ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

友達がないことの恩恵

友達は無くて良いし、無い方が良い。いや、有ってはならない。
学校の休み時間は、他の子達が運動場かどこかに行ってしまった後、教室でひとり、ぽつんとしていれば良い。「子供は元気に外で遊べ」などと馬鹿なことを言われて教室を追い出されたら、校舎裏や、どこか人の来そうにない場所でじっと立って、風と日の光、あるいは、雨を感じ、ひっそりと咲く花を眺め、草木を心で愛で(出来れば世話をすればいいが)、空気の中に潜む、あるいは、空を覆う不思議なものを想像してみれば良い。
やたらと、授業や課外活動で、2人組になれだの、グループを作れだのと言われて1人残されても、普通の人間とは精神の色(つまりは波長)が異なるのだから、それで普通だと理解するしかない。
遠足に行って、他の子達のように、群れることをせず、1人でお弁当を食べることになっても、空の果てを目指す者は、どうしたってそんなものなのだ。地球をりんごに見立てた時、その皮のほんのちょっと上あたりの空ではない。青い地球をはるかに見下ろす空だ。無言で飛ぶ準備を進めれば良い(荘子は、そんな自分を鳳凰という鳥に喩えたことがあった)。
古くから伝わっているお話を、他の子達が、教えられる通り、表面的にしか読まなくても、あなたはそうしてはならない。無理に意味を分かろうとする必要はない。いや、分かった気になってはならない。古事記やギリシャ神話は、あなたや、あなたのかつての友人達の物語だし、今でも変わらぬ仲間である。古いお話は、大抵がそうなのだ。そんなに古くなくても、シェイクスピアやアンデルセンは、我々と心が通じ合っていて、自分の心の中にひょっこり現れたりする。
友達ではなくても、親切にしてあげれば良い。だからといって、彼らに何か期待する訳ではないのだけれど、出来ることはしてあげると、自分が賢くなる。あげて困らないものなら、あげたら良い。もったいないと感じるものまであげなくても良いのだけれど、もし、あげてしまえば、身体の中に、その細胞や原子の中に光を集めることが出来る。その光は一生消えずに輝くものだ。魔法の力の源だと思っても良いだろう。
友達がいないと辛い目に遭わされることもあると思うが、そんな時は、出来るだけ静かに息をすることだ。これは神秘的な秘法、秘術だ。猛獣に出遭ったら、死んだふりをしたらいいって聞いたことがあるかもしれない。あの本当の意味は、連中が死んだ人や動物を食べないからじゃない。だって、見たり、匂いをかいだら、活きのいい餌かどうかなんて分かるはずだからね。彼らが寄ってきて、あなたに顔を近付けるのは、あなたの心の音を聞いているのだ。呼吸が幽(かす)かだと、実に美しい心の音なので、彼らはあなたに贈り物をする。動物というのは、種族で1つの魂を持っており、その魂の持つ神秘力を呼び起こす力を与えるのだ。それは何も猛獣ばかりではなく、犬や猫や鳥や虫もそうだ。もちろん、魚もそうであり、魚を食べたことがない人が水辺に来ると、魚が寄ってくることがよくある。実際は、魚は人に釣られたり、食べられることを嫌がるのではなく、むしろ喜ぶのだけれど、敬わずに食べるような人間には何も与えない。
あまり食べず、あまり息をしないと、いよいよ不思議なものが、あなたの回りに姿を現すようになる。アイルランドのイェイツという詩人は、子供の頃のそんな思い出を本に書こうとしたのだけれど、途中でやめてしまった。その原稿は残っているが、ところどころに宝石のように美しい神秘が隠されている。聖母や精霊の少女の美しさは、この20世紀最大の詩人でも言葉に出来ないし(だから書くのをやめたのだろうか)、あるいは、得た光を人間の少女に投影したので、人には過ぎた美しさに輝かせることも出来た。残った原稿は本にされたので(「まだらの鳥」という本)、読んでみてもいいけど、誰でも自分で体験できることだ。
そうすれば、人間とは偉大なものであることも分かると思う。







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竜宮城に行く

江戸川乱歩は、サインをする時、「この世は夢、夜の夢がうつつ(現実)」といった意味のことを書き添えたと言われる。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、「夢は短く、目覚めは長い。それ以外に両者に違いは無い」と言った。
アメリカのダリル・アンカと交信する宇宙人バシャールは、夢の方がどちらかというと現実なのだと言う。

