ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神の本当の名前

真実の神の名とは何だろう?
その名を呼び続ければ、いずれ、あなたは自分が神であることを知る。
意外かもしれないが、その名は、「私」、あるいは、「私は在る」だ。
英語では I AM であり、インドの言葉では「アハン」だ。
ギリシャ語では「エゴーエイミー」だが、イエスは自分のことをそう言ったことがある。
自分に向かって、常に、「私」と言い続ければ、神への変化が起こり、神仙のようなものになるだろう。
だが、ある時期になれば、超能力を得たり、仙人の力を得ることになるのだが、それはしばしば障害になる。
イエスはその力を賢く使ったが、釈迦は滅多なことでは使わなかった。
そこまで進歩することは稀だが、一方で、神の名を心の中で言い続ければ、必ずそうなる。ただ、誰もそれをしないだけなのだ。

だが、神の名を唱え、神になるためには、そのための準備が必要だ。
心の未熟な者が、いきなりそれを始めても、何も起こらないだろう。
福音書や『バガヴァッド・ギーター』のような聖典を読んだり、呼吸法の訓練をしたり、賞賛を目的とせず適度に身体を鍛えることは良い準備になる。
また、般若心経の呪文や、南無阿弥陀仏といった念仏を繰り返したり、あるいは、天照大神といった高貴な神の名を敬虔に唱えることも良いことと思う。
だが、それに優るのは、社会で働いて頭を叩かれ、円満な人格を作ることだ。
そして、食を慎み、性的な放埓を避ける訓練も素晴らしい進歩をもたらす。
ただ、これらは、あくまで一般的傾向であり、素直な心を持ち、謙虚であれば準備は出来ているだろう。
また、中学校でいじめられる運命であったなら、希望を持ち、心を奮い立たせるなら、修行は短くて良いだろう。
しかし、いじめる側であったなら、少なくとも30年は社会で苦労しなければならない。しかし、悔い改めて、自主的に徳を積む(例えば無償で公共施設の清掃をする等)なら、その限りではない。

だが、最も良い修行は、なるべく清らかな、適度な量の食事をし、適度な睡眠を取り、適度に会話することだ。
これを習慣として続けている者であれば、すぐに、神の名を唱える行に入るべきである。
生活の状況は自然に平安で、普通は豊かなものになるが、悪いことが起こっても、それは過去の因果が現れたものに過ぎないので、ますます神の名を唱え、悪い出来事に囚われなければ、カルマは必ず消えるのである。
また、経験的に言って、五井昌久さんが創った「世界平和の祈り」は大変な力があったことを述べておく。私は別に信者ではなく、本当のことを言えばそれをするのが気恥ずかしくさえあったのだが、その威力には驚いたものである。
そして、神秘力を得ても、ただ、神の名を繰り返し、謙虚でいることだ。そうすれば、その力はあなたの味方になる。
多くの神仙がそうであるように、あなたも、望むなら、仙人としてしばらく(あるいは数百年)留まっても構わないが、その時期が長いほど、何かの方法で人々に奉仕した方が良いだろう。
謙虚に人々の役に立ち、傲慢にならなければ、神になるまでの間、世俗の中にあって、充実して幸福に暮らせるだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

レールを外れた人間の生き方

善意のある、強くて立派な人というのは、当たり前の生活の大切さを説くものだ。
ちゃんと勉強して教養を身に付け、自分に向いた仕事を選ぶべきだが、いったん何かの仕事に就いたならば、それを一生懸命やらなければならない。というのは、天才でもない限り、仕事なんて、何をやってもさして変わらないので、縁あってやることになった仕事を真面目にやるのが一番であるからだ。
そして、早過ぎず遅過ぎずの時期に見合いで良いから結婚し、夫婦の間の問題は必ず何度も出るが、それを賢く解決して乗り越え、決して離婚などせず、子供を立派に育てて、老後は蓄えの範囲で安らかに過ごし、時がくれば満足して死ぬ。
実は、私も、人間の生き方としてはそれが一番であると思う。
有名な『タイタニック』という映画で、絶望的な状況でジャックが言った望ましい人生がまさにこれだった。しかし、彼はそれを得ることなく死ぬ。残されたローズは、やや特別な生き方をした面も少しはあるが、聖人にもならず、世を捨てた訳でもなかった。普通の人より少しは冒険したとはいえ、彼女もまた、平凡な一生を送ったと言える。
アメリカの奇跡的な精神科医ミルトン・エリクソンの父親は、16歳で家出をし、たどり着いた地で、たまたま通りかかった男に雇われ、その娘と結婚した。これもまた、我々には、物語のような生涯と思えるかもしれないが、実際は、何ら特別な人生ではなく、特に、昔であればごく普通の生き方だった。今の管理社会にいる我々から見れば波乱万丈の生涯のように感じるのだが、神様ってのは、ちゃんと面倒を見てくれるものだということを、昔の人は知っていたので、この程度は「普通」であったのだ。

