ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

災害を招かない心を

災害が起こった時に思うのが、強い身体のメリットであり、身体を鍛える必要性だ。
しかし、決して、災害に備えて身体を鍛えるという考え方をしてはいけない。
それは、災害に対する恐怖となり、むしろそれが災害を引き寄せる恐れがあるのだ。
強盗などに備えて護身術に励んだり、護身具を持っている者が、かえって強盗を意識し恐怖することで、強盗に遭い易くなるようなものだ。

とはいえ、我々は誤った想念を持ち易く、それが集団的になれば大災害を引き起こすこともある。
大切なことは、愚かな世間の教義や信念を受け入れず、「千万人といえども我往かん」の志と信念を持つことである。
それでも、弱い我々が、悲しくも世間に飲み込まれて付和雷同し、結果、災害を招き寄せた時も無事に切り抜けて、早く心を改めるためにも、常に良い体調でありたいものだ。
ただ、重ねて言うが、災害のようなもので、強制的に洗心されるより、普段からの自発的な洗心が大切であり、それにより、初めから難を免れる可能性も高くなると思う。

常に体調を整えるには、適切な量の食事が最も大切であるが、大半の日本人は、あまりに食べ過ぎている。
本当に食事の量が適切なら、多少寒くても風邪をひくことはなく、胃腸の負荷が少ないので、お腹をこわすこともない。特に、腹の調子が良ければ気力が湧くものである。
私は、以前は、しょっちゅう風邪をひいていたが、食を慎むようになってからは、もう2年以上、風邪をひいたことは全くなく、風邪とはどんなものだったか想像も出来ないくらいである。また、腹痛というものもすっかり忘れてしまった。少し前に、ノロウイルスに感染した時も、放っておいたらすぐに回復した。
そして、私が常に推奨している腕振り運動で、気やプラーナと呼ばれる神秘的な存在を活性化させ、エネルギーを高めておく。誤解されていることもあるが、気やプラーナは、外から取り入れるのではなく、どこにでも、当然、体内にもいくらでもあるのだが、それを活性化させることが大事なのである。そのための腕振り運動である。
腕振り運動については、当ブログ内の、「正しい腕振り運動をする」を参照していただきたい。
気やプラーナ(実際は同じものである)が活性化しているとエネルギーが溢れるので、肉体トレーニングも楽で、私も、腕立て伏せを、最初は10回しか出来なかったが、今では200回以上、軽々と出来るようになった。
スポーツ科学的には正しくないかもしれないが、プロレスラーなどが好んで行う、自重だけの負荷で延々繰り返すスクワット(立ったりしゃがんだりを繰り返す単純な運動)も、おそらく気やプラーナを活性化させる。プロレスラーが行うスクワットは、ヒンズースクワットと呼ばれる、インドのレスラー(ダラ・シンという名の強豪レスラー)から学んだものであるが、私もこれを毎日欠かさず行うことで、身体が驚くほど軽く感じるようになった。

毎日欠かさず行うべき運動は、場所も道具も要しないものであるべきで、上にあげた運動や、腹筋運動、背筋運動など、全て、畳1枚の広さで、何の道具もなく行える。お金も1円もかからない。私は、このような理想的トレーニングを行う者を「ONE MAT アスリート」と呼び、真に役立つ鍛錬をする者を表していると考えている。

ただ、最も大切なことは、正しい想念を持つことである。
近年、世界中で頻発する大災害は、人類規模の歪んだ想念が起こしている。関英男博士は、オリンピックをはじめとする世界的なスポーツイベントも大災害の原因になっていると述べておられたが、私も直感的に同意する。これらはもはや、清く正しいスポーツではなく、霊眼で見れば、欲望と争いの想念の渦巻く恐ろしいものである。
今回の東日本大地震も、世界の、そして、我々日本人の過ぎた欲望の総体が、かの地で噴出したのである。
美食飽食を公然と勧め、空腹でもないのに食べられる美味しいものを際限なく売る一方、食料の半分以上を廃棄している。そんな国に大災害が来ないはずがない。
儲かれば何でもいいと、大手のネットサービスが行き過ぎた性欲を煽る漫画などを公然と宣伝する。その反動を避けらるはずもない。性的描写の全てが悪いわけではないが、人間には、どうしても超えてはならない一線がある。しかし、それが平然と破られ、人は低い方には簡単に落ちるものであるので、それが人々の心の中に流れ込んでしまった。これらは、人々の想念の歪みを示すほんの一例に過ぎない。
国そのものが滅びる運命であったのが、それを止めるためのやむを得ないものが大災害である。
しかし、もちろん、そんなものが真に有り難いはずがなく、我々は、世間の信念や教義といった歪んだ幻想を叩き壊し、自らの正義を貫かねばならないのである。







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災害の中で奇跡を起こした本

昨日からの東北・太平洋沿岸地震により、政治では、やっと与野党が休戦、協力をすることとなり、米国大統領も支援を約束するメッセージを送ってこられた。
こういうことでもないと、争うばかりで仲良く出来ないのだろうか?
なら、神は、人に和の心を取り戻させるために、また、こんな悲惨なことを起こす必要があるのだろうか?

