ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

身体の中のエネルギーセンター

身体の特定の部分に、指で押すなどの刺激を与えたり、意識を集中するなどで、病気が治ったり、能力が上がったり、さらには、運が良くなるという話は、割と真面目なものがよくある。
有名なものでは、中国の経絡や、その中にあるツボというものがあり、現在では、西洋医学者にも経絡やツボを研究する者が増えているが(私も1人だが直接知っている)、経絡やツボは複雑で素人の手に追えるものではないと思う。

骨法(こっぽう)という武道を作った武道家の堀部正史氏は、身体には「クラ」という、刺激すれば心身が強化される部分があり、耳の少し上にある「ミミクラ」と、太腿の内側にある「ツルギノクラ」の位置を示した。そこを指でこすって刺激すれば、英雄のような心身を持てるとしていた。
『ナ・ダーム』という本には、末期の癌を精神的な療法で治す話などがあるが、その中で、右まゆの左付け根が身体のエネルギーセンターであるとし、ここを意識しながら「ナ・ダーム」と唱えることで、身体のエネルギーの流れが正常化し、結果、生命力が上がって病気が治ったり、能力が向上すると述べていたと思う。昔、軽く読んだだけなので、細かい部分は覚えていないが、その本を本を翻訳した優秀な翻訳家である川口正吉氏は、「ナ」で息を吸い、「ダーム」で吐くことを勧めていたと思う。おそらく、「ナ」で短く吸い、「ダーム」で細く長く吐くのである。
額がエネルギーセンターであるという話は多いが、『ナ・ダーム』のように、右まゆの左付け根と細かく指定するのは珍しい。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、そこをどうしろと言ったわけではないと思うが、胸の中央から指2本分右が魂の座であると言った。

他にも、ヨガのチャクラが有名だし、岡田虎二郎や中村天風らが、下腹や肛門を、エネルギーセンターという言い方はしなかったが、力をこめるべき重要な箇所としていた。

2つの博士号(心理学、自然療法)を持つアレクサンダー・ロイドが開発し、世界140か国で行われているという「ヒーリングコード」では、鼻梁、のど仏、あご、こめかみの4つをエネルギーセンターとし、そこに指からエネルギーを送ることで、ある作用が起こり、結果として、あらゆることに最大の効果があったという多くの人々の報告を紹介している。
詳細は『ヒーリングコード』を読むと分かるが、「ヒーリングコード」という技法自体は数分で覚えられる。
ただ、『ヒーリングコード』の書籍では、その数分でマスター出来る技法に到達するまで、280ページも読まされる。
別に読まなくても良いのかもしれないが、読まないとやる気にならないかもしれない。
逆に言えば、読めばやる気が出るかもしれない。
ただ、この本は、翻訳は既に絶版であるようだ。
『ヒーリングコード』の原書が2010年、翻訳が2011年の出版で、古い本でない。
しかし、翻訳が早くも絶版であるからといっても悪いものであるとは限らない。
むしろ、良過ぎるものが評価されなかったり、妨害されることはよくある。
この本でも、医療・製薬業界の妨害については直接的には書いていないが、苦労したことをうかがわせる話があった。
また、アレクサンダー・ロイドの新しい著書『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』(2016)があり、翻訳は、こちらも絶版だが、KIndle版がある。
この『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』では、エネルギーセンターは、胸、ひたい、頭頂として、それぞれにエネルギーを送る方法を示しているが、それも数分でマスター出来る。
ロイド博士の技法は関心があるし、私も苦労して『ヒーリングコード』を読了したので(思白かったが)、試してみようと思う。








  
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危機的状況で分かること

宗教を信仰したり、特別な瞑想を熱心にやったり、あるいは、高価な自己啓発プログラムをやったりしていても、緊急事態が訪れ、パニックになったら、自分は、それらのものを本当には信じていないことが分かってしまうかもしれない。

