ラルフ・ウォルドー・エマーソンのような飛び切りの賢者だってそうだと思うが、ジェームズ・アレンにしろ、ラルフ・ウォルドー・トライン(エマーソンに憧れて名を取っている)にしろ、ジョセフ・マーフィーにしろ、何かの本を一冊読んで一発で優れた知恵を得たなんてことは絶対にないはずだ。
きっかけは、何かの体験かもしれないし、それから、まずは何かの書物に答を探したに違いない。
そして、本の教えを自分なりに理解して実践するが、はじめからうまくいくはずもなく、多読したか1つの本に集中したかはともかく、実践の方では、何度も何度も堂々巡りを繰り返したはずだ。
FictionJunction YUUKAの『Silly-Go-Round』という歌の中の、「ゴールのつもりでリセットボタンに飛び込んで 僕らはぐるぐる同じ場所を回ってるんだ」という詩が本当に身につまされるのである。
ビージーズの『Melody Fair(メロディ・フェア)』でも、「Melody, life isn't like the rain, it's just like a merry-go-round. 」(メロディ、人生は雨じゃない。メリーゴーランドみたいなものだ」と歌っていたのを思い出す。
堂々巡りを繰り返すことは悪いことでも、恥ずかしいことでもない。
だが、他人の堂々巡りを馬鹿にするほど愚かなことはない。
そんなことをする者は、自分は堂々巡りから逃げているだけなのだからだ。
1冊の本を読んだり誰かの話を聞いて、一発ワンタッチで真理を悟ることは決してない。
それどころか、何度、同じ過ち、失敗を繰り返しても、少しも向上せず、何も改善されず、全然良いこともなく、時には絶望する。
しかし、それでも勇敢にリセットボタンに飛び込み続けたら、ある日、ブレイクスルーが起こる。
進歩というのは、徐々に、コンスタントに起こるよりは、、ある時一気に訪れることの方がずっと多いのだ。
そして、堂々巡りというのは、辛いだけでなく、楽しいものだ。
上に挙げた、『Silly-Go-Round』も、あるいは、『Melody Fair』も、苦しさや哀しさを歌っているのではあるが、どこか陽気に感じるのである。
私はゲームはしないのだが、コンピューター・ゲームでは、1つのラウンドを戦う中で、1つ、あるいは、いくつかの、アイテムと呼ばれる武器のようなものを得るのだと聞く。
それが、ハードルが上がる次のステージでの戦いに勝つ条件か、あるいは、戦いを有利に進めるためのボーナスなのだろう。
現実世界もそれに似ていて、堂々巡りを繰り返すとしても、その中で何か武器を身に付けなければならない。
そして、次のサイクルでは、新しい武器を得ることもあるだろうが、それよりも、武器を磨いて強力にするのが良い。
私の場合は、武器がコンピュータープログラミングだった。
最初はBASIC言語だったり、C言語だったりしたが、次の舞台ではdBASEになり、dbMAGICになり、今はAccessのVBA言語になった。
今の時代であれば尚更、プログラミングは強力な武器になるはずだ。
これから始めるのであれば、私なら、ExcelのVBA言語という、実にクールな光線銃をお薦めする。
千本桜 夜ニ紛レ 君が歌い僕は踊る
此処は宴 鋼の檻 さあ光線銃を撃ちまくれ
~『千本桜』(作詞・作曲・編曲:黒うさP、歌:初音ミク)より~
いやはや、まさにこの通りと思う。
堂々巡りの人生のステージは檻(おり)であり宴(うたげ)であるが、カーニバル(陽気なお祭り騒ぎ)なのかもしれない。
尚、私は個人的には、FictionJunction YUUKAこそ最高の音楽ユニットで、その音楽を制作(作詞・作曲・編曲)する梶浦由記さんは本当の天才音楽家だと思っている。
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きっかけは、何かの体験かもしれないし、それから、まずは何かの書物に答を探したに違いない。
そして、本の教えを自分なりに理解して実践するが、はじめからうまくいくはずもなく、多読したか1つの本に集中したかはともかく、実践の方では、何度も何度も堂々巡りを繰り返したはずだ。
FictionJunction YUUKAの『Silly-Go-Round』という歌の中の、「ゴールのつもりでリセットボタンに飛び込んで 僕らはぐるぐる同じ場所を回ってるんだ」という詩が本当に身につまされるのである。
ビージーズの『Melody Fair(メロディ・フェア)』でも、「Melody, life isn't like the rain, it's just like a merry-go-round. 」(メロディ、人生は雨じゃない。メリーゴーランドみたいなものだ」と歌っていたのを思い出す。
堂々巡りを繰り返すことは悪いことでも、恥ずかしいことでもない。
だが、他人の堂々巡りを馬鹿にするほど愚かなことはない。
そんなことをする者は、自分は堂々巡りから逃げているだけなのだからだ。
1冊の本を読んだり誰かの話を聞いて、一発ワンタッチで真理を悟ることは決してない。
それどころか、何度、同じ過ち、失敗を繰り返しても、少しも向上せず、何も改善されず、全然良いこともなく、時には絶望する。
しかし、それでも勇敢にリセットボタンに飛び込み続けたら、ある日、ブレイクスルーが起こる。
進歩というのは、徐々に、コンスタントに起こるよりは、、ある時一気に訪れることの方がずっと多いのだ。
そして、堂々巡りというのは、辛いだけでなく、楽しいものだ。
上に挙げた、『Silly-Go-Round』も、あるいは、『Melody Fair』も、苦しさや哀しさを歌っているのではあるが、どこか陽気に感じるのである。
私はゲームはしないのだが、コンピューター・ゲームでは、1つのラウンドを戦う中で、1つ、あるいは、いくつかの、アイテムと呼ばれる武器のようなものを得るのだと聞く。
それが、ハードルが上がる次のステージでの戦いに勝つ条件か、あるいは、戦いを有利に進めるためのボーナスなのだろう。
現実世界もそれに似ていて、堂々巡りを繰り返すとしても、その中で何か武器を身に付けなければならない。
そして、次のサイクルでは、新しい武器を得ることもあるだろうが、それよりも、武器を磨いて強力にするのが良い。
私の場合は、武器がコンピュータープログラミングだった。
最初はBASIC言語だったり、C言語だったりしたが、次の舞台ではdBASEになり、dbMAGICになり、今はAccessのVBA言語になった。
今の時代であれば尚更、プログラミングは強力な武器になるはずだ。
これから始めるのであれば、私なら、ExcelのVBA言語という、実にクールな光線銃をお薦めする。
千本桜 夜ニ紛レ 君が歌い僕は踊る
此処は宴 鋼の檻 さあ光線銃を撃ちまくれ
~『千本桜』(作詞・作曲・編曲:黒うさP、歌:初音ミク)より~
いやはや、まさにこの通りと思う。
堂々巡りの人生のステージは檻(おり)であり宴(うたげ)であるが、カーニバル(陽気なお祭り騒ぎ)なのかもしれない。
尚、私は個人的には、FictionJunction YUUKAこそ最高の音楽ユニットで、その音楽を制作(作詞・作曲・編曲)する梶浦由記さんは本当の天才音楽家だと思っている。
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