ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

本当のリラックスとは

リラックスする時間を持つことが大切であることには、ほとんどの人が同意されると思います。
全くリラックス出来ませんと、心身は疲弊し、いずれ病気になる可能性があります。
ところで、リラックスとは、本当はどういうことなのでしょうか?
辞書によれば「くつろぐ」「憩う」などとあります。しかし、一方で、試合や大きなビジネス取引といった重要な場所に向かう者に対し、気負い過ぎないようにと意味で、「リラックスして挑め」などと言います。
いずれにせよ、どうも、リラックスの意味を、「脱力すること」であるという誤解をしているのではないかと思います。それでは、リラックスの大切な効果を逃してしまいます。

リチャード・バックの小説「かもめのジョナサン」では、かもめのジョナサン・リヴィングストンは、世間の信念や教義に従わずにそれを超えた生き方を選んだために群を追放されます。そして、一羽きりで過ごす長い月日が経ちますが、ある日、年老いたジョナサンが飛行していると、輝く2羽のかもめが近付いて来ます。ジョナサンは、曲芸飛行の秘術を駆使し、彼らを試しますが、彼らは楽々とジョナサンについてきます。微笑さえ浮かべて。

真のリラックスの姿が上手く描かれていると思います。
ジョナサンが曲芸飛行をしている時、そして、別世界からジョナサンを迎えにきたかもめ達がジョナサンに追随してみせた時、彼らはリラックスしていたのだと思います。

リラックスとは、本当はエネルギーを解放することです。解放されたエネルギーは我々を満たし、我々は活力を得ます。
そういうことを言った人は他にもいると思いますが、彼らは、これ以上の説明をしません。彼らは、真理をおぼろげには感じているのかもしれませんが、本当に理解していませんので、それ以上語れないのではないかと思います。
だから、それを聞いた我々は一層混乱してしまいます。
「では、どうすればリラックスできるのか?」
それが分からないのです。それを聞こうとしても、せいぜいが、筋肉を緊張させてから一気に弛緩しろとか、呼吸法や瞑想で心身を安らかにしろとか言った、やはり、脱力のための当たり前の方法でお茶を濁されてしまいます。

リラックスと、脱力は何の関係もありません。脱力しても良いのですが、どちらでも良いことです。最大の活動をしていても構いません。生死を分けた闘いの最中にリラックスするということもあると思います。
リラックスの真の意味であるエネルギーの解放を行うのに必要なことは、エネルギーをせき止めているものを消すということです。
エネルギーをせき止めているものとは、想像がつくかもしれませんんが、個人的な欲望という意味での自我です。
良い闘いをしている者に自我はありません。
脱力していても、自我があればエネルギーはせき止められています。
リラックスするためには、自我を消すことが必要ですが、それには、思慮や分別を離れ、万物をあるがままに容認すること、即ち、万事、自然の成り行きに任せることです。
それは易しいことでしょうか?
心を支配する能力を得た精神には容易いことです。
そして、その力を得る訓練は意外に簡単です。
朝食か昼食を抜くようにすれば良いでしょう。もちろん、その分、間食をしたり、残りの食事の量を増やしては意味がありません。
本当は、不要なものを求めない意思の力が得られれば良いだけなのですが、そのためには、食事を抜くのが最も簡単で確実です。
徳川家康に天下取りの秘訣を尋ねますと、家康は、同じ意味であるのですが、2つのことを言いました。それは、「身の程を知れ」と「上を見るな」です。しかし、誰が、身の程を知るほどの慎みを持っているでしょう?上を見ずにいられる人がいるでしょうか?家康は、出来もしないことを言ったのではないかと思いますが、よく考えてみれば、それで天下を取れるのですから、出来なくて当たり前なのでしょう。
しかし、食の慎みは、家康の言う心構えにも道を開くものと思えます。確かに食事を抜くのも難しいことです。しかし、世間や人生に本当にうんざりした時、不意にそれをしようという閃きが起こります。そして、あなたは真にリラックスし、エネルギーを解放する術を得るに違いありません。そうであればと思います。
少し食を慎めば、どんな驚くべきことが起こるかは、今後、色々書いていきたいと思います。