あなたの夢について、面白いことを指摘しよう。
例えば、あなたは、夢の中で、学校や会社に遅刻しそうになって慌てたことがあると思う。しかし、時間に間に合おうとすればするほど、やたら邪魔が入ることに気付いただろうか?
夢は、そんなものには大して価値がないことを知らせてくれているのである。
あなたが大事に思っていることなんてのは、幻想に過ぎない。思い切って、それを捨ててしまう決心をすると、良い夢に変わるのだ。
本物の聖者のところに言って、あなたがこれまで本を読んで勉強したことを懇々と話してみるが良い。聖者はこう言うのだ。「そんなものは、大したことじゃないのだよ」と。

夢の中というのは、竜宮城のようなものだ。
おとぎ話の中にいるものとして振舞うと、楽しく過ごせるのだ。
しかし、世間の中で染み付いた思い込みを持ったままだと恐ろしい悪夢になる。
楽しく過ごした夢から醒めた時は、あたかも、竜宮城から戻ったようなものだが、世間で知られた浦島太郎のお話では、地上(世間)の時間が経ってしまったことになっている。しかし、本当は、変わるのは我々の方だ。夢の中で楽しく過ごした心は深まり、余計なものを捨て、白いひげの老人に象徴される知恵ある者になるのである。

我々は、おとぎ話を信じなければならない。
人々がお互いに、差別なく、敬い合い、良きものを譲り合う世界になるというおとぎ話を。
誰でも、自由に何処にでも行け、どんな場所でも、どの家でも、誰からも歓迎されるというおとぎ話を。
誰も、良いものを独占せず、皆が分け合うというおとぎ話を。
そうなれば、生といい死というも、何の違いがあるだろう。
決して死を恐れることはないし、きっと、自分が生きているか、死んでいるかの区別を気にしなくなり、それが分からなくなるかもしれない。
夢と目覚めの世界も、自由に行き来できるようになるだろう。夢の中にいる人と、現実で出会うこともあると思う。
言葉で何かを伝えなくても、全て伝わり、嘘や誤魔化しというものもなくなる。
そうなれば、私とあなたという区別もなくなり、他人というものは存在しなくなる。
本質的な幸福を知っているので、不要なエネルギーなど必要とせず、原子力発電どころか、火力発電も必要でなくなる。
宇宙の英知と一致するので、テクノロジも飛躍的に進歩し、遠い星に到達するような飛行技術も発明するが、誰もがそれを理解できるのである。
エネルギーは空間に満ち溢れており、善なる目的を持つ限り、それは無限に供給されるのである。
これらは世間ではお伽噺であるが、これこそが真実の世界なのである。夜の夢がうつつ(現実)に近いように、お伽噺こそがうつつなのである。







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なぜだか怖くないという感覚

以前、機械メーカーの社長が、若い頃、1人で中国に行って、企業に営業回りをした時のことを話してくれたことがある。
私が、「心細くはなかったですか?」と尋ねると、彼は、「不思議とそれはなかったな」と言う。苦難はあったが、商売はうまくいき、その後も取引は継続しているという。

理屈で考えると、全く良い状況でないのに、なぜか恐くない、不安がない、心配が起こらないという経験がないだろうか?
なぜか、結局はうまく行くという、何の根拠もない確信がある。そして、本当にうまくいってしまうのである。

私は夢の中で、そんなことがよくある。
テロリストとか、悪の組織とか、悪者宇宙人に追われ、危機的な状況であるのだが、さほどの緊迫感が無いのである。何か、シナリオのある劇でもやっているような雰囲気なのである。
映画「燃えよ!ドラゴン」で、ブルース・リーが、少林寺の武道の師に、「良い戦いとは、少人数で真剣に演じる劇に似ています」と言っていたのを思い出す。

