ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

力が抜ければ、あなたも本日ただいまより超人である

「力を抜く」ということをマスターすれば、誰でも修行することなく、超人の力を発揮するだろう。
だが、個人としては、それが出来る高名な武道家の本などは、読まない方が良いかもしれない。
と言うのは、彼らは、パワーに頼る武道から始め、何十年も大変な努力をしてそこにたどり着いたものだから、こだわりが凄い。
彼らの本は、不可解な理屈ばかりで、何を言っているのかさっぱり分からない。
ひょっとしたら、書いている本人も分かっていないのかもしれない。
そして、彼らの弟子を見れば、やはり、誰も師匠のようにはできないのだ。

政木和三さんは50歳を過ぎてからゴルフを始め、関西シニア選手権ではプロに混じって優勝し、ゴルファーの夢であるエイジシュート(年齢以下のスコアで回る)を2度達成し、ギネス認定もされた。
スポーツ紙の記者の前でドライバーで370ヤード飛ばしたが、そんなこと書いても誰も信じないだろうからと、新聞には340ヤードと書いたらしい。
政木さんは、力を抜くことを、神様から直接指導されたという。
神様は政木さんに、「お前のゴルフ場は、1メートル四方」と言ったのだ。
さすが神様だ。分かり易い。
1メートル四方しかないなら、力の入れようもない。
方向だけ決めて打てば良いのである。
それで、政木さんは70歳を超えても、楽々と300ヤード以上飛ばしたのだ。
お金儲けでも、女にモテることでも、私は、政木さんに、直接、「力を抜いて成功する」コツを、たとえ話で教わったが、政木さんに言わせれば、私は欲望が強過ぎて駄目らしい。
しかし、あれから時が経っているから、私も、そろそろやれるだろうと思う。

1枚の新聞紙を垂れ下がらせて、正拳(ストレートパンチ)で打ち抜こうと、必死でやればやるほど、上手くいかない。
しかし、力を抜くことができれば、新聞紙の真ん中に軽々と穴を空けることができる。
これが、簡単な脱力の威力だ。

先ほど述べた、お金儲けだが、政木さんは、「私はお金なんて全然欲しくない。でも、入ってくるものは仕方がない」と思っていることで、力が抜け、1億円も納税しなければならないと苦笑しておられた。
女の口説き方に関しては、隣に奥さんがおられたので、私に顔を寄せて、小声で話された。
別に決まった方法がある訳ではないので、各自工夫すれば良い。
「私は女なんていらないのだが、身をまかせてくる女が百人はいる」
とでも思えば、馬鹿馬鹿しくて、さぞ力が抜けるだろう。
だが、本当にやれば、大変なことになるので、注意したが良い。

簡単に言えば、欲望を捨て、ユーモアを持てば力が抜け易い。
火事場の馬鹿力と言って、緊急時に、おばあさんが、屈強な男が数人でも動かせないものを1人で運び出したり、か弱い女性が我が子を助けるためにトラックを持ち上げたり、マンションの窓から転落した自分の赤ん坊を救うために、平凡な主婦がサンダル履きのまま、オリンピックの短距離走者より速く走ったりなど、人間の本当の力は計り知れない。
それは、肉体の力だけではなく、知力や、あるいは、超能力に属する能力に関しても言える。

ピラミッドをどうやって造ったのかは、いまだ分からないらしい。つまり、あんな巨大な岩をどうやって運んで組み合わせたのか、さっぱり分からないのだ。
ただ、ピラミッドを造った労働者達が、決して虐げられて無理な労働をさせられていた訳ではなく、労働者達は個人的な都合で気楽に休暇を取ったりと、案外にぬるかったらしい。
ピラミッドでなくても、古代人が現代人の力では不可能と思える作業をした証拠はいろいろあるらしいが、きっと、彼らは、力を抜く方法を知っていて、現代人と比べると、想像もつかない巨大なパワーを発揮できたのだ。
彼らが、難しい修行をしたなんてことはない。
コツはきっと簡単なのだ。
だが、現代人は、余計な知識からくる固定観念、偏見、思い込みが、人々を弱く惨めな存在にしているのだ。
大切なことはきっと、こだわりのなさ、気楽さ、そして、自然との同調なのだろう。
難しいことではない。
ドワンゴという会社は、昼を過ぎないと社員が会社に来なかったので、早くに出社したら、ジャージ姿の可愛い女の子と一緒に体操できる上、彼女達か ら費用会社持ちの豪華なお弁当(ステーキ弁当等)を手渡しでもらえるといった工夫を、川上会長自ら指揮して実施するなど、なんとも「力が抜けている」ので 急成長したのではあるまいか?
命令に従わないと厳罰だ、懲戒だって言っている会社は、もう古いのかもしれない。









