ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

世界は柔らかい

イギリスの作家コリン・ウィルソンは、23歳の時、『アウトサイダー』で、ヒッピーの労働者だったのが一瞬で世界的作家になり、人生が一変した。
もっとも、彼の世界が変わったのは、19歳の時、まさに、青酸カリ(超がつく毒薬)を口に入れようとした時だった。
その時、カチリと音がして世界が変わったのだ。
ウィルソンは、ロシアン・ルーレットをやった後で人生が変わった者の話も好んで引用していたと思う。
そのウィルソンの座右の銘は、彼が崇拝するイギリスのSF作家H.G.ウェルズの自伝的小説『The History of Mr. Polly (1910)』(『ポーリー氏の生涯』未翻訳)で、ポーリー氏が言う、
「人生が気に入られないなら変えてしまえばいい」
だ。
(ウィルソンは、ウェルズを「女性のスカートの中にしか興味がない色キチガイ」と断じていたが、それでも崇めていたのだと思う)
「それが出来れば苦労はない」と誰もが言うかもしれないが、そう言うのは世間的な大人だ。
私は、ごく若い、経済的な苦労を知らない頃は、世界は本当に柔らかかった。
小学生の時、大学生の従兄にもらった天体望遠鏡で土星を見たくて、夜空の星の1つをデタラメに選んで見てみたら、ちゃんと輪がついていた。
高校生の時、ローラ・インガルス・ワイルダーの自伝小説『大きな森の小さな家』の中で、ローラの父親が、森で「お前は誰だ?」という声を聴いて逃げ出した話をローラにするのを読んだ後でテレビをつけたら、男性の老人の声で、
「フクロウは人間に話しかける。『お前は誰だ?』ってね」
と言うのを聴いた。
※フクロウの鳴き声は、「フー(誰だ?)、フー(誰だ)、フーアーユー(お前は誰だ?)」に聴こえる。
油断すると、世界はずっとそんな感じで、ユングのシンクロニシティー(共時性)どころの話じゃなかった。
小さい時は、それこそ、交通量の多い車道に目をつぶって飛び込んだものだ(決して真似しないように)。
kzさんが作った初音ミクさんの歌『DECORATOR』のように、「君のちょっとで5分後は変わる」し、「未来は弱い」のである(あの人、悟ってるなあ)。

世界は柔らかかったのだが、経済的になるにつれ、世界は固くなった。
このあたりは、経済的な苦労を知らない少年の方が支配力があることを、アメリカ最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンも『自己信頼』に書いていた。
まあ、経済的なことが悪いのではなく、経済的な不安を持つことが悪いのだろう。
岡田斗司夫さんの本のタイトル「ま、金ならあるし」を呪文のように唱えていたら、世界はだんだん柔らかくなっていくだろう。
ただし、欲張らない限り。
魔法を使う子供の特徴は「欲張らない」ことで、ある世界最高の投資家が言う成功のコツも「欲張らないこと」だ。
意外に投資家ってのは、子供っぽい感性を持ってないといけないのである。
ラマナ・マハルシも「賢者と子供はある意味似てる」と言い、荘子は、「賢者の心は鏡のようだ。来るものはそのまま写すが、去ってしまえば痕跡を残さない」と言ったが、マハルシの言う、賢者と子供に共通する特性がそれだ。
投資家ではなく事業家だが、スティーブ・ジョブズはそんな達人だった。

コツを掴めばそれで良いのだから、まあ、心配しないことである。
H.G.ウェルズの『塀についたドア』と『奇跡をおこせる男』を読むと良いと思う。









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幸福なのはユダヤ教徒

アメリカでは、かなり以前から、長い時間、広い地域のデータを集めることを重視している。
成功とか幸福に関してもそうである。
だが、日本では、突出した成功者が「私はこうやって成功したし、同じようにすれば誰でも成功する」と言うのをもてはやすが、言ってることは、どうしても嘘になる。
なぜなら、彼らは「たまたまうまくいった」特殊な例に過ぎないからだ。
あるいは、それなりの数の人間に接触する立場の人が「成功するのは、こんなタイプで、失敗するのは、こんなタイプ」と言うが、それは、大して頭の良くない者の主観に過ぎず、せいぜい2割当たっていれば良い方で、見解が根本的に間違っているのがほとんどだ。

アメリカで、大規模調査の結果、成功したり、幸福であるのは、どんな人間かというと、いろいろ言われていたが、宗教的には少数派のユダヤ教徒であったというのが興味深いし、「ああ、やはりそうか」と納得出来る。
ユダヤ教の教えは実利的で経験的だ。
もっとも、「ユダヤの教え」と語るデタラメが多過ぎる。
ユダヤ教の聖典タルムードは膨大な書であるが、それを恣意的(勝手気まま)に抜粋し、おかしな解釈を述べる者も多い。