危機的な状況でありながら、動揺することもなかったと伝えられる人たちの話がある。
1人は、遣唐使として中国に渡った時の空海。
もう1人は、中国から、ヒマラヤを越えてインドに行った玄奘三蔵だ。
共に、当時では、無事にたどり着く方が奇跡だった。
しかし、ひろさちや氏によると、空海は、中国に着くことは当然と思って超然としていたはずだと言う。それどころか、「次はインドへ」と思っていたそうで、まさに、中国に無事行けるかどうかなど、空海にとって愚問もいいところだったのだ。
玄奘三蔵は、インドに行き、経文を得、それを中国に持ち帰ろうと、危険な旅を決意したのだ。伝承によれば、玄奘は、旅に出てすぐ、インドから来たが病気で伏せっている僧に出逢い、親切に看病した。すると、その僧は玄奘に、あらゆる難を逃れる呪文を教えたと言われている。その僧の正体は観自在菩薩で、玄奘に教えたのは、般若心経の最後の部分の呪文である「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスバーハー」だった。玄奘は、その呪文を唱えながら旅をし、山賊、猛獣、過酷なヒマラヤ山道、病気といったあらゆる困難に打ち勝って無事、インドに到着し、そこで、あの僧、観自在菩薩に再会する。そして、見事、大巻の経典を中国に持ち帰り、生涯をかけて漢訳した。

パウロ・コエーリョの「アルケミスト」という世界的ベストセラー小説では、主人公の少年は、異国で金を全部騙し取られ、目の前が真っ暗になるが、不意に心が明るくなり、勇気が湧いてくる。
インドの聖者、ラマナ・マハルシは、1人で家を出、すぐに汽車の運賃で持っていた金を全て使い、目的地に着くも、食べるものもなく衰弱していたが、別に不安も感じずにいたら、旅の僧が食べ物を与えてくれた。その後も、住むところ、食べる物などに困ることもなく、その地に留まり、偉大な一生を終える。

全て、一言で言えば、宿命というか、天命を信じたということなのだと思う。
自分がこの世で何をするかは、魂では知っており、心が澄み切った時に、それを感じることができる。
それは、劇のようなもので、役者たる自分は、その劇で学ぶことはあるのだが、シナリオは決まっており、別に不安がる必要はない。
しかし、天命ではなく、欲望に従えば、シナリオから外れていき、うまくいっているように思える時でも、心が虚しく、不安が募っていく。
自分の宿命、天命が何かって?
欲望に耽っている者には分からない。食を慎み、用心深くしていれば、何かが起こることに気付く。そして、直感的に、何をすればいいのか分かる。その直感、閃きに従えば、不安は消え、どんな状況だろうが、心は不動となり、勇気と情熱を持って進める。この世に偶然はない。神の他に何もなく、ただ、神のみがある。その想いがあれば、何の不安もなくなるだろう。







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Webが本質的に危うい訳

1990年頃に、英国のティム・バーナーズ=リーが、Webサーバー、及び、Webブラウザを開発した。その後、コンピュータもネットワークも劇的な進歩を遂げたが、Webの基本的な構造は変わっていない。
ちなみに、その翌年に作られた世界初のWebサイトは、http://info.cern.ch/で、現在も存在するが、実にシンプルである。

十数年前には、インターネットはビジネス用途に耐えるものではないと言われ、専門家は、商的な利用では独自ネットが発展すると考えるのが割とまっとうであったと思う。元々が、インターネットは、学術用途のネットワークとして、一部の人達の利用を想定していたと思われるのだ。
バーナーズ=リーも、現在のようなインターネットの利用のされ方・・・Amazonのような巨大なオンラインショッピングサイトや、ソーシャルネット、クラウドコンピューティングの出現など、予想もしていなかったと思う。

つまり、現在のWebは、ひどくアンバランスで、欠陥が多く、危うさや不安に満ちているのだ。
Webが高度な機能を発揮するための技術や仕組みがどんどん追加されてきたのだが、それらは、根本的には土台の部分との相性に無理があるために、いくら工夫しても、何かするたびにほころびが出てしまうように思う。

