ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

悪魔はなぜ存在するのか?

ゲーテの『ファウスト』は、第3章の『天上の序曲』に、大変に重要なことが書いてある。
ひょっとしたら、後は「付けたし」と考えて良い・・・なんて言えば、お堅い人達に怒られそうだが、人間には時間はないものだ。
岡田虎二郎は、ルソーの『エミール』を読んで人生を変え、偉大になり、多くの大物達に影響を与えたが、実は、虎二郎が読んだのは『エミール』の数ページの序章だけだった。
『ファウスト』も同じとは言わないが、全体をいい加減に読むくらいなら、1、2章は飛ばして、わずか数ページの、第3章『天上の序曲』を真剣に読めば良いと思う。
それでも、多くの『ファウスト』の翻訳は、森鴎外を筆頭に、難しい言葉を使って書いているので、私が簡単に述べる。

◆悪魔はなぜ存在するか
人間はすぐに怠けたがるので、刺激を与え、励ませるために、神は人間に悪魔を送る。
【補足】
よって、大金を得たからといって引退して悠々自適しようとしたり、金持ちの男と結婚して自堕落になったら、たちまち悪魔さんがおいでになって、苦しみを与えられる。
◆神はなぜファウストを気に入っているか
確かに、ファウストは、変人で傲慢な老人で(おまけに色情魔のようだ)、食えないやつである。
しかし、至高の存在(つまり神)になるために、常に努力している。
それが、最も優れた、人間の性質なのであり、それに常に励むファウストを神が買うのは当然である。
ファウストの数多い欠点については、神は、
「よい人間は暗黒の衝動に駆られても、正しい道を忘れない」
として大目に見ている。
実際、ファウストは、「正しい道」、つまり、「神になる道」を忘れない。
◆神と悪魔メフィストの賭けとは
神と悪魔メフィストの賭けとは、即ち、上に述べた、
「よい人間は暗黒の衝動に駆られても、正しい道を忘れない」
が、正しいか正しくないかである。
メフィストが、ファウストに正しい道を忘れさせる・・・つまり、神に向かって努力することをやめさせることが出来れば、悪魔の勝ちである。
その時には、既に、ファウストはメフィストの下僕である訳だ.

お分かりだろうか?
つまり、人間は、神になるための努力を続ける限り、神に愛され、おそらく、幸運に恵まれると思う。
逆に、人間が楽ばかり求めたり、自己満足すれば、神は慈悲心から悪魔を遣わして、その人間に不幸を与えるのである。

世間でも、「目標に向かって努力しろ」と言うが、問題は、「目標」の内容である。
世間で言う目標は、学歴、出世、玉の輿、地位、富、名誉等であるが、そんなものだけを目標にしている者は、神には愛されない。
神になるための努力をするなら、そのような世間的な恵みは、オマケとしてもらえる。ただし、正しい道への支障にならない限りね。
だから、絶えず、正しい努力を続ける限り、神に愛され、悪魔と縁はなく、物質的にも幸福である。
だって、自主的に神になる努力を続ける者に、不幸は必要ないのだから。

では、神になるとはどういう意味だろう?
それは、決して、道徳的、宗教的な善人になることではない。
それは、自分の心が神の心の中に溶け込むことである。
それがどのようなことであるかを探求することもまた、神になるための努力である。
エドガー・ケイシーは、9歳の時から毎朝聖書を読んで怠りなかったし、ラマナ・マハルシも、常にバガヴァッド・ギーターを読むことを薦めていた。
それらも、神になるための努力であると思う。
尚、私が読んだ『ファウスト』は、ゲーテの翻訳で最も優れたドイツ文学者と思う高橋健二氏のもので、紙の本は絶版だが、Kindle版が存在する(下の一番左にご紹介した)。