私は、何度か「恐怖体験」がある。
もちろん、滅多にあることではないが、やまり、たまにはあるのである。
そんな時に分かることがある。
以前、私は、TM(超越瞑想)という、インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギが世界中に普及させ、ビートルズの全員やクリント・イーストウッド、それに、映画監督のデヴィッド・リンチらが熱心にやっている瞑想を、必ず、毎日2回やっていた。
ところが、ある日の朝、TMをやっていた時、奇妙な生命体が近付いてくるのを感じた。
最初は、気のせいと思って、放っておいたが、どんどん近付いてくるのが分かる。
目は閉じていたが、回転するエネルギー体といった感じで、悪霊とか悪魔といった感じではなかったが、それが何かは分からない。
私は、直観的に恐怖を感じ、TMを中止した。
そして、ずっと前にやっていたスピリチュアルなテクニックで、その未確認生命体を追い出した。
それで、そっちのスピリチュアルな技術の方が信じられると思い、それ以来、TMは全くやらなくなった。
無論、たまたま私の精神状態に異常があっただけかもしれず、別に、TMが悪いと言うつもりは毛頭ない。
あの生命体だって、瞑想で特殊な精神状態になった人間に興味を持って近寄って来た姿なき宇宙人か何かだったのかもしれない。

また、こんなこともあった。
私の家は、オカルト現象がよく起こる(笑)。
とはいえ、それらには、電磁波で説明出来るものもあるらしく、必ずしも霊的現象とは言えないかもしれない。
例えば、昔、居間のテレビのスイッチが不意に入って音と映像が出たり、ある部屋に入ってしばらくしたら、スイッチも入れていないのに電気ストーブが発熱した。
まあ、家というより、原因は私にあるのかもしれない。
それで、理由は全く分からないが、特に居間では、私はうたた寝した時に不思議な夢を見たり、金縛りに遭ったことは数え切れない。
先日も、ちょっとうたた寝していたら、金縛りに遭うと共に、獣の唸り声が近付いてきた。
「ああ、来たな」と思ったが、目は見えているが、とにかく身体が動かない。
やがて、がしっと腕を掴まれた。
こんな時は、漫画・アニメの『見える子ちゃん』のヒロイン、みこ(高1女子)のように、黙って消えてくれるのを待つしかない。
しかし、その時は、「ちょっとヤバいな」と思い、私はマントラをいっぱい知っているのだから、それでまるっと解決と思った・・・のだが、マントラが出て来ない。
ところが、「イエス」というキリスト様の名前だけは出てきたのである。
それで、心の中で「イエス・キリストの名により退け」と言ったら、本当に消えてしまった。
そして、その数日後のことだが、私は連続して2回、金縛りに遭うという新記録を樹立した(笑)。
今度は、やはりうたた寝していたら(うたた寝が私の趣味だ)、何かが床を踏み鳴らし(確かに我が家の床の音だ)、壁にもぶつかりながら、どんどん近寄って来た。
首を掴まれると、私は気力で起き上がった。そして、「そいつ」と対峙して、ちょっと感動した。
なかなかの女の悪霊なのである。雰囲気たっぷりだ(笑)。
夢だったとしても、実に見事だったし、表情も堂に入って(よく身について)いて素晴らしい。
この時もどうしたことか、「イエス・キリストの権威により消えよ」という言葉が出る。
私って、こんなにイエス様好きだったのか(笑)。
悪霊の顔に苦悶の色が見えたが、立ち去らない。
そこで、重ねて、「イエス・キリストの権威により命ず」と言ったら、悪霊は消え去り、私は目が覚めた。
それで懲りれば良いのだが、私はしばらくして、またうたた寝して金縛りに遭い、またも何か変なものが来た(笑)。
今度はさっさと立ち上がって、そいつを見ると、今度はちょっと嫌な感じだった。
ただの肥満したオッサンで、ダサい服を着て、顔はそこらにいる不細工な中年男の顔なのだが、目が逝っていて、かなり不気味である。
これが襲い掛かってくるのだから勘弁して欲しい。
私は、もはや必殺技となった「イエス・キリストの名により、ただちに消えうせよ」と命じようとしたが、ひどく言い難い。もう、心で言ってるのか、声で言ってるのか分からない。
それで、やっこさん(笑)も怯まない様子だ。
見かけと違い、なかなかやる(笑)。
だが、私は落ち着いて、「イエス・キリストの名によりて」とだけ言うと、今度はうまくいき、中年ゴーストは後ずさりする。
どうも「イエス・キリスト」あるいは「イエス」という名に力があるようだ。
私は、後一歩だと勇気を奮い起こす。
そして、「イエス・キリストの名によりて失せよ」と乱暴に言ってしまった…まあいいか(笑)。
すると、驚いたことに、そいつは、閉まっているガラス戸を通り抜けて外に出る。しかし、未練がましく、こっちに向かい、また入って来ようとする。
もう言葉は不要と思われ、私はそいつを目力で押したら(早い話が睨んだら)、そいつは必死で何か喚ている。しかし、戸の外なので聴こえない。
そして、私は目が覚めた。