私は、Webを見ていると、人間の脳を思ってしまう。
人間の脳は、魚類の脳、爬虫類の脳、下等哺乳類の脳がそのまま残っており、それを、人間らしい新皮質が適当に覆っているもののようだ。
いったん理性を失うと、新皮質は、下位にある脳の本能を制御できない。それは、ゴロツキだろうが、大科学者や大統領だろうが全く同じだ。そんな人間が核兵器を持っていることの恐怖を訴えたのが天才的な思想家アーサー・ケストラーだった。ケストラーは、このつぎはぎで出来損ないの脳を持つ人類に絶望し、自殺してしまった。
フロイトは、人間は本能が壊れていると言ったが、そうではなく、ケストラーの言うように、不完全な新皮質が本能を制御出来ないことが問題なのかもしれない。
まさに、古代ローマの金言「エッラーレ・フーマーヌム・エスト」(ラテン語。意味は、「間違いを犯すのが人間だ」)は今でも最高の箴言足りえるに違いない。
これは、Webにも、そっくり当てはまるように思う。後で作られたシステムに問題があるのではなく、初めから存在し、今も引き継がれている基本構造にそぐわない使い方をしているのが問題だと思われるのだ。

当初は、Webシステムは、サーバーとなるコンピュータの普通のプログラムとして作られた。開発言語はC言語が主力だったと思うが、PascalでもFortranでも何でも可能だ。テキストとしてHTMLを出力できれば良いのであり、それが出来ないプログラム言語など無い。だが、C言語の文字列処理の機能は抜群なので、とても便利だったのだ。私は、C言語はまさにWeb向きだと感じたものだ。その後、ラリー・ウォールが、C言語などより簡単に使用でき、高度な文字列処理の機能を備えたスクリプト言語であるPerlを開発したが、昔は、動作速度が遅くて不評だった。しかし、その後、コンピュータの性能が劇的に向上したので、現在は、スクリプト言語が主流である。ポール・グレアムが言うように、ことWebに関してはLisp言語が最強というのも分かる。新しいRubyやPythonなんてのは、Lispの良いところを流用しているのだろう。

しかし、どんな言語が出てきても、現実的な(泥臭い)Webシステムを作ってみたら分かるが、これの開発は、とにかく面倒である。
Amazonのような、インターネットを通じた一般向けサービスではWebしかあり得ないので、Amazonでは、Webシステムを作るための専用言語を作ったり色々工夫したのだろうが、根本的には何も変わらないのではと思う。
私は、Amazonは客としてはよく使うが、あのようなものを作ってくれと言われたら、本当にゾっとする。
システムの基本的な機能以外の部分・・・使い易さ、便利さ、親切さ、見栄え、セキュリティーといったものに、膨大な手間がかかることは避けられない。巨大なWebサービスサイトが、システムにかける費用は半端ではない。近年では、開発を楽にするために、フレームワークという、「開発のためのツール」を使うことが多くなり、楽天なども、Ruby言語で開発の際、Ruby on Railsというフレームワークを採用するなど、他にもいろいろやっていると思うが、効率には限界があると思う。

私は、つくづく、自分はプログラムマニアではないのだと思う。
Webシステムは、簡易なものであれば、面白いところもあり、以前は喜んでやっていたが、おしなべてシステムが複雑化、巨大化した今は全くやる気にならない。
しかし、私には信じられないが、これを面白いと思う人もいるのかもしれない。だが、そうだとしても、そんなに多いとは思わない。
「もうWebでなければシステムでない」といったことが、お客様や、あげく、開発者側からもよく言われる。上でも述べた通り、ショッピングサイトや、ソーシャルネットでは良くも悪くもその通りだ。しかし、もうかなり以前から、インターネットを利用しながら専用ネットワークを構築出来る、VPNという、昔でいうWANが簡単、安価に利用できるようになっている。Webは、回線速度が低くても実用になることがメリットだった(昔は電話回線を使った低速度なものだった)。しかし、現在であれば、全く別の仕組みのネットワークも可能だ。いまさら難しいところもあるが、このままだと、将来、何が起こるか分かったものではないと思うのである。







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フェイト(運命の女神)は冷徹である

人間なんて平等なもので、良いとか悪いのトータルは全く変わらないものだ。
膨大な富と名誉を得て、凄い家に住んでいる人を見ると、私は気が重くなる。少し彼らに乗り移るように精神を転射すれば、本当に「ご苦労様だな」、とか、掛け値なしに「お気の毒に」と思うことがある。
人の心は、奥のところでは、万人の間でつながっており、心の能力を発達させれば、そういったことも分かるようになる。
多くを得たものは、そのままでは多くを奪われる。富豪なんて、隠してはいるが、家庭生活は、普通の人よりははるかに惨めだし、難病奇病で、お金も時間も、そして、心も健康も使い果たしてしまう。

