ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

持っているだけで恵みが得られる本

持っていると、力強さを感じ、守られ、幸運に恵まれるような本がある。
別に読まなくても良い。ただ、カバンやバッグに入れていれば良いのである。
それは、どんな本なのだろう?
答えるなら、聖書や古事記などである。
ギリシャ神話やバガヴァッド・ギーターも、やはりそうなのである。
なぜであろうか?
それは、これらの本に共通して書かれている言葉による。
それは、「神」という言葉である。
これらの本は、他のいかなる本より、「神」という文字が多く書かれている。
では、「神」という言葉が書かれてあったら、なぜそれほどの加護があるのだろう?
それに関しては、単に、子供の時の直感と経験としか言いようがない。
私は、9つくらいの時、ある本をランドセルに入れていたのだが、その本には、「神」という字がとても多く書かれていた。
それは、宗教の本ではなかったと思う。また、書いてあることはほとんど分からなかったのだけれど、ただ、神という言葉が多く書かれていて、ページを見ていると、素朴さや穏やかさを感じた。
そして、その本を持っているから大丈夫だという想いがあり、そして、実際、そうなった。
持っていない時に悪いことがある訳ではないのだが、本を持っていない日は、あまり無理はしない方が良いと感じるのだ。
私の子供の時の、そんな感覚は確かだった。
それは直感であるのだと思うが、その力を必要な時はいつでも使えたのである。
例えば、私は、天文に関する何の知識も情報もないのに、夜空の沢山の星の中から、簡単に土星を特定して天体望遠鏡で観測したり、また、これは真似してもらっては困るが、目をつぶって交通量の多い車道に飛び込むことすらできたのである。
そして、大人になってからでも、ニートだった時、書店でジョセフ・マーフィーの本を手に取って開くと、「神」という言葉が書かれてあるのを見て、すぐに購入を決意し、その本を持ち歩いていた。すると、何か努力をしたとか、心構えを変えた訳ではないのだけれど、それ以来、いつも良い思いをしているのである。

同じことが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第5巻にはっきり書かれているし、そこでは、理論的な説明もされているのだが、あまり理屈を考えなくても良いと思う。
また、そのことは、同じく、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第4巻で、イエス・キリストが話しているのであるが、イエスは、「これを知れば、他のことは忘れて良い」とまで言っているのである。もし、それが本当にイエスの言葉であれば、私が子供の時の感覚は本当に確かだったのだが、もし、イエスがそう教えたのではないとしても、私はそれを信じるのである。









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「自分以外の皆が自分の師」の大誤解

ニートを支援する団体があるのを、時々見たり聞いたりする。そのようなものがあるのは良いことに違いないが、良い印象を持てない活動が多い。
根本的には、「支援する」という考え方が間違っている。そこには、自分が上位者、助言者、理解者という態度があるからだ。
それらの団体の人達は、ニートと関わることで自分が向上しようとしているだろうか?そうであってこそ、ニート達も向上するのである。

「子供をしつける」、「生徒を指導する」という言葉も傲慢なものだ。
親は、子供と関わることで自分が進歩しようとしているだろうか?そうでないなら、子供は歪み、苦しみ、邪悪になるだろう。
教師は、生徒と共に発展しているだろうか?それでないなら、その教師は生徒にとって無用なだけでなく、害悪である。
刑務所で囚人を監督する立場の者達は、囚人と共に向上していく自分を実感しているだろうか?そうでないなら、その者は囚人以下になりつつあり、社会から犯罪も無くならないだろう。

向上と言うと、仕事のスキルだとか、世間的駆け引きといった、物質的利益に結び付くことしか考えられない者が多いかもしれない。
それも必要なものではあるが、それにばかり囚われていると、本当に大切なものを失ってしまうのである。

蔑んだ相手からは何も学べない。
しかし、それはなぜだろう?
見下した相手とは、霊的なつながりが生じないからだ。
そして、神は万物に宿るのであり、自分が馬鹿にしている相手の中にもいる。そのつながりをあなたは断ってしまった。それは神を拒否するに等しい。
すると、あなたは、自分より優れていると認めざるをえない相手とも本当のつながり(霊的な関係)を持つことができないのだ。
そして、自我は自分を神とみなし、自分がこの世で最も優れた存在と思い込むのである。これが、極めて多い、愚かな人間の姿である。

