ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

真の柔和さは全くゆるんでいない心から生まれる

柔和な顔にも2種類ある。
1つは、慈愛に満ち、精妙な光を放ち、周囲を落ち着かせる本物の柔和な顔である。
もう1つは、それに似ているかもしれないが、品のない、腐った感じのする、薄気味悪い、形だけの柔和な顔である。
前者を「高貴な柔和さ」、後者を「卑しい柔和さ」と言う。
高貴な柔和さとは、常にゆるまない者が持つ、引き締まった、集中力ある柔和さで、仏様や菩薩様、あるいは、聖母マリアの柔和さである。
まさか、仏様の柔和な御顔を、ゆるんでいるなどという馬鹿はいまい。
世の中には、ギャグで描かれた仏様のゆるんだ顔でもあるのかもしれないが、それを本物の仏様と思うおかしな人もいまい。

初音ミクさんが様々なコンサートで見せる、少しうつむいた御顔が美しいが、当然ながら、ゆるんでいるのではなく、逆に、引き締まっているから、あの柔らかさ、美しさなのである。
インテックス大阪で開かれた『マジカルミライ2014』で、私が大好きな『心臓デモクラシー』を歌い終わり、美しい引き締まったお顔でお決めになられた初音ミクさんが、すっと表情を和らげ、「大阪のみなさん、コンバンハー!」と挨拶する。ふんわりとしたお顔ではあるが、もちろん、ゆるんでいるのではなく、慈愛で集中しておられるのである。
2013年の『夏祭初音鑑』のコンサートで、『Tell Your World』を歌われる前の、初音ミクさんのうつむいた横顔は、天使の優雅さと慈愛の光を放っていたが、あれこそ、小さなゆるみ1つない、集中の美である。

私が買った、近藤真彦さんの唯一のCDである『ミッドナイト・シャッフル』の中に、「天使のような悪魔の笑顔」という、おそらく多くの人が覚えておられるだろう、印象深い部分がある。
天使のような悪魔の笑顔はゆるんでいるので、すぐに分かる。
しかし、ゆるんだ人が見たら、天使と悪魔の違いが分からないのである。
三流の詐欺師はゆるんでいるので、すぐにバレる。
しかし、一流の詐欺師は引き締まっているので、見抜くのが難しい。しかし、必ずゆるむ瞬間が何度もあるので、そこを見逃さなければ騙されることはない。
スキのない詐欺師とは、自分の利益のためにやっているのではなく、大きな使命として行っているのである。
賭博師も同じである。
大勝負では集中し続けた方が必ず勝つ。逆に、先にゆるんだ方が必ず負けるのである。
『バガヴァッド・ギーター』でも、神クリシュナは自分のことを、「詐欺の中の大賭博」と言うのである。
あなたも、運命により詐欺師や賭博師になるなら、超一流になることだ。
いかなる道でも、一流になるには、常にゆるまず、心を引き締め続けることである。

人生で勝つ秘訣、幸福になる最大の秘法は「ゆるまない」ことだ。
様々な心の締め方があろう。
額や、下腹部、あるいは、心臓に意識を常に集中する超人もいる。
常に口に呪文や念仏を保つ仙人や聖人もいる。
しじま(沈黙)の化身のような、心も口も静まり、行動はするが音のない聖者もいる。
たゆむことなく、「私は誰か?」と自問する清らかな修行者もいるだろう。
毎朝、あるいは、時間があればいつでも聖典を読み、1日中、その印象の中でゆるまず過ごす人は天使のようだ。
こういった、ゆるまない人々は、仕事をしても、交友をしても、淡々としており、結果に執着しない。
結果、仕事はうまくいき、交友は爽やかであり、そのような恋人と過ごす瞬間は宝石のようである。
常に引き締まった顔で、理想に心を向け、決してゆるまないことで、全ては得られるだろう。









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最大の魅力にして最強の武器「目力」のつけ方

男も女も、最大の魅力は「目力(めぢから)」である。
そして、自分の目力の強さが人生に与える影響は計り知れない。
アメリカにポール・ニューマンという美男の大俳優がいたが、彼の魅力は顔より、「目尻のシワに決まっている」と言われることがよくあった。
彼に限らず、男の魅力は、少々年を取った時に出来る目尻のシワの渋さである。
しかし、それはあくまで、目力あってのことなのだ。

