ゲーテの『ファウスト』は、第3章の『天上の序曲』に、大変に重要なことが書いてある。
ひょっとしたら、後は「付けたし」と考えて良い・・・なんて言えば、お堅い人達に怒られそうだが、人間には時間はないものだ。
岡田虎二郎は、ルソーの『エミール』を読んで人生を変え、偉大になり、多くの大物達に影響を与えたが、実は、虎二郎が読んだのは『エミール』の数ページの序章だけだった。
『ファウスト』も同じとは言わないが、全体をいい加減に読むくらいなら、1、2章は飛ばして、わずか数ページの、第3章『天上の序曲』を真剣に読めば良いと思う。
それでも、多くの『ファウスト』の翻訳は、森鴎外を筆頭に、難しい言葉を使って書いているので、私が簡単に述べる。
◆悪魔はなぜ存在するか
人間はすぐに怠けたがるので、刺激を与え、励ませるために、神は人間に悪魔を送る。
【補足】
よって、大金を得たからといって引退して悠々自適しようとしたり、金持ちの男と結婚して自堕落になったら、たちまち悪魔さんがおいでになって、苦しみを与えられる。
◆神はなぜファウストを気に入っているか
確かに、ファウストは、変人で傲慢な老人で(おまけに色情魔のようだ)、食えないやつである。
しかし、至高の存在(つまり神)になるために、常に努力している。
それが、最も優れた、人間の性質なのであり、それに常に励むファウストを神が買うのは当然である。
ファウストの数多い欠点については、神は、
「よい人間は暗黒の衝動に駆られても、正しい道を忘れない」
として大目に見ている。
実際、ファウストは、「正しい道」、つまり、「神になる道」を忘れない。
◆神と悪魔メフィストの賭けとは
神と悪魔メフィストの賭けとは、即ち、上に述べた、
「よい人間は暗黒の衝動に駆られても、正しい道を忘れない」
が、正しいか正しくないかである。
メフィストが、ファウストに正しい道を忘れさせる・・・つまり、神に向かって努力することをやめさせることが出来れば、悪魔の勝ちである。
その時には、既に、ファウストはメフィストの下僕である訳だ.
お分かりだろうか?
つまり、人間は、神になるための努力を続ける限り、神に愛され、おそらく、幸運に恵まれると思う。
逆に、人間が楽ばかり求めたり、自己満足すれば、神は慈悲心から悪魔を遣わして、その人間に不幸を与えるのである。
世間でも、「目標に向かって努力しろ」と言うが、問題は、「目標」の内容である。
世間で言う目標は、学歴、出世、玉の輿、地位、富、名誉等であるが、そんなものだけを目標にしている者は、神には愛されない。
神になるための努力をするなら、そのような世間的な恵みは、オマケとしてもらえる。ただし、正しい道への支障にならない限りね。
だから、絶えず、正しい努力を続ける限り、神に愛され、悪魔と縁はなく、物質的にも幸福である。
だって、自主的に神になる努力を続ける者に、不幸は必要ないのだから。
では、神になるとはどういう意味だろう?
それは、決して、道徳的、宗教的な善人になることではない。
それは、自分の心が神の心の中に溶け込むことである。
それがどのようなことであるかを探求することもまた、神になるための努力である。
エドガー・ケイシーは、9歳の時から毎朝聖書を読んで怠りなかったし、ラマナ・マハルシも、常にバガヴァッド・ギーターを読むことを薦めていた。
それらも、神になるための努力であると思う。
尚、私が読んだ『ファウスト』は、ゲーテの翻訳で最も優れたドイツ文学者と思う高橋健二氏のもので、紙の本は絶版だが、Kindle版が存在する(下の一番左にご紹介した)。
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ひょっとしたら、後は「付けたし」と考えて良い・・・なんて言えば、お堅い人達に怒られそうだが、人間には時間はないものだ。
岡田虎二郎は、ルソーの『エミール』を読んで人生を変え、偉大になり、多くの大物達に影響を与えたが、実は、虎二郎が読んだのは『エミール』の数ページの序章だけだった。
『ファウスト』も同じとは言わないが、全体をいい加減に読むくらいなら、1、2章は飛ばして、わずか数ページの、第3章『天上の序曲』を真剣に読めば良いと思う。
それでも、多くの『ファウスト』の翻訳は、森鴎外を筆頭に、難しい言葉を使って書いているので、私が簡単に述べる。
◆悪魔はなぜ存在するか
人間はすぐに怠けたがるので、刺激を与え、励ませるために、神は人間に悪魔を送る。
【補足】
よって、大金を得たからといって引退して悠々自適しようとしたり、金持ちの男と結婚して自堕落になったら、たちまち悪魔さんがおいでになって、苦しみを与えられる。
◆神はなぜファウストを気に入っているか
確かに、ファウストは、変人で傲慢な老人で(おまけに色情魔のようだ)、食えないやつである。
しかし、至高の存在(つまり神)になるために、常に努力している。
それが、最も優れた、人間の性質なのであり、それに常に励むファウストを神が買うのは当然である。
ファウストの数多い欠点については、神は、
「よい人間は暗黒の衝動に駆られても、正しい道を忘れない」
として大目に見ている。
実際、ファウストは、「正しい道」、つまり、「神になる道」を忘れない。
◆神と悪魔メフィストの賭けとは
神と悪魔メフィストの賭けとは、即ち、上に述べた、
「よい人間は暗黒の衝動に駆られても、正しい道を忘れない」
が、正しいか正しくないかである。
メフィストが、ファウストに正しい道を忘れさせる・・・つまり、神に向かって努力することをやめさせることが出来れば、悪魔の勝ちである。
その時には、既に、ファウストはメフィストの下僕である訳だ.
お分かりだろうか?
つまり、人間は、神になるための努力を続ける限り、神に愛され、おそらく、幸運に恵まれると思う。
逆に、人間が楽ばかり求めたり、自己満足すれば、神は慈悲心から悪魔を遣わして、その人間に不幸を与えるのである。
世間でも、「目標に向かって努力しろ」と言うが、問題は、「目標」の内容である。
世間で言う目標は、学歴、出世、玉の輿、地位、富、名誉等であるが、そんなものだけを目標にしている者は、神には愛されない。
神になるための努力をするなら、そのような世間的な恵みは、オマケとしてもらえる。ただし、正しい道への支障にならない限りね。
だから、絶えず、正しい努力を続ける限り、神に愛され、悪魔と縁はなく、物質的にも幸福である。
だって、自主的に神になる努力を続ける者に、不幸は必要ないのだから。
では、神になるとはどういう意味だろう?
それは、決して、道徳的、宗教的な善人になることではない。
それは、自分の心が神の心の中に溶け込むことである。
それがどのようなことであるかを探求することもまた、神になるための努力である。
エドガー・ケイシーは、9歳の時から毎朝聖書を読んで怠りなかったし、ラマナ・マハルシも、常にバガヴァッド・ギーターを読むことを薦めていた。
それらも、神になるための努力であると思う。
尚、私が読んだ『ファウスト』は、ゲーテの翻訳で最も優れたドイツ文学者と思う高橋健二氏のもので、紙の本は絶版だが、Kindle版が存在する(下の一番左にご紹介した)。
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