ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

甘やかされて育った人はどうすれば良いか

TM(超越瞑想)を普及させたインドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギは著書で、「積極思考に価値はない。せいぜい、消極よりましな程度」といったことを書いていて、私は長くこれを信じていた。
つまり、洗脳だ。
マヘーシュ・ヨーギは、富裕層を消極にすることで思想支配し、莫大な収益を上げたのではないかというのが、私の考え方だ。
自ら大富豪で、超贅沢な暮らしをし、大学や様々な施設を作り、権威を高めた。
このあたりは、同じインドの宗教家サイババと共通していると思う。
TMに関しては、私は自分で習いに行った時、あくまで私の感覚であるが、いかにも「嘘くさい」雰囲気を感じていたし、人間の価値は必ずしも表に現れないにしろ、TM教師達が優れた人間であるようには見えず、押し付けがましく、論理的でもなかった。
そもそも、TMの理論についてTM教師に尋ねると、「深いものなので、理解したければTM教師のコースを取るしかない」と言われたものだ。
その他の説明は、支離滅裂と感じた。
その後、TMの嘘はばれているような気がする。
詳細は述べないが、私が今すぐでもTM教師をやれるだろう(やらないが)。

人間は、積極的でなければならない。
もちろん、闇雲に前に突き進めば良いというものではない。
それでも、積極的で情熱的でなければならない。
妄想的なプラス思考をしろと言うのではない。
内なる声に従い、挑戦し、不屈の闘志を発揮して粘り、失敗の中にも成功をすることで(1勝14敗かもしれないが)、少しずつでも力をつけ、それに伴って自信を獲得するしかない。

そして、そのためには、「自分の力によらずに満たされてはならない」ことが大原則である。
子供には厳しくし過ぎてもいけないかもしれないが、あまり甘やかさない方が、その子のためだ。
過度に甘やかしたら、その子は終わりである。
優れた気質を持った、根性のある子なら、少々、厳し過ぎても良いかもしれないが、やはり、負担が重くなり過ぎないように注意しなければならない。
私は、甘やかされて育って、すっかり駄目になっていたが、フルコミッション(完全歩合制)セールスという違法な厳しい労働(最低賃金も支払われなかった)に2年従事したことで、少しはマシになった。
長嶋一茂さんがテレビで、自分が甘やかされて育ったことの弊害を述べていたような覚えがあるが、彼はプロ野球という厳しい世界で、大きな成功はしないながら磨かれて、欠点は残っているだろうが、美点も育てることが出来たのだと思う。
普通、あれほどの育ち方をすれば、全く駄目になっていただろうから、凄いことであると思う。

子供は甘やかさないこと。
自分は王子様やお姫様だと思わせないこと。
親が子供に媚びないこと。
そんなことが最低限必要だ。
不幸にも、自分が王子様やお姫様だと思ったまま大人になってしまったら、厳しい環境に身を置き、現実を思い知ることから始めなければならない。
それは辛いことであるが、「親が悪い」と言っている暇はない。
そして、苦しさを、特技を身に付けるエネルギーに変えなければならない。
苦しさ、辛さから逃れるには、人に出来ないことが出来るようになるしかない。
それしかないと痛感出来るなら、案外エゴママに育てられるのも悪くはないかもしれない。

積極的思考の世界的ベストセラーは、サミュエル・スマイルズの『自助論』と、ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』であると思う。
ただ、後者はキリスト教が根本になっている。まあ、そのことが、それほど差し障りになるとは思えないが。
個人的には、ウィリアム・ウォーカー・アトキンソンが良いと思う。
しかし、本を読むだけでは、どうにもならない。
憧れと情熱を行動に移さなければならない。
だが、それは、人生で最も楽しいことである。
いや、それが出来ない人生は地獄であろう。
スタート時点では、自分の価値はゼロである。
価値は誰も与えてくれないが、自分の手でいくらでも得られる。
そして、人間の価値は、ある程度の範囲までは、収入とほぼ正確に一致する。
ある程度の収入がないなら、それが得られるよう、まずは全力を注ぐ必要がある。
そのために最も良い方法は、人に出来ないことが出来るようになることだ。
それは他者の役に立つことである必要がある。役に立てる人が多いほど高収入なのである。









