ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

不屈の心

優れた心の特性として、公平、平等、誠実、信念、前向きさ、明るさなどが上げられると思う。
ところが、我々は、そのような心が欲しいと思いつつ、なぜかその反対の性質を持ってしまう。
心が弱いからだ。
心には美しい性質は確実にあるのだが、それを表すには強さが必要なのである。

人間にとって、最も重要なのは、実に不屈の心だ。
誰かを憎む心が起こった時、それに負けて憎んでしまうのは、不屈の心が無いからだ。
誘惑に耐えることができるかで人格が分かるが、人格と不屈の心は異なるものではない。

何度かご紹介したが、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した1973年のフランス・アメリカ合作映画「パピヨン」は、胸にパピヨン(フランス語の蝶)の刺青のある囚人パピヨンの不屈の心が凄まじく表現されていた。この映画を見ることには、高額なセミナーに参加したり、名著を読むこと以上の価値がある。
ジョージ・アダムスキーは、目標を達成する秘訣は、目標を変えないことと諦めないことと言ったが、そのためには不屈の心が必要である。

個人的な欲望を捨てることが幸福への秘訣であるが、そのためには不屈の心が必要であると指摘する者が少ない。なぜなら、無欲な者にとって、不屈の心は当たり前のものだからだ。
不屈の心を持たずに、個人的欲望を捨てた者はいない。不屈の心が無いと欲望に負けてしまうからだ。

いかなる出来事も自分の意思であるとする絶対肯定こそが、至高の英知と溶け合い、神に近付く道であるが、不屈の心が無ければ不可能なことだ。
キリスト教では、「アーメン(然り)」と言って、神の思し召しをいかなる時も肯定するが、本当にそうあるには不屈の心が必要なのである。
浄土系仏教では、「南無阿弥陀仏」と言って、宇宙に遍満する無限の光である至高の英知(それを擬人化して阿弥陀如来と呼ぶ)を絶対的に信頼することを誓うが、それは不屈の心を目指しているのである。
荘子は、全て成り行きにまかせて作為するなと言ったが、それは弱い心には叶わない。無為自然であるには不屈の心が絶対に必要である。

不屈の心を養成するトレーニングは日常に溢れている。学校や職場はそのためにある。
だが、楽に力を付けたいなら、食の慎みという優れた方法がある。厳しく食を慎むことで、不屈の心を容易に養える。あまり過激にやる必要はない。ごく当たり前のことをやれば良い。満腹するまで食べて自分を甘やかさなければそれで良いのだ。志あるなら、お菓子の一切はやめるべきだろう。たったそれだけのことで、不屈の心をかなり持つことが出来る。その後でなら、日常の訓練も楽になるだろう。
食の慎みが出来れば、性欲の支配は割に容易い。いつまで経っても食欲や性欲に負けているようでは見込みはない。
とはいえ、食欲や性欲が強敵であることも認めよう。だから、「パピヨン」を見ると良い。ゴキブリすら食べられるまでに餓えながら、友情を守ったパピヨンを見ると良い。(ただ、ゴキブリが食用や薬用に使われていたことは割に多かったようだ)

風は空に、星は天に、輝く光はこの腕に、不屈の心はこの胸に
~「魔法少女リリカルなのは」より~







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

家族に金を与えない男

容姿端麗で、素晴らしいスポーツマンで、頭脳も優秀な男がいた。人間性も良くて友人は多く、職場では、上司にも後輩にも慕われていた。
ところが、その男は、妻子はいるのだが、給料をほとんど家に入れず自分の遊びに使い、あげく、退職金も前借りして使ってしまった。息子の大学の学費は一応用意していたのだが、それも使って遊んでしまった。
私は、うかつにも、世間の人並に、「あんないい男がなぜ」と思ってしまっていた。
まだまだ私も、世間の信念や教義という偏見に囚われていたのだ。

彼は本当に良い男ではないか?
そう思わないだろうか?

