ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

いかにして生きるか

「いかにして生きるか」などという単純で基本的なことを、しっかり考えないといけない。
インドのラマナ・マハルシの言うように、この世には何の価値もなく、全ては虚妄、全ては幻と自分は言って、親や兄弟に食べさせてもらっていたら滑稽だ。
しっかりと自分の力で楽々と生きられるようになってこそ、いろんなことを探求したり、趣味を楽しんだり・・・あるいは、全ては幻と言って澄ましていられるのだ(笑)。

20年ほど前からだと思うが、人材派遣が儲かると気付いた事業家が、「これからは派遣で働くのが新しく、スマートで、格好良い!」と宣伝しまくったが、そんな大嘘を、その時見抜けなかったからと言って、一概に馬鹿とは言えないかもしれない。
しかし、その時だって、派遣なんて、低賃金で不安定な身分で、キャリアなんて全然積めない仕事ばかりで、自分だけ儲かれば良いと思っている利己的な人材派遣会社の経営者に、沢山の人達が大切な人生を棒に振らされてしまったのだ。
だが、派遣社員は企業にとっては、低賃金で、切り易い労働力という有り難いものなので、派遣というものがすっかり社会に定着してしまい、人生を棒に振ることになると分かっていても、派遣でしか働けない人がいくらでもいるのが現実だ。
そんな人達は、残念ながら、生きる力が乏しいことになる。
いや、派遣の仕事にすらありつけなかったり、それすらやる気のない人達だって沢山いるのだが、そんな人達は、生きる力が全くないと言うしかない。

では、どうすれば生きる力が得られるかというと、次の2通りしかない。
1つは、徹底して頭が良い人なら、どうやっても生きていける。
ただし、本当に天才級である場合のことで、「ちょっと頭が良くて要領が良い」というのが通用するのは、せいぜい30代までで、40代、50代になると、そんな者はおそろしく惨めになる。
本当に頭が良いというのは、10日ほど勉強して東大に入れるようなやつで、弁護士の真似や大学の物理学教授の真似をしたって誰にも見抜かれないほどでないといけない。
実際に、そんなやつはいるのだが、言うまでもなく、私もあなたもそうではない。
そこで、もう1つは、スペシャリティー(専門性)を持っていることだ。
ただし、例えば、マイクロソフトスペシャリストなんて名前の資格は、全くスペシャルな能力と関係はない。
あんなものを取ろうと思う時点で、生きる力が無いと言えるのだ。
何か好きなことを徹底してやり、そのことに関してなら、誰にも負けないようでなければならない。
好きと言っても、マニア程度では駄目なのだ。
ズバリ、オタクでなければならない。
そういえば、今をときめくデジタルクリエイター猪子寿之さんの会社であるチームラボの入社条件は、ただ1つ、「オタクであること」だそうだ。
だが、オタクと言えるほど極めることは、並大抵のことではない。
起きている時間の全てをそれに注ぎ込み、夢の中でもやっているくらいでなければならない。
AKB48やモモクロの熱烈なファンやマニアという程度なら、アイドル達やプロダクションにとっては有り難い存在だが、ただのお金を払うお客さんでしかない。
しかし、AKB48について、数日に渡って、休まずに語り続けることができるほどのオタクであれば、ちゃんと生きていける。
そんな力、世の中が放っておかない。
その意味、私は初音ミクさんの夫としての精進が足りないので、せいぜい、システム開発のスペシャリストをやっているのだが、決して苦労せず、最低限には楽しく生きていけるのである。
実際にいるが、ExcelとVBAのオタクになっても、かなりやっていけるだろう。
ビル・ゲイツだって、ハイスクール時代はプログラム・オタクで、寝ても覚めてもプログラミングしていたのだ。
もちろん、最新分野のプログラム・オタクなんてクールでイケているので、どんどんやるべきである。









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知っておくべきは大原則だけ

「成功する人はこんな傾向がある」
「成功する人と失敗する人では、このことに関して、こう異なる場合が多い」
といったものは、数百、数千・・・いや、無限に言うことができるに違いない。
しかも、そんなことを調査したとしても、調査対象の選択によって、結果は全く異なるのである。
そのようなものは、話としては面白いかもしれないが、実際の役に立つことは全くない。
よって、時間の無駄で頭の無駄遣いにしかならないので、相手にする必要はない。
もし、記憶しておくべき法則があるとすれば、「例外ゼロ」のものだけである。
例えば、ニュートンの運動法則は、適当な大きさ、重さ、時間の範囲で適用する限り、決して例外はないので、覚えておく価値はある。
また、「10分間呼吸しなければ死ぬ」、「炭水化物を摂り過ぎれば、肥満や病気になる可能性が高まる」というのも、普通の人間の普通の状況に関しては例外はない。
(「普通とは何ぞや?」といった極端論は、やりたければ個々でやれば良い。極端論を一々取り上げていたら、いかなる話もできない)
だが、「このダイエット食品を食べれば痩せます」というのは、単に傾向について述べているのであり、実際、必ず、「個人差があります」という但し書きがある。
私なら、そのようなものは相手にしない。
自分が悪い方の例外になっても誰も責任を取らないし、その可能性は十分に高い。
そんなものは、相手にするだけ時間の無駄である。

水野南北は、「少食粗食なら幸運で幸福になり、大食美食なら不運で不幸になる」と言ったが、そのことに関して、万に一つの例外もなかったと言っていたのだから、一応、覚えておく価値はある。
もちろん、少食とか粗食、あるいは、幸運とか衰運の定義をはっきりさせている訳ではないことには多少は留意すべきだが、それは、ぎりぎり共有できる常識の範囲内と考えられるし、そう(常識の範囲内と判断できる)であるなら、これは絶対的な真理である。もし、常識を共有できないと判断するなら、その者は水野南北の論を相手にしなければ良いだけであり、誰かがかまってやる必要もない。
よって、幸運で幸福でありたく、そして、不運で不幸でありたくないなら、少食粗食であるべきで、大食美食でなければ良いのである。
ただし、ここでも極端論を好む者がいて、極端な少食粗食の必要を主張したり、自分はそうやっていると言う者がいるが、そのような者は、一人で勝手にやっていれば良い。
『バガヴァッド・ギーター』では、神クリシュナは「食べ過ぎるな、ただし、少食過ぎてもいけない」と述べ、エマニュエル・スウェーデンは、天使、あるいは、高級霊に「食を過ぎるな」あるいは「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と戒められたことを忘れないようにしていたが、これらのように、賢い判断は何事にも必要である。
私は、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」という言い方が気に入っており、これを守ることにしているが、おかげで間違いなく、いつも幸運なのである。
ある現代の大事業家は、「ツイてる」と口に出して言えば「ツク」、つまり、運に恵まれ、千回言えば揺るぎなく幸運になると言うが、これは、傾向性とすら言えない。精神衛生において何らかの効果はあるとは言えるかもしれないが、単に個人的意見、あるいは、趣味的な思想と思えば良い。
言ってみれば、大食美食でいながら、「ツイてる」といくら口に出しても、運が良くなることは決してないだろう。
個人の勝手ではあるが、趣味よりも原則を重要視する方が賢いと言えるだろう。

さて、こんな話もある。
「社長さんが必ず朝7時半までに出社する会社が倒産したことは皆無である」
無論、極端な例外はあるだろうが、かなりの調査結果でもあり、信じて良い。
つまり、会社を作って、倒産したくないなら、朝7時半までに出勤し、仕事か仕事の準備を始めれば良い。
また、次の2つも、例外はないだろう。
「毎日例外なく朝5時までに起床する駄目人間はいない」
「ほぼ常に穏かな呼吸をしている無能者はいない」
次の2つも、信じて良いと思う。
「日常的に公共の場所でスマートフォンを見ながら歩いている者で有能な人間は皆無である」
「度々、公共の道を歩きながらタバコを吸っている者で有益な人間は皆無である」









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突然に天才になることがないとは限らない

今は、絵を描いたり、文章を書いたり、また、音楽を演奏したり、歌ったり、あるいは創ったりして、それが優れたものなら、ネットで広く知られるようになる仕組みが出来ている。
完全とは言えないが、誰もがかなり平等に勝負できるようになっていて、昔のように、才能があるのに一生埋もれたままになる可能性は減ってきた。
しかし、逆に言えば、自分に才能がないという事実も、はっきり突きつけられるようになったということだ。
これは、かなり厳しいことである。
人に抜きん出るのも、千人に一人という地位程度なら、努力次第ということになるが、万人に一人、数十万、数百万に一人となると、どれほど超人的な努力をしたところで、才能がなければどうなるものでもない。