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造られた嘘の世界を抜け出す

自分にとって、この世界が楽しくて生き甲斐のあるものなら、それが幸福というものだろう。
しかし、ほとんどの人は、世界に満足している訳ではないが、さりとて、特に文句を言うこともなく、何となく惰性に流されて、適当に生きているのだろう。
ところが、ごく少数の人が、
「この世界は何かが間違っている」
「この世界に耐えられない」
と強く思っている。
世界の仕組みは冷淡で、非人間的で、人々は自己中心的で、他人に関心がなく、人間関係はギスギスしている。
こんな世界がまともであるはずがないと思っているのだ。

そんな人は、H.G.ウェルズの日本語未訳の小説『ポーリー氏の生涯』でポーリー氏が言った、「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」のように、「世界が気に入らないなら、変えてしまえばいい」と、考えればよいのだが、実際は、改革者になるよりは、引きこもってしまうかもしれない。
世間にも、「引きこもり救済プロジェクト」みたいなものが時々あり、引きこもりの人達が社会に出て行けるよう支援などをするらしい。
しかし、引きこもりが、世界のあり方に疑問を持っているのなら、そんなものに意味はない。
それは当たり前で、そんな引きこもりは、世の中を適応すべき価値のあるものだと思っておらず、自分を変えたいとは思っていないのだからだ。
引きこもり支援で有効なものがあるとすれば、つまらない指導や説教ではなく、お金の支援である。
「説教するなら金をくれ」ということである。
まあ、そんな支援があるはずもなく(あったら恐い)、多くの、社会不適応の引きこもりは、世界を厭いつつ、なんとか社会の中で生きているのだろう。

この社会では、ほとんどの人が催眠状態にある。
そんな社会が歪んでいて、間違っているのは確かである。
だがそれは、喩えて言えば、ほとんどの人は牢獄にいるのだが、牢獄が世界の全てだと思っているようなものなのだ。
この精神的牢獄・・・幻想の牢獄を抜け出すことが出来れば、本当の世界は・・・まあ、行ってみれば分かる。
その方法を、目覚めた人達は、「高く飛ぶ」と表現する。
牢獄の天井は開いているのだが、我々は、自分は高く飛べないといいう強い暗示がかけられているのである。

初音ミクさんの『トリノコシティ』という歌で、ミクさんが歌っているのが、まさに、我々の状況なのである。

自分だけどこか 取り残された
音の無い世界 造られた世界
傷んだ果実を 捨てるだけなら
2人もいらない 1人で出来るから
~『トリノコシティ』(作詞、作曲、編曲:40mP、歌:初音ミク)より~

我々は、ミクさんと一緒に、高く、高く飛ばなければならない。
そのためには、自分は飛べないのだという欺瞞(ぎまん。あざむくこと)に満ちた催眠術を解き、翼を広げなくてはならない。
砂埃は地上で空回りさせたまま、我々は、そんなものと関係のない高い所に行くのである。

それにはどうすれば良いかと言うと、この世界の嘘を見抜けば良い。
実をいうと、社会の牢獄を抜け出すのは簡単なのである。
幼い時に、細い杭と紐につなれた象が、今はそんな杭は楽々と引き抜く力があるのに、自分には出来ないという催眠術にかかっているのと同じなのだ。
世界を、無の心で眺めた一瞬、光を見る。
それは、いつも言う通り、愛する人と視線が交差した瞬間、指先が触れる瞬間、触れられる瞬間である。
あるいは、人差し指を立てたり、顔を上げて微笑むと、一瞬、さーっと幻想が晴れる。
その時感じたことに最大の価値を置き、忘れないでいるなら、悪い魔女の魔法を破り、高く飛ぶことが出来るだろう。
お伽噺として伝わっている多くのお話の真意はそれなのである。









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真の瞑想には1秒もいらない

愛とは、瞬間より短い時、触れ合うより近い距離だ。
つまり、愛には、時はなく、空間もない。
我々の感覚は3次元に縛られているし、思考となると2次元止まりなので、そのようなことは想像できないと思うかもしれない。
しかし、あなただって体験しているはずなのだ。
時間が消えたこと、空間が消えたことをだ。
その時、あなたは愛と共にいたはずなのだ。
例えば、次のような詩を見れば、心に何か懐かしいものを感じるはずだ。

