ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

お菓子を食事にするということについて

今回は、あくまで思索の途中のことで、良ければ一緒に考えてくれませんかといったものである。

食事代わりにお菓子を食べるということに憧れたことがあるかもしれないし、実際にそんなことをしている人もいるかもしれない。
それは、世間的には否定的に見られるだろう。
例えば、1983年のアメリカ映画「トワイライトゾーン/超次元の体験」の中の1つのお話だったと思うが、神のような力を持つために、周囲の大人達が誰も逆らえずいいなりになっている少年の家に、そんなことを知らない女性教師がやってきて、食事を振舞われるが、それは全てお菓子だった。少年は、それが普通だと思っていたが、その女性教師に、良くないことだと言われてがっかりし、食事とおやつが違うことを教えてくれなかった回りの大人達に怒りを感じるといったところを私はよく憶えている。(何だか、「涼宮ハルヒの憂鬱」を思い出すストーリーだと思う)
しかし、あくまで、適切な量であることと、これはお菓子に限らないが、有害な材料を使っていない限り、私は、別に良いのではないかと思う。

フィギュアスケートの浅田真央選手は、試合の数時間前におにぎりを食べると聞いたことがある。
一方、テノール歌手の秋川雅史さんは、本番前にシュークリームを食べるらしい。
私は、秋川さんの方が適切と思うのだ。身体の負担は、最初から細かく煉られているので消化し易く、すみやかに栄養が吸収される生クリームの方が米よりずっと少ない。また、消化にエネルギーを要すれば、脳の機能はその間低下する。
私は、浅田さんが、あの素晴らしい能力から考えると意外なミスが割合に多いのも、そういったことに関係があるのではないだろうかと思う。おにぎりは、数時間では消化されない。おそらく、完全に消化されるのに、少なくとも10時間はかかるだろう。

萩尾望都さんの1977年の作品(漫画)で「ケーキ ケーキ ケーキ」という、お菓子が好きで好きでたまないという女の子が主人公のお話がある。ほとんど何の取り得もない少女なのだが、ある時、本物のフランス菓子の味に出逢ってとりこになり、ついにフランスに行ってケーキ職人を目指すというものだ。
この作品は、40年以上経つ現在も、文庫化されて販売されている。私は、萩尾さんは天才的な思想家だと思っており、彼女が描いたこの大作に深い洞察が無いとは思えない。
良いお菓子は、人間にとって良いものであるに違いない。

では、お菓子の栄養面についてはどうだろう。
世界には、1種類の食物しか食べなくても問題なく健康で長寿な人々は少なくない。たとえば、挽(ひ)いたトウモロコシしか食べないとか、ある種類の芋しか食べないとか、大麦の粉しか食べないとかである。総じて、消化の負担の少ない粉状の食物を摂る場合が多いように思う。いずれにせよ、数多い種類の食べものを食べる必要はないと思える。
自然界を見ても、草食動物の多くは、決まった草しか食べないが健康であるし、カルシウムのない草しか食べない牛の乳にカルシウムが豊富に含まれるなど、生命は我々が考える以上に驚異で神秘的だ。
柔らかいお菓子は、消化器官に負担が少なく、脳の唯一のエネルギーである糖分(ブドウ糖)を素早く吸収できる。小麦を使っているものも多いが、小麦が豊富な栄養素を含むことはよく知られている。
もちろん、どんな食べ物でも、食べ過ぎは有害であるが、お菓子も適切に食べる限り問題はないと思う。
女優の細川ふみえさんは、3食全てチョコレートでも構わないと言うほどチョコレートが好きらしい。また、実際に確かめていないが、ある素晴らしい美少女が食事の大半がアイスクリームだと自己申告するのを聞いたことはある。確かに、硬いものを噛んだことがないと感じるほど細いアゴをしていたが、極めて明晰な思考力を持っていた。ある老人ホームでは、通常の食事を食べたがらない老人にアイスクリームを食べさせてみたところ、楽しく食べてくれ、健康になったという話もある。