進歩向上し、神に近付くなら、その度に不可能は消え、あなたは自由になる。
そのためには、あらゆるものに敬意を持たなければならない。
物質的には、自分があらゆる援助をしている相手であっても、自分を上位者と見た途端に、あなたは進歩の道を閉ざされ、本日ただいまより、あなたは不自由になっていくのだ。
もし、幸運の秘訣があるとすれば、それはただ、「どんな相手も見下さない」の一言に尽きる。
自分以外は皆師であるというのは、誰も見下さない者についてだけ言えることである。相応しくない者には、誰も師であってはくれないのである。
いかなる人間と人間が会う時も、それは、仏が仏に会うことであり、ジュピターがジュピターに会うことなのである。

『灼眼のシャナ』という、小説、アニメに、とても興味深いところがあった。
剣道をかなり習得している、ある男性高校教師は、生徒を犬か猿のようなものと見なし、力で押さえつけて指導するのが自分の仕事と心得る傲慢な教師だった。
だが、見かけは小学生のように幼く華奢な美少女だが、実は超人であるシャナに対し、いつもの調子で締めようとして、みっともなく酷い目に遭わされる。その時、物語の中の生徒達と共に、読んでいる読者も溜飲を下げ(胸をすっきりさせ)愉快に感じるだろう。
だが、この男性教師は、ここで物語から退場しない。
相変わらずふてぶてしさはあっても、その後、生徒やシャナ達とごく自然に接しているのだ。
つまり、彼は進歩したのである。私はそこをとても嬉しく感じた。
『灼眼のシャナ』の小説は、詳しくは知らないが1千万部近くが発行される大ヒットであると思う。
そして、単に面白いものを書くだけでは作家として成功しないのだろうと感じたのである。









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最高の教師の特質とは何か?

20世紀前半のアメリカでの話である。
中学生の娘が、夜になると、よく出かけることに気付いた母親が、どこに行っているのかと尋ねると、娘は、近所に偉い数学の先生がいるので、宿題が出来ない時に教わりに行っているのだと言う。
その数学の先生の名を聞いた母親は卒倒しかけた。当時、ナチスに追われてアメリカに亡命していたアルベルト・アインシュタイン博士だったのだ。
母親が慌てて謝罪に行くと、アインシュタイン博士は、「いえ、私の方がより多く教わっていたのです」と言った。

この話を、単に、「アインシュタインはいい人だったんだな」などと受け取ってはならない。
そんな風に当たり前に考える人は、実際はアインシュタインが何か教わった訳ではなく、単に、母親に対して気遣いをしたのだと思うのである。
そうではないのだ。
これは、大変に深遠な話なのだ。アインシュタインは最高の教師であり、そして、アインシュタインは実際に大きな恵みを受けたのだ。
その意味が分かれば、我々の人生もまた、豊かで平安になる。

ここで、2人の偉大な精神科医であった、ジクムント・フロイトと、カール・ユングの話を少ししよう。
フロイトは、精神病患者の精神分析は、決まったやり方でやれると思っていた。彼は、あくまで医師であり、助言者であり、上位者だった。
しかし、ユングは、患者と全く対等な立場に立ち、共に向上しようとした。
結果、フロイトは、1人の患者も治せなかったが、ユングは概ね、患者に良い影響を与え、そして、彼もまた、実際に向上したのだ。

教師にも医者にも欠点はある。しかし、それは自分では決して分からない。
誰だって、自分にとって都合の悪いことを洞察したりはしないからだ。
しかし、ただ、1つ、自分の欠点を知り、しかも、治す方法がある。
それは、精神科医が、自分の考え方や態度が、患者を健康にすることを妨げていることに気付かざるを得なかった時である。
そして、教師が、自分の信念が、生徒を弱い人間にしていることを否定できないことを思い知った時だ。
そして、アインシュタインのように、子供相手にも自分が上とは思わず、謙虚に共に向上しようと本気で思った時、また、相手もそう思った時、実際に2人は、不思議な変化を起こし、共に高いところに昇っていくのである。
親になることの素晴らしさは、自分の子供とそんなことができるからだ。しかし、子供を自分のものと思い、自分の思うとおりにしようと思うなら、共に堕落するだけだ。
また、恋人や夫婦の本当の価値は、そんなところにあるはずなのだ。