だが、現代の我々の中には、まず、しょっぱなの人生でうまくいかないことがある。
家族仲が悪く、学校に馴染めず、いじめられる者もいる。大人になっても働くことができなかったり、働いたとしても人間関係をうまくやっていくことができずに苦労をする。
彼氏や彼女は出来ないし、出来てもいつも嫌な別れ方をし、結婚できず、しても別れることになり、しかも、それを何度も繰り返すこともある。
全ては、不安や恐怖が引き起こしているのだ。
上に述べた通り、昔の人は、明確でなくても、神様が面倒を見てくれることを知っていたので、生きていく上での不安はさほどなかったのだ。
しかし、近代になって、極端な物質主義が蔓延り、人々は目に見えるものしか信じられなくなったので、神様の存在が信じられず、ホーキングのような天才も「神はいない」と言うので、必然的に、お金しか信じることができなくなったのだ。
それは、一見、うまくやっているような人々でさえそうなのだ。だから、自分は豊かで幸せに暮らしているような人々でも、家族主義に凝り固まり、家族の利益に反する場合には冷淡になってしまうのである。つまり、ちょっと変わった状況になると、「いらぬ仏心は災いの元」と考え、自分や家族だけを守ろうとするのだ。
親切で温かい人々も、一皮剥けば鬼である。テレビドラマのタイトルだったかもしれないが、「渡る世間は鬼ばかり」とは、近代の世間の本質をうまく言い表している。

人生の早い時期につまずいた者が不幸か、逆に、幸いかはともかくとするが、もし、自分でそうであるなら、今の時代では、『タイタニック』のジャックのような望みは持ってはならない。それでは、不安と恐怖で管理された現代社会の、捻じ曲がった教義や信念に閉じ込められ、牢獄のような人生を送ることになる。
ただ、宗教に入ってはいけない。今の宗教は、学校や会社と全く変わらないし、むしろ、もっと悪い。
かつての世の中では、仙人になることを目指すべきでなかった。ただ自然な生活をしていれば、むしろ仙人よりも高い境地にあることができたし、昔の農村には、聖者と変わらない者が沢山いて、特に釈迦やイエスがいなくても、人々を導くことができていた。
だが、もはや自分は平凡に生きられないと思ったら、悟りでも開くしかないのだが、それは難しいし、おそらくは、そのためには、神の特別な恩寵が必要である。
そうであるなら、仙人という、簡単に言えば、神の手前の段階にいるある種の超人を目指すしかないかもしれない。釈迦やイエスにはなれなくても、仙人を目指すのは自由だし、おそらく達成できる。ただし、単なる熱狂や妄想を勧めるのではないことはお分かりと思う。
そのために、私は、スポーツのような、パートタイムの修行ではなく、フルタイムの修行の重要性を説くのである。
1日何時間だの、野球のような大会日程に合わせた修行ではなく、起きている限り、常に行う修行でなければ神仙にはなれない。
その修行の本質は、ただ、心を静かにすることである。そして、それは、心をほとんど消すこと・・・想念を起こさないことである。
そのための方法は、まず、心を強く鍛え、強くなった心を一点に集中させて、余計な想念を起こさせないことだ。
しかし、その具体的な方法は、熱意は必要であっても、誰にでもできるものでなくてはならず、それを、無償で共有することが必要である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

虐げられる自分や、虐げられている誰かをどう救うか?