Sweet reach 虹彩(ひとみ)を重ねて
共鳴(シンクロ)するから
~『Chaining Intention』(作詞:NaturaLe、作曲、編曲:Treow、歌:初音ミク)より~

ありがとう サヨナラ 一言が言えない
今だけでいい 私に勇気を 「あのね--」
言いかけた唇 キミとの距離は0 (ゼロ)
~『初めての恋が終わる時』(作詞、作曲、編曲:ryo、歌:初音ミク)より~

不意に気付いた視線 ハッと息を潜めた
ひんやりと冷たい手が 戸惑う君の頬に触れた
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲、編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~

心から慕う人、あるいは、可愛いと思っている猫や、美しいと感じた花と視線を交わした瞬間(花の場合はこちらの一瞥)に、時間は消滅する。
また、そのような存在に指先が触れる刹那、既に空間は消えている。
そのような雰囲気を、昔の人は雅(みやび)とか風雅と言ったものだ。
五感に強く感じる刺激の中に愛はない。
だが、感じるか感じないかの「微かさ」の中に愛への入り口がある。

瞳が重なる瞬間、距離がゼロになり、見ている者が見られている者になり、見られている者が見ている者になる。
僕が君であり、あなたが私である。
それが愛だと、本当は誰でも知っているのだ。

別に恋愛のことだけではない。
昔の剣豪同士であれば、向かい合った瞬間、あるいは、せいぜいが、剣を構え合った瞬間に勝負は決し、そのまま、剣を交わすこともなく、両方共去って行ったのだ。

10分も20分も瞑想して無になることはない。
少なくとも、普通の人には無理だ。
そうではなく、1秒の統一をすることだ。
身体の動きを止め、呼吸をしないというよりは、あまりに呼吸が微かなので、1秒であれば、止まっているに等しい。
死人のように、身体も心も希薄になり、ここにいると同時に、月にも、火星にも、シリウスにもいる。
そんな一秒の中に愛はある。
あるいは、人差し指を立てた瞬間に心身は統一され、時間と空間が消滅する。
苦しい時、顔を上げて微笑めば、時空は消え去るのだ。
自分が経験した、瞳が重なる瞬間、指先が触れる瞬間のことを思い出せば、楽に出来るだろう。
そのような瞬間を大切にすることだ。
ほとんどの人は、そんな瞬間をないがしろにするから、宇宙から切り離されてしまうのだ。

そして、愛は創造する。
統一された1秒・・・本当は、千万分の一秒より短い時の中で、神になったあなたが世界を創造する。
自我であるあなたは何もしなくて良いし、何も出来ない。
イエスは、「父なる神は、あなたに必要なものなどとっくにご存知だ」と言ったではないか?
時間と空間がない中にいる、神であるあなたは、物理次元のあなたに必要なものなど、とっくに知っていて、それを3次元空間の中に創り上げる。
だから、瞬間の統一を大切にすることだ。
それで、全ての願いが叶うだろう。









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掟を守る者は傷つけられない

自分とは何か?
それは、掟を守る者、そして、掟を作る者である。
ごく幼いうちは、掟を与えられるのも良いし、必要でもある。
しかし、いずれ、自分の掟は自分で決めなければならない。

