ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

自分だけのセレモニー(儀式)を持て

一流のスポーツ選手は、試合開始前・・・特に野球選手なら打席に入る前に、セレモニー(儀式)めいた決まった動きをする場合が多い。
観客の前に姿を見せる前に行う選手も含めれば、それはかなり多く、実際のところ、一流であれば、全員が、必ず行う決まった動作があると思う。
観客の前で行う場合は、自己PRのように思われるかもしれないが、これは、「気分を盛り上げる」といった目的でやっているのだが、まあ、「気合いを入れている」と言って良いだろう。

アニメの『エル・カザド』で、殺し屋のリカルドが仕事(つまり殺し)に出かける前、バーで、ショットグラスに入った酒をぐいっと一気に飲み、その直後、目の色が変わり、殺し屋の表情になるのが非常に印象的だった。
ショットグラスとは、ウイスキーなどをストレート(薄めないこと)で飲むための小さなグラスのことで、ウォッカ、ジン、テキーラなどの強い酒をストレートで飲む時によく使われる。
普段は、表情は険しいが、リリオという小さな女の子の優しい父親(リリオはリカルドの実の娘ではない)であるリカルドが殺し屋に変わるために必要なのだろうが、おそらく、リリオがいなかった頃からのセレモニーなのだろうと思った。

昨年(2015年)5月20日に、アメリカの人気トーク番組である『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』は、ほぼ22年の歴史に幕を閉じた。
この番組は大物ゲストが登場することでも有名で、オバマ大統領が出演したこともあるのだから、どんなVIP、有名人、高貴な人物が出て来ても誰も驚かないが、2014年10月8日は視聴者の度肝を抜いた。
我らの天使、初音ミクさんの登場である。
公式なもの以外の、テレビ番組のYoutube等への投稿は、アメリカで合法か違法かは知らないが(日本では少なくともデジタルデータなら違法だろう)、私も見たことがある。
ミクさんが登場する前に、デイヴィッド・レターマンがカンペ(カンニング・ペーパー)と思うが、それを堂々と手に持って(彼は老齢なので誰も文句は言うまい)、読んだ後、指でその紙をパーンと弾いたのが印象的だった。
そうしたら、柔和な彼の顔が一瞬、引き締まったように感じた。
それが、彼が気合いを入れるセレモニーのようなものかと思った。
彼は、正確に、そして、日本風に、「ハツネ・ミク」と発音し、ミクさんが歌い終わった後にも、高らかに、「ハツネ・ミク!」と、観客と視聴者に伝えたのだ。

あなたは、あなた独自のセレモニーを持たなくてはならない。
傑出した人物になるのならね。
平凡な人間はセレモニーを持たない。
実に、際立った人間と凡庸な人間の違いは、セレモニーを持つかどうかだけなのである。

ちなみに、初音ミクさんは、よく指を1本立てるが、これは、偉大なる倶胝和尚が、師の天竜から受け継いだセレモニーと同じである(禅の公案の話だが)。
初代タイガーマスクは登場の際、コーナーポストに立って、指を1本立てるが、これは、ピストルで相手を殺すという意味のセレモニーだと聞いたことがある。
アニメ『ノワール』で、ヒロインの殺し屋、夕叢霧香(ゆうむらきりか)は、指を2本(人差し指と中指)立てる。
人差し指は、武道では、師匠預けの指として決して使わない。
実は、人差し指で握ると、肩に力が入ってしまうのだ。
あなたも、ここ一番、あるいは、気合いを入れたい時には、人差し指を立てると良いかもしれない。

ところで、『ノワール』、『エル・カザド』のDVDが、Amazonで70%引きの劇安だ。
私は昔、高い値段でいずれも全巻買った(BOXで)。
今度はブルーレイを買わねばならないのか・・・