結局、私は、かなりイエス好きなのだと分かった。
この名を唱え、福音書も、もっと読もう。
イエスをヘブライ語(ヨシュアに近い)で唱えないといけないのかなとも思ったが、イエスで良いと思う。
皆さんも、危機的状況で、誰を、あるいは、何を頼るか確認しておいても良いと思う。
そのために悪霊に遭うのは御免かもしれないが・・・
福音書を読めば、あなたもイエスが好きになるかもしれない。
良いぞ、イエス様は。








  
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信じられなくても願ってみる

思考する心より深い心は途方もなく巨大で、その中に、世界をどのようにでも作り変えることが出来る万能の力が秘められている。
その深い心を潜在意識と呼ぶ。
潜在意識は、思考する心が信じている通りに世界を作る。
自分が無力だと思っていれば、潜在意識の力によって無力になるが、多くの人は、幼い時に、親から、自分は無力だと教えられている。親だけでなく、学校やテレビや新聞は、直接的にではないかもしれないが、人々が、自分を無力だと思うような情報を流している。
あなたが無力だとあなたに教えた親だって、その親や学校やテレビや新聞等に、やはり自分は無力だと教えられたのである。
しかし、実際は、潜在意識の中には、万能の力が秘められており、思考する心が信じている通りに世界を作るのであるから、実際のあなたは無限とも言える力を持っている。
そして、どうやって、潜在意識の力を使うも何も、あなたは今すでに、その力を使っており、あなたが思う通りに世界は出来ている。

問題は、あなたが、自分の潜在意識の中に神のごとき力があることを知らないことだ。
だが、潜在意識の力について分かり易く書かれた本が沢山あるので、それを読めば、潜在意識の力について知ることが出来るだろう。
とはいえ、そんな本を読みながら、潜在意識の力があることを無理に信じようとしてはならない。
無理に信じようとしてはならないが、一方、頭から否定すべきではない。
だが、多くの人は、疑ったり、否定したりする。なぜなら、それが、親や学校やテレビの教育なのだからだ。
しかし、ただ淡々と読めば、それは真実であるのだから、自然に信じるようになる。
そして、うまくいく秘訣は、たとえ信じられなくても「そうであればいいなあ」と思うこと、つまり、自分の中に万能の力があることを願うことだ。
誰だって、そう願うはずである。
願うことすら出来ない人というのは、偽の力を信じてしまっている人なのである。
偽の力とは、世間の力のことで、例えば、権力とか、学歴とか、地位とか、お金などである。
それらは、刹那ではあるが、力や幸福を感じさせてくれる。しかし、偽の力は、所詮、悪魔の力、幻想の力で、いつかこっぴどく対価を支払わされる。
そんなものより、真実の力、潜在意識の力を願い、期待することだ。
そうすれば、やがて、信じられるようになり、信じれば、正しく考えるようになる。
正しく考えれば、望まなくとも幸運に恵まれる。

『法華経』の第25章の『観音経』に、万能の力を持つ観世音菩薩が登場する。
観世音菩薩は、本当は、外部にいる存在ではなく、我々の内部にいる力だ。
つまり、潜在意識の無限の力を観世音菩薩と呼んでいるのである。
そうであれば、観世音菩薩は確実に存在し、いかなる願いも叶う。
それを、誰にでも(子供にでも)分かるように書いたものが観音経である。