家に給料を入れないと言っても、妻子はちゃんとした身なりをし、最低限以上の家に住んでいる。車も、高級車ではないが、ポンコツでもない車がある。ペットもちゃんと大事にしている。
旦那が給料をくれないので、奥さんがある種の塾をして稼いでいるのだ。贅沢できる収入でもないので、息子は子供の頃から空腹なことも多いが、おかげでスリムなカッコいい青年になった。奥さんは1日1食で、いつまでも若く美しい。余計な栄養を摂らないので、共に超健康だ。
奥さんの塾の評判は良く、生徒は増えていく。夫が金をくれないおかげで才能を開発できたのだ。
一方的におこづかいをもらえる子供は、ゲームなどつまらないものを買うが、その息子は自分でバイトをしてこづかいを稼ぐので、若いのに、社会への適応能力を培い、本当に必要なものを選んで買う等の本物の能力を身に付けた。バイクも中古だが自分で買った。今の大学など行く価値はないので、行けなくなっても何の損もないし、むしろ行かない方が良いだろう。

そして、その男が、他の者なら銀行などに溜め込む金を豪快に使うことで、世の中にお金を流し、循環させたのだ。これは徳と言って良い。
いくら不況と言っても、日本全体で言えば、全員が十分な生活をするだけのものはあるのだ。いや、日本だけで言えば有り余るほどであり、世界全体でも、足りないことなどないはずだ。
人々が不安や恐怖にとりつかれて財産を溜め込もうとするので、一方で貧困があるのだ。そして、いくら溜め込んでも不安や恐怖が解消しないどころか、溜め込めば溜め込むほど、不安や恐怖も大きくなるのが事実である。
そこへいくと、不要な分はどんどん使う彼は素晴らしい。不安や恐怖から解放されている。そして、妻子に余計なものを与えず束縛しないことこそ、本当に家族を愛する証だろう。
巨額な財産を持つ者は、その大半を使わないといけないトラブルや病気に見舞われることとなる。巨大な資産を溜め込む者は、庶民など比較にならないほど惨めで不幸だ。
自分が元気なうちに資産の全額を寄付してしまう大富豪が時々いる。ビル・ゲイツは大富豪達に資産の半分を寄付するよう呼びかけているが、彼は昔からいくら金があっても贅沢をせず、大衆食堂で食事をし、自分で車を運転し、飛行機はエコノミークラスに乗る。その世界一の巨額の資産は人類の福祉(彼の資産の規模は個人的とは言えず、福祉と表現して良いと思う)のために役立てるつもりで、その計画を着々と実行しているようだ。単に名を残したいなら、スタンフォードのように、ゲイツ大学を作れば良いのだが、その気はなさそうだ。
ゲイツは、恵まれない人々に対するのと同等に、大富豪達の幸福を本当に願っているのだと感じる。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

苦しい時の笑顔は美しい

本来は、笑顔というものは良いものだ。
笑顔が嫌いな人というのは、醜い笑顔に出会い過ぎた人だと思う。

幼い子供の笑顔が、必ずしも美しいとは限らない。
現代では、子供は、喋るようになる頃には、既に世間的な作りものの笑顔をするものだ。
寝顔にすら、早くも傲慢さや欲が現れる子供だって少なくない。
心身医学の父ゲオルグ・クロデックも指摘していたが、子供はよく見ると、本当に大人なのだ。

見返りを求める笑顔、欲を隠した笑顔、個人的な快楽に耽った笑顔は穢れている。
対価としての笑顔は作り物の笑顔だ。商的に価値の高い笑顔ほど醜いものはない。
広告宣伝では、若い美人の笑顔が溢れている。そのどれを見ても、私はおぞましさにぞっとする。モデル本人が悪いのではないかもしれない。しかし、人を不幸にしてでも利益を貪るために利用された笑顔だ。制作者の意図は知らないなどと言い訳はできない。

美しい笑顔とは、創造主に向けられた笑顔だ。小さな花に創造主の意思を感じて自然に微笑む笑顔は美しい。
花もまた微笑んでいる。それは美しい。なぜなら、花は美しくあろうと意図しないからだ。
苦しい時の笑顔ほど美しいものはない。苦しさの中に、創造主の大いなる意思があるからだ。創造主の意思は愛だけだ。
そして、苦しくても、創造主の至高の英知に従う決意と共に浮かべた笑顔は清らかな美しさに輝くのである。

