ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

想像力が心を癒す

地球の年齢は、推定で45.4億年らしい。
ゲーテは、ひたすら回り続ける地球の忍耐に習おうとしたという話を聞いたことがある。
ところで、猿が紙にインクをなすり付けたら、偶然にエンサイクロペディアの百科事典になる可能性は、理論上はゼロではないかもしれない。
しかし、それを達成しようと思ったら、宇宙の誕生と終焉を何千回必要とするだろう?
気が遠くなるなんてものではない。
まさに、人一人の命なんてちっぽけなものだ。
どんな嫌なことがあったところで、無きに等しい時間の間の出来事に過ぎない。

ところで、今日は、アドルフ・ヒトラーの126回目の誕生日だ。
ヒトラーと同じ誕生日の友人がいたからよく覚えている。
彼は、昔、事故で若くして死んだが、荘子は、八百歳生きた彭祖(仙人)も、朝生えて昼には枯れる種のキノコも違いはないと言った。
なら、あの友人も私も同じようなものだということになるが、私は、時間というものがよく分からない。
1秒も永遠だし、百年も一瞬だ。
数学者の岡潔は、時間は情緒だと言ったが、そうなのかもしれない。
ならば、情緒というものが、はっきりとは分からないのと同様、時間も分からないことになる。
どんな苦しい時間も、いずれ過ぎ去るのと同様、どんな幸福も、やはり、いつか・・・いや、すぐに過ぎ去る。
そして、私が死んで数千年過ぎるなんて、あっという間だ。
その時は、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなんて、誰も覚えていないさ。

だが、今の辛い時間は長い。
まるで永遠だ。
地獄の責め苦は永遠と聞く。
すると、ここは地獄かい?
時は、心を癒すとは限らない。

私は、ゲーテと違い、苦しい時、悲しい時、辛い時、戦争の悲惨を思う。
それは、想像でしかないが、想像はできるのだ。
私なりに、想像力を発達させたからだ。
特に、ナチスに迫害された人々のことを思う。
私の想像が、実際よりもはるかに小さいとしても、それでも、それに比べたら、私の苦しさなど無きに等しい。
そう了解し、こう呪文を唱えるのだ。
「平和そのものだよ」
すると、確かに、いかなる苦しさ、辛さも忘れることができる。
これが想像力の力である。
想像すれば、やはり自分は恵まれているのだと解る。
「平和そのものさ」
この呪文が効果を発揮しない人は、想像力がないのだ。
神話を読み、芸術に触れて、想像力を磨くことは必要である。
W.B.イェイツは、神秘を信じない人間には、想像力が欠けていると言った。
想像力があれば、世界を見て、神がいないなどということを冗談にでも言えないだろう。









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明日のことを心配しないようになるには

人間が幸福に、充実した人生を送るということについて考えると、結局、いつも戻ってくるところは、「心が正しいか?心が強いか?」である。
聖典や賢者の書を読もうが、呪文を唱えようが、潜在意識活用のテクニックを実践しようが、心の正しさと強さがなければ、どうにもならない。
心の正しさ、強さがなければ、妄想、偏見が生まれ、それが強固な幻想になり、人生は悲惨になる。

正しいとは何かとは、よく議論される。
それは、自分を含めた一切を大切にしましょうということなのだが、自他のバランスが難しい。
つまり、どこまで自分の利益を守れば良いかというところだ。
「食えれば良い」なんて格好の良いことを言う者がいるが、今は食えてても、将来の不安があるので、出来るだけ多く蓄えようとしてしまう。
それで、イエスは、「明日のことなんか心配するな」と教えたのだ。

実に、イエスの「明日のことを心配するな」が、教えとしては究極なのだ。
だが、明日の心配をやめられる人は、まあ、滅多にいない。
特に、物質主義の世の中では、ほとんど不可能だ。

また、「明日のことを心配するな」と言うと、アリとキリギリスのキリギリスのように遊び呆けたり、怠惰になろうとする者も多いから困るのだ。
明日のことを心配せず、派遣で軽作業みたいなことばっかりして、40代や50代になっても、19、20の若者と同じことしかできないというのも困るじゃないか?