世界的な男性の俳優や歌手、あるいは、スポーツ選手が離婚する際、慰謝料の話題で賑わうが、全てその妻の意思という訳でもないのだろうが(周りにそそのかされる場合も多いだろう)、とんでもない額が要求されることが多い。特に、夫の浮気など、夫の側に非がある場合には、当然のごとく、夫の財産の大半、ことによっては、夫の全資産、さらには、それ以上が要求されるのも珍しくはない。
もし、そんな要求が通れば、どんな悲惨に見舞われることか。奥さんの方の話だ。考えるのも恐ろしいほどである。例外なんて1つも無いのに、なぜ気付かないのだろうと思う。しかし、過去のそんな立場の女性全員がそうであったとしても、それが自分にも適用されるという因果関係が理論的には無いので、自分もそうなるとは思わないのだ。見えるものしか信じないので、運命が読めないのだ。
夫に何百、何千億円の資産があったとしても、どんなに欲張っても数千万円までだ。もし、億単位以上得れば、その後の人生はよほど清く正しく生きなければ最後である。得た分、何を失うか分かったものではない。土台、離婚の原因が夫の浮気としても、妻に問題がなかったなんてことは無い。これは、表面上のことではなく、本質的な意味でだ。人は、物ではなく、精神的な存在だ。心の要因の方が重要なのだが、裁判ではそれは問題にされないので、それはなかったことになるだけだ。
マイケル・ジャクソンは、リサ・マリー・プレスリーと離婚する際、自ら巨額の慰謝料の提供を申し出たが、リサは辞退した。彼女には、父エルヴィスの膨大な遺産があったこともあるが、それでも立派だった。しかし、逆に、リサは少しは受け取ってあげた方が良かったかもしれない。

ギリシャ神話で、運命の女神はモイラであるが、モイラとは割り当てという意味だ。モイラは英語ではフェイトと呼ばれることもある。
ヘシオドスの神統記には、神々の間でさえ、それぞれの割り当てがあることが何度も述べられている。
余分なものを得れば、大切なものを失う。大きな割り当てを与えられた者には相応の責任と義務がある。それを果たさなければ、神とはいえ、悲惨な目に遭う。
ティタン神族の女神ヘカテーの持つ巨大な割り当てを、大神ゼウスは奪わなかった。この、星座の女神アステリアの娘であるヘカテーは身を慎み、暗い冥界で静かに控えている。そして、ひそかに神々や人間達に尽くしているのだ。
アステリアはゼウスに言い寄られたが拒み、島になった。彼女の姉、もしくは妹(はっきりしない)のレートーがゼウスの子を産む時には出産場所となって助け、この時生まれた双子の兄アポローン(妹はアルテミス)に祝福され、デロス島となる。レートーもまた、最も穏やかな女神として慎ましく、オリュンポスで平穏に過ごしているようだ。

成功を目指すのも自由だが、富と名誉を得れば、その責任は大きい。ビル・ゲイツが残りの半生を慈善事業に注ぐことを決め、大富豪達に資産のせめて半分を世界平和のために寄進することを薦めるのも自然なことだ。
世界一の免税店DFSの創業者チャック・ウィーニーなどは、全財産を寄付し、無一文となった。何のことはない。彼は破滅を逃れ、人としての幸福を得たのだ。
私のような凡人は、とてもではないが、巨大な富の責任を取る器ではない。だが、たとえわずかであったとしても、得たものの責任は取る必要があるのだ。
私も可能性があったかもしれないが、引きこもったまま、親が死ぬまで(父親はもう死んだが)養ってもらったとしたら、その後で、その分の埋め合わせは容赦なくさせられただろう。嫌でも、自分で稼いだ方が、まだはるかにマシだったのである。実は、いい歳になるまで養ってもらった分の運命の取立ては厳しいものだった。
恋愛といったことでも、正々堂々の争いで勝ったとしても、やはり責任はある。それを果たさず、いい気になったままの者は、やはり、その後はロクなことがないのである。普通の人間としては、負けた方が身のためかもしれないと思うほどだ。
この世に、羨むべきこと、妬む理由など、本当に全く無いのである。







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