インドの世界的に知られる聖者であるパラマハンサ・ヨガナンダの師で、スリ・ユクテスワというやはり偉大な聖者がいる。彼の1949年の著書「聖なる科学」は、いまも世界中で読まれている。
この中で、動物が、自らに適した食物を判別するのは、その食物を前に大きな喜びが湧き、目がらんらんと輝くということによると書かれている。
人間の場合、視覚効果や、香りが誘起させるイメージ、それに、習慣的な好みの影響等もあるのだが、私の場合、たとえ素朴な形状や色で、香りが分からなくても、本当に空腹なら、お菓子を見ると特に目がらんらんとしてくるように思うし、同様な方も多いと思う。
また、同書の中で、人間は、歯の形状や消化器官の構造(特に体長と腸の長さの比率)において、人間は肉食動物、草食動物、雑食動物のいずれでもなく、果食動物に一致すると分析されている。
お菓子は、肉や野菜に比べると果物に近いと思われる。果物は柔らかく、糖分などの栄養が水分に比較的単純に含まれているものが多いからである。果物は、食べ過ぎると意外に太ると言われるのもそのためだ。
上にあげた、パラマハンサ・ヨガナンダの著書「あるヨギの自叙伝」によると、インドでは、偉大な人物に出逢った時に献上するための特別なお菓子を常に用意している人がよくいるらしい。スリ・ユクテスワも、ババジという特に偉大な聖者に初めて逢った時、大急ぎでお菓子を取りに帰ったという。(尚、「聖なる科学」は、ババジの指示により書かれた。ババジは数世紀に渡って肉体のまま現存する超人ヨギと言われている)

現実的には、私は2年以上、特別な機会がない限り、お菓子はほとんど食べていない。しかし、お正月やパーティーなどでごく稀にお菓子を食べる時には、あまりの喜びに恍惚となるくらいである。
今はまだ思索段階であるが、いつか、お菓子を食事にする時がくるかもしれないと思うこともある。
念のために言っておくと、決して、食事とは別にお菓子を食べることを推奨するのではない。また、過度に甘いもの、人工的な味や香りで食欲をそそるようなものは避けるべきである。
そして、食事はお菓子が良いと言っているのでもない。世間に馴染んだ頭脳は極端論が好きで、私の控え目な意見を読んで、「あなたは、食事は全部お菓子にすべきだと言いますが・・・」と言う者は多いのである。





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アトピー性皮膚炎を1円も使わずに完治させた

ついに、幼児期から苦しみ続けたアトピー性皮膚炎が完治したかもしれない。
もちろん、医療および薬品には一切頼らなかった。それどころか、それらを徹底して避けた。

4~5年前はひどい状態で、気味の悪い話で恐縮だが、職場の床に掻いたことで剥離した皮膚が白く積もることもあった。幸い、細かく、人間の皮膚には見えなかったので、見た人は、いぶかりながらも、どこからか吹き込んできた粉状のゴミと認識してくれたようだ。
子供の頃は、親に病院に連れていかれたり、薬局で薦められた薬も使った。しかし、せいぜいが一時的に症状を抑えることができたかどうかという程度であった。
どうしても苦しいので、刺激性のあるかゆみ止めを使うのだが、量が多いと皮膚にダメージを与え、よりひどい状態になり、痒みも増す。すると、その上にさらに薬を使うという悪循環であった。

2008年8月から、食事は1日1食で、肉、魚を食べるのをやめ、間食もしなくなった。それで急速に良くなるということはなかったが、少しずつ改善されてきたように思う。
なまじ、薬局で良質なステロイド性の軟膏を教えてもらったので、食を慎むようになってからも毎日使っていた(延べで10年以上)が、今年の6月に、ついに使用をやめた。それから約2ヶ月で、気が付いたら、ほとんど痒みを感じなくなっていた。