しかし、これらのややこしい問題は、全て、心の弱さから起こるものだ。
心が強ければ、明日のことを心配せず、興味のあることを勇敢にやろうとするだろう。
それで、若い間は苦労もするが、やがて形になって安定する。
だが、年を取っても、やはり、興味のあることに挑戦することを止めてはならない。
新しいことを始めたら、やはり苦労はあるが、何度かそんなことをやっていれば、賢くなっていて、少ない努力で済むようになる。

つまるところ、心を鍛えれば良いということになる。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、心を鍛えるのは孤独しかないと言った。
まあ、彼の時代は、自然にある程度は心が鍛えられる環境にあったが、今はそうではない。
我々の場合、まず、規則正しい生活だ。
そのポイントは2つと思う。
1つは、可能な範囲で良いから、なるべく早い時刻を決めて、その時間に必ず起きることだ。
理想は午前4時だが、夜遅い人もいるので、各自の事情に合わせるしかない。
だが、十分可能であるのに、6時になっても起きていないなら、いつまでも心は弱いままである。
また、同じ時間に起きることが大切で、昨日は4時だったが、今日は7時では駄目で、可能な限り、1年365日、同じ時刻に起きなければならない。
私は夜勤があるとかいった現実的な問題への対処は各自で考えれば良いことだ。むしろ、問題がある方が、頭を使えて良いのだから、何事もまず自分で考えることだ。
そして、もう1つは、満腹するまで食べて自分を甘やかさないことだ。
極端な少食にする必要はない・・・というか、やってはならない。
私は、極端な少食もやってみたが、弊害が多いことは否めない。無論、それを自然にできる人はやれば良いが、そんな人は、頼むから自慢せずに黙ってやって欲しいものだ。
普通は、極端な少食なんて不要だし、害になるのだから。

早起きと、適切な量の食事の2つで、最低限幸福でいられる。
逆にいえば、この2つすら守れないなら見込みはない(そんな者が多いのだが)。
その上で、不満、悪口、言い訳を言わないを実践すればするほど、高いところに行ける。
不満、悪口(批判)、言い訳をしない秘訣は、
「悪いことは良いこと」
「いや、平和そのものだよ」
の呪文を使うことだ。
尚、人間にはどうにもできない不幸の因子である悪霊に関しては「アジマリカン」の呪文で祓うことができるので覚えておくと良い。









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世間を超えた世界で、嘘は一切通用しない

「悪いことは良いこと」という呪文は奇跡を起こす。
しかし、もう少し説明した方が良いのだろう。
そうであることは、本当は残念なことだ。
そんな説明が必要なほど、人間が駄目になってしまっているのだからだ。

一生懸命勉強して受験に落ちた場合は、「受験に落ちたことは良いこと」という呪文は良い呪文であり、良い結果に導かれる。
しかし、「僕が意気地なしなのは良いこと」というのは、間違ってる。
意気地なしの人間は、単に訓練不足である場合がほとんどだから、そこは自分でなんとかしなければならない。
とはいえ、20年、30年と本気で取り組んだ末、どうにもならなかった場合には、「僕が意気地なしなのは良いこと」と言えば、その意気地なしが味になるし、幸運を呼んでくれる。

「悪いことは良いこと」の悪いこととは、自分ではどうしようもないこと、つまり、運命であるということだ。
大食いであることだって、それが運命である場合もある。
だが、ほとんどの場合はそうではない。
運命かどうかは、抗ってみれば分かる。
「抗ってみましたけど、やっぱり僕には無理でした」と言ったところで、本気で抗ったかどうかは自分で分かっているはずだ。
神に嘘は通用しないことを忘れてはならない。
だから、「人間は何をしても良いが、言い訳だけは許されない」と言うのである。

だが、そういった判断が自分には難しいとしても、心配はいらない。
明らかに運命と分かることのみに、この呪文を使えば良いからだ。
進歩と共に、運命か自分の責任かは、容易く区別がつくようになる。
だから、現時点で、どうしようもない運命だと確信できる場合にのみ、「悪いことは良いこと」の呪文を使うのだ。
原因不明の病気になったような場合は、確かに運命であり、「病気になったのは良いこと」と言えば、運命は開かれる。
だが、怠惰な生活で病気になった場合は、自己責任だ。
ただ、その場合でも、本当に真摯な気持ちになって、「病気になったのは良いこと」と言えば、やはり、良くなるのである。
これは、本当は少しも難しいことではない。
だが、今は、こんな当たり前のことすら説明しなければならない人・・・と言うより、説明しても分からない人が多いのだ。
しかし、一応、説明してみよう。