老子は、万物の根源たる道(タオ)から1が生まれ、そこから2が生まれ、そこから3が生まれ、3から全てが生まれると言った。
形の無い道(タオ)から、形ある1が生まれ、そこから、陰と陽の2つが生まれ、陰と陽はお互いに作用を及ぼし、3という優れた何かを創り、それが、全てを生み出すのだ。
宇宙人は決して我々を見下さない。
我々と一緒に何かを生み出し、共に向上しようとしている。そして、それは可能である。
神もまた我々を、決して、決して見下さない。
我々は、神と共に、素晴らしい何かを創り出さなくてはならない。
父(神)と子(人間)は聖霊を生み出すのである。
そして、神もまた、我々と共に進歩しようとしているのかもしれない。









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本当にいい男、いい女とは?

男が女より馬鹿だという根拠は、男は女を見る時、外見に惑わされるからである。
しかし、今は、その点でも男と変わらない女が多いようだ。
昔の女は少女の頃から、男の外見をそれほど重視しなかった。無論、美醜の感覚はあるが、本質的な好き嫌いとは無関係だった。だからこそ、「女の勘は鋭い」のであり、女は男の中身を直感で知ることができ、男に騙されるということはあまりなかった。たとえ騙されるとしても、騙した男の方も意図しなかったことが多く、騙した男は後悔したものなのである。
外見を重視するというのは、欲望が強いということであり、知恵と無欲は等しいので、外見にこだわる者は知恵が無いのである。
ただし、美しいということには、それだけで価値があるのであり、その点においてだけは賞賛して良いが、表面的な美である「きれい」は幻想であり、時が経って心が成熟してくると、かつて美しいと感じていたものに対し、「なんであんなものを美しいと感じたのだろう?」と疑問に思うものである。
欲望を捨てれば幻想が消え、外見に惑わされず、直感が強くなるのである。それを知恵と言うのである。

では、本当に「いい男」「いい女」とは何だろう?
「夢を一途に追っている人」などと言われることもあるが、本当は、いい男、いい女は無目的な場合が多いのである。しかし、これはどちらでも違いはない。一途な目標があるかどうかは、ただ星の巡り合わせによる。
また、個人的な欲望に基いた夢に過度に執着する者は醜いであろう。
では、「優しい人」ではどうかというと、昔から、いい男は無愛想で身勝手と相場が決まっている。むしろ、やたら親切な男は下心があるか、見返りを期待しているのだろう。
ただ、女性の場合は、本質が優しいのであるから、優しい女性は自然であるという意味で素晴らしいのである。逆に言えば、行為に現れるかどうかは別として、優しくない女性には価値がない。ただ、最近の女性は気疲れが多いので、優しさを行動で示すことが少ないのは容認すべきかもしれない。

いい男、いい女とは、心の静かな男や女である。
「では、情熱がある男や女は良くないのか?」というと、それはどちらでも良いのである。情熱があっても、いい男やいい女は静かである。たとえ、自分の夢に関することで「むきになる」ことがあるとしても、一瞬後には忘れているのである。
何かに情熱を持っているとしても、それもまた宿命であり、人は自分の意志で情熱を持ったり、それを捨てたりはできないのだ。
『荘子』に、アイタイダという至高のいい男が登場する。おかしな意味ではなく、どんな男にも女にも慕われる。当然、娘の場合は妻になりたいと思うが、側に置いてもらえるなら妾でも良いと切望するほどである。
だが、アイタイダは二目と見られないほどの醜男である。しかも、何かとりえがあるわけでも、立派な思想があるというのでもない。だから、何かを主張することもない。
では、アイタイダの何が良いのだろう?
彼は、天の定めを完全に受容しているのだ。もし、金持ちになる運命であれば、自然の流れのままに富むが、彼はそれが単に運命であることを知っているので、自分が偉いから成功したとは思わない。得た富を喜ぶのと同様、貧乏になる運命であれば、貧乏を喜ぶのである。
そのような人間を、古代から、道(タオ)と一体化した至高の徳の持ち主と言うのである。
我々も、天地と一体化し、万物と共に変転するなら、人間どころか、神々や天使達にも敬服されるのである。
そのための、具体的で最も確実な方法は、いつもご紹介する、自己を問うこと・・・「我は誰か?」「吾(ア)は誰か?」「余(よ)は誰か?」(どれでも好きな言い方を選べば良い)という、光明に満ちた問いかけの道か、神や仏の名を心に常に保ち、一切を委ねる明け渡しの道のいずれも十分である。ただ、その問いかけや、神の名を唱える心の声は、できるだけ微かでなければならない。心の声が十分に微かであれば、それらの言葉と共に、心は魂の中に溶け入り、魂の根源であり、天地の実体である道(タオ)と一体化するのである。