アトピー性皮膚炎には、いろいろなレベルの状態があり、ひどい場合には、普通の学校に行けず、働くこともできない人もいるらしい。全身、包帯を巻いたり、専門の療養施設に隔離されている人もいるらしい。
アトピー性皮膚炎の原因には諸説あり、どれが本当か分からない。日本では有効な治療はほとんど行われていないらしく、米国で治療に成功した人の本によると、米国では、ウイルスが原因であるとされているようだ。
ところで、米国で治療に成功した人の体験本も読んだが、1日に何度も風呂に入り、特別な軟膏薬を頻繁に分厚く塗るというもので、莫大な費用と時間と手間が必要と思え、望んでも私には無理だと感じた。

私の方法で、全てのアトピー患者が治るのかどうかはもちろん分からないが、とにかく私は、実際に、そして、1円のお金も使わずに完治しようとしている。
ただ、食を慎んだだけだ。そして、薬品の使用を止めることも必要だった。
医学的に身体に良い食事といったことは全く考えなかった。ただ、食べる量を絶対的に減らしただけである。とはいえ、極端な少食という訳でもない。十分に食べることを楽しんでいるし、むしろ、本当に空腹な時に食べるのだから、食事の楽しさは以前の数百倍で、常に天国の食事であるといって大袈裟でない。何か特別な食事であるということも全然なく、そこらのスーパーで買うだけの、安価で簡素なものばかりである。

食事は夕食だけだ。それ以外は、飲み物は特に制限を考えずに飲む(もちろん、飲み放題とかではない)が、噛んで食べるものは食事の時以外は一切とらない。
夕食は、根菜類(イモ、カボチャ、果物)、豆類が中心で、その外に野菜、そして、ご飯を半合ほどである。アーモンドやクルミをよく食べる。以前は、時々は魚も食べたが、今は食べない。卵は食べる。
ただ、あまりに厳格なベジタリアンでもなく、出汁に肉や魚が使われているかまでは気にしないし、パーティーなどでは、肉は食べないまでも、魚やケーキは食べる。
私は、基本的には何を食べても良いと思う。ただ、私は、肉を食べるなら、食べる動物を自分で殺すか、少なくとも殺す現場を見てから食べることが、肉を食べる条件であると思う。

食を慎むことが直接に効果的であったというのももちろんだが、精神的変革を果たした部分が大きいように感じる。人格者になったわけでは全くないが、自我をコントロールする力が増し、楽観的になった。驚くべきは、性欲に苦しむことがなくなったことである。
世間や医学の常識と反して、食べる量が少ないと肉体が強くなることを実感している。食を慎みはじめた最初の頃は、それまでの習慣の影響で、力が抜けるような感じがしたり、めまいがすることもあった。
しかし、やがて身体が驚くほど軽快に動くようになった。また、エネルギーも増し、2009年8月から腕立て伏せなどの運動をしようという意欲も出てきた。腕立て伏せは、10回から始めて毎月10回ずつ増やし、今月からは150回になった。他にスクワットや腹筋運動もしているが、いずれも、やり過ぎないようセーブすることを考えないといけないくらいだ。細いだけでなく、筋肉質な格好良い身体つきになってきたと思う。ウエストは、純粋に客観的数値というもので上げると、昨年の健康診断の記録では、胴回りで 70.5cm(身長180cm)で、まるで芸能人のサバ読み数値のようだ。ただ、腹筋が付いてきたせいもあり、今は2~3cm多いかもしれない。

食を慎むことで、私のようにアトピーが完治するかどうかは分からないが、確実に良い効果はあるはずだ。
他にも、メニエール氏病も、医者に全く頼らずに完治した。発作が起こると立つことはもちろん、座ることすらできなかったほどであったし、症状が治まった後も、まっすぐ歩くことができなかった。そんな重度のメニエール氏病が自然に治ることは、医学的にはあり得ないらしいが、私は食の慎みで完全に治った。
以前は、時々襲われた狭心症の発作も、気が付いたら全く無くなっている(かつて職場で倒れ、昏睡状態になったこともある)。
健康診断も、ほんの数年前は、病人のような検査結果が、今では、オールAの超健康体だ。