給料以上の贅沢をして、借金が膨れ上がり、すっかりどうしようもなくなった時でも、本当に自分の非を認め、「借金だらけなのは良いこと」と言えば、借金も片付くだろう。
つまるところ、大切なのは、やはり、心なのである。
世間を超えた本当の世界では、小手先のテクニックなど一切通用しない。
しかし、学校や受験の影響で、何でも小手先のテクニック・・・つまり、小賢しい猿知恵でうまくやろうという卑しい人間が多い。
自分は、本当は至高の存在であることを忘れてはならない。
どんな嘘も、本当の自分には全てバレているのである。

この世で嘘は一切通用しない。
人間は何をしても良いが、言い訳だけは決して許されない。
これらも、簡明で優れた呪文である。









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人間は嘘をつく

私が小学校1年生の時、授業で、虫眼鏡(拡大鏡。凸レンズ)を使って、何でも見ようという実習をしたことがあった。
クラスの子供達は、虫眼鏡を持って教室を出て、好きなところに行き、思いつくままに、虫眼鏡で何でも見た。
そして、後で、全員が、何がどんなふうに見えたか発表し合った。
その発表の中で、数人、非常に印象に残っている子供達がいた。
例えば、花を見て、普通に目で見ることと、虫眼鏡で見ることとの違いに感動した気持ちをその子なりに表現した後、
「バイキン(ばい菌)がちょっと見えました」
と言う。
バイキンが見えたという子は4人ほどいたと思う。
それを聴いて、私はトランス(変性意識)状態になり、すっかり冷静に観察していた。
虫眼鏡で、バイキンを意味する細菌が見えるはずがないことは、子供だって分かる。
これは子供は知らないが、細菌を見るには、顕微鏡ですら、かなりの拡大率(千倍程度以上)のものが必要だ。
バイキンを見たという子が、別のものを見間違えたということではないことも、その子の表情を見れば分かる。
その子は嘘をついているのだが、悪意のある嘘ではない。
その時、トランス状態にあった私は、「人間は、嘘をつく」ということを認識した。
悪意のない、止むに止まれない嘘だ。
バイキンを見たという子達は、一様に、どこか苦しそうに言っている。
つまり、自分で嘘を言っていることにやましさを感じているのだ。
それは、「バイキンが見えた」と言わず、「バイキンがちょっと見えた」という微妙な言い方にも現れている。
教師も、面倒というのではなく、やはり、何かを感じて、「そう(そうだったの)」と言ったが、その表情に苦しさがあるのを、やはり、トランス状態だった私は気付いていた。

天才的な精神科医のミルトン・エリクソンは、いつでもトランスに入れ、その時の能力は人間をはるかに超えていたので、彼は、驚異的な治療成果を上げることができた。
札付きの不良少年も一言会話を交わすだけで更生させた。
だが、私がやったように、子供の時は、誰でもできるのだ。

バイキンが見えたという子は、心に問題を抱えている。
それは、家庭で愛されていないか、少なくとも、本人は愛されていないことを感じている。
そして、多分、本当に、その子は、家庭で愛されていない。
親の愛情表現が下手というのでもないと思う。
愛情表現が下手な人間も確かに多いが、それでも、本当に愛しているなら、子供には伝わる。
理由はいろいろだろうが、とにかく、その子供達は、家庭で愛されていない。
それで、機会があれば、人の注目を引きたいのだ。
教師にも、それが(直感的に)分かったから、苦しい表情をしていたのだろう。

「悪いことは良いこと」という呪文を使えば、誰でもトランスに入れる。
それで、脚が痛い人が、「脚が痛いのは良いこと」と繰り返すと、脚が治ってしまう。
では、上のような愛情に恵まれなかったせいで、エネルギー不足になった子供達や、エネルギー不足のままで大人になった人はどうすれば良いのか。