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潰しが利く(つぶしがきく)話

「潰しが利く(つぶしがきく)」という言葉を、私は長い間、理解出来なかった。
解るようになったのは、何度も転職してからだ。
高校生の時に読んだ漫画の中で、数学教師の父親が、医学部志望の高校生の息子に対し、
「教師は潰しが利かない。その点、医者はいい」
と言うのが、本当に、全く理解出来なかった。
まあ、今思えば、医者だって潰しが利かないのだが、潰す必要がないってことだろう。
ちなみに、「潰しが利く」とは、持っている能力が多くのことに転用出来ることで、特に、他の職業でも応用が利く職業能力のことを言う。
「教師はつぶしが利かない」というのは、教師の能力は、他の職業で通用せず、教師をやってて、ある程度の年齢になってしまえば、もう一生、教師以外は出来ないという意味だ。
実際、教師は潰しが利かない傾向はあると思う。
アメリカでは、教師ほど応用が効く職業はないと言われているらしいが、それは、アメリカでは教師は少しも偉いと見なされないという事情があるからと思う。
日本では、新卒の若者すら、「先生」と呼ばれて自尊心を満足させてしまうが、そもそも、それが潰しが利かない最大の原因ではないかと思う。

スポーツでは、陸上短距離のウサイン・ボルトがサッカー選手を目指しているらしいが、さすがに、一流サッカー選手にまでなれるかどうかはともなく、走力は、あらゆるスポーツの基礎で、野球の上原浩治さんのように、陸上競技出身のスポーツ選手には有利な点が多い。
だから、どんなスポーツを目指すにしろ、まずは陸上という考え方もあると思う。
相撲や柔道は、能力的には、あらゆる格闘技に通用しそうだが、相撲も柔道も、倒れた相手への攻撃をしない習慣が邪魔になることがあるし、プロ格闘技の、時に、汚さが必要な駆け引きに馴染めないと、全く適応出来ない。

では、最も潰しが利く職業は何だろう?
自己開発プログラムのSMIを開発・販売するSMI社の創業者ポール・マイヤーによれば、それは「セールス」だと言う。
その意味は、いかなる職業も、根本は売り込みだからで、スポーツ選手だって、いかに優秀でも、自分を売り込む力がなければ、特にプロでは成功出来ないと言う。
まあ、ある意味、そうであるとは思うし、私も、自分がセールスをやった経験から言っても、かなり実感するが、「では、セールス能力の何が、他の職種で生きるか?」と言えば、むしろ、忍耐力、根気、そして、自主性、そして、何より「現実性」である。
セールスほど「現実を思い知る」職業は、そうはないと思う。結果が全ての職業で、「がんばっているかどうか」は、1%も考慮されない仕事であるからだ。

ところで、最も論理的な数学者、あるいは、数学教師は、さぞ潰しが利くと考えられるのだが、数学者こそ、「潰しが利かない職業の代表」なのである。
学問に関係する職業の中でも、特に、数学者や数学教師は「頭が良い」と言われて、プライドが高くなってしまうのが最大の害悪だが、それでも、本当に能力が高ければ何とかなりそうなものだが、それが、どうにもならない。
つまり、仕事っていうのは、理屈でやれるものではないということだ。
いや、もちろん、どんな仕事でも理屈は必要だが、それよりも、もっと大切な能力があるのだが、数学者のように、理屈の能力をいびつなまでに肥大化させると、他の能力が身につき難いのだろう。
そして、世の中は、数学的な理屈では動かない。
しかし、プログラマーの理屈、すなわち、「アルゴリズム」は万能と言われる。
アルゴリズムとは、処理手順とでも言うものだが、プログラムで表現していること自体がアルゴリズムだ。
プログラミング能力が増すほど、アルゴリズムを考え、構築する能力も高まる。
プログラミングをやると、IT全般、また、AIだって理解し易くなるが、それは、コンピューターに対する理解力が高まるということもあるが、やはり、アルゴリズムという理屈の能力が高くなるからだ。
一方、これは私も不思議に思ったが、評価の高い数学教師がプログラミングが出来ないということがよくあるのである。
いや、本当に能力がない訳ではないが、彼らが誇りを持っている数学的論理思考は、やはり、少しも潰しが利かないのかもしれない。
人類最高の数学者の1人であった岡潔は、数学には情緒が必要と言ったが、それは、感情の中に高度な何かがあるという意味であり、数学者が情緒的という意味ではないと思う。

私は、過去万能と言われたセールスマンと、現在、万能と言われるプログラマーの両方であるのだが、もちろん、万能とはほど遠い。
しかし、これらを、もしやらなかった私と比べれば、千万倍も万能である。
だが、今は、セールス力よりは、共感力と想像力(あるいは創造力)だ。
そして、真のセールス力も共感力と想像力なのだ。
だから、今の世の中、初音ミクさんが分からないと、時代に取り残されるのである。
ところでだが、本当に万能な力は熱意である。