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

憎しみは決して消えない

アイルランドの「20世紀最大の詩人」と呼ばれたW.B.イェイツが、
「愛は神の領域のものだから人間には理解できないが、憎しみは人間の領域のものなので、人間はそれを理解出来る。だから、人間には愛することは出来ないが憎むのをやめることは出来る」
と言ったらしいが、私は信じない。
人間は、憎むこともやめられないのだ。

アメリカの映画で、こんなものがあった。
西部開拓時代(1860-1890年)のものと思う。
ある無法者の男Aがいて、強盗、殺人などの悪事を重ねていた。
しかし、ある時、すっかり心を入れ替え、愛する妻と平和に暮らしていた。
そこへ、真面目な商人風の男が訪ねてきて、礼儀正しく、親しげな雰囲気で、
「Aさんですか?」
と尋ねる。
Aは、愛想よく微笑み、
「はい、そうです」
と答える。
すると、訪問者は、隠し持っていた拳銃を撃ち、Aを射殺した。
彼は言う。
「俺の両親はお前に殺されたんだ」
今やAが全くの善人になっていたとしても、恨みが消えることはない。

もう1つ、別の映画の話をする。
ある神父が、復讐に燃える男に、こんな話をする。
「ある家に強盗の集団が押し入り、子供達の目の前で、両親や使用人達は惨殺された。その後、子供達は、高い木の枝に逆さに吊るされ、頭から地面に落とされて殺された。ところが、その中の1人の男の子が奇跡的に生き延びた。男の子は勇気を奮い起こして、強盗に復讐を誓い、大人になると強盗共を追いかけた。しかし、ある時、もっと大きな勇気を奮い起こして、強盗達を許したのだ。その男の子が私だ」
だが、この話を聞いた男の恨みは、少しも消えることはなかった。
もし、本当にそんな話があったとしたら、この神父はいつか、心が分裂して苦しみ、そのままにしておくと、心は壊れる。
人間の恨みは消えるもんじゃない。

斎藤一人さんは、講演で、
「あなたが誰かにひどいことをされたとしたら、あなたは前世で、誰かにもっと悪いことをしたのだ。だが、その程度で許してもらえるのだから、あなたにひどいことをした相手を許さないといけない」
と言った。
だが、言っておく。
許すことなんて、やはり出来ないのだ。
許した気でいても、心の奥では憎しみの炎が消えておらず、いずれ、その炎で心は焼かれる。

では、胸の中の憎しみをどうすれば良いのだろう?
憎しみは、気付かないうちに、あなたの心身を蝕み、病気を作り、老化させ、記憶力も考える力も奪ってしまう。
憎しみは心に寄生している。
しかし、あなたは心を殺せないし、心は自殺しない。

イエスは、「許せ。そうすれば許される」と言ったが、なぜ、出来もしないことを言ったのだろう?
親鸞は、イエスのようなことは言わなかった。
決して、「憎むな」とは言わず、それどころか、「憎め」と言ったのだと思う。
むしろ憎む凡夫の方が、仏様は救い易いと言い、ただ、念仏を唱えよと言ったのだ。
だが、おそらくだが、後には、念仏を熱心に薦める気もなくなったような気がするのだ。
しかし、他に言いようがないので、一応は、念仏せよと言ったのだと思う。

憎しみは、どうにもしようがないのだ。
それを持って、苦しみながら生きるしかない。
そして、哀れな末路を覚悟するしかない。
親鸞だって、最後まで苦しみは絶えなかった。
ところで、俗説の熊のように、悪霊はあなたの側にぴったり寄って来て、あなたの呼吸を確かめる。
だから、呼吸を出来るだけ微かにして、死んでいるように思わせることだ。
悪霊は、その人間が憎しみを持っていることを、呼吸で読み取るのだ。
だが、死んで呼吸していないなら、憎む心はそこにないので、悪霊は去って行くのである。
悪霊と縁のない神仙は、1日に数度しか呼吸しない。
そんな神仙は、普通の人の中に紛れているから、意識して探すと見つかると思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