どんな掟を、どのくらい厳しく守っているか?
それが、即ち、その人なのである。
記憶喪失になったって、真の掟は覚えている。
掟を覚えている限り、寂しいことはない。

多くの人が、気ままに自分の掟を作ってしまう。
毎朝、スクランブルエッグを食べるといった程度の掟だ。
だが、時として、何の気なくかもしれないが、崇高な掟を持ってしまう人もいる。
「ドクター・ハマー」と呼ばれた、国際的ビジネスマンであった、アーマンド・ハマーがそうだった。
彼は7歳の時、「自分より優れた人々の役に立つ」という掟を不意に思いつき、90歳を過ぎても守り続け、その年になっても、自家用ジェットで世界を駆け回った。
この「自分より優れた人」の詳細は分からないが、別に誰かを選んで奉仕するのではない。
ハマーの活動は、「一国のため、世界のために役に立てば、自ずと自分より優れた人の役に立つ」というものだったと思う。
もし、彼が本当に気高い人物であったなら、「自分より優れた人」とは、「自分以外の人全て」だ。
そして、彼は、実際に気高い人であったのだと思う。
また、彼は23歳の時には既に富豪だったが、その掟を守るなら、当然と思う。

すさまじい掟を見たことがある。
それは、1993年のタツノコプロのアニメ『キャシャーン』の主題歌『キャシャーン~風の墓標~』の中にあった。
作詞者は、そのべかずのりさん、現在は、里乃塚玲央(りのづかれお)という名にしておられるらしい。
「俺の命は運命という神の手に預けた」
「俺のすべては汚(けが)れのない君だけに捧げた」
運命を受け入れ、命すら手放した男の姿が見えるようである。

掟には、「何かを必ずする」というものと、「何かを絶対にしない」というものがある。
木枯し紋次郎は、「女、子供、老人を害しないこと」、「自分を堅気衆(一般庶民)の下に置き、逆らわないこと」を絶対の掟としていた。
ところで、イエス・キリストはモーセの十戒を守り、それを守るよう説いたが、私の勝手な判断だが、そのうちの1つを自分の意志で選べば、崇高な掟になるのだと思う。
イエスは、十戒の全てを子供の時から守っているという金持ちの青年に、「全てを売って私についてきなさい」と言った。
私の解釈であるが、「1つでいいから、自分の意志で掟とせよ」という意味と思う。
誰かに守らされていることは真の掟ではない。
自分の意志で守ってこそ掟である。
その金持ちの青年は、自分の掟を持てなかった。
イエスは、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と言った。
掟を押し付けられて育った者が自分の掟を持つことは難しいという意味だと思う。
現在の日本の学校に通う者は、そのままでは誰も天国に入れないのである。

掟を守れば、神の恵みが得られるという、ちょっと卑しい根性でも構わない。
それでも、しっかり掟を守っていれば、心が純化されてくる。掟とはそんなものだ。
しかも、しっかり守っていれば、神の恩寵は確実なのである。

私は、年末年始、毎日、初音ミクさんのコンサートをDVDやブルーレイで見ていたが、観客の雰囲気が、普通のアイドルのコンサートと全く違う。
顔が真剣であり、あまり誰も笑っていないし、笑っているとしても、その顔は実に崇高なのである。
特に、コンサートの終了近くになると、涙ぐんでいる人もいる。
これは、私同様、ミクさんを敬うことを掟とする人達なんだなあと思う。
初めてミクさんのコンサートを見たアメリカの子供が、「実際にいない人をどうやって好きになるんだい?」と言っていたが、それは彼自身が言っているのでなく、教育された心が言っているのである。いわば、世間の信念が言っているのだ。
一方、ミクさんのコンサートに来ていたアメリカ人の男性が、「僕たちは、何もないスクリーンを見に来てる訳じゃない」と言ったが、彼はスクリーンの光の中に、崇高なまでに美しいものを見るのだ。
それは、真の自分を映した鏡である。

「弱い者いじめをしない」という掟を持った男の子は英雄のように見え、全ての女の子の憧れの的になる。
硬貨が落ちていたら、必ず拾い上げて、「私のところにおいで」と心で言ってやる者は、少なくとも小金持ちになり、収入は止まらない。
習慣ではなく、自分の意志で、「いただきます」、「ごちそうさま」と言う者は、一生、健康で裕福である。

