う選手もいない。

真面目な女の子が、遊び人と分かっている男になぜか抗えずに惹かれてしまうということがよくある。
井上昌己さんの「アナザーフェイス」という歌を聴くと、その謎が分かるように思う。作詞は古賀勝哉さんという素晴らしい作詞家で、作曲は井上さん自身である。
「照明(あかり)をそっと消した部屋 わかっていたはずの私 くやしい 何気ない笑顔 それから 少しの優しさ」
「わかってる本当はあなたも 好きでいてくれること」
もてる遊び人というのは、心のどこかでは女性を大切にしているのだろう。それが女性に伝わるのではないかと思う。
逆にもてない男というのは、表面的には女性に優しくても、大切にしているのは自分だけなのだ。

「トイレの神様」という歌が話題になったが、トイレをピカピカにしたらべっぴんさんになるなんて当たり前のことだ。家の中でトイレほど、べっぴんさんを作るのに大切な場所はない。ところが、冷蔵庫しか大切にしないからべっぴんさんになれないのだ。

以上が、この世で成功する者の秘密の全てである。
簡単なようで、出来るようになるには時間も修行も必要だ。表面的な誤魔化しは効かず、本心が肝心だからだ。
しかし、それは、本当は楽しい修行であると思う。なぜなら、何かを大切にするとは、即ち、自己の本質を大切にすることなのだ。







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年賀状は見る必要もない

年賀状は、出す必要がないのはもちろんだが、来たものを見る必要も無いことに気付いたら、心が晴れ、子供の頃から抱えていた陰鬱さから解放された。
これは大発見だ。
靴下を履く必要がないことを発見したアインシュタインも、こんな感じだったのだろうかと思う。
(アインシュタインは、妻が穴の空いた靴下をいつも繕っているのを申し訳なく思って憂鬱だった。しかし、ある時、靴下がなくても平気であることに気付き、心が晴れたという)

年賀状が感謝の心だなんて大嘘もいいところだろう。そして、本当はみんな、そんなことはとっくに気付いているはずだと思う。
また、年賀状が日本の美しい文化だということも無い。元々は、年始の挨拶を書状で簡単に済ませようとした貴族や武士の間で流行り、それが郵便の登場により、庶民が形だけ真似した。そして、普及と共に、世間の信念や教義になったということはお分かりと思う。世間の教義や信念の実体は、権威主義と差別主義で、それは、個人の心の不安や生存の権利を失う恐怖を餌にして成長する。こういったことが理解出来れば、年賀状というものが、単に惰性的な習慣であるというだけでなく、人を不幸にする忌むべきものになりかねないことが分かるのではないかと思う。

こう言うと、「私は心を込めて書いている。それを見なくていいとはひどいではないか」と言う人もいると思う。
しかし、本当に自分が心を込めて書いたのなら、相手が見ようと見るまいと、どうでも良いではないか?
相手が見てくれて、感謝してくれ、それにより、自分を良く思ってくれたり、自分が義務を果たしたという安心感を得たいという下心があるから、相手が見ないとなると不快に感じたり、怒ったりするのだ。
本当に心を込めて書いたのなら、相手の本質にはちゃんと伝わるだろう。相手の本質とは即ち天であり、相手の個人の心に伝わるってことじゃあない。しかし、それで何か不都合があるだろうか?
本当に誰かに感謝している時、その人が住んでいる家の外で、その人に見られもせずに静かに頭を下げるものだと思う。
尊敬する人がいて、その人が忙しくしていたら、その後姿に向かって、黙って頭を下げるのではないかね?
あるいは、その人が死んでしまっている場合は、心を向ける対象としてのお墓などに、やはり真摯な礼をする気持ちが自然に起こるだろう。
さあ、ここまで言ったら、本当の感謝の気持ち、礼とは、相手に対し、何も期待しないし、すべきものでないことが分かると思う。
老子や荘子にも書かれているが、本当の真心が無くなると、それを形式だけ示して、いかにもそれがあるように見せるのが、昔からの世間のやり方なのだよ。

出したければ、年賀状も出せば良い。
しかし、相手が見ないのが気に喰わないというのであれば、それは真心のない年賀状であり、貰う方も嫌だろうし、何より自分の心を穢すものだ。最初から出さない方が良いのではないだろうか?







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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