女性の目力は国の存亡すら左右する。
なぜなら、いかなる英雄も、目力のある女性の意のままなのだからだ。
クレオパトラの魅力が鼻であると思っている人が多いかもしれないが、そうではなく、シーザーを虜にしたのは、彼女の目力に違いないのだ。
15歳の彼女の目力は、51歳の落ちぶれた地方の小兵団の大将に過ぎなかったシーザーの生命力を燃え立たせ、彼を希代の英雄にした。
単なる美少女にそんな真似は出来ない。

言うまでもなく、目力とは、化粧品のCMにあるような、アイラインやアイシャドウなんか全く関係がない。
目力を創るのは意思の強さなのだ。
内面の意思の強さが目から放たれ、計り知れない圧力を生むのである。
ダイアン・フォーチュンの書にある通り、「神とは一言で言えば圧力」なのである。

『神様のメモ帳』という小説で、アイドル歌手の少女が、この物語のヒロインであるアリスに会った後、アリスについて、テレビの人気アイドルなんかよりずっと目力があると言う。
アリスは、ニート探偵で、見かけの年齢は11か12の、じっとしていたら人形にしか見えない美少女だ。
しかし、アリスは、ドクターペッパー(最古の炭酸飲料)以外、ほとんど口にしないし、全く外出せず、1日中パジャマを着てネット検索しているのだから、身体は極端に弱い。
しかし、アリスの頭脳は天才で、ネットとコンピューターの達人でもある。
だが、それよりも、彼女は超人的な意志力を持っているのだ。
そんな彼女の目力は、ヤング・マフィアや元ボクサー、その他、一癖も二癖もある連中を従えてしまう。
ところが、アリスの周囲に現れた人間で、ただ一人、彼女の目力が全く通用しないのが、この小説の主人公で、高校1年生の藤島鳴海(ふじしまなるみ)という、特に秀でたところのない平凡な少年だった。
性的なことに関しても知識だけは完全なのに(そうでないと探偵は務まらない)、自身は超ウブなアリスが鳴海に恋してしまったのかもしれないが、鳴海はアリスが女には見えないようだ。まあ、ロリコンでもない限り、そうだろうが。
だが、鳴海だって、静かだが深い目力があるのだろう。
だからこそ、アリスもだが、あらゆる凄い人達が、なぜか、この何の変哲もない平凡な少年に過ぎない鳴海に惹かれてしまうのだ。

よろしいだろうか?
状況を生み出すのは意思の力なのだ。
『8マン インフィニティ』という、1963年の『8マン』の正統な続編として2004年から連載されていた漫画で、8マン・シェイドこと、ケン・ヴァレリー(ケン谷)が、こんな名セリフを言う。

戦いは、速さではない。また、火力でもない・・・
勝利するのは、自ら状況を生み出す者。より強い意思を持つ者だ

人間の目には、この意思の力が現れる。
だから、目力ほど重要なものはない。
そして、目力に現れる意思の強さを育てるのは、集中し続ける心、つまり、ゆるまない心なのだ。

ゆるむことを拒否し、常に立ち続ける者が、強い意思の力を作り上げ、世界すら征服するのである。
至高の目力を持つ初音ミクさんが世界を導くようにである。
だから、最近、このブログで特に強調しているが、あなたは心を締める鍵を必ず持ち、決してゆるんではならない。
『神様のメモ帳』を読めば、ゆるまない人間について、いくらか学べると思う。









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リラックスなど絶対に不要だ

人間は片時もゆるんではいけないと言うと、当然のことだが、
「人間は心身をリラックスさせないと、疲弊して壊れる」
などと言う者が多いだろう。
それで、ろくに疲れもしていない暇人が、なおいっそうゆるんで、堕落し、すっかり駄目になっているのである。

はっきり言っておくが、人間にリラックスなどというものは必要ない。
そりゃ、疲れたら休めば良いが、1日4~6時間ほど、しっかり寝れば良いだけだ。

「これを使えばリラックス出来る」という、様々な商品がある。
高価なものになると、パンフレットに、美しい男や女のモデルが、その製品を使って「リラックスしている」様子の写真がある。
だが、その写真のモデルさん達は、完全に引き締まっており、ちっともリラックスしていない。
だからその写真の男女の様子は格好良いのだ。
そうだろう?
もし、本当にリラックスした一般人の写真を載せたら、あまりのみっともなさに、たとえ10円でも、誰もその製品を買う気にはなるまい。
しかし、その製品の本当の効果とは、当然ながら、カタログの素敵な美男美女のようになることではなく、「とてもじゃないがお見せ出来ない」みっともないリラックスした様子になることであることは、よほどの馬鹿でない限り分かるはずだ。
そんな嘘の製品の何が良いのだろう?
よく考えなさいと言いたい。