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いつも考える人が成功する

何かで成功出来るか出来ないかは、そのことについて、1日中考えているかどうかで分かると思います。
仕事の時やそのための訓練や練習の時だけ熱心にやっても、それが終れば夢中で遊んでいるなら、まず成功することはないと思われます。
イチローが、普段歩いている時も、「階段とスロープ(斜路)があれば、必ずスロープを選ぶ」というのも、彼が1日中、野球のことを考えていることの表れと思います。

プロレスのジャイアント馬場さんが興味深いことを著書の中で語っていました。
彼には、憧れのプロレスラーがいました。バディ・ロジャースというアメリカの人気レスラーですが、面白いことに、馬場さんは、彼を「最高のレスラー」と言ったようですが、「最強のレスラー」とは言いませんでした。もちろん、ロジャースは、当時では、世界王者の中の世界王者であったNWA世界ヘビー級チャンピオンになったのですから強かったのは間違いないでしょう。しかし、実力だけなら、もっと上のレスラーもいましたし、ロジャースが世界王者だったのは1年半ほどで、かなり短い方でした。また、ロジャースはイケメンではありましたが、身長は180cmで、207cmの馬場さんと比べてももちろん、190cm前後も多いアメリカのレスラーの中では見栄えがする方ではなかったと思います。そして、ロジャースは世界王者には珍しくヒール(悪役)でした。イケメンでヒールなので、女性ファンには圧倒的に支持され、女性をプロレス会場に来させることでは大きな貢献をしましたが、本来なら、ちょっとした人気レスラーで終わっていたかもしれません。
そのロジャースについて、馬場さんが「あいつは違う」と思ったのは、一緒に電車やバスで移動している時のロジャースの様子を見ていた時だそうです。そういった時には、他のレスラー達は、仲間達とトランプ遊びをしたり、酒を飲んだりしているのですが、ロジャースはいつも何かを考えていました。何を考えていたのか、馬場さんは本人に聞いたことがあるのかもしれません。ロジャースは、いつもプロレスのことを考えていました。どんな試合展開をすれば客が喜ぶだろうかとか、あいつとの試合では前回はこれをやったから今回はこれでいこうとか、とにかくずっと考えていたのだと思います。馬場さんは、「いつも考えているやつとそうでないやつでは、大差がついてくる」と言っていたようです。

1日中考えられるほど熱心になれることが無いなら、大成功なんてことは考えない方が良いでしょう。そもそも、大成功なんてする必要はないと思います。成功は、その華々しい面のみが注目されますが、それは同時に、普通の人には耐えられない重圧と煩いに違いありません。私なら、神様にイチローと交換してやると言われても即座に断るでしょう。
寝ても覚めても考え続けられるほどの執着と共に、強いストレスに耐えるタフさ。それを併せ持ってこそ成功するのだと思います。それと、ある世界的な写真家が言ってましたが、「成功するには、時代にひれ伏すこと。黒子に徹することだ」ということも必要と思います。成功者は、たとえ時代を変えるスターだという幻想があっても、本当は競馬の馬なのかもしれません。



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機械に心は生じるか

新しい記事を、@niftyのココログに載せるのは今回で最後になります。明日以降は、このライブドアブログにのみ掲載いたします。

この世では、どんなものにも終りがあります。
新しい自動車を買って、それまで長く乗っていた古い車を手放したり、長く務めていた会社を辞めたりする時には、誰しも、程度の差こそあれ、寂しいと思うのかもしれません。それを、人間らしい感情と言い、機械との違いであると考えることも出来るかもしれません。