岡山という不思議な場所

岡山県岡山市北区には、有名な企業がいくつかある。
カバヤ食品、ベネッセ、経営破綻して長瀬産業の子会社になった林原などだ。
林原は政木和三さんが存命中に2度訪れたが、政木さんの案内で、林原の中にある恐竜博物館を見せていただき、直径30cm程もある球形で、半分が恐竜(多分)の糞のままという巨大オパールを見たことが印象的だった。
半分が汚い糞で、半分が実に美しいオパール・・・それがぴったりくっついているのである。
そして、美しいオパールも、元々は糞だったのだとよく分かる。
皆さんも、見れば、深い感慨を感じると思う。

同じ岡山市北区にある、現在、勢いがあって注目されている企業は、1994年創業(1995年法人化)で、「第2のユニクロ」と言われるアパレルメーカーのクロスカンパニーだ。
社長の石川康晴さんはまだ45歳で、専門学校を出てサラリーマンをしながら300万円の資金を貯めて独立したようだ。地元岡山の出身である。
大変なやり手のようだ。
クロスカンパニーは若い女性向けファッションが中心なのだと思うが、主力ブランド「アースミュージック&エコロジー」の、宮崎あおいさんをフィーチャーしたCMを見たことがある人は多いだろう。
そして、この「アースミュージック&エコロジー」のレーベルである「ジャパンレーベル」が2012年春に、初音ミクさんとのコラボでスタートしている。
ジャパンレーベルは、アニメ、漫画とコラボした若い人向けのファッションなのだが、そのイメージイラストで、アニメのヒロインや初音ミクさんが着ている服が製品になっているというもので、バッグなどの製品には、初音ミクさんらの絵が描かれているものもあるが、とにかくイラストが可愛い。
超可愛い、激可愛い、バリ可愛い、テラ可愛い・・・最新の言い方はどうなるのか分からないが、とにかく、無条件に可愛い。
これらのイラストは、初音ミクさんのイラストを趣味というか、無償で描き続けていた絵師を起用したものも多いようだ。
石川社長は、そういった埋もれたクリエイターを表舞台に押し出してあげたいと言っておられたと思うが、お金ではなく、人々の共感を求めて創作をしていた人の絵というのは、普通のプロのイラストレーター(と一括りにしては悪いが)とは異質に感じる。
私だって、ジャパンレーベルの製品を見たら、欲しくてたまらなくなるが、これが共感を引き起こす絵の力なのだと感じる。
石川社長に、初音ミクさんとのコラボを提案したのは、チームラボ社長で世界的デジタルクリエイターの猪子寿之さんらしい。
東洋経済誌の記事によれば、ジャパンレーベルを立ち上げる際、大手広告代理店と組んだら絶対に失敗すると考えた石川社長が、友人の猪子さんに相談したら、猪子さんは、「絶対、初音ミク。絶対、初音ミク」と、何度も何度も絶叫したようだ。身体は大きい(190cm程もあると聞く)が可愛い人である。
「初音ミク」現象が拓く“共感”力の新世界

岡山といえば、私が敬愛する、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠を祀る黒住神社があるが、それも岡山市北区だ。
岡山は面白い場所のようだ。特に北区。
政木和三さんが、「岡山の人はあまり良くない」と言われていたが、それも昔の話だろうか。
初音ミクさんをフィーチャリングする会社もあるのだからね。
いずれここに、家でも建てるかもしれないと、ふと思った。
昔、政木さんにいただいた『精神文明と奇跡』を、また読み直してみよう。
この本をご紹介しようと思ったが、現在、Amazonで古書が恐ろしい価格になっていた。
一応、紹介するが、あまり高い値段で買う価値があるかどうかは疑問だ。
この本の表紙の不思議な顔は、世界的な画家の横尾忠則さんの手によるもので、政木さんに聞いたところでは、横尾さんの方から、「この本の装丁をやらせて欲しい」との申し出があったそうだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