阪神・淡路大震災の時、完全に倒壊した家の隣でありながら、棚の皿1枚落ちなかった家があったようだ。私は、その当事者や、実際にそれを見た人から話を聞いたことがある。
そういえば、こんな話がある。
太平洋戦争中、朝鮮半島で激しい戦闘が行われた時、戦闘区域の真っ只中で避難もせず、悠然と過ごした日本人家族がいたが、その家では、砲弾が飛び交う中、窓ガラス1枚割れなかったという。
また、戦闘の渦中を渡航したり、厳しい戦況の只中にいた兵士でありながら、何の不安もない平穏な精神状態で過ごし、かすり傷1つ負わなかったという者もいたようだ。
彼らは共通して、ある宗教運動の聖典とされる書物を読んだり、所持していたという。
これだけであれば、宗教教団の宣伝のようであるが、この書物に関して、こんな話があった。
著名な神道家で、伝統ある神社の宮司を勤めながら、一般向けの分かりやすい神道の本を数多く書き、ことごとにベストセラーになりながら印税の一切を自分のものにしなかったという人がいる。彼は、神職になる前は世界最高の医師として、奇跡的な手術を数多く行っていた。その彼が、学生時代、重病になり、もはや回復の見込みはなく、医者にも見離され、故郷に帰るための電車に乗るにも、板に乗せられて運ばれるというほどにまでなっていた。その彼が、たまたま手渡された本を読んだところ、みるみる回復し、すっかり健康になって医大を出、述べた通り、偉大な医師となった。
また、科学者として偉大なだけでなく、事業家としても成功したある理学博士も、高校生時代(旧制中学と思う)、重病となり、余命は長くないと思っていたが、家にあったある本を読み、やはり急速に回復し、勉学に励んで東大を出、科学者、事業家として成功し、精神的書物をも数多く著し、好評であったと思う。
ここにあげた本は、全て、谷口雅春さんの書かれた「生命の実相」か「甘露の法雨」であったようだ。最後にあげた理学博士である橋本健さんは、数多いご自身の著書の中で、その本が「生命の実相」であることをはっきり明かしておられた。医師で神職であった人(葉室頼昭さん)の著書では、私ははっきり書名を確認できなかったが、やはり「生命の実相」であったと思う。1900万部が売られ、現在も販売されている。私も、40巻ある中の最初の3冊だけ読んでみたが、素晴らしいものであった。
また、ここにあげたような奇跡のような話は数多く、それもあって、このようなロングセラーとなっているのだと思う。

さて、では、これらの奇跡はどのような訳で起こるのであろうか?
3通りの場合が考えられる。
1つは、この本自体に、霊験のようなものがあること。
1つは、この本の著者、あるいは、宗教運動に深く帰依する心が奇跡を起こしたということ。
1つは、この本の内容が、読むものに、強い信念を持たせ、それにより奇跡が起こるというものだ。
いずれであるかは、私には分からないが、いずれも正解なのではと思う。
谷口さんの本は、特定の信仰に結びついたものではない。だから、特に生長の家に帰依するというのではなくても、手元に置かれ、ちゃんと読まれておくと良いことがあるかもしれない。
私は、アメリカのユニティ教会を開いたチャールズ・フィルモアの「繁栄論」を谷口さんが解説した「無限供給の鍵」が、やや宗教的ではあるが、成功哲学としても優れていると思った。谷口さんはユニティ教会の活動は、自分の宗教運動である生長の家のものときわめて類似していると述べておられる。

少し補足しておくが、谷口雅春さんは、生長の家を宗教とは言わず、宗教運動といった言い方をされておられたと思う。特定の教祖の教えを信仰するという意味ではないためと思う。
また、私は、橋本健さんが存命の時、何度かネット上、あるいは、電子メールで対話したことがあるが、高潔な素晴らしい人格の方であった。橋本さんのWebサイトで、私のことは「ある人」としていただいている。
日本超科学会サイト内 リンクその1
また、同サイト内で、私が作成したESP測定ソフトウェアへのリンクをしていただいている。
日本超科学会サイト内 リンクその2