そもそも、ユダヤ教もタルムードも、成功哲学でも何でもない。
言ってみれば、人間の義務を果すこと、正しく生きる方法を教えているだけだ。
あるいは、「害にならない人間になる」ことについて教えている。
つまり、なんと、実に、災いをなす人間でない限り、成功し、幸福になるのである。
「災いをなさない」とは「小善人」になることではない。小善人ほど災いはない。
小善人ほど「エゲつない」し、小善人ほど利己的だ。
そして、「ユダヤの富豪の教え」だとか「タルムード金言集」とかを読みたがる(笑)。
だが、いずれにしろ、災いをなす人間にならない方法は、シンプルに語らねばなるまい。
でないと、マスターには一生かかっても足りず、人生の大半を誤って過ごす。
この世で最も災いにならないもの。
それは星だ。
そこまでいくのが難しいなら、そよ風や朝日や夕陽になることである。
幸福な成功者は皆、星のようであり、そよ風のようであり、あるいは、朝日や夕陽のようである。
たとえ戦場の指揮官や兵士であってすらね。









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やっぱり、かけた時間が全て

昨日から、川原礫氏原作のアニメ『ソードアート・オンライン』を、Amazonプライムビデオで見始めた。
まだ6話までしか見ていないが、非常に感動したことがある。
SAO(ソードアート・オンライン)は、仮想世界にダイブ(完全没入)して行うゲームだ。
その中で、主人公の高校生キリトは無茶苦茶強い。
なぜ強いのかというと、それは明白で、キリトは、オンライン・ゲーム、特に、このSAOのβ版ゲームを誰よりも長時間プレイしたからだ。
何事も、時間を多くかけた者が一番スキルがあるという単純な原理である。

小学4年生の時、クラスの一人の女の子が、音楽の時間にピアノ演奏を披露したが、あまりに上手いので驚いた・・・いや、絶句した。
しかし、その理由は、彼女が単に、誰よりも長時間ピアノを弾いてただけのことだ。
小学校の時から、やたら絵の上手いやつ、野球やソフトボールが上手いやつがいたが、どうということはない。ただ、絵画教室に通っていたり、好きで絵を描いていて、その時間が、普通の子と比較にならないくらい長いのだし、少年野球チームに入っていたり、そこまででなくても、家に帰ってから毎日暗くなるまで野球遊びをしている子が上手いのは当たり前だ。
テニスやスキーがやたら上手いやつというのも、やはり、それらに時間をかけているだけのことである。

私は昔、沢山の超大手企業で、あるソフト開発ツールの指導をしていたが、教える者と教わる者との違いは、やはり、その開発ツールを使った時間の長さの差だけだ。
そもそも、プログラミングや外国語のスキルは、それに費やした時間の長さに正確に比例する。

時々、楽に東大に入ったなんて言う者がいて、まあ、それは嘘ではないのだろうが、そんな者に改めて聴いてみたら、こんなことを言っていた。
「東大なんて簡単だ。どの参考書も、書いてあることはそんなに違わないから、1冊覚えてしまえばいいのだよ」
そして、そいつもやっぱり、とんでもない時間をかけて、必要な冊数覚えたのだ。
要は、そいつは、1冊覚えるのが好きなのか、あるいは、周りにハメられて覚えたのだ(笑)。
もちろん、勉強を無理にやらされるのは、精神的抵抗があり、効率は悪いが、それでも、時間をかけることが出来れば、やっぱり成果は出るのである。

一流のピアニストになるには、毎日、大変な時間、練習しなければならないらしい。
ところが、ピアノに限らず、練習のし過ぎで、手が駄目になってしまった者が、少なからずいる。
そんな者達は、どこかやり方が間違っていたのだと思う。特に、精神的余裕がなかったのだ。
そして、1日1時間しか練習しないが、相当な腕前の少女のことをテレビで見たが、なるほど、彼女は、ピアノを弾く時間そのものは1日1時間でも、上手いピアニストの演奏を見たり、手先の器用さや、ある種の動きのセンスを磨く趣味を持っていて、それらをやる時間が長く、そういったことが、ピアノ演奏にプラスになっているのだ。
特に、良いピアニストの演奏を見るのは、脳のミラーニューロンの機能を考えれば、非常に良いことと思う。

ナンパが上手いやつにしたって、誰よりも沢山のノーをもらいながら、スキルを上達させただけのことだ。
渋谷(109の近く)で下手なナンパをいくつも見たが、「貴様ら、もっと真面目に沢山やれ!」と言いたいものである(笑)。
渋谷で下手なナンパを見せるなど、本当に恥ずかしい連中だ。
ちょっと断られたら、すぐに諦めるヘタレなのだろう。

英語もプログラミングも、「3日でマスター」だの「楽々覚えられる」なんてのは全部嘘で、とにかく時間をかければ出来るようになる。
AIの権威、ピーター・ノーヴィグは、プログラミングをマスターするには10年かかると言っているが、それなりのスキルに達するには、やはり、それだけの時間がかかるのである。
私も、プログラミングのマスターには、とんでもない時間をかけたものである。他に方法があったとは思えない。
だが、逆に言えば、何でも、時間さえかければ高いスキルを持てるのである。
ならば、好きなことに没頭せずにいられようか?