理由は様々だが、世の中にはどうしても、虐げられる巡り合わせの者がいる。
辛いので何とかしたくても、自分が弱い立場だったり、こっちは孤立しているのに向こうは大勢だったりで、逆らうこともできず、悔しくてもへつらうしかないという者も多い。
自分がそうであることもあれば、自分の周囲に、そんな状況に立たされている者がいる場合もある。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニは、ザネリという級友やその仲間達に酷い扱いを受けていたが、相手は大勢だし、また、ジョバンニは母親が病気な上、父親が行方不明で、それで、学校が終ってから働かなければならなくてすっかり疲労していた。それに、元々、ジョバンニは争いができるタイプでないと思える。
そして、いっそう辛いことに、親友のカムパネルラは、どうしてもザネリ達と仲良くしなければならず、ジョバンニは口を利くこともできない。
カムパネルラも辛かったに違いない。だが、ジョバンニはカムパネルラを恨むことはなかった。
ジョバンニはくれぐれも悪い星の巡り合わせにいるようだ。
せっかく、カンパネルラと銀河鉄道の列車に乗って、やっと一緒に旅ができたのに、後から現れたかおるという可愛い少女とカムパネルラが仲良くしているのが何か辛くて、かおるに嫌な態度を取り、それでさらに自分の気持ちを傷付けてしまうのだ。

ジョバンニやカムパネルラのようになってしまったら、あるいは、もっと悲惨な目に遭っているなら、どうすれば良いのだろう?
どうしようもない。
さっきも述べたように、それが星の巡り合わせであり、そうなるように決まっているのであれば、いくら嫌でも、それを避けることはできない。
何か原因があるのか、あるいは、その原因が何であるかは分からないが、それが持って生まれた宿命であり、逃れることのできない運命だ。
ただ受け入れるしかないのである。
カンパネルラは確かに、ザネリ達に虐げられるジョバンニに救いの手を差し伸べなかった。しかし、それがカムパネルラの運命であり、いくらカムパネルラがジョバンニのために何かをしてあげたくても、やはり、カンパネルラには何もできなかったのだ。
『バガヴァッド・ギーター』の中で、アルジュナ王子が、いくら、親しい友や、尊敬する師や、愛する叔父と戦うのが嫌でも、戦って彼らを殺すのが運命であれば、やはり、それは決して避けられなかったのと同じだ。運命の前に、人の情など、何の関係もない。
あなたの近くにも、理不尽な辛い目に遭っている者がいるかもしれない。あなたは救ってやりたいと思うかもしれないが、やはり、カムパネルラのように何もできないことが多いのだ。
ならば、放っておくのだ。
マザー・テレサであれば、そのような無関心な態度を非難するかもしれない。だが、彼女は特別な運命を持って生まれ、自分の意志のままに他人に救いの手を差し伸べることができたのだ。
だが、あなたはそうではない。
では、自分が辛い目に遭っているか、誰かがそうであるかである時、我々はどうすれば良いのだろう?
まずは、自分のことに関して言うなら、鍛えてもらっていると思うしかないし、自分以外の誰かであれば、鍛えられて強くなることを願うだけだ。
実際、そう思うことで、心は強くなるだろう。
そして、後のことはなりゆきに任せることだ。言い換えれば、神様に全て任せるのだ。
そして、自分は無になることだ。
できるだけ何も考えず、無心で過ごすのだ。
ラマナ・マハルシは、そんな人に対し、こう指示した。
「自分に対し、常に『私』と呼びかけなさい」
いついかなる時も、片時も休まずである。
「私」こそが最高のマントラ(真言。呪文)であるとマハルシは言う。至高のマントラと言われる「オーム」すら2番目であると。
あるいは、岡田虎二郎や、黒住宗忠のように、腹にずっと力を入れるという方法もある。人は腹に力を入れている間は、あまり考えることができないのだからだ。これも、やるのであれば、1日中、絶え間なくやらなければならない。
五井昌久さんという慈悲心に溢れた宗教家は、もっとやりやすい方法として、「世界平和の祈り」を創り、これをいつも唱えるよう教えたのである。昔、法然が、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)のいかなる時も念仏を唱えよと言ったのと同じことだ。
そして、こういったことをやれば、奇跡が起こるだろう。そして、初めて状況が動く。自分の力では何もできないが、神仏に不可能はないのだからだ。
他の方法は何もない。だが、これらは確実な方法である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

