真実の神の名とは何だろう?
その名を呼び続ければ、いずれ、あなたは自分が神であることを知る。
意外かもしれないが、その名は、「私」、あるいは、「私は在る」だ。
英語では I AM であり、インドの言葉では「アハン」だ。
ギリシャ語では「エゴーエイミー」だが、イエスは自分のことをそう言ったことがある。
自分に向かって、常に、「私」と言い続ければ、神への変化が起こり、神仙のようなものになるだろう。
だが、ある時期になれば、超能力を得たり、仙人の力を得ることになるのだが、それはしばしば障害になる。
イエスはその力を賢く使ったが、釈迦は滅多なことでは使わなかった。
そこまで進歩することは稀だが、一方で、神の名を心の中で言い続ければ、必ずそうなる。ただ、誰もそれをしないだけなのだ。
だが、神の名を唱え、神になるためには、そのための準備が必要だ。
心の未熟な者が、いきなりそれを始めても、何も起こらないだろう。
福音書や『バガヴァッド・ギーター』のような聖典を読んだり、呼吸法の訓練をしたり、賞賛を目的とせず適度に身体を鍛えることは良い準備になる。
また、般若心経の呪文や、南無阿弥陀仏といった念仏を繰り返したり、あるいは、天照大神といった高貴な神の名を敬虔に唱えることも良いことと思う。
だが、それに優るのは、社会で働いて頭を叩かれ、円満な人格を作ることだ。
そして、食を慎み、性的な放埓を避ける訓練も素晴らしい進歩をもたらす。
ただ、これらは、あくまで一般的傾向であり、素直な心を持ち、謙虚であれば準備は出来ているだろう。
また、中学校でいじめられる運命であったなら、希望を持ち、心を奮い立たせるなら、修行は短くて良いだろう。
しかし、いじめる側であったなら、少なくとも30年は社会で苦労しなければならない。しかし、悔い改めて、自主的に徳を積む(例えば無償で公共施設の清掃をする等)なら、その限りではない。
だが、最も良い修行は、なるべく清らかな、適度な量の食事をし、適度な睡眠を取り、適度に会話することだ。
これを習慣として続けている者であれば、すぐに、神の名を唱える行に入るべきである。
生活の状況は自然に平安で、普通は豊かなものになるが、悪いことが起こっても、それは過去の因果が現れたものに過ぎないので、ますます神の名を唱え、悪い出来事に囚われなければ、カルマは必ず消えるのである。
また、経験的に言って、五井昌久さんが創った「世界平和の祈り」は大変な力があったことを述べておく。私は別に信者ではなく、本当のことを言えばそれをするのが気恥ずかしくさえあったのだが、その威力には驚いたものである。
そして、神秘力を得ても、ただ、神の名を繰り返し、謙虚でいることだ。そうすれば、その力はあなたの味方になる。
多くの神仙がそうであるように、あなたも、望むなら、仙人としてしばらく(あるいは数百年)留まっても構わないが、その時期が長いほど、何かの方法で人々に奉仕した方が良いだろう。
謙虚に人々の役に立ち、傲慢にならなければ、神になるまでの間、世俗の中にあって、充実して幸福に暮らせるだろう。
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その名を呼び続ければ、いずれ、あなたは自分が神であることを知る。
意外かもしれないが、その名は、「私」、あるいは、「私は在る」だ。
英語では I AM であり、インドの言葉では「アハン」だ。
ギリシャ語では「エゴーエイミー」だが、イエスは自分のことをそう言ったことがある。
自分に向かって、常に、「私」と言い続ければ、神への変化が起こり、神仙のようなものになるだろう。
だが、ある時期になれば、超能力を得たり、仙人の力を得ることになるのだが、それはしばしば障害になる。
イエスはその力を賢く使ったが、釈迦は滅多なことでは使わなかった。
そこまで進歩することは稀だが、一方で、神の名を心の中で言い続ければ、必ずそうなる。ただ、誰もそれをしないだけなのだ。
だが、神の名を唱え、神になるためには、そのための準備が必要だ。
心の未熟な者が、いきなりそれを始めても、何も起こらないだろう。
福音書や『バガヴァッド・ギーター』のような聖典を読んだり、呼吸法の訓練をしたり、賞賛を目的とせず適度に身体を鍛えることは良い準備になる。
また、般若心経の呪文や、南無阿弥陀仏といった念仏を繰り返したり、あるいは、天照大神といった高貴な神の名を敬虔に唱えることも良いことと思う。
だが、それに優るのは、社会で働いて頭を叩かれ、円満な人格を作ることだ。
そして、食を慎み、性的な放埓を避ける訓練も素晴らしい進歩をもたらす。
ただ、これらは、あくまで一般的傾向であり、素直な心を持ち、謙虚であれば準備は出来ているだろう。
また、中学校でいじめられる運命であったなら、希望を持ち、心を奮い立たせるなら、修行は短くて良いだろう。
しかし、いじめる側であったなら、少なくとも30年は社会で苦労しなければならない。しかし、悔い改めて、自主的に徳を積む(例えば無償で公共施設の清掃をする等)なら、その限りではない。
だが、最も良い修行は、なるべく清らかな、適度な量の食事をし、適度な睡眠を取り、適度に会話することだ。
これを習慣として続けている者であれば、すぐに、神の名を唱える行に入るべきである。
生活の状況は自然に平安で、普通は豊かなものになるが、悪いことが起こっても、それは過去の因果が現れたものに過ぎないので、ますます神の名を唱え、悪い出来事に囚われなければ、カルマは必ず消えるのである。
また、経験的に言って、五井昌久さんが創った「世界平和の祈り」は大変な力があったことを述べておく。私は別に信者ではなく、本当のことを言えばそれをするのが気恥ずかしくさえあったのだが、その威力には驚いたものである。
そして、神秘力を得ても、ただ、神の名を繰り返し、謙虚でいることだ。そうすれば、その力はあなたの味方になる。
多くの神仙がそうであるように、あなたも、望むなら、仙人としてしばらく(あるいは数百年)留まっても構わないが、その時期が長いほど、何かの方法で人々に奉仕した方が良いだろう。
謙虚に人々の役に立ち、傲慢にならなければ、神になるまでの間、世俗の中にあって、充実して幸福に暮らせるだろう。
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