ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

2つの超呪文

どんな呪文を愛用するかで、人生は決まる。
そして、全ての人に共通する万能の呪文はない。
法然や親鸞の時代なら、「それは『南無阿弥陀仏』じゃ!」と言っても良い事情があったが、今は、そうではない。

今日は、面白い呪文を2つ取り上げよう。
きっと、気に入ると思うし、試してみても良いと思う。

1つは、ドイツのベルベル・モーアの『星からの宅配便』からだ。
その呪文は、「心おだやかに!」である。
10歳の少女アンナは、学校のハンスという、意地悪な男の子のことで悩んでた。いわゆる「ムカツク!」男の子である。
アンナは母のマルタから、「心おだやかに!」の呪文を教わり、ハンスに嫌な目に遭わされる度、この呪文を唱えた。
しかし、状況が改善せず、アンナはハンスに、「あんたにムカつく時にはいつも、『心おだやかに!』っておまじないを唱えているの」と言う。
そう言われたハンスは、「ふうん」と言って黙り、それからあまり意地悪をしなくなった。
しばらくして、アンナはハンスから、自分も「心おだやかに!」のまじないを使っており、さらに、他の子達にも教え、教えられた子達も使っていることを教えられる。
ハンスも、そして、他の子達も、皆、ムカつく何かがあるのだ。

もう1つは、ジェームス・スキナーの『100%』にある、愉快な呪文だ。
それは「こげばいいでしょう!こげば!」である。
これは、「ツール・ド・ヨーロッパ」という、ヨーロッパの14ヶ国5000キロを自転車で走るクレイジーなイベントに参加した選手の1人がつぶやき、選手達の間で流行った言葉だ。
37日の競技の初日には、炎天の太陽で肌は焦げ、足はパンパンで、全員クタクタだ。
選手達の平均年齢は43歳。
3日目、スペインのアンダルシア地方は昼に摂氏43度に達する。
山もあり、死ぬほどつらい。
夜になってもホテルに着かない。
そんな中で、1人の選手がつぶやいたのだ。
「こげばいいでしょう!こげば!」
すると、これが皆の口癖になった。
「道を間違ってしまった。30キロ伸びまーす!」
「こげばいいでしょう!こげば!」
「この先、峠が3つです」
「こげばいいでしょう!こげば!」
「これは2週間安静の大怪我です」(転倒した選手が肋骨を折った)
「こげばいいでしょう!こげば!」
「今夜のホテル、お湯は出ません」
「こげばいいでしょう!こげば!」
そして、37日後、全員がゴールした。

文句を言わず、やるべきことを淡々とやれば、嫌でも成功するということだ。
試験が迫っているなら、「勉強すればいいでしょう!勉強すれば!」だ。
セールスの仕事なら、「セールスすればいいでしょう!セールスすれば!」だ。
ダイエット中なら、「運動すればいいでしょう!運動すれば!」だ。
ブログを毎日書くと決めたら、「ブログを書けばいいでしょう!書けば!」だ。
自分に合うように変えれば良い。
他にも・・・
「歯医者に行かないとけない」
「行けばいでしょう!行けば!」
「健康保険料、毎月10万円払わないといけない」(高給取りが退職すると、こんな目に遭う)
「払えばいいでしょう!払えば!」
「可愛いあの子を口説くんだ」
「口説けばいいでしょう!口説けば!」(ただし、紳士的に)

ああ、ところで、誰にも教える気はないが、ついに理想のプログラミング言語を見つけた。
それはGo言語だ。
うんざりするほど遅い開発環境(VisualStudioのような)もない。
オブジェクト指向でもない(!)。
ループ文はforだけ(!)。
だが、Googleが作った新しい万能言語で、OSを選ばず、作ったものはどのOSでも動く。しかも、超高速だ。
JavaもC#もPythonもRubyも、もう古い!(※主観)
いまさら、新しいプログラミング言語を覚えるのも億劫だが、
「勉強すればいいでしょう!勉強すれば!」
である。
Webも、スマホアプリも、AIも、全部Goで作ってやるんだ・・・(作れる)
「作ればいいでしょう!作れば!」
でもまあ、一番役に立つのはVBAである(ニッコリ)。