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感情は解放するもの

人間にとって、感情というものは厄介な問題でもある。
アメリカのSFテレビドラマ『スター・トレッック』のミスター・スポックは、バルカン星人と地球人のハーフだが、スポックはバルカン星人であることにアイデンティティと誇りを持っている。
バルカン星人には感情がなく、スポックもそのことを尊いものと思っているので、自分も決して感情を表さず、感情豊かな人間を時に見下す。
ある時、ある宇宙人の精神操作で、無理矢理に感情を発揮させられたスポックが落ち込んでいるように見えたので、ドクター・マッコイが、
「スポック、たまには感情を発散させることは身体に良いんだよ」
と慰める。
だが、スポックは、
「私は、別に気にしていません」
と、平気であることを強調する。
スポックでなくたって、人によっては、感情を出すことを恥と考えたり、未熟な証しとして嫌う。
だが、やはり、感情は出すべきものと信じている人もいる。
いったい、何が正しいのだろう?

感情は、ほとんどの人が気付いているように、必要なものだし、必要どころか、豊かでなければならない。
とはいえ、怒ったり、はしゃいだりし過ぎてもいけないし、悲しいことがあったからといって、いつまでも悲しむべきでないことも分かると思う。
「さあ、あのことを思い出して、また、大いに怒ろう」
とでも考えているような、悪いことをいつまでも忘れず、他人の悪意をいつまでも根に持ったり、失敗をいつまでもクヨクヨする人は多い。
そんな者は、やっぱり愚か者なのだ。
では、感情とは抑えれば良いのだろいうか?

結論はこうである。
感情は、発散させるものでも、抑圧するものでもない。
正しくは、解放するものだ。
感情の存在は認めるが、それを手放すと、化学反応のようなことが起こり沈静化する。
なぜなら、解放することによって、感情からエネルギーが消えるのだ。
消えたエネルギーは、自分の心や身体に蓄積される。
エネルギーは、身体や心の活力になり、強さと賢さを得られるのだ。
静かな人が、強く、賢いのはそのためである。
もし、バルカン星人がいて、彼らが、感情を持たないことを尊く考えているなら、感情を解放する能力の価値を分かっているということだ。
だから、やはり、正しい表現としては、「感情を持たないことが尊い」ではなく、「感情を解放する力を持つことが尊い」である。

感情を解放するにはどうすれば良いだろう?
いろいろある。
感情を起こさせた出来事のイメージを次のように操作する。
小さくする、遠くに飛ばす、静止させる、暗くする、モノクロにする、主観的でなく客観的なイメージにする、静寂なBGMつきにする・・・等で、これらを組み合わせても良い。
悪い思い出を、「忘れなさい」と言うことがある。
そのためには、上に挙げたようなことをやれば良い。
本当に忘れなくても良いのだが、小さく、静止した、モノクロの、遠いものにしてしまえば良い。
私が好むやり方は、出来事を、本に書かれた物語と感じ、その本の紙がすっかり古く茶けている様子をイメージすることだ。