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千回万回の反復

梶原一騎さんが原作を書いた、1960年代、1970年代の漫画、『あしたのジョー』『巨人の星』『タイガーマスク』『愛と誠』などは、いまだよく知られて人気もあり、新作の漫画、アニメ、実写映画すら作られるほどだ。
梶原一騎さんという人物は、見かけはまさに暴力団のボスといった雰囲気で、実際、悪事をやらかして逮捕もされているし、特に差し止め請求もなく出版されている書籍で見る限りは、非人道的と言われておかしくないことも色々やっていて、ロクでもない人間という部分は、おそらく小さくはなかったと思う。
だが、作家としては天才かもしれず、彼が原作を書いた多くの漫画は、ストーリーの使い回しが露骨な場合(よくやっている)ですら、かなり面白い。

私は最近、一冊100円で購入出来ることから、『カラテ地獄変牙』という、1970年代の梶原一騎さん原作の漫画(漫画作者は中城健さん)を読んでいる。
暴力的な描写が多いせいか、陰鬱で読んでいて疲れてしまうことも多いが、人間の生命力を感じさせ、「心に火をつける」のが上手いことが、梶原作品の魅力ではないかと思う。
また、青年誌掲載の漫画と思われ、性的なシーンも多く、これも読者を獲得する手段なのだろう。
ところで、この作品には、実在の有名な空手家、大山倍達さんをモデルにした超人空手家、大東徹源が重要な人物として登場する。
作品の中で、その大山倍達さんの言葉として、
「空手道に極意なし。あるは一つの突き一つの蹴りの千回万回の反復のみ」
と書かれていた。
本当のことを言えば、実際は、突きや蹴りの正しいやり方が重要で、その上での反復だし、反復も、あまり多いとかえって悪いことが少なくはない。
しかし、こんな言葉が好きな人は多いし、私も結構そうだ。
なぜなら、反復だけでいいなら、単純で頭を使わなくて良いからで、人に頭を下げて教わる必要もない。
ただ、あながち、間違いとも言えない。
「馬鹿の一つ覚え」が案外に効果的であることの事例は少なくないし、自分で経験した人も多いに違いない。
どんなことでも、反復の力は疑い様がない。

ただ、大切なことは、「やらされる馬鹿の一つ覚え」「やらされる千回万回の反復」は、必ず、ロクな結果にならないことだ。
一方、「自主的な馬鹿の一つ覚え」「自主的な千回万回の反復」は、必ず、何らかの成果を得ることだ。
そして、「自主的に」千回万回反復出来る何かを見つけた人が幸福なのであり、勝利者、成功者と言っても良いのだと思う。
それこそ、どんなロクデナシでも、それさえあれば、そう残念な人生にはならないし、力を得ても謙虚であれば、人生に満足出来ることだろう。
自主性と、それを継続出来る熱意こそ幸福の鍵と言って良いだろう。
しかし、それを持つことは難しく、そして、支配者というものは、大衆にそれを持たせたくないのであり、なおさら多くの人は、自主的でなく、まして、それ続ける熱意もない。
だから、自由であるためには、本当に自主的に何かを千回万回反復すれば良いのだろう。









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ぬるま湯男子(女子もだが)からの脱却の仕方

昔、中島孝志さんの『波動経営』という本を読んだ中で、よく覚えている話がある。
松下幸之助のセミナーで、松下幸之助は、
「これからの時代は何が起こるか分からないから、会社は蓄えを持っておかなければならない」
と話したところ、誰かが、「どうすれば蓄えをもてるか」と質問すると、松下は、
「蓄えが欲しいと願うことだ」
と言ったらしい。
受講者達からは笑いが起こった。
その質問も間抜けだが、それでも、「なるほど」と思った稲盛和夫さんは後に大成功したのだと書かれていた。

これは、個人も同じことで、金持ちになりたければ、金持ちになりたいと願わなければならない。
ただし、強く願わなければ叶わない。
ほとんどの人が金持ちになれないのは、金持ちになりたいと本気で思わないからだ。
つまり、欲望が弱いのである。
強く金持ちになりたいと願えば金持ちになれると分かっても、ほとんどの人は、それほど強くは「望めない」のだ。
特に、裕福に何不自由なく育ったぬるま湯男子(女子もだが)はそうであるし、多少の苦労は知っていても、強い人や世間のいいなりになって生きたがる人の方が圧倒的なのである。

欲望は育てないといけない。
なんとしても、強い欲望を持たなければならない。
まずは、モテたいと思うことで欲望を磨くと良い。
「僕は、馬鹿な女どもになんかモテたくないな」といった、シニカルな態度が一番良くない。
そんな男は、本当はモテたいくせに、意気地がないから女性から逃げているだけで、そんなヤツは、当然モテないし、大きなことは何も出来ない。
また、今は多そうな気がするが、アダルトゲームみたいなもので満足していたら、欲望は全く育たず、惨めな一生を送ることになるだろう。