  
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万能の力を使えるのは当たり前(個人的に永久保存版)

アメリカで3年間、ベストセラーの最上位を保ったと言われる、ノーマン・ヴィンセント・ピールの著書『積極的考え方の力』の最初の章は、破滅寸前のような状況の40歳の男が、ピールに個人相談をする話で始まる。
困難に直面し、すっかり自信を失っている男に、ピールは、聖書の言葉を1つ教え、出来るだけ多く、この言葉を唱えるよう指示した。
その言葉は、「私を強くして下さる方によって、私はどんなことも出来る」であった。

※ちなみに、その言葉は、1964年にダイヤモンド社から出版された翻訳では、「我を強くし給ふ者によりて凡ての事をなし得るなり」という重厚な訳になっていた。最新の翻訳では、「わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です」となっている。

それを実際に行うことで、この男はうまくいった。
この言葉は、特にキリスト教徒でなくても有効であるが、「私を強くして下さる方」は、神を指すと思われるので、無神論とは言わないまでも、普段、あまり神のことを考えない人は、やや違和感があるかもしれない。
ピールより11日だけ早く生まれたジョセフ・マーフィーは、ピールと同じ牧師であるが、聖書の価値を認めつつ、宗教に優劣をつけず、神というものは、それぞれの心の中にいるものとし、簡単に、潜在意識と神を同一視した。無論、厳密な意味でではないが、それが分かり易くて便利だからである。
人間の意識には、表に現れた思考する意識である顕在意識(けんざいいしき)と、意識は出来ないが巨大な存在である潜在意識の2つがある。
全意識の少なくとも9割は潜在意識であると言われ、この潜在意識の中に、神に匹敵する万能の力がある。
ある意味、潜在意識が神そのものである。
そして、潜在意識の力を使うことは当然の権利であり、本来、誰でも自由に使える。
だから、上記の「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」は、「潜在意識の力により、私はどんなことでも出来る」と言い換えられる。

では、どうすれば、潜在意識の力を使えるのかが問題と思うかもしれないが、そんなことは考えない方が良い。
丁度、どうすれば歩けるかとか、どうすれば喋れるかなど、考えなくても良いのと同じだ。
なぜ歩けるのかというと、歩けると知っているからに他ならない。
もっと正確に言えば、歩けないことを知らないからである。
それはどういう意味だろう?
例えば、あなたは、もし、脚を折ったら、歩くことが出来ない。
脚が折れたら歩けないことを知っているからだ。
ところが、トーチェ夫妻の著書『トーチェ氏の心の法則』には、ある未開の地域の人々は、脚が折れても元気に走り回るのだそうだ。彼らは、脚が折れたら走れないことを知らないからである。

あなたは単に、万能の潜在意識の力を自由に使えることを知っていれば良いのである。
あるいは、万能の潜在意識の力を使えないことを知らずにいることだ。
そのために、何かする必要はない。
せいぜい、当たり前のように、静かに、「潜在意識の力により、私はどんなことでも出来る」とか「私は潜在意識の万能の力を自在に使える」と、たまに言ってみれば良いだけである。
それらの言葉を、顔を真っ赤にして、力んで唱えるようなことはしてはならない。逆効果になるから。
それは、「地球は丸い」とか「水は低い方に流れる」というのと同じくらい、当たり前のことなのだから、穏やかに、静かに言うしかない。
誰がいまどき、顔を真っ赤にして、必死に「地球は丸いんだ」と言うだろうか?
例えば、「私は初音ミクが好きで、私は潜在意識の万能の力を自由に使える」というふうに「当たり前のこと」を並べて言えば、前者と同じくらい後者も当たり前になる。








  
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真剣な素振りのやり方

名言集などには決して載っていないが、私が好きな言葉は、有名なミュージシャンが言ったとして雑誌に書かれていた、
「街角でハーモニカを吹いてさえいれば満足出来るようなやつじゃないとミュージシャンになれない」
だ。
また、ちょっと昔、別に意見を傾聴すべき人とも思わないが、ある大物芸能人が、こう言ったのを覚えている。
「一晩中でもバットの素振りをやっているバッターっていうのは、好きだからやってるんだ」