  
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「何を覚えるか」が考えることより大切な理由

物凄く重要なことに気付いた。
それは、考えるより、覚える方が大事だということだ。
いや、それどころか、考えることには何の意味もない。
いやいや(笑)、そもそもが、人間は(犬もだが)、考えることが出来ない。
実は、思考というものは「発生する」だけであり、我々が自分の力で「作り出す」ものではない。
だが、我々は、自分が考えていると思っている。
これは別に、突飛なことではなく、様々な分野での科学的な実験で証明されているらしい。
興味があれば、前野隆司さんの本あたりを読むと良い。

なら、何をすることが大切かというと、有益なことを覚えることだ。
なぜなら、脳に記憶されたことを原料にして考えが起こるからである。
つまらない情報を脳にインプットすると、つまらないアウトプットしか出てこない。
だが、優れた情報を脳にインプットすると、アウトプットも素晴らしくなる。

よく、「学校は生徒にインプットばかりさせ、生徒はアウトプットの機会がないから能力が育たない」と言う者がいるが、それはちょっと違う。
教科書というのは、インプットしても、良いアウトプットを出させない残念な情報なのだ。
なぜなら、教科書とは、国家が国民を子供の時から奴隷にするために作ったものだからだ。

インドの聖者、ニサルガダッタ・マガラジは、師の「あなたは至高の実在である」という言葉を覚えていたから、7年で悟りを開いたという。別に修行は何もしなかったらしい。頭の中にインプットされた情報が、じわりじわりと、精神を変革していったのだ。
マハラジでなくても、偉大な人間は、聖書の中の1つの言葉や、イエスや釈迦が言ったとされる言葉のうちの1つ、あるいは、それに匹敵する言葉を覚えているものなのである。
そして、覚えていられるのは、本で言えば、せいぜいが十数ページの長さである。
岡田虎二郎が、ルソーの『エミール』の序文を覚えていたように。
同じように、優れた本の序文や第1章を覚えていることが、あなたの役に立つだろう。
本全部を読んでも、あまりに希薄な情報しか頭に入らないので、それでは優れたアウトプットは起こらない。
また、最初に良いことを書いてない(著者の自慢話とか)本は、啓蒙書では、あまり良いものはない。
ジョセフ・マーフィーの本なども、序章や第1章に大事なことが書かれている。そして、全部を読むと、その大事なことを忘れてしまうのだ。大事な部分を覚えた後でなら、補足程度に、残りも読んでも良いだろう。











  
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今こそ貧困がバネになる時代

お金持ちというのは、豊かな家庭で育った人に多いらしい。
特に日本は、高学歴だと自動的に富裕層になれるが、子供に高い学歴を得させるには、子供の頭が極端に良くない限り、かなりのお金がかかる。
ただし、豊かな家庭で育った者は、そこそこ豊かにはなるが、それ以上にはならないし、冒険のない、つまらない人生を送る。
そして、不測の事態が起こって、豊かさから転落すると、落ちることを止められず、悲惨な人生になる。
中でも、豊かな家庭で、甘やかされて育った者は、予想外の出来事に弱く、万一、巧妙な詐欺師等、頭が良くて悪いたくらみを持つ者につけ入られたら終りである。

育った家庭が貧しく、学歴がなくても、金持ちになることは出来る。
しかし、貧困層出身者は、自分は豊かになれないと思い込んでいる場合が圧倒的に多い。
けれども、彼らの障害は、まさに、「自分は金持ちになれない」という思い込みだけなのである。
豊かでなくても、どん底という訳でもなければ、そのまま下流家庭のまま終わってしまう場合が多い。人間は、つくづく変化し難いものなのだ。
だが、最低の状況にまでなり、「どうしてもお金が欲しい」「絶対金持ちになってやる」と思うと、それを叶え易いのである。
別に、極貧にならなくても、お金を持ちたい動機があれば、それが力になる。例えば、貧しい男が、好きな女性を金持ちの男と取り合い、経済力の差で負けたと感じた場合などだ。
将来の不安は、あまり良い結果を生まない場合が多く、その不安が恐怖になれば、普通の人は打ちのめされて無気力になる。
ところが、中には、不安や恐怖がどうしても嫌で、それを消すために金持ちになってやるという意欲を強く持つことがある。そんな者は大抵うまくいく。
要は、エネルギー、衝動、熱情である。