株取り引きも野球の監督の采配もギャンブルだ

野球の監督なんてギャンブルだと思う。
そう言うと、「いや、データを基に判断しているのだ」と言う人がいるだろう。
しかし、「代打を誰にするか?」「打たせるかバントさせるか?」について、それほど大変なデータ計算をしているとは思えない。
野球のテレビ中継で、解説者が、「次はフォークでしょう」とか、「ここはバントですね」とか言うと、大方は当る。ところが、監督が意外な策を取ってくることもある。
例えば、解説者が、自信を持って、「代打はA選手」と言ったのに、監督は意外なB選手を代打に送る。まあ、そんな場合、監督は昼間の練習を見て、B選手の調子が良さそうだったからとか、他にもいろんな理由があるのかもしれないが、さほどの理由でない場合が多いに違いない。ただ、良い監督というのは、個人的な思い込みをだけは排除する能力があるのだろう。
監督の意外な策がもし成功すれば、翌日の新聞には、監督がその策を取った「深い理由」がまことしやかに書かれるかもしれないが、そんなのは「取って付けた」ものでしかない。逆に、奇策での失敗は割合に無視される。奇策というのは、成功すれば面白いのであり、失敗するのは当然過ぎて面白くないからだ。マスコミというのは、スポーツに限らず、正しいことを書くのではなく、面白いことを書くのだ。そうでないと人気が出ないし、世間はますますそのようなものになってきているのだ。
切羽詰った状況で、監督の特殊な采配が当るなんてことは、実際はほとんどない。
ただ、厳しい状況で、監督が次にどんな手を打つのか、そして、それが成功するか失敗するのかを見るのはとても面白い。
しかし、その時の監督ほど面白くないものはないだろう。だって、それは、絶対に確信なんてない、ただのギャンブルなのである。そして、期待されていることも分かっているので、本人は、なんて損な役なんだろうって思っているはずだ。
そういった状況での、落合博満さんの「渋ちん顔」を思い出す。彼は、本当に正直な人だろう。本当は、誰だってあんな表情しかできないはずなのだ。そして、彼は演技をせずに正直な顔をしてしまう。だから監督としては人気が出なかったのだ。
あんな時は、いかにも自信満々な顔をして(原監督のように)、それが成功した時のインパクトを大きくし、失敗した時は派手に椅子を蹴っ飛ばして、観客や視聴者を喜ばせないといけないのに、落合さんは、それをやらなかったのだ。
私は、落合さんが就任1年目に言ったことをよく覚えている。
「選手は一生懸命やればいいんだ。負ければ俺が恥をかけばいいんだ」
落合さんは、本当に、「負ければ俺が恥をかく」と思っていたのであり、「勝てば俺が賞賛される」とは思っていなかった。だから、彼は名監督になったのだが、実はこれは、ギャンブルに勝つ心構えと同じであることに気付く。
本物のギャンブラーってのは、自分が勝とうなんて思っていない。相手に負けさせるのである。
ギャンブルというのは、テクニックが介在することもあるが、ほとんどは偶然の運で勝負が決まる。
特に、一発勝負のギャンブル・・・すなわち、「丁半勝負」は、いかなるテクニックも通用しない。
そんな時、イカサマでもしない限り、どうあがこうが勝つか負けるかは半々だ。
本当は、そんな時に勝つ方法があるのだが、それは人間にはほとんど不可能だ。しかし、負けることは意外に簡単なのだ。
その簡単なことを、相手にやらせれば良いのだ。実際、一流ギャンブラーは、そうやって常に勝つのである。