実際、本当にリラックスした醜悪な宣伝写真を見たことがある。
ある世界的な瞑想法の広告写真だったと思うが、とある有名企業の名を出し、「我々の瞑想は、この会社で導入されています」と宣伝されていた。
スーツ姿のおじさん達が集まり、座って目を閉じて瞑想している。
その間抜けさ、格好悪さ、醜悪さは記録破りだった。
その写真を見て、自分もその瞑想をやりたいと思う者のセンス(感覚)を疑う。
そんな者は、決して企画課みたいなところに入れないように。
そのような、阿呆な宣伝写真を使うだろうから・・・

そもそも、relax(リラックス)という言葉は、re(再び)、lax(だらしない)状態になるという意味だ。
つまり、ほとんどの日本人は(ひょっとしてアメリカ人も)、知らずにだろうが、リラックスという言葉を正しい意味で使っているのだ。
「リラックスしよう」というのは、「いつも通り、だらしなくなろう」という意味なのである。
だらしなくなれば、堕落の道、墓場への道を一直線というのは当たり前のことであるが、皆、喜んでその道を駆け下りているのである。

私はある年の、12月の半ばくらいから、翌年の5月末近くまで、年末年始、そして、ゴールデンウイークも含め、1日も休まず、朝7時半から深夜0時近くまで猛烈に働き、倒れたことがあった。
間違った努力をした結果、ゆるんでしまって倒れたのだ。
私がその時やるべきことは、リラックスではなく、正しい努力に切り替えて、心を締めることだったのだ。
一頃、超売れっ子だった音楽プロデューサーを特集したテレビ番組があったが、彼は、定期的に心身のメンテナンスのために、徹底してリラックス出来る、ある場所があって、そこで特別なマッサージを受けて、すっかり弛緩し、その後、おにぎりをほお張る様子が映されていた。
個人的な感想を言わせてもらえれば、普段、格好良さを装っている彼が、非常にみっともなかった。
当然ながら、彼はその後、転落、逮捕・・・となったが、覚醒剤には到らなかったながら、最近話題の、元スポーツのスーパースターのパターンと同じと思う。
間違った努力、間違った過ぎた報酬、間違った生活態度、間違ったプライド、間違った快楽・・・その結果、ゆるんでしまい、駄目になるのは当たり前のことではないか。

偉大な人間だって、まとまった休暇は取る。
それはリラックスのためではない。
どうしても世俗に関わる以上、不自然なことをせざるを得ず、歪んでしまい、結果、ゆるんでしまうのだ。
彼らは、ゆるんでしまった心を締めるために、一時、世俗を離れるのである。

「緊張に晒されて、心も神経もクタクタだ。それでも休んではいけないのか?」
と言われるだろうか?
単に眠れば良い。
「いや、ストレスが大き過ぎて、夜も眠れない。酒を飲んでも駄目なのだ」
などと、知ったようなことを言うかもしれない。
土台、「ストレスがたまった~」「ストレスきついっすよ」などと言う者の心が締まっているなんてことがあるだろうか?
単に、心がゆるんでいるだけである。
心がゆるめば、人間は不快感を感じ、心身が歪んでくるものなのだ。
結果、確かに熟睡出来ない。
上で述べた、私が半年近く、間違った仕事のやり方でゆるんでしまった時も、よく眠れなかったのである。

苦しい状況、辛い状況は誰にでもある。
そんな時こそ、心を締めることで、エネルギーを高めなければならない。
そのために、私がいつも言う、心を締める鍵を持っていなければならない。