「コレクター・ユイ」という、NHKのアニメにもなった漫画の中で、長く使っていたパソコンを捨てるのが悲しくて、幼い女の子が、夜の廃棄物置き場で、そのパソコンの前で泣いている場面があります。
その時、パソコンはこんなことを考えます。「この子はなぜ泣いているのだろうか?自分は古くなったので、捨てられるのは当然のことなのだが・・・」
パソコンは、この疑問をどうしても解きたくなり、そのことが発端となって、その後、コンピュータネットワークが発達する中で、この女の子の回りで不思議な事件が起こることになります。
他にも、「8(エイト)マン・インフィニティ」という漫画で、幼い少女の姿のアンドロイドに宿った、アンナと名付けられた人工知性体が、自分の命を犠牲にしてまで、このアンドロイドの少女を救った少年の行動にどうしても合点がいかず、少年の行動の謎を解くために、少年にアンドロイドの身体を与えるというものがあります。
ガイナックスの漫画・アニメの「まほろまてぃっく」という作品では、アンドロイドの少女を守ろうとして、強力な戦闘用アンドロイドである自分に敢然と立ち向かってくる14歳の人間の少年の行動に、この戦闘用アンドロイドがパニックを起こします。
こういったお話は、古い時代のものから数多くあると思います。
総じて言えば、人間の感情は、論理的でなく、機械には理解不能ということです。
「スター・トレック」のミスター・スポックの口癖として知られる「人間は非論理的ですね(To error is human)」ということですね。

ところで、機械が意志を持つことが可能かというのは、科学の世界でも大きな論争の的になっているものです。
スティーブン・ホーキングとも並び称せられる世界的数学者・理論物理学者のロジャー・ペンローズは明確な否定派で、人間の脳が意志を生み出す仕組みを解き明かそうとしていますが、科学者の中には、機械が意志を持つというのは、そんなに難しいことでもないと言う人もいるようです。

ただ、こういった問題は、誰の、あるいは、どんな考え方が正解であるかというより、視点の問題に過ぎないという気がします。
自分というものが、皮膚の内側の個別の存在というなら、意志や心はその中にあり、機械に心が生じることはないと思います。しかし、我々は個別の存在として生存することなど全く不可能で、例えば、回りの空気や熱、あるいは、大気層を取り去れば、一瞬でも生きていることはできないことを理解すれば、皮膚の外側のあらゆるものも自分であると考えざるを得ず、意志や心の在りかなど限定できるとも思えません。
脳の中に意志を生み出す量子的な仕組みを見出せるとしても、それは、脳の外を含めた全体との総合的な作用で成り立っていることは間違いないでしょう。

上にあげた漫画作品では、機械が人間の心に興味を持ち、それを解き明かそうとしますが、それは即ち、我々自身が、我々自身の心に興味を持っているというに過ぎません。
物質主義に陥った我々が、その反動で、心に強く惹きつけられていることが、そのような発想が浮かぶ理由なのであると思います。
そして、人の心は大きな謎です。昔から多くの人が言ったように、自分こそが最大の謎というわけです。







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成り行きに任せる

いろいろな人生訓、座右の銘がありますが、個人的には、究極のものは、

成り行きに任せる

ではないかと思います。
世の中、なるようにしかなりません。どんなに超人的な精力や能力で人生を切り拓いた人でも、結局はそう言うのではないかと思います。
この世はままならぬものですが、それを楽しむことが大切ではないでしょうか。

古代中国の賢者、荘子は、「思慮、分別を捨て、成り行きに任せる」ことが、永遠の道(タオ)と一体化することになると言います。
また、近代インドの聖賢ラマナ・マハルシは、「神の至高の力が全てを動かしていくのに、何を思い煩う必要があろう。汽車に乗ってまで、自分の頭の上に荷物を載せて苦労することはない。荷物を置いて安心しなさい」と言いました。
ニーチェやイェイツは、成り行きによる偶然であっても、それを自分の意志とすることが神に近付くことであることを見出したのだと思います。

成り行きに任せるを英語で言うと、

Let nature take its course.
Let things take their course.
Let things run their course.
Let things drift. ※drift(傾向・動向)1文字で「成り行き任せ」という意味がある
leave something to take its own course.
leave all to chance.