つまり、優れたミュージシャンや野球のバッターは、音楽やバッティングを本当に好きでやっているのである。
テッド・ウイリアムズという、メジャーリーグの歴史的な名選手がいた。
現在までのところ最後の4割バッターで、生涯出塁率は歴代1位、2度の三冠王は、彼以外にはロジャース・ホーンスビーしかいない。戦争に行かなかったら、ホームランのメジャー記録も達成したかもしれないと言われている。
そのウイリアムズは、子供の時から、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがり、夜は、親がベッドに押し込まない限り素振りを止めなかった。
こんなこと、好きでないとやれるはずがない。

ちょっと昔と思うが、落合博満さんが中日ドラゴンズの監督だかGM(ゼネラルマネージャー)だった時(両方だったかもしれない)、ある若い選手が度胸で指導を頼んだら、落合さんは、GM室かどこかにその選手を連れて行き、延々5時間、素振りをさせたらしい。
その後、その選手は「迷う度に素振りをした」というが、成功はしなかった。
そりゃそうだ。「迷う度」なんかじゃなく、いつでもどこでも、延々と素振りをするようじゃないとバッターは駄目なんだ。

私は昨年、ある若いイラストレーターの個展に行った。
若くて可愛い女の子にしか見えないそのイラストレーターに、私は、「子供の時からよく描いていたのか?」と尋ねると、予想通り、彼女は「1日中描いていた」と言った。
そうでないと、プロになれるはずがない。

法然は、1日中、念仏を唱え、その数は、1日6万回とも7万回とも言われている。
断言するが、彼は、念仏を唱えることが大好きだったのだ。
彼は、他の人にも、なるべく同じようにやるよう勧めたが、念仏が好きな人でないと無理である。
修行のためとか、極楽往生のために念仏を唱えるようでは駄目なのだ。
法然の『選択本願念仏集』や、親鸞の言葉を唯円が書いたと言われる『歎異抄』を読めば、念仏が好きになる場合があると思うが、そうでないなら、妙好人(念仏によってある種の超人になったような人)になることは諦めた方が良い。

私も、プログラマーの修行時代は、夜中の2時過ぎまで、家のパソコンでプログラミングをしていたが、そうでないとプログラミングの能力はつかない。
スティーブ・ジョブズや、オバマ元大統領らが、全ての人がプログラミングを出来るようにならないといけないなんて言ったという話があるが、そんなこと信じちゃいけない。
好きでないなら、プログラミングなんかやっちゃいけない。
そして、プログラミングを好きになれる人なんて、そんなにいない。
仕事に就くためとか、お金のためにプログラミングをやろうとなんかしてはいけない。
好きならやる、そうでないならやらない。これである。
学校の授業でプログラミングなんかやらせたら、プログラミング嫌いの人が増えるだけだ。
単に、プログラミングが出来る環境を用意すれば良い。

夜中に、自宅の庭や、自宅の前でバットを振っている野球部員らしい者を時々見るが、彼らに見込みはないと私は思う。
イチローもテッド・ウイリアムズも、不可能でない限り、家から離れた場所で素振りをしていた。
家族がいる家の近くでは、素振りに没頭出来ない。
それに、自宅では、やめたくなったら、素振りをすぐにやめられるし、いつでも冷えたジュースやコーラが飲める。
中学生や高校生が、そんなところで本気で素振りをするはずがない。
また、素振りだって、それなりに音を立てる(地面を踏む音やバットを置く時の音等)。ご近所迷惑を考えず、そんなことが出来るというだけで、そもそもスポーツマン失格なのである。
プログラマーやイラストレーターだって、本来は自宅で行うのは、あまり好ましくはないが、これらは家で仕事が出来るから、まだ良い。
しかし、スポーツの試合は自宅では絶対に出来ない。
自宅(特に家族)から離れ、孤独になり、独立心を持ってこそ、真剣な素振りが出来るのである。








  
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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