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ある神秘体験

気付いていない人も多いかもしれないが、不幸とは、心が苦しむことだ。それ以外には、実は無い。
他人には、どんなに悲惨でひどい状況に見えようが、本人の心が苦痛を感じていなければ不幸でも何でもない。

こんな話がある。
ある男は、家族が皆殺しにされた時と、財産を強奪された時、最高の喜びを感じた。
それから、再び富豪となったが、その資産を全て誰かに譲って奴隷になった。
そして、自分の死期が迫った時、再度、無上の歓喜を得た。

こんな妙なお話を書いたのは、20世紀最大の詩人と言われたアイルランドのW.B.イェイツだ。彼は1923年にノーベル文学賞を受賞している。
この男は、それらの出来事を、神の思し召しとして受容したのではない。それらを、自分の意志であるとしたのだ。

あなたに不幸なことなど、何も起こらない。
どんな出来事も、自分が望んだことと思えば良い。
それが無理でも、心が苦しむのを拒否すれば良い。
それも難しければ、心に勝手に苦しませ、それを科学者のように冷徹に観察すれば良い。
それすら出来ないなら・・・もう自分を笑うしかない。
昨日、このブログで述べた、アメリカ一幸福な男は、「幸福の秘訣は自分を笑い飛ばすこと」と言ったが、彼すら、最低のことしかしていなかったのだ。それでもアメリカ一程度にはなれるのである。

だいたい、心が苦しむのは、人を憎む時だ。
隕石が落ちてきて家が壊れても、そのこと自体では心が苦しむことはない。悲しくはあっても、苦しくはない。
しかし、落ちてきたのがヘリコプターだったら、それに関係するあらゆる人を憎み、愚かにも心は苦しむのだ。
人を憎むのをやめることだ。
先ほどのお話を書いたイェイツも、人を愛することは難しいが、憎むのをやめることは出来るものだと言う。
そして、人を憎むのをやめると、驚くべきことが起こる。
何が起こるかは、語るのも勿体無い!
例えば、壁に掛けた絵が語りかけてくる。その他にも、とても不思議なことが起こる。
ドストエフスキーは、その5分のために人生をまるごと差し出しても良いと言ったほどだ。
だとしたら、人を憎むのは、あまりに馬鹿げたことだ。
私は、人を憎むくらいなら、自分を笑おうと思う。

だから予期せぬ出来事でさえ
私が望んでいたことなんだろう
~「UpSide Down -永遠の環-」より(詞:古賀勝哉、曲、歌:井上昌己)~
この歌は、アニメ「怪盗セイント・テール」のエンディング曲の1つだったが、この歌詞は1番の中にあり、アニメのエンディングで使われたのは2番だった。







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アメリカ最高の幸せ者

昨夜のBS放送「きょうの世界」で、なんらかの基準に則ってのことなのだろうが、大規模な科学的調査を実施し、アメリカで最も幸福な人間を特定するという面白い実験の話があった。
その調査で、アメリカ1幸福な人間とされたのは、

性別:男性
人種:白人
年齢:69歳
職業:会社経営
居住:ハワイ
宗教:ユダヤ教

という人物となった。
インタビューで、この最高に幸せな男は、この調査結果に対し、「光栄だ。幸福は金ではない。幸福の秘訣は自分を笑い飛ばすことだ」と語っていた。
オグ・マンディーノの「地上最強の商人」という本に、「自分を笑うことを忘れない限り、私は不幸にはならない」と書かれていたのを思い出した。

1959年に出版された、トーチェ夫妻による「トーチェ氏の心の法則」に、幸福とは自然な状態であると書かれていたのが印象深い。つまり、幸福は当たり前のことという訳なのである。
インドの聖者ラマナ・マハリシもまた、幸福が人の本性なのであると言う。ただ、その本性を隠すものを壊せば良いのである。

幸福であるために必要なものは何もない。
人は誰も幸福なのであり、幸福以外にはあり得ないのだ。
もしそうでないなら、なんらかの誤解により、心が不幸を作り出しているのである。

自然界には、不幸は存在しない。
肉食獣に食われる草食獣は幸福なのである。
植物にも意識があり、それを食料とする我々は、その命を貰うことに感謝すべきかもしれないが、植物の意識は、草食獣や人間に食われることに幸福を感じているのである。
我々だって、心が不幸を作り出さなければ、どんな状況であろうと幸福である。