等となりますが、ものごとは自然に任せると何とかなる、あるいは、ものごとは自然に進むという雰囲気は、東洋思想とさほど変わらないように感じます。

新しい世代のコンピュータプログラミングでは、情報(データ)と動作の方法(ファンクション)が一体となり、その中身を外からは見えないように隠した「オブジェクト」というものがあります。「オブジェクト」とは「もの」程度の意味です。それら(オブジェクト)は、お互いにメッセージを伝え合いながら、つまり、連携はしますが、それぞれ独立して働きます。こういったことを、専門的にオブジェクト指向と言います。
「マトリックス」やアニメの「コレクター・ユイ」のような、バーチャル・ワールドはそのようなもの(オブジェクト)で出来ています(多分・・・)が、この世にだって、我々には分からない「オブジェクト」がいたるところに存在し、我々の魂が発したメッセージを受け取って、それらが情報交換しながら働いています。我々が下手に干渉してはなりません。
つまり、任せて放っておけば良いのです。





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不思議で優美な言葉

こんな経験をお持ちの方は多いと思う。
意味の分からない外国語の歌を聴き、素晴らしい歌だと思って気に入っていたのが、歌詞の意味を知ったら、案外につまらない歌だったと思い、愛着が薄れるといったことだ。
外国語の歌ばかりでなく、日本語の歌であっても、歌詞がよく聴き取れなかったり、言葉の意味が分からなかった時の方が素晴らしかったと感じることもあると思う。
また、歌詞をちゃんと知っている歌を、わざとハミングで歌ってみたら、さらに感動が深まるなどということもある。

最近のアニメの歌には、普通に聴いていては認識できないような、難しかったり、あるいは、普段使わない言葉を使っているもの、あるいは、非常に早口だったり、少々奇妙なイントネーション(言葉の音調)のために、やはり普通には歌詞を聞き取れないものが非常に多いように感じる。
また、ラップ音楽なんてのは、言葉自体は明快だが、話し言葉とは相当違うイントネーションを使うことで言葉のイメージを変容させるところに面白さがあるように感じる。
ルイス・キャロルは、子供たちのために奇妙な言葉使いで話したり手紙に書いたりして、子供たちを面白がらせたが、やはりそんなものは不思議な高揚感や楽しさを誘発する何かがある。

文明が発達すると少なくなってきたが、世界には、全く意味のない奇妙な言葉を楽しんで使う人々や、そんな言葉が呪文のような形で残っていることもある。それらの言葉はリズミカルだったり、奇妙だがどこか面白かったりして、不思議な感情を誘うことが多い。
バッハなどは、音楽でそれを優雅にやってみせただけだと言う人もいる。
全ての経験は音楽のようなものだ。言葉でさえ、本当は音楽のようなものなのだが、それに一定の意味を込め過ぎたために、音楽の持つ優美さや本質に響く効果を失ってしまったのかもしれない。最近のアニメソングやラップ音楽は、意識的にか無意識的にか、それを復活させようとするものなのかもしれないと思う。
般若心経という短いお経では、この呪文を唱えるとたちまちにして悟りに至るので、夢々疑うなと、その短いお経の中で何度も強調し、最後に呪文を紹介する。その呪文に何の意味もない。だが、同時に、何の意味もないからこそ、最大の意味がある。しかし、その意味は言葉の意味ではない。それは至高の音楽なのである。その呪文とは、「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ・スヴァーハー」だ。もちろん、日本で一般に使われる、インドの言葉から中国語に漢訳されたものの読みである「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテ、ボジソワカ」でも同じである。





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