だが、いかに平穏に生きていても、人生には、それなりのピンチは何度も訪れるものだ。
それを逃してはならない。
就職出来なかったら、「就職なんて馬鹿のやること」などと言って自分を慰めるより、「良い会社に就職したい」と、出来る限り強く思った方が千倍も良い。
要するに、自分が欲しいものに素直になることだ。
高度な資格を取って威張りたいなら、いくら周囲が、「資格なんて実務の役に立ったりしないよ」と言っても相手にせずに、がんばって取った方が良い。
ただし、簡単に取れる資格では、さほどの欲望が起こらず、そんなもので満足していたら、やはり、つまらぬ凡人にしかなれない。

人生は熱く激しくあってこそ楽しいし、満足出来る。
それなら、訪れる危機を歓迎することだ。
そこに幸福の、満足の鍵がある。
ピンチは、強く生きるための欲望をプレゼントしにやって来るのである。
それを歓迎しないなど、愚かだし、もったいないじゃないか?
ちなみに、私今、結構ピンチである(笑)。









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成人式について

harenohi(はれのひ)という、着物販売・レンタル・着付けを行う会社が、成人式の日に、従業員すら事情を知らないまま業務不能の状態になり、ここで振袖と着付けを予約していた新成人が、記念すべき成人式に振袖を着られないことになってしまったこと、そして、同業他社やharenohiの従業員すら、そんな新成人達が振袖を着て成人式に出られるよう努力をしたことをテレビで見た。

かくいう私は成人式には出ていない。
ちゃんと通知は来ていたし、成人式当日、友達から誘いの電話があり、車で連れて行くから行こうと言ってくれた。それを当時はありがた迷惑と思っていたが、やはり感謝すべきだろう。
別に用があった訳ではなく、家で暇していたが、それでも行かなかったし、行くことは想像も出来なかった。
一方、わが姉上は、成人式には立派な振袖を着て、沢山の友達と一緒に行っていたのだが。
私には、「なぜ成人式に行くの?」という想いしかなかったし、それは今でも変わらない。
そんな世間的で、権威さえ感じさせる行事を、私は呪うほどに嫌悪している。
今もあるのかどうか知らないが、NHKが放送していた記憶がある、「青年の主張」なんてものは、おぞましいというか、あれほど神経を逆撫でするものはないのに、私の両親がまた、あれが大好きで、大音響で視聴していたものだった。
そして、当時の私は、しがないニートでございまして(となぜか謙る)、まだ一目見れば分かる小学校や中学校のクラスメイト達に合わせる顔もなかった。
まあ、二十歳といえば、大学受験で二浪していれば、ニートとは言わないだろうが似たようなものかもしれないが、私のように世間嫌いでなければ、そう気にする必要はないとは思う。

もちろん、私は成人式に行かなかったことを1ミリも後悔していないし、しきたりで「やることになっているもの」は、今でも大抵やらない。
他人の葬式まで無視はしないが、それも、亡くなった方の遺族に配慮してのことであり、自分の葬式はしないよう周囲には言ってある。
自分の葬式のことなんて想像したら、ぞっとするとまでは言わないが、本当に「嫌」だ。
私の葬式に、義理で嫌々来る人の気持ちを考えたら、本当に気の毒で、絶対にやらないと誓う。

harenohiの被害に遭った方々には、本当に気の毒に思うし、その人達の落胆も想像出来る。
それは、私が行くことになっている初音ミクさんのライブに、トラブルが起こって行けなくなったようなものなのかもしれない。
とはいえ、やはり、成人式に行くのが当たり前だと思っている人、成人式を楽しみにしていて、とても大切なものだと思っている人達と私は、考え方が違う人間であり、友達になることはないと思う。
だが、友達にはならないが、私は、そんな人達も、そんな考え方も否定はしない。
また、私は、こちらが「優」ということは全くないのはもちろんだが、(こちらが)「劣」とも思わない。
問題があるとすれば、あちらを「優」とする世間だ。
成人式を重んじることは、善いことでも悪いことでもない。
もちろん、世の中には悪いことも沢山あるが、これはそうではない。
そして、人間の世の中に、とりたてて善いことなどない。
あえて言えば、「当たり前」だけが善いことである。
竹宮恵子さんの漫画『私を月まで連れてって!』で、宇宙飛行士のダン・マイルドは、宇宙船が事故を起こした際、自分が宇宙船から離れる反動を利用して少女を宇宙船に送るが、それは当たり前のことである。
『インデペンデンス・デイ』で、老パイロットがジェット機で巨大宇宙船に突っ込んだのは、特に善いことではなく、当たり前のことなのだから、それを感動的な場面にしようとするのは虫唾が走る。
しかし、そんな「当たり前」も強要すれば、当たり前でなくなるだけでなく、悪いことになる。
だが、やっぱり、世の中に、善いことなどないのである。
そんな世の中を作ろうと思う。









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名前:Kay(ケイ)
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・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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