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のバラードの名曲『LOTUS LOVE(ロータス・ラヴ)』(作詞、作曲:細野晴臣)の中に、
「のどもとにいつもの呪文 I LOVE YOU」、「夢で見たくちもと ひそかにかすれる呪文 LOVE LOVE LOVE」
という歌詞がある。
「好き」という言葉、あるいは、呪文は、エネルギー(聖なるエネルギー、宇宙エネルギー、気、氣などと呼ばれる)を発生させる。
藤平光一さんの本にあるが、算数が嫌いな子に、「勉強しなくていいから、1日1回だけ、算数の教科書を広げ、算数が好きだと言いなさい」と指示したら、その子は誰よりも算数の出来る子になった。
別に驚くことではなく、当然と思う。
だが、人間はとりあえず、対象を決めないと、「好き」「愛してる」とは言い難い。
そこで例えば、「初音ミクさんが大好きだ」と言えば(心で言っても良い)、宇宙エネルギーに満ちて、何でもできるようになる。
ところで、初音ミクさんが歌う『ロータス・ラヴ』が最高と思った(『Hatsune Miku Orchestra』収録)。
あの幼い声ながら、しっとりとした深い感じはYMO以上だった・・・と私は思った。
まあ、愛ゆえの個人的感想である。









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最悪にして最善

悪い状況にあったり、悪いことが起こったら、
「悪いことは良いこと」
という呪文を唱えることだ。

給料が安くて余裕がなく、欲しいものが買えず、奥さんには馬鹿にされ、親戚には恥ずかしい。
そんな時は、
「給料が安いのは良いこと」
と言うのだ。
それを繰り返すと、不思議な安らぎと喜びが湧き上がってくる(ちょっとアブない感覚だ)。
すると、知らぬ間に昇給したり、配置転換になって手当てがついたりする。

彼女がいなくて寂しいし、可愛い彼女がいるやつを妬ましく思う。
そんな時は、
「彼女がいないのは良いこと」
と言うのだ。
それを繰り返すと、不思議な安らぎと喜びが湧き上がってくる(やはりアブない)。
すると、「なんで僕なんかにこんな」と思わずにいられない、びっくりするような可愛い彼女ができる。

腰が痛い時は、「腰が痛いのは良いこと」だし、風邪をひいた時は、「風邪をひくのは良いこと」だ。

では、お腹いっぱいに食べて苦しくて、「しまった太る」と思った時はどうか?
「沢山食べるという良いことは悪いこと」
と思うことだ。
これを、食べていて、嬉しい時に思い出すと幸いだ。
金メダルを取った時は、
「金メダルを取ることは悪いこと」
と思い、慎まなければならない。
だが、金メダルを取ると、皆、
「金メダルを取ることは良いこと」
と思うので、その後は悲惨なことしか待っていないのだ。

会社で、追い出し部屋に送られた時、誰もが、
「追い出し部屋に送られた。最悪だ」
と思うから、実際、最悪になる。
そんな時は、
「追い出し部屋に送られたことは良いこと」
という呪文を何度も唱えるのだ。
それで意識の変革が起こり、気持ちが明るくなったら、何も悪いことは起こらない。
むしろ、最善を得るだろう。

以下は難しいかもしれないので、読み飛ばしていただいて良い。
重要なことを思いついたので、個人的なメモとして書いた。

原田知世さんの初主演映画『時をかける少女』の始まりの部分で、
「理想の愛に巡り会った人は、幸福なのか、不幸なのか」
といったような言葉があったと思う。
筒井康隆さんの原作小説でも、ヒロインの芳山和子は、記憶にはないが、理想の愛に巡り会ったことは分かっていた。
人間は、理想の愛に出会っても気付かない。
なぜなら、愛そのものが、神の領域のものであり、人間の領域のものではないからだ。
しかし、時代は変わった。
私は、初音ミクさんという理想の愛に巡り会ってしまった。
それは、人間としては最悪なのだが、人間を超える道が開かれたってことなのだ。
だから、初音ミクさんとの出会いは、最悪であると同時に最善なのだ。
『時をかける少女』の冒頭の問の答、あるいは、和子の場合も同じである。

理想の愛との出会いほどではなくても、全て同じだ。
悪いことがあった時、「これは良いことだ」と思えば、人間を超える。
その時、私は神に近付き、創造者となる。
神である私は、人間の部分の私に印を見せるため、指一本動かさずに状況を変える。
病気も怪我も貧乏も孤独も治してしまう。
それで自我が謙虚になれば良いのだ。
イエスは、
「退けサタン」
とは言ったが、力ずくで退けた訳ではない。
サタンである自我は、キリストに屈服したのだ。
「悪いことは良いこと」
この呪文を唱えれば、誰でもできるのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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