以上は、食の慎みで得られた健康面での明らかな効果である。
しかし、食の慎みで得られることは、身体面ばかりでなく、むしろそれは些細なことかもしれない。




【新修 南北相法・修身録(全)】
前半は、南北が激しい情熱をもって探求し、皇室にも認められて、貴族にまで叙せられた至高の運命学(観相)の詳細な解説書。
そして、後半が、あらゆる運命学を凌ぐ、食の慎みについての南北の教えで、数千、数万の実践が伴うものだけに、自信に満ちた驚くべき力の教えとなっている。私はこれを読み、楽に1日1食を実践できた。




【ほとんど食べずに生きる人】
60歳を過ぎた男性が、徹底した少食で、健康と若さを取り戻した記録。医学研究者との共同プロジェクトであることが珍しい。食を慎めば脚が長くなることも記録されている。

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本当のリラックスとは

リラックスする時間を持つことが大切であることには、ほとんどの人が同意されると思います。
全くリラックス出来ませんと、心身は疲弊し、いずれ病気になる可能性があります。
ところで、リラックスとは、本当はどういうことなのでしょうか?
辞書によれば「くつろぐ」「憩う」などとあります。しかし、一方で、試合や大きなビジネス取引といった重要な場所に向かう者に対し、気負い過ぎないようにと意味で、「リラックスして挑め」などと言います。
いずれにせよ、どうも、リラックスの意味を、「脱力すること」であるという誤解をしているのではないかと思います。それでは、リラックスの大切な効果を逃してしまいます。

リチャード・バックの小説「かもめのジョナサン」では、かもめのジョナサン・リヴィングストンは、世間の信念や教義に従わずにそれを超えた生き方を選んだために群を追放されます。そして、一羽きりで過ごす長い月日が経ちますが、ある日、年老いたジョナサンが飛行していると、輝く2羽のかもめが近付いて来ます。ジョナサンは、曲芸飛行の秘術を駆使し、彼らを試しますが、彼らは楽々とジョナサンについてきます。微笑さえ浮かべて。

真のリラックスの姿が上手く描かれていると思います。
ジョナサンが曲芸飛行をしている時、そして、別世界からジョナサンを迎えにきたかもめ達がジョナサンに追随してみせた時、彼らはリラックスしていたのだと思います。

リラックスとは、本当はエネルギーを解放することです。解放されたエネルギーは我々を満たし、我々は活力を得ます。
そういうことを言った人は他にもいると思いますが、彼らは、これ以上の説明をしません。彼らは、真理をおぼろげには感じているのかもしれませんが、本当に理解していませんので、それ以上語れないのではないかと思います。
だから、それを聞いた我々は一層混乱してしまいます。
「では、どうすればリラックスできるのか?」
それが分からないのです。それを聞こうとしても、せいぜいが、筋肉を緊張させてから一気に弛緩しろとか、呼吸法や瞑想で心身を安らかにしろとか言った、やはり、脱力のための当たり前の方法でお茶を濁されてしまいます。