このブログでお馴染みなのだが、私の職場のまるで駄目男君が、うなだれて苦しそうな顔をしながら、「逆境に耐えています」と言う。
昔の時代であれば、一発張り倒してやった方が彼のためかもしれないと思うが、今の時代、そんなことをすれば逮捕される。
言うまでもなく、まるで駄目男君の問題は、ゆるみ過ぎなことだ。
社会全体が、人々を、ゆるむ、まったりする方向に流し、まるで駄目男君みたいなのが、ますます増えているはずだ。
だが、あなたはそんな罠にかかった哀れなウサギにならないために、心を締める鍵を持っていなければならない。









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ゆるんだ者とゆるまない者の間につく恐ろしいまでの差

純粋にして、あまりに明晰なことは、成功の秘訣が「ゆるまない」ことであることだ。
私は、子供の時は、無意識にその秘訣を使い、沢山の不思議を起こしたが、無意識的であっただけに、大人になるにつれてゆるみ勝ちになった。
人間とは、放っておいたらゆるむものだからだ。

善か悪か、欲深か足るを知るか・・・そんなことは何の関係もない。
ゆるまなければ、必ず願いは叶う。
確かに、ゆるまないことは、人間にとって難しい。
だが、ゆるまないことが成功の唯一の秘訣と知って意識的にやれば、そんなに難しくはない。

昔の日本人は正座をしていたのが良かった。
西洋のソファーみたいなものと違い、正座は、背もたれやクッションに寄っかかってゆるむことが出来ない。
1日中正座していた昔の日本人は、ゆるむことがなく、運動なんかしなくても、腹筋、背筋が鍛えられていただけでなく、心もゆるまず、神仏を感じることが出来たのである。
昔の日本の偉人は、今日では考えられない凄いことが出来たのも、正座のおかげと思う。
私は、正座はしないが、せめてものこととして、自宅でも、オフィスでも、電車でも、椅子に座る時は、決して背もたれにもたれないことにしている。
立っている時は、背筋を伸ばして、良い姿勢でいる。
初音ミクさんをイメージしてである。

我々は、それぞれ、自分のやり方で、ゆるまないようにしていれば、いかなることでも出来る。
『倶胝竪指(ぐれいじゅし)』という禅の公案の中で、倶胝という和尚さんは、何を尋ねられても、指を一本立てるだけだった。
指の力をゆるめれば指は立たたない。
だから、指を立てて見せ、「このように、ゆるまずにいなさい」と、倶胝は教えていたのだと思う。
我々も、気がつけば指を立て、ゆるまないことを思い出し、心を締めれば良い。
これも、ゆるまないための優れた1つの方法である。
倶胝は師匠の天竜に、この秘法を教わり、臨終の際には、「天竜先生から教わった一本指の禅は、一生で使い切れない大きなものであった」と言ったのである。
そういえば、『マジカルミライ2014』で、初音ミクさんが、アンコールも含めた最後の最後の曲、『39』を歌い終わり、大観衆の声援に力一杯応えた後、凛々しいお顔で、高く挙げた右手の人差し指を、びしっと伸ばした姿が美しくて忘れられない。
私は、あのミクさんの輝かしい姿を忘れず、一生瞬時もゆるまないと決めたのである。

ジャイアント馬場さんは、「最高のプロレスラーはバディ・ロジャース」だと言った。
「最強」なら、おそらく、ルー・テーズだろう(テーズ自身は、お世辞でなく、師のエド・ルイスが最強と言う)。
しかし、「最高」はロジャースなのだ。
馬場さんがアメリカで修行していた若い時に見た、次の試合会場にレスラー達が電車で移動する時の様子について本に書かれていた。
アメリカのレスラー達は、一緒に酒を飲んだり、ゲームをしたり、雑談したりしているが、ロジャースはそんなものに加わらず、ずっと、次の試合をどうするか考えていたらしい。
馬場さんは、「ずっと考えている人とそうでない人では、そりゃ、差がついていく」と述べておられた。
そして、重要なことは、ロジャースは、他のレスラー達がゆるんでいる時も、決してゆるまなかったということだ。
ゆるまなかったからこそ、ロジャースは、馬場さんをして、「最高のレスラー」と憧れるほどの存在になれたのだ。