優れた掟を作ることほど楽しいことはないし、掟を守ることが生き甲斐になる。
しかも、掟を守れば、神仏に守られ、傷付けられることはない。
なぜなら、掟を絶対とする者の心は鏡のようなもので、何を映したって、影響を受けないからだ。
そうであれば、世界の方で美しくなるのである。









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神様はお優しい

大事業家や、何かの分野で傑出した人物・・・つまり、大成功者に、あなたもなれるようなことを書いた本が沢山ある。
だが、そんな本を読んだことが成功の要因になるなんてことはない。
成功する者は、そんな本を一冊も読まなくても成功するし、成功しない者は、何千冊読もうと成功しない。

成功するのは確かに、たまたまなのであるが、その分の対価は強制的に奪われる・・・つまり、成功には犠牲が必要なのだ。
ちょっと出世したり、ちょっと売れるモデルになるだけでも、遊びや休憩や甘い食べ物を犠牲にしなければならないのだから、大きな成功となると、並の人間には耐え難い犠牲を要求されるものだ。

だが、ちょっとした犠牲を積極的に捧げれば、小さな成功は確実に得られる。
楽をしながら全て順調に行き、裕福で、病気にならず、事故にも遭わず、そこそこモテるだろう。
そのためには、特定の犠牲を定め、それを必ず捧げる・・・つまり、「死んでも守る鉄の掟」を持てば良い。
泥棒だって、厳しい掟を定め、それを守っている泥棒は、生涯、泥棒で良い生活が出来るのである。
泥棒の掟とは、例えば、貧しい者からは奪わないとか、特定の宗教を信仰している家には泥棒に入らない等である。

もし、定めた掟が十分に厳しいものであれば、偉人とは言わないまでも、かなりの大物になることはある。
例えば、1日1食とか、1日1時間の念仏といったことを、いかなる場合も例外を認めず、必ずやる者である。
あるいは、1日1時間の念仏と決めているのに30分しか出来なかった場合には、翌日1時間30分にするとか、トータルでやるという方法もある。
稀に起こる、やむない事情によって掟を破る者は、成功度は落ちるが、それでも、それなりに成功するのである。

そして、掟の性質によって、現れる効果は異なる。
たとえ厳しい掟であっても、独りよがりで愛のないものの場合、プライドは満足させられるが、愛情や友情に恵まれず、物質的にも豊かでないということになるかもしれない・・・割によくあることだ。
私の場合、人のいるところで余計な物音を立てないことを掟にしている。
つまり、私は空気のようであろうとしてる。
全く咳をしないというのは無理でも、出来る限り小さな音にするのである。
つまり、遠慮なく咳をしたり、痰を切るなんてことは決してしない。
それだけでも、平安が与えられるのである。
平安のためには、十分な収入、表立っては後ろ指を指されず、むしろ重んじられることが必要であるが、この掟を守れば、それらが楽々と得られるのである。
また、イエスが言うように、「女性を邪まな目で見ない」を完全にやるのは無理・・・いやいや、見栄を張らずに言えば、絶対に無理だが、私は、若い時から、一定年齢以下の少女に対してはそうするという掟を守ることで、大した恵みを得ているのである。
最高のいい男である世良公則さんが昔、映画で大勢の若くて綺麗な女性達と共演した時、「皆、二十歳未満だから1人も口説かなかった」と言ったことがあるが、やはり成功する人間は、ここらのケジメが、掟と言って良いほどしっかりしているのである。

逆に言えば、掟を持たない者は、どんなに頑張っても、いっこうに良い思いが出来ないし、頑張らない者なら破滅あるのみである。
童話でも、姫を手に入れたり、裕福になるのは、たとえロクでもない者であっても、掟を守る者が多いのである。
ちょっとした掟・・・少し辛いなと思う程度のことでも、掟として絶対的に守れば、その恵みは小さくはない。
それをすれば、神様がお優しいことが分かり、感謝することになるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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