賢い金持ちは、子供に贅沢をさせないばかりか、不足が多い状態に置き、自分の力で富を得る動機、情熱を与えるのである。
だが、多くの金持ちは、子供に好かれたいとか、子供に自分の偉さを示したいばかりに、子供に何でも与えてしまい、子供を駄目にする。
今までの日本は、富裕層は、よほどのことがない限り、馬鹿息子も豊かさを保っていられたが、実は、そんな時代は終りつつある・・・いや、終わった。
今や日本の国力が衰えているにも関わらず、政府の要人は自分の利益を守ることしか考えていないので、これまでなら豊かさを保てた家庭からも搾取を始めており、能力がなければ、あっさり剥ぎ取られることになる。
逆に、これまでは浮上が難しかった下級庶民が、やる気さえあれば、金持ちに取って代わることが出来るようになった。もっとも、そんな平成・令和の成り上がりも、子供を甘やかしたら、やはり子供が駄目になるばかりか、ひどく駄目になるのだ。

そんな訳で、今や、貧しい者は幸いだし、そこそこ豊かな者も、やる気になればうまくいきやすい時代だ。
ただ、さっきも言ったが、貧しい層の中には、自分には出来ないと思っている者が多いのだ。
その意識改革をするには、ベン・スイートランドの『私はできる』の第1章や、クラウド・ブリストルの『信念の魔術』の最初の方だけ読むと良い。
途中以降の、ごちゃごちゃと著者が頭で考えて書いたことは、かえって混乱し、時間の無駄だから、読まない方が良いかもしれない。
とにかく、あなたがやるべきことは、最初の方に書いてある。だが、読み過ぎると、その肝心なことを忘れてしまう。
だから、「これだ」と思うものが見つかったら、後は読まないことである。











  
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500回自分に語りかける

最近、自己暗示は500回で効果が出るという話を複数見て、関心を持った。
だいたいそれで合っていると思う。

『残酷すぎる成功法則』(エリック・パーカー著の)第3章「勝者は決して諦めず、切り替えの早い者は勝てないのか?」の『どんな困難も乗り越える人に「必ず共通する習性」』の中にこんな話がある。
「人は毎分頭の中で、300~1000語もの言葉をつぶやいている」ようで、それが、精神の楽観性、悲観性に大きな影響を与える。
そして、保険外交員について調査したところ、楽観的傾向が高いグループの売上げが圧倒的に高いことが分かったという。
そこで、アメリカの最も過酷な軍隊「シールズ」の入隊訓練を受ける若者に対し、自分にポジティブな言葉・・・「大丈夫だ」「きっと出来る」を語りかけるよう指導したら、合格率が10%も向上したという。
普通の人間は、頭の中のつぶやきは、ネガティブな言葉が多いのだと思う。
それで、十分な数、ポジティブな言葉を自分に語りかければ、頭の中のつぶやきもポジティブに変わってくるのだろう。
ポジティブな言葉の回数は500回くらいで、効果が出てくるということだろう。
もちろん、もっと早く見ざましい効果が出る人もいるし、もっと多く必要な人もいるだろう。

江戸末期の神道家、黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、1日1万回「ありがたい」と唱えるよう指導したら、1週間でその武士のハンセン氏病が消えたという。
これは、その武士がかなり重度の悲観主義にとり憑かれていて、楽観主義に転じるには、それほどの回数を要したのだろう。だが、それでも安い対価と言える。
ヘレン・ケラーも、楽天主義こそが、人生最大の武器であると述べていたと思う。
また、ラルフ・ウォルドー・トラインの『In Tune with the Infinite』(邦訳:人生の鍵をひらく「万能の鍵」)でも、楽観主義の重要性が強調され、80歳を過ぎていながら25歳以上に見えない楽観的な女性の話が取り上げられていたと思う。
ベン・スイートランドの歴史的名著『私はできる』は、つまるところ、「私はできる」と思えば不可能はないと書かれているだけで、それなら、黙って「私はできる」と500回唱えれば良いだろう。