野球で、巨人やヤンキースでは、選手達は、常に紳士であることが要求されるようだ。
素晴らしいことである。
いつ見られても紳士であらねばならない選手達は、決してゆるむことがなく、それで、人間的に立派になるだけでなく、ずっと向上するのである。
ところが、ヤンキースはともかく、巨人では、ある選手は大変に人気があるからと、紳士とは言えない服装やアクセサリーを黙認した結果、その元スーパースターは、大きくゆるんでしまい、再起不能なほどに転落した。
一方、松井秀喜さんは、若い時から、オッサンくさいと言われるほど、高級ブランドのスーツを着、発言、態度は常に紳士だった。
あなたも、神の血縁であるという自覚を持ち、それに恥じない言動をするべく、心を締め、決してゆるんではならない。
それが神に近付く良い方法なのである。









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真の大物に愛される本物になるには

物語の中の、磨きぬかれて知恵があり、完成した存在であるようなヒーローやヒロイン、あるいは、その師匠格の者の前に出たら、我々は、あからさまに見下されることはないかもしれないが、あまりに価値が無いので、石ころと変わらない扱いを受けても・・・石ころとして大事にはされても、それよりは0.1ミリも重要視されないとしても、何の文句も言えないだろう。
例えば、相手が、『スター・ウォーズ』のヨーダやオビ=ワン・ケノービであった場合である。
私としては、『灼眼のシャナ』のヒロインであるシャナや、彼女の師であり父であり友であるアラストール、あるいは、山岸涼子さんの漫画『日出処の天子』(1980-1984連載)の厩戸皇子、つまり、聖徳太子らが、まさにそのような存在で、彼らなら、悪意はなくても、当然のこととして、露骨に見下してくれることだろう。
『灼眼のシャナ』で、初めてシャナやアラストールと会った時の、坂井悠二(主人公の一人。高校1年生)がまさにそうで、シャナに「コレ」と呼ばれて悠二が憤慨し、「何だよ!コレって、人をモノみたいに」と言うと、シャナに、「そうよ、お前は人じゃない。モノよ」と言われる。まあ、悠二が既に死んでいたからであるのだが、悠二の器の小ささのためもあったのである。

さて、そんな「真の大物」達に、一目置かれるためにはどうすれば良いだろう?
世間でいう大物・・・大経営者や大俳優、あるいは、スポーツの金メダリストやスター選手であったところで、俗物であれば、彼らはやはり、道端の犬の糞以上の扱いはしない。
つまり、『荘子』や、新約聖書の福音書のイエスが度々言っていたように、世俗の大人物など、神仙の目や天の基準で言えば、凡人と全く変わらないばかりか、自惚れていると凡人より劣るのである。
だが、我々、世間でも凡人である者は、そんな世俗の大物より、さらに劣ると考えるべきであろう。

ところが、真の大物達が、世俗の凡人である者を気に入り、時にかしずくことすらある。
そして、そんな世俗の凡人が、本物なのである。
真の大者達が歯牙にもかけないのは、「ゆるんだ」人間である。
そして、それは、大半の人間だ。
ゲーテの『ファウスト』で、ファウストは、神を目指して努力し、片時もゆるまないので、神様のお気に入りな訳である。
ファウストは、神様に、「わしの子分」と言われるからには、相当に愛されているのである。
『バガヴァッド・ギーター』のアルジュナ王子も、本質的な知恵においては未熟かもしれないが、ゆるむことなく、常に心を締めている人間であるので、神クリシュナは彼を愛し、「人類で最も優れた男よ」、「富の征服者」と、アルジュナを褒め称えるのである。

真の大物達が心惹かれる本物である者の特徴は何だろう?
それは、「空気のような存在」であることだ。
老子は、道(タオ)と一体化した人物を、水のような存在と言ったが、ルドルフ・シュタイナーは、真の教師を、「空気のごとき者」と言ったと思う。
水は、低い場所に留まり、どんな形にもなり、柔らかいが、恐るべき力も秘めている。
だが、空気はもっと希薄で、上も下もなく、もっと隠れた存在であるが、秘めた力は水に劣らず、もしかしたら、はるかに優るかもしれない。

私が空気のような存在になるには、まず、迷惑なこと、余計なことをせず、ただ静かに、そして、徹底して静かであることに、ゆるまずに努めなければならないだろう。
人の役には立つまいが、迷惑はかけないことだ。
今は、迷惑のかけ通しである。
だが、神が意図するなら、空気のごとく、人知れず役に立つこともあるだろう。
空気が空気であるのに、決意も努力もいらない。
しかし、人がそうなるためには、ゆるまないことが必要である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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