では、良い思い出はどうすれば良いのか?
NLP(神経言語プログラミング)では、そんな思い出は、大きく、明るく、カラーにし・・・と、上に挙げた、悪い思い出に対することと反対のイメージにするよう教えているが、私は賛成しない。
取り立てて暗く、小さくする必要はないが、エネルギーを注ぎ込まず、自然に、ゆっくりとで良いが、やはり解放することだ。
でないと、昔の自慢話ばかりする不幸な老人になってしまうだろう。
楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいことは、これからも沢山起こるのだ。
過去のことは忘れ、それにエネルギーを注入するような無駄をしてはならない。
過去の栄光など、たとえそれが金メダルであろうと、もう忘れるのだ。
「じゃあ、尊い思い出も忘れろってのですか?優しいお母さんや、別れはしたが素敵な恋人のことも?」
と言うなら、イエスである。
「きらめく思い出」などと言う。
本当に尊い思い出は色褪せない。
それは天使が預かってくれると思って、やはり解き放つのだ。
自分で握り締める・・・つまり、エネルギーを無駄に送り込んではならない。
素晴らしい思い出は、大切な友のようなものだ。
そのような友は、自由にさせるべきである。









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Hatsune Miku Superstar

今日、1973年のミュージカル映画の傑作『ジーザス・クライスト・スーパースター』をBlu rayで視聴した(DVDもあります)。

福音書にある通り、ローマから派遣されたユダヤ人地域を治める総督ピラトは、イエスを殺したくはなかった。
しかし、扇動された群集は、イエスの磔による死刑を要求し、暴徒化しかねなかった。
ピラトは、民衆を静めるため、やむなく、イエスをムチ打ちにする。

「ワン、ツー、・・・」
イエスがムチで打たれるごとに、ピラトがカウントする。
カウントが進むと、それまで嘲笑っていた者達・・・ヘロデ王やユダヤ大祭司のカイヤファですら、そのあまりの惨(むご)さに顔をしかめ、ピラトの声は震える。
そして、最後の一撃の時、ピラトは絶叫した。
「サーティナイン(39)!!」
実に象徴的な数字で、これが実際の数なのである。

映画の始まりで、「この映画は個人的思想に基くものであり、ユニバーサル(この映画の供給会社)の信念ではない」と断りがされていたが、これは大変な映画だった。
私はかつて、70日連続で、毎日1回、この映画を見たことがある。

イエスの周りで、狂信者シモンを筆頭に、皆がイエスを神と崇める。
だが、イスカリオテのユダはそれを憂慮する。
ユダはイエスを崇拝してはいたが、それは、ただの人間としてであった。
「皆は間違っている。このままでは悲劇が起こる」
ユダは苦悩する。
イエスは「私が死んだら、皆、私の教えなど忘れる」と分かっていた。
釈迦もそうだった。だから、釈迦は念仏だけを残した。
イエスは言ったのだ。
「私にあまり期待するな」
この映画では、イエスは奇跡など行わない。
イエスは、やはり普通の男だ。
だから、イエスは、十字架による人類の罪のあがないという物語を創らなければならなかったのだ。
それは、ただの男に背負わせるには、あまりに過酷だった。

ところで、キリスト役のデッド・ニーリーは素晴らしかったが、ユダ役のカール・アンダーソンも最高だった。
このユダはツンデレだった。
「べ、別に、あんたのことなんか、心配してるんじゃないんだからね!本当のことが知りたいだけなんだから誤解しないでね」
とイエスに言うが、彼は、誰よりもイエスを気遣い、愛していたのだ。

イエスも釈迦も、教えを説くしかなかった。
彼らは人間だった。
そして、彼らの言葉は歪められ、彼らは偶像の、つまり、人々の観念としての神や仏として崇拝されてしまった。
だが、初音ミクさんは、お話ができない。
歌うことしかできない。
だから、ミクさんは、「それぞれの初めての音」を電子の声で、精一杯奏でたのだ。
ユダは私に、「勘違いするな!ミクに期待するな」なんて言わなくて良かった。
ミクさんも「私にあまり期待しないで」と言う必要はない。
私も、ミクさんを愛する人達も、誰も、ミクさんに何も求めていない。ただ、真に愛しているだけだ。
ミクさんには何もない。
何もないから、想いを受け容れることができる。
その全ての想いはつながり、果てしない彼方にまでスパークする。