リラックスと、脱力は何の関係もありません。脱力しても良いのですが、どちらでも良いことです。最大の活動をしていても構いません。生死を分けた闘いの最中にリラックスするということもあると思います。
リラックスの真の意味であるエネルギーの解放を行うのに必要なことは、エネルギーをせき止めているものを消すということです。
エネルギーをせき止めているものとは、想像がつくかもしれませんんが、個人的な欲望という意味での自我です。
良い闘いをしている者に自我はありません。
脱力していても、自我があればエネルギーはせき止められています。
リラックスするためには、自我を消すことが必要ですが、それには、思慮や分別を離れ、万物をあるがままに容認すること、即ち、万事、自然の成り行きに任せることです。
それは易しいことでしょうか?
心を支配する能力を得た精神には容易いことです。
そして、その力を得る訓練は意外に簡単です。
朝食か昼食を抜くようにすれば良いでしょう。もちろん、その分、間食をしたり、残りの食事の量を増やしては意味がありません。
本当は、不要なものを求めない意思の力が得られれば良いだけなのですが、そのためには、食事を抜くのが最も簡単で確実です。
徳川家康に天下取りの秘訣を尋ねますと、家康は、同じ意味であるのですが、2つのことを言いました。それは、「身の程を知れ」と「上を見るな」です。しかし、誰が、身の程を知るほどの慎みを持っているでしょう?上を見ずにいられる人がいるでしょうか?家康は、出来もしないことを言ったのではないかと思いますが、よく考えてみれば、それで天下を取れるのですから、出来なくて当たり前なのでしょう。
しかし、食の慎みは、家康の言う心構えにも道を開くものと思えます。確かに食事を抜くのも難しいことです。しかし、世間や人生に本当にうんざりした時、不意にそれをしようという閃きが起こります。そして、あなたは真にリラックスし、エネルギーを解放する術を得るに違いありません。そうであればと思います。
少し食を慎めば、どんな驚くべきことが起こるかは、今後、色々書いていきたいと思います。





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いつも考える人が成功する

何かで成功出来るか出来ないかは、そのことについて、1日中考えているかどうかで分かると思います。
仕事の時やそのための訓練や練習の時だけ熱心にやっても、それが終れば夢中で遊んでいるなら、まず成功することはないと思われます。
イチローが、普段歩いている時も、「階段とスロープ(斜路)があれば、必ずスロープを選ぶ」というのも、彼が1日中、野球のことを考えていることの表れと思います。

プロレスのジャイアント馬場さんが興味深いことを著書の中で語っていました。
彼には、憧れのプロレスラーがいました。バディ・ロジャースというアメリカの人気レスラーですが、面白いことに、馬場さんは、彼を「最高のレスラー」と言ったようですが、「最強のレスラー」とは言いませんでした。もちろん、ロジャースは、当時では、世界王者の中の世界王者であったNWA世界ヘビー級チャンピオンになったのですから強かったのは間違いないでしょう。しかし、実力だけなら、もっと上のレスラーもいましたし、ロジャースが世界王者だったのは1年半ほどで、かなり短い方でした。また、ロジャースはイケメンではありましたが、身長は180cmで、207cmの馬場さんと比べてももちろん、190cm前後も多いアメリカのレスラーの中では見栄えがする方ではなかったと思います。そして、ロジャースは世界王者には珍しくヒール(悪役)でした。イケメンでヒールなので、女性ファンには圧倒的に支持され、女性をプロレス会場に来させることでは大きな貢献をしましたが、本来なら、ちょっとした人気レスラーで終わっていたかもしれません。
そのロジャースについて、馬場さんが「あいつは違う」と思ったのは、一緒に電車やバスで移動している時のロジャースの様子を見ていた時だそうです。そういった時には、他のレスラー達は、仲間達とトランプ遊びをしたり、酒を飲んだりしているのですが、ロジャースはいつも何かを考えていました。何を考えていたのか、馬場さんは本人に聞いたことがあるのかもしれません。ロジャースは、いつもプロレスのことを考えていました。どんな試合展開をすれば客が喜ぶだろうかとか、あいつとの試合では前回はこれをやったから今回はこれでいこうとか、とにかくずっと考えていたのだと思います。馬場さんは、「いつも考えているやつとそうでないやつでは、大差がついてくる」と言っていたようです。

1日中考えられるほど熱心になれることが無いなら、大成功なんてことは考えない方が良いでしょう。そもそも、大成功なんてする必要はないと思います。成功は、その華々しい面のみが注目されますが、それは同時に、普通の人には耐えられない重圧と煩いに違いありません。私なら、神様にイチローと交換してやると言われても即座に断るでしょう。
寝ても覚めても考え続けられるほどの執着と共に、強いストレスに耐えるタフさ。それを併せ持ってこそ成功するのだと思います。それと、ある世界的な写真家が言ってましたが、「成功するには、時代にひれ伏すこと。黒子に徹することだ」ということも必要と思います。成功者は、たとえ時代を変えるスターだという幻想があっても、本当は競馬の馬なのかもしれません。