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これだけでお宝はあなたのもの

ネットで見たお話で、ご存知の方もいるのではないかと思う。
ある女性が、普通に学校を出て、普通にお勤めをしていた。
親は、彼女が子供の時から概ね厳しく、モノやお金を大切にするよう躾けたのだと思う。
そして、彼女が結婚する時、親が彼女に渡した預金通帳には、一生やっていけるほどの金額が入っていた。
彼女は、それまで、自分の親が金持ちだと知らなかった。
親は、「今ならあなたに渡しても大丈夫」と言う。
つまり、彼女は、普通の人間としての修行を立派にやったので、大金をもらっても破綻は起こさないようになっていたのだ。

『法華経』に、ちょっと似たお話がある。
国王並の資産を持つ長者が、長年、生き別れになって、長者が親であることを全く知らない極貧の息子に、長者は親だと名乗らずに長年修行をさせ、十分なところで自分が親だと名乗って、息子に財産を譲るというものだ。
『法華経』では、全ての人が、そのような長者である仏の息子や娘なのであると教える。

『新約聖書』の『福音書』では、イエスが有名な放蕩息子の話をしている。
こちらは、大金持ちの父親に財産を分与された息子が家を出て、自堕落になって財産を使い潰し、食べていくことも出来なくなって、父親に使用人に雇ってもらおうと家に戻ると、父親は温かく迎えて、良い服を着せ、立派な牛を屠って料理させるが、それを見た、長年父親に真面目に仕えてきた兄が不満を言う。
すると、父親はその兄に、「私のものは全部、お前のものなのだ」と、不満が的外れであることを教える。
もちろん、大金持ちの父親は神で、放蕩息子は我々のことである。

つまり、どんな生き方をすれば、仏や神である、潜在意識の中の無限の力を使えるようになるかということだ。
逆に言えば、生き方、そして、それを決める精神を、どのようにすれば良いのかということだ。
修行せい、修行を・・・である。
で、どんな修行をするかだ。
スーフィーの格言によれば大したことはしなくて良い。
「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
である。
世の中には、ラクダもつないでおかない者が多い。
だが、たったそれだけをやれば、お宝はあなたのものである。









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死んだ者と生き残った者の違い

アンネ・フランクは、ナチス強制収容所で若くして死んだのだと思われる。
それは、運が悪かったとも言える。
また、ヴィクトール・フランクルは、強制収容所から奇跡の帰還を果したが、強制収容所では筆舌に尽くしがたい 苦しみを味わった。
死なずに済んだとはいえ、やはり、ツイてなかった。
運はただの偶然かもしれないが、そうでないとしたら、彼らに何の落ち度があったのだろう?
私は、フランクルの『夜と霧』は熱心に読んだが、『アンネの日記』は最初の方を少ししか読んでいない。
アンネ・フランクは、概ね、世界中で愛されているのだと思うが、私は、あまり好きだと思わなかった。
自慢癖があるし、駄目な男の子には優しくない。
もちろん、それが普通であるが、そんなことは、あまり知りたくない。

こんな話がある。
数十年くらい前のことと思うが、やや政情不穏な国で電車に乗っていた男性が、トイレに行ったら使用中だったので、別の車両のトイレに行った。
すると、彼が元居た車両が爆撃され、もし、トイレが空いていたら、彼は死んでいた。
その時、彼は、世の中の全ては偶然の連続であると悟ったらしい。
運も不運も、ただの偶然であるということだ。

一方、妖怪人間ベムは、正しいことをしていれば、いつか必ず人間になれると信じていた。
根拠は全くなかっただろうが。
しかし、見ている者は、それを好ましいと思うだけでなく、やはり、そうであるという、確証はないが確信は感じるのである。
その通りだ。
善いことをすれば良いことがある。
悪いことをすれば悪いことが返ってくる。
ヴィクトール・フランクルは、強制収容所の中で、自分が生きることに精一杯の時でも、理性や善意を失わなかった。
だから生き延びることが出来たのだと思う。
こう言ったら、「では死んだ人達には善意はなかったのか?」という極端なことを言う者がいるかもしれないが、無論、そんなはずはない。
意思の強さの問題があるし、ものごとの原因は複雑だ。
だが、守護天使に恥じない行いをしている限り、そして、何か1つでも、自分を磨くことを欠かさずやっている限り、自ずとうまくいくだろう。










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