  
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啓蒙書は序章だけ読め

岡田式静坐法で知られた岡田虎二郎(1872〜1920)は、1901年(明治34年)に30歳で単身渡米したそうだが、その20世紀になったばかりの、民間の海外旅行など、ほぼ皆無の時代に、財産があった訳でもなく、皿洗いをしながら、3年半に渡って欧米の書物を学んだという。
イギリスの作家、コリン・ウィルソン(1931~2013)が、学校を終えた15歳からは、肉体労働をしながら図書館で読書に励んだという話を思い出す。それも大変な苦労であるが、岡田虎二郎のは、それどころではなかったはずだ。

彼らには、大きな志があったのだが、岡田虎二郎が、その志を得て人生を変えたのは、小学4年生の時に、小学校の図書館で読んだ、フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』であったようだ。
ところが、虎二郎が読んだのは、序文だけであったらしいが、実は、ルソーも、『エミール』は、序文のところだけを書くつもりが、あのような長い小説になってしまったようだ。
つまり、ある意味、『エミール』は、序文だけを読めば良く、虎二郎はそれをしたのだが、それで、わずか小学校4年生の虎二郎は、この高度な教育論に感銘を受けたのである。

ところで、本の中には、やはり、最初に重要なエッセンスが書かれているものが多い。
昨日、ベン・スイートランドの『私はできる』のKingle(電子書籍)の無償サンプルを読んだが、それでもう十分だと思った。むしろ、その後には余計なことが長々と書かれており、時間を無駄にしながら、せっかくの最初の良い部分を忘れてしまう・・・と言ったら悪いと思うが、まさにその通りだと思う。
1冊の本に書かれた、記憶すべき重要なことは、1~2行だという話もあるが、大抵の本では、特に、啓蒙書では、それが最初に来る場合が多い。
クラウド・ブリストルの『信念の魔術』などは、まさにそんな感じで、これは序文だけとは言わないが、最初の方には素晴らしいことが書かれているが、後に進むにつれて、余計な付けたしばかりが長々続いているように思えてならない。
言い換えれば、最初の方に、ブリストルが得た神の啓示のようなものが書かれ、後の方は、ブリストルの個人的考えが述べられているのである。
これはつまり、啓蒙書においては、1冊の本というのは、長過ぎるのだと思う。
もっとも、『正法眼蔵随聞記』(道元の短い講話の寄せ集め)などは、全章がそれぞれ1つのエッセンスであり、1冊読む価値があるが、それでも、道元の教え自体は、前書き程度の長さで書けるはずなのだ。
アリストテレスは難しいと言われるが、その中でも難解の部類に入ると思われる『魂について』を読んでみたが、確かに解らない。しかし、最初の方は面白いし、後の方はアリストテレスの個人的な考え・・・言ってしまえば偏見が書かれていると言ったら学者先生に怒られそうだが、私にはそうとしか思えない。

啓蒙書でも、重要なエッセンスが最初に書かれているとは限らないが、それでも言ってみれば、エッセンスは最初に書くものであり、そうでないなら、その本は良くないかもしれない。
ただ、小説の形で、思想や哲学を描いたものは別であり、また、小説であるのだから、著者は最後まで面白いことに気を配っているはずで、「クライマックス」という言葉があるように、最後の最後に重要なメッセージがある場合が多い。
H.G.ウェウズの『宇宙戦争』など、まさにその通りだ。
もっとも、ウェルズが最高の作家だと言うカート・ヴォネガットの傑作小説『母なる夜』は、最初に良いことが全部書かれているように思えるので面白い。

ただ、こう言うと「1冊買うのはもったいなくはないか」と思えるかもしれないが、それは全く逆で、エッセンスをしっかり掴んでこそ、本を買った意義があり、良い本はエッセンスに1冊分以上の価値があるのだ。
そして、エッセンスとは、著書が頭で考えたことではなく、著者が得た啓示であるはずなのだ。
人類屈指の偉人アリストテレスの著作の冒頭だけを読み、それで、アリストテレスの啓示的真理を掴めたら、これほど素晴らしいことはない。彼が頭で考えたことは、大半が間違っていることは、現代では分かっているが、内なる啓示は不滅なのであるから。
それを何度も読んで、覚えてしまえば良い。











  
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