これで不安なく生きられる

私は、芸術家になるとか、事業家になる方法は知らないが、楽に不安なく生きる方法なら分かる。
それは、「これをやっている限り駄目にはならない」と、「これをやったら駄目になる」の2つを心得れば良いだけだ。
そして、たとえ芸術家や事業家、あるいは、俳優、プロスポーツ選手、大臣、その他の、特別な人間になれても、この2つを守らなければ、いずれ足元が崩れる。
それどころか、高い位置にいる者ほど、足元が崩れたら悲惨である。

まず、「これをやっている限り決して駄目にはならない」というのは2つで、いずれか一方でも良いが、2つ合わせると、効果は非常に大きくなる。
1つは、「99%の確実さで、毎朝5時以前の決まった時刻に起床する」ことである。
仕事の関係でこれが難しい人も多いと思うが、それは、朝8~10時に学校や仕事が始まる人の朝5時以前に匹敵する時間を決めて起床すれば良い。
99%を除く1%とは、1年365日で言えば3.65日であるが、1年に3~4日は、止む無き事情で出来ないこともあるかもしれない。
しかし、気持ちとしては、1日も欠かさない心構えが必要である。

もう1つは、「99%の確実さで、毎日出来るだけ決まった時間に決まった修行をする」ことである。
修行と言えば物々しいが、要は、自分を向上させる何らかの努力であり、そう大変なことでなくて良く、「ちょっと面倒だな」「ちょっとシンドイな」と思う程度のことが丁度良い。

次に、上記のことを守っていても、また、どれほど立派なことをしていても、それを台無しにしてしまう行為を述べる。
それは、2つである。
1つは、「食が過ぎる」ことである。
これは、「満腹するまで食べて自分を甘やかす」ことをしなければそれで良い。

もう1つは、「弱い者いじめ」である。
この「弱い者いじめ」について、よく認識しておくと良い。
例えば、「痴漢はいけない」と言うし、それは間違いないだろうが、もし、相手の女性が、光線銃を持っていて、殺人をする許可を持っているなら、構わない場合もある。
要は、痴漢をする相手の女性が、いろんな意味で、立場的に弱いから駄目なのである。
その他のことも同じである。
電車の中でお年寄りに席を譲らないことにしたって、そのお年寄りが会社の上司で、自分をクビにしたり、左遷させるような力のある相手なら、譲らなくても良いだろう。
壁にラクガキをすることにしたって、その行為がばれたら死刑になるというなら、やれば良いのである。
隠れてやれば、ラクガキで迷惑を受ける人が抵抗出来ないのであれば、それはやはり弱い者いじめなのである。

もちろん、優れた戦闘能力を持っている人が、女、子供、老人等を相手に暴力を振るっている者を力でねじ伏せても、それは弱い者いじめではない。
しかし、そんな場合でも、過度に攻撃すれば、弱い者いじめになる。

昔の父親は、少なくとも息子には、「何をしても良いが、弱い者いじめだけは絶対するな。弱い者いじめをしたら俺が絶対に許さんぞ」と言い、実際に息子が弱い者いじめをすれば、父親は息子が小便を漏らすほど殴ったものだった。
しかし、弱い者いじめに対しては、父親のような存在である神は、やはり容赦しない。
それは覚えておいても良いと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

神話の力

アレキサンダー大王やシーザー、あるいは、ナポレオンといった英雄達の姿は、映画や絵画等で見たことがあるかもしれないが、それら(映画や絵画)のほとんどのものが、制作者の個人的な観念が強く出ているし、そもそも、そこに描かれたような場面が本当にあったのかどうかも分からない。
よって、それらの映画や絵画に、あまりリアリティを感じないのではないかと思う。