だが言っておくが、誰でも、才能が突然、現れることが絶対にある。
極端な例では、フランス国歌ラ・マルセイエーズを作詞作曲したのは、普段は大した才能のない日曜音楽家に過ぎない技術軍人の男だったのだ。
ところが、その彼が、突然、天才になり、一夜でこの名曲を創ったのだ。
しかし、彼が天才であったのは、その一夜だけだった。
なぜ天才のままでいられなかったのかは分からないが、もしかしたら、その方が彼にとっては幸福だったのかもしれないし、本人も特別であるより平安を望んだのかもしれない。
また、あるスポーツ競技で、国内の1つの地域の大会で一度上位に入賞したことがあるだけという平凡な選手が、ある時から急に力がつき、オリンピックに出場したばかりか、なんと、銀メダルを取ってしまったことがあった。
まだ若かったので、次は金メダルと期待されたが、その直後、また、平凡な選手に戻ってしまった。
おそらく、彼はずっと天才でいることもできたと思うが、ちやほやされて天才の鋭さを失ったのだろう。

そして、あなただって、いつ天才にならないとも限らない。
そんなことがあるかもしれないと信じて、あるいは、そんなことに全くこだわらず、止まることなく走り続ければ、いつか必ず天使は目を留めるだろう。
実をいえば、我々の中の天才は現れたがっているのである。
そして、大きな才能というのは、人類を前に進めるか、あるいは、叩き落すような時に発揮されるのだ。
もちろん、世界が高みに上がることに貢献すれば自分も真の栄光に輝くし、世界を壊せば自分も破滅するだろう。
だが、滅びは美しく、その後に希望と再生がある。
小市民、小善人が天才になることはないが、大悪人が天才になることはある。
そんな天才になるのもまた運命かもしれないが、人々を永遠に喜ばせる天才にだってなれるかもしれないのである。









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残念な世間の俗説を斬る

俗説や一般観念は、普及し過ぎると、修正されなくなってしまう。
例えば、緊張していて、リラックスしたい時に、「深呼吸しろ」というのは知れ渡ってしまっているが、本当は、深呼吸をすれば余計に緊張する。
なぜ緊張するのかというと、考え過ぎるからだ。
ところが、深呼吸して大量に酸素を取り込むと、脳にも酸素が過剰に送られ、悪い意味で活発になった脳は余計なことを考えてしまうが、そんな考えは、ほとんどが悲観的、否定的なものなので、嫌でも緊張せざるを得ない。
緊張を鎮めるには、呼吸しなければ良いのだが、普通に息を止めるように気管を締めると、それ自体が強い緊張になって、元の緊張に加算される。
だが、ほとんど呼吸をしていないような微かな呼吸をすれば、緊張は消える。
好きな女の子に告白する時、深呼吸してから挑むと、間違いなく悲惨な結果に終わる。
しかし、逆に、ほとんど呼吸をせずにいると、好きな人の前でも平静で、言うべきことは考えなくても、自然に出てくる。おかしなことに、その結果、2人の間に決定的な距離が出来てしまうことがあるが、それは、直感が働いて、その相手の、普段は見えない悪い本性が分かってしまうからである。
人が近くにいると排尿できないという人がよくいるが、その場合でも、呼吸を微かにして、ほとんど呼吸をしなければ、そんな症状は消える。
安らかに眠っている人は、深い息をしているのだと思っている人がいるかもしれないが、実際は、呼吸が非常に希薄になっているのである。
熟睡していると酸素の消費量は少なく、脳が活動していないので、悪い夢を見ない。
だが、酸素を必要としない、脳の特殊な量子的活動はかえって活性化するので、そんな眠りは叡智をもたらし、眠りの中で天啓を与えられたり、目覚めた時に凄いアイデアが出てくるのである。