落合さんが、ひょっとしたらさり気なく言ったのかもしれない、「負ければ俺が恥をかく」というのは、金言と言って良い。
同じような理由で、優れた経営者というのは、夢のような儲け話に決して乗らないものだ。リスクを回避し、確実に儲かることに全力を尽くすのである。
だから、自分の頭では「これは儲かるぞ、素晴らしい」と思っても、それに対して、「いや社長、それはうまくいくとは限りませんぜ」と言う者がいれば、一応は不快に思って激怒もするのだが、頭が冷えると、その者の言うことを聞こうとするのである。
株取引というのも、絶対にギャンブルなのだ。それを自覚せずに悲惨な目に遭う者が何と多いことか!しかし、「いや、株はギャンブルでない。科学だ、経験だ、テクニックだ」と嘘を言って煽る者が多いのである。しかし、断言するが、株はギャンブルである。
だが、名監督、名経営者、名ギャンブラーのやり方ができるなら、株でも勝てるだろう。
バイトで資金をためて株取り引きに熱中し、あれよあれよという間に数百億円の巨大資産を作った青年がいたが、あれもまた、名監督のやり方だ。
彼は、株取引の高度な知識や技術に興味はないらしい。もちろん、常に勝つ訳ではない。どんな名監督でも百戦百勝は不可能だし、名経営者でも一時的には損をすることもあるのと同じだ。
彼は、ある意味、あまり考えない。「こんな時は売ってしまうしかないじゃない」と、売る時を知っていて、そんな時は思い切りよく売ってしまう。妙な「考え」でそれを引き伸ばさないのだ。
深い読みなんてしない。そんなものはあてにならず、トータルでは大きく間違うことをよく知っているのだ。これもまた、名監督と同じだ。
彼は、当たり前の読みに徹している。だが、この「当たり前の読み」を明晰に見るのが難しいのだ。彼は、「リズムを大切にしている」と言うが、当たり前の読みにはリズムがあるのだ。リズムは大切だ。自然には美しいリズムがある。あの『バガヴァッド・ギーター』にも、その大切さが書かれているのである。
別に株取引を勧める訳ではないが、私が普段書いている方法で想念を消せれば株でも勝てる。だが、想念を消して株取引ができる人は、まずいない。

こういった話題は面白いので、書いていると、ついつい時間を忘れる。
このあたりでやめておくが、重要なことがあると思うので、良ければ参考にして欲しい。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

どうすれば生活が保障されるのか?

この頃、私は、あまりものを考えなくなった。
何か考え始めると・・・それは大抵、下らないことなのだが、すぐに考えるのを止めてしまうことができる。
どうしてかというと、心の中で、ある言葉をずっと繰り返しているからである。
今はまだ、時々、それを唱えるのを忘れてしまうこともあるが、良からぬことを想うと、ほぼ間違いなく、言葉を唱えることを思い出すので、悪想念も結構なことである。

時々、般若心経の呪文を10万回唱えたとか、何かの真言を百万回唱えたとか言う人がいるかもしれないが、そんなことにあまり意味はないと私は思う。
生きている限り、起きている間中、ずっと唱えることが大切なのである。
仕事中もかと言うなら、仕事中もである。
それで仕事になるのかというと、私はならないような気がするが、結果として、いつもより素晴らしい仕事になっているのである。
ミルトン・エリクソンという、アメリカの精神科医は、仕事を前に無意識に入ってしまい、その後の記憶が全くないのだが、日常の意識に戻った時には、仕事は完璧な形で終っているのである。
エリクソンは、初対面の人の父親の名前でも軽く言い当てるような人だったが、怪しい人じゃあない。それどころか、どんな難しい精神病でも簡単に治してしまうので、「魔法で治している」とまで言われた驚異的な精神科医だった。世界で最も有名な精神科医のフロイトが実際は、患者を1人も治すことができなかったのと大変な違いである。
また、エリクソンは、手のつけられない不良少年をたった一言の会話で、完全に更生させたこともあったが、おそらく、彼には普通のことなのだ。
まさしく、普通の人からみれば魔法使いである。
考えなくなって仕事はできる。
いや、考えるから、エリクソンのような素晴らしい仕事ができないのだ。

最初に述べた通り、私は、起きている間中、ずっと、ある言葉を繰り返すことを目指している。
それで何が楽しいかというと・・・実に楽しみなのである。
10年後には、いったいどうなっているだろう?
仙人になって、いよいよ神を目指しているかもしれない。
「10年もかかるのか?」と言われるだろうか?
10年も楽しめるのだ。
この行を行う限り、生活は保障されるのである。だから、何の心配もいらない。だから、ただ楽しめば良い。
「毎朝」、ずっと美味しい木の実とビスケットを食べ続けることができるのだ。これが天国でなくて何だろう?
誰がそれを保障するのだろうか?
もちろん、神様である。
どんな聖者もそうであることを請け負っているが、それは、しばらく行をやれば分かることだ。
これを理想的な人生というのだろう。
それは生きたまま天国に入るようなものであるが、大人が天の国に入るのは難しいものらしい。
イエスは幼子のようになれば、天の国に入れると言った。無論、生きたままである。
子供というのは、やって来るものはそのまま受け入れるが、過ぎてしまえば忘れてしまうのだ。
いつも良い言葉を繰り返していれば、過ぎたことを考えることはできない。結果として、天国にいつもいることになるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード