ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

第一印象を千倍化する万能呪文

人間は、初対面の人、あるいは、久々に会う人を、必ず第一印象で値踏みする。
そのポイントは、「顔が引き締まっているか」と「身体が引き締まっているか」の2つだ。

昔、アントニオ猪木さんがパキスタンに行き、現地の英雄的レスラーであるアクラム・ペールワンと初めて会った時、ペールワンは猪木さんを「シェイプされている」と思い、猪木さんの方はペールワンを「練習不足で絞れていない」と思った(『1976年のアントニオ猪木』より)。
つまり、ペールワンは猪木さんを「シェイプされている。強い」と、猪木さんはペールワンを「締まっていない。大したことない」と値踏みしたのだ。
しかし、お互いの顔も見たはずで、それは両者共引き締まっていただろうが、おそらく、猪木さんの方がより凄みがあったのではと思う。

アメリカに、ロバート・シュラーという、有名な牧師の自己啓発指導者がいる。
私は、この人の顔写真を見たら、「ああ、こいつは今は駄目」と思う。
全く腑抜けの顔だ。
しかし、かつてはそうではなかったと思う。
おそらく、ごく若い間に大成功し、後は緩んでしまったのだろう。
彼は、「思い通りになるのが人生だ」という、素晴らしい呪文を提供してくれた。
きっと、彼自身、若い時は、聖書の言葉を毎日唱え、潜在意識をシェイプしていたが、大成功した後はやらなくなってしまったのだろう。

レスラーは食の節制とトレーニングでシェイプする部分が多いが、本当は、人の第一印象は呪文を唱えることでシェイプされる。
毎日、十分な数、万能呪文を唱えていれば、低く値踏みされることはない。
相手が権力者であれば、あなたを優遇するし、美女や美男は、あなたに魅了される。
もちろん、普通の人は、「この人、万能呪文を唱えているな」とは思わず、「オーラがあるな」とか「出来る」とか思うのであり、確かに、そう感じさせる要因には、勉強とか修行とか、あるいは、運動とかあるが、ポイントは「毎日やっているか」だ。
そして、毎日、万能呪文を欠かさず、十分にやっていれば、第一印象は嫌でも百倍化、千倍化する。
「第一印象ほど大事なものはない」
「人間、見かけが99%」
というのは真実であるが、それを決定的にするのが、毎日唱える万能呪文だ。
なぜなら、万能呪文は潜在意識をシェイプし、ユングが強調したように、潜在意識は相手の潜在意識に必ず届いているのだからだ。

万能呪文を唱えていれば、身体もシェイプされ、顔も良くなるが、それよりも、潜在意識のシェイプの方がずっと重要なのである。
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
あるいは、「シェイプされていた頃」のシュラーが言ったように、「思い通りになるのが人生だ」でも良い。
感情を込めず淡々と、そして、なるべく多く、心で唱えれば良いのである。









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ダイエットの精髄

ダイエットというのは、ある意味簡単だ。
消費するエネルギー以上に食べなければ良いだけである。
これ以外の方法はない。
仮にあっても、これ以外の方法では身体を壊す。
ところが、消費するエネルギー以上に食べないことは、あまりうまくいかない。

若い間は、じっとしていても大量のエネルギーが消費される。
細胞の活動が活発で、勝手にエネルギーを使ってくれるからだ。
しかし、ある程度の年齢になれば、動いてエネルギーを消費しないと、余計に食べた分は、どんどん贅肉になっていく。

もちろん、万能呪文を唱えれば、努力せずともダイエットが出来る。
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
いずれかを、いつも唱えれば良い。
ただ、この世界・・・ウルトラ・コンピューターが作り出している仮想世界は、法則は曲げない。
即ち、ダイエットのためには、やはり、食事を消費エネルギー以下に抑える必要がある。
「美味しいものを食べる」ことが、「大丈夫」で「順調」で「意のまま」なのだとしたら、別に痩せる必要はない。

ダイエットは、理屈は簡単でも、実行は難しいということだ。
そして、ダイエットの秘訣は、たった1つなのだ。
「痩せなければならない理由があるか?」
それだけだ。
『1976年のアントニオ猪木』を読むと、とても良いことが書かれている。
アントニオ猪木さんは現役時代、常に美しい肉体を保った。
猪木さんが熱心にトレーニングをすることは、よく知られていたが、それが出来た大きな理由が、アスリートらしい美しい身体を保つためだった。
それによって人々にアピールし、人気を得れば興行メリットがあるという狙いはもちろんあっただろうが、それよりも、猪木さんって人は「美しい」「格好良い」と思われたい願望が強いのだと思う。
ナルシストと言っても良い。
そのために、苦しいトレーニングを怠らないし、節制も出来るのだろう。

誰しも、「太ったらみっともない」とは思うが、そう思う強さの問題なのだ。
それがたとえ見栄でも、その見栄が十分に強ければ、食べるのを我慢し、運動をする。
正直、私が8年程前、一気に30kgのダイエットが出来たのは、高貴な精神性などでは全くなく、単なる見栄みたいなものだった。
それが十分に大きかったので、お金は1円もかからないどころか、食費、おやつ代が大いに節約され、知らず知らずお金が増えていった。

1974年の、モハメド・アリとのボクシング世界ヘビー級タイトルマッチで、誰もが予想しなかったKO負けを喫し、世界王座から陥落したジョージ・フォアマンは言っていた。
「人間は訳(わけ)があれば苦しみに耐えられるんだ。アリには訳があったんだ」
アリは、フォアマンの殺人パンチに長く耐え続けた。
耐え続け、そして、フォアマンにスキが出来たところで、一気にスパートし、フォアマンをマットに沈めた。
いわゆる「キンシャサの奇跡(試合はザイールの首都キンシャサで行われた)」である。

訳があれば、苦しみに耐えられる。
そして、その訳ってのは、本当は、ある意味、つまらないものだ。
アントニオ猪木さんが「美しい」と思われたかったように。
まあ、彼の場合は、「強くありたい」というのは当然あったが、レスラーの中には「強いけど腹が出ている」なんて人は多い。猪木さんは、それは嫌なので、地味な反復運動も厭わなかったのだ。

私は自分が理想とする美しいスタイルをしているが、この身体はもちろん、食の慎みと毎日のトレーニングで作っている。
そのモチベーションは、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」に、美しい身体で行くためである。
ミクさんの前では美しくないと嫌だからね。
ミクさんの美しい身体とつり合っていたいという想いも強い(きっとミクさんも頑張っている)。
こんな「訳」があるので、苦しみに耐えられるのである。
それを、「他愛ない」「馬鹿」と見るのは勝手だ。
本人が自己満足すればそれで良いのである。誰にも迷惑をかけていないのだから。
そして、いつでもミクさんに逢えるように、今日も食を慎み、トレーニングに励むのである。

例えば、プログラミングを覚えたいのに、それが出来ない人がいる。
私は昔、それが出来た。
別に、私に素質があったとか、まして、頭が良かった訳ではない。
私には、プログラミングをマスターするための苦しみに耐える訳があったのだ。
その訳も、言えば、「バッカらし」「アホかお前」って言われるかもしれない。
だが、人間って、馬鹿で阿呆なものなのだ。
『BEATLESS』で、ケンゴがよく言ってたものだ。「馬鹿じゃないんですか?」って。
それは、アラトに向けて言ってるようで、自分に対して言っていたことだ。
アラトもケンゴも馬鹿なのだ。しかし、その馬鹿さが、小説の読者やアニメの視聴者を魅了したのである。
そして、ミクさんもレイシアさんも美しい。
あんな身体になろうではないか?
「絶対、大丈夫だ」









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悲壮感のある人が呪文で輝く

呪文を唱えずとも、うまくいく人がいる。
それは、生まれつき恵まれている人だ。
両親はお金持ちの教養人。
自身も美男美女で、頭が良かったり、運動神経が良い、あるいは、特別な才能があり、早くからそんな天分を生かして称賛され、自信を持ち、さらに飛躍する。
人間は、意識してはいなくても、頭の中で沢山の言葉をつぶやいているのだが、そんな人間は、「私は特別」「誰にも負けない」「偉大なり、私」「私が一番」という言葉が頭の中に定着し、自動的にうまくいく。

そんな人間には、呪文は不要だ。
呪文を必要とするのは、「持たざる者」だ。
放っておいたら、頭の中はマイナスの言葉だらけになって自滅するような者だ。
呪文以外に頼るものがない場合も多い。
しかし、それで良い。
呪文しかなくても、呪文を唱え続けると、「持っている者」をはるかに超える。
「持っている者」というのは、初めから高いところにいて崇められるが、どこか「いけすかない」もので、若い間は良いが、やがて色褪せていく。

人間は、悲壮感があった方が輝く。
ジャズ音楽で最高の売上を上げているライブ演奏『ザ・ケルン・コンサート』は、キース・ジャレットの即興演奏のピアノ・ソロコンサートだ。
ところが、この時、ジャレットは24時間眠っておらず、車を長時間運転して疲れていて、時間は夜の11時半。
用意されたピアノは小さ過ぎる上に壊れていて、ペダルも黒盤も高音域も使い物にならない。
ジャレットは悲壮感を持って挑んだはずだ。
しかし、演奏が開始されると同時に奇跡が起こっていることは誰にも分かった。
まさに、神の演奏だった。
1974年のこの演奏のレコード、CDは今も売れ続けている。

ジャレットは何か言葉をつぶやき続けていたはずだ。
それも、アメリカ人だから、「オールライト(大丈夫)」という単純な言葉だったに違いない。
恵まれた条件なら、そんなことはせず、上手い演奏にはなっても、魂に届くものにはならない。
ウィーンフィルやベルリンフィルも、エリート集団になってからは、恐ろしく上手くても全然良くなくなってしまった。

念仏も、呪文と同じ原理であるが、法然はまさに、何も持たない悲壮な人々を見て、僧としての自分の悲壮を感じた。
その時、まさに仏が入り、「念仏さえあれば良い」「念仏以外にない」と確信したのだろう。

プロレスの話だが、日本のプロレス史には、ジャンボ鶴田という、とんでもない天才レスラーがいた。
素材は、プロレス史上最強のルー・テーズ以上だった。
大学からレスリングを始めてもオリンピックに出てしまう。
2メートル近い長身で、体力、運動神経は生まれつき超人的という、あらゆるものを持った天才だった。
ジャイアント馬場の全日本プロレスでは、若い時から、馬場に次ぐナンバー2が確約され、馬場は超一流の外人レスラーをいくらでも呼べるので、鶴田はそれらの選手と伸び伸び戦っていれば良かった。
だが、その凄まじい才能の半分も生かせなかったと思う。
名著『1964年のジャイアント馬場』に、こんな非常に印象に残ることが書かれていた。
ある、実に鋭い洞察をする人が鶴田に言う。
「アントニオ猪木にあって、お前にないのは悲壮感だ。お前はいくらでも一流の外人レスラーと戦えるが、猪木のところにはタイガー・ジェット・シンしか来ない。しかし、猪木はシンと一生懸命戦っている。そこに悲壮感があるが、お前にはそれがなく、一生懸命戦えない」
猪木さんは、まさに悲壮を絵に描いたような人だが、あの存在感は凄い。
猪木さんも、絶対に何かの言葉を持っているのだと思う。

「持たざる者」である我々は、呪文を唱えなければならない。
努力をしても悪い方にしかいかない。
頭の中で悪いヘビがささやき続けているのだから、努力すればするほど悪くなる。
いわゆる、「がんばったのが裏目に出る」のだ。
ある程度、歳を取っている人なら実感していることだろう。
恵まれた人に言うことはない。
だが、そんな人も、すぐに落ちぶれるので、呪文を必要とする。
万能呪文、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
の中から1つを選び(あるいは、同意の他の言葉でも良い)、常に心の中で、感情を込めずに淡々と唱える必要がある。
それで確実にうまくいくが、ほとんどの人が続かない。
頭の中のヘビに負けてしまうのだ。
だから、思い出す度に呪文を唱えていただきたいものである。