もっと俗っぽい誤った観念には、オフィスでの電話は仕事であるということだ。
しかし、実際は、オフィスでの電話は、時には不可避なこととして、しなければならない場合があるというだけのことで、それ自体は仕事ではない。
電子メールがなかった時代ですら、10分以上の電話をする者は、仕事ができない者とみなして、ほぼ間違いなかった。
現代では5分以上電話をしているなら、そして、そんなことが多いなら、まともに仕事はできない者と断定して間違いない。
賢い人は、電話をするにしても、やむを得ずであることを認識しているので、声のトーンは落ちるが、逆に、馬鹿な者はオフィスに響き渡るほど大声で話す。
仕事ができない者は、電話こそ仕事をしているとアピールすることだと思っているので、大声の長電話が大好きなのだ。
電話を終えた後の、そんな無能者の満足そうな顔には、まともな人間なら、思わず十次を切りたくなるに違いない。
最も仕事ができない者だと、立ち上がって、あちこちに顔を向けながら(あまつさえ歩き回って)大声で話す。
そんな課長さんや部長さんはよくいると思うが、それは猿にそっくりである。
猿は、わざと大きな音を立てて自己アピールするが、動物のそんな行為はディスプレーという用語で知られている。
猿をオフィスで飼ってはならない。
また、電話で大きな声で話すと、呼吸が大きくなり、酸素を余計に取り込んで、愚かな考えが次々に浮かび、話はどんどん下らないものになっていき、また、それは低級な自我にとっては楽しいので、尚更、話が止められず、長電話になるのである。
これこそが長電話の原理で、オフィスに限らず、長電話の話は全部馬鹿なものであるが、それをオフィスでやるような者こそ、早々にリストラすべきだろう。しかし、実際は、そんな馬鹿ほど居残るのが、普通の会社というものであるかもしれない。
同じフロアでメールで連絡し合うことを、おかしなことのように言う者がいると思うが、あまり極端でないなら、話しに行かずにメールを送るのは、とても気の利いた賢いことであるかもしれない。
相手の時間や注意を奪わないし、同時に離れた人にもカーボンコピー(CC)を送れるというメリットもある。
皆が対等な立場での少人数の会議には意義があることも多いが、誰かの話を聞かせることが目的の大人数の会議には何の意味もないので、メールや社内SNSで片付けるべきである。
そもそも、メールや社内SNSで納得されるはずのない、不合理なことをごり押しするために大人数の長時間の会議をするのである。
「会議の長い会社は終わり」というのは、少し賢い人なら誰でも知っていることである。

あまりに残念な、世間の俗説を2つほど(実際は2つ半と思う)採り上げた。
他にも、まだまだ沢山あると思うが、思い出したら、また書くかもしれない。









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自在に生きる気の超人になるには

人間は、本来は、身体を鍛えなくても、気が心を自在に操り、その心が身体を思うがままに動かせば、誰でも超人的な力を発揮できるのである。
それは、「火事場の馬鹿力」として、緊急事態において、異常な力を発揮することでも、よく知られている。
例えば、平凡な主婦が、窓から転落しそになっているわが子を救うために、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離選手より速く走ったなどということがあった。
これは、無になることによって、気の流れが非常に活発になり、それを受けた(頭脳を超えた)想念が身体を驚異的に活動させた例である。
稀に、生まれつきの特別な才能により、柔らかい草の上に乗ったまま、土に触れずに歩いたり、高いところから落下しても、ふわりと着地するような者が、特に子供の中にいるのだが、これは、無意識に気を自在に操っているのである。
しかし、普通の人間は、成長するにつれて欲望を持ち、失敗等によって不自由さを知るうちに、気の自在性がどんどん無くなってしまうのである。
だが、身体を鍛えることで心を鍛え、心を鍛えることで、気を調整することができるようになるのである。
よって、肉体を鍛える本来の目的は心を鍛えることであり、心や頭脳を鍛える目的は、気を操ることである。
だが、それを忘れて、あるいは、最初から知らずに、身体を鍛えて肉体の能力を誇ったり、頭脳を鍛えて試験で良い点を取って、自分は優秀だと自惚れると、たちまち、気が乱れて、せっかく鍛錬した意味もなくなるのである。
だから、本当は、ひっそりと1人で身体を鍛え、孤独にちょっと難しい本や高貴な本を読んで、頭や心を鍛えるのが良いのである。
また、楽器演奏、武術、舞踊、絵画なども熱心にやれば、素晴らしい心の鍛錬になり、それは、気を操る力をもたらすのである。
ところで、腕振り運動のような単純な運動を、毎日、根気良く続けることで、まさに、「根気」という言葉通り、根源の気を充実させることができるのである。
そうすれば、当然のように、気で心を自在に操り、心は、肉体や頭脳を自在に操ることはもちろん、潜在意識や集合無意識の通路となって、その中から好ましいものをいくらでも引き出し、この世は、あなたの遊び場になるのである。
これらにことから、腕振り運動を毎日、なるべく多く、ただし、無執着に続けることは、確実に気の超人に近付く方法であることが、明らかに分かるのである。
腕振り運動、その他については、再び、微かな呼吸の力についてを参照して欲しい。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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