私はずっと、アンデルセンが、なぜ、「マッチ売りの少女」という、悲惨な最後となるお話を作ったのかを考えていた。
しかし、アンデルセンは、必ずしも、悲劇としてこのお話を書いた訳ではないと思った。
もちろん、悲劇としての面は確実にあるにせよ、それだけではないのだ。
アンデルセンは、少女が最後に美しいものを見たことを、強く訴えていた。そして、死んだ少女は微笑んでいたのである。
そして、少女を見殺しにした人々は幸福ではなかったのだ。

現在、不幸であるということは、今、不幸を作っているということだ。
意識の世界に時間は無い。それなら、今が不幸なら、過去も未来も不幸なのである。
しかし、心の座である胸に意識を集め、心を放散させると、今が幸福であることを感じることができる。
幸福を感じることが、人の最高の能力なのである。
ノーマン・ヴィンセント・ピールの、アメリカで3年間ベストセラーのトップを記録した「積極的考え方の力」で、ピールは、自分の小さな娘が、幸福でいる驚異的な能力の持ち主であることを述べている。
そして、今が幸福であるなら、過去も未来も確実に幸福なのである。

アメリカ1幸福な人は、自分を笑い飛ばすことが幸福の秘訣と言ったが、それは、今を笑い飛ばすということでもある。それで、今の自分を幸福にしているのである。
彼にとって、過去はずっと幸福だったし、これからもずっと幸福なのである。
我々も、自分を、今を笑おう。それで幸福なのであり、不幸になることは決してない。昨日も幸福に変わり、明日も永遠に幸福なのである。







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名言は天から与えられる

私は、「名言集」といった本があまり好きでない。
名言を空虚にしてしまう本だと思うのだ。

どんな名言も、それらの言葉の1つ1つには、それを言った者が、その言葉に達するまでの長い長い背景・・・思考、経験、感情などがあるはずなのだ。
そんな言葉を一瞬とか、せいぜい、数十秒で読み飛ばすなど、冒涜だし、そもそも、何の役にも立たない。

その人にとっての名言は、昔見た映画や、読んだ本、あるいは、ちょっとした会話の中での、たまたま目にしたり、耳にした一言が、なぜか忘れられずに心に残ったようなもので、それが、その人に特別に天から与えられたものだ。
本当の名言とは、言葉自体を求めて得られるものではないと思う。

ちょっとした例をあげてみる。
私は、テレビドラマで聞いた、2つの言葉を憶えている。

「攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃とは無抵抗なり。だから、何もしないのが一番強いのさ」
「爆発現場に近ければ近いほど、生き残れるそうだ」

共に、海外の古いドラマだったと思うが、ろくにストーリーも把握できない子供の頃に聞いたものだ。
聞いた時は、憶えていようとも思わなかった。それがなぜか忘れられなかったのだ。
これらの言葉は、いずれも、世間の常識とは真逆(正反対)である。
前のものは、老子や荘子の無為の哲学やガンジーの非暴力主義(無抵抗主義)を、後のものは岡本太郎の「危険な方、破滅する方を選べ」という生き方を感じるが、聞いた当時は、そんなものは知らなかった。
だが、やはり、啓示のような閃きや直観をもたらす言葉は、いつも、世間の教義や信念を打ち砕くものだ。

ある、劣等感にさいなまれた(苦しむ)青年がいた。
彼が、「僕はなんて駄目なんだ」と言った時、誰かが、「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思い込んでいるだけさ」と言う。
彼は、その言葉が心に残り、それについて何日も考えた。そして、彼は賢者に生まれ変わり、偉大な人物になった。
たまたま近くにいた誰かのさりげない言葉が、彼にとってのかけがえのない至言になったのだ。

名言集なんか見なくても、偉い人の言葉なんか教えてもらわなくても、その人に必要な言葉は天から与えられる。
自分より賢く、人より高い存在に対して謙虚であれば、その機会はたやすく訪れるだろう。
例えば、ジョセフ・マーフィーの「あなたも金持ちになれる」などを読むとき、それを読んで金持ちになってやろうという欲望が強過ぎると、何も心に残らない。しかし、「これを読んだ誰かが金持ちになったら楽しいな」程度に、気楽に読むと、この本が重要な言葉に満ちていることが分かると思う。マーフィー自身も「眠りながら成功する」の中で、そういった軽い、ソフトな感じが必要だと述べていたと思う。
大きなこと、とんでもない壮大なことに取り組む時ほど気楽さが必要なのだ・・・といった言葉を、「灼眼のシャナ」の中で、坂井悠二という主人公の1人の少年が言ったことも、印象深く、私の心に残っている。
やがては、世界は全てが互いに結びついており、誰も、何も孤立せず、1つの調和した統合体であると分かるだろう。天が必要な言葉を与えるのは、人がそれを悟る道に導くためだと思う。







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名前:Kay(ケイ)
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