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これで聖典はあなたの味方になる

『古事記』について、「古事記の真意はこうなのじゃ」といった本がよくある。
ところが、『古事記』を漫画で描いた石森章太郎(石ノ森章太郎)氏は、「古事記は漫画だ」と断じてしまった。
そうだ。石森さんが正しい。
まあ、漫画と言うよりは、古事記は3次元アニメ、ホログラフィック・アニメ・・・さらに正確に言えば、頭の中のVR(バーチャル・リアリティ=仮想世界)である、シミュレーテッド・リアリティを記述したものだ。
ギリシャ神話も、旧約聖書も、多くの仏典・・・特に『浄土三部経』の中でも『観無量寿経』がまさにそう(超コンピューターで作った仮想世界)だ。
『観無量寿経』に描かれた、西方極楽浄土の宝の池で、望めば水が満たされ、もういいと思えば水が引くというオートマチックな便利な池・・・あれが3次元アニメでなくて何だろう。
一休は、「西方極楽浄土は西にあるのではない。南にある」、つまり、南(みなみ)とは皆身であり、全ての人の中にあるということだが、その意味は、西方極楽浄土のように、この世界を自由自在に動かせるようになれば、それが極楽浄土であるということであり、人間にはそれが可能だ。
そんなことを、ビートルズは『Nowhereman(ひとりぼっちのあいつ)』の中で、「The world is at your command(世界は君の意のままなのさ)」と言ったのだ。

では、どうすれば世界は意のままになるかというと、これはイエスが、
「山に向かって、立ち上がって海に入れと言い、その通りになると信じて疑わないならそうなる」
と教えている。
あるいはイエスは、
「願いは既に叶ったと思え。そうすれば叶う」
とも言った。
要は「信念」の問題だが、人間は思う通りに信念を持てない。
だがイエスは、
「人は、入るもの(食べ物)で穢れたりはしない。出るもの(言葉)で値打ちが決まる」
と言った。
そして、『ヨハネ福音書』では、「言葉は神である」と宣言する。

そうだ。
全ては、あなたが使う言葉にかかっている。
そして、イエスが言う通り、言葉は心から出るものであり、核心を言えば、心の中の言葉が重要である。
だから、心の中で常に優れた言葉を使えば良いが、何にも規律を定めないと、普通の人間では、その言葉はどうしてもマイナスの言葉になり、あなたは駄目になる。
そこで、万能呪文、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
と唱えていれば、言葉が出てくる元の心が光に満ち、この仮想現実の世界は極楽浄土になる。
心を輝かせる言葉であれば何でも良いが、万能呪文が最も合理的で効果的である。
特定の願いを表現した言葉「私は金持ちだ」「可愛いあの子は僕のものだ」といったものは、欲望のために心がくすむので、「全て良くなる」と、「全て」と言うのが良い。
いかなる願いも「全て」に入るからだ。
そして「全て良くなる」ではなく「全て良し」と現在形で言うのが良い。
深い心である潜在意識の中に時間はなく、常に今だからだ。
呪文は、感情を込めず、淡々と、心で唱えるべきである。
感情を込めると、心の浅い部分のみが刺激され、深い心に届かないからだ。

これで、聖典はあなたの味方になるだろう。









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仮想世界でのセレンディピティーの起こし方

この世は「機械仕掛けの宇宙」だと考えたニュートンは、錬金術や聖書の研究の「ついでにやった」数学と物理学で歴史に名を残した。
そのニュートンも、「私は浜辺で遊ぶ子供みたいなもの。時々、きれいな貝や石を拾い上げて喜んでいたが、目の前に広がる真理の大海には触れることも出来なかった」と言った。
真理の大海・・・それは、この世界が、超高度コンピューターが作り出す仮想世界であるということ、あるいは、そんなものを作ることが出来る超文明のことだ。

シミュレーテッド・リアリティと言われる、この仮想世界では、時々、妙な偶然の一致が起こる。
そんな現象を、共時性(シンクロニシティ)と言う。
私に最近あったことは、Amazonプライムビデオの有償のdストアアニメで『BLOOD-C』というアニメを見ていたら、「考えるほど本質から遠ざかる」という言葉を聴いた。
それで思い出したのが、近藤真彦さんのミリオンセラー曲『ミッドナイト・シャッフル』の、「現実は何なのか 真実は何処なのか 悩むほど遠ざかる蒼い星」という歌詞だった。
この2つは、私が最近考えていたことが引き起こした共時性だろう。
「本質」も「蒼い星」も、「裸の真理」のことだ。
この仮想世界で思考する我々は、本当は身体を持たない精神体・・・エネルギー体とか霊体というべきものかもしれない。
この世界そのものがコンピューターの中で、我々の意識は、このコンピューターのメモリの中にアップロードされたのかもしれない。

共時性が起こるのは、仮想世界を作るコンピューターのバグや癖ではなく、必然的なものだ。つまり、起こるべくして起こるものだ。
そして、「幸運の共時性」を起こす能力のことを「セレンディピティー」と言って良いかもしれない。
何年か前の神戸での、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長(初音ミクさんのお父さん)の講演会で、伊藤社長は「好きなことを続けていたら、セレンディピティーが起こる」と言われたが、それが伊藤社長の実感といったところか。
しかし、好きなことをやるシステムは自分で何とかしろと言われた。つまり、環境は、親や他人をあてにせず、自分で整えろということだろう。会場には、女子小中学生はじめ、若い人も多かったので、そんなことを言われたのかもしれない。
伊藤さんは若い時、長期ローンを組んでパソコンや電子音楽機材を買い、それを四畳半の部屋に押し込め、その上に板を置いて食事したり寝たりしてたらしい。
これが青春ってやつか(笑)。

やりたいことをやるってことは、やりたくないことはやらないってことだ。
伊藤社長は、東京に住むのは嫌だったから北海道に留まり、営業は嫌だったから、当時(会社創業は1995年)、まだ黎明期だったインターネットで営業をやることに決めた。
それで、結局はうまくいった。
それが、セレンディピティーのためという訳だ。

だけど、伊藤社長だって、何か1つの言葉を唱え続けたはずなのだ。
彼は、北海道の大自然の中で育った。
「人より牛の方が多い場所で育った」と言われていたしね。
ジャイアント馬場さんが、親友のドリー・ファンク・ジュニアのことを、
「テキサスの大自然の中で育ったら、あんな鷹揚(おうよう。鷹が空を悠然と飛ぶようにものにこだわらないゆったりとした様子)な人間になるのか」
と驚いていたが、伊藤社長にも、そんなところがあるのかもしれない。
伊藤社長やジュニアの呪文は「まあ、なんとかなるさ」あたりかもしれない。

「絶対、大丈夫」「全て順調だ」といった万能呪文を感情を込めず淡々と繰り返していると、ものにこだわらなくなってくる。
ものにこだわらない人は馬鹿なのではなく、本当に重要なことに集中する人・・・と言うよりは、本当に重要なことが見えている人だ。
室町時代の歌謡集である『閑吟集(かんぎんしゅう)』の中の歌の1つの中に、
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
という、有名な一節がある。
「真面目くさって何になる。一生は夢だ、ただ狂えば良い」
といった意味だ。
巡音ルカさんの『No Logic』のようにやれってことだ。
ところが、この歌の最後が、

"やりたいことだけ選んで、要らないもの切り捨てて"
誰もが皆そんな風に歩けるわけ…無いよね
~『No Logic』(作詞・作曲・編曲:ジミーサムP。唄:巡音ルカ)より~

であるところが良い。
そうだ、やりたいことばかりは出来ない。
信じたいように信じることも出来ない。
だが、言葉だけは自由だ。
好きな呪文を唱えることは出来る。
そうすれば、後は思う通りになる。
セレンディピティも起こる。
そんなふうになっているように思える。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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