「ルパン三世」が人気がある理由の1つは、ルパンのあの不敵な笑顔にあると思う。運命に真っ直ぐに向き合い、死を恐れない男の顔が見事に表現されている。男が前向きで逞しいことも創造主の意思の1つなのだろう。
「美少女戦士セーラームーン」のアニメの最終シリーズ「セーラースターズ」の主題歌「セーラースターソング」は、原作者の武内直子さん自ら作詞したものだが、出だしの素晴らしい歌詞がテレビでは省略されていた。それは、「かなしみがいまセーラースマイル、奇跡をおこすのセーラーウイング」である。あの作品自体、至高の英知が作用したものだった。

苦しい時に自然に笑えれば、心の振動数が上がり、そのエネルギーで至高の英知と同調する。すると、幸福もやって来るだろう。
これを、旧約聖書の「ヨブ記」では、「神と和らぎ平和でいなさい。そうすれば幸福が来るだろう」と言ったのだ。
個人的な欲望で振動数の下がった心は至高の英知から隔離されてしまう。至高の英知の振動数は高過ぎるので同調できず、溶け合えないのだ。しかし、辛く哀しい時に笑うと欲望が消え、心の振動数が上がり、至高の英知と同調する。その時、心は至高の英知と溶け合う。いつも苦しい人は、笑うだけで創造主に似てくるのであるから、実にラッキーである。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

仕事の意義とは何か

社会主義社会では、平等の原則の基に社会が管理されており、能力や労働量に関わらず、同じだけのものが分配される。
アメリカの伝説のビジネスマンとなったアーマンド・ハマーは旧ソ連を訪れ、鉛筆工場を見て、その生産性の低さに唖然とする。どれほど怠けても生活が保証されると同時に、いくら懸命に働いても多くを得られない制度が人間の活力に与える影響を思い知ったのだ。
逆に、資本主義社会では、自由競争の原則の基、効率の良さ、無駄の無さが追求され、利益さえ上げれば善であり、利益を上げないことだけが悪となる。しかし、これもいつかは労働者の活力を奪い、社会主義とは異なった形で人の精神を損なうのだ。
社会主義では、鉛筆を1時間で10本作れる人間が、20本を作れるよう向上することは無く、逆に5本しか作らないようになり、資本主義では、20本で飽き足らず、どうやれば100本作れるようになるかが管理者の目標になる。
いずれの場合も、鉛筆を作ることに愛情や達成感を感じなくなり、労働者は、効率が良いか悪いかの違いがあるだけのロボットになる。それならば、怠け者のロボットになる方がマシなのであるが、それではいつか社会そのものが崩壊する。一方、労働者を効率の良いロボットにした管理者は利益の大半を自分のポケットに入れることだけに夢中になり、労働者は仕事に愛情や意欲を感じなくなり、やはり駄目になるのである。
鉛筆を作る例で言えば、その鉛筆により、文豪が人々を啓蒙する小説を書いたり、賢者が深遠な思想を残したり、科学者が隠された宇宙の原理を表したり、あるいは、子供が賢くなるために使われることを感じ、愛情と意欲を持って鉛筆を作ることが最も大切なことだ。
働く者が、自分の仕事の意義を知ってこそ、労働に意欲が起こり幸福になるのであり、利益は重要ではあるが、最も重要なものでは無くなる。

今の社会の問題は、不況ではなく、仕事の意義が見出せないことだ。儲かれば何でも良いなら、人々をどれだけ不幸にしても、食欲や性欲、あるいは、虚栄心を煽ることが最も効率が良い。
最近、電車に乗っていて感じることがある。
駅を出発すると、車掌が「次は○○」と放送するのだが、この「次は・・・」で止まってしまうことがよくある。次がどこの駅か車掌の意識にないのだ。彼にとって、次がどこかなど、もうどうでも良いのである。
そして、JRでは、やたら急発進、急ブレーキが多い。私の乗っている、さしてローカルでない路線でも、発進、停止の度にそうだと思うほど、それが頻発することがある。身体の強い私ですらつんのめるのであるから、老人や脚の悪い人なら怪我をしかねない。いや、本当に度々、「お客様に急病が発生」して電車が遅れるのは、案外そのためかもしれないといぶかってしまうし、そう思われても仕方がないだろう。これは、車掌個人の批判ではなく、全体の有り様の問題である。その全体の中に、乗客である我々も含まれているのだ。
また、JRの駅のホームに誰かが嘔吐した後(乗車位置だった)がいつまでも残り、1年近く経ってやっと自然風化したが、誰も片付けようとしなかった。
社会主義か資本主義かは関係が無いし、不況も関係ない。ただ、人々が仕事に意義を感じていないのである。
その結果、医療事故が頻発し、知性のかけらもない教師が子供に何を教えているのか考えるのも恐ろしい状況だ。