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なぜ元気が出ないのか?

疲れやすい、体調が悪い、シンドイと感じている人がとても多いように思えてならない。
人間は、元気で、勇気があるのが正常なのであり、「元気をもらう」というような考えが起こるなら、それはおかしなことであると思わなければならない。
だが、実際には、元気が無い人が多いというのが現実であるようだ。
なぜ元気がないのかというと、今の世の中では、食料不足ということはあまり無いだろう。
過労という場合もあるのだろうが、普通の人の何倍も働きながらエネルギーに満ちている人もいるし、本来、人間が持っているエネルギーは極めて大きく、滅多なことで疲れるものではないはずなのだ。
では、何が現代人から活力を奪っているのかというと、気疲れや、不安、恐怖、後悔、煩いであり、さらに、憎しみや妬みまでが加わるなら、生命力はさらに著しく低下してしまい、やがては病魔に襲われることにもなる。

古代中国の仙人である老子や彭祖(ほうそ)は、齢をいくら重ねても(数百歳にも達したと言われる)、無限のエネルギーを保ち続けた。
老子が心がけていたのは、精力は蓄えるが浪費しないことだった。
そして、彭祖は精力を浪費しないためには、心が静かであれば良いのだと言ったという。
心を静かにするためには、まず、決して罪悪感を持たないことだ。
あなたが、たとえ失敗したり、多くの人に迷惑をかけたとしても、それが運命だったのであり、あなたには、避けることなどできなかったのだ。
そんな拙(まず)い結果になったのは、別にあなたが無能だからではないし、たとえ無責任だったとしても、それが星の巡り合わせであったのだ。
あなたが、罪悪感を感じる必要は何もないのだ。
なぜなら、あなたは、神様のシナリオに従って、ちゃんと無責任に行動し、ちゃんと人に迷惑をかけ、ちゃんと人のそしりを受ける状況になったのだ。
インドの偉大な聖者ラマナ・マハルシは、「あなたがたとえどんな悪人であったとしても、罪悪感を感じてはならない」と言ったのだ。
隣の奥さんと間違いを犯しそうだという男に対して、「たとえそうなったとしても決して後悔してはならない」とはっきりと指示したのである。
神の意思でなくては何も起こらないと言ったのは、イエスも全く同じなのだ。
思い悩む暇があったら、心の中で静かに、微かな声で、「我は誰か?」、あるいは、「吾(ア)は誰か?」、あるいは、「余(よ)は誰か?」とゆっくりと問うのだ。
心が騒ぐなら、それを問いかけのエネルギーに転化すると良い。「我は誰か?」以外の想いなど起こさないようにするのである。
それによって、自我を、煩いもろともに葬り去るのだ。
あるいは、心の中で、本当に静かな声で、神の名を唱えるのだ。いつやるのかというなら、いつもが良い。
心の中で、微かな声で発せられた神の名は神そのものである。
その名は、ただちに神秘力を発揮するだろう。
また、物質と霊の境界で体内の気を活性化させるために、腕振り運動を根気強くやれば、より効果が高まるに違いない。
工夫をして、何よりもまずは、空に溢れているエネルギーと一体化し、何でもできそうな気になっていただきたいと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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