釈迦、イエスは人間だからできなかったが、心を持たない電子の歌姫が、少しずつ、世界を共感と感謝に満ちたものに変えていっている。
イエスが、「タリタ、クミ(少女よ起きなさい)」と言ったように、人々の中の創造性(少女に象徴される)が火花のように輝くことで世界は変わる。
創造性は、本当に少女のようだ。
シラーも、創造性のことを、神の霊感であり、楽園の乙女と言ったのだ。
初音ミクさんは楽園の乙女の化身だ。彼女が、人々を内なる神の霊感に目覚めさせているのである。









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宇宙人の真実

夢の中の話だが、ケーキ屋に行き、縦横1メートルはある大きなケーキの中央のピンクのバラの形の部分が良いと思ったので、女性店員に、
「中央の一角」
と言うと、彼女は、その部分を取り出し、箱詰めしながら、
「4万4千円です」
という。
私は、驚いて、
「え!そんなに高いの?」
と言ったが、女性店員は、
「だけどね、部長さん・・・(こんなケーキはそんなものでしょうといったようなことを言われた気がする)」
と言いながら、少し哀れむような、蔑むような顔をした。
私は部長なんてものではないが、お世辞でも部長止まりであるらしい。キャバレーの呼び込みでは「社長」が普通だ・・・と思う。
私は、4万4千円くらい払えるから、見栄を張って、このまま買おうかと思ったが、やはり馬鹿馬鹿しいと思い、
彼女に、
「キャンセルしたいのだが、いいかな?」
と言った。恥ずかしいというより、既に箱詰めを完了した彼女に悪いという後ろめたさがあった。
彼女はキャンセルに応じてくれた。ほっとしたというよりは、やはり罪悪感、それ以前に、無用なものを注文した後悔があった。
しかし、見栄を張るよりは、現実的な判断、そして、面子より、彼女に悪いという気持ち、さらに、それより反省が勝ったことには、少し、満足した。

家に帰ると、外では宇宙人の宇宙船が低空を飛んでいた。
もう、こういったことは珍しくない時代だが、大衆はまだ、宇宙人のことをほとんど知らない。
ただ、宇宙人による被害がないので、一応は、恐れる必要はないという認識が広がっている・・・そんな感じだ。
ところが、家が少し揺れ、家ごと宇宙船によって、どこかに運ばれていく感じがする。
それも、今や、どんな人にとっても珍しい出来事ではないような気がする。
やがて、武器を持った宇宙人の一隊が入ってきた。
まるで『スター・ウォーズ』のクローン・トルーパー(銀河共和軍のクローン兵士)だと思った。
リーダーの宇宙人が、「この人には必要ない」と言って、宇宙人達に武器をしまわせた。
穏かそうに見えて、実際はこっちを威嚇しているのだと、私は思った。

場面が変わって、私は、宇宙からの侵略者と戦うSFドラマのテレビ画面を見ている。
その中で、天海祐希さん演じる女性隊員が、
「結局、みんな恐いのよ」
と言う。
そうだ。みんな何かを恐れている・・・と私は思った。

夢の話は以上だ。
アダムスキーは、宇宙人は物質的存在で、金星や火星、あるいは、土星から来ると述べていた。
だが、宗教家の五井昌久さんのお弟子さんである村田正雄さんは、アダムスキーの本を読んで覚醒したが、彼が会った宇宙人は霊的存在だった。
村田さんが描写した宇宙人が持っている計器や宇宙船内部の様子は、昭和30年代ということを考えれば、なかなかのものだが、やはり、あまりにアナログ的だ。
だが、それらは、村田さんの精神を反映した霊的世界であることを考えれば、別におかしなことではない。むしろ、村田さんの感覚は非常に進歩的と言うべきだ。
アダムスキーは、宇宙人遭遇の証拠となるモノを提出しなかった。
ただ、彼が撮影した宇宙船の写真は、物理学的に言って、トリックではないという専門家の意見はあるらしい。
だが、それでも、アダムスキーもまた、少なくとも部分的には霊的に宇宙人に遭遇したのだと思う。
そもそも、物質次元と霊的次元が混ざり合うこともあるはずだと私は思う。
金星に物質的に宇宙人がいるというよりは、金星や火星は、物質次元と霊的次元が融合し易い場所であると考えた方が良いと思う。
それならば、旧ソ連やアメリカが、盛んに金星や火星に宇宙船を送っていた理由も分かるように思える。