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機械に心は生じるか

新しい記事を、@niftyのココログに載せるのは今回で最後になります。明日以降は、このライブドアブログにのみ掲載いたします。

この世では、どんなものにも終りがあります。
新しい自動車を買って、それまで長く乗っていた古い車を手放したり、長く務めていた会社を辞めたりする時には、誰しも、程度の差こそあれ、寂しいと思うのかもしれません。それを、人間らしい感情と言い、機械との違いであると考えることも出来るかもしれません。

「コレクター・ユイ」という、NHKのアニメにもなった漫画の中で、長く使っていたパソコンを捨てるのが悲しくて、幼い女の子が、夜の廃棄物置き場で、そのパソコンの前で泣いている場面があります。
その時、パソコンはこんなことを考えます。「この子はなぜ泣いているのだろうか?自分は古くなったので、捨てられるのは当然のことなのだが・・・」
パソコンは、この疑問をどうしても解きたくなり、そのことが発端となって、その後、コンピュータネットワークが発達する中で、この女の子の回りで不思議な事件が起こることになります。
他にも、「8(エイト)マン・インフィニティ」という漫画で、幼い少女の姿のアンドロイドに宿った、アンナと名付けられた人工知性体が、自分の命を犠牲にしてまで、このアンドロイドの少女を救った少年の行動にどうしても合点がいかず、少年の行動の謎を解くために、少年にアンドロイドの身体を与えるというものがあります。
ガイナックスの漫画・アニメの「まほろまてぃっく」という作品では、アンドロイドの少女を守ろうとして、強力な戦闘用アンドロイドである自分に敢然と立ち向かってくる14歳の人間の少年の行動に、この戦闘用アンドロイドがパニックを起こします。
こういったお話は、古い時代のものから数多くあると思います。
総じて言えば、人間の感情は、論理的でなく、機械には理解不能ということです。
「スター・トレック」のミスター・スポックの口癖として知られる「人間は非論理的ですね(To error is human)」ということですね。

ところで、機械が意志を持つことが可能かというのは、科学の世界でも大きな論争の的になっているものです。
スティーブン・ホーキングとも並び称せられる世界的数学者・理論物理学者のロジャー・ペンローズは明確な否定派で、人間の脳が意志を生み出す仕組みを解き明かそうとしていますが、科学者の中には、機械が意志を持つというのは、そんなに難しいことでもないと言う人もいるようです。

ただ、こういった問題は、誰の、あるいは、どんな考え方が正解であるかというより、視点の問題に過ぎないという気がします。
自分というものが、皮膚の内側の個別の存在というなら、意志や心はその中にあり、機械に心が生じることはないと思います。しかし、我々は個別の存在として生存することなど全く不可能で、例えば、回りの空気や熱、あるいは、大気層を取り去れば、一瞬でも生きていることはできないことを理解すれば、皮膚の外側のあらゆるものも自分であると考えざるを得ず、意志や心の在りかなど限定できるとも思えません。
脳の中に意志を生み出す量子的な仕組みを見出せるとしても、それは、脳の外を含めた全体との総合的な作用で成り立っていることは間違いないでしょう。

上にあげた漫画作品では、機械が人間の心に興味を持ち、それを解き明かそうとしますが、それは即ち、我々自身が、我々自身の心に興味を持っているというに過ぎません。
物質主義に陥った我々が、その反動で、心に強く惹きつけられていることが、そのような発想が浮かぶ理由なのであると思います。
そして、人の心は大きな謎です。昔から多くの人が言ったように、自分こそが最大の謎というわけです。







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プロフィール
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