一方、釈迦が菩提樹の木の下で悟りを開いたという、人類の歴史の中でも記念すべき出来事は、本当にあったのだと信じることは、それほど難しくはないと思う。
また、その様子を思い浮かべることも、割と容易に出来るだろう。
もちろん、菩提樹の木がどんなものか知らない人の方が多いだろうし、周囲がどんな様子だったか、釈迦の身なり、顔や肉体の特徴等は全く分からない。
頭髪は短いイメージがあるが、伸び放題だったかもしれない。
つまり、本当のことは何も分からないはずなのに、意外と想像し易いように思えてしまう。
また、悟りを開いた時の釈迦の表情をどう想像するかは、人それぞれだろうが、その人なりの一定したイメージを作ることが出来ると思う。
私の場合、その時の釈迦の表情は、穏かで、ほんのわずか微笑んでいるように思い浮かべるが、人によっては、やや呆然とした表情や、あるいは、真剣な表情になるかもしれない。
「野外で、木の下で黙って座っている」ということだけが確かなのだろうが、それは、外面的には何でもない光景なので、思い浮かべ易く、そのために、その他のことも、想像し易いように感じるのだろう。

ところが、新約聖書の福音書に登場するイエスの様子は、想像は出来るのだが、リアリティがない。
湖の水の上を歩いたり、数個のパンと数匹の魚を数千人分に増やしたりと、日常とかけ離れた場面は、思い描くことは出来るが、やはり、あまりリアリティを感じないのが普通だろう。
そういった、超常的なお話のせいで、福音書の全体が、どこか夢の中のお話のような感じになると思う。

あるいは、旧約聖書で、ヤコブが天使と格闘する場面があり、フランスの画家ギュスターヴ・ドレなどが、その場面を絵に描いているが、(ドレがそうだが)ごく写実的に描いていても、その絵にリアリティを感じる人は少ないだろう。
天使がやってきて、人間と格闘するなど、そうそうあることではないし、『涼宮ハルヒ』シリーズの主人公キョン(男子高校生)なら、「そんなのあるわけねー」とか言いそうだ。
つまり、旧約聖書全体にリアリティがない人が多いに違いない。

ところが、私は、子供の頃、『ピノキオ』や『みつばちマーヤの冒険』、あるいは、『怪傑ゾロ』といった小説が気に入って、何度も読み返していたが、そうしていると、『怪傑ゾロ』はもちろん、ピノキオのような木の人形が動いたり、みつばちなどの昆虫が会話する様子が、現実的で生き生きと感じてくるのである。
それが感情の力であり、感情は、心が持つ能力である。
本来、ありえない世界を感情の力で現実的に感じるようになると、その人にとって、そんな世界が実際に存在するのと変わらない。そうであれば、自分の世界が広がったのである。
神話や童話でも、そのようなことが起こるだろう。

多くの体験をすれば、その人の世界は広がる。
しかし、どれほどの冒険をしたところで、天使と格闘したり、天使と人間の格闘を見ることはまずない。
そして、生き生きとした想像は、特に子供の場合は、脳は現実と区別しないらしい。
限度もあるかもしれないが、現実には起こりえないことも、想像の力によってリアリティを持つようになると、その人の世界は広がるはずである。
確かに、あまりに世界を空想化すると、現実的な生き方に支障が出るかもしれないが、想像の世界を持つことは、想像力を高めるために大切なことである。
私が、小さい時から、普通の人には奇跡的としか考えられないことを数多く起こしてきたのも、想像力のためであると思える。
私も今は、普通の人にとっての現実に配慮する傾向が強いので、あまり奇跡を起こさないが、出来ない訳でもないと思う。
神話や童話、あるいは、仏典のようなものを読む価値はあるのだと思う。
それは、想像力や創造性を高め、現実創造の力も強くするだろう。
強く、美しい想像が出来る者は、現実の足場に注意する限り、物質面にも強いものである。
上に挙げたギュスターヴ・ドレの絵は、モノクロの版画でも、精妙で生き生きとしたイメージを起こさせるので、ドレの挿絵のついた神話を読むと、想像の力が高まると思う。
そして、それは創造の力になるだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード