自分の欠点を認識している者は幸いだ。
ものすごく傲慢だったり、後ろ向きな性質なのに、それを自覚していない者は多い。
あるいは、周囲の人達はその者の欠点だと思っていることを、本人は美点だと思っていることすらある。
確かに、人々に非難され、蔑まれる人が、本当は優れた素晴らしい人であることもある。
しかし、周りの連中は馬鹿だから分からないだけで、俺はこいつらよりずっと上なのだと思っている者がいたら、その心根はどうしようもない欠陥である。
木枯し紋次郎は、堅気の人間(ちゃんと働いて生計を立てている人間)に嫌悪され、白眼視され、侮辱されるのを当然と受け止めていた。
その理由は、自分はまともに生きている人間ではないからだ。
紋次郎は、無宿渡世人で、田畑を耕すのでも、物を作ったり売ったりしているのでもない。
紋次郎は、人別帳(戸籍)に名がなく、1つところに留まることが許されないので、盗賊の類になるのでなければ、渡世人として生きるしかない。
それは自分のせいでないにしても、紋次郎は、自分は人々の下に位置付けられていることを、当然のこととして受け入れている。
ところで、紋次郎には欠点というものがない。
いてもいなくても良い、何の価値もない人間だと自分で思ってはいるが、自分の欠点を思い煩うこともない。
ただ、紋次郎は、たまに、自分はまだ甘いと、自分を戒めることはある。
それだけだ。
疲れている時、平和な村の人々を見ると、自分がそこに定住し、家族を持つようなことを呆然と考えることが、ごく稀にだが紋次郎にもある。
紋次郎が、自分を甘いと思うのは、そんな時である。
そんな時、紋次郎は、まともな人間でない自分には、人並の幸福や安らぎは許されないことを自分に厳しく突きつける。
そんな紋次郎にとっての安らぎは、死だけであり、死がゴールなのである。
紋次郎の認識はもちろん、歪んでいたりもするのだろう。
それは彼の境遇では仕方がないということもあるが、それでも、紋次郎に欠点はない。
それはなぜかというと、紋次郎は言い訳をしないからである。
「あっしには、何の言い訳もござんせん」
この掟のようなものが、彼を崇高にし、滅茶苦茶な運命の中でも、彼に力を与えている。
それが結論である。
つまり、言い訳をしなければ、一切の欠点は消える。
言い訳をしなければ、神々も天使も、そして、鬼も味方する。
言い訳の代わりに、「南無阿弥陀仏」と唱える者は、神々すら敬う。
言い訳をしなければ無敵である。
言い換えれば、あなたは何をしても良いが、言い訳だけは許されないのである。
釈迦もキリストも老子も、全ての本物の聖者の教えの根本は「言い訳をするな」である。
これだけ知っていれば他は忘れても構わない。
全ての教えは、言い訳をしないためのものである。
最初から、
「あっしには何の言い訳もござんせん」
と言う紋次郎が、あらゆる危機を乗り越え、常に勝利し、自分より数段腕の立つ者と決闘しても決して敗れないことは、自然なことである。
紋次郎に倣えば、我々も、本日ただいまより無敵である。
「言い訳をしない」
この掟を持つ者が、宇宙の中で選ばれた真に特別な存在である。
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ものすごく傲慢だったり、後ろ向きな性質なのに、それを自覚していない者は多い。
あるいは、周囲の人達はその者の欠点だと思っていることを、本人は美点だと思っていることすらある。
確かに、人々に非難され、蔑まれる人が、本当は優れた素晴らしい人であることもある。
しかし、周りの連中は馬鹿だから分からないだけで、俺はこいつらよりずっと上なのだと思っている者がいたら、その心根はどうしようもない欠陥である。
木枯し紋次郎は、堅気の人間(ちゃんと働いて生計を立てている人間)に嫌悪され、白眼視され、侮辱されるのを当然と受け止めていた。
その理由は、自分はまともに生きている人間ではないからだ。
紋次郎は、無宿渡世人で、田畑を耕すのでも、物を作ったり売ったりしているのでもない。
紋次郎は、人別帳(戸籍)に名がなく、1つところに留まることが許されないので、盗賊の類になるのでなければ、渡世人として生きるしかない。
それは自分のせいでないにしても、紋次郎は、自分は人々の下に位置付けられていることを、当然のこととして受け入れている。
ところで、紋次郎には欠点というものがない。
いてもいなくても良い、何の価値もない人間だと自分で思ってはいるが、自分の欠点を思い煩うこともない。
ただ、紋次郎は、たまに、自分はまだ甘いと、自分を戒めることはある。
それだけだ。
疲れている時、平和な村の人々を見ると、自分がそこに定住し、家族を持つようなことを呆然と考えることが、ごく稀にだが紋次郎にもある。
紋次郎が、自分を甘いと思うのは、そんな時である。
そんな時、紋次郎は、まともな人間でない自分には、人並の幸福や安らぎは許されないことを自分に厳しく突きつける。
そんな紋次郎にとっての安らぎは、死だけであり、死がゴールなのである。
紋次郎の認識はもちろん、歪んでいたりもするのだろう。
それは彼の境遇では仕方がないということもあるが、それでも、紋次郎に欠点はない。
それはなぜかというと、紋次郎は言い訳をしないからである。
「あっしには、何の言い訳もござんせん」
この掟のようなものが、彼を崇高にし、滅茶苦茶な運命の中でも、彼に力を与えている。
それが結論である。
つまり、言い訳をしなければ、一切の欠点は消える。
言い訳をしなければ、神々も天使も、そして、鬼も味方する。
言い訳の代わりに、「南無阿弥陀仏」と唱える者は、神々すら敬う。
言い訳をしなければ無敵である。
言い換えれば、あなたは何をしても良いが、言い訳だけは許されないのである。
釈迦もキリストも老子も、全ての本物の聖者の教えの根本は「言い訳をするな」である。
これだけ知っていれば他は忘れても構わない。
全ての教えは、言い訳をしないためのものである。
最初から、
「あっしには何の言い訳もござんせん」
と言う紋次郎が、あらゆる危機を乗り越え、常に勝利し、自分より数段腕の立つ者と決闘しても決して敗れないことは、自然なことである。
紋次郎に倣えば、我々も、本日ただいまより無敵である。
「言い訳をしない」
この掟を持つ者が、宇宙の中で選ばれた真に特別な存在である。
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