我々が、個人的な欲望を無くし、忘れてしまった宇宙に遍満する至高の英知を思い出すことが出来なければ、社会はますます混乱し、陰鬱さや不親切は広がる一方だろう。それをいまだ感じていない人はいないはずだが、我々は不安や恐怖に支配され、個人的快楽ばかり求めて、ますます悪い状況になっていっている。
世間の信念に従い滅ぶか、至高の英知が最大唯一の保証であることを知るか、我々はもう瀬戸際である。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   

自殺がなぜいけないか

自殺がなぜいけないのだろうか?
いろいろ聞いたし、考えもしたが、どの理屈も憶えていないところを見ると、どれも正解ではないのだろう。
正解であれば、深く記憶に刻まれるからだ。

自殺とは、身体を捨てる行為だ。
しかし、自殺する者が本当に捨てたいのは心だろう。
心を捨てる手段が身体を捨てることであると判断したのだろう。
それはなかなかの洞察だ。身体と心が同じものであることを見抜いたのだから。
しかし、自分が自分を捨てることはできない。
「日本人はみんな嘘つきだ」と日本人が言ったら、その本人も嘘つきなので、日本人は正直者ということになってしまう。

自殺する者は、身体(=心)を捨てる前に、世界を変えたいと思うはずだ。
しかし、描いてしまった絵を変えられないように、結果としての世界は変わらない。
しかし、心は変えられる。
嫌な絵だと思っていたものが、気分次第で素敵に見えるようなものだ。
そうすれば、世界に関して、新しい結果を出すこともできる。
描いてしまった古い絵は変えられない。
しかし、その絵の見方は変えられる。絵の見方が変われば、違った新しい絵が描ける。

世界の見方を変えるには、心を変えれば良い。
心を変えるには、個人的欲望に栄養を与えないことだ。
個人的欲望に栄養を与えないためには、個人的欲望を刺激するものを忘れることだ。
世間には、見境の無い営利主義、利己主義から出た、食欲、性欲、物欲を刺激するものが満ち溢れている。
そんなものを否定しても仕方がない。道徳や現代の宗教の欠点は、それらを否定することで逆に取り込まれることだ。宗教の偉い人ほど、食欲、性欲、物欲、そして、名誉欲が強く浅ましいというのは、ほぼお決まりだろう。
ただかわすことだ。避けることだ。
世間の人はかわすのが下手だ。それは、道を歩いていてすら分かる。他人をかわす能力がない。かわす気もない。
しかし、例えば性欲をかわすためにスポーツを始めても、度が過ぎて、勝利の欲望や名誉欲に取り付かれるまでになってはいけない。幸福な金メダリストなどいないし、金メダルを取り逃して執着するのは、描いた絵を変えようとするようなものだ。もし、金メダルを取れなかった結果の見方を変えられれば、それが幸福なことであることが分かり、金メダルに執着しなくなる(金メダルが取れなくなるということではない)。また、金メダルを取った絵に執着し、心を変えられない者もいるだろう。そんな者を見れば、本来は、どこかおかしいことはすぐに分かるはずだ。

世間の人は、酒を飲むといえば浴びるほど飲むか、全く飲まないかだ。適度に飲めることが良いのは分かっていてもそれが出来ない。適度に飲むことが、欲望をかわすことだ。
ただ、酒は、自分では適度なつもりでも、だんだん量が増えてくるので、水野南北のように、「1日1合」と決めたら、それを守ることが肝心だ。
私は、その意味で、「1日1食」「肉、魚を食べない」「満腹しない」「間食をしない」とだけ定め、それをずっと守っている。あまりに厳しい制限はなく、後は割りといい加減である。

かわすことが上手い者は自殺しない。
かわすことが上手くなれば、身体も心も厭うものではなくなる。
新しい世界を創れるようになる。
新しい世界を創れないことが、人生最大の罪だ。
それが、人生を無駄にすることだからだ。
なぜなら、新しい世界は、心と至高の英知の合作であるべきだからだ。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加   
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