持っていると、力強さを感じ、守られ、幸運に恵まれるような本がある。
別に読まなくても良い。ただ、カバンやバッグに入れていれば良いのである。
それは、どんな本なのだろう?
答えるなら、聖書や古事記などである。
ギリシャ神話やバガヴァッド・ギーターも、やはりそうなのである。
なぜであろうか?
それは、これらの本に共通して書かれている言葉による。
それは、「神」という言葉である。
これらの本は、他のいかなる本より、「神」という文字が多く書かれている。
では、「神」という言葉が書かれてあったら、なぜそれほどの加護があるのだろう?
それに関しては、単に、子供の時の直感と経験としか言いようがない。
私は、9つくらいの時、ある本をランドセルに入れていたのだが、その本には、「神」という字がとても多く書かれていた。
それは、宗教の本ではなかったと思う。また、書いてあることはほとんど分からなかったのだけれど、ただ、神という言葉が多く書かれていて、ページを見ていると、素朴さや穏やかさを感じた。
そして、その本を持っているから大丈夫だという想いがあり、そして、実際、そうなった。
持っていない時に悪いことがある訳ではないのだが、本を持っていない日は、あまり無理はしない方が良いと感じるのだ。
私の子供の時の、そんな感覚は確かだった。
それは直感であるのだと思うが、その力を必要な時はいつでも使えたのである。
例えば、私は、天文に関する何の知識も情報もないのに、夜空の沢山の星の中から、簡単に土星を特定して天体望遠鏡で観測したり、また、これは真似してもらっては困るが、目をつぶって交通量の多い車道に飛び込むことすらできたのである。
そして、大人になってからでも、ニートだった時、書店でジョセフ・マーフィーの本を手に取って開くと、「神」という言葉が書かれてあるのを見て、すぐに購入を決意し、その本を持ち歩いていた。すると、何か努力をしたとか、心構えを変えた訳ではないのだけれど、それ以来、いつも良い思いをしているのである。
同じことが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第5巻にはっきり書かれているし、そこでは、理論的な説明もされているのだが、あまり理屈を考えなくても良いと思う。
また、そのことは、同じく、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第4巻で、イエス・キリストが話しているのであるが、イエスは、「これを知れば、他のことは忘れて良い」とまで言っているのである。もし、それが本当にイエスの言葉であれば、私が子供の時の感覚は本当に確かだったのだが、もし、イエスがそう教えたのではないとしても、私はそれを信じるのである。
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それは、どんな本なのだろう?
答えるなら、聖書や古事記などである。
ギリシャ神話やバガヴァッド・ギーターも、やはりそうなのである。
なぜであろうか?
それは、これらの本に共通して書かれている言葉による。
それは、「神」という言葉である。
これらの本は、他のいかなる本より、「神」という文字が多く書かれている。
では、「神」という言葉が書かれてあったら、なぜそれほどの加護があるのだろう?
それに関しては、単に、子供の時の直感と経験としか言いようがない。
私は、9つくらいの時、ある本をランドセルに入れていたのだが、その本には、「神」という字がとても多く書かれていた。
それは、宗教の本ではなかったと思う。また、書いてあることはほとんど分からなかったのだけれど、ただ、神という言葉が多く書かれていて、ページを見ていると、素朴さや穏やかさを感じた。
そして、その本を持っているから大丈夫だという想いがあり、そして、実際、そうなった。
持っていない時に悪いことがある訳ではないのだが、本を持っていない日は、あまり無理はしない方が良いと感じるのだ。
私の子供の時の、そんな感覚は確かだった。
それは直感であるのだと思うが、その力を必要な時はいつでも使えたのである。
例えば、私は、天文に関する何の知識も情報もないのに、夜空の沢山の星の中から、簡単に土星を特定して天体望遠鏡で観測したり、また、これは真似してもらっては困るが、目をつぶって交通量の多い車道に飛び込むことすらできたのである。
そして、大人になってからでも、ニートだった時、書店でジョセフ・マーフィーの本を手に取って開くと、「神」という言葉が書かれてあるのを見て、すぐに購入を決意し、その本を持ち歩いていた。すると、何か努力をしたとか、心構えを変えた訳ではないのだけれど、それ以来、いつも良い思いをしているのである。
同じことが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第5巻にはっきり書かれているし、そこでは、理論的な説明もされているのだが、あまり理屈を考えなくても良いと思う。
また、そのことは、同じく、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第4巻で、イエス・キリストが話しているのであるが、イエスは、「これを知れば、他のことは忘れて良い」とまで言っているのである。もし、それが本当にイエスの言葉であれば、私が子供の時の感覚は本当に確かだったのだが、もし、イエスがそう教えたのではないとしても、私はそれを信じるのである。
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