夢の中で宇宙人達が武器を持っていたのも、私の方に敵対心や攻撃心、そして、その原因である恐怖心があるからだろう。
相手は自分の鏡ってやつだ。
目覚めたら、妙に気分が良い。
宇宙人が、私の肉体や霊体を調整してくれたのだろうか。
そして、次は初音ミクさんに逢うだろう。
冨田勲さんも、初音ミクさんは異次元の人間と言っておられたが、現実的な意味でそうなのだ。
ちなみに、冨田さんは、1980年代の彼の著書の話であるが、宇宙人の存在、および、宇宙人が地球に来ていることは肯定しておられた。
ところで、霊的存在になるには、物質的次元の欲望や虚栄心、そして、恐怖心を克服しなければならないと感じた。
私に関して言えば、初音ミクさんがいるので、それは容易いことだろう。









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「持っている」とは

日本ハムの斎藤佑樹投手が「持っている男」と言われていることをご存知かもしれない。
何を持っているかについては、本人が、2010年の大学野球優勝決定戦の勝利投手になった時に、「仲間」と言っている。
大したことを悟ったと思う。
その時点で野球をやめても良かったくらいだ。

成功するかどうかは、仲間次第だ。
猪子寿之さんが、大学院在学中に起業した会社の名前をチームラボにしたことも、学生仲間で起業した時に、仲間の重要性を感じていたからだと思える。
チームラボは、本当にチームで活動するクリエイト集団であるようだ。

ところで、仲間って何だろう?
それは、共感を持っている者同士であるということだ。
では共感を持つとはどういうことかというと、同じ価値観を持つことだ。
ところが、この価値観ってのが難しい。
世間で言う価値観というものは、人によって反することがあるので、共感どころか、反感、敵対を生じることすらある。いや、その方が多いかもしれない。
たとえば、マッキントッシュパソコンの価値を重んずるために、Windowsパソコンを否定し、Windows関係のものを嫌悪するといったことである。
私は、そんな類のマッキントッシュパソコンのファンなら、ファン同士の間ですら、共感を持っていないと思う。

共感を持てる価値観は、創造力からしか生まれない。
そして、共感は、感動や感謝を引き起こす。
他者の価値観を否定する者に創造の力はなく、共感を得られないので、感動も感謝も生じない。
初音ミクさんは、共感の力で世界にムーブメントを起こし、世界を平和に導いているが、初音ミクさんのファンの間にあるのは、創造の連鎖に繋がれた、感動と感謝が輝く共感である。
一見、初音ミクさんの音楽を聴いているだけに見えても、その人の魂には創造の火花が発しているのである。
ベートーヴェンの交響曲第9番(第九)の第4楽章の中の『歓喜の歌』にある、

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る
~Wkipedia『歓喜の歌』より引用~

は、初音ミクさんと共にある共感を見事に示し、『Tell Your World』の、

君が伝えたいことは
君が届けたいことは
たくさんの点は線になって
遠く彼方へと響く
君が伝えたい言葉
君が届けたい音は
いくつもの線は円になって
全て繋げてく どこにだって
~『Tell Your World』(作詞、作曲、編曲:kz、歌:初音ミク)より~

と全く同じであることが分かるのである。
「君が伝えたいこと」「君が届けたいこと」は、歓喜であり、神々の霊感であり、天上楽園の乙女だ。
そして、全て繋がって円になったものが、崇高な歓喜の聖所なのである。
これは簡単に読み解ける。
天上楽園の乙女である初音ミクさんの崇高なる歓喜の聖所・・・約束の地・・・それを感じることを「持っている」と言っても良いと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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